暗黒舞踏団

 【暗黒舞踏団】 


目次

第一話【踊り屋たちの囮か愛】

第二話【囮と知りつつ愛をとり】

第三話【踊りとうつつに舞い戻り】





 ひとは踊らずにはいられない。

 ある者は、好奇を(――好機)。

 ある者は、闘志を(――投資)。

 ある者は、狂気を(――驚喜)。

 ある者は、色欲を(――私曲)。

 カタチこそたがえど、ひとはみな何かしらの曲を、世界を、踊っている。


      第一話【踊り屋たちの囮か愛】



      (一)

 男たる者、世界最強をいちどは夢見るものである。世界最強が無理だと判ればしぜんと夢は一攫千金へと移行する。いずれも女にモテたい、他人を魅了したいとの欲求から派生するわがままだ。自由を求めていると言い換えてもいい。

 わがままを貫けるだけの自由を男は求める生き物である。

 これは世の常である。仮にそうじゃないと言い張るやからがいるのなら、角砂糖でできた城で育てられた木偶の坊に相違ない。男女平等などと言い張るやからも同一だ。男女なんてもんはけっきょくのところどこまでいったって別物だ。別物だからこそ、男女平等などと宣巻く必要が出てくる。つよく言い張らないことにはその溝はいつまでたっても埋まらない。

「まあわるいことじゃあない」

 グラスを傾け、溶けた氷で薄まったカルーアミルクを一息にあおる。「要は溝を埋めてやりゃ済む話だ。夢と現実の溝を。男と女の溝を。敵と味方の溝を。あらゆる溝を埋めていけば世界平和だって夢じゃない。そうだろ。それこそ平和という理想とのギャップを埋める術を探すことこそが人類にとっての永遠の宿命ってやつなんだからよ」

「世界平和。いいですね」

「平和だ、平和だ求めているうちはいつまで経ったって溝は埋まんねえよ。言ってしまやあ、邪魔者を排除したくてたまらないってぇことだからな。自分たちの生活を、平穏を脅かす邪魔者を排除する。んなのは溝を深めるだけだろって」

「そうですね」同意しておきながら女は、「ですが問題を排除するというのはどういった解決策であっても前提条件になるのではないでしょうか」

 つまらない正論を吐きやがる。俺は口回りについた泡を舐めとり、

「邪魔者だの、問題だの、そんなのは主観の問題だ」と吐き捨てる。「なにを以って問題なのか。誰にとっての邪魔者なのか。なにかってに悪者扱いしてんだよってな。排除じゃなく共生の道を探そうぜって話だよ。コンピューターウイルスだってセキュリティの穴を発見するって役割がないわけじゃねぇんだからよ。毒とマサカリは使いようってな」

「どちらもそれなりに使い勝手がよさそうですが」

「それこそ使う側の問題だ」

「そうですね。ですが、どんなものにだって探せば一つくらいの利点はあるでしょう。だからといってコンピューターウイルスを造って媒介していいという話にはならないのでは」

「まあな」

 くだらない議論をするつもりはない。カルーアミルクを追加注文し、バーテンがお代わりをそそぐのを待ってから俺は言った。「で、あんたぁ、いったい俺にどうしてほしいんだ」

 突然となりに座られ、追い払うほどでないからと長々と雑談を交わしてきたが、それはシックなスーツを着こなす女の器量がよかったからでもあるのだが、よもや本気で逆ナンしてきたわけではあるまい。十中八九こいつもまた俺の依頼人だ。案の定、

「あなたには勝てるチームを編成してほしいのです」

 妙な依頼を口にする。「メンバーを探して、チームとしてまとめあげ、そしてこの大会で優勝していただきたいのです」

 猫二湖(ねこにこ)と名乗るその女はメディア端末を操作し、画面をこちらに差し向けた。画面にはとあるウェブサイトが表示されている。中央部にはデカデカと派手な装飾で「WAR OF THE DANCE」と描かれている。

「踊りの戦争?」

「直訳すれば。ダンスのコンテストです。もっとも舞台はインターネット上なのですが」

 要領を得ない話だ。

「具体的に俺はどうしたらいい」

「さきほども申しあげたように、この大会で優勝できるようなメンツを集め、じっさいに優勝していただきたいのです」

「ずいぶんと無茶な依頼だな。そんなに簡単に優勝できるような大会なのか」

「だとすれば今こうしてあなたに依頼なんてしていませんよね」

 こちらを軽く見ているわけではないというのは解ったが、いかせん気に喰わない。

「インターネット上ってのはどういうことだ」

「言葉どおりです。情報共有サイト【YAMABIKO・NET】はご存知ですか」

 昨今、知らないやつを探すほうがむずかしい。かつてネット内コンテンツサイトの筆頭にあがったYOUTUBEやニコニコ動画を駆逐する勢いで、現在、ネットユーザーたちのあいだで人気を博している情報共有サイトだ。

 通称、ヤマネ。

「知ってるよ。アニメ、マンガ、ラノベってな。現在のサブカルを知りたけりゃそこに五分アクセスするだけで全容を把握できるって売り文句だったか」

「サイト側がそう謳ったことはいちどもないのですがね」猫二湖はこのバーに入ってきてから初めてグラスに口をつけた。「とはいえ、じっさいにはそうなのでしょう。現在のサブカルチャーは特定のカリスマが流行を築きあげるようなものではなくコンテンツ受容者の手によって築かれるものになっています。一時代を築きあげた作り手がいたとして、ではその才能がつぎの時代にも大きな花火を打ち上げられるかと言えば、ハッキリ言ってむずかしいというのが正直なところでしょう。現在の市場はあまりに潮の流れが速すぎます。かつては一発当てればすくなくとも五年は保ったコンテンツが、いまや一年、いや半年で時代遅れになっている。シリーズ物にしてなんとか時流を、その鮮度を保とうとどのレーベルも意固地になっていますが、巻を重ねるにつれ売れ行きは先細り。出版社に限って言ってしまえば、返本される分をとりあえずほかの新刊でまかなっておけばひとまずの急場は凌げますから、売れもしない新作を大量に世に送りだすなんて暴挙が、ほんの数年前まではまかり通っていたんです。本当におもしろいもの以外の本が市場に大量に出回るのですから、購買層が離れていくのは自然の摂理でしょう。そもそもインターネットの登場により市場にはかつてないほどの点数の作品が玉石混淆、無数に入り乱れている状況です。そうした混沌の中から選りすぐりを掘り起こし、スポットを当て、受容者たちの手の取りやすい場所へ、手の取りやすい形で送りだす。それが企業の、提供者としての役目だったはずです。本末転倒もここまで極まると一種、伝統芸能のような趣が感じられますね。斟酌せずに申しあげて、自らの首を絞めているような愚行でした。解ってはいてもどうにもできなかったのですから、同情の余地がないわけではないのですが、いかんせん楽観的にすぎました」

「版元ばかり責めてもいられないんじゃねえのか」

 グラスに残った氷を俺はかみ砕く。「そもそも文芸に限らず、娯楽ってのはそういうもんだろ。過去の名作は日に日にその数を増していく。すでに一個人に消費できる量を越えている。過去の名作が腐って落ちるわけでもなしに、たんじゅんに考えて供給過多だ。これまでどおりのシステムで成立しなくなるのは当然で、誰の責任でもないと思うがね」

「一理あります。ですが時代の潮流は変わるものです。過去のマンガに名作なしとまで言い切った編集者もいるくらいですから、なにも現在のクリエーターが不利だなんて一概には言えないかと。それこそ、環境は以前に比べてぐっとよくなっているはずですからね」

「否定はしねぇが、ネット上にゃタダで視聴できるアニメやらマンガやらが溢れてんだ。それでいて金をだそうなんてやからのほうがどうかしてる」

「ええ。ですが本質的な問題は違法なアップロードにはありません。断言しますが、ネット上から違法アップロードを完全に撲滅することは不可能です。ましてやそれらをダウンロードする不特定多数の消費者、いえ、浪費者たちと敢えて言い直しますが、彼らを封じようなどと、それこそ無謀を越して徒労でしょう。人間はより便利でストレスのない報酬にはどこまでも貪欲にそれを求めつづけますからね。無修正のわいせつ動画や画像を撲滅できないのがいい例です。けっきょくは企業のほうが時代に取り残され、時代の波に押し流されているにすぎないんですね。記憶に新しいですが、レコードはCDに淘汰され、CDはデータに淘汰されました。媒体の変化だけではないですね。プロのつくるものと同じ品質の楽曲を素人がいくらでもつくれる時代です。プロとアマの差はほとんどなく、ファンがいるか否かの違いでしかありません。ともすれば素人のほうがより多くの消費者を魅了していることもしばしばです。音楽業界が辿った衰退の道をいまや出版社やアニメ業界も順調に押し進んでいると言えるでしょう。ですから、これまでのようにただ闇雲に商品を提供していくような購買システムではうまく機能せず、利益が算出できないのは当然です。ハッキリ申しあげて手遅れです。かといって何もせず、このままの経営方針を貫いていては時代の荒波に揉まれ、海の藻屑と消えるでしょう。いまからでも新しいタイプのビジネスモデルを開拓していくほかに生き残る術はないのです」

「それで? だから俺にどうしろってんだ」

「さきほどお見せした大会はネット上で動画を募集し、著名な審査員たちの手により選考されます。審査員による判定だけではなく、ネット上で募った人気投票や、アクセス回数など、ネット特有の採点基準を総合し、本戦出場チームを選出します。本戦は後日、日本武道館でじっさいにショーを踊ってもらうことになります。すべてのショーを中継によってネット配信し、全国の視聴者、その場に居合わせた観客、そして審査員、とすべての参加者に投票してもらい、もっとも多くの支持を集めたチームを優勝とします。人数は三から二十一名まで。まずは五分以内の再演可能なダンス動画を期日までに投稿すること。ジャンルは不問ですが、基本的にストリートダンスだと思ってくれてけっこうです。いわばショービズ界のスターを発掘するためのプロジェクトの一環だと捉えてくれて構いません」

「まるであんたが主催者側の人間であるように聞こえるが」

「出来レースと思われるのは心外ですが、正々堂々とアプローチしてきた参加者に正当な評価をくだすのは何も問題ありません。私はただあなたに、優秀なチームで大会に参加してほしいと頼んでいるだけですから」

「俺に保険を用意しろと?」

「そう捉えられても否定するのはしょうじきむずかしいですね。ただこう考えていただければより本質にちかい解釈になるかと。大会の質をより高めるための触媒になってほしいのだと」

「俺の用意したチームが勝てばよし、勝たなくともそれを打ち負かすほどの才能が拾えたならばそれもよし。そちら側に損はないわけだ」

「もちろん報酬はご満足いただけるだけの金額を用意するつもりではあります」

「つもりではある、な」含みのある言い方だ。

「条件が一つ」

「言ってみな」

「私がこうして依頼しているということを、ここだけの話、内々にしていただければと」

「これから集めるメンバーにも言うなってことか」

「あなたが彼らをどのように誘ってもその方法論はあなたに一任しますが、この依頼を勘付かれるような真似だけはしないでいただきたいのです」

「メンバーを金で雇っても文句はないが、俺の収入源がどこから来るのか探られたくはないわけだ」

「いらぬ嫌疑は持たれないほうがよろしいでしょう。お互いのために」

「金で雇えれば簡単なんだがな。プロはダメなんだろ」

「可能であればプロでももちろん構いません。ただししょうじきなところ、いまの時代にダンサーという職業は成立していないのが現状です。国際的に活躍するダンサーでもそのほとんどはコレオグラファー、振付け師としてすでに大手プロダクションと契約していますから、まず金で雇うのはむつかしいかと」

「仕事として依頼してもか」

「言い直しましょう。プロはほかの仕事で忙しいのです」

「なるほどな」

 引っ張りだこだからこそのプロだ。即席のダンスチームに引っ張ってこられるような暇人はすでにプロではない。

「依頼をまとめりゃ、優秀なダンサーをスカウトしてこいって話だな」

「こちらの希望としましてはまだ名の売れていない、海のものとも山のものとも知れない才能に出会いたいところなのですが、こうして頼んでいる身のうえでこう申しあげるのも失礼ですが、しょうじきなところ、そんな才能がぽんぽん見つかるようであるならば資本を投じてコンテストなど開く必要もないわけでして」

「だがあんたらはプロデュースのプロであって探し物のプロではない。そうだろ。だったらそう卑下するもんじゃねえ。餅は餅屋。適材適所が鉄則だ」

「では、引き受けていただけるのですね」

「が、それとこれとは話がべつだ。依頼内容は承知した。が、気が乗らねえ」俺は席を立ち、椅子にかけていた上着を羽織る。「あんた、俺がどういう人間か知ってんのか」

「ええ。すくなくともこのような不躾な依頼を受けてくれる方とは思っていません。そもそもこのような依頼は今回が初めてなのでは?」

「解ってんだったら端からするな」

 時は金なりなどと言うつもりはさらさらない。金にしてみせなければ時間は時間で、ゴミはゴミだ。人生も同じだ。

 ふざけた依頼を請け負うような酔狂に見られていたのだとすればとんだ侮辱だった。バーテンに目配せをし、支払いを要求する。お連れ様は、と小声で聞かれるが、別で、と応じる。メディア端末の支払い機能は活用していない。小銭を取りだすのにあたふたしていると、

「ですが、おもしろいと思いますよ」

 猫二湖は言った。

「あ?」

 よこに座ったときからつけっぱなしだったサングラスをゆびでずらし彼女は、思いのほかかわいらしい目元を覗かせた。「お好きなのでしょ。面倒事を解決するのが」

「お好きでやってるわけじゃねぇよ」

「おやおや、それは失敬」

 すこし考え、訊きかえす。

「面倒なのか」

「それはもう」

 飄々と太鼓判を押され、鼻白む。逡巡の間を開けていると、

「一筋縄にはいきませんよ」彼女は言った。「ダンサーという人種を舐めちゃあいけません」

 舐めているわけではなかったが、なるほど、面倒なのか。

 しばし考えバーテンに、やっぱいっしょで、と小声で伝える。多めに支払い、それで彼女に何か奢ってやってくれと言い添える。財布を仕舞い、向き直る。

「成功報酬で構わない。ただし条件が一つ」

「なんでしょう」

「優勝賞金を倍にしろ。むろんそれも俺がいただく」

「なるほど」

 つぶやき、猫二湖は、「それではせっかくなので海外からの参加者も募りましょう」と提案した。或いはすでに決定していたのかもしれない。「参加資格に年齢国籍不問の項を加えておきますね。念のために確認しますが、本当に成功報酬で構わないのですか」

「ニコちゃんね」

 俺はこれみよがしにため息を吐いてみせる。「あんた男にモテねえだろ」

「な……なんであなたにそんなことを」

 言われなくてはならないのか、と続きそうな彼女の言葉を遮り、俺は彼女に背を向ける。「男に同じセリフを使わせんじゃねえよ」

 俺は独り、行きつけのバーをあとにする。

 

 ダンスの見識に明るくはない。ネットを開き、さっそく話題の動画を漁った。基本的に再生回数の多い動画を探せば、優れたダンサーとはどういったものなのかが判る。

 一日を要し、百を超える動画を視聴した。

 なるほど。

 山になった煙草の吸殻から長めのシケモクを選びとる。

 こいつらぜんいん頭がおかしい。

 火をつけ、煙をくゆらせる。

 端的に言って次元がちがう。

 体操のオリンピック選手や、サーカス、雑技団など、俺がこれまで培ってきた常識の範疇で、人間離れしている動きというのは、すくなくとも人間の肉体で体現可能な、敢えて誇張して言い換えると俺であっても百年ほど粉骨砕身、実直に訓練すればできるのではないかと思わせる理に適った動きをしていた。

 が、動画の連中はそうではない。

 その日そのときそれができればいいと割りきっている無謀な業がほとんどだ。使用限度回数が端から決められているような、肉体を鍛えるのではなく、酷使することで可能とする、ほとんど緩やかなこれは自殺だ。

 むろん、並大抵ではない鍛練を重ね、そうした動きを、業を、体得しているのだと頭では解っちゃいる。おいそこのおまえと名指しし、今した動きをもういちどやってみせろと命じれば、彼らはあまねく造作もなくそれをやってのけるだろう。だがやはりどこかが人間として歪んで映る。

 そう、狂っている。

 ドーピングでもしているのではないかと思わずにはいられない破天荒さ、唐突さ、強引さ、不自然さがどうしても拭えない。

 ふつうなら骨が折れている角度、或いは支え方、もしくはそこに至るまでの勢いが尋常ではない。譬えるならば自転車だ。両手でジャイアントスイングした自転車を電柱へ向け投げつけた具合に、彼らはまるでそういった悪魔さながらに地面と死闘を演じている。

 頭で回るなんて序の口だ。片手で身体を支えるなんてのも、もはやあいさつ程度になりはしない。

 超絶絶技だけではない。

 振付けの枠を超えた振付けを踊っているやからのなんと多いことか。

 どう見たって即興で踊っているとしか思えない動きを、二人同時に、それも曲にピッタリ合わせたカタチで、踊っている。いや、逆なのだろう。曲にピッタリ合わせた即興としか思えない動きを、振付けとして二人が合わせて踊っている。フリを覚えるだけで頭がはちきれんばかりの複雑さだ。

 或いは、誰が見たってロボットにしか見えない動きをする人間、間接があり得ない折れ方をし、ぐねぐねと知恵の輪さながらに腕を脚を絡めていく。ほかにも万華鏡から飛びだした四次元生命体を思わせる動きをゆびだけで体現し、多彩に型を繰りだしていく少年や、アニメかと見紛うほど寸分の狂いもなく踊りを披露していく集団。

 そしてそのほとんどがアマチュアの投稿した動画、作品だというのだから驚きだ。

 ではプロはどうなのか。

 さいきん人気のプロダンサーたちをネットで調べ、映像を検索した。著名なアーティストの振付けなどを手掛けるダンサーばかりで、矢継ぎ早に彼らの演じたショーを観ていく。俺はみたび度肝を抜かれた。

 洗練されている。無駄がない。

 危なっかしさのいっさいがなく、ひとつの映画を観ているようにそれらがダンスの映像であることを忘れてしまう。エンターテイメントとして昇華されている。

 アマチュアのダンサーたちにあった荒々しさ、竜巻にも似た粗暴さは極限まで削られ、美しくさえある。

 アマチュアが「動」に特化しているならば、プロはかぎりなく「静」を支配している。

 ちからをセーブし、静謐さを漂わせるプロに反して、アマチュアは情熱を、命を、魂を爆発させて踊る。ただいちどの大会で全力を出し尽くせばいいだけのアマチュアに反して、プロは連日、或いは一日に数回、舞台を公演する必要がある。双方の動きには違いが生じて必然だ。

 むろんジャンルもまた異なっている。

 比べるものではないのだろう。

 ショービズに特化したプロダンサーと、自己を主張することに意義を見出すアマチュアとでは、目指している世界が、見ている世界が、立っている土台がまず違う。

 どちらが優れているという話ではなく、どちらが金を、客を、集められるか。企業が求めるものを持っているか否かの差異があるだけだ。

 観客を圧倒するだけならば奇抜なことをすればいい。だがそれだけでは客は金を払わない。払うだけの価値があると判らせるには、心を、感情を揺さぶらねばならない。

 プロとアマ。

 ライトサイドとダークサイド。

 メディア端末の画面から目を逸らし、俺はソファに横たわる。

 今回引き受けた依頼を遂行するにあたって、俺が集めるべきダンサーは、前者のライトサイドの連中だ。現状プロではないが、プロとしての素質のある者を集め、ひとつのチームとしてまとめあげる。

 しかし、それで勝てる気がしないのはなぜなのか。

 眉間を揉みがてら、頭のなかで動画の数々を振りかえる。脳裏によみがえるのはいずれも、アマチュアたちの自由奔放な自己を主張するダンスだった。

 

 図書館へ行き、数日をかけてダンスの歴史を調べた。主としてストリートダンスについてだ。どんなものにも歴史はある。俺の無精ひげにだってあるのだからストリートダンスにないわけがなかった。

 ストリートダンスほど短期間で進化したものはない。そう疑いたくなるほどに枝分かれしたジャンルは、進化の木、系統樹を思わせる。理解を深めるのに苦労した。

 自宅のマンションに戻る。ネットの動画でさいきんのダンス事情、流行りを把握してから日が暮れるのを待って、中心街の駅前へと向かった。

 駅をぐるっと商店街が囲んでいる。地図で見るとおっぱいに見えることから、おっぱい横丁と呼ばれている区画だ。商店街からは、無数に裏路地が伸びている。背骨から伸びる肋骨を思わせる。

 入り組んだ裏路地を三度ほど曲がり、辿り着くのがスターダスト、若者に人気のクラブハウスだ。

 ダンスのイベントがあるというので足を運んだ。

 直接ダンサーの意見を仰ごうと思っただけだ。別段この街からダンサーを発掘する気はない。

 店内に足を踏み入れると重低音が体の芯を揺さぶった。空間そのものは地下にある。換気が行き届いているのか、思いのほか煙草の煙がたちこめておらず、店内はやっと空間を見渡せるくらいの明るさだ。内装が瀟洒なのは、昼間はダンススクールとしての顔を持つからか。バスケットコート並の広さに、三百人ほどがひしめいている。

 奥の席に座ろうとしたところで声をかけられた。屋久(やく)さんだ。会いたくない顔だが、いかんせん音がうるさい。何を言っているのかさっぱりだ。口元に耳を寄せ、ようやく聞き取れた。

 なにやってんだこんなとこで。やつはそう言っている。

 耳元に口を持っていき、

「あんたこそ場違いじゃないのか」と言ってやる。下界に何のようだ、と悪魔になぞらえ揶揄してもよかったが、聞きかえされても億劫なのでやめた。

「場違いじゃねぇところ探すほうが難しいわな」

 ハゲ散らかした老人と怒鳴りあう性癖はあいにくと持ち合わせていない。俺は返事をしなかった。

 こちらの肩をどつくと、屋久さんは歳に似合わぬ大柄な身体を揺さぶり、人混みのなかへと消えていく。

 俺は周囲に目をやり、舌を打つ。この騒音では聞きこみもろくにできはしない。来る時間帯を誤った。イベントが終わるころを見計らってくるべきだった。ダンサーか否かは服装を見ればわかる。いかにも踊りにくそうなかっこうをしているやからにダンサーはいない。むろんイベントが終われば着替えるのだろうが、着替えを持ち歩いている時点で荷物が大きい。リュックをパンパンにして背負っているやつが犯人だ。

 いったん店を出ようと思い、じっさいに店を出た。

 するとまたもや見知った顔を見つけ、辟易する。いや、屋久さんがいるのだからこいつがいてもおかしくはない。気持ちわるいくらいに頭がちいさく、欲情しないほど顔の整った女だ。無視してもよかったが、目が合ってしまった。仕方なくこちらから歩み寄る。

「奇遇だな」挨拶しておく。そいつはテラスじみた柵に寄りかかっている。

「時間過ぎてんだけど。なんではじまんないの」

「そんな理由で腐るなよ。仕事か」

「きょうは純粋に客としてよ」

「屋久さんは?」会っていることは黙っている。

「非番の日までいっしょなわけないでしょ。ハゲがウツる」

「あのひと泣くぞ。ひとりか?」

「あ、そういうこと訊いちゃう」

 誤魔化したところを鑑みればやはり仕事のようだ。

「ダンスに興味があるとはな。意外だ」

「そっちこそ」

 カクテルだろうか。カップに入った液体を口に含んでから鳥島(とりしま)茉莉(まり)は、ん、と眉間にしわを浮かべた。

「なわけないか」

 野良猫みたいな可愛げのない目を向けてくる。「どうせ仕事だろ。おら白状しろ」容赦のない中段回し蹴りがさく裂する。「またいかがわしいことし腐ってんでしょ。おらおら白状しちゃいな」

「相変わらず足癖わりぃ女だな。一般市民に暴力をふるう国家権力。おだやかじゃねえぞ」

「んだこら。んなナリしてなにが、一般市民だ。かわいこぶってんじゃニャー」

 あんたはもうちっとかわいこぶれよ。思うが、口にせずにおく。彼女は一息に紙コップの中身を呑み干し、カラになったそれを握りつぶした。

 ん。

 虚ろな目で差しだしてくる。

「なんだこれ」

「捨てといて」

「なんで俺が」

 おまえのゴミの始末をしなくちゃなんねぇんだ。

 吠えようとしたところで、鳥島の容赦のないゲップがさく裂した。

 俺は怯む。なんて品のない女なんだ。

 女を捨てるにゃはやすぎるだろと不平の一つでも鳴らしたいところだが、忠告して聞き入れでもされたら癪なので黙っておく。

 足元に響く重低音の波長が変わった。イベントがようやく開始したのだろう。鳥島も気づいたようで、店内につづく扉に手をかけた。後につづこうとするが、鳥島は取っ手を握ったまま動かない。

「ねえ。サイレントキルって知ってる」

 藪から棒にそんなことを訊かれる。

「は?」

「知らないならいい。ああそうだ。なら、さいきんこの街で公安委員にも届けを出さないで探偵業の真似事をしているやからはいる? それもかなりの実の入りのよさで」

「俺以外でって意味か」

「もちろん。あんた以外で」

「すくなくとも俺の耳には入ってねえな」

「よく思いだして」

「知らねえなあ」

 脛を蹴られたので睨み返す。「商売ガタキ庇うほど楽な暮らしはしてねえよ。そんなやからがいるってんならこっちから潰しにいきてえぐれえだ」

「ふうん。ま、信じるけど」

「その目つきで?」

「あ、そうだ、私から一つ忠告しといたげる。しょうじき者の役立たずに免じて」

「喧嘩売ってんのかコラ」

 さっさと入れ、と扉を蹴る。

「咎人である、なんてこと、そうそう容易く認めるべきじゃないよ。仮にもあんた、本当に咎人なんだから」

「ほお。思いのほかまっとうな忠告じゃねえか。さてはあんたらの手抜きが露呈するからか。犯罪者を野放しにしているサツなんざいていいわけがねえ」

 皮肉を叩きつけてやるも、

「あのねえ」

 肩で大きく息を吐かれる。「分かってんなら聞くんじゃないよまったく」

 ぼやきながら扉を開け、鳥島は店のなかに下りていく。

 

 イベントとはいえ、MCがいて、ジャッジがおり、ルールがある。ダンスの大会といった趣だ。思っていたよりも規模が大きい。海外からの参加者まである。

 特定のジャンルの大会ではなく、フリースタイルで、なんでもありの大会だ。今回は2ON2のバトルがメインらしい。合間にショーケースが挟まれるようだが、そちらはスクールの生徒たちの催し物らしく、期待はしていない。

 フロアを二分し、ツーサークルに別れて予選が開始する。DJの無作為に流す曲に合わせてダンサーが躍る。対戦相手の踊りに応えるカタチで、相互にダンスを披露する。一時間ほどで予選は終了した。結果はあとでまとめて発表される。休憩を挟み、ジャッジ紹介代わりに、ジャッジたちによるソロダンスが披露される。その後、予選通過チームがMCによって読みあげられる。受験の合格発表じみた緊張感がある。フロアの真ん中を客が囲んでおり、即席のコロシアム、サークルが形成されている。さっそくベスト十六からトーナメント戦が開始する。MCがチーム名を呼び、呼ばれたチームがサークルの両サイドに立ち、対峙する。

 俺は二階席に移動し、会場を上から眺めた。いくぶん騒音が紛れる。

「どこ優勝すると思う」

 気づくととなりに鳥島が立っていた。ビール瓶を口に咥え、脇にも数本抱えている。

「予選を見たなかじゃ。あいつらだな」

 言って、予選を二位通過したピエロメイクをした二人組に目を転じる。アクロバティックな技はなかったが、的確に音を拾い、かつ終わり方がスマートだった。予選をあがったチームに共通しているのがこの終わり方だ。落ちたチームはみな、終わり方が雑であったり、中途半端であったり、とかく後味がわるかった。その点、このピエロたちは客の楽しませ方を弁えていたように思う。

「ほおん。なかなか見る目あんじゃん」

「知ってんのか」

「前回優勝者。んでも私ん読みじゃあ、今回の優勝はあっちだね」

 言って鳥島はあごをしゃくる。バトルの第一戦目がはじまったばかりだ。相互に踊りを披露し、一人ツームーブ、二チーム合わせて合計八ムーブを客は一戦ごとに観ることとなる。勝ち進めるごとにムーブ数は増え、決勝では一人四ムーブだ。

 今はじまったばかりのバトルでは、予選通過三位と、十六位すなわち最下位が闘っている。ちなみに予選通過一位と二位はシードで、第一回戦が終わってからの参加となる。このバトルで勝ち残ったほうがシードと当たる。

 鳥島が示したのは予選通過三位のチームだ。

「ほら観て。あいつらぜんぶルーティンでしょ。ソロのスキルはそれほどでもないんだけど、ルーティンの完成度、ネタ数はほかのチームに類を見ない。ルーティンを出し惜しみしなきゃいい線いくと思う」

 言ったつぎの瞬間、会場がバカ沸きした。全員が片手を頭上にあげ、サルの威嚇がごとく振っている。

 鳥島の推したチームではない。対戦相手だ。予選通過最下位のチームが、その一人が、超絶スキルをガチギメした。音ハメ、いわゆるこれを拾わなきゃダンサーじゃないという誰もが期待に胸を躍らせる音に的確に合わせ、最後は流れるように片手で身体を持ち上げた。地面から突き出るツルギさながらに仰向けの状態から、驚くべきことに回転しながらだ。さながらドリルで、竜巻だ。垂直に伸びた身体は足の裏を天井に向けた状態で、急停止する。高速回転していた歯車に岩が詰まったがごとく唐突さがある。俺は頭の中でなぜか蛇口がきゅっと締まる感覚を覚えた。垂直に伸びた身体は次点で、腰からカクンと折れ、「く」の字の状態でフリーズ。むろん片手で身体を支えたままだ。一秒、二秒、三秒。あり得ない。体感としては十秒くらい止まっているように感じる。

