第17話 チャレンジカップ② 激論! 代表選手

 一日めの練習が終わり、その日の夕食前、選手だけでミーティングが行われた。その主催者は一文字だ。なにやら提言があるようだ。グラウンド外では自主性を尊重することで知られる監督は顔を見せないが、見解は一致しているらしい。

「離れて見ていて改めて思ったが、今のチームは左サイドに攻撃が偏っている」

 左からの攻撃は、今の代表チームの最も得意とする形だ。サイドバック服馬のオーバーラップに、左ボランチの森波と若きエース枡田が絡んでトライアングルを形成し、敵陣を突破する。

 一文字は遠慮なくそこに切り込んだ。

「この間の試合を見てても、相手に読まれている」

 ベテランからの指摘に戸惑いが広がるなか、世代的に中堅となる服馬や森波が意見を挟んだ。

「でも何度か突破したし、チャンスはつくったと思いますけど」

「それに右サイドからは有効な攻撃はできなかったでしょ」

 右サイドの中盤を担うベテラン南澤は上を向いて険しい顔をした。

 最後尾に座った錠は、仲間割れかと好奇の目で傍観した。そのそばで岡屋がぼそっとつぶやく。

「右、俺使えよ」

 服馬が反論を続ける。

「いま一番効くのは左からなんだから、それを使うのは当然じゃないですか」

「でも得点にはなっていない」

 一文字のその言葉に、今度は森波がこぼした。

「それは、ユキヤさんもいないし……」

 森波は途中で濁したが、周囲には静かに苦笑が広がった。

「そういう個人の問題ではすまされない。中盤は突破できても、ゴール前で待ち構えられて抑えられている」

 それを聞いて森波たちからは言葉もなく、枡田は終始、黙って腕組みを崩さなかった。

「それでだ。組み立てるなかで、右サイドをもっと有効に使っていくべきだと思う。左に引きつけてから右に展開、またはその逆というパターンがあってもいいだろう」

「それはもちろんです。ただ……。右はいまいち距離感がつかめてないっていうか」

 森波はそう言って、離れて座っている小柄な男を見やった。

 ダブルボランチの布陣をとる日本の右ボランチは木田だ。ドーハ組よりは若いが、アトランタ五輪組の枡田はもちろん、森波や服馬よりもやや上の世代だ。

 木田は目線を下げ、ただ黙っている。

「距離感? 連携が取れていないなら取れるようにするしかない。練習してな。これはボランチだけじゃない。チーム全体の問題だ」

 一文字の野太い声に、誰も口を開かなくなった。

 重たい空気が漂うなかミーティングは閉会し、その後、いつもより遅れての夕食となった。

 借り切った食堂の片隅で、錠はいつものように誰ともつるむことなくテーブルに着いていた。その対面は木田だった。彼も一人で食べている。そこへ一文字がやってきた。

「木田、ちょっといいか」

「あ、テツさん。どうぞ」

 木田は不意をつかれた顔で応じた。

 錠は、今から木田に説教するんだろう、迷惑だ、食ってすぐ部屋に戻ろう、そう思った。

 一文字は錠を一度見てから、木田のそばに座った。そして周りを見やってから話を始めた。

「木田、お前はすべてをそつなくこなす。お前にボールを預けたら安心だと俺は思っている。だが、若手は違う」

 木田は両手をテーブルに置き、目の前の食器に目をやりながら聞いていた。

「いや、若手もお前のテクニックは認めているのかもしれない。けれど、それ以上にお前とは距離がある。戦術以前にな」

 木田は首都圏から遠い地域のJリーグ選手だ。所属クラブでは中心的な役割をこなすが、そのクラブからの代表選手は彼だけだった。関東の人気クラブに所属する者が多い今の若手たちとは、いろいろな意味で隔たりがある。

「だからって、お前が遠慮することはない。もっと主張しろ。主張していいんだ」

「はい……」

 木田は小さな声で応えた。一文字はうつむき加減の木田をしばし見ていたが、やがて立ち上がった。

「みんなにも聞いてもらおう。当たり前だと思うかもしれないが確認だ。ピッチ上ではまず全体を――、周りを見るんだ。そして常に自分の立ち位置を把握すること。今、自分がピッチのどこにいるのか、味方との距離や敵の状況を頭に入れるんだ」

 錠は、自分には関係ない、そう言わんばかりに食事をかき込んだ。

「次に、自分のすべきこと、できることを考える。そしてそれが見つかったら今度は味方に伝えるんだ。自分はどうしたいのか、相手にどうしてほしいのか、遠慮せずに主張するんだ」

