第51話 対 聖女エリス・ティタース ②


 エリスの手に白と黒の輝きが集まる。

 くそったれ聖女は、黒の大瓶の栓を抜き放った。

 大瓶の口から、粘ついた何かが吹き出してくる。

 周囲に、鼻をつんざく異臭が広がった。同時に、焼けた石に水を振りかけたような蒸発音が聞こえてくる。


 ……いや、これは。溶けているんだ、地面の草地が。


 瓶から飛び出した何かは、まるで巨大なスライムのように半固形のまま積み上がっている。だが次第に、別の形に変化していった。


 灰色に赤や黄土色が混ざった体表。

 四つ足。

 鋭い牙を持つ顎。


「あ……あ……」


 すぐ後ろで、膝をつく音。リーニャだった。

 神獣少女は愕然とした表情で、つぶやく。


「みんな……」


 ――俺たちの眼前に現れた召喚獣。

 それはまさしく、神獣オルランシアを模した姿をしていたのだ。


 だが、あまりにも。あまりにもむごい。

 かつてリーニャが巨大化した姿を見ていなければ、俺も『これ』がオルランシアの似姿とは気づかなかったかもしれない。


 かろうじて全体は獣の形を保っている。

 しかし、全身のあちこちは爛れ、崩れ、さらに身体のあり得ない場所から別の足や顔の一部が生えている。成れ果てドラゴンを彷彿とさせる、不格好な木偶でくの惨状。


「まあまあ、なんて醜いこと」


 エリスの声が聞こえた。

 こちらの動揺に気づいて、再び気を良くしたのだろう。先ほど垣間見せた本性は、もう微笑みで塗り固められている。


「言っておきますが、皆さん。この召喚獣もどきは、そこにいるアリア・アートが創り上げたことをお忘れなく。わたくしはただ、これを再び動けるようにしただけですわ」

「貴様……!」

「怒るなら、そこの小娘に怒りなさいな。尊い生命を冒涜ぼうとくした愚かな愚かな人間は、わたくしではなくアリアの方で――」


 聖女の口上が途切れる。

 歯をむき出しにしたリーニャが、一気に飛びかかったのだ。

 速い! リーニャせ――と制止する間もない。


 パッと閃光が散った。

 リーニャの爪が届く前に、不可視の結界によって阻まれる。


 俺は唇を噛んだ。そうだよ、こいつは自分大好きな聖女。

 