 なおも会場は興奮醒めやまない。スコールじみた歓声が曲を塗りつぶす。

 会場を盛り上げたダンサーはまだ踊るらしい。態勢を整え、さらにフロアでステップを踏む。ジャンルとしてはB-BOYIN。いわゆるブレイクダンスと呼ばれるストリートダンスだ。が、妙に型外れで、基本的なステップや技をムーブのなかに組みこんでいない。何が飛び出るのか分からない。観客もろとも俺まで目が離せなくなる。

 通常、フリースタイルバトルで流れる曲は、完全にランダムだ。DJの嗜好に左右される。メジャーなダンスミュージックから、寡聞にして誰も聞いたことのないような曲まで、よりどり緑だ。

 曲の種類はダンスのジャンルごとにハッキリしている。いや、考え方が逆だ。曲の種類によってダンスのジャンルが変わるといったほうがより正鵠を射っている。B-BOYINGにはブレイクビーツ、LOCKINGならファンク、POPINGならブーガルー、ハウスならテクノで、HIP‐HOPならヒップホップだ。それでなければならないわけではなく、時代によって聴かれる音楽の系譜もまた変わっていくにせよ、ジャンルによって嗜好される曲、言い換えれば踊りやすい曲は傾向として決まっている。

 ゆえに自分のもっとも得意とするジャンルの曲〝以外が〟かかったときにこそ、そのダンサーの真価が問われると言ってもあながち言いすぎではない。

 今かかっている曲はゴリゴリのHIP-HOPだ。踊っているダンサーは明らかにHIP-HOPERではない。にも拘らず、自分の得意な型を、自在に曲に合わせ、踊っている。豪快な技をかるがるビートに乗せていく。

 順番が変わる。こんどは鳥島の推したチームだ。指摘のとおり、ルーティン、いわゆる複数人で揃えて踊るタイプのダンスで、大技を返すのに適している。チームバトルの醍醐味と言っていい。ソロに対して複数人の合わせ技で返すことがダンスバトルでは許される。キマれば会場を沸かせるが、踊りを揃えるには、前以って振付けを考えておかなければならない。自由(フリー)とは対極にあると言ってよく、よほど身体に馴染ませておかなければ「用意してきた感」が露骨になって、却って客を白けさせる。

 その点、鳥島の推すチームは完全にモノにしている。ルーティンでありながら自由を感じさせ、まさにその曲に合わせて作ってきたのではないかと思わせるほど、ここぞという音を外さず、ふたりの息もぴったりだ。

 が、決め手に欠ける。

 さきほどの衝撃を覆すほどの印象はない。

 ターンが変わり、こんどは相手だ。会場をバカ沸きさせたダンサーの相方だ。観客はそいつではなく、先刻のダンサーの登場を期待していたが、その期待を裏切るかたちで、そのダンサーもまた一筋縄ではいかない個性を秘めていた。

 俺はそいつの踊りを観ていて、ふしぎと格闘ゲームのコンボを連想した。ワンヒット、ツーヒットと連続でポイントを稼いでいき、最終的に相手のゲージがカラになるまでポイントを重ねる。いわゆるハメ技だ。

 ふつうなら聞き逃すだろう音を、曲に紛れた効果音を、そいつは身体全体で、踊りで、ゆびさきのうねり一つ、膝のひねり一つで、体現していく。音を拾うというよりも、そいつ自身が曲となって音を放っていた。

「す、すげぇ」

 しぜんと零れ落ちている。

 ド派手な技を繰り出しているわけではない。何気ない所作、関節を曲げる動作一つで、曲の底に沈んだダイヤモンドを拾いあげ、見えるかたちで表現している。いや、そいつが表現することで、俺たちの目に、耳に、それがダイヤモンドであったのだと判らせる。おそらくそいつ以外が、たとえば俺が、同じようにその見えない音を、聞こえなかった音をゆびさきで、或いは腰のくねりで表現してみせたところで、道端の小石程度の感動も与えない。

 そう、感動だ。

 俺は胸を打たれていた。撃ち抜かれたと言ってもいい。たかがダンサーの、それこそ名もない、予選通過最下位、言い換えればギリギリ本戦にあがれただけのダンサーに、その踊りに、完全に、完膚なきまでに、心を鷲掴みにされている。

 鳥島の推したチームのターンになったが、もはや俺はそいつらを早送りで飛ばしたくなった。はやく、はやく。俺にさっきのダンスを、ダンサーを見せてくれ。

 予選を眺めていたときには長いと感じられていたバトルが、この回にかぎっては、瞬き三回分にも満たない時間に感じられた。短いが、濃厚な時間だった。三十年分のコーヒーを煮詰めてワンカップにしたような、ドロドロに煮えたぎった刺激のダマを呑まされた気分だ。

「ありゃりゃ負けちった」

 鳥島は脇に抱えたビール瓶を一本開けた。頬を紅潮させているのは酔っぱらっているからだけではないのだろう。「意外なダークホースがいたもんだ」

「知らないのか」

「ん?」

「あいつらのことは」

 そもそもこいつはダンサー事情にどこまで明るいのか。

「見たことないかなぁ。前々回までのバトルにはすくなくとも出てなかったね」

 あーあ、と柱にもたれかかってから鳥島は、

「でもいっか」と言った。「一位ちゃんに頑張ってもらえば」

「は?」

 妙な応答に、俺は眉をしかめ、次点で、はっとした。

「おまえ、これか」俺は親指とひとさし指をくっつけ丸を描く。

「イベント陣営は関与してないから」こちらの手を払い除けるようにし鳥島は、「大目に見てあげてよ」と口元をほころばす。

 ダンスバトルでばくちとは恐れ入る。

「いったいどこの組が指揮ってんだ」

「さあねえ」

「それを暴くのがおまえの仕事か?」

「人聞きのわるいことは言わないでほしいよね。私はただのお客さん。憶測で人を疑うとろくなことにならないよ」

「どの口がほざく。ほかの連中にゃ黙ってておいてやるから、もうすこし俺にダンサーについて教えろ」

「あら。そんなんでいいの」

「ほかに何してくれるってんだよ」

「身体で払ってあげてもいいのよ」

「ちなみに聞いておくが、おっぱいひと揉みいくらだよ」

「私の食費、三十年分くらいかな」

「ぼったにもほどがある」

「あ、つぎのバトルはじまるよ」

 鳥島の解説を聞きながら俺はイベントに出場したダンサーたちの知識を深めていく。

 予選と一回戦を観たかぎり、優勝候補は四チーム。予選通過一位と二位。そして海外から呼んだというジャッジについてきた、同じチームのメンバー。最後に、今のところこの日一番の会場の盛り上げをみせた予選通過最下位のチームだ。ほかのチームは、予選や一回戦に全力を出し切った感があり、二回戦以降を期待できない。

 そして二回戦の前に、もう一試合。

 シード戦だ。

 予選通過一位と二位が、一回戦を勝ち上がったトーナメント両サイドのチームと闘う。予選通過一位と対戦するのは期待のダークホース、予選通過最下位のチームだ。

 さっそく優勝候補が潰し合う。会場はますます熱気につつまれる。

 バトルがはじまる。先行は予選通過一位だ。メンバーはいずれも女で、予選では女らしさを前面に押し出したWAACKと呼ばれるダンスでほかのダンサーを圧倒した。腕を鞭さながらに激しく、ときにしなやかに振り回す動きはどこかLOCKINGに似ているが、より細かく、艶めかしい動きが、特徴だ。

 群を抜いているのはそのキレのよさだ。ただ速いだけではない。緩急がある。メロディからビートと曲にある階層を絶妙に聴き分けており、それがメリハリを生む。目を瞠るのは、高速で繰りだされるヌンチャクさながらの腕さばきからのポージング。彫刻として飾っておきたいほどにピタリとキマる立ち姿は多種多様で、観ていて飽きず、心地よい。

 重心のズレのいっさいがない。くびれの際立ったポージングは、扇情的で、否応なく女を意識させる。

「たまんねえなぁ、げへへ。そんな顔してる」

 鳥島が揶揄してくるが無視だ。

 予選通過最下位のダンサーたちがいよいよ踊る。

 が、様子がへんだ。バトル中であるというのに、服を脱ぎだしている。超絶スキル野郎ではなく、音の魔術師のほうだ。顕わになったのは、身体の輪郭に吸いつくように着られたタンクトップと、くびれの細さとは対照的な張りのある乳房、そして帽子を取り払った頭部からは、馬の尻尾を思わせる艶やかな長髪がぶわりとしなり、華奢な肩をスと撫でる。

「女かよ」

 気づかなかった。一回戦を観ていたが、女を思わせる弱々しさはなかった。いや、弱弱しいなどという言葉がこの場に似つかわしい者など一人たりともいないのだが、彼女から繰りだされる踊りからは性的な要素がいっさい排除されていた。

 排除されていたのだ、と今になって思い知る。

 目のまえには妖艶も妖艶、股間ごと胸を鷲掴みにし、握り潰さんとする、稀代の魔女がいた。

 予選通過一位の女どもが妖精ならば、フロアに召喚されたのは魔性の女だ。

 しかも音の、曲の、化身ときている。

 初めは対戦相手の踊り、WAACKを真似て返し、さらに独特の動きと融合させていく。気づけば、オリジナルを凌駕した、さらなるオリジナルのダンスが目のまえに現れている。

 一回戦目とはまったく異なった動きをしておきながら、ひと目でそいつと判る。まったくの別人に見えていながら、まったく同じように魅了されている。

 胸を打つ鼓動が全身に広がり、せつない気持ちでいっぱいになる。

「うわ」

 となりで鳥島の上ずった声が聞こえた。「思春期のガキみたいな顔してる。キモチわる」

 魔女のターンが終わり、ふたたび予選通過一位の番になる。相手の力量を測り損ねていたと気づいたのか、ふたり揃ってのルーティンを繰りだした。

 が、つぎに控えるのは超絶スキルのバカ沸き野郎だ。運がわるい。思った矢先に、おやと思う。勝敗が未だついてない現状で、すでに先が見えてしまった。ダンスバトルはゲームではない。格闘技ともちがう。最終的には他人の評価に勝敗が委ねられる、いわば神任せの旗揚げだ。

 旗の多く立ったほうが勝つ。完全なる多数決の原理である。

 いくらオーディエンスを沸かしたところでジャッジからの支持を得られなければバトルでは勝てない。むろんどちらが場を制したか、観客の反応も審査するうえでの評価基準ではあるだろう。が、たとえこの場で世界最高峰のバレエ集団が踊ってみせたところで、勝つのはしがないストリートダンサーどもだ。

 彼らには彼らのルールがあり、ルーツがある。世界があって、型がある。

 型をつくってきた者がジャッジとしての席に着き、高みの見物で挑戦者どもを秤に載せる。

 バトルによってはオーディエンスにジャッジを委ねる大会もある。それこそ俺が挑戦すべきネット型ダンスコンテストでは、大衆の支持が大いに評価に加算される。とはいえ、この場で勝敗を決めるのはやはりというべきか、ジャッジの面々だ。今回は五人のジャッジが抜擢されており、サークルの正面に椅子を並べ、眼光炯炯と対戦を射抜いている。

 なるほど。

 俺はここに至ってようやく理解した。

 戦略が成り立つのか。

 特定のジャンルならば単純な力量差で勝敗を決することができる。見るべき点が明確だからだ。いわばスポーツとしての側面が大きい。

 反して、異なるジャンルの入り乱れるフリースタイルにおいては、異種格闘技なみに何でもありだ。何をすれば勝てるという次元になく、何をして勝ちとなるかは、ジャッジにだって闇のなかだ。

 ただひとつはっきりしているのは、誰よりも曲を愛し、踊りを愛する。この場にいる誰よりも自由自在に、ただあるがままを表現する。そうした者がこの場の空気を制するというただ一つの真理。

 なにより。

 俺の目には、予選通過一位たちにある焦りがありありと浮かんで見えた。反して、件の魔術師たちは、曲を、踊りを、純粋に全身で楽しんでいるように映った。

 案の定、勝敗は大方の予想を覆し、同時に多くの期待どおりの結果に下った。

「くそう。やられた。とんだダークホースじゃん」

 こんどは明確にそうと解る悔しげな声をたて、鳥島はメディア端末を取りだした。賭博アプリを立ちあげ、損失を、いくら失ったかを確認する腹なのだろう。

「俺にもそれ、教えてくれ」

「高いよ」

「情報料くらい払う」

「ならこれ払っといて」

 メディア端末にメッセージが届き、開いてみるととあるゲームの招待状だった。暗証番号と、フリーアドレスが併記されている。繋いでみると、すでにあるアカウントの管理ページに飛んだ。バードランドなるアカウントで登録されている。

「おまえのアカウントか」

「それあげるから、あとで損額分振りこんどいて。勝てれば大きいけど負けても大きい。ハイリスクハイリターンだから気をつけてね」

「ちょ、おまえこれ」

「ぼったくりなんて言わないでよ。こちとら自腹切ってたんだ。プラチナ会員になるまでどれだけ掛かったと思ってんの」

「なんでそれを俺に?」

「なんか分かったら教えて。それでチャラにしたげる」

「こんだけ払わせといてまだ足んねえってか」

「情報屋がタダで情報仕入れようなんて都合よすぎ。いろいろ教えてあげたでしょ」

「情報屋ではないんだがな」

 そもそも情報屋ならば、こんな場所で賭博組織がシマを築いていたなんて話を知らないわけがない。

「そんかしダンスに関してならなんでも聞いて。これでも勉強したんだから」

「仕事熱心なこって」

「仕事って言わないで」

 気づくと二回戦がはじまっている。シード戦の残りは、予選通過二位が順当に勝ちあがった様子だ。

 二回戦ベスト8ともなるとみな完成度が高い。ミスと判るミスは犯さず、無難さとも程遠い。

「ベスト4はたぶん【チーム坂本】と【美少年スパイ】、それから【バビロンズ】かな。あと一チーム、海外チームと対戦するとこは、どっちが勝ってもおかしくないって感じ」

 いまさらだが、予選通過最下位のチームが【美少年スパイ】だ。驚くべきネーミングセンスだ。予選通過二位のチームは【バビロンズ】で、これはピエロの格好をした連中だ。俺が見初めていたダンサーたちが勝ちあがっているのはわるい気はしない。チーム坂本は知らん。

「賭けてもいい。ぜったいそうなる」

 ばくちが上手くいかなかったのが気に入らないようで、鳥島はしつこく結果を予想しては、俺に自慢げに告げてくる。

「さいですか」

「なんだそれ。私の見る目を舐めてんな」

 舐めていたが、二回戦が終わってみると、まったくどうして鳥島の予測したとおりの結果が出そろった。

「ほれみろ」

 胸を張る鳥島の脇には、いつ補充してきたのか、ビール瓶の山ができあがっている。半分はすでにカラだ。

「おまえの観察眼は信用できるのかできないのか分からんな」

「信用して」

「されたいのか」

「疑われるのはイヤ」

 そりゃそうだ。

「好きなやつがいるのか」

「私に?」

 意味がちがう。訂正するのも面倒だ。

「そろそろ準決はじまるな」

「訊けよ! 訊きかえせよ」

「決勝戦はどこだと思う?」

「言うまでもないでしょ」

 鳥島は仏頂面でビール瓶をひと息にあおった。「【スパイ】と【バビロンズ】に決まってんじゃん」

 ベスト4の最後の一枠は外国人チームが勝ちあがっていた。【C-WALK ALONE】というチーム名で、鳥島だけでなく俺もまたあまり目をかけていなかったチームだ。

 これまでの結果を鑑みれば、決勝に外国人チームがあがるわけがなかった。

 なかった、はずだった。

 が、いざ蓋を開けてみればどうだ。

 ピエロのチームこと予選通過二位の【バビロンズ】が外国人チームに圧倒的な差をつけられ負けた。チーム坂本にこれまた圧倒的な差をみせつけ勝った予選通過最下位チーム【美少年スパイ】が決勝にのぼり、誰もが予想し得なかった組み合わせがこの日の最後のバトルとなった。

「実力隠してたっぽいね」

「ああ」

 外国人チーム【C-WALK ALONE】は、これまでの対戦が息抜きであったがごとく、文字どおりフロアに嵐を巻き起こした。空気のうねりが二階席にまで届き、じっさいに熱気による渦が目に映るようだ。

 その豹変ぶりは、まさに化けたとしか言いようがない。

 メディア端末を操作していると、

「おもしろくなってきたなぁ」

 鳥島が覗きこんできた。ゲームを装った賭博アプリをちょうど起動していたところで、外国人チーム【C-WALK ALONE】の配当率は三十倍、ダークホースの【美少年スパイ】は百二十倍にまで膨れあがっている。

「これってどういうシステムなんだ」

「えっと、いろいろあるけど、単純なのだと、予選が出そろう前に優勝するチームを選ぶやつ。競馬みたいなもんかな。人気ごとに配当率が決まって、人気のないとこが優勝したらがっぽりもらえる。ただし、外したら配当率の十分の一、決勝に至っては五分の一を別途に徴収されるから、おいしいばかりじゃないんだけど。あとは、対戦ごとにその都度勝敗を決めるってのもあるけど、そっちは余興みたいなもんで、確率なんて二分の一だし、私は手ぇだしてないかな」

「ふうん」

 つまり、誰もが予想し得なかった【美少年スパイ】が優勝すれば、賭けた金額の百二十倍となって返ってくるというわけだ。

「でも負けた途端に賭けた十二倍、いや今は二十四倍か、とにかく大金を支払わなきゃいけない。まあだからこその、この倍率なんだろうけど。賭けたやついんのかな」

「おまえは賭けなかったのか」

「だから外しちゃったでしょ」

「そうじゃなくて」

 海外から来たってだけでも賭けておきたいと思うのが心情ではないか。アプリ上の記録には鳥島が外国人チームに賭けていた痕跡はない。

「三十倍でも充分すごいんだけどね。ただまあ、ジャッジにチームのひといるし。八百長じゃないけど、仲間内に厳しかったらイヤじゃない? 同じチームとはいえ、参加してるほうは二軍みたいなものらしいし」

「詳しいな」

「嫌でも情報は入ってくるからね」

「なのに【美少年スパイ】のことは知らなかったのか」

「初めて見たもの。ほかのバトルでも見た憶えなんてなかったし、過去のデータでも該当するダンサーはいなかったはず」

「名前だけ変えてんじゃねえのか」

 あれだけのダンサーだ。無名というほうが無理がある。

「調べられるデータにはすべて目を通してある。過去の優勝者、バトルの常連くらい見ただけで判る。これでも二年は通ってんだ」

「二年前からあるのか」

「いつからあるのかは分かってない。アプリ化される前からあったんじゃないかな。賭けマージャンみたいな感じで」

 決勝戦の前に、ショータイムが挟まれた。準決勝の前にもいちどDJタイムがあり、一服つけたが、さすがに長丁場、観ているだけでも疲れが溜まる。鳥島とはいえど、話し相手がいたのはさいわいだ。

「どっちが勝つと思う」水を向ける。

「私てきにはどっちにも勝ってほしくないかなぁ」

「なんでだよ」

「しょううじき【スパイ】ちゃんたちに勝ってほしいってところが本音だけど、もしあのコたちに賭けているやつがいたら、そいつの一人勝ちでしょ。とてもじゃないけど我慢ならん」

「だったらガイジンどもを応援すりゃいいだろ」

「それこそ儲かるやつらがいっぱいでしょ。逆に負ければ、私と同じやつがいっぱい。ざまあみろ」

 俺は首肯した。

 この場には今、勝つか負けるか、天国か地獄か、二通りの人間がいる。大金を手にするチャンスをモノにしておきながら、同時に失うきっかけまで手にしている人間どもが。

 気が気ではないだろう。

 零すでもなくそう口にすると、

「べつに全員が全員この場にいるってわけじゃないけどね」

 鳥島はなぜか未開封のビール瓶を肩に押しつけてくる。喉が渇いていたこともあり、ありがたくちょうだいする。

「この場にいなくとも賭けには参加できる。アプリには、チーム名だけでなく個別に、ダンサーネイムから戦歴までまとめて更新されてるし。ホント、ゲームみたいにただ選んでボタン押して、あとは結果を待てばいい。仕事をしながら、家にいながら、どこでも参加自体はできるわけ」

 さいあくダンスに興味がなくたって賭けだけを楽しむことはできる。参加者はただ金を払って、結果だけを待てばいい。

「けっこうな人数になるよな」

「参加者? だろうね。動く金額もそれなりにデカい。集まった金がどこに流れてるのか。ほらほら、気になってきた」

「べつに」

 生返事をしながらビールを口に含むと、鳥島がじっと見つめてくる。アホ面なのはなぜなのか。

「なんだ」

「ねえ。あんたホントに知らなかったわけ」

「なにがだ? 賭博のことか」

「もだし……」

「まだなにかあんのか」

 言いながら、今しがた呑み干したビール瓶に目をやり、はっとした。

「毒でも盛ったか」

「なわけないでしょ」

 一蹴しておきながら、否定しておきながら、鳥島は、でも、と酔っ払いらしからぬ神妙な顔つきでこう言った。「つぎからはもうすこし警戒なさいね」

 

 終わってしまえばなんてことはなく、順当な結果だったようにも思えてくるから、しょせん勝負ごとなど結果がだいじなのであり、過程なんてものはなければないだけいいのかもしれない。

 勝負の女神は外国人チーム【C-WALK ALONE】に微笑んだ。異論がないわけではないが、納得がいかないというほどでもない。どちらが勝ってもおかしくはなかったが、結果が逆転したところで、同じようにどこからかは異論の声があがるだろう。端的にいいバトルだった。

 観客は徹頭徹尾バカ沸きし、絵に描いた興奮の渦で会場を満たしつづけた。

 音の魔術師からは、相も変わらず洗練されたダンスへの愛を感じた。対して外国人チームからは、その巨躯から放たれるに似つかわしい豪快な躍動感を感じた。怒りなのか、叫びなのか、はたまた純粋な破壊衝動なのか。いずれにせよ、洗練や美を感じさせる音の魔術師たちのダンスよりも、地球に喧嘩を吹っかける人造人間さながらの迫力のパフォーマンスに軍配はくだった。

 ひとつの檻に閉じ込められた人間と野獣の闘いを観ている気分だった。

 知性と狂気。

 理性と豪気。

 合理を追求した動き(ライトサイド)と、正気を排した動き(ダークサイド)。

 まさに俺が思い描いていた世界の構造が、互いにぶつかりあい、ひとつの舞台として、バトルとして観客をとりこにした。

 アンダーグランドはしょせん、ダークサイドだ。はみ出し者の、マニアの、アウトサイダーたちの生きる場所。吹き溜まりこそが、独自の文化を形成する。そこに表舞台の要素を取り入れ、新たな息吹をそそぎこもうとしている者たちがいる。

 つよすぎる毒を、狂気を、押さえこみ、耐性のない者にも馴染みやすいカタチに変換する。ダークサイドにはダークサイドの、ライトサイドにはライトサイドのよさがある。

 双方を塩梅よく調合すれば、かつてない刺激溢れた何かが生まれるのではないか。

 久しく抱かなかった胸の高ぶりを感じた。

「おい、待ってくれ」

 俺は会場のそと、足早に駅のほうへ去っていく人物に声をかけた。イベントはまだ終わっておらず、ショーケースも、表彰式だって終わっていない。

「ん」

 足を止め振り返ったのは、思っていた以上に小柄な娘だった。「なに。ナンパ?」

 ひとを値踏みするような鋭い目だ。足元から頭部まで順繰りと舐めあげられる。

「ナンパっちゃナンパだ。すこし話を聞かせてくれないか」

「なんの話」

「ダンス。きみ、ダンスの大会とかあんまし出てないだろ」

「だから?」

「チームのメンバーを探してる」

「あんたが? 踊れんの」

 ふたたび身体を舐めあげられるが、さきほどよりも刺々しくはない。

「踊れないから強力なメンバーを探してる」

「はぁ?」

「ここで話すのもなんだし、これから時間あるか」

「飯」

「ん?」

「腹減ってんの。ご飯おごって」

「あ、ああ。もちろん。なんでも言ってくれ。美味い店ならよく知ってる」

 俺は、武藤と名乗った。むろん偽名だ。オムライスが食べたいというので、タクシーに乗り、洋食の美味いレストランに連れていった。店内は狭いが、洒落た内装で、味のよさに反して客がすくなく、落ちついて話すにはうってつけだ。

「で、武藤さんはなんでダンサー集めてんの」

 席に着き、料理を運んできた給仕が去ってから、小娘が言った。いただきます、とオムライスをついばみはじめる。「ていうか、あたし以外のメンバーは?」

「メンバーはまだだ。話をする前に、きみの名前を訊いていいかな」

「ああ、そっか」そこで若干の間が空いたのち、彼女は言った。「シズク」

「それは本名?」

「ダンサーってさ」

 触れられたくない話題なのかシズクは言葉を濁す。「ダンサーネイムつって自分でつける通り名みたいのがあるわけ。で、それってべつに偽名でもなんでもないわけ」

「いや、いいんだ。名前を呼び合えればなんでも」

 断り、本題に入る。

「シズクちゃんはこれ知ってるかな」

 言いながらメディア端末を操作し、画面を向ける。画面には依頼主から教えられたサイトが表示してある。

「シズクでいいよ。あーコンテスト? ネットのやつか。さいきん増えたよねこういうの」

 どうやら知らなさそうだ。

「これに参加するためのメンバーを探してる」

「なんで? ああわかった。賞金でしょ。スポンサーどこか知んないけど出しすぎだよね」

「まあそんなとこだ」

「あたしだけ?」

「ん? ああ」

 相方はって意味か。

 隠していても仕方がない。「言いにくいが、そうだ。シズク、きみだけが欲しい」

「うわぁもっとイケメンに言ってほしかった。なんであたし?」

「さっきのバトルでビビってきた」と、ここは誤魔化さずに本音を披歴する。「しょうじき俺はさほどダンスに詳しいってわけじゃない。でもきみを観て、きみのダンスを観て、これしかないと思った。これを逃したらダメだと思った。深い考えがあるわけじゃない。今だってほとんど考えなしに声をかけた。でもこれだけは信じてほしい。俺はどうしてもこの大会で優勝しなきゃならないんだ。そのためにきみのちからを貸してほしい」

「うん。だからさ武藤さん。なんであたしなわけ?」

「それは、どういう」

「さっきのバトル観て声かけた。武藤さんそう言ったけど、じゃあなんであたしじゃなくて優勝チームに声をかけなかったの。それに、あたしのダンスがビビッときたとか言ってるけど、ひょっとしてダンスのイベントに参加したのってきょうが初めてなんじゃないの。間近でダンサーとか見たことあった?」

 図星だった。

「きょう初めて観た。が、問題はないだろ。ダンスの動画は目に穴が空くほど」

「観たからなに」

 ぴしゃりと遮り、シズクはメディア端末を取りだした。操作し、画面をこちらに差し向ける。表示されているのは情報共有サイト【ヤマネ】だ。さきほど終わったばかりのイベント内容が、その動画が、すでに投稿されている。

「これ観て」

 いくつも羅列された動画の中からシズクは一つを選び、再生させた。「どう思う?」

 準決勝の動画だ。外国人チーム【C-WALK ALONE】と予選通過二位のピエロ組のバトルだった。

 が、おかしい。

「なあ、これ。ホントにさっきのバトルか」

「ね?」

 シズクはメディア端末ごと動画を仕舞った。「実物と動画はちがう。現場で観たときの感動は、動画じゃ味わえない。動画を観たからって体感するわけじゃない」

 なるほど。

 俺はシズクの言いたい旨を理解した。彼女はなにもイベントの、実物のすばらしさを説いているわけではない。俺はこの数日で観た数々のバケモノとも呼べるダンサーたちの動画を思い起こし、彼らの画面越しにでも伝わる迫力に、その魅力に、いまさらながら舌を巻く。

「が、それがどうした」

 俺は開き直った。「ほかの連中がどうだか知らんが、俺はあんたの踊りを気に入った。動画映えしないってんなら、動画映えするように演出すればいい。なにも問題はない。そもそも俺はあんたのダンスは、動画だからこそ映えると思ってる。素人目にゃいくらなんでも、あんたの踊りは細かすぎる。何度も見直してようやく気づくレベルだ。奥行きがあると言い換えてもいい。観れば観るほど味が出る。新しい発見がある。何度も再生可能な動画だからこそ、あんたの凄さはよく伝わる」

「そこまで言ってくれるのは素直にうれしいけどさ」

 断ってからシズクは背もたれに体重を預けるようにした。「それを言うならあたしの相方、あのコのほうが適材じゃないの」

 超絶スキル野郎の踊りを思いだし俺は、そう疑問に思われるのはもっともだと思う。

「メンバーに誘うのはあたしだけだと武藤さんは言った。どうして? あっちのほうが戦力になるとは考えなかったの」

 返事をたがえば、即座にこの話がなかったことになる。そう確信させるほどシズクの瞳は揺るがぬ光を宿している。

 優勝チームではなく彼女を誘った理由ならば答えられる。俺が欲している色と合致したからだ。しかしその理由だけならばなぜ相方を誘わないのか、という理由には答えられない。

