第25話 分離
「櫻子の魂が抜けてるな。何があった」
訊きたいのはこっちだ。
陽虎はシャルロッテに叫び返しそうになったが、
とはいえ語れることは多くない。必然的にシャルロッテの推測もおざなりだった。
「たぶん陽虎の感じた通りだろうな。櫻子は敵に捕まった。魂が自然に体から離れたってのは考えにくいしな」
「だったら、のんびりしてる場合じゃないだろ。すぐ助けに行くぞ」
前のめりになる陽虎に、しかしシャルロッテは怠そうに首を振る。
「無理だな。今は調子が出ない」
「ふざけんな。あんたの都合なんか知ったことじゃないんだよ。もし嫌だっていうなら、ぶん殴ってでも連れてくからな」
「本気かよ」
「冗談だとでも思うのか?」
「言っとくけどな、相手が誰だろうと、あたしは黙って殴らせたりはしないぜ。適当に手加減はしてやるけど、お前の気が萎えるぐらいにはやり返す。それで傷つくのは誰の体だ? 承知の上だっていうならいいぜ。かかって来いよ」
陽虎は沈黙した。やるとなったらシャルロッテは本当にやるだろう。なにしろ魂で繋がった相手だ。人となりは把握している。
怒りと恨みの混じった視線を向けると、シャルロッテは口の片端で笑った。
「誤解するなよ。助けないってわけじゃない。今夜にはきっちり片を付けてやるよ。あたしの言うことが信じられないか」
陽虎は唇をきつく噛み締めた。結局のところ、シャルロッテを頼む以外陽虎に為す術はないのだ。己の無力さがやり切れない。
「おにぃ、いけません。櫻子ちゃんが痛がっちゃいます」
晴日にたしなめられ、唇を離して息を吐く。舌でなぞると歯型にへこんでいるのが分ったが、出血はなさそうだ。
「不安は当然です。シャルロッテさんはわたしの人生でできれば関わりたくなかったトップスリーに入ります。いかにも困った人ですし、信用するのは愚の骨頂かもしれません」
「おい、意地悪かよ。あたしは晴日のこと気に入ってんのに」
シャルロッテがこぼすが、晴日は構わなかった。
「それでも口から出任せでごまかすみたいな、小賢しい真似はしないと思います。っていうかできないんじゃないでしょうか。相当頭が悪そうですし」
「お前さ、ちょっとあたしにひどくないか?」
「おにぃを殺した方がもっとひどいです」
晴日にじろりと睨まれシャルロッテは視線を逸らした。珍しく決まり悪そうだ。
「おにぃ、シャルロッテさんには作戦があるはずです。足りない知恵を絞って一生懸命考えたんです。実行するのは今夜じゃないと駄目なんでしょう。その代わり成功率百パーセントの完璧なものに決まってます。ですよね、シャルロッテさん。では説明をお願いします」
「作戦……えっとー、まずは櫻子の体から陽虎の霊を剥がさないとだな。本人の魂が抜けた状態で長く憑いてると、陽虎の魂が肉に結ばれかねない。そうなると体にも影響が出るし、後が面倒だ」
「なるほど。それは櫻子ちゃんの家でやるのがいいですね。おにぃまで体の中からいなくなったら動かす人がいなくなります。眠りっぱなしの状態になるんじゃないですか?」
「だな。殴ろうがくすぐろうが絶対起きない」
「行きましょう」
すっくと立った晴日を、シャルロッテは見上げた。
「これからか? 自分で言うのもなんだけど、あたしは目立つぞ。警察とやらに追われてる身だしよ」
「シャルロッテさんは姿を消すことができるはずです。じゃないと、おにぃの首を斬ったあと誰にも見られないで逃げられたわけありません。きのう櫻子ちゃんの部屋に来た時だってそうです。いくら夜だって普通に移動したら絶対に騒ぎになってました」
「できるけどさ。好きじゃないし疲れるんだよな。なるべくならやりたくな……」
「やってください」
「あい」
「よろしい」
シャルロッテの頭を晴日は満足そうに撫でる。シャルロッテは渋い表情だ。
だが本題はこれからである。陽虎が改めて指摘するまでもなく、晴日は愛らしい瞳に強い光を宿した。
「そのあとはどうするんです。わたしに手伝える準備があるならやります。なんでも言ってみてください」
決意のみなぎる申し出に、シャルロッテは首を振った。
「いらねーよ。戦いの前にやっとくべきは一つだけだ。櫻子の体から陽虎の霊を落としたら、あたしは──」
晴日と陽虎、それに晴日の命令通り透明化したシャルロッテは櫻子の家へと赴いた。櫻子の部屋に入ると、陽虎は晴日に手伝ってもらいながら目を瞑ってパジャマに着替え、ベッドに身を横たえた。
「寝心地はどうですか、おにぃ」
「……別に普通だけど」
「難しくても妄想はできるだけ抑えてください。余り高まり過ぎると、あとで櫻子ちゃんが目を覚ました時に恥ずかしい思いをしてしまいます」
「どういう意味だよ」
「女の子の体はえっちな気分になるとお腹の下の方がしっとりと」
「説明しろってことじゃないからな」
「じゃれるのは後にしろ。始めるぞ」
シャルロッテは
「シャルロッテさん、櫻子ちゃんの顔に傷をつけるのは駄目ですからね」
「大丈夫。もう終わった」
言葉通り、陽虎は櫻子の体を脱して自身の霊体に復活していた。
実に瞬時の出来事だった。まるで竜巻に猛烈に吸い上げられて、再び外に放り出されたみたいな気分だった。
「……あー、目が回る」
ぐったりと床の上に座り込み、顔を上げる。櫻子がベッドに寝ている。安らかというには静か過ぎる。息をしていても起き出しそうな気配はまるでない。
「おにぃはもう行ってください。櫻子ちゃんにはわたしが付いてます」
「まだいる。また霊鬼みたいな危ないのが襲ってくるかもしれないしな」
「つまりおにぃのことですね。寝ている櫻子ちゃんを手篭めにしようと」
「しません」
「この際です。櫻子ちゃんをくんかくんかしたいなら、してもいいです。だけど、おにぃがここで櫻子ちゃんのためにできることなんかありませんよ」
晴日が容赦なく突き放す。陽虎は足腰に芯を入れて立ち上がった。
「分ったよ。櫻子の魂と俺の体を取り戻すのが最優先だからな。シャル、戻ろう」
「また隠形するのか。めんどくせーな」
シャルロッテは天井を仰いだ。
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