陰鬱な前線基地
短命種の命を最も奪った階層は何層かと聞かれると、その答えは二つに分かれる。
すなわち、百一層と百五十層だ。
長命種は百層を突破したのち、百一層があまりにもこれまでと変わりばえしなかったことから、百層が最下層ではないと理解して探索を諦めた。
探索を引き継いだ短命種たちの方針は、一層から挑む者と百一層から引き継ぐ者とに綺麗に分かれた。
長命種たちの力を借りて百層まで移動し、百一層から挑んだ短命種たちは、誰一人攻略に成功することなく全滅した。彼らは百層を踏破した長命種たちの努力を軽視したのだ。
迷宮の危険性に向き合い、一層から挑んだ探索者たち。ティレンたちはその子孫であり、百一層を踏破した最初の冒険者は第三世代だったという。
「世代を重ねなくても百層を踏破した長命種のことを、俺たちは尊敬している」
「それを聞いたら、うちの長老たちも喜びま……喜ぶとおも……喜ぶかも……?」
もごもごと口ごもるアリアレルムに、苦笑する。
長命種が短命種を見下していることも、偏屈なことも伝え聞いている。迷宮エルフやドラゴンは気のいい連中だが、それは探索者に一定の敬意を抱いているからだ。
さて、百一層と同様に多くの探索者を葬ったのが百五十層。別名を『抹殺の百五十層』と呼ばれるこの階層は、今でも深層を目指す探索者たちの大きな難関となっている。
多くの命を礎に、突破の方法は確立された。しかし、それでもなお未だに三人に一人は命を落とすと言われる階層。そして、突破に成功した者を待ち受けているのが、百五十一層から百五十九層までの各階層だ。
階層そのものの難易度が上がることに加え、百五十層で失った仲間の穴を埋めなくてはならない。一層先に進むごとに仲間を失い、心は荒んでいく。
この付近で新たに仲間を連れる者たちにとって、ほとんどの仲間は『自分が生き残るための生きた盾』だ。
そのため、探索者は急速に単独での活動に特化していく。そうしなくては生き残れないからだ。
「分業していた連中の分を、自分ひとりでこなす。そういうことが出来るやつだけが先に進むし、進める。誰かを信じて頼るということが出来なくなるのがこの九層だ、って親父が言っていたよ」
ティレンと五分の兄弟分であるヴァルハロートは、百五十五か六層の生まれだったと聞いている。他人を騙し、裏切り、盾にする。そんなところで育った彼もまた、死と隣り合わせの生活をしながらどうにか生き抜いて最前線にたどり着いたという。
ヴァルハロートは、誰かを盾にしなくても良い、誰にも盾にされない生活は夢のようだと語っている。ある意味で最前線よりはるかに過酷な場所で生きてきた彼は、今でもほとんどの探索者に心を開いていない。
ティレンのように、自分と同等以上の実力を持っていなければ信じられないのだと語っていたのを思い出す。
「ヴァルフは親に盾にされたことをきっかけに、探索者になったって言ってた。だからあいつは宿願を引き継がなかった。元は地上の『オーゾク』とかいうやつらしいけどね」
「王族!?」
「らしいよ。オーゾクっていうのが何かは知らないけど、あいつは百六十層より下には絶対に行かないって決めてるらしい」
それでも、ヴァルハロートは昔と比べれば随分と丸くなったとティレンは思う。最前線の連中には多少なりとも敬意を払うようになったからだ。最前線では誰もヴァルハロートを盾になどしない。自分で自分の命の面倒を見られない者から死んでいく。
ともあれ、そんなヴァルハロートが『この世の地獄』と言っていた場所に三人は踏み込んだわけだ。
「だから、アリアレルムさんは特に気をつけて。信用していいのは俺かネヴィリアだけだってことは心に留めておいて欲しいかな」
「わ、かりました」
表情を引き締めて、アリアレルムが頷く。
まずは百五十九層の前線基地を目指すことにして、歩き始める。
ヴァルハロートいわく、この辺りは百六十層に近いだけあって、探索者の質はそれなりに高い。だが、百六十層に到達出来ていないということはそれなりの理由があるからで、それは実力不足であることを必ずしも意味しないとも。
人を陥れて破滅に追いやることに魅入られてしまった者たちが、この階層には数多く残っている。
***
百五十九層に生息しているモンスターは、猿のモンスターである。厳密には、百五十一層から百五十九層までは猿のモンスターしか生息していない。