 答えるべきではない理由があったからだが、今ここでそれを言い渋るのは利口ではないように感じた。シズクをまえにして抱く彼女への印象がそう思わせる。

「コピーだろ、あのコ」

 俺は端的にそう告げた。「だからだ」

「へえ」

 シズクはここにきて初めて口元に笑みを浮かべた。「どうしてそう思うの」

「これでも調べたからな。踊りに関してまったくの門外漢ってほどでもない」

「ふうん。そうなんだ」

「いや踊れはしないんだがね」

 やわらいだ彼女の眼差しに、なぜか母親に褒められたかのような気恥ずかしさを覚え、俺は柄にもなく謙遜した。

「じつはそうなの。あいつ、あのコ。教えたことはなんでもこなすし、並外れた身体能力があるけど、まだ自分で考えて、自分の踊りを踊るってことができない。ダンサーとしては致命的」

「だがすごい沸かし方だった」

「子どもだからね」

 そう、子どもだった。

 超絶スキルで会場を沸かしていたのは、小学生と思しき背のちいさなガキだった。だからこそとなりに立ったシズクの、女性としては低くはないが、男と呼ぶには低すぎる背丈のなさに気づけなかったのかもしれない。会場の二階、真上から眺めていたのも要因の一つだ。

「犬がしゃべれば驚くし、猫が絵を描けばひとはよろこぶ。世の中そういうふうにできてんの。まったく同じことをしていながら、誰がそれをするのかってことのほうが、重要視される。それを差別とは呼びたくはないけれど、あたしは純粋になにをしたかってことで評価してほしいと思うわけ」

 で、武藤さん。

 シズクは被っていたフードを取り去り、一つ質問させて、と真っ向からこちらの顔を覗きこむ。

「ネットで動画を投稿するならああいう、たとえオリジナルじゃなくても完成度の高いもののほうが有利なんじゃないの。どうして誘わないの」

「誘ってほしいのか? わるいがダメだ。シズクたちが優勝できなかったのはハッキリ言って、あのコのオリジナリティのなさが要因だ。むろん相手もすごかったが、ジャッジの一人が、あのコが躍ったときにだけ首を忌々しそうに振っていた。見る者が見れば、バイターだってすぐに判る」

「バイターって言わないで。あのコはあれで、自分なりに動きを繋げてる。まったくのコピーってわけじゃない」

「素材がそのままならバイト野郎だと、うしろ指差されても文句は言えないだろ」

「まあね」シズクはおとなしく引き下がった。

 給仕を呼び止め、デザートを注文する。シズクはいらないと突っぱねたが、二人分注文した。

「どうしてコピーじゃダメかってさっきの答えだが」給仕が去ってから俺は言った。「ネットこそ偽物か否かって問題にうるさいからだ。一人の主張があっという間に伝播する。たった一人にでも、こいつは誰々のどこどこと似ていると言われたらそれだけで非難の的だ」

「うん。でも、あたしたちが参加しようとしてるのはコンテスト。ショーで踊るのは決められた振付けだけ。ほかの誰かが考えたオリジナルのフリなら、あのコの欠点も長所になる。なら子どもで、しかも身体能力のずば抜けたあのコを使うのは得策じゃない?」

 言われて、そのとおりだと感じた。

「まあ、誘ったところであのコは嫌がるだろうから無理だと思うけど」

「いや、そこをなんとか」

「んん? 誘わないんじゃなかったの」

「気が変わった」

「影響を受けやすい人間は信用されないよ」

「柔軟だと言ってほしい」

「ほかのメンバーに当てはあるの」

「いや、まだない。それを含めてきみに意見を仰ぎたくてね。ほかに誰かいいダンサーはいないかな」

 コンテストで優勝できそうな、個性のつよいやつを。

 思うが、これは心のなかで付け足すに留める。

「いる。ただし引き受けさせるにはちょっと手間がかかる」

「なにか問題が? 紹介してもらえれば俺がじかに交渉するが」

「会うのがむずかしいって意味」

「海外にでもいるのか」

「違う」

「じゃあ、どこに」

「さあ。あたしもここに、この街に戻ってきて日が浅いし、まだいるのか分からない。じっさいそいつに会いたくてバトルに出てみたってのもあるんだけど」

 無駄足だったかな。

 シズクは下を向き、ゆびさきをもてあそぶようにした。

 聞けば、数年この街を離れていたという。ダンスはつづけていたが、しばらくこの街のイベントには出ていなかったそうだ。ならば鳥島が知らなかったとしても無理はない。

「人探しなら俺の領分だ」

 デザートを食しながら俺は投げかける。「言ってみろ、誰なんだそいつ」

「さっきから思ってたんだけどさ」

 ずっと言いたかったのか、シズクは片眉を持ち上げた。「武藤さん。ちょっとっていうか、かなり偉そうだよね」

 俺はなぜか腹を立てるのを忘れた。

 

 京極会の若頭に呼ばれ、繁華街にあるキャバクラに向かったのは、シズクと出会ってから三日後のことだった。

「ザイちゃんおひさ。元気してた」

「おかげさまで」

「ゆっくりしてってよ。きょうはうちのおごりだからさ」

 見遣れば見知った顔ばかりで、京極会の貸し切りだと判る。席には座らず、通路側に立ったままで用件を伺う。

「なにかお困りですか」

「そうそう、そうなのよ」

 若頭はぞんざいに手を振り、となりにはべらせていた嬢どもを追い払った。相変わらず女には手厳しい男だ。格闘家顔負けの肉体美に、俳優顔負けの容貌、加えて東大出の肩書まで持っているというのだから、なぜこんな稼業をやっているのか、いちどそのあたりの事情を訊いてみたいところではある。「ザイちゃん、知ってた? なんかさいきん、うちのシマ荒してるおバカさんがいんだって。そいつらどうにかしろってオヤジに頼まれちゃって。で、困ってんの」

「見つかんないんですか」

「そ。で、人探しならザイちゃんじゃない? こうして呼びだしたってわけ」

「探偵じゃないんですから。個人情報なしの相手を探しだすってのはさすがに」

「手がかりがないってわけじゃないのよ。ほら、さいきん出回ってるってオクスリあるでしょ、知らない?」

「初耳ですね」

「うん。あるのね」

 若頭は強引に話を進めた。「うちのシマでそういうことやられるとウチとしても黙ってらんないのよ。とくにオヤジがそういうのうるさくって」

「顔が立ちませんか」

「誰だって家を荒らされたら嫌でしょ。で、そのオクスリってのが危険ドラッグの類らしくって。依存性高くてしかも身体まで壊すでしょ。うちの常連どもがどんどん減っちゃってたまったもんじゃないのよ」

「そのクスリってのはどこで」

「それが判ってりゃザイちゃんここに呼ばないわよね」ただでさえ低い声に磨きがかかる。「考えたら分かるでしょ、頭わるいこと言わないでね」

「すみません」

「いいえ」

 水割りをつくって手渡してくる。車で来ていたが、拒みきれずに受け取る。

「ネット通販らしくってね。ただ、どうもさいきん、この街にそれを卸してる業者がいるっぽくて」

「それは誰から」

「聞いたかって? それは教えられないけど、信用できる情報ではあるかなぁ。ま、だからザイちゃんはオクスリの出処探って、どこのおバカさんがうちのシマ荒してるかってそこんところを突き止めてほしいのよ」

「ちなみにそのクスリ、現物をいただくことってできますか」

「今はないのよ、ごめね。ってかオヤジがけっこう本気でキレちゃってて。仲間内でも持ち歩けないのよ。ネットですぐ買えるし、今週中にはザイちゃん家に送っとくわ」

 引っかかる物言いだ。

「あ、これ。袋だけだけど、ザイちゃんにあげる」

 渡されたのは、トライバル紋様の描かれた包装袋だ。形や大きさはコンドームの入れ物に似ている。トライバルの紋様それ自体が銘柄を示しているらしく、下のほうに英語で「SILENT KILLER」とルビが振ってある。

 直訳すれば、静寂を斬る者といったところか。医学用語で「沈黙の殺人者」という意味もある。

 調査期限を設定し、ひとまず二か月以内に何かしらの情報を書類にまとめて提出する旨を伝える。

「あら、もう帰るの。遊んでけばいいじゃない」

「いえ。ほかにも仕事が残っているので」

「ふうん。そ。じゃ、がんばってね」

 俺と入れ替わりに、女どもが若頭に群がっていく。

 最後まで住所を訊かれなかったことに、俺は近日中に住居を引っ越す臍を固める。

 

 翌日、おっぱい横丁から七駅ほど離れた町に向かった。公共施設の文化センターがあり、シズクから指示された場所がここだった。日中踊れる場所となると、スタジオを借りるか、こうした無料で開放されている公共施設にかぎられるとの話だった。白昼堂々と踊れるほどこの国のストリートは自由ではない。

 大会までは三か月ほど期間があるが、悠長に構えてはいられない。メンバーを集めながら、同時にショーの構成を練っていかねばならない。

「まだ三人しか決まってないのに」

 シズクは不満そうだが、実質この場に集まっているは俺とシズクの二人だけだ。

「チビスケはどうした」

「学校に決まってるでしょ」

 案外まともな理由だった。

「児童の午後九時以降の夜間外出は青少年保護条例に違反するんじゃないのか」

 先日のイベントは午前零時までつづいた。決勝戦が終わったのだって午後十時を越えていたはずだ。

「保護者同伴だから」シズクは目を逸らす。

「だから?」

「問題ないでしょ」

「あの場に母親がいたのか」

「いないけど……」

「だったら」

「あたしたちが保護者みたいなもんだからいいの」

「そんな理屈がまかり通ってたまるか。つうか【たち】ってなんだ、【たち】って」

「言ってなかったっけ。あたしいま、チームに所属してんだよね。で、あのコもその一員。仲間ってわけ」

「だったらその仲間ってのを紹介してくれ」

 メンバーに数えるかは未定だが、この女が所属しているのだからレベル自体はそう低くはないはずだ。

「ダメ元で話したけどやっぱりダメだって」

「なんでだ」

「言ってなかったっけ? あたしらこんど、でかい大会出るって決まってて、それに向けて調整中なわけ」

「ん? だったらなんでおまえは引き受けてくれたんだ」

「いい経験になるでしょ。前にも言ったと思うけど、あたし、この街戻ってきて日が浅いし、ダンスのイベントも、そうだね、かなりご無沙汰だったわけ。思ってた以上には動けたけど、やっぱり勘が鈍ってる。経験値はすこしでもあげときたいなって」

 足引っ張りたくないし、と零すところを鑑みれば、仲間とやらは相当の手練れたちだと判る。聞けばメンバーはシズク含め五人、男女比二対三の編成であるという。男のうち一人が子どもであることを考えれば、全体のバラスから理想的な陣形が作れそうだ。すでに参加拒否されている分、逃した魚が大きく感じられる。

「大会があるってんならチビスケのほうはどうなんだ。あいつも学校とかで忙しいだろ」

「あのコはだって踊りの幅とか広げといたほうがいいでしょ。フリを覚えるのをちっとも苦にしないし、こっちに参加しても負担にならない」

 前にも言ったかもしんないけど、と前置きしてシズクは続ける。「あれだけのムーブをバイトできるほうがすごいんだ。あとはアウトプットするときにすこしでも独特な組み合わせで繋げればいいだけの話で」

 それにほら、とシズクはいくぶん声をちいさくし、ほかのメンバーって仕事してるし、と言った。

「おまえはいいのか」

「あたしはだって、金に困ってるから参加したようなもんだし。あ、だから武藤さんさ」

 拳を突きだされ、戸惑う。

「ぜったい優勝しようぜ」

 おっかなびっくり拳を合わせると、それで正解だったようだ。シズクは親指を立て、グッドのサインをくれた。気恥ずかしいのは歳のせいか。

「にしてもほかにもっといい練習場所はないもんかね」

 わざとらしくおやじ臭い物言いをし、周囲に視線を巡らせる。

 そこかしこにガキどもがおり、フロアを駆け回っている。ラッパ然とした楽器を吹き鳴らしているおとなたちが壁沿いのベンチを占拠している。ステージのうえではジャグリングを練習している大学サークルらしき面々がおり、奥のほうでは太極拳を舞っている老人たちが剣を構えている。なかなかにカオスな空間だ。

「いろいろインスピレーションもらえるからあたしは好きなんだけど」

「そうかよ」

「ジャマにならないようにだけしてね」

「しねえよ。つか踊るのはおまえだろ」

「なに言ってんの。武藤さんも憶えるんだよフリ。メンバー決まったって毎日集まれるわけないんだから、武藤さんがメンバーに細かい指示を伝えるの。あたりまえでしょ」

「さいですか」

「うわ、ムカつく」

「曲についてなんだがな」

 俺はしれっと本題に繋げる。「じつはすでに決めてあってな。可能なかぎりこれらを編集して使ってほしい」

「え、どれどれ」

 音楽好きと見え、目をキラキラさせ食いついた。「げ、邦楽じゃん。しかもさいきんのやつばっか。うわ、これとかアニソンちゃうの」

 CDのジャケットを一目見ただけで、シズクは曲のジャンルをピタリと言い当てていく。さすがというべきなのか、しかしこの場合はすこしちがうような気もする。妙な眼差しをそそいでいたからか、シズクははっとしたように居住まいを正し、むかし知り合いにオタクがいてさ、と頬を上気させた。耳まで真っ赤なのはなぜなのか。そこまで照れなくともいいと思うが、アニメオタクだとやはりというべきか、周囲からの偏見の目があるのかもしれない。

「使ってくれさえすれば好きに編集してもらって構わない。戦略の一つだと思ってほしい」

「なある」

 みなまで言う前に、シズクは首肯を示した。

 ネットで人気投票を行うならば、ネットの住民を味方につけておくのは定石だ。アニソンなどのサブカルを要素の一つに組み込んでおくのは講じておくべき策の一つとして数えてもおかしくはない。

 とはいえ、じつのところそちらは後付けの理由だ。真相は、単にクライアントの意向だというただそれだけのことである。

 優勝候補となるだろうチームに、これから売りだしたいアーティストの曲を提供し、使ってもらう。ネット上とはいえ、使用するには著作権など、相応の隘路が立ちはだかるが、編集して使えば問題ない。さいあく、曲のスピードを変えただけであっても編集済み扱いされ、ネット上への投稿が黙認されているのが現状だ。

「知り合いにDJいるから、そいつに頼んでみる」

「頼もしいな」

「一つ確認しておきたいんだけどさ」

「なんだ」

「武藤さんにはどの程度期待していいのかなって」

「具体的にどういう意味だ」

「契約書とかべつに、そういう型っ苦しいのは嫌だからこのままでもいいんだけど、けっきょく武藤さんてあたしらにとっての何なの。単なるきっかけ? それとも依頼主?」

 言いたい旨は理解した。俺はわざと首を傾げ、伝わらないんだがのサインを送ってみせる。シズクはちらりと上目遣いに睥睨し、ふたたびCDのジャケットに目を落としてから、それでもこちらの機微を窺っていると判る絶妙なさじ加減で、

「パトロンとして見做してもいいのかなぁって」

 なんでもないようにつぶやいた。

「ああ、構わん。雑費は俺持ちでいい。可能なかぎり日当も払う」

「え、マジで」

 言ってみただけだったらしい。シズクは大きく食いついた。

「ただし一つ条件がある」

「なんなりと」ない尻尾を振るシズクはどこかむかし飼っていた犬を思わせる。

「メンバー全員が決まってからだ。それまで金は出せない」

「えぇえ……」

「さいあく金だけ支払って、コテンストに出られませんでした、なんてなってみろ。俺だけ丸損じゃねえか」

 万が一のときはシズクたちはバックレるだけでいいのだから、これくらいの保険はかけさせてもらって当然だ。

「ちぇ。わかったよ」

 渋々といった態度を隠しもしない。「今週中に集めてみせる。県外から呼ぶけど、交通費は武藤さん持ちだかんね」

「ひとまずこれだけやっておく」

 言って財布から現金を引き抜き、シズクに押しつける。フリーターの月収くらいにはなるだろう。「足りない分はあとで請求しろ。領収書とかは気にすんな。余った分は好きに使え」

「こんなにいらないんだけど……」

 眉根を寄せこちらを窺ってくるシズクは、申しわけ程度にTシャツの襟首を掻き合わせるようにした。胸元を隠されたからでもないが、俺はわざとらしく鼻から息を漏らしてみせる。

「おまえらはダンスにだけ集中してろ。それ以外を求める気なんざ、さらさらねえよ。なんだったら俺は金だけ投資してもいいくらいなんだ」

「いや、いてもらわなきゃ困る」

 シズクのつよい語調に、いい歳していじけていたじぶんの幼稚さを自覚する。

「今さらなんだけど武藤さんさ」

「なんだ」

「なんで優勝したいの」

 金が欲しいからだ、と言いかけてやめた。今しがた金に余裕のある発言をしたばかりだ。少なくない金を手渡してもいる。

 悩んだあげく口を衝いて出たのは、世界一になりたいんだ、という昨今思春期のガキでも口にしないだろう青臭い言葉だった。

「男たるものいちどは夢見るもんなんだ」と投げやりに補足する。

「あっそ」

 シズクはなぜか冷たかった。

 

 振付けは曲ができてからにしたほうがいいというシズクの助言を受け、その日は俺からの要望を、主として戦略を伝え、解散した。即席のダンス講座を開いてもらったが、オリジナルのステップを俺にまで踏ませようとするシズクの魂胆を早々に見抜き、予定よりも早めに切りあげた。

「武藤さんは目がいいんだ。教えたらすぐ踊れるよ」

「目がいいってなんだよ」

「記憶力がいいってこと。いや、記憶の瞬発力かな。まったくのド素人のくせして初めて見たダンサーの、それこそあのコの動きがバイトだなんてふつう見抜けない。そもそもなにしてんのかさえ分からないはずなのに、武藤さんはひと目みただけでそのダンサーの動きを分析できる。あのコが【コピペ】の天才なら武藤さんはさながら【検索】のプロだね。今だってあたしの動き見ながら、似たムーブがないかってちくいち記憶んなか検索かけてる」

「買い被りだ。俺にそこまでの技能はない」

「でも何も言ってこないってことは、これがあたしのオリジナルだって解ってるってことでしょ」

 ぶーぶー言いながらシズクは、立った状態から膝立ちの状態へ、膝のくねりだけで移行してみせた。あたかも宙に、そういったレール、膝の通り道ができているみたいだ。

「膝、痛くねぇの」俺は心配した。

「武藤さん、話逸らすのヘタクソだね」

 俺はむっとした。

 もう心配してやんない。

 編集した曲をあさってに持ってくるというので、あすは一日、休みにした。俺としてもシズクから頼まれた人探しをしなくてはならない。京極会から依頼された仕事のほうは、クスリの現物が届いてからでも遅くはない。

 クスリの包装袋だけでは手がかりとして充分ではない。思うが、ふと当てが浮かび、住処へ向けていた矛先を九十度変える。図らずもシズクのステップじみた動きになった。

「サイレントキル、ね」

 じぶんの記憶力のよさに半ば呆れながら、たかだか二回顔を合わせただけの俺の性質を言い当てるシズクの洞察力に、遅まきながら感心した。

 

「呼びだすなら非番の日にして」

 鳥島はなぜか腹の虫の居所がわるかったらしく、開口一番、愚痴りだした。いつもはひっつめに結われた長髪が、きょうにかぎって振り乱れているのは、或いは徹夜明けなのかもしれない。

「すぐ終わる」

「電話じゃダメなわけ。ってか公園って。いまどき中学生だってもっと色気のある場所選ぶわよ」

 目のまえを犬を連れた老夫婦が歩き去る。犬と目が合った。口を横に開いて威嚇するも、つぶらな眼が俺を無邪気に虚仮にする。俺はベンチに腰掛け直し、

「コレ、見覚えないか」

 京極会の若頭からもらい受けた包装袋を見せつける。

 鳥島は立ったまま俺の掲げた包装袋を凝視する。間を置いてから、隙を衝かんとばかりに腕を伸ばしてくる。

 が、

「おっと」

 一寸さきに懐に仕舞う。

「もうちょっとちゃんと見せて」

「母ちゃんにおねだりの仕方を習わなかったのか」

「屋久さんになら習ったけど、顔に痣はつくりたくないでしょ」

「借りイチな」

 懐から取りだし、包装袋を手渡す。

「どこで手に入れたの」まじまじと観察してから鳥島はそれを懐に忍ばせた。

「窃盗の現行犯だぞおまえ」

「いいから答えて」

「とあるお方がそれの出処を探せとご所望でな。おまえらも追ってんだろ。情報共有といこうじゃねえの」

 鳥島は鼻から息を漏らし、周囲に目を配った。「サイレントキルって常用者のあいだではそう呼ばれてる。新型の危険ドラッグってことにされてるけど、効用が極めてヘロインにちかい。身体的依存性がつよくて、いちど使うとやめられない。使用頻度が高くて、比較的短期間に身体に変調を起こすって。死ぬわけじゃないから生かさず殺さず、搾取するには最高のブツね。クロコダイルって知ってる?」

「合成麻薬だろ。素人でも簡単に生成可能だってんで、ロシアの貧困層で爆発的に流行ったって。だがありゃほとんど毒だ。使っただけで皮膚がただれ落ちる」

「すごく似てるって話だけど、異なるのは肉体への変調が飽くまで、覚醒にあるって点」

「どういう意味だ」

 ヘロインに似ているならばダウナー系に属する薬物のはずだ。「覚醒剤の効用も兼ね備えてるってか」

「そう。ダウナー系でもありアッパー系でもあるらしくて。ストッパーがはずれるって言えば端的かも。ふつうの主婦が自動車を持ち上げたって噂も。もちろん筋肉や骨格のほうが保つはずもないんだけど」

「眉唾だな。現物の確認は?」

「まだどこも。ただ、病院に運ばれてきた患者のなかに、なにかしらの薬物を乱用していたって痕跡があって。いまはまだ採血の成分分析中。ただ結果が出そろったところで、具体的な捜査には繋がらない」

「妙だな。その担ぎ込まれたって連中の家を調べりゃ、現物の一つや二つ出てきそうなもんだが」

「現物は押収できなかったってのが表向きの報告。ただ、現場の警官から聞いた話だと、なんらかの薬物らしき物品を押収したって話だった」

 その警官に絵を描いてもらったところ、それがまさしく俺の見せた包装袋の柄と一致していたというのだから鳥島のいまの心境は察するに余りある。

「押収されたブツが件のクスリではなかった。上はそう判断したわけだ」

「どう思う?」

「漏れちゃならねえもんが漏れたら隠したくなるのが人間って生きもんだろ」

 なんのふしぎがあるものかと嘯く。

「投げやりに言わないでよ。あんたから振ってきた話でしょ」

「つまらん与太話を聞かせてもらった礼に、一つ俺からアドバイスだ」

「聞きたくないけど、言うだけ言ってみたら」

「京極会には近づくな。獲物を横取りされると思って噛みつかれるぞ」

「依頼主の情報漏えいはご法度なんじゃないの」

「俺は近づくなと言っただけだ」

 おまえは知らないかもしれないが危ない連中なんだぞ、と忠告すると、わあ知らなかったぁ、と白々しくも驚かれた。

「それにな」

「なに?」

「あいにくと俺は探偵じゃないんでね」

「わるいひと」

 別れの挨拶もなしに鳥島は颯爽と公園から去っていく。陽が傾き、足元に浮かぶ細長い影を、俺はむんずと踏みつける。

 

 水迄(みなまで)優那(ゆうな)なる男を見つけだすのにかけた手間は、ダンスイベントに足を運び、思いがけず意中のダンサー、シズクを発見した手間と比べれば雲泥の差だった。雲泥の差で、楽だった。

 なんでこんな手間を惜しんだのかとシズクを詰りたくなるほど呆気なく、標的の職場が見つかった。

「ネットで検索くらいかけてみろってんだバカ」

 朝一で、都市近郊にある高校へ向かった。午前七時前だが、教職員の幾人かはすでに出勤している。

 シズクから顔写真をデータでもらってある。標的の顔はひと目見れば判断ついた。業者を装い、学校に侵入する必要があるかもしれないと案じていたが、標的はご機嫌にも自転車で出勤してきては、犬の散歩を装って学校の周囲をうろついていたまさに俺のよこを、鼻歌交じりに通りすぎていった。

 十中八九間違いない。顔だけでなく、ガタイのよさから、遠目からでも充分に確認できただろうと思われた。

 標的を見つけた旨をシズクに伝え、高校の名前と住所を伝えた。

 本来ならば俺がひと通りの説明をし、筋を通しておく場面だが、シズクと標的とのあいだには、因縁めいたなにかしらが見え隠れし、まずはシズクに任せることにした。

 高校教師という立場から、或いはダンスの大会に出場しようなどと世迷言めいた誘いを引き受けてくれるとは思えなかったが、その日の夜のうちにかかってきたシズクからの連絡では、先方がまずは俺に会わせろ、話はそれからだ、という、なにやら前向きなのか後ろ向きなのかの判断つき兼ねる話をいただいた。

「それはいいが、もう会ったのか。はやかったな」

「そう? 逃げられると嫌だし」

「喧嘩別れでもしたのか」

「べつにそういうんじゃないから」

「俺は気にしないぞ。チーム内恋愛禁止なんて言うつもりはさらさらない。色恋沙汰でゴタつくほどおまえらもガキじゃねえだろ」

「そうでもないよ」

 拗ねたように言ってからシズクは、

「いや、だからそういうんじゃないんだってホント」

 誤解を深めたいとしか思えない、ベタな反応を返し、俺を楽しませた。

 翌日、昼間のうちにシズクと喫茶店で待ち合わせをし、これからの予定について話し合いを開いた。

「休日しか時間とれないらしくて、ちょうどあした休みでしょ。はやいほうがいいと思って」

 高校教師、水迄との面談はあすにしたという。

「構わない。場所は決めてあるのか」

「まだだけど」

「ならこのあいだの文化センターがいい。メンバーに入れるかどうか審査したいしな」

「準備しとくよう言っとく」

「というか、そいつ、休日しか活動できなくて支障はないのか」

「メンバー決まったらあとはフリつくるだけでしょ。べつに全員で頭ひねらなくたっていいんだから」

 それもそうだ。これがバトルの大会であったらまたやり方が変わってきたはずだ。ショーならば、さいあく各人が全国津々浦々、別個に活動していようとも、フリさえ憶えれば、あとは数回合同で練習をするだけで大会には臨める。

「仲はいいんだろ」

 深い意図はなかった。

「え? あたし?」

 シズクはメニュー表につっこんでいた顔を上げ、大袈裟に目を剥いた。

「仲がわるくても腕さえよけりゃそれで構わないが、わざわざ仲違いしてるやつをメンバーにしなくたっていいんだぞ」

「だいじょうぶだいじょうぶ」

 手をひらひらさせる彼女の仕草を、妙にあどけなく感じていると、

「あ、からかったの」

 テーブルの下で足を蹴られた。

「なんでだよ」

「違うならいいけど」

 さきに注文していたコーヒーが届いた。シズクが、入れ替わりに注文する。パフェにケーキにプリンアイス。聞いているだけで胃がもたれる。

「そんだけ食ってよく太らねえな」

「太ってるよ。ただ脂肪じゃないってだけ。知ってる? 筋肉って脂肪の三倍重いんだって」

「ならおまえはおなじ体型の女の三倍重いってこったな」

「なるかぁ?」

「なるだろ」

「武藤さんはざんこくだ」

「褒めたんだ」

「ふうん」

 あごをあげ、目だけでこちらを見下ろすようにすると、シズクは、

「あ、そうだ」とさも今思いだしたように、「ここの支払い、武藤さんよろしく」

 しれっと勘定を押しつけてくるのだった。「いつもわるいね」

 大量のデザートが運ばれてきてから、俺はようやく本題に入る。

「メンバーの当てはついたか」

「いちおう五人に声かけてみた」

 武藤さんも食べる?