 聖女の力による結界魔法、その強さは、俺も何度か目にしてきた。リーニャの一撃を防ぐほどの強度があっても、不思議じゃない。


「牙を向けるのはわたくしではないと言いましたのに。しつけのなってない子ね」


 リーニャが距離を取る。

 両手を地面に突き、四つん這いになる。同時に強い魔力、そして神力が彼女の身体からあふれ出した。銀色の毛が全身を覆い、どんどん巨大化する。


 銀の大狼。本物の神獣、オルランシア。

 成れ果てドラゴンを屠った強力無比な力が、今再び現出した。


 そこへ。

 味方であるアリアから、焦りの声が飛んだ。


「駄目、リーニャ! 下がって!」


 神獣リーニャの足がぴくりと止まる。

 聖女エリスがわらった。


「躾をしてあげましょう。わたくしの手で」


 掲げたエリスの手から、黒い魔力がほとばしる。

 アンにまとわりついていたモノと同種の力。魂を失っていたアンの瞳が、俺の脳裏に蘇る。

 リーニャはその場から動かない。

 魔力の危険と、エリスに対する憎悪。その二つがせめぎ合っているんだ。


 俺は【楽園創造者】の力を呼び起こす。リーニャを護る、その楽園を――。


『ラクター様、イメージの創造が間に合いません!』


 女神の警告。

 それでも、俺は神力を練る。奴の、くそったれ聖女の好きにさせてたまるか。


 そのとき――。

 リーニャと聖女の間に、誰かが飛び込んだ。


「アリア!?」

「ぐっ!?」


 黒い魔力をまともに浴びて、アリアが膝を突く。

 我に返った神獣リーニャが、アリアをくわえて俺たちの元まで一足飛びに後退する。俺は元賢者の身体を受け止めた。


「アリア! おい、しっかりしろ!」

「……だいじょうぶ」


 自らの言葉を証明するように、アリアは俺の手をはねのけ、自分の足で立つ。

 脂汗がひどい。黒い魔力はアリアの全身を這い回っている。


「私はもう、あの聖女から呪いを受けてる人間だからね……耐性バッチリなんだから……。リーニャが操られたら、それこそシャレにならないでしょ……」


 アリアはリーニャを見上げた。


「あんたこそ、大丈夫なの?」

「にゃ……」

「そ。よかった。……ごめんね、リーニャ」


 元賢者の視線が、成れ果て召喚獣に向けられる。


「あれを創ったのは間違いなく私。だから、私がなんとかする」


 アリアの中で、魔力が凝縮されていくのを感じた。

 だが――弱々しい。

 かつて俺と対峙したときと比べて、なんて小さな力か。聖女エリスのどす黒い魔力の方が、圧倒的な存在感を放っている。まるで、弱者のあがきを嘲笑うかのように。


 成れ果て召喚獣が、動いた。

 知性の感じられない動きで、のっそりと突進してくる。


 神獣リーニャが応じた。俺たちの前に出て、突進を身体で受け止める。触れた部分が音を立てる。だが神獣リーニャはひるまず、そのまま四肢に力を込めて押し返した。

 その隙に、俺は【楽園創造者】の力で結界を張る。


「ちっくしょう……」


 リーニャの大きな身体、【楽園創造者】の結界に護られた中で、アリアがつぶやいた。血反吐を吐きそうなほど、悔しそうな声だった。


「ここでぜんぶ出さないで、いつ出すんだよ。アリア・アート……あんた、生まれ変わるって決めたでしょ。歯ぁ食いしばって、ここまで来たんでしょ。もっと力出せよ、私……!」

「アリアさん……」


 イリス姫、そしてアンが心配そうに元賢者を見る。


 ――アルマディア。


『お心のままに。ラクター様』


 俺は再び、【楽園創造者】の能力を解放した。

 アリアの足下に、神力の輝きが宿る。



 ――『楽園創造』。



 神力によって切り取られた空間が、アリアに往年の魔力を呼び起こさせる。

 かつて大賢者として思うままに魔法を振るってきた彼女。

 そして、一度はそれを棄てた彼女。


 賢者の魔力が、アリアにとって楽園になるかどうかは、彼女自身が決める。

 今のこいつなら、決められるはずだ。


 アリアは俺を見た。

 驚いた表情が、すぐに不敵な笑みに変わる。


「でっかい借り、またできちゃったね。あんた、凄くなりすぎだよ、ラクター」


 ――途端にあふれ出す、力強い魔力。

 俺の神力と、アリア全盛期の魔力、そして聖女エリスの呪詛。

 その三つが大賢者の身体を包み込む。


 アリアは、


 高らかに詠唱を紡ぐ。そして告げる。


「これが、私の新しい魔法」


 高まる力を感じ、リーニャが道を空ける。

 賢者の魔力が火炎を呼ぶ。極大火炎魔法ヘルファイア――。


 いや、違う。


 アリアの魔力だけじゃない。

 彼女をむしばんでいたはずの黒い呪詛、それを火炎魔法に織り込んでいる――!


「行くよ――黒呪・極大火炎魔法シュバルツ・ヘルファイア!!」


 唸りをあげる炎。黒の帯で彩られた極大魔法は、蛇のように成れ果て召喚獣を締め上げた。

 身体を焼く――だけでない。黒の魔力が成れ果て召喚獣に干渉し、急速に崩壊させていく。


……さしずめ『黒魔法』といったところですか。まさに、大賢者の面目躍如ですね』


 女神アルマディアが告げる。


『そしてこの魔法、聖女にも効いている』

「ああ、そうみたいだな」


 ――聖地から消滅した成れ果て召喚獣。

 先ほどまでそいつがいた場所の、向こう側。

 デバフの余波を受けたエリスの結界が、穴だらけになっていた。


「こ……の……!!」


 くそったれ聖女の外面そとづらが、再び剥げ落ちた。



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