一章
1
昨日の出来事はと言えば、本当に、突然だった。
この四人のメンバーは既に一年の頃から変わらず、もうお互いが慣れ親しんでいるような間柄で。
精神年齢の幼い鞠と、ノリの合う佐藤でよく遊びに行くことを企てていて。
緑はお姉さん、そんな自由人二人のまとめ役。
私はそんな三人に付いて……というか、振り回されているに近いかもしれない。
振り回されながらも、なんだかんだこの関係に居心地の良さを感じていた。
そんな昨日もいつもと同じように、振り回されるようにカラオケに行って、お酒をみんなで飲み回して、騒いで、というか主に自由人二人が騒いでいるのに付き合って一緒に騒いだり、お酒こぼしたり、店員さんに水を頼んだりしていて。
帰り道、佐藤と一緒に帰ったのだ。
『のどかってほーんと、名前の通りのどかーっ! ははっ!』
何が楽しいのか、随分と酔っているのか……小さな公園にふらりと入って行く佐藤にぎょっとしたものだ。
『佐藤、帰んないと明日もあるんだけど』
『んーでも今日はー、のどかと話したいきーぶんっ』
くるりくるりと回りながらストンとベンチに腰掛けた佐藤蜜という人間は、また何か企んでいるような顔で私を誘っていた。
そんなに回って吐かない? 大丈夫?
このまま放置して帰るのも危なっかしい……私は佐藤の隣に座って一緒に空を眺めることにした。
このまま佐藤の酔いが少しでも醒めれば、この後私が楽に帰れることだろう。
『ふふっ』
そう笑って肩に腕を回して来る佐藤に、今日はやけにダル絡みしてくるな、と考えていた。
『のどか。和香。うん、和香ってなーんでも受け入れてくれそうだよねー』
少し声音の落ちた静かな声が、鼓膜を揺らす。
なんとなくその声は、いつものハスキーな声よりも少しだけ低くて……喉が枯れたせいなのかな、なんてその時は思っていた。
『別に、絶対なんでも受け入れるわけじゃない』
『そーいう風に言える所だよー、マジ。話聞けない奴マジで自信過剰だもん。和香は受け入れられないかもしんない自分を、受け入れてんじゃん』
よくわからない、何の話がしたいんだろう。
褒められてるのか? なぜ?
チラリと視線だけを佐藤に向ければ、じーっとこちらを見つめている瞳とかち合う。
『なに』
『あーしの秘密も、和香なら受け入れてくれんのかな』
『秘密?』
それは、心の準備なんて時間を挟む間もなく。
『あーし、男なんだよねぇ』
『は……?』
全く理解も何も出来ない頭で、鼓膜だけがその音を拾っていた。
するりと私の額を撫でる手が、前髪を横に流す。
むちゅっと、額に唇の当たる感覚があってもまだ、その言葉を信じることなんて、出来なくて。
『のどか』
やけに低くなったその声が、目の前にいた『佐藤蜜』だった人間を、そう認識させないようにと働きかけてくるから、佐藤の胸元に手を当てて引きはがすように押した。
『……む、胸』
『あぁ、これパット。外したらぺっちゃんこ。もう貧乳通り越して胸なんてないよぉ』
『……し、信じられるわけ……だって一年の頃からの付き合いなのに、なんで今更……』
本気か? 冗談か? からかわれているのか?
じゃあこの低い声は?
この肩に回ってる力強い腕は? 筋肉は?
男にしては細身の肩は……?
『やっぱり』
佐藤は私の頭に手を乗せて、呟く。
『和香はこんな突飛な話でも、一生懸命、考えてくれんだね』
ぎゅうっと抱き着かれ、混乱する頭の中でも、これはどっちだ? と考えることをやめない。
本当か? 嘘か? どれが嘘だ? どっちが本当だ?
『和香には、知っててほしくなった。そんだけ。あーしもいつも通りでいるから、和香もだよ? 離れてっちゃうのはナシね』
そう言って、頬に軽くキスをされた記憶まではあるけれど、その後どうやって帰ったのかは覚えていない。
ぐるんぐるん回る、昨日の記憶。
夜の十一時、公園にギャル……だと思っていた人と二人。
というか、なんで二回もキスされてるんだ。
え、じゃあなに、ギャル男? チャラ男? ってこと??
