第2話

 中学時代に入ったものの、私の気苦労は絶えることはなかった。

 女子同士の過剰過ぎるスキンシップすら、私には億劫だったのだから。なにかあったら抱き着いてくる。すぐに手を繋いでくる。ペットボトルの回し飲み。


「ごめん、そういうの好きじゃない」

「そう?」


 幸いにも、男子よりも女子のほうが理解があったのか、言えば止めてくれるけれど、私はそこで気付いてしまった。

 もしかして、私は男子が嫌いなだけでなく、女子すら嫌いなのではと。

 薄々気付いたものの、基本的に肉体性別はふたつしかないし、人類全員敵に回すのも気が引けた。

 それらに気を遣う日々にいい加減嫌気が差した私は、学校の図書館に引きこもるようになってしまった。私立学校の図書館は在庫が豊富な上、誰が掛け合ったのか知らないけれど、BL小説もふんだんに並んでいたので、それらをひとりで読むことが増えていった。

 それらを見て、なにげなく自分も小説の真似事を書くようになったのは、それからだった。

 学校の勉強はついていくのが精一杯で、平気で振り落とそうとしてくる。その勉強がなにもかも嫌だったときは、BL小説を書いて、日頃の鬱憤を晴らすようになってきたのだ。

 学校の嫌いな先生、苦手な先生を見ると、その言動を注意深く観察し、なにが嫌なのかを考える。古臭い価値観が嫌なのか、女子校の先生とは思えないほど男尊女卑の性格が嫌なのか、生徒を屈服させるものと考える強硬な性格が嫌なのか。それらを反転し、理想の男性像をつくりあげる。

 物事を柔軟な姿勢で取り上げ、女性に対しても親切で、弱い者いじめを許さない優しい人。その人が活躍する様を書き、その中でセックス描写を入れていけば、不思議なほど心が躍った。

 その日も図書館でBL小説を読み耽り、宿題が終わったあとにせっせとルーズリーフに小説を書いていると。司書さんが空気の入れ換えのために窓を開けた。


「あ」


 それがひらひらと飛んでいったことに、私は顔を青褪めさせた。

 BLだ思春期の妄想だとは言っても、BL小説は広義の上では官能小説だ。この学校の古臭い価値観の先生に万が一拾われでもしたら、最悪親を呼び出されかねない。

 親は未だに私がBL小説が好きなことも、書いていることも知らなかった。たつきは私が本棚に隠しているのを見つけ出したけれど、特に興味を持つことはなかったし、口止めとしてマンガを一冊買うことで、告げ口は免れた。

 私の苦労が水の泡。そう焦ったけれど、それを拾ったのはふくよかな体型の子だった。真っ直ぐな髪を校則通りしっかりとふたつ結びにした子は、私のルーズリーフをまじまじと読んで言った。


「あ、あの……ごめんなさい。これ、私の……」

「これ、あなたが書いていたの?」

「はい……」


 生徒が拾ってくれたけれど、見るからに正統派文学少女の手前、BL小説が見つかったのは後ろめたい気分だった。

 今はもっと正々堂々としていいという風潮があるけれど、創作なんて脱糞と同じだ。自分が食べたことあるものを全部さらけ出すのはいたたまれなくて仕方がない。

 私がひとりで震えている中、彼女は途端に目をきらきらと輝かせた。


「あなた、小説書いてるの!? すごい!」

「……へ?」


 今思っても、彼女は憎くもあるし、恩人でもあるという私の人生における中途半端な立ち位置となってしまった。

 何分私がいろいろと嫌気が差して、小学校に引き続き、高校までの知り合いの携帯番号もアプリのIDも全部始末してしまったもんだから、彼女のその後の人生を全く知らないからだ。

 彼女は私を文芸部に招待してくれた。

 文芸部でつかっているのは、空き教室だった。私立学校も年々定員割れが深刻で、空き教室は部室に解放したことで、部活目当ての子たちが受験するようになり、人数が戻りつつあるらしかった。

 当時、私は部活に入っておらず、文芸部も私が好きな作品の関係で、ちゃんと純文学を読んでいる人たちばかりのところに行くのは申し訳ないという気分で、足を向けなかったからだ。

 しかし実際の文芸部は、アニメ好きのたまり場になっていて、正当派な文学少女は影も姿もなく、皆で「備品です」と言い張ってマンガを持ち込み、回し読みしている場だった。

 そこで私は古典から最新作まで、ありとあらゆるマンガを読み、休みの日に同人誌即売会に連れて行ってもらって、そこで初めて同人誌というものを目にした。

 今まで勝手に書いていたし、本をつくるものだという発想もなかったので、ただただ驚いていた。


「でも野々ちゃんそんなにBL好きなら、ネットに上げればいいじゃない」

「えー……でも私が公開したら、問題にならない?」


 その頃にはネット小説も少しずつ浸透してきた時代だったけれど、中学生高校生が濡れ場を発表できる場所なんて当然ながらなかった。私も知らない人から怒られたくはなかったので渋っていたけれど、「でももったいないよ」と言われる。


