13

――それから汗を流そうということになり、レミとユリは風呂場へと向かった。


レミは場所がトルコだっただけに、てっきり浴槽のないもの――伝統的な公衆浴場ハンマームを想像していたが、連れて来られたところにはプールほどの大きさはありそうな湯舟があった。


この浴場でもヨーロッパとアジアの文化が入り混じっている。


太い柱が浴場内に見え、欧州の宮殿を思わせる作りでありながら、巨大な龍のオブジェの口から湯が吐かれているなんとも説明しづらいものだ。


「レミっていいとこのお嬢さまだったんだね……」


その光景を見て、思わず呟いたユリ。


プライベートジェットを持ち、おそらくは私兵であろう部下たちを引き連れ、世界中を移動できる上にこんな王族のような自宅を持っているのだ。


レミが暗殺組織のボスの娘と聞いたときからだが、やはり住む世界が違うと、ユリは改めて思う。


同じく横浜でマイペースなスローライフを満喫していた者同士だったが、片や豪邸に住む箱入り娘で自分は熊本のコンビニエンスストアすらろくにない町の田舎娘だと、レミと自分との差に愕然としてしまう。


「ユリ、僕は先に出るからゆっくりしてて。着替えとタオルは脱衣所に置いておくから」


「えッ? ああ、うん……」


レミは横浜にいたときと変わらずカラスの行水だ。


きっと彼女は汗を流せればなんでもいいのだろう。


こんな豪華で体を伸ばせる湯船には浸からず、シャワーだけ浴びてさっさと出て行ってしまった。


残されたユリはせっかくだから満喫させてもらおうと浴槽に肩まで浸かったが――。


「お、落ち着かん……。こんなデカい風呂で一人なんて……」


結局彼女も慣れない場所ではゆっくりすることができず、早々に風呂から出た。


脱衣所にはまだレミがいて、すでに服を着ていた。


ユリにはわからないが、何かのアニメのキャラクターのTシャツにショートパンツという服で横浜のときと似たようなラフな服装だ。


自分にもキャラクターのTシャツが用意されているとユリは思ったが、彼女に用意されたのはトルコの民族衣装であるカフタンを思わせるシャツと、足首は細いが腰部では幅があるゆるやかなパジャマズボン――シャルワールだった。


下着は、新品のスポーツブラとショーツのセットが未開封の状態で置かれている。


「いいね、ユリ。マジでイケてるよ」


「あ、ありがと。そ、そんなにいいかな?」


日本人離れしたスタイルのユリは、自分とは違ってなんでも着こなしてしまうから羨ましいと、少し悔しそうに言うレミ。


なんでも彼女がこの屋敷に常備されている部屋着を着ると、子供に見えてしまうようで、あまり好きではないようだ。


「でも、キャラTシャツにショートパンツのほうが子供っぽくない?」


「そんなことないって。日本じゃ大人でもいたよ、いっぱい。インスタにあげている女の子もたくさんいたしね」


それは一部のオタクと、ある層に向けて狙って着ている女だけだとユリは思ったが、レミには言わないでおいた。


やはりこの子はハーフとか暗殺組織のボスの娘とかは関係なく、世間からズレているところがあると、ユリは笑顔を引きつらせている。


二人が風呂場を出ると、外で待機していた小間使いの女性が、もうすぐ食事の用意ができるので、ダイニングルームへと来るようにと声をかけてきた。


レミは小間使いの女性に丁寧に返事をすると、ユリと共に言われた場所へと向かった。


その移動中に、やはりメイドまでいるのかと、ユリの心はざわついていた。


同居人の母親とはいえ、国際的な暗殺組織のアジトにいるというのに、彼女が気にしているのはそんなところばかりだった。


そりゃボスであるクレオ·パンクハーストも、ユリのことを肝が据わっていると思うはずだ。


ユリもけしてレミのことはいえない、世間ズレした人間だった。


(夜ご飯はどんなのなんだろ? やっぱり貴族の宮殿に出るようなヤツ? それとも高級料亭? いや、でもここにいる人たちの人数を考えたら立食パーティーのほうが現実的だよね)


今夜はパーティーだと家主であるクレオが言っていたのもあって、ユリは豪華な宴会でもやると思っていたが、そんなことはなかった。


一般的な家族が食事を取る普通の部屋に案内された。


インテリアこそ様々な国のものが置かれているが、狭くもなく広すぎもせず、三人で使うに丁度よい大きさの部屋だ。


部屋に入ると、レミの表情が沈んだものへと変わった。


ダイニングルームにいたクレオのほうは、ジャケットを脱いだエプロン姿になっていて、テーブルの上にある料理を作ったのだろうと推測できる格好をしていた。


「ユリ、君はアルコールは飲めるか?」


「は、はい」


「そいつはいい。ラクしかないが、飲んでくれ」


ラクとは葡萄から作られ、アニスで香りが付けられている蒸留酒だ。


無色透明だが水を加えると非水溶成分が析出して白濁するのが特徴で、その様子からトルコ語でアスラン·スュテュ(獅子の乳)と呼ばれる。


アルコール度数は45パーセントから50パーセントで、前菜と一緒に食前酒として飲まれることが多い、トルコの代表的なアルコールだ。


「水割りか、レミの好きな甘いオレンジジュースやグレープフルーツジュースで割るのもおすすめだ」


テーブルにはアルコールを割る用の物も置かれ、他にはレンズ豆のスープや、トルコのピラフであるピウラに、チョバン·サラタス――別名羊飼いのサラダが見える。


メインディッシュはトルコ料理の中でももっともポピュラーな料理の一つ、ケバブ。


香辛料やヨーグルト、マリネなどで下味を付けた肉を大まかにスライスして積み重ね、特別な垂直の串に刺し、あぶり焼きにしてから外側の焼き上がった褐色の層を大きなナイフで薄くそぎ落とした肉料理だ。


どうやらすでにスライスしてあるところを見るに、クレオ自身が切り分けたようだ。


「さあ、乾杯しよう。我が娘の帰還と、その友人に」


レミとユリが椅子に座り、グラスを手に取ると、クレオがそう声をかけた。

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