 シズクがスプーンを寄越してくるが、それには触れずに、あごをしゃくってさきを促す。

「あとで動画見せるけど、どいつも実力は折り紙つき。規模デカめの大会で優勝経験あるチームのメンバーだから。ただ、二人は仕事が忙しくてバツ。もう一人は、ほかのメンバーが決まったらまた声かけてくれって言ってて、あとの二人は、すぐにでもこっちに飛んできてくれるって」

「おいおい、正式にメンバー入りさせるかは俺が許可をくだしてからだぞ」

「武藤さんはぜったいノーとは言わない。賭けてもいい」

「その自信はどっから出てくんだ。俺はなにも、ダンサーとしての実力だけで選んでるわけじゃねえからな」

「知ってるよ。見た目のよさ、性別、並んだときの背のバランス。武藤さんは認めないだろうけど、あたしを選んだのだって、性別が女で、しかもそこそこかわいいからでしょ」

「自分でよく言えるな」

「茶化さなくていいよ。だいじょうぶ。声かけた連中、みんなモデル顔負けの美男美女ばっかだから」

「その言葉信じるぞ。おまえより下だったら全員ハズすからな」

「え、待って。あたしがいちばん下だったらどうすんの」

「まあ、見てからだな」

「ハズさないって言え!」

 曲の編集はどうなった。

 訊ねると、知り合いのDJにはすでに話を通しているらしく、ぜっさん編曲中とのことだ。

「まずは大雑把に曲だけ決めちゃって、フリつくりながら、あとで細かい修正とか頼んでいくつもり」

「そいつへの報酬はいくらくらいあればいい」

 相場は分からないが、アフターケアまでしてくれるってんならそれなりの値段になりそうだ。

「タダでいいよ」

「そういうわけにはいかねえだろ」

「いいのいいの。アイツはあたしの役に立てるのがうれしんだ。甘やかしたらそれこそこっちが痛い目見る。武藤さんはあたしが野獣に組みしだかれてもいいっての」

「わかった、おまえに任せる。が、いちおう、金は渡しとく。気が向いたらあぶく銭でいいから渡してやれ。ケジメみてぇなもんだ。タダほど怖いもんはねぇぞ」

「へいへい」

 俺は財布から現金を掴み、シズクに握らせる。じつのところ数分前までは渡す気などさらさらなかったのだが、DJとの関係性を、その力関係をしょうじきに明かしてくれた彼女の信用に応えたかった。金が欲しければ、タダでいいなんて口が裂けても言わなかったはずだ。影でくすねられていても俺には分からない。或いはそこまで頭が回らなかっただけかもしれないが、これまでの彼女の洞察力や、ダンスへの愛を感じさせる言動からすれば、金欲しさに他人を陥れるような真似はしないように思えた。

「武藤さんさ。ありがたいし、断る気はからっきしなんだけど、あんましほいほいあたしに現金与えないほうがいいよ」

 ほらな、と俺は先刻思浮かべた考えに、じぶん自身に、言い聞かす。金が欲しけりゃこんなことは言わない。

「いいんだ。必要な金だろ」

「そうだけど、だってさあ、ほら」

 なぜかシズクは控えめに周囲を見渡した。釣られて見遣ると、幾人かの客が目を逸らした。中年が小娘に小遣いをあげる。いかがわしい取引の現場に誤解されても仕方なかった。

「時と場所は選びましょうね」

 猫撫で声で諭され、俺は椅子にふんぞりかえる。小娘に常識を諭されるほど俺ぁまだ落ちぶれちゃいない。

 チームでの練習があるからとシズクは暗くなる前にいとまを告げた。チーム練がどんなもんか付き添わせてくれと頼んでみたが断られた。仲間がみな気難しいのだそうだ。

「さいきんここいら物騒だし。武藤さんも気をつけなよ」

 意味深長な言葉を残し、シズクは去っていった。

 

 自宅マンションに戻ると、荷物が届いていた。消印がなく、じかに持ってきたのだろう。京極会からの贈り物だと判る。さっそく中身を改める。

「こりゃまたずいぶんと」

 苦笑が漏れたのは、箱いっぱいにトライバル柄の件の包装袋が納まっていたからだ。未開封のもので、どれも中身が詰まっている。駄菓子のまとめ買いでもした気分だ。

 ネット通販でこれだけ大量に仕入れられるならば、卸売業者を突き止めるのはさほど骨が折れる作業ではないように思えた。同時に、ネット通販だからこそ、相手が常にネットという防壁を身に纏い、姿を晦ませていられるのだとも思う。

 箱の中には、いくつかの送り状が折りたたまれてまとめて仕舞われている。バラバラの消印から、複数の県から送られていると判る。大量に注文したからなのか、それとも端からそういうシステムなのか。

 いずれにせよ、思っていたよりも大きな組織がバックについているのかもしれない。

 メモが入っており、アドレスが記されている。繋いでみると、怪しげなサイトに飛んだ。ハーブを売っているらしく、しかしいずれも破格の値段だ。画像のぼやけた商品画面を眺めてそれを購入する者は、端からそれらの効用を身を以って知っている者しかいないのではないかと思えた。

 最初はタダでクスリをばら撒き、それがなければ生きていけない状態にしてから金をむしり取る。よくある手口だった。

 問題のクスリの商品欄が見当たらない。隠しリンクがあるのではないかとあちらこちらをクリックして回るが、なかなか見つけられず、業を煮やして、メディア端末を操作する。シズクからテキストメッセージが届いていたが、そちらは後回しだ。番号を選び、コールする。

「あ、ザイちゃん?」

 若頭の低い声が耳をつんざく。「どう? 荷物届いたでしょ」

「助かりました。今だいじょうぶですか」

「忙しいけど、いいわよ。なに?」

「申しわけないんですが、一つお聞きしたいんです。サイトのどこにも問題のクスリが載ってないようなんですが、注文するにはどこをクリックすればいいんですかね」

「あれ、載ってない? とくべつ隠れてはないはずなんだけど」

「載ってない、ですね」

 もういちどつぶさに目を走らせていく。サイト画面にそれらしいハーブは見当たらない。

「あらぁ、ホントだわ」向こうでもサイトを確認した様子だ。「消されちゃってるみたいね」

「消されてる?」

「ちょっと調子乗って注文しすぎちゃったかしら」

「これ以外にサイトってないんですか」

「定期的に変わるのよね。今ってほら、画像検索できるでしょ。見つける分にはそんなに苦労しないはずだからやってみて」

 返事をする前に通話を切られた。

 定期的にサイトが変わるということは、顧客に向けて新しいサイトへ誘導する仕掛けがあるはずだ。そういうアプリでもあるのだろうか。サイトそれ自体は消されないことから、ソースを調べたところで何か手がかりを掴めるとは思えない。念のためソースコードをコピーし、知り合いの解析屋に回す。

 若頭に言われたように、包装袋の画像を取り込み、ネット検索にかけてみる。無数の画像が引っかかるが、それそのものずばりの画像はなかなか見つからない。二十ページを過ぎた辺りで、サイケデリックな色彩加工を施された画像を見つけた。色こそたがえど、十中八九間違いない。件のトライバル柄の包装袋だ。

 画像の載っているページに飛ぶ。画面に表示されたのはコンドーム専門の通販サイトだ。

 アカウントを作成する必要はなく、画像をクリックすると、購入手続きの画面に移行した。コンビニからの振り込みを選び、画面の指示に従い、手続きを済ませていく。最後に、受け取りをコンビニの取り置きに指定し、決定ボタンを押す。

 ページを更新してみるが、件の包装袋はサイト上から消えていない。一定の金額、売りあげがでた時点でサイトを移転するシステムなのかもしれない。念のため、このサイトのソースコードも解析屋に送り、調べるように依頼する。

 鳥島にこの情報を流してやろうかとも思ったが、あいつのことだ、俺から包装袋を手に入れた段階で、すでにサイトの存在には気づいているだろう。決定的な情報を握ってからふたたび情報共有の場をもうけよう。考えながら俺は、人気のダンス動画を眺め、理想の振付けを思い描いていく。



      (二)

 水迄優那を間近にして抱いた感応は、思いのほか気弱そうだという優越感に似ていた。言い換えれば、それだけ傍目に見たときの存在感、威圧感が大きかった事実を示唆する。

 シズクの連れてきた大男は、目の堀が深く、どこか欧米の血を思わせた。聞けばクオーターだという。格闘家顔負けの肉体だ。ざんねんなのはそのファッションセンスで、萌えキャラの描かれたTシャツを着ており、シズクがさきほどからずっと気恥ずかしそうに距離を置いている。

 当たり障りのない挨拶を交わし、さっそく文化センターの交流ホールに入る。なかではヨーヨーをヌンチャクさながらに振る集団がおり、またぞろ壁際のベンチには吹奏楽の練習にふける面々が、不協和音を奏でている。向こうからすれば、こちらもまた音楽を大音量でかけ、フロアを独占する邪魔者に映っていることだろう。互いに干渉しないギリギリの秩序が築かれているのがおかしかった。

「シズクさんからはすでに話をお聞きかと思いますが」俺はさっそく口火を切った。「いま我々はダンスコンテストに出場するためのメンバーを探しておりまして」

「はぁ」

「水迄さんの踊りを参考にさせていただけたらなと」

「いちおう踊れる用意はしてきてはいますが、え、本当にそういう話なんですか」

「と、申しますと?」

「いえ、えっと」

 水迄は体格の大きさにそぐわぬきょどり方で、シズクのほうを窺った。

「なに? 嘘は言ってないでしょ。へんな男にコンテスト誘われたから、お金くれるし、いまはそいつといっしょに活動してるって」

 俺はことの次第をいっしゅんで悟った。シズクはまったく話を通していない。久々に姿を現した旧知が、久闊を叙した途端に不安になるような旨を口走りはじめたので、小心者の大男は心配になり、様子を見にきた。俺へ会わせろと、水迄のほうから言いだした理由が解った気がした。

 水迄には初めてシズクと会ったときと同じ説明をした。本気でコンテストに優勝したいのだ、と。だからちからを貸してほしいと、俺はマグマさながらに熱弁した。

「話は分かりました。しょうじき唐突な話で、鵜呑みにはできないんですが、けど、いいんですか、ぼくで。かれこれ数年は踊ってないんですけど」

 俺はシズクに視線を飛ばすが、こちらの非難の目もなんのその、シズクはフロアをよちよち歩きまわっているガキを追いかけ、黄色い声をあげさせている。まあまあすみません。楽器を置いて、母親らしき女が子どもを注意する。じゃましちゃだめでしょ。べつにいいですよー。シズクはさらに鬼ごっこを再開させ、俺に文句を挟む余地を与えない。

「よかったです。元気そうで」

 水迄はやさしい眼差しをそそいでいる。生徒にもそういった顔を見せるのだろうか。

 シズクを差し置き、俺は水迄にこれまでの経緯とこれからの予定を話していく。いつの間にか足元には電子端末専用のスピーカーが置かれており、そのうえにシズクのメディア端末が繋いである。ロックがかかっているが、再生ボタンだけは押せるように設定されている。

「編集した曲か?」

 シズクに投げかけるも、

 見つかった逃げろー。

 ガキどもといっしょに黄色い声をあげやがる。ガキを使ってこれを運ばせたようだ。真面目にやれと怒鳴りたくもなる。

「相変わらず破天荒ですね」

「どういった知り合いなんだ」

 この際だ、シズクへの嫌がらせも兼ねて訊いておく。「ダンス繋がりってだけとも思えんが」

「むかし彼女の親友と一悶着ありまして。あ、ぼくがですよ。彼女にはお世話になったといいますか、相談に乗ってもらって」

「その親友ってのはダンサーか」

「だったらしいんですけど、ぼくが知り合ったときにはもうやめてたみたいで。ぼくのほうも、就職にてこずって、いまの仕事に就いてからはさっぱりで」

「声をかけといてなんだが、踊れんのかい」

「さあ、どうなんでしょう。せっかくですし、練習してもいいですか」

 俺は肩を竦める。

 水迄はストレッチをはじめた。着替える素振りはなく、端から動ける服装できていたようだ。或いは暴れる用意をしていただけかもしれず、人当たりのまろやかな人物だと評価していただけに、底の知れない男だと愉快になる。

 俺はスピーカーに繋がれたメディア端末を操作し、曲を確認していく。

 思っていた以上に編集されている。かろうじて原曲が判る程度だ。ほとんど別の曲だと言えてしまえるが、こちらのほうが数段かっこうよく聴こえるのも事実だった。

 曲の中盤、いっしゅん音が消え、太鼓、琴、電子音、メロディー、と徐々に音が重なり、曲としてのカタチを帯びていく。鳥肌が立った。脳裏にこれしかないという構図が浮かび、俺は指揮者さながらに駒を操り、躍らせていく。曲が終わり、周囲の喧騒が耳に戻ってくる。動悸が激しく高鳴っているのに気づき、そこではたと我に返る。両隣に、見知らぬ男女が座っている。真剣な表情でスピーカーに耳を向けており、俺もまた耳を傾けていたため、しぜんと女のほうと目があった。

「あ、すみません。熱い曲だったんで、つい」

 そそくさと立ち上がり、女は男を引っ張りながらホールの奥へと進んでいく。迷いのない足取りのさきにいるのはシズクだった。男女の姿を視認したシズクは、餌に群がるハトさながらのガキどもを飛び越え、そのままの勢いで男女に抱きついた。

 知り合いだったらしい。

 俺は水迄のほうを向き、知り合いか、と水を向けようとするが、すこし離れた場所で彼は片手で身体を支え、静止していた。単なる片手倒立ではない。右手のひじに、右ひざを載せて身体を固定するエアベイビーという技だ。B-BOYINGにおける基本技の一つで、ふつうは両手で身体を支えるのだが、水迄は片手で優に一分は止まったままの姿勢を維持している。さらに足のカタチを変えたかと思うと、身体をプワリと浮かし、片手倒立の状態にまで持っていく。そこでもさらに静止する。雑技団の演舞を観ている気分だ。水迄はそこからさらに三十秒ほどかけて、三つの技を、主としてフリーズと呼ばれるキメ技を、流れるように繰りだしていく。すべてがすべて、地面と接しているのは片手の手のひらだけだ。けん玉さながらに順繰りと、型を確認していくようなその所作に、水迄が正真正銘それをウォーミングアップで行っているのだと知れた。

「とんでもねぇな」

 しぜんと笑みが漏れている。

「武藤さん、武藤さん」

 シズクがさきほどの男女を引き連れ、やってくる。「こっちの小顔のコがヒガミで、こっちのパツキンがフンマン。なんか早めに着いたって言うから呼んだんだけど、べつにいいよね」

「ああ」

 言うと目のまえに手を差しだされた。握手をかわすと、にこやかに、よろしくっす、と頭を下げられる。思いのほか礼儀の正しい連中だ。

 外見はいわゆる最新のストリートファッションで、ニューヨークで流行っていそうな細身のパンツにパーカーと、シックに決めている。身体の至る箇所からタトゥーが覗く。耳に空いたピアスの数など、漂う雰囲気は異質の一言だ。ホール内の雰囲気まで一変し、さきほどまで子供を自由に遊ばせていた母親たちがこぞってガキどもを回収しはじめた。

 気づいているのかいないのか、何食わぬ顔でフンマンが服を脱ぎだす。パンツ一丁になった彼に、シズクが、また増えたんじゃない、と「舞」の文字のタトゥーをゆびさきで撫でつけている。

「着替えのジャマだよー、あははシズクちゃんくすぐったい」

 陽気な様で、和気あいあいと練習着に着替えだす面々を尻目に、俺は、未だ片手の態勢を維持している水迄に、脱帽するよりないのだった。

 結論から言えば、シズクの目に狂いはなかった。

 ヒガミと呼ばれる短髪小顔の女は、人形じみたスタイルに負けず劣らず、繊細な踊りをする娘だった。曲にストーリーを与えるダンスを得意とし、強いてジャンルに分けるとするとスタイルヒップホップと呼ばれる分類になるだろう。音を点で拾っていくため、観ているほうにも伝わりやすく、またカチっとした動きであるから複数人でフリを合わせるのに適している。ショー向きのダンスと言えた。

 いっぽうフンマンは、ガールズヒップホップ、またはジャズヒップホップと呼ばれる類型で、水迄と比べれば貧弱に映るが、ぎゅっとしまった筋肉が、しなやかな動きを生みだし、男でありながら艶めかしい色気を全身で奏でていく。

 シズクはさっそくふたりにレクチャーしてもらいながら、双方の動きを吸収していく。

 と、そこで俺はホールのはじっこで、シズクの動きそっくりに身体を動かしているガキの存在に気がついた。

 体型が異なるので鏡のようだと形容するのは誤りなのだが、まさしく鏡のようだとしか言いようのない動きでガキは、シズクのほとんど即興の踊りを、寸分たがわず己が身に重ねていく。

「おい、シズク。おいって」

 集中していたシズクを無理矢理に中断させ、ガキの存在を教えると、彼女は、あー、と叫び、脱兎のごとく駆けだした。

 ガキのほうも即座に反応し、間もなくホール内で鬼ごっこが開始される。俺はふと、影法師を思いだす。夏の日にアスファルトに浮かぶあれだ。むろんシズクの追いかけているガキは影法師でもなんでもなく、ましてや鏡に映ったシズクではあり得ないので、当然の帰結としてガキはほどなくして捕まった。

「武藤さん、ほら見て。このコ。来てくれたみたい」

 シズクにホールドされUFOキャッチャーよろしく運ばれてきたのは、俺がダンスイベントで度肝を抜かされたシズクの相方、超絶スキルのチビスケだった。

 少女みたいなあどけない顔つきをしているが、よもや女ということはないだろう。不安に思い、いや、それはほとんど期待じみた疑惑だったのだが、シズクに確認してみるも、

「ざんねん。男の子でした」

 チビスケの胸を揉みし抱きはじめるので、俺のほうでも反応に困る。

「前にも言ったかもしんないけど、このコ、嫌がっててさ」

「聞いた憶えはないが、来てくれたってことは協力してくれるのかな」

 俺はしゃがむようにし、シズクにではなく、チビスケのほうに目を合わせる。

「シズクがやるならボクも……」

 シズクの腕で顔を隠すようにし、チビスケは言った。イベントで見せていた大胆さの欠片もない。

「あ、あのう。ぼくにも紹介をその」

 おずおずと水迄がやってくる。シズクではなく俺に助け船を求めたところを鑑みれば、仲間外れにされたのではないかと不安がっている様子だ。小心翼々具合にもほどがある。ほんとうにだいじょうぶなのかコイツ。先刻まで抱いていた水迄への評価が見る間に萎んでいくのを感じた。

「あれ、やっぱりケネティックのユウナさんじゃないっすか」

 声がし、そちらを向くと、フンマンがヒガミを引き連れ、こちらの輪のなかに分け入ってくる。

「どっかで見たことあるなぁ、って思ってたんすよ。うわー、ケネティックってさいきん見ないすけど、解散したってホントなんすか」

「あ、はい。解散して、あ、でもほかのメンバーはまだ踊ってたりするの、かな。さいきん連絡とってないので分からないんですけど、たぶん踊ってると思いますよ」

「わー、わー。ユウナさんも今回のコレ、参加するんすか」

「あー、どうなんでしょう。まだちょっと分からないんですけど」

「えー、えー。いっしょにやりましょうよ。ぜったい楽しいですって」

 楽しい楽しくないという観点を基準に参加を決めてほしくはないのだが、なるほど、シズクが目をかけただけあって、水迄はそれなりに名の通ったチームに過去、所属していたようだ。

「ケネティックってのはその、どういったチームなんだ」

 小声でシズクに確認するも、

「武藤さん、観てないの」と声を荒らげられる。「きのう、動画送ったじゃん」

 シズクからのテキストメッセージがあったのを思いだす。後回しにしたまま忘れていた。

 交流を深めていくメンバーから距離を置き俺は、壁際のベンチに腰掛け、シズクから送られてきた三つの動画に目を走らせていく。一つは、ヒガミの所属しているダンスチームの動画だ。今年参加したらしい海外のダンスイベントで特別賞を受賞したという。その際の動画だった。

 白雪姫が題材なのだろう。姫と女王、そして小人たちに、兵隊、そして王子。短い演劇を見ているようで、場面ごとに曲が変わり、その都度、ショーの印象が一転する。物語としての軸、コンセプトがはっきりしているので、観ているほうが混乱することはなく、またスピーディーに物語が展開するので観ていて飽きない。

 彼女のダンスで突出しているのは、その表現力だ。音楽だけではなく、何を思い、何を感じたか。音楽から得たインスピレーションを、身体を通して表現する。シズクが音楽そのものを表現するのに対し、ヒガミは、身体の奥底から湧きあがる感情を表現している。

 哀しみ、せつなさ、怒り、嘆き。

 曲を構成する音そのものよりも、曲の歌詞がそのままカタチを帯びたかのような踊りが印象的だった。

 意外なことにフンマンにもその傾向が見てとれた。ヒガミと異なるのは、彼の踊りのことごとくが、下品さを伴っている点だ。曲そのものが、セックスやドラッグを題材に歌われており、よりアンダーグラウンドに根付いた踊りという印象がした。ジャンルは違うが、レゲーと共通したものを覚える。

 情緒の豊かさと下品さ。

 どちらもシズクにはないものに思えた。

 最後に、一つ動画が余った。テキストメッセージには一言、ケネティックとある。水迄のチームだ。

 動画を再生させる。

 ほの暗い室内だ。

 クラブでのショータイムだと判る。画面に出てきたのは、九人のダンサーだ。全員が仮面を被っている。被っている、というよりも、暗がりに九つの仮面が浮かんでいると形容したほうがより正確だ。大柄な人物が二人おり、どちらかが水迄なのだろう。

 悲鳴じみた歓声が鳴りやむ前に、大音量で音楽が流れだす。最初の数秒で目が釘付けになる。もののけ姫のコダマよろしく首を小刻みに揺らしはじめたかと思うや否や、九人いたはずのメンバーが、つぎの瞬間には六人に減った。次点でさらに減り、舞台上に残ったのは三人だ。

 六名ものダンサーが忽然と姿を消した。

 いや、ちがう。

 三人のダンサーが両手に仮面をひとつずつ持ち、影武者をつくりあげていた。音楽の進行に合わせ、仮面は自在に数を変化させ、ときに宙を舞い、ときにギロチンに落とされた首さながらに急下降する。すべてが計算し尽くされた動きだ。不気味さと不可解さを感じさせながら、映画の一幕さながらの安心感、まさしくアトラクションじみた高揚感を観ているこちらに与えている。仮面がただそこに存在するだけで、踊りとしての意味が生じ、同時に音楽が、所作のひとつひとつを強調し、空間を支配していく。

 ショーの中盤では、黒子の衣装が脱ぎ去られ、ダンサーたちの肢体が顕わとなる。見えるのは身体の面部分だけだ。背中側を向けば、観客からは、後頭部に張りつけられたもう一枚の仮面が浮かんで見えるだけとなる。仮面と同じ蛍光塗料で以って、身体の前部分を加工し、浮き彫りにさせているのだろう。暗がりで、こんどは人間が文字通り、神出鬼没に現れては踊り、消えては思いがけぬところから出現する。しだいに舞台上に何人いるかが分からなくなり、幻でも見ている気分になったところで、最後に仮面が一つだけ舞台上に残った。

 仮面は宙をどこまでも高く昇り、舞台の天井に消える。曲の終わりと共に、こんどは仮面が一枚の枯葉がごとく、ひらひらと舞台上に舞い落ちていく。

 完璧だった。

 ショーとして、観せ物として、完成された作品がそこにはあった。

 技量の高さを見せつけるのではなく、何気ない動きを最大限に高め、エンターテインメントとして見事に昇華している。

「どうだった」

 シズクがよこにきて、言った。

「しょうじき言葉が出ない」

「ケネティックのリーダーがあいつ。優那くん」

「ホントかよ」

「リーダーがダンスから離れるってんで、解散したようなもんだしね」

「振付けはあいつが?」

 水迄が考えたのか、と何かとんでもなくおそろしい事実を訊くような心境で訊いた。

「もち。だから紹介したんだよ。さいあくいまはもう踊れなくなってても、あいつのセンスは利用できる」

「今確信したよ」

「なに」

「シズク。最初にきみに声をかけてよかった」

「なに言ってんの。まだはじまったばっかじゃん。ようやくゼロがイチになったってだけでしょ。これからそれを百にして、千にして、万の観客に届けなきゃ」

「ああ。期待してる」

「ばっか。武藤さんもがんばるんだよ。ほらきて」

 腕を引っ張られ、ダンサーたちの輪のなかに放りこまれる。こうした強引さは俺がかつてもっとも毛嫌いしていた類のきらめきだ。いまでも苦手とするところのはずなのだが、嫌な思いひとつしないのは、なぜなのか。

「チーム名、考えたんだ。武藤さんの名前を入れようってなって。で、決まったのがこれ」

 暗黒舞踏団。

 照れ臭く、だからでもないが、

「ムトウじゃなくこれじゃブトウだろ」と非難する。

「ちいさいことにこだわるひとだなぁ」

 シズクがぼやき、せっかくオレらが考えたのに、とフンマンが肩を落とした。全身キャンパス人間にしょんぼりさせるようでは、俺も人としての格が下がってしまう。

「いや、イイ名前だ。ありがとう」

「で、どうでした」

 窺ってくるのはヒガミだ。彼女とまともに言葉を交わすのは初めてだ。なにかを阿るような上目遣いに、腹の底をゆびさきでなぞられる心地がする。

「どうってなにがだ」

「うちら、チームに入れてもらえるのかなって」

「もちろんだ。わざわざきてもらえてありがたい。このメンバーで優勝しよう」

「ユウナさんは?」とこれはフンマンだ。俺の一存でメンバー加入の是非が決まる旨は、すでにシズクから聞かされているようだ。

「俺のほうでは無理にでも参加してほしいくらいなんだが」

 萌えキャラのキラキラした目が水迄の胸筋を際立たせている。場違いなそのTシャツがいまではオシャレに映るから困る。「どうなんですかね、水迄さん」とお伺いを立てる。

「ああ、でもぼく、なかなか集まれないですし」

 言いかけた水迄の言葉を遮るように、

「そういえば、貸し」とシズクが言った。「あったっけね。これでチャラにしてあげてもいいよ」

「なかなか集まれないかもしれませんが……がんばりますので、はい」

 後頭部を掻きながら水迄は、

「ぜひ参加させてください」とつっかえつっかえ口にした。

 

 練習し足りないと言い張るシズクとフンマン、それからシズクが残るならボクも、と言ってきかないチビスケを残し、俺は水迄とヒガミを連れて、繁華街の中華レストランに向かった。

 初対面で、しかも口数の少なそうな二人といっしょにされるのは、しょうじき気まずくないといえば嘘になるが、真面目な話をするのには都合のよさそうなメンツではある。

 個室に入り、円卓を三人で囲む。

 適当にコース料理を注文し、さきに運ばれてきた酒で乾杯する。

 見る間に上気していくヒガミの子猿じみた顔を愉快に思いながら、俺はさっそく口を開く。

「しょうじきなとこを聞かせてほしい。このメンバーで勝てると思うか」

「メンバーってこれで決定なんですか」水迄が無意味に回していた円卓を止めた。

「シズクがあと一人、誘ってるやつがいるって言ってたが」

 交互に二人の顔を見遣り、

「聞いてないか」と投げかける。

「ぼくは何も」

「あ、うち、聞いてました」

 おずおずと手をあげ、ヒガミが言った。「ダメになったっぽいです。決まった分のメンバー教えたら、やっぱりやめるって」

「そうなのか」

「ひょっとしてぼくのせいですか」とこれは俺にではなくヒガミに向けられた言葉だ。「重伊花さんの声かけたもう一人って、関西のファントムの誰かじゃないですか」

「そうみたいです」

「そのファントムってのもダンスチームなのか」

 蚊帳のそとになりかけた俺は、無理やりに嘴を入れる。「というか重伊花って誰だ。シズクのことか」

「ええ。重伊花シズク。本名ですよ。ファントムは、むかし、うちのチームと揉めたことがあって」

 水迄から掻い摘んで聞かされた話を俺は脳内でまとめる。

 関西に、とあるダンスチームがあった。むかしから仮面を被ったパフォーマンスをしていた集団だったが、ぽっと出の水迄たちに人気を根こそぎ持っていかれ、苦汁を舐めた。さらには元祖仮面集団だったはずが、二番煎じのレッテルまで張られ、その怨恨は一方的に水迄のチーム「ケネティック」へ向けられた。

「仮面を被るパフォーマンスなんてもっとむかしからあるんですよ。それこそ有名なところじゃ二〇〇二年にはすでに韓国のエクスプレッションってブレイキンのチームなんですけど、世界大会のショーで使ってて。さいきんじゃアメリカのTV番組でダンスの腕を競う番組があるんですけど、そこで優勝したジャバウォッキーズも、メンバー全員仮面を被ってますからね。だからって彼らがエクスプレッションのバイターかって言ったらぜんぜん違いますよ。仮面だけをとりあげて自分たちのオリジナルだって拘るのは、ちょっと違うんじゃないかって思うんですよ。それがなければ踊れないというのなら、それは個性でも実力でもなんでもないじゃないですか。衣装に帽子を使うかどうか、その程度の違いでしかないわけで。じっさいぼくら、ある時期から仮面じゃなくて軍手や靴、扇子とかに細工して、ショーに使ってたりしましたし。そっちのほうがお客さんのウケがよかったこともあって。ぜんぜん成立するんですよ仮面じゃなくたって」

 だが、相手はそう捉えなかった。自分たちへの当てつけだと怒りを募らせ、以後、イベントで鉢合わせするごとに因縁は深まった。

「解散したのってもう三年前になるんですよね。未だに根に持たれてるとは思わなかったんですけど、分からないわけじゃないんです。ゆいいつぜったいの自分、〈私〉という存在はいまここにあるこの自分一人きりなんだって確証がぼくらは欲しいんです。それを実感できるただひとつの拠り所がダンスだったんです。偽物だなんて誰が相手だとしても言われたくはないですよ」

「おもしろいな」口走っていた。

「おもしろいですか」水迄は不快そうでもなく、端然と訊きかえす。

「どこも同じようなもんだな。なにかを成し遂げたとき、それが自分の専売特許なのだと人は思いあがるもんらしい。自分があらゆるオリジナルからの恩恵を得て、それらを生みだし、成し遂げたのだと、ついつい忘れちまうことがある。あとになって自覚できりゃまだいいほうだが、最後までそれを思いだせず、思い到れずに、せっかく開花させた才能を枯らせてしまったやからは枚挙にいとまがない」

「マイ巨乳イトマキ貝……?」

 ヒガミが目にハテナを浮かべているが、意に介さず。

「そういうやからを俺はこの目でごまんと見てきた」と言い直す。「すくなくとも水迄さん、あんたにゃその心配はせずに済むようだ」

「いえ。ぼくはただ、ダンスへの執着が薄れただけです。本気でやっているひとは、それくらいの自尊心がなければダメだと思っているくらいですし。だってそうじゃないですか」

 と、水迄はここで俺にではなく、よこで黙りこくったまま耳だけを澄ましているヒガミに向けた。

「え、あ、はい。うちもそう思います」

 短髪小顔はうつむいた。耳が真っ赤なのは酔っぱらっているだけが原因ではなさそうだ。

 動画のなかで威風堂々と踊っていた人間とはとても思えない。俺はようやく運ばれてきた料理に舌鼓を打ちながら、ダンサーはみな生粋の役者だなと考える。

 踊っているときとそうでないとき。いったいどちらが本来の顔なのか。舞台上でしか本当のじぶんをさらけ出せない役者の存在を思い、俺は、シズクの集めたダンサーどもに妙な愛着を覚えるのだった。

 アルコールを摂取しながら俺は、ブランクがありながらぜんぜん動けるじゃねえか、と片手で自在に身体を浮かしていた水迄を詰り、オレンジジュースを啜りながら当の本人は、あんなのはダンスでもなんでもないですよ、と謙遜する。或いは真実に心の底からそう思っているのかもしれないが、よこから、ユウナさんはすごいですよ、とヒガミが中身の減ったカップに、それはむろん水迄のカップなのだが、オレンジジュースを追加していく。

