第6話 取り戻した一欠片

 眩さに目が眩む。気が付けば、真っ白な昼の光の中。軽快な音楽に、賑やかなはしゃぎ声が耳朶を打った。


「まりあ~!」


 呼び掛けられ、ハッとして振り向く。沢山の来場者でごった返した園内。円形の柵の向こう側、居並ぶ人々の列の中に見知った顔を二つ見つけた。


「ママ、パパ!」


 まりあの口が自然とそう呼んだ。そこに疑問の挟む余地などない。まだ三十代の若い男女二人組。明るい茶髪の派手な印象の女性と、対称的にメガネで地味な印象の男性。まりあの母親と父親は、いずれも顔に微笑みを浮かべて娘に手を振っていた。

 まりあも笑顔で振り返す。――‪現在いま‬よりも、少し小さな手。

 父親が構えるカメラレンズの前を、そのまま緩やかに回転して通り過ぎた。


 まりあが乗っていたのは、メリーゴーランドの馬車を模した座席だった。馬の方が上下に動いて楽しいよとは言われたが、彼女は頑として馬車の方を選んだ。


(だって、おひめさまがのるのは、うまじゃなくてばしゃだもん)


 今日は楽しみにしていた、おでかけの日。ママとパパと、三人で。まりあにとっては、人生で初めての遊園地。晴れて本当に良かった。


「楽しいかい? まりあ」


 手を繋いで隣を歩きながら、父親がまりあに問い掛けた。もう片方の手に赤いハートの風船を持ったまりあは、「うん!」と元気に頷いてみせる。それから、少しだけ残念そうに唇を尖らせた。


「でも、シフォンもこられればよかったのに」

「シフォンは犬なんだから、しょうがないでしょー」と返したのは、すぐ後ろで携帯端末を見ながら歩く母親。

「あはは、そうだね。今度はシフォンも一緒に遊べる所に行こうか」父親は、そう言って笑った。

「うん!」


 まりあは父親の提案に今一度大きく頷いた。彼女の小さな手からするりと紐が抜け出し、風船が空へと舞い上がる。


「あっ!」


 父親が捕まえようとするも、紐はひらりとその指を躱し、瞬く間に届かない高さにまで達してしまった。


「あー……」


 次第に小さくなっていく赤いハートを、文字通り手も足も出せず、まりあはしょんぼり見上げた。


「ほらー、しっかり持ってないからー。やると思った。だから、風船なんかやめた方がいいって言ったのに。あんたが悪いんだからねー?」


 母親が呆れたように溜息を吐く。まりあは萎れた声で、「ごめんなさい……」と謝った。父親は申し訳なさそうにしていたが、ふと思い立ったように娘に笑顔を向け、


「ちょっと待ってて」


 それだけ残して、有無を言わさず人混みの中を何処かへと駆け出していってしまった。


「ちょっ、和哉かずや!?」


 制止するように夫の名を呼んでから、母親は「全くもう」と忌々しげに舌打ちをする。漂う気まずさの中、待つこと数分。駆け足で戻ってきた父親の手には、なんと赤いハートの風船が握られていた。


「ちょっと、また買ってきたの!?」母親が目を剥く。

「だって、折角の楽しい遊園地の思い出を、悲しいものにしたくないだろう?」父親は答えた。

「和哉はまりあに甘すぎ!」

「そうかな?」


 虚を衝かれたように固まったままのまりあに、父親は屈んで笑み掛け、丁寧に風船を手渡した。


「はい、まりあ。今度は手を離しちゃダメだよ」


 じわじわと嬉しさが胸に込み上げてきて、まりあは風船の紐をぎゅっと握り締めた。満面に笑みを湛える。


「うん! ありがとう! パパ大好き!」


 記憶の映像が、ぷつりと途切れた。次に気が付いた時には、まりあは歪なイルミネーションに照らされた夜の遊園地――ナイトメア・ワンダーランド――に居た。


「まりあ! まりあ! 大丈夫!?」


 傍らからの声に焦点を合わせて見ると、シフォンが心配そうに彼女を呼んでいた。そのすぐ近くには、派手な色彩のピエロ――推定クラウン――も居る。

 まりあはまだ夢見心地な気分で、そっとシフォンの毛並みを撫ぜてやった。


「……ん、平気」


 白いチワワはホッとしたようだった。心地良さそうに目を細めて、まりあの指先に額を擦り付ける。

 柔らかな毛の感触に、まりあは自然と頬を緩ませた。今しがた自分の身に起きた事柄を改めて思い返す。――あれは、おそらく過去本当にあった出来事の、追体験だ。

 もう片方の手に視線を落とすと、そこに握られていた筈の風船は今はもう何処にも存在しなかった。


「わたし……思い出した」


 シフォンがハッとしたように顔を上げる。


(そうだ。わたしにはママだけじゃなくて、パパも居たんだ)


