――幸せな日々の終わり。孤独のはじまり――

ワガママなど言ったことなどなかった妻の口から出た言葉は

「私のこと、殺してくれない、かな?」

 だった。いつかはこんな日が来るんじゃないかと思ってはいた。いつ終わるとも知れぬ無間の痛み。日が暮れて襲いかかる激痛に恐怖し、朝日が昇ると同時に痛む四肢に絶望したとしてもなんら不思議ではない。

「オレじゃなきゃダメかい?」

「あなたじゃなきゃダメだから頼んでるん、だ」

 とてもじゃないがそんな覚悟は持ち合わせいなかった。

「少し、考える時間をくれない?」

「うん。でも私、もう限界なんだ。痛くて痛くて痛くて、もう生きていたくない。明日もいらない。だからせめて最後はあなたに殺して欲しい。ワガママでごめんね」

 その日は一日中一緒のベッドで横になって過ごした。

「付き合い始めたころにさ、私が待ち合わせに一時間遅れていったことあったよね。あの時、怒らなかったじゃない。それでねこの人いいなって思ったよ」

「そんなことあったっけ? オレもよく遅刻したからなぁ。でも怒ったことなかったじゃない」

「ほんとは怒ってたけどね。でも、そのうち遅刻もしなくなったよね」

「待たせるのは好きじゃないんだよ、ほんとは」

「それで、あのイタリア旅行があってさ。二人で暮らすようになったから待ち合わせることもなくなった」

「そうだね。一緒に出かけるようになったからね」

「あの時はごめんね」

「あの時があったから一緒に暮らせるようになったと思ってるよ」

「そういえば、マスターのギムレット、飲めずじまいだったなあ」

 付き合ってから今までの話を夜までずっと話し続けてた。その間もずっと激痛に襲われていたが、夜は珍しく眠ることができたようだった。それでもまた朝日が昇ると痛みで目を覚ました。オレはぼろぼろと涙が出てきて

「ワガママ……きくことにするよ」

 と、言った。妻は激痛に歪んだ顔で一生懸命笑顔を作り

「ありがとう、ありがとう」

 と、二度言った。

 「身体、起こしてもらっていい」

すっかり細くなった身体はまるで木の葉のように軽く片手をそえるだけで起こすことができた。

「パジャマのまま死にたくなくてさ。着替えてくる」

 そういうと這って自分の部屋に行き色褪せたワンピースに着替えてきた。

「これ、なんてことないんだけど、あなたが初めて褒めてくれたワンピースなんだ」

「覚えて、るよ……」

 なんとか涙をこらえてそう応えるのが精一杯だった。オレが泣いてしまうときっと責任を感じさせてしまう。

「お化粧もしてくるね」

 そう言って洗面台へ向かったが五分もせずに戻ってきて

「だめだぁ、痛さで手が震えちゃってお化粧はできないや。すっぴんは嫌だけど、仕方ないね」

「オレはすっぴんが大好きだよ」

「ありがとね」

 オレたちはまたベッドに横たわった。

「苦しむ顔を見せたくないからさ、後ろから抱きしめてくれない? そのまま首を絞めてくれればいいよ」

 二人で眠る時にいつもとっていた姿勢だった。

「先に待ってるね。今回はいくら遅れてもいいよ。帰りのエアチケットもいらないから。愛してる」

 オレはもう涙が溢れていたが、できるだけそれを悟られないよう後ろから強く抱きしめた。妻は少し抵抗するようにオレの手を強く握ったがやがて、その力も抜け動かなくなった。

「なんだよ、苦しむ顔を見せたくないとか言ってたくせに笑顔じゃないか」

 そこから二日間、妻の横で泣き続けたオレは喪服に着替えると部屋を出た。

 

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