狡猾なもの、身体能力が高いもの、仲間意識が強いものと個性がそれぞれにあるのだが、共通して異種族に対して残忍で強烈な敵意を持って襲ってくるという厄介な性質を持っていた。
百六十層を目指すことを諦めた者たちは、自分たちが対の棲処と決めた階層の猿に対応する方法を身に着けている。
猿に襲われる者たちは決まって諦めずに上を目指している探索者だ。彼らは進めば進んだだけ、前線基地に住む元探索者が潜在的な敵であることを理解していく。生きて百六十層を目指すならば、この九層に関しては前線基地に立ち寄らない方が良いという極端な攻略法もまことしやかに伝えられるほどだ。
トールグが参加しているパーティは、偶然だが宿願を持って下りてきた探索者から情報を手に入れることが出来た幸運なパーティのひとつだ。入念な準備を重ね、幸運にも『抹殺の』百五十層で仲間を一人も失わずに突破。この階層まで前線基地を経由せずに踏破してきた。
不測の事態に備えて、全員が『なんでもできる』ようになるまで訓練した一団は、しかし百五十九層で危機を迎えていた。
猿のモンスターの縄張りが事前情報とは違っていたのだ。楽園と呼ばれる百六十層の手前というだけあって、ここに住む猿のモンスターは身体能力が高く、狡猾で、群れの序列がはっきりしている。群れを為す猿たちの完璧なチームワークに、同じく苦楽を共にした仲間たちとのチームワークでどうにか対応し続けていたトールグたちだったが、その努力も限界を迎えようとしていた。
「俺が囮になる。お前たちはその間に百六十層を目指せ」
「いや、お前は消耗してるだろ。ここは俺が」
陥れるためではない、本当の自己犠牲。苦楽を共にしてきた仲間達のために命を散らすと、トールグが覚悟を決めた時。
「ギィッ⁉ ギャッッ! ギャア!」
「ギギ! ギェエエエァ!」
こちらには分からない言葉で意思の疎通を始める猿たち。これまでには感じられなかった、強い焦りを感じる。
目の前にいた猿が、恐怖を貼り付けたような顔で一度だけ南の方を向き、そのまま一目散に逆の方向へと駆け去って行った。他の猿たちも同じで、ほどなく周辺から生物の気配が完全に消える。
「たす……かった?」
彼らは知らない。この日、百六十層から強大なドラゴンと、ドラゴンをも降すほどの探索者が下りてきたことを。
猿が戻ってこないこと、後背を突かれないことを確認してから、訳が分からないながらもトールグたちは先に進むことにした。目指す先は、南。猿たちが恐慌を起こした何かがいたらしい方角だ。
彼らの本当の幸運は、ここにいる探索者は全員敵だと思っているティレンに遭遇しなかったことだろう。無事に百六十層に到達した彼らは、自分たちの本当の幸運を知らぬまま、そこを終の棲家と定めるのだった。
***
人を陥れる快楽に魅入られた者は、自分たちよりも未熟であるものを狙う。より優れた相手を狙って、それが失敗した時には自分たちの身が危険になることを熟知しているからだ。
それはつまり、深い層から戻ってきた者。とりわけ宿願を手にして降りて来た探索者は対象外ということだ。
ティレンが百五十九層の前線基地に踏み入った時、表を歩いている者は誰もいなかった。迷宮商人もこの辺りには長居しないから、露店もない。自分たちのねぐらに引っ込んだ元探索者たちの、こちらを窺う弱々しい視線が感じられるばかりだ。
『陰気な基地よな』
「猿どもが逃げたから、察したんじゃないか? ネヴィリアのお手柄だな」
ドラゴンの気配を感じて猿は一目散に逃げた。階層の異変に、彼らが気付かなかったはずはないのだ。互いに情報を伝え合うような協調性はないだろうから、全員が全員、自分で危機を察知したのだろう。
しっかりと鍛えれば、それなりに上の階層でもやっていけるのではないかと思ったティレンだったが、それを口にすることなく基地の中を歩いていく。
なるほど、こんな前線基地が何層も続くのであれば、百五十層を通過するまで基地には寄らなくて良いかもしれない。
『下を陥れて、上には卑屈、か。詰まらない連中じゃなあ』
ネヴィリアの呆れたような言葉が全てだった。
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