 一文字の話にドーハ組は箸を止めて向き直っていたが、中堅以下は皆、食事をとりながら淡々と聞いている。

 一文字は全体を見渡しながら力を込めた。

「逆もしかりだ。相手はどうしたいのか、自分にどうしてほしいのか――。とにかく、自分と相手の状況を見て、互いに感じ合うことだ」

 一文字はミーティング同様、言い切った。

 話が終わると、食事のすんだ若手は早々に退室していった。

 一文字は腰を下ろしたあと、今度は対面にその視線を向けた。

「お前、サポーターともめたんだってな」

「へっ、今度は俺に説教かよ」

 錠は迷惑そうな顔で箸を置き、ドリンクを取った。

「常識で判断しろ。いちいちケンカしてたらきりがない。代表は公共の場だ。モラルってものがある」

「でもさ、あんただって思うだろ」

 やや大げさなテンションで、錠は反論を始めた。

「選手は苦しい練習して、やつらは遊び呆けてるくせに、言いたい放題言いやがって。人の夢や生活に口出すなよって」

 離れて座っていたカルロスが様子をうかがいに立ち上がった。まだ残っている選手たちは食事をとりながら耳を傾けている。

「ふ、お前の口からそんな言葉を聞けるとは驚きだが……。確かに相手の問題もあるのかもしれん。ただな、相手うんぬんの前に、なぜ自分がそう言われるのか考えてみたか?」

 一文字は錠の目を見ながら問いかけた。いつものように錠は顔を背け、口を尖らせる。

「ああん? だからあいつらにそんなこと言う権利ないだろって。なんだよ、俺のせいだってのか」

「今はそういうことを言ってるんじゃない。相手が文句を言ってることに対して、本当に自分に問題はないのか、とりあえず省みたのか? 正しいかどうかは別として相手が不満をもっている以上、それには何らかの理由がある」

「サッカー選手のくせに、いちいち説教くさいだよ、おっさん。こっちは悪くもないのに常識だのモラルだの、なんだってんだ」

 錠はそう言って席を立った。ここでカルロスが割って入る。

「待ちなよ錠、テツさんも謝れと言ってるんじゃない。省みることは無駄なことじゃないだろ」

「そうだ。原因がわからないと、また誰かと同じことになるかもしれない。原因がわかれば伝えられることもある。誤解を解くこともできるだろう」

「ぐだぐだうるさいな。何もねえよ。あいつら調子乗ってるだけだ。勘違いしていい気になってんだ。勝手に練習やれだのうるせえんだよっ」

 錠のテンションはヒートアップしていった。一文字もカルロスも、しばし言葉を詰まらせる。

 応酬が途切れた挟間に吸い込まれるかのように、錠の奥から言葉がついて出た。

「あれか、俺が練習しないからだって言いたいのか?」

 そして、自らのセリフにかぶせるように、間髪入れず一文字に口先を向けた。

「だったらあんたも同じだろうよ」

 言ってはいけないことを言った。それは、その場を支配した空気でも明らかだ。錠は今度はそれを払いのける勢いでまくし立てた。

「そもそも俺はレインボーを決めるために代表に来てるんだ。誰にも文句は言わせねえ。あんたら

の勝手なモラルで俺を縛ろうってんなら、そんなもんぶっ壊してやる」

 カルロスが困惑をにじませながら言葉を返す。

「大人を縛ろうなんて代表はそんな幼稚な集団じゃないよ。とにかくサポーターとケンカしてどうするんだよ。彼らはスタジアムではお客さんでもあるんだよ」

「代表は客商売じゃないだろ、ワールドカップ目指してんだろ」

「協会の運営のことまで言いたくないけど、スポンサーだって彼らがいるからつくんだよ。それに代表はJリーグと関連してる。それぐらいわかるだろ」

「へん、Jリーガーならまだしも、俺はプロじゃねえからなおさら知ったことか。しかし、あんたらも大変だね、あんなやつらにシッポ振って。代表になってまでさ」

 その場にいた選手たちは皆、一瞬にして顔をこわばらせた。

「黙って聞いてりゃ、言いたいこと言いやがって」

 一文字らに気を使い、黙っていた南澤が声を荒げる。

「俺たちがどんな思いでやってきたのか、お前なんかにわかってたまるか」

 その言葉をくんで、カルロスが続けた。

「錠、そんな言い方ないだろ。今のサッカー人気だって、Jリーグの始まる前から頑張ってた人たちがいて、その人たちがみんなの心をつかんだからあるんだよ」

 しばし黙っていた一文字も口を開いた。

「ジョーフィーバーもその上に成り立っている。それもサポーターがいてこそだ」

 この言葉に、錠はいっそうの剣幕で食らいついた。

「けっ、サポーターの肩もつようなこと言うんじゃねえよ。平気で裏切って移籍するくせに。あんたみたいなのが全部ぶち壊してんじゃないか」

 錠の視線に一文字は思わず顔を背けた。カルロスが慌てて言葉を挟む。

「テツさんにもいろいろあるんだよ。そんな簡単なことじゃないんだ」

「客捨てて何がJリーグだ。自分のことしか考えてないくせに。俺はミーハーとは違うぞ。ボンバを裏切ったやつを許しはしないからな」

 錠は二人を交互に見やって、その場を離れた。

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