第17話 邪推
グラーツとは1週間と開けることなく会っていたため、一人での帰り道が何だか寂しく感じる。もう3週間も音沙汰ない。図書館に顔を出すこともなかった。
この間、様子がおかしかったのも影響しているのかもしれない。それとも、勝手に押しかけたのが気に障ったのだろうか。
リアリナは1人思い悩むが、再び家を尋ねる勇気もなかった。たまたまグラーツは仕事で忙しいだけ、と思い込むことにして、日々の仕事に没頭するようにしていた。意図的に仕事に没頭しないと、ふとした拍子に思い浮かぶのはグラーツの顔と声だからだ。思い通りに仕事に集中できないのだが、これはこれで気持ちが浮つくのだから仕方ない。
外の空気もすっかり涼しくなり、日が落ちるのも早くなってきた。足早になる帰り道、人影がリアリナの行手を阻んだ。一瞬、グラーツかと期待して顔をあげるが、待ち人ではなかった。
「……グリフ様」
かつてリアリナに付き纏っていた男だ。今日は男を従えておらず、離れたところに従者らしき者が控えているだけだ。
「リアリナ。あの男はどうした?お前の恋人は?」
「グラーツ様は恋人ではありません。色々とお世話になっているだけです」
それだけではないが、リアリナの本心をこの男に言う必要はない。
体を硬くし、走って逃げられるようにジリジリと距離をとる。本当にいざという時は、グラーツから貰った短剣を使わねばならないかもしれない。
「まぁ、そう構えるな。無理もないが。恋人でないのなら、よかった。今日はいいことを教えてやろうと思ってな」
「いいこと?」
グリフは笑う。
「エラン・グラーツとか言ったか、あの下っ端軍人。あいつはな、過去に妻を殺してるんだぞ」
「……え?」
「お前の前では調子の良い顔しかしないだろうが。中身はとんでもない男だ」
「そ、そんなこと……」
「嘘じゃないぞ。12年前、アルバ国境の砦で一緒だったやつから聞いたんだ」
そう言うと、さっさと去ってしまった。
残されたリアリナ。持っていた本の重さに気づく。腕に力が入らない。グリフの言ったことはにわかに信じられるものではなかった。なかったが、一笑に伏せられるものでもない。
心にざわざわと不安が広がる。リアリアの足は気がつけばグラーツの家へと向かっていた。
今日は使用人がいる日らしい。グラーツはもうすぐ帰ってくるはず、と部屋へ通される。
そこから間も無く、グラーツは帰ってきた。リアリナがいて驚くグラーツだが、複雑な表情を浮かべる。
「リアリナ殿……」
「お久しぶりです。あの……お加減はいかがですか?」
「ああ……」
返事もそっけない。
やはり、来てはいけなかったのだろうか。それでも、リアリナは今、会っておかねばならないと思った。だが、どうやって切り出そうかと逡巡する。自分の口下手さに嫌気がさすのはこういう時だ。今までグラーツが話しやすくしてくれたから、会話が成り立っていたのだと痛感する。その助けがなければ、まともな会話も成り立たない。
「今、追っている案件が立て込んでいてな。しばらく会うことはできない。ここへも来ない方がいいだろう」
グラーツの声音も硬く冷たい。
「そう、でしたか。しばらくとは……?」
「……長くなるかもしれない」
違和感の正体は、先ほどからグラーツが自分と目を一切合わせないからだ。無言の中、リアリナはグラーツの顔をつぶさに見ていた。
「少しだけでもお手伝いさせて下さい。何か役立つことがあれば」
「……今の仕事は危険が伴っていてな。ここまで協力してもらって何だが、リアリナ殿をこれ以上巻き込むわけにはいかない」
「何故、反対するんですか?戦略室に私を連れて行き、『その才を活かせ』と言ってくれたのはグラーツ様では?」
「今回の相手は手段を選ばない。お嬢ちゃんには荷が勝ちすぎる。俺が守りきれるか分からん」
「そうやって子供扱いしないでください!私は守って欲しいんじゃない!貴方の隣に立ちたいだけなんです!!」
「それでその身が傷ついたらどうするんだ!!」
初めてグラーツが声を荒げて怒鳴った。リアリナはその勢いに少しだけ押されるが、目は真っ直ぐにグラーツを見つめている。
グラーツは口を手で覆い、眉間に皺寄せて目を伏せる。思わず激昂したが、怒りよりも何処か苦しそうな悲しそうな面持ちだ。リアリナは言うべきか迷ったが、問うてみる。
「私を遠ざけるのは……何故ですか?……12年前、アルバ国境の赴任地のことが理由ですか?」
ハッとグラーツが顔あげる。明らかに動揺している。いつも余裕のある顔とは打って変わった、初めて見る顔だった。
「何故……それを……」
「デスラ様が今日……でも、信じられなくて……」
長い沈黙。部屋は静まり帰り、呼吸の音すら聞こえそうだ。グラーツは椅子に腰を下ろし、重い口調で口を開いた。
「事実だよ。結婚していたし、妻をこの手で殺したのも本当だ」
眉間の皺は一層深く刻まれ、頭を垂れる。
「これでわかるだろう?俺はどうしようもないクズな男だし、それ以外にも色々と手を汚している。俺はリアリナ殿の隣に立つのにふさわしい男じゃない」
表情はより一層苦しさを増すようだ。
「もう、俺に誰かを愛する資格はない。だから、ここには来ないでくれ」
ひしひしと感じるのは未だに強い悲しみと深い後悔。
「……すまない」
グラーツの触れてはいけない所に触れてしまった。言わなければよかったとリアリナも後悔する。グラーツが苦しそうにしているのを見ているのが辛かった。
「何でリアリナ殿が泣いているんだ?」
気がつくと、グラーツはリアリナの目の前にいて、指で涙を拭った。それでも、とめどなく涙は溢れてくる。
「わ……わかりません」
「そうか」
グラーツがリアリナを抱き寄せた。両腕ですっぽりと包まれ、リアリナの顔が胸に埋まる。
「泣き止むまで、な」
いつもの優しい声に戻っていた。低く甘い声、匂いも暖かな手の感覚も、この優しく髪を撫でる手の温もりも、嘘だというのだろうか?
グラーツの手がリアリナの顎を引き上げ、否が応でも顔を真正面から見合う。
「顔を見せてくれ、最後に」
最後、という言葉。このままグラーツは離れていく気だとわかった。リアリナはずっと言えなかったー言を耐えきれなかった。この機会を逃すと、きっとグラーツはもう目の前から去ってしまうだろう。
「グラーツ様……!私、私は……!」
最後まで言う前にグラーツがその唇を塞いだ。腰に回された腕がより一層強くリアリナを、抱き締める。息が出来ないほど、強く深く奥までグラーツを感じる。熱く優しく、唇から抱きしめる腕から、今までの言葉と裏腹に、グラーツの想いが伝わってくる。いつしか唇は離れ、2人の腕もお互いをゆっくり離していた。
その日グラーツがリアリナを送ることはなかった。
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