【#2】神絵師を落とす方法(1)
俺が通っている私立
加えて、入り口付近にはウォーターサーバーやオリーブの木なども置かれているので、単なる生徒の共有スペースとは思えないくらい落ち着いた雰囲気の空間となっていた。少なくとも、世の中の人々がいの一番に想像するような、コンクリート作りで給水塔のあるような屋上とは、まるで違った様相。
でも、なんか寂しいよな。便利さやお洒落さと引き換えに、趣が失われている気がする。きっと、チープでボロい方が逆に、青春アニメっぽい雰囲気になるはず。なのにこれじゃ屋上と呼ぶよりかはガラスケースの中と言った方が正しいし、舞台で言うならば近未来アニメのそれと言われた方が、しっくり来てしまう。
……そんなこと言い出したら、今日日屋上を使える学校の方が珍しいんだけども。
ぱかぱかと、一人分の上履きの音を螺旋階段に響かせた後で、自動ドアを抜けた。
等間隔に配置された、ウッドベンチの一つ。
屋上にたった一人座っていた件の人物の方へ、俺は歩いていく。
「おはよ、亜鳥くん」
俺に気づいた海ヶ瀬は開口一番、普通に挨拶してきた。
……あんなDMを送ってきたくせに、何かを企んでいるようには見えないんだよな。
「朝早くから来てくれて、ありがと。嬉しいよ」
「ま、こんなん送りつけられて、来ないわけにもいかないからな」
まじまじと、上目で俺の顔を覗き込むように眺めていた海ヶ瀬の目の前で、ポケットから取り出したスマートフォンの画面をゆらりと動かしてやる。
「ふふっ……確かにそうかもね。それじゃ、とりあえず座ってよ」
そう言って海ヶ瀬は自らの隣をぽんぽん軽く叩いて、腰を下ろすよう催促してきた。
「グミ持ってるんだけど、食べる?」
「今日もまた、変なやつか」
「変じゃないよ。『木星グミ』って名前で、星の形してるやつ」
……どうしてまあ、そんなわけわからんグミばっかりチョイスしてるんだろう。
「くれるって言うなら、貰っとく……近っ」
ちょうど一人分のスペースが空くように腰を下ろしたのに、海ヶ瀬はグミの袋を差し出しながら、わざわざ距離を詰めてきた。そのせいで、グミの珍妙さよりも隣に座る海ヶ瀬の容貌に意識が向いてしまう──なんだこいつ、めちゃくちゃに睫毛が長いな。
「亜鳥くんって、アトリエ先生だよね」
そして、俺が生命の神秘を感じているなんて露知らない様子の海ヶ瀬は、あろうことか初手で王手をかけてきた。くそ、本当は探りを入れるためにお互いの会話デッキ二、三度回すくらいはしたかったのに。春アニメ、キャラ属性の流行、後は……いや、ダメだな。万人受けするネタが思い浮かばない。やっぱ、すぐ本題に入ってくれて正解だった。
「ああ。ここにやって来た時点でわかるように、俺が──アトリエだ」
せっかくなので顔の前に腱鞘炎用のテーピングまみれの右手を覆い被せ、何かの黒幕かのような名乗り方をしてやった。なかなか無いしな、こういう機会って。二度とあるなよ。
「うん、知ってるよ」無視された……じゃあいいよ、もう。いつもの俺に戻る。
「可愛らしくてえっちな女の子を描くことに定評のあるアトリエ先生だ。黒髪ロングの『アトリエちゃん』がTmitterアイコンの、あのアトリエ先生だ」
「あ、あの、全部知ってるから、別にそこまで言わなくてもいいよ?」
「見ればすぐにわかる流麗な絵柄と独特の塗りによって再現される乳や尻の肉感が相まって、一度でいいからR18絵を描いてくれと切望されている、神絵師のアトリエ──ぐむっ」
「ちょ、ちょっと一回静かにしようね」
遮るようにグミを口に突っ込まれて、形容しがたい甘さが全身に広がっていく。
もぐもぐもぐ……。
「……アトリエのこと知ってるってことは、そういうモノに対する理解はあると思っていいんだな? アニメとかラノベとか、ゲームとか」