結局、すんなりと受け入れることなんて出来なくて、それでも本当に男だったとしたら今の関係はこれからどうなっていくんだろうと不安にもなって、他の二人は知らないのだろうか、とたくさん考えて。
そうしているうちに、朝日とご対面していた。
睡眠が大好きな私が、まさかちゃらんぽらん代表の佐藤のことでこんなに悩む日が来るなんてこと、想像したこともなかった。
私の睡眠を邪魔した佐藤のことなんて、許すまじ。
午後の講義前に三人と別れて、校内の池の見えるベンチに座り、またうとうととする。
ぽかぽかと温かい太陽の下、日陰に入ってはいるけれど、少し暑い。
買っていた麦茶を一口飲んでから目を瞑るけれど、脳裏に浮かぶのは昨日の佐藤のことばかりだ。
「ひからびるよー? 和香ちゃあん」
先程別れていったはずのギャルの幻聴が聴こえるけれど、私は頑なに目を開かなかった。
私は寝てるの。睡眠が大好きなの。
「このまま寝たふり続けんならキスするよ」
やけに近い距離から声がしたと思い、驚いて思わず目を開いてしまった。
いや、このままキスなんてそんな……学校だし冗談、だとは、思、う、けど。
「おーはーよ」
そう目の前にある唇が動くと、私の眉間の筋肉がきゅっと、今日はやけによく働く。
「私の安眠を返して」
佐藤のいたずらっ子のような笑みに溜め息をついた私は、上体をちゃんと起こす。
佐藤は次の講義に出ないのだろうか。
木に背を付けてもたれている佐藤を横目で見る。
「なーに? あーしの話したことが気になって夜も眠れなかったの?」
「……急にあんな、本気なのか嘘なのかわかんない話されたら悩みもする」
「へぇ、嘘だとは決めつけないけど、ちゃんと本気の場合のことも考えてくれんだね」
「……嘘なの?」
「いーや? ホント。下見る? らぶほでも行っちゃう?」
くすくす、笑っている佐藤は、それでも冗談かと思わせるような言い方を曲げない。
「佐藤と行くわけない」
ずっと女友達だと思ってたし――佐藤は特に鞠と仲が良かったはずで、私なんておまけ枠だったはずじゃないか。
そんな佐藤がなんで私に、男……なんて、打ち明けたのか。
そもそも、そうだとしたらなんで女装なんて、ギャルになんてなりきっているのか。
蜜っていう名前だって……。
「和香はー、別の男とならそゆとこ行くってこと?」
「……しらない、行ったことない」
「ふうん。そうなの、ふうん」
やけに嬉しそうなのは、そういう経験のない私を笑っているということなんだろうか。
ギャルだもんな、遊んでてもおかしくなさそう……だいぶ偏見だけれど。
「佐藤は……なんでそんな話、私にしたの。他の二人にも話したの?」
じとっとした目で佐藤を見るけれど、そのくるくると巻かれている赤色の髪の毛を退屈そうにいじっている。
しぐさがもう、女子。
というかその髪の毛もどうなってんの、本物なの?
