16

彼女の右手首に巻かれた黄金のチェーンブレスレット――インパクト·チェーンが光を放ち、その形状を変えていく。


ユリがその輝きに目を奪われた次の瞬間には、レミが宙を舞っていた。


太さと長さを変えたチェーンが、彼女の体に巻き付き、そのまま放ったのだ。


「レミッ!?」


ユリの叫びも空しく、投げ捨てられたレミは天井へと叩きつけられてそのまま床へと落下。


受け身も取れずにバタンと倒れた。


その衝撃音を聞いたクレオの部下たちが集まり、倒れているレミへとS字形をしたサーベル――ヤタガンを向ける。


Anlayabiliyor musunわかってもらえないのか……」


ユリには理解できない言葉で、クレオは娘に声をかけていた。


その瞳は潤んでいて、今にも涙がこぼれ落ちそうに見えた。


たとえ言葉がわからなくとも、ユリにも彼女の気持ちが伝わる――そんな表情をしていた。


先ほど見せた氷のような冷たい顔をした人間とは思えないほど、悲しい表情だと。


「閉じ込めておけ」


クレオは表情をまた冷たいものへと戻すと、部下たちにそう言った。


当然ユリも押さえつけられ、レミと彼女はディスケ·ガウデーレの男たちによって連れていかれた。


屋敷から少し離れた高台へと入れられ、その最上部に閉じ込められてしまう。


その高台の部屋には強固な扉が一つ。


窓もあったが、とても飛び降りられる高さではなかった。


いや、もし閉じ込められていたのがレミ一人だったのなら、外壁をつたって降りられただろう。


どんな場所にも侵入し、そして脱出もできる技術を教え込まれた彼女ならば、一流のロッククライミング技術を持ったクライマーと同じことができる。


しかし、さすがにユリを抱えての脱出は不可能。


クレオは、娘がけして友人を見捨てない人間だと知っていたからこそ、ここへ二人を入れたのだ。


打つ手なしの状況で、レミは落ち着きなく部屋の中をウロウロしていた。


張りつめた表情で爪を噛む彼女の姿を見て、ユリは何も言えなくなってしまう。


「なんとか出なきゃ……。なんとか……」


しまいにはブツブツ独り言を呟いている。


かける言葉はないユリは、床へと腰を下ろして壁に寄りかかると、自分の持ち物に気がついた。


「ちょっとレミ、これで助けを呼べばッ!」


その持ち物とはスマートフォンだった。


ユリは横浜から飛行機でインドへ行く前に、契約している携帯電話会社に連絡をしていた。


そう、海外でもスマートフォンを使用できるようにしていたのだ。


海外でスマートフォンを使うためには、その国が国際ローミングの対象エリアである必要がある。


そのローミングとは、海外の携帯電話会社の設備を利用して、契約している携帯電話会社の各種サービスを受けられることだ。


ローミングは、各携帯電話会社同士の提携契約によって成立しているこ


これによって、世界中どこの国へ行ってもほぼスマートフォンを使うことができるのだが――。


「あッ、でも警察なんて呼んでも無駄だよね……。反対にあんたのお母さんに殺されちゃいそう。じゃあ軍隊とか? でも電話番号なんて知らないし……。あぁぁぁッ! 海外行くから念には念を入れておいたのに! スマホなんて役に立たないじゃんッ!」


両手で頭を抱えて喚き出すユリ。


こんな状況では誰を呼ぼうが、どこに助けを求めようが返り討ちに遭ってしまうと、スマートフォンを放り投げようとした。


「待ってユリ。役に立つよ、そのスマホ」


その寸前に、レミが彼女の長い腕を掴んで止めると、ニコッと白い歯を見せた。


――レミとユリを高台の最上部に閉じ込めた後。


クレオは、一人で夕食の後片付けをしていた。


食べ終えた食器類を流しへと運び、シャツの袖をめくるとスポンジと洗剤を使って洗い始める。


彼女の側には食洗機があったが、どうしてだがクレオはそれを使わずに手洗いをした。


泡を立ててから食器を磨いているその顔は、何かを考え込んでいる――そんな表情だった。


「あの子はいつからあんなになったんだ……。昔は素直に言うことを聞いてくれたのに……」


ポツポツと独り言を呟きながら、クレオの頭の中には亡き恋人――ヤイバ·ムラマサの顔が浮かんでいた。


それはまだレミが生まれる前のこと――。


彼と過ごしたクレオにとって短い間の美しい思い出だ。


きっかけは、その時期にクレオに仕事を依頼した雇い主が、口封じのために彼女を始末しようとしたとき。


その雇い主の部下だったヤイバ·ムラマサが、クレオと共に逃げたのが二人の始まりだ。


ヤイバ·ムラマサと出会うまでのクレオは、けして他人を信用しなかった。


両親はまだ幼かったクレオを路上に捨て、幸か不幸か、彼女はイギリス政府の諜報機関の人間に拾われた。


それからは国のために働かされたが、次々に使い捨てにされる仲間たちを見続けたことで、クレオは諜報機関から逃亡する。


その後の彼女がまっとうな仕事につけるはずもなく、中東まで逃げて殺し屋となった。


人は誰もが他人を利用しようとする。


使えない人間は捨てられる。


物心つく前からその事実を体で覚えたクレオにとって、間に金を挟むだけの暗殺稼業は楽だった。


だが、彼女はついに巡り会えた。


損得のない愛や情を、冴えない東洋人の男から教えてもらったのだ。


「私のなにがいけないのだろうな……」


亡き恋人に訊ねるようにクレオが呟くと、彼女のいた部屋の壁に付いたモニターから部下の顔が現れる。


それは、高台に閉じ込めたはずのレミが、ユリと共に逃げ出したという報告だった。

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