グミの咀嚼を終えたこともあり、ひとまずは気になっていた点に触れてみた。
「人並み以上には、知ってると思ってくれて大丈夫だよ」
「へえ。なんだか意外だな」
「イメージと違った?」
……難しい質問だな、それは。
「そうだな……海ヶ瀬は傍から俺を見て、どう思う?」
質問に質問で返したくはなかったものの、そうじゃないと説明できそうにない。
「えっ、そうだなあ……シュッとしてる、とか?」
へえ。俺の枝みたいに痩せてる風体を切り取ってそう言ったんだとしたら、海ヶ瀬は結構良い奴だな。少なくとも、その辺のクラスメイトや知り合いに比べたら、遥かに。
「……俺はある程度親しい奴からは愛想が良くないだの目つきが悪いだの、終いには女殴ってそう、なんてことを言われたりする。人より表情筋が固いからなのか、腱鞘炎用にテーピングすることが多いからなのかは知らないが……にしたって、ひどい偏見だろ?」
「あー……」
「おいなんだその確かに、みたいなリアクション。やめろ、これ以上定評にするなっ」
「いやいや、思ってないって。勘違いしないで、お願いだから」
強めの否定が返ってきた。とにかく、結局俺が何を言いたいのか、だが。
「他人から見て抱くイメージと実際の人物像に隔たりがあるってのは、よくあることだ。だから海ヶ瀬が何が好きでも文句を言うつもりは一切ないし、そういう内面的な部分での偏見は押し付けない……俺もどっちかって言うと、される側だからな」
そもそも、他人の趣味に口出すのも無粋だろう。好きなもんは好きで、良いじゃん。
「……そっか。わかったよ、ありがと」
嬉しそうな表情の海ヶ瀬。ふむ、俺の人としての寛容さが伝わったようで何より──今さら良い人アピールしたところで意味があるのかと言われたら、無さそうだけども。
「ちなみにさ。私、アトリエ先生のオタクだよ」
え……うん? どゆこと?
「例えば──アトリエ先生が初めてイラスト担当してたラノベの『瑠璃川くんはズレている』は全巻初版で持ってるし、今担当してる『モノクローム・ハイスクール』の特典付き限定版があった五巻は、八重洲の本屋さんに朝一で駆け込んだし」
「
「去年初めてやった個展だって、見に行ったよ。……本当は、アトリエ先生に会ってサイン欲しかったんだけどね。抽選、外れちゃってさ」
あまりに早口でまくし立てられたので、言葉を返せなかった。
……本当かよ? いや、まだからかうために暗記してきただけ、という線は残っている。
「なら、瑠璃川くん三巻の表紙のヒロインは?」「
「闇魔女の最終ルートで主人公と結ばれるのは?」「
「アトリエがプレイしてるアイドルもののソシャゲで推してるキャラは?」「
「……わかった信じる。お前がアトリエ検定二級レベルの知識を有していると認めよう」
わーいと無邪気に喜ぶ海ヶ瀬と、ぐうの音も出ない俺。
「それで半年くらい前には、アトリエ先生の中で軍服ワンピースのブームが来てたよね」
「そ、そうだっけか?」覚えはないが、来てそうではある。良いよね、軍服ワンピ。
「うん。学校でも、口走ってたし」
「……お前どれくらい前から俺のこと、アトリエかもって思ってたんだ?」
「それは……ひみつ」
秘密らしい。ただ、そこまでの網羅っぷりがわかってしまったら、こっちもこれ以上疑えないというか……なんなら俺より俺に詳しいんじゃねえの? ファンの鑑かよ。
「ずっと前から、応援してるんだからね」
挙げ句の果てに、古参アピまでされてしまった──。
「どれくらい前かって言うと、アトリエ先生が生放送してた時から知ってるくらい。Tmitterのフォロワーがまだ、千人くらいの時だったかな」
……待て。待て待て待て。こいつ、そんなことも知ってるのか?