「みどりんとマリリンには話してないよー。和香だけぇ」
「なんで私」
「んー。まぁ昨日話した通り、和香なら受け入れてくれそーだなって思ったのとー」
その視線が、赤色の髪の毛から私に移ると、なんだか胸がざわりとした。
「和香ともーっと、仲良しになりたかったからぁ」
にっこり、何を考えているのかも分からない笑顔が向けられる。
「胡散臭い」
「ははっ、それ本人に言っちゃうんだー」
何が楽しいのかよく笑う、ちゃらんぽらんな佐藤。
私は頭痛がしてきたというのに、佐藤はけろっとしている、解せぬ。
「もしアンタが男だったとして」
「見目麗しき野郎ですわよ?」
「……なんでそんな格好してんの」
ボーイッシュとか、中性的なんてもんじゃない。
完全に女、ギャル、赤基調の派手服、チェックのスカート、茶タイツ、顔も濃い化粧、髪の毛巻いてる、ピアス開けてアクセもジャラジャラ付けて、どう見てもギャル。
そして一人称が『あーし』。
それとも隠す理由があるんだろうか、実は女の格好が趣味なだけ、とか、心は女、とか。
それなら私はとやかくなんて、言えないけれど。
「あーしの叔父さん、理事長なんだけどねぇ?」
「……は?」
突然の更に暴露された話に、私の頭はやはり付いて来れない。
「あーし馬鹿だったからさぁ、入れる大学なくてぇ」
「まさかコネ……いやでもそれと女装と何が関係あるっていうの」
「こねこねー、こねこねーっ、ふふっ」
手をすりすりとすり合わせている目の前の野郎に、私は『こんな姪……いや、甥がいたら苦労しそうだ』なんて思いながらも、一応佐藤の言葉に耳を傾けたまま、大人しく話を聞いておく。
「散々ねぇ、悪ぅーいこといっぱいしてきちゃってぇ。大学で淑女らしく大人しくしてるならいいよーって条件」
「しゅく……え?」
「淑女、あーし」
「嘘だろ」
佐藤はあれだけ散々好きなだけ自由人しておいて、これで淑女のつもりでいたらしい。
これでいいのか、佐藤の叔父さん。
私はこんな淑女は嫌だと思う。
「淑女の意味知ってる?」
「ちょーいけてるレディー」
「嘘だろ」
認識を改めた方がいい、けれどこの佐藤相手に説明してあげるのも面倒くさい。
「緑みたいな子が一番淑女に近い」
「友達にガチ淑女いるなら全然おーけーじゃね?」
「全然おーけーじゃないわ」
引き続き私はいつも使わない脳の部分を使っているようで、頭が痛い。
いや、もはや寝不足のせいで痛いだけかもしれないけれど。
「ちょっと頭痛薬飲むわ」
「えーだいじょーぶ? 生理?」
「そのネタも昨日の暴露のせいでもうセクハラにしか聞こえないわ」
いや、別に佐藤ならなんかいいんだけど……アンタなら今までだってそうだったから許せるけど。
心配してくれてるのは、わかるし。
「あれ、じゃあ待って、アンタ月末に生理来るって話は……」
「生理とか無縁だしぃ?」
「クソが」
ヤバい、頭痛のせいか段々口が悪くなってきた、イライラする、本当に近々生理くるかも。
鞄からピルケースを取り出し緑色のカプセルを手に取ると、麦茶で流し込んで横に寝転んだ。
すると、ひんやりとした手が額に当てられる。
佐藤の手だ。
「このまま帰ってもいーんじゃない?」
「次のコマ……」
「睡眠不足だって立派なたいちょーふりょーだよ。まぁ、あーしのせいなんだけど。いや、二日酔いのせいとかもあるんじゃない?」
「サワー一杯で二日酔いになってたら酒なんて今まで飲んでない」
「だよねー」
ケラケラと笑う佐藤の手のひらが、額をゆるりと撫でて、瞼の上にその手が置かれる。
「あーしが責任取って紳士として守ったげるから、和香は寝てていーよ」
「アンタのせいで寝れなかったって、言ってんのに」
「あーしのせいで眠れなかった和香が、あーしの手の中で寝てくれるなら、本望だぁよ」
いちいち、語尾に星やらハートやらをちらつかせて来る言い方は癪に障るけれど、不思議と真っ暗になった視界の中では、そんなこともどうでもよくなってきていて。
「……佐藤、は……私の知ってる佐藤、のまま?」
「……うん、あーしはあーしだよ。これまでもこれからも」
「……ん」
そんなに簡単に、とっくに解きほぐされていた警戒心なんて戻ってくるはずもなく。
聴き慣れたハスキーな声に、心臓がとくん、とくんと落ち着いて来て。
そのまま私は、まどろみの中へと落ちていく。
佐藤の声は、前から変わらず、ずっと、心地のいいままだ。
「おやすみぃ、のどか」
深く深く、沈んでいく。
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