第17話 卵化
「ただいまー」
卵の専門店は軌道に乗り、従業員がフル稼働しても定時に帰れないことが多くなって来た。ジニーと同居しているリビングの壁に掛けられた時計を見ると、時刻は夜九時を回っている。
帰路に着く頃には、僕はこう思っていた。
同居人のジニーは今日も騎士団でぞんざいにあつかわれ、ズタボロだろうと。
彼女へのお土産として店のスイーツを買って来たけど。
彼女のためにしてあげられることは少ない。
「……ジニー、風邪ひくよ?」
家に帰ると、彼女は食卓に倒れ込むようにして寝ていた。
彼女の肩をゆすり、起こしてやる。
「お帰りなさいウィル」
もしかして、僕の帰りでも待っていた?
「晩御飯はもうとった? まだなら今から何か作るよ」
「いえ、大丈夫。食欲ないし」
食欲がないのか、今日も相当疲れているみたいだな。
彼女が好きと言ってくれた卵料理も、もう効果しなくなっている。
僕の目から見たら彼女はうつ病のように映っていた。
「夢を見たの、とても臨場感ある夢でね?」
「う、うん」
「私自身が卵になって、卵の中で気持ちよく眠ってた」
「君が卵好きなのは知ってるけど、ちょっと異常だね」
「でも、私は嫌じゃなかった……むしろ今よりもずっと心地いい」
彼女は綺麗な青い瞳をふし目がちにして、その夢をもっと見ていたかったとつぶやく。
「とりあえず、ケーキでも食べないか? ママのお手製、食欲なくてもこれなら食べれる?」
「ありがとう、ウィルのお店はいつの間にかケーキまであつかってたのね」
店が繁盛し始めたとはいえ、商品への興味や購買欲は移ろいやすい。
なら新商品の開発は店の課題だろう。
むしろその心理を逆手に取って、色んな商品展開ができるのはメリットだ。
ケーキをおぼつかない手で食べているジニーを見て、ふと想起した。
「ジニー、騎士を辞めて、僕と一緒に働いてみない?」
「……考えておく、でも、私がもし騎士を辞めたら、笑われるんだろうね」
例の騎士団の先輩たちのいびりはいまだ健在か。
普段から彼女の悩みや愚痴を聞いているが、先輩たちによる彼女への風当たりの強さは本人も自覚している日々のミスの多さに起因しているっぽい。例えば万引き犯を追ったが簡単にまかれたり、ゆすりの現場に介入したらお金を盗られたり、小さなミスを積み重ねた彼女は重要な任務には決してつけてもらえない。
その影響から先輩たちに役立たずのレッテルを貼られ、いつもいじめられている様子だった。
「人には向き不向きはあるからね、そこを認めるのも器量だよ」
僕はそんな彼女と、前世の自分を重ねている。
負けっぱなしの人生は、やるせないよな。
僕は変えたかっただけだ――世界を。
「……世の中自分の思い通りになればいいのにな」
「ウィルが言うと嫌味にしか聞こえない」
「僕だって不満はあるんだよ、欲求はいつまでたっても叶えられない」
「ウィルの欲求って何?」
「彼女が欲しい」
というと、ジニーは失笑する。
「これはジョークだけど、わ、私はウィルみたいな夫が欲しい、かな」
「ああ、そうなんだ。奇遇だね、僕も奥さんもつんだったら君のような人がいいな」
「ウィルにとって私はどんな感じ?」
「心を打ち明けられる数少ない人だよ」
そこで僕もケーキに視線を落とし、商品の味わいをたしかめつつ思った。
今はまだ彼女の話を聞くことが多く、僕の話はそんなにだけど。
ジニーに僕は、親近感をおぼえていた。
彼女は冗談で僕との結婚をしさしたけど、全然いいと思える。
一緒に暮らしてもう半年以上は経つし、っとそう言えば。
「そう言えば君にお礼が――」
したい。と言おうと顔をあげると、僕は彼女からキスされていた。
そのキスはショートケーキに使われている生クリームの甘味が残っていた。
数秒続いたキスは、まるで時が止まったかのように思えた。
◇ ◇ ◇
チュンチュンチュン、早朝、表の街路から小鳥の鳴き声が聞こえる朝チュン。
眩しい日差しが僕のまぶたに差し込み、ちょっとした憂鬱を覚える。
目を覚まし、体を起こしてリビングに顔を出した。
いつも朝が早い彼女の姿は案の定ない。
不意に、体が震え始めた。
思えば、昨日彼女とキスしたんだよな……これからどんな顔して彼女に会えばいいんだ。
「落ちつけ、落ちつけ……落ちつ」
け。と三度口にして冷静を取り戻そうとしたら、彼女の部屋から異音が聞こえた。
次にはジニーの声で――ウィル! ウィル! と僕の名を叫んでいる。
僕は心臓をはねさせつつ、彼女の部屋の扉を開けた。
「どうしたの? って……」
彼女が普段使っているベッドの上に、赤い色した巨大な卵がある。
その光景に目を疑ったものの、ジニーの声は卵の中からしていた。
「ウィル、今の私どうなってる?」
「えっと、卵になってる?」
現状をたしかめるように、ありのままを自分の口から言っても。
なんだこれは? と、頭の中は混乱していた。
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