聞いてもいないうえに、聞きたくない話をされそうな気配をビシバシと感じる。
「生放送。アトリエ先生が昔
「あの、ほんとすみません」
「なのに……どうして、生放送しなくなったの?」
テーピングまみれの右手でうなじをべちべち叩きながら、悶絶するだけの俺。恥ずかしい。穴があったら入りたいを通り越して、なんなら進んで穴掘りしたいまであった。
「あれ、どうかした?」
「お願いだからその話はしないで、というか、忘れてくれ……」
大なり小なり、人には触れられたくない過去──黒歴史のようなものがあるだろう。
そして、俺の場合は中学生の頃──まだ無名の頃のアトリエが、そうだった。
当時の自分の記憶が、黒歴史として心の奥深くに、未だに埋蔵されている。
……黒歴史化したのには色々と理由はあるが、一番は自分の幼さが心底恥ずかしかったから、だろう。海ヶ瀬が言っていたように腹の立つコメントに対してレスバトルを仕掛けたり、世の中を知りもしないのに自らの意見を声高に主張したり、偉そうに語ったり。
そんな暇あったらイラスト描きまくれやと言いたくなる配信を、俺はネットに垂れ流していた。まさにネットタトゥー。もし過去に戻れるなら、間違いなく俺は、当時の自分の配信を止めようとするだろう。なんだそのしょぼいタイムトラベルもの。悲しくなる。
「……簡単な話だ。配信しなくなったのは高校受験の勉強をしなきゃいけないってのと、これからビッグになろうとしている人間の振る舞いとして、配信の時の自分は不適格だと思ったから。そんだけだ」
「ええ〜? ……私は、そうは思わなかったけどなあ」
海ヶ瀬がどうこうじゃなく、俺が思ったら終わりなんだっつの。
「それと、良い機会だから一個アドバイスしてやる。ネットに一度でも何かを載せたら、それは二度と取り消せないと思った方がいい。だから、自分の発言には注意しろよ」
「いやいや、忘れろって言われてもね……それに、亜鳥くん本人は忘れちゃったの?」
「忘れた、全部忘れた、綺麗さっぱり忘れた。だから、当時俺がやっていた『リスナーの性癖の統計とろう』配信とか、『神絵師になるにはどうすればいいかを俺らで考えよう』みたいなふざけた枠のことも覚えてないし、それらの配信アーカイブはPCのHDDの奥底に、さながらパンドラの箱の如く封印されている」
「覚えてるし、ちゃんと保存してるんじゃん」
「とにかく! もう金輪際、その話はしないからな!」
大声で示したら、海ヶ瀬は海ヶ瀬で少しだけむっとした表情を浮かべて、それからわかりやすくため息をついていた。そのリアクションは俺がしたい。
「……じゃあ、もうそれはいいよ。次は、そうだなあ。どうして私がアトリエ先生だってわかったのかは、やっぱり気になるよね」
アトリエオタクであるという前振りがあったぶん「ネットストーカーなのか?」なんて軽口を叩きそうになったが、土壇場で我慢した。素直に肯定された時が怖かったし、そもそも、勝手に海ヶ瀬をモデルにした俺が言えることでもない。マジで俺、何してんの?
「……いや。もうバレてるわけだし、どうでもいい話だと思ってる」
「そうだよね、気になってるよね」
「人の話聞けよっ」
「色々と理由はあるけど……やっぱり決定的だったのは、これかな」
唐突に。そして決定的な言葉を、ぐさりと突き刺された。
「アトリエ先生がTmitterのプロフィールに固定してる、この娘」
海ヶ瀬の手に持つスマホの液晶上には、見覚えのある絵柄のイラスト。
紛れもなく俺が描いた、青髪えちえちサキュバス少女が映っている。
「これ、私をモデルにして描いたんでしょ? 雰囲気もそうだし、背景の位置的に言えば完全に亜鳥くんの席から見た私の席になってるし……毛先の作り方も、そうだよね」
外にハネた襟足を右手の指で弄りながら、海ヶ瀬は得意げな笑みを作った。
その表情が小悪魔めいた、それこそサキュバスみたいなものに見えて、妙に俺の創作意欲をかき立てられてしまう──馬鹿、そんなん言ってる場合じゃないだろうが。
思うに、この状況はいわゆる詰みというやつなのでは?
