第36話 おやすみ
夜になり、ジニーとの約束の時間になった。
彼女は店の二階で卵料理をつついている。
今日は従業員のみんなにわがままを言い、少しだけ早引きさせてもらおう。
「ミーシャ、悪いけど僕今日はちょっと早引きさせてもらうね?」
「にゃー、それはいいんだけど、その前にちょっと相談があるにゃ」
「何?」
「店も本格的に忙しくなってきたしにゃ、新しいスタッフを募集しないかにゃ?」
「うーん、今がそのチャンス、そう言いたいんだなミーシャは?」
「そういうことにゃ」
「じゃあわかった、ミーシャをこの店の店長に昇格させて、ミーシャの手腕でしばらくはやってみなよ」
僕は後継の育成にも力をいれたい。
その一環としてまずはミーシャに責任のあるポストに入ってもらいたい。
ミーシャは僕の打診に、はにゃー、と困っている様子だった。
「君が駄目ならトレントがいるし、まぁ考えておいてね」
「ウィルは厳しいにゃ、お師匠さんゆずりだにゃー」
そう言われるのは光栄でもある。
じゃあ、今日の所はこれで頼んだ。
二階に行くと、エンジュが一人で切り盛りしている。
僕は彼女の死角に紛れ込みながら、ジニーの席に座った。
「ジニー、話って何?」
「先ずはこれですね」
とジニーは僕が彼女の家に置いて行った鍵を渡す。
「あの部屋はウィルのために空けておいてあるのですから、鍵は持っていてもいいですよ」
「……わかった、ありがたく使わせてもらうよ」
「その際は私を卵料理でねぎらってやってくださいね」
「ああ、そうする。話はこれで終わりかな?」
「いえ、まだ大事な話が一つあって」
彼女はその話について切り出そうとすると、姿勢を正した。
あらたまって彼女の青い双眸で見詰められると、小恥ずかしい。
ジニーは綺麗だよ、なんというか、彼女は輝いている。
僕の下手な比喩だとこのていどでしか言えないけど、昔から惹かれていた。
「私、遠征先でウィルのご両親とお会いしたの」
「父さんと母さんは元気だった?」
「とてもね、元々ウィルと半ば同棲していたことを教えたら、二人は私を実の娘のようにあつかってくださって、二人の優しさに涙しちゃった。それでねウィル、貴方とは一度仲違いになってしまったけど、もう一度チャンスが欲しいの」
父さんと母さんの優しさにほだされたのか。
二人の優しさは異常だからな、ジニーを羨ましいとさえ思う。
ジニーはもう一度チャンスが欲しいと言ってくれた。
喧嘩別れしてしまった僕たちの仲を修復したいと彼女も思っているのだろう。
「ジニー、僕も君とやり直せたらいいなって思っていたんだ」
そう言うと、ジニーは心を打たれたかのように喜んでいた。
僕の両手をつかんで、お互いのぬくもりを感じ合って喜びを分け合う。
「でしたら、私ことヴァージニアは、ウィルに正式な婚約を申し出します」
「……婚約?」
「ええ、元々そのような関係だったし、改めてそうなりませんか?」
えっと……僕はいつからジニーと婚約関係にあったというのだ。
「ファングのことはどうすればいいと考えているんだ?」
「あの犬はペットとして飼えばいいじゃないですか」
「ファングはもうペットって呼べるような体格じゃないよ」
それに、と僕が言いたかった台詞をさえぎってエンジュが登場した。
「ウィルにはもう特定の人がいるから、その話は聞き入れられない」
「……ちなみにその特定の人って、誰です?」
「わ」
「私だったりするのかな? いやー、二人ともごめん! ウィルは私に首ったけだからさ」
エンジュの言葉をさえぎり、下からビャッコまでやって来てしまった。
「ちょっと落ち着いてくれないか、僕はまだ誰ともそんな関係になったつもりはないよ」
と言うと、ジニーは握っていた手に力をこめる。
「状況が見えませんが、せめて私との仲は否定しないでくれない? ウィル」
エンジュはテーブルの横に仁王立ちしながら僕を睨み下ろしている。
「どうだっていいけど、ウィルは絶対私のものになって」
二人の殺気にきづいたビャッコはこう言うのだ。
「あー、それなら私は愛人でもいいかな、その代わり財産の半分はもらうね?」
三者三葉に僕との関係を深めたがっている、ここはもう修羅場で間違いない。
先に席を立ったのはジニーだった。
「明日も朝早いし、ここで失礼します。ウィル、彼女たちとの関係をきっちり清算したら、また話し合いましょう」
「……ジニー」
「なんです?」
「僕の両親に会ってくれてありがとう、僕は二人を置いてきた負い目があるんだ。たぶん寂しかったんだと思う。だからジニーを実の娘のように可愛がったはずなんだ。本来なら僕がやるべき役目を、君が代わってやってくれたことには感謝しかないよ」
「いえ……そう言うのなら、私と一緒にご両親に会いに行きませんか?」
ジニーの提案は長期休暇を取る必要がある。
今の所その予定は立てられないけど、なんとかしたいな。
「その時は私もついて行くから」
「エンジュも?」
「当然じゃない?」
「そうは思わないけど」
「……当然でしょ?」
エンジュの圧のかけかたに震えた僕はそれ以上反論しなかった。
横を見ると、ビャッコもその話に興味しんしんな様子だ。
「旅行にはなるよねー、社員旅行として行かない?」
「片道半月はかかる長旅だから、旅行とは呼べないよ」
いずれは、店の従業員とジニーを連れて地元に戻るか。
そうなると僕の計画はますます重要になって来るな。
今日はもう上りになっているはずだし、今から計画表を見直すとするか。
「……ウィル」
計画ノートを取り出し、計画の練り直している最中。
ジニーは僕にキスをしていた、卵化することへの恐れはないみたいだった。
「再び生きて会うことが出来て、嬉しかった。それじゃおやすみなさい」
「お、おやすみ?」
そしてジニーは立ち去り、残された僕はエンジュとビャッコからあれやこれやと言われて泣きそうになった。何しろ翌朝にジニーはまた卵化する。それを解除できるのは僕だけだから、今日はジニーの家に泊まるとしよう。
一応念のためファングを護衛につけて、彼女の家を目指した。
「とうとうあの女が帰って来たのか、雪辱を晴らせるな」
「そんなことなら帰ってもらおうかな」
「冗談だ、今はウィルの相棒としての役目をまっとうしたい。それが俺の使命だ」
隣を歩くファングはあれからまた成長し、今は全長4、5メートルはある。
遠くからファングを見た通行人が思わず目を凝らしてしまうぐらいの存在感だ。
しばらくすると彼女のアパート前についた、ファングは体格的にもう入れそうにない。
「ファングはどこか適当な場所で寝てくれよ」
「そのくらいの対応は当然できる、外は任せてくれ」
今日はやけに従順だな、僕としては非常に助かるが。
さきほど返してもらった鍵を手に取り、部屋の扉を開ける。
「……ジニー、お邪魔するよ? 今日はここに泊めてもらいたいんだ」
中はすでに消灯されていて、灯りをつけて彼女の部屋に向かった。
そこにはすでに彼女を包んだ白い巨大な卵が形成されている。
卵に触れると、手のひらに彼女の温もりが伝わって、つい頬をゆるませた。
「おやすみジニー、明日になったら君は生まれ変わって、どんな姿を見せるんだろうね。僕は君がどんな風になろうとも、君の友達、もしかしたらそれ以上の関係だったかもしれないな」
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