第75話 戦略の中で
地図でみるとこの町は、本当に辺境にある。
単に“領境に近い”ってだけじゃない。
領都まで行くにも十数日かかる上に、更に西に向かう王都ともなれば辿り着く為に、もう一月は必要だろう。
何より、ここから南は丘を越えれば砂漠で、西へ向かえば魔獣の跋扈する森ばかり。
こんな所に戦略的な価値はない。
処が侯爵にとって北のノーザを含む中央街道は思った以上に突破が難しかったようで、今は考えを変えたらしい。
地図を見ると分かるけど、中央街道を突破する事に成功しても代官領中央の町であるノーザの辺りで側面を突かれる事になる。
それを避ける為にノーザを狙えば、北西にある大都市シーアンからの援軍が待ち構える。
いや、それどころか体勢を立て直したベルン要塞から前後を挟み撃ちにされちまうって訳だ。
ベルン要塞を完全に無力化するのは無理らしい。
この要塞は、北方の山岳地帯と繋がってて、シーアンから迂回した補給を安定して受けられる。
つまり何年でも籠城できる難攻不落の要塞だ。
兵士の質は侯爵軍の方が高いらしいんで、封じ込めることは出来るけど、完全に攻め落とすのは無理。
つまり、侯爵はベルン要塞を完全に無視した作戦行動は取れない。
仮に要塞を無視する事が可能だとしたら、それはシーアンまでを完全に落として伯爵領の半分を得た時だけだ。
「で、それとこの町と、今、どんな関係があるの?」
いきなりの声に驚いて振り返ると、青い瞳にいつもの輝きが戻った少女が立っている。
「ローラ!」
それにしても……。
「音、しなかったよね?」
「あたしは狩人よ。自然に歩くだけでも気配が消えちゃうのよ」
そう言って胸を張っては、相変わらず見事なサイズを突き出してくれる。
切れ込みのある服は目の毒、と云うか保養というか。
俺の視線に気付いてるみたいだけど、ローラは特に気にしてない?
って言うか、今までより切れ込みが大きくなってないか?
にっこりと笑って、もっと見ろとばかりに胸を突き出してきた。
「な、なるほど。それはそうと、傷は大丈夫?」
「不思議なんだけど、それはまったく問題無いわね。なんなら直接調べる?」
「あ、いや、そんな事は……、いいの?」
「冗談よ」
「ううっ……」
ま、まあ、どうやらリーンランドが怪我を完全に治してくれたってのは本当だった様だ。
頷く俺に構わず、ローラは最初の問いの答えを急かして身体を寄せてくる。
あの~、肩に当たってますが良いんですかね? ローラさん。
さっきの台詞、本当は冗談じゃ無かったりして。(ヤッホー!)
ローラを軽く押しのける振りをしながらも無意識に、それに手が伸びそう。
と、そこでリアムがローラと俺の間に割り込む。
結局ふたりがもみ合いになり短い夢は終わった。
「だから、どうしてこの町が本格的な戦場になるのよ!」
ローラの怒鳴り声と俺の説明で会議は再開された。
「どうやら、睨み合いに疲れた男爵の方がダニクス相手に罠を張ったらしいんだよ」
「?」
「ダニクス侯爵がどこから来るのか分からないなら、思い切って南をがら空きにしちまえば食いついてくるだろ、って話だね」
「な~るほどね。敵が来る場所が分かってるなら、迎え撃つのは容易いって訳ね」
「そう云う事」
そこで町長が不思議だと声を上げる。
「しかしですな。ここに陣を張っても、結局、それ以上進む事は難しいのでは?」
「そうですね。ここから南は魔獣の巣です。
迂回して西に向かう訳にも行きませんし、下手に占領しても袋の鼠になるだけですよ?」
傭兵隊長のドノヴァンさんも町長と同じ意見だ。
あのヒゲ、いや“ズール・サッカール”がこの町を襲った理由は、竜甲造りは勿論だけど、ついでに人口も減らして侯爵軍を招き入れやすくする事にあったらしい。
重要拠点となる人口のある町より、潰れても惜しくない寂れた町のために軍を動かすなんて伯爵も嫌がる、と敵は考えるだろう。
そう思わせておいて、エサに釣られた侯爵が本隊を集結させたなら、領都からの増援を待って一気に包囲してしまう。
これが、ズールの語った罠の正体だった。
さて、男爵はスーザの防衛を放棄したって事を明確な事実にするために、今回の『山賊の襲撃』によってスーザに大きな被害を出した上で、その話をあちこちに流す必要があった。
でも、それを俺たちが潰しちゃったって訳だ。
ところが、それでも侯爵軍は、このエサに興味津々な事に変わりないらしい。
もちろん罠の可能性はあっちも分かってるから、一気に本隊は送ってこない。
でも、町の人口が減っているなら小規模な部隊でも占領できる。
そこから、ゆっくりと大軍を送って支配地域を広げてしてしまおうって感じだね。
事態は相変わらず深刻で、誰もが黙り込む。
イブンさんがやっと口を開いた。
「罠って事はダニクス侯爵だって気付いて居るだろうに、あえて攻め込む準備をしてるってんなら、当然だが男爵に町を包囲されても何らかの勝算があるって事だろうよ。
となると、侯爵軍は確実にこの町を攻めるだろうなぁ」
「やっぱり、……そうなりますかねぇ?」
溜息しか出ない俺たち。
と、そこに唐突な程に元気な声が響いた。
「なら、聞いて見るのです!」
全員がドアの方向に目を向けると、ローラを追ってきたのかメリッサちゃんが立っている。
「は?」
思わず呆けるしかない俺だけど、メリッサちゃんの勢いは止まらない。
「ですから、この町を攻めるかどうか、侯爵さんに聞いてみるのです」
「あ、あのね。メリッサちゃん。聞くって、そんな……」
これ以上話を混乱させられちゃ堪らない。
ともかく、一旦は部屋から出てもらおうとしたんだけど、
「成る程」
と、イブンさんまで重々しく頷いて来る。
「はぁ! イブンさんまで、何を言ってるんですか!」
「いや、メリッサちゃんの言ってる事は、案外間違ってないかも知れんぞ」
「そりゃ、どういう事です?」
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