「嬢ちゃん、俺にはお酌してくれないのかい」

「席が遠いので」

 否定はしない。否定はしないが、そりゃおまえさんが水迄の席のとなりに陣取ってるからじゃねえか。言いたくてたまらない気持ちをぐっと堪える。

 本来は正三角形を描ける位置関係で座っていたはずだ。いつの間にやら、俺だけが彼らと対峙するようにぽつねんと座っている。

「で、話を戻すが、このメンバーで優勝できると思うか」

「またその話ですか。いまはそんなことどうだっていいじゃないですか」

 このアマ。

 俺は思った。酔っているとはいえど、てめぇを呼んだのは、てめぇの言う【そんなこと】に尽力してもらうためだ。

「だいじな話だろ。力不足だってんならメンバーを補充するか、入れ替える必要がでてくる」

「入れ替える?」

 ヒガミの表情が曇った。

「俺がダメだと思ったやつは問答無用でクビだクビ」

「どうして武藤さんにそんな権限が」

 あるのかと問いたげなヒガミを遮り、

「いいと思いますよ」水迄が言った。「武藤さんは一貫しています。ぼくはその一点でのみ武藤さんを信用していると言ってもいいです。武藤さんはただ、あのコンテストで優勝したいんです。なぜかは聞きません。動機がなんであれ、勝負ごとに参加するからにはてっぺんを目指すのは自然なことです。そしてぼくらはてっぺんを目指すために武藤さんのもとに集まった。そうじゃないですか?」

「もちろんでそうですけど」

 しゅんとしてみせるヒガミは、俯きがてら、なぜかこちらに鋭い眼光を放っている。

「そういうことだ。真面目に意見を聞かせろ。このメンバーで勝てると思うか」

「ムリですね」きっぱりとヒガミは言った。「知ってますか? あのコンテスト、海外からの参加チームも募ってて、じっさいすでに有名どころがこぞって参加を表明してて。ネット界隈じゃちょっとしたお祭り騒ぎになってます。あの賞金の高さじゃないですか。じっしつ世界大会レベルですよ。それでたかだか日本レベルのうちらが団結したって土台無理な話です優勝なんて」

「だが飽くまで開かれるのはこの国でだ。そのネット界隈ってのはせいぜいがダンサー業界って意味だろ。公開された動画を観るのはたしかに国に関係なく、全世界からのアクセスがあるだろうが、じっさいに評価ボタンを押すのは、せいぜい本気でダンスに関心のある極々一部の連中だ。ダンスに興味のない一般人を巻き込むのに有利なのは、言うまでもなく開催国であるこの国のチームだ」

「かもしれないですね」ヒガミは首肯しておきながら、「ただし、それを考えに入れたうえで、やっぱり今のままじゃ無理だと思いますよ」と反駁する。

「根拠は?」

「知名度です」

 おもいのほかまともな意見だ。俺は言葉に詰まった。ネットに限らず物理世界であっても知名度は重要だ。こと多数決で決する勝負事では命運を分ける欠かせない要素になる。政治に疎いスポーツ選手が、大学教授や元国会議員を押しのけ選挙に当選するなんて事例は、彼女の言い方を真似れば、マイ巨乳イトマキ貝だ。

 ヒガミは続けた。

「参加チームの上限がない以上、知名度がなきゃ無数のチームに埋もれて、動画さえまともに観てもらえません。有象無象の暇人だって、手間暇かけてすべての動画を観るわけじゃないんですから。話題になってる極々一部、それこそ最初からアクセスの集中する知名度の高いチームにしか目を通しません」

 ならば、知名度の皆無な暗黒舞踏団に勝ち目はない。

「だからって今さら引けねぇんだよ。どうすればいいと思う」

「方法は二つでしょうね。一つは、誰が観ても話題にしたくなるようなキワモノ枠でショーを構成すること」

「もう一つは?」

「今からでも知名度をあげること」

 暗黒舞踏団の知名度を。

 慣れないポーズを決めるヒーローさながらに、彼女は控えめな声でそう言った。

 

 翌日からさっそく合同練習がはじまった。水迄は休日だけの参加だが、それまでにフリをつくり、できた分を休日に合同練習にこられなかったメンバーへ教える。いちどつくったフリも、まずは動画に撮り、ちくいち構図を見直しながら修正を加えていく。

 最初こそ横から口を出していればよかった立場の俺だったが、ある程度フリが決まってくると、シズクに半ば脅されるかたちで練習に参加せざるを得なくなった。

「前にも言ったと思うけど、武藤さんが憶えてなきゃいざというときにほかのメンバーに伝えられないんだからね」

「それはたしかに聞いた覚えがある」

「いいからこっちきて。いっしょにやる」

 俺自身が踊らざるを得なくなってからは、それまで以上に熟考を重ねるようになった。せっかく憶えたフリを途中で変更されたくはない。

「待て、そこでチビスケを使うと、終盤の演出が薄くなる。インパクト高めるには前半はなるべくそういったゴテゴテの技は入れないようにしていこう」

「でも前半で視聴者の心がっちし掴んどかないと」シズクは不満げだ。「最後まで観てもらう前に変えられちゃうんじゃん」

「いや、そうでもねえっすよ」とこれはフンマンだ。「愛撫と似たようなもんで、適度に焦らしたほうが食いつきよかったりするんだなこれが。ムードがだいじっつうか。テンポのよさとかスピィーディさにこだわりすぎるとメリハリがなくって見応えが半減するっつうか、なんかそんな感じ」

 こいつはときおり、はっとするような核心を突くことがある。

「あぁ、わかる」とシズクと声が重なった。チビスケが手で口元を覆い、なぜか笑いを押し殺す。なかなか俺に心を開いてくれないチビスケだが、飴玉で餌付けするようになってからは俺の指示にも従ってくれるようになった。

 フリの覚え方はチビスケがもっともはやい。シズクの言っていたとおりだ。できたつぎの瞬間にはマスターしている。ヒガミやフンマンたちの独特なダンス語、それはほとんど彼らにしか伝わらない辺境の言葉であるのだが、意味が解ってきてからは、チビスケにも新しい組み合わせの動きを口頭で指示できるようになった。

「そこでスピンしてみろ。いやカブトムシじゃなくザリガニのほうで。そう。それからさっきのフリに繋げて。おう、いい感じ。そっからじゃあ、ミキサーからのエアチェア」

 指示すれば指示しただけ、言ったとおりの踊りが返ってくる。フリとは関係のない動きを指示して遊んでみたりする。

「ラジコンじゃないんだから」

 言いながらも、

「最後のエアチェア、落とす前に座禅にしてみせて」

 追加注文し、難なくこなすチビスケにシズクも満足そうだ。

 休日、水迄が来る日はひときわヒガミの露出が増えた。目のやり場に困る。注意しようものならセクハラオヤジのレッテルを貼られ、放置していても逃げ場を求めて水迄が俺の近くにやってくるものだから、否応なく視界にヒガミのいやらしい肢体が入りこんでくる。

「いやらしいって言わないでくれません」

 注意するものの聞く耳を持たない。

「エッチな格好をエッチィと言ってなにがわるい」

「ただ動きやすい格好してるだけなんですけど」

 キモチワル。

 ヒガミは歯に衣着せぬ物言いで、というよりもこのころにはもはや率先して脱ぎ捨てては俺にばかり鋭い舌鋒を向けてくる。ダンスの意向には逆らわないが、かといって助言を呈するでもなく、ほとんど水迄のマネージャーじみた役柄に落ち着いた。必然、水迄のいない日はとことんやる気を落とし、ときおり息抜きとばかりにチビスケやフンマンをいじり倒しては、とつぜん窓のそとを眺め、憂いげなため息を吐いてみせる。そんな彼女を見兼ねてか、

「どうしたんだろヒガミン」

 シズクが相談してくる。「なんかさいきん元気ないんだよね。調子わるいのかな」

「その点、おまえは元気そうだな」

「そう? で、どうしたんだと思う? ホームシックかな」

「解んないのか」

「なにが?」

「シズク。おまえはダンスに関しては卓見だが、ちょいとひとを見る目が足りねぇな」

「武藤さんに言われちゃおしまいだ」

 皮肉たっぷりに返すシズクの陽気なセリフに苛立つのも忘れ、俺はひと月後に設定したショー完成日までの日程を練り直していく。

 ダンスコンテストの動画投稿締切日まで、残り二か月を切っている。



      (三)

「と、いうわけでショーをすることにした」

 閉館した文化センターのそとで俺はメンバーを集め、言った。「動画を投稿する前にイベントに参加する。予行演習みたいなもんだ。その際の動画もネットにアップする。できるだけ多くの関心を集めときたい。出し惜しみせず、全力で頼む」

 ショーの全体の構成が決まった段階で、前以って予定していたイベントへの参加を表明した。夜空には弓なりの月が浮かび、周囲にひと気はない。

「全力でって、いいんすか。本番のほうでも同じショーをするんすよね。インパクト薄れちゃったりは」

「フンマン、いい質問だ」俺は飴玉を放ってやる。この程度の報酬でも彼らは、すくなくともフンマンとチビスケはうれしそうな顔をする。「水迄とも話したんだが、構成はそのままに本番のほうはショーのフリを若干修正する。大幅にではないからそれほど気を揉まなくてもいい。それにコンテストに投稿するほうの動画は、細工がきく。イベントのショーよりかはインパクトが増すはずだ」

「細工ってCGとか」シズクが冗談めかし言う。

「フラッシュモブでもやりゃ話題になるかと思ったが、それはすでに前例がある。流行りに乗っかるつもりはない」

「じゃあどうするの」

「場所の問題でまだ不確定な要素が多すぎる。確定したら知らせる」

 予行演習となるイベントは東京で開かれる。水迄がむかしのコネを使って出演依頼をもぎとってきた。箱は収容人数五千人と、規模の大きなクラブハウスだ。イベントのトリを頼まれたという。急な話ということもあってか、みなどこか浮かない顔つきで、或いは腰が引けているのかもしれない。

「ケネティックじゃないのを残念がられました」水迄がぽつりと言った。「見返してやりましょう」

 彼の言葉ひとつで空気が絞まる。チーム内の士気がぐっと高まったのが判った。腐っても伝説のチームのアタマを張っていただけのことはある。

「東京のクラブってことは遠征っすね。バナナはおやつに入りますかセンセー」

「フンマン、つまらない質問だ」俺は手を差しだす。「さっきの飴玉をよこせ」

「えー」

 言いながらフンマンは包装を破り、飴玉を口のなかへ放った。

「欲しけりゃどうぞ」

 飴玉を舌に載せ、口のそとに突きだすようにする。

 笑い転げるチビスケをまたぎ俺は、あぐらを掻いているフンマンのまえに立った。あごに手を添え、ぐっと顔を持ちあげる。唇を重ね、口のなかの飴玉を奪い取る。

 呆気にとられている面々に俺は、

「どうぞと言われたことをしたまでだ」と仁王立ちしてみせる。「本気にしろ冗談にしろ俺にハッタリは使うんじゃねぇ。できっこねぇと舐められたことほどやりたくなる」

「冗談が通じないなぁ武藤さんは」

 こわいこわい。

 シズクが大袈裟に肩を抱き、そのとなりでチビスケがしきりに目をしばたたかせている。

 

 イベント当日。会場までは車で移動した。片道四時間の小旅行だ。

 男物のスーツで衣装を統一した。上流階級の社交パーティを思わせる服装だ。ジェームズボンドを意識した。ショーのコンセプトそのものは忍者であるのだが、水迄の意見を取り入れ、敢えて西洋風の衣装にした。コンテストに投稿する動画ではまた違った衣装にする予定だが、今宵は、これでいい。

「なんでスーツ? 忍者なのに?」

「フンマンくん、愚問だわ」シズクがかけてもないメガネをくいとやる。「忍者は海外では日本を代表する人気アイテムだけど、この国ではダサいの代名詞ですのよ」

「あら、そうでございますの。ごめんあそばせ」

 穿いてもないスカートをひらつかせお辞儀をするフンマンに、

「キショイからやめて」ヒガミが、キツい一言を吐きつける。彼女はチビスケの頭をオールバックに整えている。

 服装、髪型とみな同じだ。違っているのは背の高さだけで、一人として同じ体格の人間がいないというのは、なにかしら戦隊モノを連想する。さしずめジャパニーズカブキレンジャーといったところか。

 出番までいくぶんか時間に余裕がある。それまでは雁首揃えて楽屋で待機だ。思いのほか立派な会場で、出演者ごとに楽屋が用意されている。広くはないが、狭くもなく、しかし荷物を置くと、ストレッチをするスペースはなくなる。頭上にはディスプレイが設置されており、舞台上の映像が流れている。メンバーと何をしゃべるともなくほかの出演者たちのショーを眺める。

「あれ、ヒーちゃんは?」

 フンマンが声をあげた。寄り道をしていた子どもが、はっと本来の目的を思いだし、しかし手に持っていた財布が見当たらない、といった調子で、ぐるぐると、広くはないが狭くもない楽屋を見渡した。

「ヒガミなら出てったぞ」

 俺は背伸びをしがてら、

「最後のフリ確認してくるって。水迄誘っていっしょにな」

 言いながら時計を見遣る。「もう準備しといたほうがいいな。誰か呼んできてくれないか」

「えぇぇえ。武藤さん出ないんだから、武藤さん行ってきなよ」

 シズクの指弾に、そうだそうだ、とフンマンとチビスケが同調する。

「いいのか? 【タンコブむとう団】に名前変えてくんぞ」

 シズクが振り向き、

「フンマン、あんた行ってきな」

 名指しで命じられたフンマンに渋るそぶりはない。アイサと返事をし、楽屋を出ていった。

「なあ、シズク」

「なに。いまメイク中。声かけないどいてよ」

 俺は構わず口にする。

「メンバーに慕われるコツとかってあんの」

「え?」

 マスカラを塗ったくった目元をパチクリさせてからシズクは、あは、と口を大きく開き、

「じゅうぶん慕われてんじゃん。自信持ちなよ武藤さん」

 なぜか解らないが、慰めの言葉を紡ぐのだった。

 そういうんじゃねえよ。

 言い返そうとしたところで、シズクが手元を狂わせた。目の下に太い線が走る。チビスケが彼女の袖を引いたからだが、イタズラにしてはチビスケらしくない。

「ちょっと、あー」

 ティシューを数枚引き抜き、目元を拭おうとするが、思いとどまったのかシズクは、まぁいっか、と肩のちからを抜き、それから、ちょっとー、とチビスケの頬をつまんだ。「あにすんだ小僧」

 冗談めかし叱られただけで済んだからか、チビスケは鼻で大きく息を漏らした。それから思いだしたように頭上のディスプレイをゆび差した。

「ん?」

 シズクの視線を追いかけるようにし俺もまた目を転じる。画面の中、舞台上では今まさにダンスチームが踊っている。みな屈強な肉体を惜しげもなく駆使し、ド派手なパフォーマンスを繰りだしている。二人の肩に一人が乗りあげ、そこからステージ下、観客と舞台のあいだのスペースにバク宙三回転ひねりをして着地する。ステージは観客のいるフロアから優に一メートル以上は高く、着地を誤れば骨折では済まない危うさがある。

 歓声があがる。画面からではなく、楽屋までじかに、ほとんど地響きとなって届いた。

 ダンスチームはアクロバティックな技を挟みながら、合間合間に、つぎつぎとルーティンを繋いでいく。目まぐるしく忙しい。無数のダイヤモンドをプラチナの鎖で繋いでいくような派手さを覚える。すべてがすべて斬新な振付けなのだが、妙だ。どこかで見覚えがある。ひとりのダンサーがソロで踊りだしたのを契機に、はたと思いだした。

「ジャッジの外人じゃねぇか」

 シズクを見つけたイベントでジャッジをしていた男だ。海外から呼んだ有名どころのダンサーという話だったが、なぜまだこの国にいるのか。とりもなおさず、メンバーのなかにはシズクたちを負かし、優勝を手にしたふたりのダンサーの姿まである。

「うわー、ノイジィたちも出てたんだねぇ」

 ぽかんと口を開け、ディスプレイを見上げるシズクは、緊張感が足りないというよりも、上手いダンサーを間近で見られないことに気を揉んでいる様子だ。にわかにそわそわしはじめる。一種涙の跡に見えなくもない、目元に引かれた不本意な線を拭おうともしない。

 間もなくスタッフがやってくる。舞台裏で待機するようにとの指示をもらう。海外勢のショーはまだ終わっていない。メンバーの貴重品はすべて俺が預かる手筈になっているのだが、水迄たちがまだ戻ってこない。

「どこまで行ってんだあいつら」

「探してこようか?」

 靴ひもを結び直しがてら言うシズクに、俺は、いや、と応じる。

「入れ違いになっても困る。おまえらはさきに舞台裏に行ってろ」

「武藤さんは?」

「楽屋に鍵かけなきゃなんねぇし、どうすっかなぁ」

 シズクがカバンを漁り、メディア端末を取りだす。操作してからすぐにこちらへ投げて寄越す。「ダメ。繋がんない」

「電源切ってるか、端から持ってってないのか」

 すぐ戻ると考え、端末を持たせなかったじぶんの配慮のなさを呪う。

「ここいらで踊れるスペースってどこにある」

「非常階段のとこかな」

「ちょっくら行ってくる」

 着替えは全員済ませてある。楽屋の鍵を施錠し、俺は関係者以外立ち入り禁止のフロアを駆け抜けていく。

 非常階段に通じる廊下を曲がったところで、ヒガミとすれ違う。危うくぶつかりそうになった。こちらに気づかなかったとは思えないが、ヒガミのことだ。わざと避けなくてもおかしくはない。案の定、呼び止めても一顧だにせず、走り去る。

 念のため非常階段の扉を開け、覗いてみると、踊り場のまさしく踊り場部分にフンマンと水迄の姿を捉えた。二人は対峙している。が、なぜかフンマンが拳を握りしめ、今にも殴りかかりそうな剣幕を浮かべている。

「なにやってんだおまえら」

 引き離しにかかるが、こちらが割って入る前にフンマンが踊り場を抜け、会場のなかへ戻っていく。すれ違いざまに見たフンマンの目は血走っていた。

「なにがあった」

 訊ねても水迄はこめかみを掻くばかりで埒が明かない。

 ことの顛末を聞くのは後回しだ。まずはさておき、舞台を成功させなければならない。

「本番はじまるぞ。いそげ」

 水迄をさきに行かせ、おれはその背を追いかける。

 舞台裏についたのとほぼ同時、MCが前口上を謳いだす。ギリギリ間に合った。或いはシズクがフンマンの姿が見えるまでMCを足止めし、いやこの場合は口止めと呼ぶべきだろうか、待たせてくれていたのかもしれない。

 のっぴきならない険悪な雰囲気を察してかシズクは、遅いと不平を鳴らすことも、何があったのかを訊く真似もしなかった。

 俺は舞台裏から移動し、観客席側のフロアに回った。動画を撮るためだが、妙な胸騒ぎが拭えない。

「さあさみなさんお待ちかね、伝説のクルーを交えた目玉はこの五人、さりとて一筋縄ではいかぬこの御仁、焦らすに焦らした大遅刻、みなさん落としてください大目玉、それでも返すぜ大手柄、用意はいいか皆の衆、トリを飾るは烏合の衆、そうさ主役はおれたちだ、声を枯らして吠えまくれ、あげてけ燃えてけ叫んでけ、これが最後の立役者、アンコール必須の終幕さ、前代未聞の大団円、呼びこみましょう、三國無双もまっさおの、踊り屋たちだぜ――暗黒舞踏団!」

 歓声が沸き、スポットが舞台上を照らす。

 板付きではない。曲がはじまってからダンサーが登場する。街中の喧騒にも似たノイズが流れだし、歓声がしだいに引いていく。まだ見ぬダンサーへの期待とクライマックスへの予感が、触れたら崩れそうな緊迫感と共に、会場に立ちこめていく。

 左右の舞台袖に二つずつ影が現れる。両側から中心に向かって四つの影が近づいていく。

 俺は頭のなかでショーの構成を振りかえる。舞台上のシズクたちの動きと重ねあわせていく。

 四つの影の足並みは揃わず、飽くまで自然体だ。四人がすれ違う間際、水迄の背中に隠れていたチビスケが姿を現し、中央に立つ。すれ違ってから数歩ずれた四人を引き留めるカタチで、両手を左右に押し広げる。ピタリと全員の動きが静止する。そこで曲が琴の音色に変わる。チビスケは見えない糸で四人を巧みに操っていく。むろんそういう演出であって、じっさいに操っているわけではないのだが、練習中に何度も繰りかえし見てきた光景でありながら、こうして完全な外野として眺めていると、四人の背中から透明な糸が伸びているように錯覚する。

 このショーにはいちおうの物語がある。

 巻物を奪われた四人の忍者が、敵を追い詰め、巻物を奪い返すまでの流れだ。階層のはっきりした曲と、水迄の練りあげた複雑な構成で以って、観客に息吐く間を与えることなく踊りきる。

 中盤、三曲目に差しかかったところで、急に音が途絶える。初めてこの曲を耳にしたときに全身が総毛だったのを思いだす。そのときに抱いたイメージを崩さず、それ以上の演出で以って水迄はこの静寂から紡ぎだされる怒涛の展開に、見事な図案を引いてみせた。

 音が重なっていくにつれ、一段、二段、と音の階層ができていく。ふたたびすべての階層がひとつの曲に融合したとき、見えていたはずの階層は消え去り、そこにはバラバラに動いていたはずの四人の忍者がふたたび操り人形となった姿が顕現する。

 そこには彼らを操る一人の女の姿がある。

 敵であったはずのチビスケは傀儡と化し、黒幕たるヒガミが四人を各々に操り、自身の踊りを伝染させていく。

 海外勢たちのようなド派手な技は組みこんでいない。かといって平易な、誰にでも踊れるような振付けばかりではない。シズクとフンマンのルーティンは、点描の絵画顔負けのキメ細かさだ。曲を曲として構成するあらゆる音をこれでもかと拾いに拾い、見ている者に息吐く暇を与えない。水迄やチビスケの合わせ技は、体格の差があってこそ実行可能な、ほとんどCGとしか思えないバランスと繋ぎ方で、強いて譬えるならば、大木を自在に駆け回るリスを彷彿とさせる軽業がメインに組みこんである。むろん大木たる水迄はその間、片手の態勢を維持しているというのだから、その体幹たるやちょっとした彫刻を思わせる。

 終盤、覚醒した三人にヒガミは追い詰められる。カマイタチの術を唱え、竜巻然と化したチビスケを駆使し、みごと追っ手を薙ぎ払う。最後に、ヒガミは地面に伏した四名から魂を奪い取るべく、拳を床に叩きつける。四人の身体は順々に波打ち、ちからを伝播させていく。いちばん端にいるのはチビスケだ。波がそこまで達すると、仰向けの状態から後転倒立の要領でチビスケは身体を浮かし、回転しながら片手の状態で静止する。いつぞやのイベントで観客を総立ちさせていたあの技だ。逆再生させたドミノ倒しさながらに、順々に伝播するヒガミの術は、最後に地面から生えるチビスケの足の裏から巻物を回収し、幕を閉じる。

 そういう演出だったはずだ。

 が、どうしたことか。

 ヒガミの動きが乱れ、ほかの四名との動きと乖離しはじめた。操り人形がただの自律式ロボットに成り果てていく。

 なにやってんだ、ヒガミ。

 フリがズレていると途中で気づいた様子だ。なんとか修正を測ろうとするものの、その所作そのものが観ているこちらにはもどかしく、それまで会場を覆っていた被膜がプツリと破けるのを感じた。

 最後までヒガミはほかの四名と動きが合わず、しかしほかの四名の息はピッタリだったこともあり、さほどのブーイングもなく、淡々とショーは終了した。

 アンコールなどあるはずもない。まばらな拍手が俺の顔を熱くする。

 舞台上からシズクたちが低頭の一つもなく立ち去ろうとしたとき、客席からブラボーと声があがった。明らかに野次と判る、嫌な明るさがあった。

 まばらな拍手を打ち消すような破裂音が、それもまた拍手の一つなのだろうが、会場に響き渡る。海外勢のダンサーどもが、シンバルを叩くサルのオモチゃさながらに頭上で両手を打ちつけ、ブラボー、ブラボー、と連呼する。

 周囲の観客が笑いだす。シズクたちは舞台上で固まったままその場を動こうとしない。

「なにやってんだ、引きあげろ」

 呼びかけるが、距離があるため、聞こえないのかもしれない。観客席から顔を背けていたシズクが、こんどは明確に海外勢へ向き直った。何を思ったのか、中指を突き立て、外国人に言ってはならない一言を居丈高に吐きつけた。

 怒鳴ったと言っていい。じっさいに唾まで吐きつけた。

 会場がいっとき静寂に包まれる。嘘偽りなく、音のいっさいが消え失せた。

 次点で、外国人たちの爆笑が張り詰めた会場をゆるやかに和ませる。

 リーダーの名前はたしかノイジィといったか。こちらに歩んでくるとそのまま舞台に登り、MCからマイクをひったくる。

「Hey,DJ」

 ブースにいるDJへ向け、英語で、曲を寄越せ、と命じる。DJは二階席に目をやった。主催者席がそこにはあり、男が一人、頭のうえで丸を描いた。

 途端に音楽が鳴りだし、会場を揺るがしていく。観客たちは投じられた宣戦布告に歓喜の声をあげ、盛りあがっていく。

 気づけば、舞台上には十人を超える外国人ダンサーたちが押し寄せ、ショーの失態を頭から拭いきれずに呆然と立ち尽くす暗黒舞踏団の面々と対峙している。

 勃然と落とされた火蓋の突拍子のなさに、みな一様に唖然としている。

 尻込みしても仕方がないこの状況にあって、シズクだけは背筋を伸ばし、相手を見下すように睨みをきかせている。

 それからさき、舞台上で繰り広げられたバトルを、俺は動画に収められなかった。とてもではないがあとで観る気になどなれなかったし、よしんば観られたとしても、ネットに投稿などできるはずもなかった。

 時間制限など端から決められておらず、どちらかが負けを認めるまでそれはつづくより終わる術を持たない。

 途中までは応戦していた面々もしだいに、ヒガミが抜け、フンマンが抜け、チビスケの体力が切れて、水迄のズボンの股のところが裂けた。それでもなお、シズクだけがただ独りきりになりながらも、バトルをしつづけた。相手が出て、こちらが出なければその時点で終われたはずだのに、息があがり、汗で下着が透け、華奢な体格や胸の大きさなど、あらゆる外的特徴を身振り手振りでバカにされながら、それでもシズクだけは最後まで諦めずに出つづけた。

 バトルは四十分間にも及び、そのあいだ、バトルとも呼べない公開処刑に見飽きたのか、或いは観ていられなくなった客たちが、一人、また一人と会場をあとにした。

 惨めだった。

 勝ち負けなど疾うについていながら、それでも弱者を甚振る快楽に抗えない男どもが、ただ独り、勝負を捨てずに挑みつづける女を、シズクを、もてあそんでいる。

 いっそのこと手でも出してくれたならば俺の出る幕をつくれるものを、律儀にもやつらは最後までダンスバトルの枠をはみ出す真似をしなかった。

 ほとんど朦朧とした意識で、千鳥足になったシズクを、水迄がようやく引き留めた。抵抗する余力も残っていないのか、シズクは、ヤダヤダと声だけで駄々をこねては、最後の最後まで、負けを認めない意固地な姿勢を貫いた。そのまま水迄に抱きかかえられ、楽屋へと戻っていく。彼女の頬に引かれた不本意な線はどこにも見当たらなくなっていた。

 チームのメンバーが壇上からいなくなるのを待ってから俺は、外国人ダンサーたちを呼び止めた。

 このままでは終われない。

 終わっていいわけがなかった。

 伝えたい旨を簡素に伝え、平和的にその場をあとにする。

 代償は高くつくぞ。

 俺の心に火をつけた代償は。

 あいにくとそれを伝えるだけの英語力が俺にはなかった。

 

 帰りの車内は終始通夜のような静けさだった。誰一人ダンスについて、とくにイベントについてしゃべろうとしない。場の空気を和ませようと気を遣っているのか、黙っていればいいものを水迄がおしゃべりをはじめた。熱狂してやまないというおすすめのアニメ映画、この国を代表するアニメ監督の出世作で、誰もが知っている名作なのだが、水迄がひとり一方的に捲し立て、ただでさえチーム内の陰気な雰囲気に磨きをかける。

 黙れと注意するのも癪で、俺は放っておいた。水迄の無駄口は地元に辿り着くまでのあいだつづいた。

 けっきょくシズクは不貞寝をしたままいっさい口を開くことはなく、ヒガミの不調の謎や、フンマンと水迄の確執など、いろいろなことがうやむやなまま、おっぱい横丁の駅前で、解散となった。

 帰ってひと眠りしたいところであったが、解散した直後に呼び出しの連絡が入った。相手は猫二湖晩(ばん)だ。俺にこの七面倒な話を持ちかけてきた女である。

 指定されたホテルのラウンジに行くと、衣装かと見紛うドレスを着飾った猫二湖が出迎えた。そのまま最上階のレストランに連れて行かれる。

「進捗の具合はどうですか」

 給仕が去ってから口火を切った彼女に俺は、

「まあまあだ」と応じる。「可もなく不可もなく。優勝できるか否かは今のところ五分五分といったところだな」

「なによりですね。送っていただいた動画を拝見しました。思っていたよりもがんばっていただけているようで」

「皮肉か」

「本音です。もし五分の確率で優勝できるチームを真実につくれているというのなら、それは本当に奇跡的なことなのだと私などは感心するに余念がありません。逸材を掘り当て、さらに機能するチームに組み上げる。これというのはみなが考えているよりもずっと骨が折れる作業なのです。ほんとんど運のよさに左右されると言っても言い過ぎではありません」