 大好きな、優しい父親。でも、どうしてその存在すらも記憶に無かったのだろう。まりあの中では〝父親は居ない〟という感覚だけがあった。

 大きな丸いシフォンの瞳を見つめ返して、まりあはゆるりとかぶりを振った。


「だけど、全部じゃないみたい。まだ、思い出せてないことがあるんだ」


 先程のは、もう少しまりあが幼い頃の記憶だったように思う。肝心なのは、もっと後――ここに来ることになった原因を思い出さなくては。


「そっか……また探そう。大丈夫、この世界にあることは確かなんだから、きっと全部見つかるさ」


 シフォンがまりあの手に肉球を乗せて励ます。まりあが複雑な笑みで首肯してみせると、一連のやり取りを興味深げに眺めていたピエロが口を開いた。


「まりあチャンは、記憶の欠片を探しているんだネェ。ボクもよくやるヨォ」


 思いがけない言葉に、まりあがキョトンと視線を向ける。半面マスク、半面素顔の美青年は、今更気が付いたように名乗りを上げた。


「あ、ボクはクラウン。〝一人サーカス団〟の団長にして、団員のピエロだヨォ」


 一人なのに〝団〟なのかとツッコミたい部分もあったが、やはりこのピエロはクラウンで合っていたようだ。それよりも、まりあが気になったのは――。


「あなたも記憶の欠片を探しているの?」

「うん。暇な時にネェ。ここ、時間だけは無限にあるカラ」

「でも……あなたのは光ってないはずなのに、見つかるの?」

「何となくネェ、自分のは分かるんだヨォ」


 あっさりと言う彼に、まりあは呆気に取られた。


「そんな簡単に見つかるものなの?」

「クラウンは勘が鋭いんだろうね。普通はそうそう見つけられないと思うよ。でなきゃ、皆もっと人型を保っている筈だもの」


 そう口を挟んだのは、シフォンだ。


「自我が保全されていればある程度変容も防げるから、クラウンの見た目が綺麗なのは、記憶のバックアップが成されているからなんだろうね。生前の状態に近いんだ」

「何だか、またむつかしいお話……」


 まりあが頭を抱えそうになった時、クラウンがまたも予想外のことを口にした。


「記憶探し、ボクもご一緒していいカナ? まりあチャンだけじゃ心配だしネェ。手伝うヨォ」

「え?」

「まりあだけじゃない! ぼくだって居るよ!」


 まりあが何か言うよりも先に、不服を漏らしたのはシフォンだった。道化クラウンは愉快げに口端を上げて笑った。


「そうだネェ。だけど、護衛が小さなわんチャンだけだと、戦力的に不安じゃナイ? ボクはその辺、お役に立てると思うヨォ」

「ぐっ……それは、そうかもしれないけど」


 クラウンの強さは今さっき証明されたばかりだ。ついでに、小さな護衛が戦力外ということも。


「それじゃあ、決定だネェ。よろしくネェ、まりあチャン」

「待て! ぼくは認めないぞ! おまえみたいな怪しい奴! おまえがまりあに害を成さないとは限らないじゃないか!」

「ボクが? それはないヨォ、安心して? ボクは生前、幼稚園のセンセーだったからネェ。子供は大好きなんだヨォ」


 あくまでも懐疑的なシフォンに、クラウンは飄々としたものだった。傍から聞いていたまりあは、(ピエロじゃないんだ……)と内心でツッコんでいた。


「余計に不安だよ! まりあに変なことするつもりじゃないだろうな!?」

「まぁまぁ、シフォン。折角だから、クラウンにも付いてきてもらおうよ」

「まりあ!? 何で!? こんな危ない奴、信用するの!?」

「信用っていうと……分かんないけど」


 嬉々として紫の熊を解体していた姿を思い出すと背筋が寒くはなるものの、まりあは何となくクラウンなら大丈夫な気がした。彼女を見る黒瞳が優しいからかもしれない。


「人手は多い方がいいでしょ?」

「それは……でも」

「ともかく、まりあチャンみたいな光を放つものを探せばイイんだヨネェ?」

「うん。心当たりはない?」


 まりあが訊ねると、クラウンは考えるような仕草で小さく唸った。


「ウーン、見たには見たケド……」

「見たの!? どこで!?」

「でも、物じゃなかったヨ。ヒトだった。まりあチャンと同じくらいの、小さな女の子。まりあチャンみたいに光ってた」

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