第19話 舞踏会
ビアンカは当日までに誰にどう挨拶するかを叩きこまれた。しかし、その「誰」の顔が分からないので、挨拶が済むまで兄達と離れないように指示される。父はいろいろ言う割にはだいたい兄任せだ。
「皆お前の事情は知っているし、二時間もいないから、どうにかなるだろう」
サティアスにはそう慰められた。
城へ行く馬車は、ジュリアンと乗った。父と母は先行した馬車に乗っている。記憶を失う前のビアンカはジュリアンとよく話していたらしい。
次兄は愛想がよく人当たりは良いが、その反面つかみどころがなく、ときどき何を考えているのか分からない。
記憶がなくなってから、初めての城は心細いので、できればいつも一緒にいるサティアスにエスコートしてほしかった。
そこでビアンカは重大なことに気付く、長兄には婚約が内定している女性がいるのではないかと。
サティアスの整い過ぎた顔は、冷たい感じで近寄りがたい雰囲気はあるが、あれだけ優秀な兄だ。きっと人気があるだろう。レジーナも「ビアンカのお兄様、素敵」などと言っていたではないか。妹ばかり構っている場合ではないのかもしれない。
思えば、今まで長兄を頼り過ぎた。気づけば学園でサティアスの友達ともよく話すようになっている。
会場に着くと、家族で国王陛下夫妻、並びに王子たちに挨拶に行った。ビアンカにとっては初対面なので緊張した。
第三王子スチュアートもいたが、彼は意外なことにフローラをエスコートしていない。そういえば、最近では、学園でも一緒にいる姿をあまり見かけない。
彼はビアンカに何か言いたそうだったが、いつの間にビアンカの後ろに現れたサティアスのひとにらみで、口をつぐんだ。
どうにかこうにか二人の兄に挟まれて挨拶を終えた後、ジュリアンと一曲踊る。勉強は忘れていたのに、なぜかダンスは完璧に覚えていた。それがちょっと悔しい。
次兄と踊り終わると次から次へとダンスの誘いが来て休む間もなくなった。話しかけられてもとにかく笑って愛想よくしろと言われたので、ビアンカはダンスをしながら意味もなく微笑み、相手のいう事に相槌を打つ。たぶん、とんちんかんな受け答えになっていただろうが、誰もそれを指摘する者はいない。後日、流れて来る噂が怖い。
いい加減疲れたところで、ジュリアンが引き取りに来てくれた。
「ビアンカ、父上がもうダンスはしなくていいって」
「そうなんですか? よかったです」
学園では遠巻きにされていたので、人気がないのかと思っていたが、ここではなぜか男性が寄って来る。気を遣って疲れはしたが、ちょっと嬉しい。
「ビアンカの婚約者候補とは一通り踊り終えたからだって」
ジュリアンの言葉を聞いてがっくりきた。父が言っていたお披露目とはそういう事だったのか。婚約者候補への面通しのような……。彼女の人気ではなく、ケスラー家の人気だった。ビアンカは公爵家の娘と言う記号のような存在らしい。
「ビアンカ、飲み物と何か軽食をとって来るね。欲しいものはある?」
今日はジュリアンが甲斐甲斐しく面倒を見てくれている。結構いい人なのだ。長兄にはすぐに心を開いたが、いつも母とべったりの次兄とはそれほど打ち解けていない。
この機会に記憶をなくす前のビアンカについて少し聞いて見ようかという気になった。
しかし、それも束の間、ジュリアンは結婚相手を求める淑女たちに早速捕まる。顔もよく柔らかな雰囲気をもつ次兄は、いかにも女性に人気がありそうだ。
次兄の邪魔をしてはいけない。ビアンカは飲み物を諦めて隅の方の椅子に腰かけた。もう足が持たない。自分で飲み物を取りに行く気にはならなかった。少し休んでからにしよう。
しばらくぼうっと舞踏会を眺めていると、なんとなく自分がここから浮いている気がしてきた。ふわふわと現実感がない。記憶を失ってからずっと根無し草になったような気分だ。
「ビアンカ、ここにいたのか」
「お兄様!」
長兄が、サンドイッチとよく冷えた果実水をもってきてくれた。欲しいものなど言っていないのに驚くほど気が利く。ビアンカは早速いただいた。ちょうど咽が乾いていたのだ。
そしてその後ろでは、学園で兄とよく一緒にいるイアン・バートリーがいた。最近では、カフェテラスで時々話すことがある。
「やあ、ビアンカ嬢。随分踊っていたね」
「はい。少し疲れてしまいました」
脚がだるくて靴を脱ぎたかった。
「まあ、仕方がないよね。フリーの公爵令嬢は人気の的だから」
イアンの言葉にビアンカはげんなりした。婚約などもう面倒くさくて、したくない。
「そういえば、お兄様はどなたかエスコートされたのではないのですか?」
「僕が? そんな相手はいないよ」
長兄が否定する。
「お兄様には婚約者はいないのですか? さもなくば婚約が内定している人とか」
「いないよ。いればビアンカが知らないわけがないだろう」
それもそうだ。
「それではお兄様もこれから探さなくてはならないのですね」
少し離れた場所でジュリアンが、まだ淑女たちに囲まれている。
その後、長兄たちと入れ違いのようにレジーナとエレンがやってきた。早速女子会が始まる。
よく見ると会場には学園の知り合いも多い。ナタリーもいた。彼女はなぜかあれ以来、ビアンカに話しかけてこない。きっとビアンカが挨拶もせず錯乱して走り去ったことが原因なのだろう。
今思うと感情のおもむくままに恥ずかしい真似をした。失礼を詫びたいのだが、兄にはもう近づくなと言われている。
そして、会場内にはフローラもいた。久しぶりに彼女をみかける。しかし、彼女は王子ではなく別の男性にエスコートされているようだ。
「そういえば、フローラ様を見かけるのは久しぶりです。学園には来ているのですか?」
ビアンカが問えば、
「スチュアート殿下との婚約の話がうまく進んでいないみたいです。それで拗ねて学園を休んでらしたんですって」
とレジーナが訳知り顔で答える。
「あら、どうして? あんなに仲が良いのに」
不思議だ。二人の恋路の邪魔となる公爵令嬢ビアンカとはもう婚約解消済みだ。
「身分差の問題もありますが、国王陛下が許さないという話です。フローラ様のお家は新興貴族なので、彼らを王族に食い込ませたくないようです」
今度は声を潜めたエレンが言う。二人とも詳しい。
「そんな話どこで聞くの?」
「お父様と、お母様よ」と二人は声をそろえて言う。彼女たちは父母と仲が良いのだろうか?ケスラー家は家族の団らんなどないに等しいので、ビアンカの耳には社交界の噂など入らない。
その上学園でもビアンカは勉強の虫だ。今度のテストで五十位以内に入らなければ、また父に叱責されてしまう。
それにしても長兄はその噂を知っているのだろうか?
サティアスを見ると学友たちに囲まれている。しかし、周りは子息ばかりで、令嬢に囲まれているジュリアンとは対照的だ。
ビアンカは少し長兄が心配になった。見た目は良いのに、近寄りがたい雰囲気のせいか、令嬢が周りに一人もいない。
(お父様は、お兄様のお相手を探してあげているのでしょうか? それとも日頃お世話になっている私が探した方がよいのでしょうか? お兄様が心配です)
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。