「運のよさ、ね」

 その点は同意するにやぶさかではない。事実、さいしょにシズクを見つけていなければいまのメンバーには出会えてさえいなかっただろう。

「その調子でショーの完成度のほうをあげていってくださるとこちらとしても満足です。依頼した甲斐があったなと」

「さっそくで申しわけないが、きょうはなんの御用で」

 彼女の言葉を遮り、本題に入るようせっつく。

「お疲れのようですね。お呼び立てしてすみません。そうですね。では要件をお伝えします。依頼内容の変更についてです」

「と、いうと?」

「任意のコンテストで優勝できるチームを編成し、じっさいに優勝すること。これがあなたに課した条件だったかと思います」

「依頼内容くらい憶えてる。それで?」

「チームを編成し、コンテストに参加するところまでは継続して実行していただきたいのですが、その後、コンテスト、おそらくこのままいけば本戦に出場することと存じますが、そこで是非とも万全を期さず、全力を出しきらないでいただきたいのです」

「よく解らんな。予選の動画審査は通過し、しかし決勝の舞台では手を抜けと?」

「ありていに言えば。もっとも、五分五分とおっしゃられたあなたの言葉を信じるならば、決勝の舞台であっても難なく優勝されるとは思ってはいません。ですからこれはええ、保険のようなものだと思ってくださってけっこうです」

「どういう心境の変化だ。あんたら、俺らの使う曲のアーティストを売りだすために、その宣伝に俺らを利用する手筈なんじゃ」

「その問題のアーティストが妊娠してしまいまして」

「あぁ?」

「ここだけの話にしてくださいね。アイドル路線で売りにだしているというのに、なにを勘違いしたんだか、売れない声優に種をしこまれたらしく」

 思いのほか下品な物言いをする女だ。

「それで売りだすのをやめたと?」

「その代わり、ほかのアーティストをバーター、代理に立てることになりまして」

「今から曲を変えろだなんて無茶は言わないよな」

 曲に合わせ、イチからフリを再考する時間はない。

「ええ。ですからあなた方を利用するのは中止し、飽くまで優勝チームの引き立て役として活躍していただきたいのです」

「当て馬になれと?」

「勘違いされては困ります。端からあなた方はアーティストの当て馬、引き立て役なんです。それがほかのチームの当て馬に役柄が変わったにすぎません。むろん報酬は、イベントが滞りなく終了すれば約束どおりお支払いいたします。優勝賞金を手にする機会はなくなってしまうわけですが、報酬のほうに色を付けておきますので、それを以って落としどころとしていただければと」

「端から五分五分の賞金を当てにするよりかはマシだと思えと?」

「そうは言っていませんが、しょうじき私どもが目をかけているチームの優勝は揺るぎないかと」

「俺たちでは優勝できないと?」

「ええ」

 口元だけで微笑み猫二湖は、

「むろん勝負ごとに【絶対】はありませんが」と言い添えた。

 考えさせてくれと言ったが、依頼しているのはこちらです、あなたに拒否権はないものかと、とにべもなく突っぱねられ、バカ高いとしか言いようのない料理が運ばれてくる前に俺は席を立った。

 シズクが知ったら、なんで食べなかったの武藤さんはバカだなぁ、と陽気な様で慰めてくれたかもしれない。断るまでもなくシズクに俺を慰めているなんてつもりはつゆほどもなく、俺のほうでかってに癒されるだけだ。

 惨めだ。

 なにもかも惨めだ。

 俺はいつだって他人の影に回り、こそこそと安全な場所から他人を操り、陥れる人生を歩んできた。

 無力なのだ。

 俺がいかに尽力したところでシズクたちを優勝させてやるなんて真似はできない。たとえ優勝できたとして、それは十割、掛け値なしにシズクたちの実力だ。俺の手柄などではあり得ない。

 おもしろそうだからと本来立つべきではない領分に手を出してしまった。せめて足のほうを出せばいいものを、できもしない逆立ちをすべく、俺は無様に道化を演じている。

 報酬を当てにしてずいぶんと散財を繰りかえしてしまった。必要経費だと言って請求すればそれくらいのあぶく銭、猫二湖なら二つ返事で振りこんでくれるだろう。だがなぜか請求しようという気力が湧かず、かといって余裕があるほど貯蓄があるわけでもない。

 依頼を引き受けるほかに道はなく、そうする未来しか残されてはいない。

「なんて言やいいんだ」

 頭を抱えそうになったところで、はっとする。なにもバカ正直に打ち明ける必要はないのだ。これまで同様、俺の都合などは話さずに、何食わぬ顔で大会に臨めばいい。

 メンバーたちの結束が綻びている現状、十中八九このままでは優勝できるはずもない。動画選考すら危ういが、あいにくと動画は撮り直しがきく。本番一発勝負とは異なり、できそこないの箇所はなんどでも修正可能だ。

 ごまかし、ごまかし、動画を撮り、予選だけあがってしまえば、あとのことは俺の預かり知るところではない。

 こんなに気分が浮かないのはいつ以来だろう。

「仕事だよ仕事」

 じぶんに言い聞かせる。

 金のために、依頼主のために。

 ついでに僅かな自由を満喫できればそれでいい。

 なにも悩むことはないのだと結論付け、自宅マンションへと舞い戻り、熱いシャワーを浴びた。引っ越す腹だったがその分の費用がなく、未だに住み慣れた部屋を離れられないでいる。あす、気が向いたら荷造りだけでも済ませておこうと、なにともなしに考える。


 

      (四)

 休養日を挟んだ翌日。

 集合時間になってもヒガミは現れなかった。フンマンに訊ねるが、知らねぇっす、とにべもない返事をいただき、どうしたんだあいつ、と水迄に向けるも苦笑されるだけで判然としない。

「さ。本番まであとすこし。やろうども、気合い入れていくぜぃ」

 ただ一人いままでどおりなのがシズクだ。何事もなかったかのように、さもイベントなど参加しなかったがごとく飄々とした佇まいで、ストレッチをはじめる。

 心配そうに見守っているのはチビスケだ。

「なぁに。へんな顔して」シズクは手招きし、おびき寄せたチビスケを股のあいだに座らせた。背中を押し合いへしあい、仲良く身体をほぐしていく。

「さすがに筋肉痛になっちった。何ムーブしたかわかんないよね。三十はいってたんじゃない? や、もっとか」

 イベントでの即席バトル、彼らの言葉で形容すればコールアウトについて平然と口にしていく。愚痴のようでいてそこまで刺々しくはなく、飽くまでも過去のできごとを振りかえっているだけだと判る。

「――で、たぶんあのひとら、あたしらがトリなのが気に入らなかったんだろうね。なんでオレたちのほうが上手いのにアイツらがトリなんだ、ふざけんじゃねぇてな感じで。あ、そういや武藤さんさ」

 声をかけられ、心臓が跳ねる。

「バトルの動画。あとで観してよ。撮ってたでしょ」

「いや、撮ってなかったんだ」

「えぇええ、なんでよー」

 非難の声をあげられるが、理由を言うのも億劫で、充電が切れててな、とそれらしい言葉でお茶を濁す。

「どしぇー。あんな機会二度とないよー? うわー、まじかぁ」

 悔しそうにするシズクに水迄が近づき、メディア端末を差しだした。

「ん?」

 受け取り、シズクが画面に目を落とす。

 俺も近寄り、シズクの背後から覗き見た。イベントの動画だった。来ていた客だろう、幾人かが情報共有サイト【ヤマネ】にイベントの動画を投稿している。コールアウトの動画もばっちり収められている。

「うっはー、ぜんぜんダメじゃんね」

 気恥ずかしそうに頭を抱えるシズクは、それでも徹頭徹尾、幼い日の自分を眺めるような穏やかな面持ちで、動画を、自分の踊りを確認していく。

「気にしてないのか」ふと口を衝いていた。

「気にして?」

 何を、とシズクがこちらを見上げる。彼女の背中に密着していたじぶんを意識し、俺は急いで身体を引き離す。

「何をって」

 しどろもどろに応じる。「素人目にもあれがダンサー同士のおふさざけじゃないってのは判る。プライドか何かは知らんが、たいせつなもんを賭けて挑んだんだろ。それがおまえ、そうやって笑って済ませるようなもんだったのかよ」

「どうして武藤さんが怒ってんの」

「怒ってはねえよ」

「べつにそんなたいそうなもんじゃないよ。売られた喧嘩を買っただけ。それ以上の意味はないし、あたしは何も賭けちゃいない。あのバトルにはね」

 つよがりには聞こえない。虚勢ではないと判るだけの軽さがある。他方で、動画に映るシズクの踊りからは、燃えさかるような魂の咆哮が見てとれた。何を賭けてもいいからかかってこいよと全身から闘志を発している。

「あ」

 と、ふいに声をあげたのは水迄だった。視線がいっせいに集まる。

「どうした」

「いえ、このひと」

 水迄はメディア端末の画面をゆび差した。一時停止された動画を引き伸ばし、相手側のダンサーたちの一人を拡大して映す。

「こいつがなんだ」

「このひと、たぶんですけどリヴァルさんじゃないかなって」

「あ、そうかも」

 シズクはフンマンを呼び寄せ、輪の中心に座らせる。「このひと、リヴァルさんだよね」

「あー、そうっすね。これってこのあいだの?」

 イベントの動画なのか、という意味だと解釈し、そうだと応じる。

「リヴァルさん来てたんすね」

 フンマンとヒガミは出身こそ関東だが、長年関西で活動し、向こうのダンサー事情には明るいらしい。

 動画ではリヴァルなる男が、舞台の奥のほうで、海外勢に紛れてバトルを静観している。

「あれ。でもあのひと二度とチームは組まないって言ってませんでしたっけ。いつからサイレントキルに?」

「単に居合わせただけじゃない? 海外でも活動してたことあるって言ってたし。てかそんなこと言ってたの? あたし誘っちゃったじゃん。そりゃ断られるわなぁ」

 ダンサー談義に花を咲かせていくシズクたちを尻目に俺は、フンマンのセリフに違和感を覚えていた。なにかが引っかかる。しかしなんだ。

「あのう、サイレントキルっていうのは」水迄がおずおずと言った。

「オレらがバトルした相手っすよ。リーダーのノイジィは知ってますよね」

「でもあそこのクルーは【C-WALK ALONE】という名前なのでは」

「正式名称はね。でも呼びにくいでしょ。だからリーダーのノイジィ(喧騒)にあやかってサイレントキルって呼ばれてる。静寂を切る者。まさしくノイジィ」

 ひとたび踊れば、誰もが沸かざるを得ない。

 言い得て妙なチーム名だと思い、反面、引っかかりの正体を掴めた。

 が。

 俺は首をひねる。

 偶然だろうか。にしては合う符合が多すぎる。ノイジィなるダンサーがジャッジとして招待されたイベントではダンスによる博打が行われ、その裏では新型危険ドラッグが跋扈し、かと思えば件の外国人ダンサーたちのチーム名が新型危険ドラッグと同じとは。

 考え込んでいると、

「さあてきょうも踊りますか」

 シズクが立ち上がり、さっそくフリの確認をしていく。本番に向け、いくつかの修正点がある。気の抜けない日々はまだつづく。

 イベントに出たのは間違いではなかったのかと後悔しかけていた。杞憂で済んだようだと判り安堵する。彼らの情熱は俺が思っている以上に熱く、ただ熱く燃えさかっている。巨人に息を吹きかけられようが、そうそう容易く消え去る炎ではない。

 つぎなる目標へとしっかりと焦点を合わせた面々に、俺は事細かく修正点を伝えていく。


 用事を済まし、暗くなってからマンションに戻ると玄関にかけていたはずのチェーンロックが外れていた。細工をすれば外からでもかけられるチェーンロックを、俺は防犯上都合がいいと思い、出かけるたびにかけていた。

 チェーンは外されたままになっている。相手にこちらへの害意がないことを察し、俺は堂々と部屋に乗りこんだ。

「おかえりなさいませご主人さま」

 ソファにふんぞりかえり、労いの「ネ」の字もない口調でふざけた挨拶をくれたのは、俺の第二の依頼主、京極会の若頭だった。

「きょうはおひとりですか」

「そうよ。だってザイちゃん苦手でしょ。大勢でわいわいするの」

「要件はなんですか」

「あら、不機嫌」

「そんなことは」

「顔色わるいわよ。疲れてる? 癒してあげましょうか」

 ゴリラでも殺せそうなガタイをしているくせに何を言うのか。笑いたくなったが、同様にクマでも殺せそうなガタイの水迄があんな性格であるから、笑うに笑えない。

「あらら。本当にヘンね。ま、そういう日もあるわよね」

 読んでいたらしい本を、むろんそれは俺の所有物であるのだが、テーブルのうえに置き、若頭はソファから立ち上がる。サングラスをかけ、こちらの脇をとおりすぎると、玄関に向かって歩きだす。そのまま出ていってくれるのかと思っていると、

「忘れてるわけじゃないだろうけど、約束の期限、とっくに過ぎてるわよ」

 玄関の扉を手で支えながら彼は、思いだしたように言った。「きょうのところは友人の家に遊びに来ただけだから帰ってあげるけど、つぎは組の者として、依頼主として会いにくるわ。失望だけはさせないでちょうだいね。これ以上、失くしたくないからさ」

 トモダチってやつ。

 言い残し、去っていく。部屋に明かりは灯っておらず、ソファのよこの簡易照明だけが僅かに暗がりを押しのけている。

 

 三日目にしてようやくヒガミが練習場に顔を覗かせた。フンマンに言いつけ、無理やりにでも連れてこいと命じていた。彼らの滞在費はすべて俺持ちであり、いわば大家の顔を併せ持っているのだが、よもや最終勧告ばりの脅し文句を口にしなければならなくなるとは思ってもいなかった。本音を漏らせば、ちょびっとは思ってはいた。

 文化センターの交流ホールは相も変わらずカオスな様相を呈している。あらゆる人種の立てる物音が激しい不協和音を奏でているため、そこに音源を流すのは不法投棄されたゴミの山にトラックいっぱいのゴミを放擲するようで心が痛む。

「お互いさまだからいいんだよ。ここはそういう場所なんだし」

 しれっと音源を大音量で流しはじめるシズクからは、他人への配慮というものが感じられない。ダンスのこととなると視野が狭くなるは考えものだが、この合同練習会もあと数えられるくらいしかないと思えば、いまだけみなさん、目をつぶってください、と手を合わせて回りたくもなる。

「おい」

 着替えの終わったヒガミを呼び止め、俺は言った。「なにやってたんだ、いままで」

「体調崩してた」

「病院には行ったのか。そういうことは俺にも一言相談を」

「そういうのホントウザい」

 胸を押され、俺はひるむ。

「ただの生理だし」

 捨て台詞を残し、ヒガミはかわいらしい姿に似つかわしくのない足取りで、それはほとんど蟹股なのだが、ドタドタとメンバーたちのもとへ突っ込んでいく。やっときたー。シズクが無邪気に抱きつくが、ヒガミはうるさそうに肩に絡まったシズクのうでを振りほどく。ヘビが首に巻きついたってもうすこしやさしい手つきで解きそうなものだ。

 穏やかにとは呼べないが、かといってとくべつ大きな問題も起こるわけでもなく、コンテストの動画投稿締切日が一週間後に迫ったその日、俺は練習前にメンバーを集めた。祝日ということもあり、チビスケや水迄も揃っている。

「本番用の動画はあさって、水迄の職場で撮ることにした。午後六時にここに集合。ワゴンを借りてくっからそれで現場まで連れていく」

「ユウナさんの職場って?」フンマンが律儀にも手を挙げ、「なんの仕事してるんすかユウナさん」

「学校だ」俺は応じる。「私立の高校で、校長の許可は得てある」

 そうなんだろ、と振ると、水迄はええと頷いた。

「あさっては休日ですし、生徒はいません。もっとも撮影は夜ですからどっちみち関係はないんですけど」

 校舎には長い渡り廊下がある。全面ガラス張りで、窓のそとには裏山に茂る竹ばやしが広がっている。街灯の明かりに照らされ、竹林の影が闇夜に浮きあがって見える。廊下そのものにも笹の葉が影をつくり、折り重なったジグザグが天然の屏風、大道具と化している。

「下見は万全だ。あとはおまえらのダンス次第。衣装を持ってきたから、あとで着て動きに支障がないかを確認してくれ。それからシズク」

「あい?」

「ワゴンのほうは俺が借りてくっからおまえはあす、水迄といっしょに撮影機材借りてきてくれ。そういうの詳しいだろおまえ」

「そりゃ偏見ってもんでしょ」

 あたしじゃなくてヒガミンのほうが詳しいんでないの。

 何気なく、本当になんの臆面もなく言ったはずのシズクに、知らねぇよ、と毒気のある、というよりも毒そのものを返したのは現状最大の懸案人物であるヒガミなのだが、そんな言い方ってないように思うのは、俺がダンサーではないからか。そんなはずもなく、

「そんな言い方しなくとも」

 案の定、シズクは傷ついた顔を浮かべた。

 本番を前にしていがみ合われても面倒だ。敢えて触れずに、ショーの最終確認をしていく。

 帰り際、俺は水迄を呼び止めた。繁華街の居酒屋まで連れていく。ほかのメンバーには内緒の密会だ。

「どうしたんです。珍しいですねぼくを誘ってくれるなんて」

「おめぇが忙しそうだから誘いたくとも誘えなかっただけだ」

「初めてお会いしたとき以来じゃないですか」

「あのときはヒガミもいたがな」

 言ってからちょうどいいと思い、まどろっこしい前置きを省いて、

「まさにそのヒガミについてだ」と口火を切る。「さいきんのあいつは端から見てたっておかしい。あのイベントから帰ってきてからだ」

「ミスを引きずっているのかもしれません」

「いいや。あいつがおかしくなったのはショーの前、まさに直前からだ」

「そうですか?」

「おまえら二人、あのときどこでなにしてた」

「ですからフリの確認をしに」

「なぜ隠す。フンマンからはもう話を聞いている。隠さなくたっていい」

「あー……」

 押し黙る水迄にはわるいが、カマをかけさせてもらった。フンマンがなかなか口を割ろうとしないからこそこうしてわざわざ水迄を、口の堅そうなこの男を呼びだした。俺が知っているのは、あのとき何かがあったという、その確信だけだ。

「じつは告白というか、カミングアウトをされまして」

「それで」

「ムリですと答えたら、泣かれてしまい」

「泣いていたのか」

「そのあとでフンマンくんがきて、その場面を目撃されてしまい」

「で、どうしたんだ」

「誤解をさせてしまったようで」

「ひどいことをしたと思われたのか?」

「どうなんでしょう、そういうことではないとは思うんですけど」

 間のわるいことに、そこへ何も知らない俺がやってきたという顛末か。

「俺は飽くまでおまえらのスポンサーだ。プライベートな問題に口をだそうとは思わん」

 前置きしてから、しかし、と続ける。「これからが正念場ってときにショーに影響が出そうな問題を放っておくわけにもいかねえ。それは解るな」

「ええ」水迄はお猪口を指先でもてあそぶ。ぶっとい指だ。ただでさえちいさなお猪口がさらにちいさく映る。

「誤解は解いておけ」

「ですが」

「ヒガミを脅してでもその告白とやらを聞きだし、フンマンに知らせてやってもいいんだぞ」

「それはさすがに」

「だったら解るだろ。あいつらはともかくおまえはオトナだ。何を優先すべきかは判断できるはずだ」

「たかがダンスじゃないですか」

 思いがけず鋭い舌鋒を向けられ、たじろぐ。口調だけではなく、紡がれたセリフそのものが水迄らしからぬ剣を帯びており、俺は堪らず訊きかえした。「なんだって」

「ぼくらのしていることはしょせんお遊びじゃないですか。いくら賞金が出るからって、それで食べていけるわけじゃないんです。何かに夢中になって、一生懸命になる。それはいいですよ。たいせつなことです。ただ、健全に、目のまえのやるべきことを日々こなしていくことも同じくらいたいせつじゃないですか。好きなことだけをやっていける人ならそれでもいいと思いますよ。でも、ぼくらは違うじゃないですか」

「なにが言いたい」

「ダンスのために人の気持ちを踏みにじるような真似はすべきじゃないです」

「なに言ってんだいまさら。優勝したくねぇのか」

「優勝はしたいですよ。いえ、ぼく自身はしょうじきどうでもいいと思っているのかもしれません。ここまで積み重ねてきたことを無駄にしたくないという思いはあるにはありますけど、それ以上を望んでいるわけでもないんです」

「分からんな。ならどうして参加したんだ。わざわざ時間つくってまで」

「それは……」

「シズクか」

 言うと水迄は顔を伏せた。

 分かりやすい男だ。嘘を吐く場面で、吐くべき嘘を吐けずに黙りこくることでしか急場のしのぎ方を学ばない。

「そういや借りがあるとか言ってたな」

 水迄を紹介されたとき、シズクがそんなことを言っていたのを憶えている。

「むかしの話です」

「話してはくれないのか。たしかに俺はしょせん部外者だ。おまえら使って輪っかをつくることはできてもそこには入れねぇ。だからって理解し合うことを放棄したつもりはねぇんだぞ」

 これでもおっさんはおっさんなりにがんばってんだ。

 嘆くでもなくぼやくと、

「おじさんというほど老けてはいませんよ」

 ズレたフォローをもらい、調子が狂う。

「ちいさいころは病弱だったんです」

 水迄はぐいと焼酎をあおった。「心臓が弱くて、二十歳まで生きられないと言われてました」

 突然の話題にむせかえる。

 語り慣れた調子で話しだすものだから、俺としても、どこまで本気なのかを推し量れずにいる。

「ちょうどよくドナーの方が見つかって。退院してからしばらく経ってからです。それまでの入院生活の反動だったんでしょうね。身体を動かしたくて仕方なくなって。気づくと音楽に合わせて踊ってました。自己流ですよ。教えてくれるひとも、友人だっていませんでしたから。でも、踊り方なんてないんだ、自由なのがダンスなんだって、なんとなく最初から理解していたような気がします。二年くらい受験勉強漬けの日々でした。大学にどうしても行きたくって。息抜きにとつづけていたダンスで、これまでにできなかったトモダチができ、仲間ができました。ぼく、ほんとうは医者になりたかったんです。でも、なかなかむつかしくて。ようやく受かった大学で、彼女と出会いました」

「それがシズクか?」

「いえ。彼女の親友です。ひと目惚れでした」

 恥ずかしげもなく述懐する水迄はお猪口の底を見つめている。

「お付き合いする仲になった直後に、重伊花さんとは知り合いました。いまもむかしも彼女は友人思いのやさしいひとです。交際は順調だと思っていたんですが、なにぶん初めての恋愛で。どうしていいか分からず、アタフタしているうちに愛想を尽かされちゃいまして。重伊花さんにはそのときにとてもお世話になったというか、面倒をかけてしまって」

 直後にシズクは街を離れ、水迄はダンスをやめた。

「医者はムリだと判って。途中で進路を変えました。いま思えば、教員になろうと思ったそもそものきっかけが、重伊花さんだったのかもしれません」

「よく分からん話だな」

 茶化しながら俺は、着替えの際にぜったい他人に肌を晒さなかった水迄の姿を思い起こし、キャラモノのTシャツを好んで着ていた背景を想像した。彼の筋骨隆々とした肉体を、胸の厚みをまじまじと見つめる。

「傷跡がけっこう生々しいんですよ」

 視線に気づいたのか、水迄は胸を掻くようにした。「ぼくが見られる分にはいいんですけど、やっぱり見ちゃったほうは気分がいいものじゃないじゃないですか。できるだけ隠れればいいかなって」

「だからインパクトつよい柄を好んで着てんのか。逆に注目されんじゃねえのか」

「いえ。国柄なんですかね。見ちゃいけないものには目を合わせようとしないんですよ。道を歩いてても僕に視線を向けてくるひとなんて、いまじゃほとんどいませんよ」

 得意げな水迄にはわるいが、有象無象の通行人が彼と目を合わせようとしないのは、キャラモノのTシャツどうこうよりもむしろ、彼の屈強な肉体のほうにこそ原因があるように思えたが、人間の身体は縮まないようにできている以上、解決策のない問題を自覚させてやることほど慈悲のない行いはないもので、だから俺は、

「さすが医者見習いだっただけのことはある」

 頭のつくりがちがうねぇ、と褒めてやった。

 

 動画収録当日。俺はワゴンを借り、待ち合わせ場所である文化センターに向かった。

 ふだんどおり、すでに集合している面々は身体を動かし温めている。

 言いつけどおり撮影機材も借りてきてある。俺一人でも充分撮影可能な、高画質高性能の最新機種だ。

 水迄の説明を受けながらためにしにストレッチをしているフンマンにレンズを向け、撮ってみる。ただそうしているだけの映像なのに映画のワンシーンでも観ている気分になる。身体を捧げることでしか愛を繋ぎとめられない男が、それでも愛する男のためにきょうも色気を磨いていく。

「こんなん詐欺じゃねえか」

「ひどい!」

 聞こえていたようだ。フンマンが前屈をしながら顔をゆがめた。

 着替えは学校に着いてからにし、さっそくワゴンに乗りこむ。学校へ向かう。ワゴンを降りたところで、

「このあいだはありがとうございました」水迄が小声で言ってきた。「きょう、ヒガミさんと話してみようと思います」

「いい心がけだが、撮影のあとにしろな」

「なんでですか」

「おいおい、ダンスってのは精神の影響がモロに出るんだろ。撮影前に妙な動揺与えてくれるなよ」

「あ、そうでした。ぼくだけが気持ちを軽くしても意味なかったですね」

 シズクも大概だが、この大男もなかなかどうして他人への配慮に欠けている。

 完全に日が暮れてから撮影を開始した。まずは通しでフリを踊り、撮影した動画を観ながら微妙な調整点を挙げ連ねていく。

 予行演習のイベントと大きく異なるのは、舞台が渡り廊下である点だ。一つの舞台上で披露していたフリをパノラマよろしくよこに長く展開していく。巻物を意識した構図である。

 移動していくシズクたちに合わせ、カメラマンたる俺もまた移動していく。

 すべてワンカットで撮影する。ミスは許されない。撮り直しがきくとはいえ、回を重ねればそれだけ疲労がたまる。こと、チビスケや水迄への負担は計り知れず、リハーサルを終えたつぎの一発で終わらせるのが理想的だ。

「準備はいいか」

「待って。せっかく月が出てるんだから、雲がどけてからにしよ」

「逆光にならねえか」

 校舎内に明かりは一つもない。闇同然だ。かろうじてそとからの明かりが仄かに差しこんでおり、窓に沿って足元に竹林の影がずらりと並ぶ。

 暗がりには、忍び装束に身をまとわせた五人の影が――いや、光がある。

 発光ダイオードを衣装に仕込み、身体の輪郭が浮かびあがるようにした。ひと目で忍者だと判る柄を描いており、デザインを考えるのに苦労した。さいわいにもフンマンがその道に明るく、元になるデザインを考案してくれたおかげで、大幅に資金を節約できた。外部に発注するだけで今回借りた撮影機材一式がまるまる買える。とはいえ、それを差し引いても衣装代はバカにならない。が、掛けるべきところには金を掛けるべきだ。ここで妥協したところでいいことは一つもない。

 撮影は思いのほか順調に進んだ。しょっぱなに衣装のスイッチを押し忘れたチビスケのせいでリテイクになったが、踊りはじめる前だったので問題はない。

 仕切り直したつぎの撮影で目立ったミスもなく撮影を終えた。

「ずいぶんスムーズにいっちまったな」

「逆に不安だよね」

 カメラに繋いだディスプレイを囲み、撮ったばかりの動画を確認していく。

「おー、いいんでない」

「決勝の舞台までに衣装のほうをもうすこしグレードアップさせとくか」

「ぼくに案があるんですけど、やってみますか?」

 その案とやらを詳しく聞いてみるも、シズクがいい顔をしなかった。

「俺はおもしろいと思ったがな」

 まとめてしまえば水迄の案というのは、発光ダイオードを任意のタイミングで点いたり消えたりするように設定することで、フリの構成に合わせてダンサーが舞台上で神出鬼没に入れ替わり立ち代わり、瞬間移動にも似た動きで、視聴者を翻弄するというものだ。

 生身のままでは不可能な動きを、観ている側に印象付けられる。腕の明かりを消せば、腕だけ消失したように見え、あべこべに腕だけを光らせれば、腕が宙に浮かんでいるように見える。二人一組でそれをすれば、腕を切られた人間を演出するなんて造作もない。

 まさに忍者にはうってつけの演出方法だ。

「なんでダメなんだ」シズクを見遣る。

「だって、それってレッキンクルーのパクリじゃん」

 前例があるらしい。

「演出がちがいます」

 反論するつもりがあるのかないのか、水迄は半ばパクリであることを認めながらも、問題はないと主張した。

「ぼくらは飽くまで補助として、踊りを強調させるために使うんです。それがなければ成立しないダンスではないですし」

「だったらなくたっていいじゃん」

「それを言いだしたら衣装なんていらないし、こうしてロケをする必要もなくなっちゃうじゃないですか」

「でも、パクリってぜったい言われる」

「そうだな」そこは俺も同意した。「前例があって、しかもそれが有名どころの特徴と一致してるってんなら、叩かれるのは必須だ。よほど演出上の利点があるってんなら別だが、どうなんだ。あるのか」

「やってみなきゃ分からないってのはありますけど、ただ、ぼくらのショーは浮世離れしていればいるほど観客を引き込める類のショーだと思うんです。観客にダンスを観ている、と意識させた時点で、ぼくらの目論みは半分外れるようなもので。たった数分のあいだに観客を魅了させなきゃならないわけですからなおさらです」

