31――研究への協力(前)


「じゃあ、いってきます」


 今日は土曜日。本当ならば制服を着ていつも通り部活に向かうのだが、今日のオレは余所行きの服を身に着けている。もちろんオレではなく、姉貴に選んでもらった。


 県大会も目前なのに部活を休んでもいいのかと言われそうだが、前々から決まっていた診察日なのだから仕方がない。ただいつもの軽い診察ではなく、今日は詳細に体を調べられる日なのだ。いつもの病院よりも少し距離が遠い場所に行かなければいけないので、電車に乗っても移動に時間が掛かる。


「本当に着いていかなくて大丈夫?」


「これまでもオレだけでちゃんと話も聞けてるし、問題も起こってないんだから大丈夫だよ」


 玄関まで見送りに来てくれた母親にそう言うと、母親の表情が曇る。しまった、ちょっと言葉選びを間違えたか。最初にオレが女になったのを見た時に、気持ちに寄り添えずに拒絶してしまったことが未だに母親の胸にしこりとして残っているらしい。オレももう全然気にしてないし、母親も吹っ切ったみたいに言ってたのにたまにこうしてギクシャクするんだよな。


 こっちも気を遣うから早く元の感じに戻ってほしいなと思いつつ、オレは母親の表情に全然気づいていない風を装いつつ笑顔を浮かべて、母親に手を振って駅へと向かう。みんなが部活を頑張っているのに自分だけサボってるような気がして、なんとなく罪悪感を覚える。けれどもオレにとってこの診察は不可能だと言われている男性に戻るための方法を探る、一縷の望みなのだ。


 もはや女子の身体に馴染んではいるが、元に戻れるなら戻りたいとオレの中に残っている湊の残滓が叫んでいる以上、できる限り探求を続けようと思っている。諦めざるを得ない状況になって誰かと付き合ったり、今の状況だと全く想像もできないが結婚をするようなことになったら教授達に断りを入れて、オレの身体の調査を打ち切ってもらうつもりだ。


 考え事をしていると、いつの間にか電車は目的の駅に着いていた。慌てて下車して、改札から程近くにある大学のキャンパスへと歩き始める。大きな病院で検査を受けることもあるが、この大学のスポーツ関連の学部が持っている機械は身体の詳細なデータを記録できるのだ。大体半年ぶりぐらいの計測だから、少しでも筋力量が上がってくれていると嬉しい。そう言えば筋肉がつきにくい身体だと告げられたのも、この検査を最初に受けた時だったなぁと思い出した。


 守衛さんに教授と約束があると伝えて、内線で確認を取ってもらい敷地内に入る許可をもらう。このキャンパスは色々と進入禁止エリアがあるらしくて、関係者以外立入禁止とまでは言わないが中に入るには関係者の許可が必要なのだとか。教授の研究室に向かっていると、すれ違う学生たちの視線がチラチラとオレに向けられているのがわかる。チラチラというかチクチクかな? 実際には痛くはないのだが、なんというかこう刺さる感じがするのだ。


 身長なのか顔つきなのか、こうやって私服の状態であっても大学生には見えないのだろう。身長がオレと同じぐらいの人もたまに見かけるのだが、基本的にはまゆと同じかもう少し高いぐらいの人が多いもんな。中学生から高校生ぐらいの人間がこんなところに何をしに来たのかと不思議に思うのも、ある意味当たり前の反応なのかもしれない。


「やぁ、ひなたくん。よく来てくれたね」


 研究室の前まで来ると、何故か教授がドアの前で待っていた。おじいちゃんに片足突っこんでいる年齢のはずなのだが、そんな人に女子高生の来訪を待ち侘びていたように歓迎されると、なんだか事案の臭いがプンプンする。まぁ実際のところ、彼らが欲しいのはオレ本人ではなく測定データのみなんだけどな。


 『変わりはないか』だの『高校生活はどうだ』だの、まるで孫娘に対するような質問をする教授に適当に返事をしつつ中に入る。すると中には酸素カプセルみたいな機械と、接続されている壁みたいに大きなパソコン。そしてそれを操作するオペレーターの女性が待っていた、彼女とももう何度も顔を合わせているので、もはや知人みたいなもんだけどな。


 挨拶をかわして、早速測定の準備をする。裸でこの酸素カプセルみたいな装置の中に入らなきゃいけないのだけど、いつまで経っても教授が席を外さないのでお姉さんが教授の頭を強く叩いて隣の部屋に連れて行っていた。貧相なオレの身体なんて見ても、特に嬉しくないだろうに。


 男だった頃は服なんて脱いだら脱ぎっぱなしでその辺に放置だったオレだが、ひなたになって家族と離れて暮らした1年弱の間でそれなりに自分のことは自分でやるようになった。なので今回も脱いだ服はシワにならないようにちゃんと畳んで、指定されている場所に入れておく。


 風呂に入る訳でもないのに馴染みの少ない部屋で全裸になっているのは恥ずかしいが、これも必要な作業なのだから仕方がない。こうして研究に協力しているうちは、高校生が受け取るには多すぎるぐらいの大金が入ってくるのだ。家にもちゃんといくらか入れているが、女子になってから使っている化粧水だのシャンプーだのトリートメントだのと美容関係や服飾関係への出費が激しい状況なのでこの収入がなくなってしまうのは非常に困る。


 用意されていた白いバスローブを着て装置のある部屋に戻ると、お姉さんがオレの姿を見て何やら微笑ましそうに頬を緩ませた。


「もうちょっと小さめのものを用意した方がよかったわね、ごめんなさいね」


「いえ、普通に着れているので大丈夫ですよ」


 確かに袖は余っていて手は完全にローブの中に隠れてしまっているし、本当なら膝丈までのはずの裾が足首のところまで届いているがちゃんと大事なところは隠れているのだから大丈夫だろう。


 そう自信満々にバスローブ姿をお姉さんに見せていると、お姉さんはちょっと困った表情を浮かべてオレの耳に口を寄せた。


「私の目線だと、ひなたちゃんの胸からおヘソまでがバッチリ見えちゃってるのよ」


 そう囁かれてもう一度胸元を見ると、確かにサイズが大きいせいで緩んでいて斜め上から覗き込まれたら普通にそれらがしっかりと見えてしまう状態だった。


「ごめんなさい、お見苦しい物を……」


 オレは笑って誤魔化しながらそう言って、胸元の隙間を隠すようにぎゅうっと胸元の合わせを握りしめた。今後大きいサイズのバスローブを着る時はここから手を離さない、絶対にだ。

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