一週間前。俺がラフ画で海ヶ瀬をモデルにしたイラストを描いていたあの日──グミをくれた時のお礼がどうこう言ってたのは、もうほとんどお前がアトリエだと確信できてるよみたいな、そんな勝利宣言的な意味合いだったのか?
それで、自分をモデルにしたイラストを投稿されてしまった今は、よくも勝手に私をモデルにしてくれたなこの変態野郎と、やっぱりそう思ってるんだろうか?
……やばい、自分でも擁護できない。裁かれるべきな気すらしてくる。
「さて、時に亜鳥くん。あなたは最近、学校の女子に向かって唐突にデッサンモデルをお願いしてるって聞いたんだけど、それって本当?」
今さら一つ二つ嘘つくのも意味はなさそうなので、黙って首肯した。
「そうなんだ……ちょっと変態っぽい、かもね。イラストレーターとして参考になるのかもしれないけれど、そのうち問題にはなりそう」
変態という言葉に重きを置いた発音だった。デッサンモデル自体は悪いことじゃないだろうにそんなことを言われる辺り、よほど俺という個人を問題視しているらしい。
「今までデッサンモデル頼んできた人たちには、許可取ってたの?」
「もちろん。どんな理由があれど、人としての礼儀は忘れちゃならない」
「そっか。じゃあ訊くけど、これ描くとき、私に一度でも断り入れた?」
すー……はー……。
一度深呼吸をしてから、俺はすぐに土下座した。
「すみませんでした今すぐそのイラストは削除しますしそれによって生じた損害は金銭ないしは肉体的労働によって死ぬ気で埋め合わせしますので何卒、何卒ご容赦をっ」
頭を屋上の床にぶつけての、誠心誠意の謝罪だった。そして、想定よりも勢いが強くなっていたせいで、くっそ痛かった。じんじんと額が痛む。しなきゃよかった。
「容赦ってのは、アトリエ先生の素性をバラすな、って言いたいのかな」
「た、端的に言えば、そうでございます……」
屋上の床に顔を向けて慈悲を請う俺。自分が原因とはいえ、惨めだった。
……だが、ここでしょうもないプライドを発揮する方が後々ダメージになるということを、俺ははっきりと想像できている。だから謝るし、せめてもの誠意を見せる。
インターネットが人々の生活に欠かせないものになっている、昨今。
このご時世において、ネット上での身バレを起点にあれよあれよと状況が最悪なものになる、ということは、まったくもって珍しい話じゃなくなっていた。頼んでもないピザが大量に送りつけられた、なんて話はまだライトな方で、相手に対しての殺害予告にまで発展したりするケースも考えられる。最悪、もっと悪いことだって起こり得る。
よって、相手が海ヶ瀬果澪だろうが誰だろうが、個人情報の生殺与奪を握られているこの状況は非常にまずかった。人生の終わりと言っても、過言じゃないくらいには。
「安心して。そんなことするつもりはないから……でも、悪いとは思ってるんだよね」
「そりゃ、隣の席の奴を勝手にサキュバスにしたわけだし……」
「イラストってワードが抜けてるんだけど。それだと、全然意味変わってくるんだけど」
しなびた茄子みたいにしゅんとしている俺とは違い、海ヶ瀬は饒舌だった。
「亜鳥くんが申し訳ないって思ってるなら、さ──埋め合わせする気、ある?」
実にクリティカルな話題だった。
そのせいで、俺がここに来るより先に明かされた海ヶ瀬の願いが脳裏にちらつく。
──ママになってほしい。
俺がイラストレーターであるということを鑑みれば、その答えは一つだった。
「……今回自分がされたことに対する見返りとして、ママになれ──つまり、自分のための
膝についた埃を払いながら俺は立ち上がって、真っ正面から海ヶ瀬の顔を見た。
真剣な表情だった。冗談を言っているようには、まるで見えない。
海ヶ瀬果澪は、
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