「インパクトがだいじってことか」

「インパクトもだいじって話です」

 ダンスだけでは表現しきれない世界観を、小道具や演出で以って強化する。俺たちの目指している大会はただのダンスコンテストではない。飽くまで客を楽しませることに主眼を置いた、エンターテインメントだ。

「やれることはやったほうがいいと俺は思う」

「そんなのヤだ」シズクは駄々をこねこね、駄々コネ姫になった。

「フンマンはどうだ」と多数決に持ち込もうと目論む。

「オレは優勝できるならそれでいいっすよ」

「ヒガミは?」

「どっちでもいい」と興味なさげな様子だ。

「チビスケ、おまえは?」

「シズク、イヤなんでしょ」と、こんな場面でもシズクの顔色を窺うこいつは、ブレないという点で、もっともしっかりしている男かもしれない。信念と呼んでもいい。情けない信念ではあるが。

「ヒガミを抜きにして、三対二だな」

「ずるい。多数決で決めるなんて言ってないのに」

「いや、ぼくはべつにどっちでもいいんですけど」とここにきて水迄が優柔不断な態度をみせた。

 どいつもこいつも――。

 俺は頭にきた。

「やる気あんのかてめぇら。なんのためにここまでやってきたんだ、いっぺん考えて頭冷やせ」

「武藤さんこそなんのためにあたしらといっしょにいんのさ」

「優勝するために決まってんだろ!」

「あ、そう!」

 なぜか逆切れされる。売り言葉に買い言葉――などという気はさらさらなく、こちとら正論を吐いたまでの話なのだが、なにゆえ悪者扱いされなきゃならんのだ。

 ほかのメンバーに目を転じると、やはり俺のほうに非があるような冷めた目を向けられる。

「あー、はいはい。わるかったって。おめぇらがやりたくねぇってんなら部外者の俺がどうこう言ったってはじまんねぇだろ。この話は終いだ、終い。動画はこっちでかってに投稿しとっから、選考が終わるまでのあいだ、しばらく各自、自主練な。集まるにしてもおめぇらだけでやれ。以上、撤収」

 ひと息に捲し立て、機材を片づけに入る。

「なんも解ってないじゃん」

 シズクがぞんざいに衣装を脱ぎ捨てるが、俺は素知らぬ体を貫いた。

 

 翌日から俺は、もう一方の仕事に専念した。京極会の若頭からの依頼だ。

 以前、クスリの偽装通販サイトのソースを調べるよう頼んでいた解析屋に連絡をとり、とっくに出ていた結果を受け取った。

 オーナーについては解らなかったそうだが、サイトに頻繁にアクセスしている人物のうち、この街にいる人物のIPアドレスを抽出してくれた。それだけでも充分だったが、長年のよしみだと言って、解析屋はさらに問題のIPアドレスを追跡し、それの利用している各種サイトを割りだしてくれた。

 サイトのなかにはアカウントを必要とするサイトも含まれており、サーバーをハックした解析屋は、そこから入手した情報を元に、問題のIPアドレスの主、正確にはIPアドレスを保有する端末の置いてある部屋を割りだした。

「住所はいつもどおり、封書で送っといたから」

 デジタルの魔女を自称しておきながら取引にはむかしながらの伝達手段を愛用する。以前に妙な性癖だと非難したことがあったが、解析屋いわく、

「デジタルなんざザルもザル。利用しているやつの気が知れないね」とのお言葉だった。

 いったん部屋を出、ポストを開けにいく。俺のポストではない。三件となりの空き家のポストだ。名義は違うが、その部屋もじつのところ俺が借りている。案の定、封書以外は入っていなかった。

 遅めの朝食をとりがてら、仕入れた住所に歩を向ける。

 雑貨ビルに囲まれた裏路地にそのカフェはあった。おっぱい横丁から近いが、ここに店があると知っている者でなければまず足を踏み入れないだろう区画に建っている。看板が出ていないので休みかと思ったが、階段をのぼり、入口の扉を引いてみると、抵抗なく開いた。

 扉に備えついた鈴の音が鳴り、店内にいた客の一人が、というよりも客はそいつしかないのだが、振り向いた。

「え、なんで」

 すっとんきょうな顔を向けられるが、それはこちらのセリフだった。

「なんでおまえがいんだ、シズク」

「だってここ」

 言いかけてから彼女は店内を見回すようにし、それから、バイト先だし、と言った。その割には制服を着ていない。

「偶然ってやつはおそろしいな」

「ていうかあたし、この店に客が入るの初めて見たかも」

 なかなか姿を現さない店員に業を煮やし、というよりもシズクが何も言ってこないので致し方なく俺は、案内されるよりもさきに彼女のもとに近づいた。彼女は一般席に座っておらず、カウンター席で、旧式の据え置き型メディア端末を操作していた。

 真剣な姿に思わず陽気が零れ落ちる。

「なに。へん?」

「いや、えらいなぁと思って」

「はぁ?」

「おまえ、働いてたんだな」

 心の底から感心すると、

「武藤さんさ」

 シズクは唇を窄めた。「あたしのことなんだと思ってんの」

 話を聞くにかぎり、ここは知り合いの店らしく定期的にバイト感覚で手伝っているのだそうだ。年中閑古鳥の鳴いている店だそうで、シズクにしてみてもバイトというよりも店番、いや留守番といった感覚らしい。

「店員は?」

「だからきょうはあたしだけなんだって」

「注文とかとらなくていいのか」

「さっきも言ったけど、初めてなんだよね」

「あ?」

「お客さん入ったの。だからどうすればいいのかなんてさっぱりだったりするわけですよ」

「コーヒーくらい淹れられんだろ」

「あー、バカにしてる。あれってけっこうめんどいんだよ武藤さん知らないの」

 インスタントばっかり飲んでるからだ、といらぬ文句を鳴らされる。

「で、今はなにしてたんだよ」

 やることもなく、かといって店内をかってに物色するわけにもいかない。俺はシズクのよこに顔を寄せ、端末の画面を覗き見た。

「仕事してると思ったらダンスの動画かよ」

「わるい?」

 つまらなそうに言い、シズクは急にはっとした様子で、俺から距離を置いた。椅子ごとよこに移動し、ひざを抱え丸まった背中をこちらに向ける。

「なに避けてんだよ。きのうのこと、まだ根に持ってんのか」

 気まずくなる仲だったことをいまさらながら思いだした様子だ。踊っているときにはあれほど隙がないというのに、私生活ではこうまでも間抜けている。

 回転式の椅子らしく、くるくる回りながらシズクは言った。「もう応募した?」

「ん?」

「動画。あたしたちの」

「したした。先着順にサイトで公開しているらしくてな。人気投票はまだだが、再生回数は有効だ。ランキング、もう出てんじゃねぇのかな」

「じゃあもう観れるんだ」

「観てみるか」

「うん」

 椅子ごと滑ってきては、俺の肩にぶつかり、勢いを殺す。謝罪の言葉はなく、さきほどまで漂わせていた気まずさも、いまは微塵も感じさせない。ダンスの話題になった途端にこれだ。

「うわ、こんなに」

 投稿された動画の数に驚いている様子だ。俺もここしばらくサイトには目を通していない。現状一位のチームが気になった。端末を操作するシズクから主導権を奪い、再生回数一位の動画を再生させる。

 目を剥いた。

 画面には見知ったチームが映しだされている。

 サムネイル、紹介用のちいさな画像では気づかなかったが、この踊り、ダンサーたちは忘れようにも忘れられない。

「サイレントキルじゃん。さすがだなぁ、すごい人気」

 コメント欄を見ての感想だろう、シズクのカラッとした物言いからは、負の感情のいっさいが感じられない。

「武藤さん、知ってたんでしょ」

 ふいに核心をついてくる。「もっとはやく教えてよ」

 むろん俺は知っていた。彼らにこのダンスコンテストについて教えたのは俺だからだ。

 ゆえに驚いた点はそこではない。

 衣装やコンセプトが似通っている。似通っているというか完全に被っている。暗黒舞踏団、俺たちのチームに。偶然にしてはいささか過剰だ。作為的な類似が感じられてならない。俺は猫二湖の顔を思いだし、依頼変更の内容を思いだした。

 画面の向こうでは、忍者としか思えない出で立ちのダンサーたちが、ド派手なパフォーマンスを披露している。ストーリー仕立ての構成だ。

 衣装には発光ダイオードの細工が施されている。バク宙をしたと思うや否や光が消え、つぎの瞬間には離れた場所で着地する忍者の姿がトツと浮かぶ。

 すくりと起き上がった矢先に、人影が、いやこの場合は光の輪郭をまとった人型と言ったほうがより正確だろう、影分身がごとく一人から三人に増えた。次点で、どろんと消え、途端に数人の忍者が出現する。彼らは一様に宙に浮いたまま動かない。宙に浮く彼らを支えている黒子は、闇に同化し、映らない。よくできた構成だ。

 終盤では、バラバラの手足が四方八方から飛んできてはひとつにまとまり、ラスボスがごとくバケモノを誕生させる。

 もういちど言おう。よくできた構成だ。

 暫定一位であることに安心するほどで、これが一位でなければなにが一位なのかと疑りたくなるほどに、個性、完成度、共によくできている。金も相当にかかっていそうだ。場所はスタジオなのか、ときおりライトが駆け巡り、手裏剣の軌道などを映しだす。プロ顔負けの舞台設備で、否応なくスポンサーの存在を意識させられるのは、俺がそちらの事情に精通しているからか。

 感心しきりで見入っていると、リプレイ設定になっていたのか、気づいたときには動画が三順目に突入していた。

 こんなショーが相手ではいくらシズクたちとはいえど、太刀打ちできないのではないか。

 不安に駆られた。

 突き動かされるように俺は、動画に釘づけになっているシズクを押しのけ、俺たちのチーム、暗黒舞踏団の動画を探した。

「あれ?」

 動画はあった。きのうの夜、正確にはほとんど今朝方にアップしたはずだのに、再生回数があり得ない数を記録している。暫定一位のサイレントキルに迫る勢いだ。

 よろこぶよりもさきに不穏に思う。

 コメント欄を覗き、その理由に思い至る。

「なになに?」

 画面を覗きこもうとするシズクを俺は反射的に跳ね除ける。背中で画面を覆い隠し、両手を広げ、バスケットボール選手さながらの動きで阻止する。

「えー、なにそれ」

 ひょいひょいと身体を左右に振って、シズクは画面を盗み見ようとする。隠していてもいずれバレることだが、いま俺の目のまえでそれを知ってほしくはなかった。

 どんな顔をするのかが分からないからこそ、こわかった。

 いや、嘘だ。

 俺がどんな顔で接すればいいのか分からないだけだ。

 店内に鈴の音が響き、咄嗟にそちらのほうに目を転じる。店の入り口に、男が立っていた。全身にトライバル柄を刻んだ物騒な風袋をしている。俺には判った。文字通りやつの紋様はじかに刻みこんである。正確には、紋様に沿って皮膚を剥がし、できた溝が柄として定着する。タトゥーとは似て非なるものだ。人体改造にちかい。

「シズクさん、そいつ、誰?」

「あー、知り合い? 偶然入ってきてさ。客ではないから気にしないで」

「注文とか」

「いいっていいって。どうせすぐ帰るし」

 でしょ。

 聞かれても困るが、話題が逸れたのはさいわいだ。トンズラこかせてもらうのが得策だと思い、何気ない所作を意識して立ち上がる。ついでに画面上からサイトを消しておく。

「仕事のジャマしたな」

 背伸びをしがてら店内を横切る。危うげな男を迂回し、入口に立ったところで、

「武藤さんさ」

 シズクに呼び止められた。「あたしのこと、尾行(つ)けたの」

 振り返るとシズクがまっすぐとこちらを射抜いていた。

「いいや偶然だ」

「そ。よかった」

 笑ってくれりゃいいものを、シズクは俺が店を出ていくまで、こちらのいっさいの挙動から目を離さそうとしなかった。

 家路につきながら俺は、シズクの素性を訝しむよりさきに、シズクの屈辱のバトル、コールアウトの動画を思いだしていた。野郎どもにボコボコにされる美女ダンサー。そんな下卑た煽り文句と共に、問題の動画は、図らずもネット界隈を賑わらせていた。

 

 大方の予想を覆し、動画再生数、総合順位、共に暗黒舞踏団がトップを飾りつづけた。期せずしてネットの住民を味方につけたのが功を奏したと言える。ほとんどシズクひとりの功績みたいなものだ。ダンスの優劣は関係ない。サイトには各エントリーチームの紹介ページが用意されており、応募時に添付したメンバーの画像も載っている。半ばアイドル扱いされており、中には、それを僻んでいるとしか思えないひどいコメントも散見された。あることないこと書かれており、ショーそのものへの批判も目立つ。

 実力じゃない。顔だけのチーム。どっかで見たことあるショーの寄せ集め。カメラワーク最悪。暗黒舞踏団www。中二病。

 皮肉なことに、そうした負のコメントが増えるに従い、動画の再生数は激増した。同じ理由からサイレントキルの動画もまた再生数を伸ばしていたが、爆発的とは言いがたい。文句のつけようのないショーが裏目に出ていた。人気の火付け役であるコールアウト動画では完全なる悪者であったこともあり、議論の余地のない白黒ハッキリした立場が却って人気に歯止めをかけていた。

 俺はメンバーたちとは連絡をとらず、京極会からの依頼をこなすべく調査をつづけた。


 新型危険ドラッグの出処を掴めぬままに、ひと月あまりが過ぎた。インターネット発のダンスコンテスト「WAR OF THE DANCE」の予選通過チームが発表されたのは、シズクから緊急事態を知らせる連絡が入ったのと奇しくも同じ日だった。

「おう。発表見たか。びっくりだな。一位だってよ。あすから決勝に向けて調整していくぞ。ほかのメンバーにもそう伝えろ」

「ヒガミンが……」

「なんだ。怪我でもしたか」

「ヒガミンが、チーム抜けるって」

「はぁ?」

 荒らげた声を、口を押さえ堪えたのは、ここが京極会の事務所だったからだ。「抜けるっておまえ、そりゃどういう」

「わかんない。急に言いだして」

「とりあえず今は抜けられない。あとで俺からも連絡とってみる。おまえらは引きつづき、本戦に向けて調整をつづけてくれ」

「わかった。あ、ショーの構成、すこし変えたんだ」

 ついでのようにシズクは言った。「あとで武藤さんも憶えてね」

 通信を終える。

「なにか問題でも」

 メディア端末を仕舞うと、目のまえの男、京極会「おっぱい横丁支部」の入亡(にゅうぼう)が探るような目を向けてきた。入亡は若頭の上司にあたる男で、実質この街を牛耳っている。市長のネクタイでケツを拭ってもお咎めを受けないゆいいつの一般市民だ。

「いえ、女からでした。つぎはいつ会えるのかって」

 すみませんと謝罪してから、中断させていた話を再開させる。

 ひと月以上、調査報告が遅れている件についてだ。話の大半は、言いわけに費やされ、報酬を減額してもらっていいからもうすこし待ってほしいと頭を下げた。

 前屈みの姿勢で祈るように手を組んでいた入亡は、まさに入道といった具合の禿頭を、そのてっぺんをこちらに向けたまま、克刹寺(かっさつじ)さんね、と床に零した。

「あまり我々に舐めた態度はとらないでくださいよ。仕事を完遂していただければ相応の報酬はお支払いします。待てと言うのなら待ちましょう。こちらから依頼した仕事ですからねぇ。ええ、それくらいの譲歩は致しますよ。ただですね」

 そこで入亡は強面の顔に似つかわしくのない極々一般的な眼鏡を傾け、レンズの合間から裸眼でこちらを見据えるようにした。「できもしないことをできると偽り、無駄な時間と期待を与えるような真似だけは、まかり間違ってもしないでくださいよ」

 契約すら守れないグズはビジネス相手でもなんでもないですからねぇ。

 努めて鷹揚に、おっぱい横丁の魔王は言った。

 

「一言の相談もなしにチーム抜けるだなんてどういうつもりだ。おまえらダンサーはケジメの付け方も知らねぇのか。無軌道にも程度ってもんがあんぞ」

「かってに押しかけてきといて、喚き散らさないでくださいませんか」

 寝間着姿のヒガミは、寝るところだったのか、或いはいま起きたばかりなのか、シャンプーの香りを全身から仄かに立ち昇らせている。扉を開けたまま、こちらを部屋へあげようともせず、

「ていうか、ムキドウってなに。日本語でしゃべってくださいませんか」

 玄関口のまさしく入口の部分、敷居の縁に背を預け、腕を組み、立ちふさがった。

「おまえが抜けたらチームはどうなる。決勝にだってあがれたんだぞ。あとはこれまで練習してきたショーを舞台で踊るだけだ。なにがそんなに気に喰わない」

「部屋が臭くなるのでしゃべるとき以外は息を止めていてくださいませんか」

「お上品な罵倒が上手なこって」

「おっさんは皮肉のセンスも最悪ですね」

 にっこり微笑まれるが、つぎの瞬間にはいつ点けたのか、煙草の煙を吐きつけられる。

「おまえ、いつから煙草なんか」

「シズクが嫌がるから我慢してただけ。あ、しゃべるときはこちらに顔を向けないでくださると非常に、ひっじょーに、助かりますが」

 話し合いをしようにも埒が明かず、かといって無理やり部屋に押し入るには、分がわるく、というよりも客観的に見たときの状況がわるく、にっちもさっちもいかずに、にらみ合っていると、

「あれ、武藤さん。どしたんすかこんな夜分に」

 フンマンがコンビニの袋を引っさげ、やってきた。そういやこいつらは同棲していたんだっけ。思いだし、そもそもこいつらの住処、すなわちこの部屋の保証人になってやったのは俺であり、敷金をはじめ、家賃を払ってやっているのも同じく俺である重大な事実に気づき、

「フンマン、おまえからもなにか言ってやれ」

 強気になる俺がいた。

「言ってやれってなにをっすか」

「知らねぇのか。こいつ、チーム抜けるって言いだしやがった」

「ああ、それで」

 訳知り顔で頷くと、

「冷えてきたし、なか入りません?」

 踏切の遮断機さながらに入口を塞いでいたヒガミの足を押しのけ、フンマンは部屋へと入っていく。

 不満そうではあるがヒガミはつよく拒む真似をせず、部屋のなかにつづいた。

「このコタツどうしたんだ」

「裏んとこのゴミ捨て場に捨ててあったんで拾ってきたんすよ」

 フンマンが奥の位置に陣取り、俺はその対面になるようにコタツに潜る。ヒガミはコタツには入らずに、ベッドのうえに腰掛けた。部屋は広くはなく、ベッドも一つきりだ。こいつらがそういう仲であったことにすくなくない驚きがあるいっぽうで、やっぱりそうなのか、と腑に落ちもする。

「単刀直入に言うぞ。ヒガミ。やめるな」

「ヤダ。つうかどうしてあんたに命令されなきゃならないんですか。リーダーでもないのに」

「なら水迄の指示なら従うのか」

 痛いところを突かれたといった様子でヒガミが押し黙る。

「端からユニットだろ。どうせ舞台が終われば解散するチームだ。わざわざいま抜けなくてもいいんじゃないか。それとも抜けなきゃならねぇ訳でもあんのかい」

 ヒガミが煙草を吸いつづけているため、部屋が白濁する。フンマンが窓を開け、冷たい外気が部屋を洗う。

「黙ってたって解んねぇだろ、なんか言え」

「武藤さん」と口にしたのはフンマンのほうだった。「誰にだってひとには言えないことの一つや二つあるじゃないっすか。そうしなければならない事情があるからヒガミだってこうして無茶な決断を一方的にしているんだと思うんすよ」

「フンマン、おまえは何か知ってんのか」

「オレぁヒーちゃんのことならなんでも知ってますぜ。な?」

 ヒガミに投げかけるが、彼女は反応を示さない。片膝を抱えた態勢で、窓のそとへ煙草のけむりをくゆらせている。

「理由も聞かずに舞台を諦めろとでも?」

「そうは言ってないっすよ。決勝はオレたちだけでがんばればいいじゃないっすか」

「おまえらだけって、いまからか?」

「ユウナさんならなんとかしてくれると思うっす」

 ひと任せかよ。

 噛みしめた歯の隙間から俺はひねりだす。「優勝できねぇぞ」

「いいんじゃないすか。踊ることに意味がある。そういうもんだと思うんすよねぇ。いまはなんかそういう気分なんす」

 心の奥のほうが静かすぎる。

 仲良しこよしするためにおめぇらを掻き集めたわけじゃねぇ。

 怒鳴り散らしてもよかったが、声を荒らげるだけ無駄だと断じ、立ちあがる。

「俺は初めから今だって優勝するためにここにいる。同じ道を見据えてねぇってんならてめぇらだけでやれ。月末まではこの部屋はそのままにしておく。そのあとのことまでは面倒看きれねぇぞ」

 言い残し、俺は颯爽と部屋をあとにしようとするのだが、玄関口で靴を履くのにてこずり、微妙な空気を持て余す。やっとこさ扉を開けたところで、

「シズクは今でも優勝する気でいますよ」

 ヒガミの声が背中に届く。だったらやめるなんて言うんじゃねえよ。皮肉にしては毒気がありすぎる。俺は振りかえらぬままに、「いいよなおまえらは」とイタチの最後っ屁を放つ。「ダンスだけじゃなく、皮肉のセンスまであんだからよ」

 そとに出ると雲ひとつない夜空にひと際きれいな月が浮かんでいた。俺はそれを見上げるが、きっと月のほうでは俺を見下ろすことすらしないのだろう。夜風に揉まれながら俺は、こんどこそ引っ越す準備をはじめようとつよく臍を固めるのだった。

 

「夜逃げでもする気?」

 ヒガミとの話し合いから三日後、自宅マンションで荷造りをしていると、いつの間に入ってきたのか、若頭が背後に立っていた。京極会から仕入れた大量のクスリがなくなっていることに気づき、侵入者について気を揉んでいたところなので犯人の当てがつき肩のちからが抜ける。

「荷物の整理ですよ。シンプルな部屋に住みたくなりまして」

「模様替えにしては大胆ね」

 若頭はコートを脱いでゆいいつ残ったソファに腰掛ける。高級ブランドのスーツを着ている。胸板が厚く、どこか窮屈そうに映る。

「会合でもありましたか」

「ザイちゃんがなかなか情報を集めてくれないから、上のほうが痺れを切らしちゃって」

「ちなみにきょうは依頼主として?」

「だとしたらどうするの」

 沈黙が漂う。

「うそうそ。逃げられる前に挨拶しとこうと思って寄ってみただけよ。当てはあるの?」

「いえ、ですからただの模様替えですよ」

 黙々と荷物をまとめていく。家具や雑貨はほとんど捨てた。あとは小物を整理するだけだ。仕事道具以外は旅の道中、焼却場にでも放りこんでいけばいい。

「もし西に行くなら、奈良がいいと思うわ。あそこにはウチも手が出せてないから」

「じつは」

 と、ここで口走ってしまったのはほとんど気の迷みたいなもので、助言じみた言葉をくれる長年の仕事相手に感傷的な気分になってしまっただけかもしれなかった。「例のクスリ。買い漁っている業者らしき人物を見つけまして」

「そうなの?」

 ならどうしてそれを知らせないのか、と訝しんでいる様子だ。当然だ。俺自身、なぜそれを報告しないのかが分からない。誰かに、それはね、と教えてほしいくらいだ。

「もしかして誰か庇ってる?」

「いえ。ただ、確信が持てなくて」

「判断するのはザイちゃんの役目じゃないわよね」

 呆れた調子の声に、俺としても、そうですよね、と同意するほかに立つ瀬がなく、俺の役割はもっとほかにあっただろうに、と頭が痛くなってくる。仕事なのに、と笑いたくもなる。

「まあいいわ」若頭は腰を浮かしたらしい。黙々と手を動かすこちらへ向け、「すくなくともザイちゃんが突き止められる相手だと判っただけでもよしとしておきましょ」と言った。「あすのうちには出ていきなさいよ」と続ける。「入亡のオジキを説得するのも楽じゃないんだから」

 足止めしてくれていると判り、なぜか解らないが、申しわけない気持ちでいっぱいになる。仕事を放棄した分の報いはこれから確実に受けると解っていながら、彼の好意を素直に受け止めきれないじぶんがいる。後ろめたさに消えてなくなりたくなる。

「ですから」俺は繰りかえす。「ただの模様替えですよ」

「そうだったわね」

 若頭は部屋を出ていった。

 俺はもう一人の依頼主、猫二湖から突きつけられた成功条件を思いだし、それから底を突いた通帳の中身を思った。ダンスコンテスト決勝の舞台は、四日後に迫っている。


 

      (五)

 翌日、来たる決戦の日を前に、俺はメンバー全員に召集をかけた。むろんヒガミにも声をかけたが、期待はしていない。思ったとおり、指定の時刻を過ぎてもヒガミは現れなかった。

「きょうで文センともお別れか」

 フンマンが感慨深げに言った。文化センターを愛称で呼ぶようになって久しい。

「で、どうすることにしたの」シズクが腰に手を当てる。「ヒガミン抜けた穴とか、どうしよっか」

「案はあるか」

 投げかけると、

「しょうじきキツいですね」

 水迄がふざけた応答を真顔で寄越す。「辞退するというのがいちばんまともな案なんですけど」

「いまの案に賛成のやつは?」

 むろん手を挙げるやつはいない。

「だとしたらあとは空いた穴を埋めるしかありませんね」

「だよな。今から構成変更して間に合うか?」

 ダンサーが一人減ったのだからすべき作業はショーの大幅な変更だ。

 俺は最初からそのつもりで話を進めていたのだが、むろん彼らだってそのつもりでここに集まってくれていると思っていたのだが、なぜか彼らは俺をじっと見つめてくる。

「な、なんだよ」

「武藤さん」

「なんだよ」同じセリフしかでてこない。

「ちょうどここに、衣装が余分に用意してあります」

「だから?」

「解ってるくせに」

 目じりを下げるシズクの微笑が異様にこわく映り、だからでもないが俺は、

「は? は?」

 取り乱すのに余念がない。「あ、さては今から代打のダンサー連れてこいってこったな。無茶言うんじゃねえ」

「武藤さん。そうじゃないでしょ」

「いやいやいや」

 冗談にしてはキレがよすぎる。「いつの間に用意してたんだよ」

「じつは、最初から」

 シズクが白状した。「ほんとうは六人で舞台にあがりたかったけど、この際、五人でもいいよ。あたしはやっぱりチーム全員で、仲間のみんなで踊りたい」

 生唾を呑みこむ。

 ほかのメンバーもまた固唾を呑んで見守っている。チビスケが戸惑いがちに歩み寄ってきては、

「むとうさん……」

 遠慮がちにゆびのさきっぽを握りしめやがる。縋るようにこちらを見上げる瞳は、まるで初めて父親に甘えるガキのようだ。

 胸の奥に、この場から逃げだしたい欲求と、何だか分からないが目のまえの連中を片っ端から抱きしめてやりたい衝動に駆られた。俺はその場から動けなくなる。

 そんなこちらを見兼ねてか、シズクがぞんざいに衣装を投げつけてくる。避ける暇もない。しぜんと受け取っている。彼女は腕を組み、ほかに方法はないんだよ、と言った。

「優勝したいんでしょ、武藤さん。腹くくるっきゃないよ」

 

 決勝戦進出の決まったチームは、大会前日に都心の高級ホテルへ招待される。そこで一日ゆっくり休養をとってから舞台に臨めるようにとの主催者側の配慮だ。

「うわー、すんげぇ部屋」

 天井たっけえ。

 大理石の床を駆け回るフンマンを、さらにチビスケが追いかけ回す。部屋に入った途端にこれだ。即行でマリオカートごっこがはじまる。

「ホテルの裏手に展望台があるらしい」俺は言った。「絶景だって話だからあとで行ってみるか」

「ヒガミンもくればよかったのにね」

 シズクの何気ない一言に、いっしゅん部屋の空気が凍りつく。

「ひょっとしたらこっそりついてきてたりして」

 おどけて場の空気を和ませるフンマンはさすがというべきか、ムードメーカーとしての役割が板についてきた。

「てか武藤さん荷物多すぎっしょ」

「これでも厳選してきたんだがな」

 荷物を置きながら俺は話を逸らすべく、「パーティーホールが解放されてるらしい」と意見する。「そこで練習できるって話だが、どうする」

「いくいく!」

 シズクが食いつく。部屋に飾られた絵画に目を通していた水迄が、

「武藤さんのいないあいだ、曲のほうもすこしいじったんですよ」

 言って、このひと月あまりに重ねてきた試行錯誤を、ここぞとばかりに披歴した。

「すこしどころかかなり変わってるじゃねぇか。相談くらいしろよ」

「だって武藤さん忙しそうだったし」

 なぜかそこでシズクはこちらに顔を向けなかった。

 

 パーティーホールに椅子やテーブルはなく、だだっぴろい空間として開放されていた。ほかのチームの姿もちらほらある。各チームがバラバラに音源を垂れ流すため、文化ホールさながらに喧騒にまみれている。