「じゃあさ、下書きみたいな形で保存して、十八禁解禁したら公開したらどう? それだったら問題ないと思うけど」

「そうなのかな」

「そうだよ!」


 それから私も今まで書きためた小説を、少しずつネットに下書き保存するようになっていっていた。

 今まで息苦しかった人生が、少しだけ楽になった。

 なによりも趣味を持っている人たちの楽なところは、自分の趣味を第一優先にして、他人の悪い噂を風潮して回る癖がなかった。皆で好きな話の感想を言ったり討論をしたりしたけれど、誰かと誰かが付き合っているとか、好き嫌いとか言う習慣がなかったところが、私にとっては居心地よかった。

 なんだ、こういうところが私の居場所だったんだ。そう思っていたけれど。

 それはいとも簡単に崩れた。

 その日も私は小説を書いていた。その頃には親にスマホを買い与えられ、ルーズリーフに書いたものを少しずつスマホでネットに繋いで上げられるようになっていった。


「ねえ野々ちゃん」

「なに?」


 私はその子に顔を上げた。そこで女子特有の体臭が強く香ったことに気付いた。

 頭を渦巻くのは、小学生のときの、この数年でどうにか胸の奥にまで鎮めた記憶。あの臭いと思ったにおい、皆の冷やかしの声、通学路のむせかえる湿り気。

 今はレースのカーテンがひらひらと開いた窓を揺れ、運動部のかけ声がグラウンドから響き、吹奏楽部の合奏練習が耳を抜けていく。

 私は彼女を凝視していると、唇はすぐに離れた。


「気持ちよかった?」


 うるさいわ馬鹿。なにが気持ちよかったかだ。気持ち悪いわ馬鹿。

 現在売文業に就いているとは思えない暴言が頭を過った。でも実際に出たのは全然違う言葉だった。


「部活辞める。退部届ってどうやって書くの?」


 薄情な私は、既に逃げることしか考えていなかった。


****


 学校を卒業して思ったのは、私は男子が嫌いなんじゃない。人間が嫌いなんだということに、親も私自身もちっとも気付かなかったことが、そもそもの間違いだったんじゃないだろうか。

 歯科衛生士の資格を取るために専門学校に入ったのは、仕事をするために資格が欲しく、万が一私がやけを起こして働くのを辞めたときに繋ぎになりそうだから、というものだった。よくも悪くも今は歯科医はコンビニよりも数が多いから、就職には困らないだろうという計算もあった。

 マスクとゴム手袋、できればメガネさえしていれば、人と距離を置ける。そのおかげで精神的に楽に仕事ができた。

 地元を離れて働きながら、私は小説をネットで公開し続けた。

 結局は私は持っていたアカウントを削除して新しくつくり直し、ひとりで延々と書いていた中、一件のメールが届いた。


【乃々原かしこ様

 初めまして、私──】


 スカウトメールって都市伝説だと思っていたのに、本当にあったんだ。

 仕事の合間を縫って本を出したところで、タイミングが重なって次から次へと本を出すことになった。

 嬉しかったし夢中で書いていたけれど、世間一般的には私は訳のわからない生き物だったらしい。


「柏原さん、休みの日はなにしてるの?」

「ああ……副業してますけど」

「そんなに稼いで……結婚資金稼ぎ? 転職考えてるとか?」


 世の中のギャップに、私はいまいちついていけなかった。

 私にはもう、普通なんてわからないし、わかりたいとも思わない。

 一度自分が変なのではないのか、おかしいのではないのかと、心療内科の門を叩いたことがあるけれど、血液検査をされ、調べられてからの結論は「性格の問題です」だった。

 これは私の担当医が悪かったのか、それとも本当にそういうものだったのかの区別は付かなかった。正直知り合いに見つかりたくない一身で、心療内科すら選んで通ったのに、別の病院で再検査をしてもらうことなのかがわからなかった。

 ただわかっているのは。私はしんどくて苦しくてつらいけれど、別に私にトラウマを植え込んだ人たちに復讐をしたいとはちっとも思ってないこと……ううん、実際に会ったらどうなるのかはわからないし、実際に男子にはこの間会ったけれど、吐き気以外になかったから、復讐できる人はまず自己肯定感が強いんだろう。

 人に触れないし、触りたくもない。

 多分このまんま人生を終えるんだろうなと思っていたら、気付けばマスクとゴム手袋すら役に立たなくなってしまった。

 小説が書けない。人とも関わりたくない。

 ないない尽くしで、私は途方に暮れて立ち尽くしている。

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