第18話 影の内に秘められたもの
その寸前、廊下から感じていたプレッシャーが、ふっと消え去った。
「ッ今!」
叫んで、勢いよく扉を開き、まりあは愛犬と共に外に転がり出た。叩き付けるかのように閉扉して、ろくろ首を保健室内に閉じ込める。これで、ようやく怪異からも謎の黒い影からも逃れることが出来た――と、安堵したのも束の間。
廊下に飛び出してすぐ、誰かとぶつかってしまった。
「きゃっ!?」
背の低いまりあに対して相手は成人並みだったので、お腹の辺りにダイブするような形になった。
「ご、ごめんなさいっ!」
咄嗟に謝る。タイミング的にシューベルトだろうと思った。しかし、身を離そうと軽く相手の身体を押した時、ぐにゃりと予想外に柔らかな感触が掌に返ってきて、虚を衝かれる。
生温いローションのような、ぬめぬめとした手応え。それに、何だか腥い。頭の上で、どくんどくんと鼓動が聞こえた。やけに大きく、ゆっくりと。それに合わせて、掌中の感触も蠕動する。
驚いて身を剥がすと、密着していた部位から、ぬちゃ……と粘性の膜が尾を引いた。視界に飛び込んできたのは、剥き出しの内臓。胸部から腹部にかけて、ばっくりと開かれた肉体の、生々しい中身だった。
「きゃあああっ!?」
ゾッとして、思わずそのまま突き飛ばす。うっかり握り締めていた胃の部分がびょんと伸び、本体が後ろに向かう反動で、ぶちぶちと管が引きちぎられる。びしゃびしゃと
「きゃあああっ!?」
再度悲鳴を上げて、まりあは
ねばねばの液体が残る掌をぶんぶんと払いながら、最早半狂乱だ。
「もうイヤっ!! なんなのっ!?」
「落ち着いて、まりあ! ただの人体模型だよ! 理科室から出て来たんだろうね」
「こんなリアルだなんて、聞いてない!!」
シフォンと言い合っている内に、倒れた人体模型がゆらりと身を起こした。胴体以外はきっちりと中央から肌色が分かれた男性体だ。半分が通常の肉体、もう半分が剥き身の筋肉標本になっている。当然顔の半分も同じく、剥き出しの筋繊維と眼球が覗いていた。その丸い目玉が、ぎょろりとこちらに向く。
「ひっ」
「いやぁぁあっ!!」
それを合図に、まりあとシフォンは同時にその場から全速力で
◆◇◆
それからは、暫く不毛な捜索が続いた。捜す相手が一人から二人に増えたのだ。みちるは愚かクラウンとも逸れたまま、なかなか見つけることが出来ずにいた。
反面、様々な怪異には遭遇した。人体模型は何とかロッカーに閉じ込めることに成功したが、ねばねばを落とそうと水道の蛇口を捻ったら水ではなく血のような赤い液体が出てきて、余計に汚れたり。
美術室からは、動く彫像がしつこく付いてきた。目を合わせていないと凄まじい速さで追跡してくるので、撒くのに苦労した。最終的にはまりあが彫像を階段から突き飛ばして破壊し、事なきを得たが。
そんなこんなで、まりあ達はもうすっかり疲労困憊してしまった。
「ぜ、全然見つからない……なんで?」
二階の廊下にぐったり座り込んで、遂にまりあが弱音を吐いた。
「そんなに広い学校じゃないよね? 三階までしか無いのに」
「たぶん、向こうも動き回ってるから、擦れ違っちゃってるのかもしれないね」
「それじゃあ、しばらくここで待とうよ。もう疲れた……大体の怪異、コンプリートしたんじゃないの?」
「そうだね。そうかも……」
シフォンと一人と一匹、溜息を吐いて、げんなり項垂れた。すると、動かず待とう作戦が功を奏したのか、その数分後には僥倖が訪れたのだった。
「あ、まりあチャン達、居たァ」
「クラウン!」
なんと、クラウンが向こうから姿を現した。しかし、何故か土砂降りにでも遭ったみたいに、全身ずぶ濡れ状態だ。
「良かったァ、こんな所に居たんだネェ」
「クラウン、無事だったんだね! 無事……だよね? 何で濡れてるの?」
「それがネェ、黒い靄に取り込まれたと思ったら、次の瞬間には何故か水の中に居たんダヨネェ。半魚人みたいな奴に足を引っ張られて陸に上がるのに苦労したんダヨォ。巨大な怪魚も泳いでたしィ。どうやら、ここのプールだったみたい」
「く、クラウン、その……足首にくっつけてるのって、もしかして……」
まりあが恐る恐る指差しで訊ねた。クラウンは「エ?」と首を傾げて自身を見下ろし、足首に巻き付いた人の手首らしきものを引き剝がす。
「アァ、さっきの半魚人のだネェ。なかなか放してくれないカラ、仕方なく斬ったんだケド、まだくっついてたんだァ」
クラウンが暢気に語った。確かに、その手首にはよく見ると魚の鱗のようなものがびっしりと生えていた。ゴミを捨てるみたいに気軽にそれを床に放り、クラウンが愉快気に笑う。打ち棄てられた手首がまだぴくぴくと微細に動いているのを見なかったことにして、まりあは引き攣り笑いで応えた。
「校舎の窓から見て、明らかにヤバそうな怪魚が泳いでたからプールは行かなかったんだけど……正解だったね、まりあ」
と、同意を求めてきたのはシフォンだ。まりあが頷きを返していると、「そうだ、それよりも」と、クラウンが話題を変えた。次に彼が発した言葉は、あまりにも想定外の内容だった。
「あの黒い影の中でネ、生命の光を見たヨ」
「……え?」
何と言われたのか理解が遅れ、まりあとシフォンが同時にキョトンと目を丸くする。
「どういうこと? みちるちゃんがいたの?」
「ううん、あの子じゃなかったヨ。何か、もっと大きかったケド……見えたと思ったらもうプールに居たカラナァ」
「それでも、生命の光に間違いはなかったと?」
「ウン、そう思うヨォ」
まりあはシフォンと顔を見合わせた。先に口を開いたのは、シフォンの方だ。
「そういえば、看護師さんも似たようなことを言ってなかった?」
「え?」
言われて、まりあはナースの言葉を思い返してみた。
『真っ暗な闇に包まれたと思ったら、一瞬何かが光って……』
「あ!」
「言ってたよね。てっきり、ワープの効果か何かだと思って聞き流してたけど……彼女が見たのも、同じ光だとしたら」
「あの黒い影の中には、生命の光がある……?」
再度顔を見合わせて、一人と一匹は息を呑んだ。そんな彼らを、クラウンが小首を傾げて眺めている。
「……でも、どういうことなんだろう」
「分からない。それが分かったところで、近付けないんじゃ、どうしようもないしね。とにかく今は、まりあの友達探しの方を優先しようよ」
「って言っても、これだけ探しても見つからないんだもん。もう心当たりのある場所なんて……」
「本当に何処も無い? よく考えて、まりあ」
シフォンに促され、まりあは今一度みちるのことを考えてみた。とはいえ、現在思い出せる範囲内の記憶なので、彼女の全てを知っている訳でもなし。
(みちるちゃんが行きそうな場所なんて、そんなの分かるわけ……)
もしかしたら、もう学校内に居ない可能性だってあるのだ。
(学校の外?)
不意に、思い出の中のみちるの声が聞こえた。
『絶対来てね! 約束だよ!』
そう言って、突き出された小指。絡めた指先の感触が、まだそこに残っている気がした。
不思議な確信が生まれる。その場所の名を、まりあは唱えた。
「――教会」
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