(三)-6

 ラオスの通貨であるキープの為替レートを考えれば、その金額はそれなりの額ではある。しかし、日本で生活する上ではそう多くはなかった。

 そして少女たちには自由がほとんどなかった。休みも週一回であり、出かけるにも外出許可が必要であった。どこへ行くかを申告しなければならなかったが、それも難しかった。というのも日帰りで行ける場所も限られていたし、そもそもどこに何があるかなど、ほとんど知らなかったからだ。それはカムラやスークよりも先に来ていた他の少女たちも同様であった。だから、休みの日は、工場の敷地内か、自分たちの部屋の中にいることがほとんどであった。


(続く)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る