「けっこういるっすね。予選あがったのって何チームでしたっけ?」

「うわ、マジで」シズクがあんぐりと口を開けている。「フンマン、あんた動画観てないの」

「いやー、オレっち自分で踊るのは好きなんすけど他人の踊り観るのはちょっち苦手で」

「そういうのに苦手とかあんの?」音源をスピーカーに繋ぎながらシズクは、「八チームだよ」と短く応じる。

「あれ。意外とすくない」

「一発勝負だからね。あす踊ったらそれでおしまい。泣いても笑ってもこれで最後」シズクは靴ひもを固く結び直す。「このメンバーで踊るのは、だけどね」

 メンバーたちの挙動を見守っていると、ふいに服の裾を引っ張られた。見遣るとチビスケがよこに立っており、ホールの隅をゆび差している。

 示された方向に目を転じる。やたらと体格のいい集団が視界に入った。海外勢、ノイジィ率いるサイレントキルだ。

「まあいるよね」シズクがこちらに寄ってきて言った。

 チビスケはまだやつらのほうをゆび差している。

「まだなんかあんのか」

 俺はその場にしゃがみこむ。チビスケと視線を揃え、彼のゆび先の延長線上を辿った。

 息を呑む。

「ヒガミ……?」

 この場にいるはずのない女がそこにいた。

「えー、うそ、ホントだぁ」

 シズクの暢気な言葉を聞き流し俺は、パーティホールを突き進む。一歩、二歩、と脚を踏みだすたびに絨毯が腐葉土のように弾んだ。

「なんでいんだおまえ」

 腕を掴むと、さぐさまよこから男が割って入ってきた。腕をひねりあげら、造作もなく床に転がる。片膝をつき、態勢を整える。

「裏切ったのか」

 俺は叫んでいる。「ヒガミ、答えろ」

 サイレントキルが俺たちのショーの構成に似ていたのは、誰かが前以って情報を流していたからだ。俺はそれを猫二湖だと睨んでいたが、とんだ思い違いをしていたようだ。

「なにやってんだヒー」

 日本人の男がやってくる。動画で観た覚えがある。水迄と因縁のあるとかいうダンサー、リヴァルだ。「そいつらは?」

「知らない」

「ヒガミてめぇ……」

「なんの文句あんのかは知んねぇけど、おれの女に手ぇだしたら……解ってんだろうなおっさん」

 いっしゅん言われた意味が分からなかった。頭のなかで反芻し、そういうことか、と思い到った。

「俺ぁてっきりおまえはフンマンとできてんのかと」

「なわけないでしょ。あいつとはただの腐れ縁。うちはむかしから一途なんですぅ」

「なにが一途だ。水迄にまで色目使ってやがった癖に」

「はぁー? 妄想垂れ流してんじゃねぇよ。つうか前にお願い申し上げたはずですが。しゃべるときはこちらを向かないでいただけません――」

 おっさん、とヒガミは唸った。

 好かれていないとは思っていた。傷ついた憶えはなく、或いは辛辣な態度も仲間だからこそ向けられる愛情表現の一種だと思っていた。

 思っていたかったのだと今になって思い知る。

「なにこいつ。なに泣いてんの。ダセェ」

 リヴァルが煙草を投げつけるジェスチャーをし、俺を虚仮にするが、そんなことはどうでもよかった。俺の跡を追いかけてきたシズクたちに引き離されるカタチで俺は敵陣から連れ戻された。

 おまえらは練習してけ。

 言い残し俺はひとり部屋に戻った。

 ソファによこになり、無駄に高い天井を眺める。神輿にも似た照明の数を数える。十五個を超えたところで、意識が散漫になっているじぶんに気づき、思いのほか動揺しているおのれを認識する。

 傷ついているのだ。

 たかだか小娘ごときに利用されたくらいで、さほど信頼関係を結べていなかった相手に裏切られたというただそれしきのことで、俺はこんなにも胸の内をからっぽにされてしまった。

 皮肉なものだと素で思う。

 俺がこれまでにしてきたことと同じなのだ。

 俺が現在進行中でしようとしていることと、まったく寸分の狂いもなく同じだった。他人にしようとしていることを、してきたことを、じぶんにされてみて解ることがある。俺は皮肉にもかつてない傷心を負っていた。

 裏切られた相手がシズクでなくてよかったと思い、ヒガミにされたことをシズクに置き換え想像すると、肩を抱き、その場にうずくまりたくなるほどおそろしくなった。

「なんだってんだ、ばかやろー」

 誰にともなく、ほとんどじぶんに向けてつぶやいている。

 夕食時になり、シズクたちが戻ってきた。飯を食いにいこうと提案し、ぞろぞろと連れ立ってホテル内にあるレストランに向かった。そこでもサイレントキルの連中の姿を目にし、誰が言うともなく、踵を返し、ルームサービスを利用した。

「ザリガニのくせにめっちゃ美味いんですけど!」

 フンマンが目を輝かせ、ロブスターにかぶりつく。チビスケにも分けてやり、二人揃って、「ザリガニのくせに」と叫んでいる。

 水迄はなぜか目を合わせてくれず、シズクも心なし言葉数少なだった。

 食事を終え、各自シャワーを浴びてきょうは寝ろと言いつけると、その前に、とシズクが手を挙げた。

「本番はあす。そして武藤さんも出るからには、ちゃんと練習しとかないと――とあたしは思うわけですが」

「あすはおめぇらだけでやれ。考えてもみりゃ、俺にあの女の代わりが務まるわけがねぇんだ」

 ショーの終盤はほとんどヒガミの独擅場だ。派手な動きこそないが、物語の黒幕として注目を一身に集める。

「ならなおさら出てもらわなきゃ」

「出てやってもいい。ただしヒガミの代役はシズク、おまえがやれ」

「それについてなんですが」

 おずおずと手を挙げた水迄に、みなの視線が集まる。

「構成をいじってみてどうしても変更できない場面があって。そこだけは、重伊花さんでないとどうしてもダメなんです。特殊なフリでして、重伊花さん以外にそれを踊れるひとがメンバー内にはいません。フンマンくんのフリも同様です。同時に、ぼくとチビくんは組技の最中で、これを重伊花さんたちに変わってもらうというのは酷というか無茶というか」

 同じ理由で、彼らの代わりを俺が務めるわけにはいかない。俺ごときが真似できる動きではないからだ。

「その点、武藤さんはフリの憶えだけは人並み以上です。全体の構成を理解しながら動けるのもぼく以外では武藤さんだけですし」

「わかった、わかった。やりゃいいんだろやりゃ」

 やった、とシズクがちいさくガッツポーズを決める。浮かれすぎに思うのは疑心暗鬼になっているからだろうか。

「そんかし今からフリの合わせやるぞ。嫌だっつっても無理やりにでも付きあわせるからな」

「はいセンセー」と手が挙がる。

「なんだねフンマンくん」

「チビが眠そうにしてまーす。彼にだけ居眠りの許可を」

 目を擦り、懸命に睡魔と闘っているチビスケに向け、俺はいかめしい顔をつくる。

「うむ。許可する」

 

 部屋からは出ずに、家具をどかしスペースをつくった。曲は流さずに、口で音を奏でながら、フリをひとつひとつ確認していく。いくら広いとはいえど、派手には動きまわれない。

 ソファで丸くなったチビスケに毛布をかけてやる。寝苦しそうにしているのでクッションを持ってきて頭の下に敷いてやる。

「パパってばやっさしー」

 シズクにからかわれるが、嫌な気はしない。

「意外と憶えてるもんだな」

 ひと月のあいだ練習に参加していなかった割に、曲を思いだすだけで身体のほうがかってに動く。

「マッスルメモリーっすよ」フンマンが得意げに言い、

「それはすこし意味が違うような」と水迄が水を差す。

 なんとかなりそうだ、というのがこの日、最後に抱いた感応だった。

 

「寝過ごした!」

 死んだように眠っていた俺たちを起こしたのはチビスケだった。時計を見遣ると午前十時を過ぎており、決勝戦開始時刻まで三時間を切っている。

 もっとはやく起こせよとチビスケに八つ当たりをしながら俺たちは荷物をまとめる。夜にはまた戻ってくるのでチェックアウトをせずに出る。

 会場までの道中、チビスケはいじけて口をきかなくなった。プラットホームで電車を待つあいだ、ほかのメンバー全員で三点倒立をしながら謝った。チビスケは許してくれたが、場所が場所なだけに衆目を集め、こんどは水迄が他人のふりをしだし、一同からのひんしゅくを買った。

 会場はとっくにオープンしていた。ネットやTVでの大々的な宣伝が功を奏したのか、客席を埋め尽くす勢いで観客が押し寄せている。

「すごいね」

「決勝の合間にアーティストのライブがあるってのが大きいよな」俺は入口でもらったフライヤーに目を通す。記されているアーティストたちは、単独でライブを開けるほどの実力派ばかりだ。「ダンスのショーのついでっていうか、客からすりゃ俺たちのほうがついでだな」

「見返してやろうぜ」

 興奮ぎみに、というよりも現に興奮しているのだろうが、シズクが鼻息を荒くした。「ダンスって楽しそうって、観てる連中を【SHIT】させてやるんだ」

 楽屋で着替えを済ませているあいだにスタッフに呼ばれ、駆け足で舞台にのぼる。スポットライトや立ち位置を確認するだけのかんたんなリハーサルを一時間ほど挟み、休む間もなくあっという間に本番が迫る。

 前座のライブで会場はすでに温まっている。ダンスなんかいいからもっと音楽を。そう聞こえてきそうなほどの盛り上がりを見せている。

 予選最下位から順番にショーを披露していく。段取りどおりならば、予選一位の暗黒舞踏団は必然、最後になる。

 舞台裏で進行を見守っていると、肩を叩かれた。

 振り返ると、猫二湖が立っていた。部外者だと誇示するような小奇麗なスーツで着飾ってはいるが、関係者を示すホルダーを首から垂らしている。

「こういう言い方をすると語弊があるかもしれませんが、本当に予選を一位であがってくるとは思っていませんでした。おめでとうございます」

「気がはえぇよ。まだ決勝が残ってんだろ」

「依頼内容はお忘れでないですね? くれぐれもその旨、よろしくお願いします」

 一方的に言って、猫二湖は去っていく。

「誰、あのひと」

 シズクが寄ってくるが、言えるわけもない。

「親戚のおばちゃんだ」

「なんでうそ吐くの。どう見たって武藤さんより若いでしょ」

 じぃと見つめられ、たじたじになる。

「あ、わかった。武藤さんのコレだ」

 言って小指を立てるシズクはどこかすこしおやじ臭い。

 ひと際大きな歓声があがる。司会役の有名芸能人が舞台にあがったためだ。

 いよいよダンスコンテストの決勝がはじまる。各チームが舞台上で紹介されていくが、代表者一人いればいいらしい。代表者は水迄に任せてある。

 舞台裏にあるディスプレイには舞台上に並ぶダンサーたちが映しだされている。水迄は心ここにあらずといった風体で佇んでおり、一人だけ観客が紛れ込んでいるかのようなイビツナ印象を抱かせる。緊張感が著しく足りていないのは、ことここにおいては肩のちからが抜けている分、長所と呼べるかも分からない。

「武藤さんさ」

 ふいにシズクがつぶやく。俺の名を枕にしてしゃべりだすときのシズクにいい思い出はひとつもなく、だから俺は身構えるよりもさきに、平常心を保つべく、顔の筋肉を引き締めた。

「武藤さん。前にも訊いたと思うけど、どうしてこのイベントで優勝したいの」

「前にも言っただろ」

「世界一になりたいから? 今もまだそう思ってる?」

 怯えたウサギを思わせる弱々しさで訊きかえされるものだから、俺としても言葉に詰まる。しばし考えを巡らせ、それから言った。

「今はすこし違うかもな」

「そっか」

 それだけ聞ければ満足だったようだ。シズクはややあってから、

「武藤さんは、おっぱい横丁の便利屋って知ってる?」

 疑問符を投げかけておきながら語りだす。「むかしからあの街には便利屋さんがいるらしくてね。そのひとはいま、ヤバイひとたちの仕事を断って、追われてるって話」

「どこで聞いたんだそんな話」鼻で笑ってやると、

「さっきそこで強面の男のひとたちから聞いた」

 嘘か真かそんな言葉を返して寄越す。「便利屋さんはもう一つ仕事を請け負っていて、そのうちの一つがこのイベントに関係してるみたいで。逃げた番犬を始末したい怖い人たちは追っ手を放ったのでした」

 冗談めかしシズクは、

「武藤さんはサイレントキルって知ってる?」

 核心をついてくる。「チームの名前じゃなくて、クスリの名前。ヤバいほうのクスリ」

「知らねぇなぁ」

「あのクスリの出処を探ってるのは何も便利屋さんだけじゃない。知ってる? あの街には便利屋が二店あってね。逃げた便利屋さんのほかに、もう一つ、新しいお店があるの。【彼女】は、どうしてもクスリの出処を知りたくて、あわよくば潰したいと思っている」

 鳥島のやつが言っていたことを思いだす。さいきん不正規に探偵業の真似事をしているやからが俺のほかにもいるのだと、そうした旨を言っていた。

「なぜそんなことを?」

「どうして武藤さんに話しているのかって理由ならみなまで言う必要はないよね。または、どうして【彼女】がそんな真似をしているかを知りたいのだとしても、あたしには答えられない。よくは解らないからね。だってあたしはあたしだし」

「誰かに依頼されてるってぇわけでもねぇんだろ。ならどうしてそんな真似を」

「さあ。潔癖症なのかもね」

 しれっと嘯きシズクは、続ける。

「ともかく、あたしはどうしても知りたかったんだ。その便利屋さんはどうして仕事を擲って、あまつさえ一刻もはやく遠くへ逃げなきゃなんないってこんな局面で、こんなところでくすぶっているんだろうって」

 すべてを見透かしているような口吻に、しぜんと胸が痛くなる。

「もし。もしもだよ。その便利屋さんがあたしらのためにそんな真似をしているのだとしたら」

「だとしたらなんだってんだ」

「あたしはたぶん、自分がしてきたことを残らずぜんぶ、間違ってなかったんだって、過去の自分に言ってあげられるんだと思う。過去の自分を眺めて、あらあたしったら、よくそんな真似しようと思ったわねって。褒めてあげたくなるんだと思う」

「なにが言いてぇんだ。おいちゃんにも解るように言ってくれ」

「あたし今、すっごいやる気に満ちてるよって。ただそれだけ」

 こちらの肩をペシリと殴りつけ、舞台上から戻ってきた水迄に駆け寄っていく。冗談の一つでも言ったのか、そばにいたチビスケとフンマンが肩を弾ませ笑いだす。水迄がこめかみを掻いている。

 やはりというべきか、そこにヒガミの姿がないことに物足りなさを感じているじぶんがいる。いつからそんなに欲張りになったのかと思い、考えるまでもないことにふと気づく。

 すべては彼女と出会い、彼女のダンスを観たあの瞬間から変わりはじめていた。

 ショーの時間は五分と短い。八組合わせても一時間と経たぬ間に出番が回ってくる。

 頭のなかで幾度もフリを振りかえっているあいだに、いよいよ残り二組が残されるだけとなった。

 予選二位のサイレントキルが呼ばれ、舞台裏の俺たちのよこを通り抜けていく。

 が、どこか様子がヘンだ。

「どうしたんだあいつら。魂抜かれた幽霊みたいだったぞ」

「武藤さんはアホだね。魂抜かれちゃったら幽霊にもなれないじゃん」

 妙なところで突っかかるシズクを妙に思いながら、俺は彼らのなかにリヴァルとヒガミの姿がないことを不審に思う。仮に舞台上で踊らないにしても、チームの一員ならば舞台袖で見守るのが筋ではないのか。

 俺がそういった旨を口にすると、

「ならチームじゃなかったってだけの話じゃないの」

 シズクらしからぬ冷たい言葉が返ってくる。「リヴァルだってただの腰巾着みたいなもんだったし、体のいいアッシーくんとして使われてたってだけでしょ。あのひとらにとってはここって、慣れない異国の地だし」

「辛辣だな」

「あたしダンサーって好きじゃないんだよね」

 唖然とするこちらを差し置きシズクは、

「ダンスは好きだけど」と、申しわけ程度に言い足した。

 

 俺の予感は的中した。サイレントキルは、皿の干からびた河童さながらに、随所で大きなミスを連発し、徹頭徹尾ショーは盛り上がりに欠けた。

 人気投票では断トツで一位、予選総合順位では二位だったあのサイレントキルが、だ。

 フリのリズムもバラバラだ。連係がうまくいっていない。素人目には分かりづらい些細なバラつきではあるが、音に合わせて光る衣装が、ここにきて完全に裏目に出ている。ちょっとしたタイミングのズレが、観ている者へより直接的に伝わってしまう。コマ撮りアニメの写真が、順番通りに投影されないような違和感が終始つきまとう。

 豪快さがウリの大技も、キレがなく、高さがない。着地はよろけ、キメ技のフリーズも不完全で、氷というよりもこれでは案山子がいいとこだ。

 敵ながら目を覆いたくなるほど完成形からは程遠い。予選の動画が、CGか何かに思えてくる。むろんそんな小細工はしないだろう。腐っても彼らはストリートダンサーだ。ダンスにかけるプライドの高さだけは見習うべきところがある。

 ひるがえっては、上手くなるためには手段を選ばない貪欲さは、ときに危うく、狂おしい。過ぎた向上心が安易なクスリに手を伸ばさせるという逸話はダンスに限らず、あらゆる分野でみてとれる。

 副作用か、それとも禁断症状か。

 いずれにせよ彼らは上達への近道をしたつもりでいて、もっとも遠い道を歩んでいた。

 それがなければできないというのであれば、進化の道はそれを手放すところからはじまる。似たような旨を以前、水迄が言っていた。

 MCが懸命に盛り上げているが、観客は正直だ。サイレントキルは最後まで本調子を、彼らにとっての理想を描ききれずに、舞台上をあとにした。

「いよいよだね」

 シズクに促され、俺たちは円陣を組む。

「リーダー、何かあるか」

「出しきりましょう。以上」

「フンマン、なんか言って笑わせろ」

「おちんちんびろーん」

「チビスケ。準備はいいか」

「……うん」

「ちょっとプレッシャーかけないであげて」

 シズクがチビスケの顔に頬を押しつけ、くすぐるようにする。

「おまえは何かあるか」と紅一点に投げかける。

「一人足りない気もするけど、暗黒舞踏団はこれで最後。やるからにはてっぺんとりにいくけど、でもだいじなのは今この瞬間。音があってあたしらがいて、身体が動いて、あー楽しい。生きてるってことを実感してこよう」

「リーダー」俺は水迄に投げかける。「鼓舞するってのはこういうことだ。一つお利口さんになったな」

「じゃあいくよ」

 シズクの合図で俺たちは吠える。「暗黒舞踏団。おー!」

 

 舞台が暗転する。俺たちは暗がりにまぎれ、二手に分かれる。曲がはじまり、左右の舞台袖から中心に向かって歩いていく。コンセプト、ストーリー共に大幅な変更点はない。ただし、前半のヒガミの分のソロはシズクに代わってもらい、後半のソロ部分は削って、術にかかった俺が一時停止しているあいだに、水迄とチビスケがまったく同じ大技を揃えて繰りだすようにした。舞台上に竜巻が二つ現れたといった具合で、さしずめ忍法「鏡乱(きょうらん)の渦」といったところか。

 四人の忍者を操っていくチビスケが突如動きを止め、そこから黒幕たる俺へと物語の主導権が譲渡される。裏切り者だと思っていたチビスケがじつは黒幕に操られていただけだと知り、三人の忍者はチビスケと共に、反撃に転じる。

 何かに似ていると思い、まさしく俺のようだなと思った。

 他人を躍らせていたようで踊らされており、他人を欺いてきたようで欺かれていた。

 これまでの人生でけっして表舞台にはあがらないようにしてきた俺が、なにをトチ狂ったのか妙な色気をだし、舞台にあがってしまっているこの状況がすでにおかしく、ねじれている。

 人間には人間の、物には物の役割というものがある。分相応、それぞれに割り当てられた役柄をこなし、敷かれたレールからはみ出さずに生きることが人生の意味だと思ってきた。たとい社会からはみ出していようが、はみ出した者にははみ出した者なりの歩むべき道、道理というものがある。

 人を運び、物を運ぶ電車は飽くまでレールのうえを走るのであり、レールが電車を走っているわけではない。

 電車の走る場所が自ずからレールになっていくわけではあるまいし、人はしょせん敷かれたレールのうえを辿るだけの駒なのだと思ってきた。

 だが世の中には素足で砂漠を横断しようとまっさらな地面に足跡を残し、それを以って道だと言い張る愚か者たちがすくなからずいる。未来永劫、二度とその足跡を辿る者が現れないかもしれない。誰も跡を追ってこないかもしれない。だが、道なき道を歩んだというただそれだけのことが意味を持つ瞬間が、たとえ刹那の瞬間であろうとも訪れる。

 俺にとっては今がまさにその瞬間だ。

 これまでのすべてを擲ち、これまでのすべてをここに賭ける。

 この一瞬のために生きてきたのだと思いこむために、生きているのだと思い知るために、俺は、一世一代の晴れ舞台、悔いのないように踊りきる。

 物語の最後、地面に拳を叩きつけ、波動が段々と伝わり、地面からドリルよろしくチビスケが突きだす場面。

 脆弱さがさいわいしたと言ったら語弊があるが、役割のない俺だからこそこの役割を担わざるを得ず、能力のある彼らは、分相応にスキルを発揮し、操られる者として舞台に散る。

 俺は渾身のチカラを、意識を、魂を籠め、地面に拳を叩きこむ。

 地鳴りが会場を轟かし、舞台上に四つの石像がそそり立つ。

 あとは最後尾のチビスケの足の裏から巻物を奪い取り、物語は幕を閉じる。

 ――はずだった。

 巻物を奪い取ろうとしたところで、舞台袖から駆けてくる人影があった。俺たちと同じ衣装をまとい、自然な様で俺が取るべき巻物を横取りする。

 曲はまだつづいている。

 呆気にとられている俺を差し置き、その人物は立ち止り、振り向くと、こちらに平手打ちを食らわせた。

 ちーん。

 間抜けな音が弾け飛ぶ。シリアスなショーが台無しだ。

 さらにその闖入者は俺から距離を置きながら、パンパンパンと手を叩いて歩く。石像たちがほどけだす。その場で背伸びをする者、首を回すもの、欠伸をする者、衣装を脱ぎだす者。出番を終えた役者が素に戻るような豹変具合で、手際よく撤収していく。あー疲れた。帰って彼氏に褒めてもらお。ママー。あ、社長っすかギャラのほう今からいただきにまいります。幻聴か、それともじっさいにそのような音声が聞こえているのか、各々、好き勝手にほざき散らし、舞台上から去っていく。

 残されたのは、どうしていいか分からず呆然と立ち尽くす、無様な道化の俺一人きり。

 曲が途切れ、静寂が会場を包みこむ。

 俺はぎこちなく客席のほうを向く。巨大なディスプレイに俺の顔がアップで映されている。

 どうしたらいいのか分からない。

 誤魔化しの笑みを浮かべると、ドっと笑いが沸いた。熱せられたコーンがあるときを境に一気に弾けるのにも似た奔騰具合だ。

 足りないものはないと思っていた。

 シズクのカリスマ性、チビスケの超絶スキル、フンマンの下品さに、ヒガミの表現力、そして水迄の、すべてを緻密に組みあげる創造性。

 そこに俺という不確定要素を放りこむことで、あいつら。

 

 笑いまでとりやがった。

 

 完敗だ。

 そう思った。

 勝ち負けじゃないよ武藤さん。

 なぜか頭のなかでシズクの声がし、舞台袖からおいでおいでしている彼女たちの姿を見つける。

 腰にちからが入らず、ひょこひょことペンギンのように移動してから、ほっと息を吐く間もなく、ふたたび彼女たちに引きずられ、舞台上に立つ。

 一同揃って腰を折る。

 こんどこそピッタリだ。最後の最後で正真正銘、阿吽の呼吸で幕を閉じた。

 結果発表を待たずに会場をあとにした。表彰式にも出なかった。ホテルに戻り、ルームサービスを呼んだ。パーティ気分で打ちあげをする。チビスケがいるので酒はなしだが、アルコールなんて必要ないほど俺たちはよく笑い、よくしゃべり、よく食べた。

 体力の切れた者から順々に眠りにつき、それはまさしく電池が切れたオモチャのようで、床で事切れているフンマンをはじめ、水迄までフライドチキンに齧りつきながら眠っている。

 俺は一人一人に毛布を掛けて歩き、最後にソファのうえで大口開けていびきを掻いているシズクの鼻を摘まんでやった。

「つまんないイタズラはよしてください」

 ゆいいつ起きているのは、ろくな踊りをしていない俺と、そんな俺をひっぱたいただけのこの小娘だけだ。「というか触れないでほしいんですけど。シズクが穢れちゃう」

「せっかく二人きりになれたんだし、ここだけの話ってやつをしてみようか」

「ここだけの話っていうか、何も知らないのおっさんだけですよ?」

「口のわるさは演技じゃなかったのな」

「言ったセリフにも偽りはないんですけど」

「けっきょくおまえは何がしたかったんだ。いや、いい。どうせそれもおまえの考えというよりかはシズクの案なんだろ」

「あら。意外とするどい」

「一つ解らんのは、ヒガミ、おまえがいつからそのつもりだったかって点だ。予行演習のイベントあったろ。あのときからすでにおまえはシズクの駒だったのか」

 イベントのショーでグダグダだったのも計算のうちだったのかと問う。

「違いますよ。うちが役目をもらったのは、おっさんが文センに来なくなったあと。シズクがあんたに【ヒガミンが……】って悲痛な電話をしたちょっと前」

「なら水迄と揉めてたのはなんだったんだ。あいつはおまえから告白されたって」

「だからしたんですよ。告白」

「振られて、それで動揺したってか。そんな玉かよおまえ」

「なに言ってんですか。愛の告白じゃなくてカミングアウトのほう」

「は?」

「うち、レズだから」

 はぁ、レズでしたか。

 頭の処理が追いつかない。

「ちなみにフンマンもゲイ」

 面食らっていると、

「そこまで動揺されるとさすがのうちでも傷つくんですけど」

 ヒガミが腕を組み、上目づかいで睨み据えてくる。

「いや、すまん。予想外の展開に戸惑った。レズってことは、じゃあ」

「そう。うちが好きなのはずっとシズク。もちろんシズクは知ってるし、それでもうちとは友達として付き合ってくれてる。オトせるもんならオトしてみろってさ。フンマンも応援してくれてるし、諦めようにもまだ、ちょっとね」

「水迄にそれを言ったからって、あいつが嫌な顔をするとは思えんが」

「イヤな顔なんてしないですよ。そもそもあいつに打ち明けたのは宣戦布告するためだったし」

「宣戦布告?」

「おっさんホントに探偵なの? ひとの機微に疎すぎ」

「探偵ではないんだがな」

「あっそ。どっちでもいいですけど。というかどう見たってユウナさん、シズクのこと好きじゃないですか。最初は色仕掛けで骨抜きにしてやろうと思ったのに、ぜんぜん見向きもされないし。癪だったし面倒だったから、うち、言ってやったんですよ。まごまごしてたら取っちゃいますよって」

「それで水迄はなんて」

「どうぞ、って。ああそうなんだ、じゃあシズクを諦めてくれるんですねって言ったら、それはムリですとかほざくし。ならいっそはやく告白しろよって言っても、それこそムリですとか言ってくれちゃって。それ聞いたらもうね、情けないのやら、腹立つのやら、なんでこんな男をシズクはって泣きたくなっちゃって」

「は? は?」

「だからおっさん、ひとの機微に疎すぎ」

 ヒガミはここぞとばかりに嗜虐の笑みをつくり、

「シズクはユウナさんのことがずっと好きだったんですよ」と告げた。

 聞きたくなかった。

 聞きたくなかったのだと知って、俺はようやくじぶんの気持ちに気がついた。

 が、もう遅い。

「ちなみにフンマンはユウナさんのことが好きで、あのとき勢い余ってコクったらしいんですけど、それは聞いてなかったですか?」

 聞いていなかった。口を割りたがらないわけだとあのときの水迄のらしくのない意固地な姿勢が腑に落ちた。

「もう一つだけ訊いていいか」

「これで最後にしてよ。あとしゃべるときは――」

「わかってる。そっちは向かねぇよ」俺は言った。「サイレントキル。あのチームから奪ったクスリはどこにある」

「ホント、そういう察しのよさだけはいいんですね。あれはもう捨てちゃいました」

「売れば相当な金になったのにか」

「そうなんですか? 危ないクスリだと思ってトイレに流しちゃったんですけど。ああ、だからリヴァルのやつあんなに血相変えてたんですねぇ。いまごろノイジィたちに殺されてたりして」

「元彼なのにいいのか」

「おっさんさ、人の話聞いてないよね。うちはいまもむかしもシズク一筋。レズだし、男になんて興味ない」

「じゃあ、どうやって取り入ったんだ」

 パーティーホルでの一幕を思いだす。ただの昔なじみという印象ではなかった。

「向こうがうちに惚れてるだけ。けっこう前から付きまとわれてて。シズクから聞いてなかったですか? 最初はあいつもチームに誘われてたらしいんですけど、メンバーにユウナさんがいるの知ってビビって断ったらしいですよ。うちがいる前で無様な姿は晒せないとでも思ったんじゃないですか。男ってそういうとこホントガキ。どっちにしろ無様だっつうの」

 言葉が過ぎると思うが、相手も相手だ。つよくは正せない。俺が言えた義理でもない。

「どうしたんですか。話はもうおしまいでいいですか」

「ああ。聞きたい話はおおむね聞けた。ありがとよ」

「どういたまして。じゃあこれでほっぺたぶった分はチャラにしてくださいね。むしろ手を痛めちゃったくらいなんですから、逆に謝罪してほしいくらいです」

「わるかったな」

「あら、素直。キモチわるいですよ」

 おやすみなさい。

 ヒガミはそそくさと部屋を出ていった。自分だけベッドのうえで寝るつもりなのだろう。最後までしたたかな女だ。

 俺は部屋を振りかえり、そこに眠る四人の姿を目に焼きつける。

 

 ホテルのロビーに下りると女が一人、石柱に背を預ける格好で待ち伏せていた。猫二湖だ。部屋まで来なかったのは、メンバーたちに俺との関係を知られたくなかったからか。

「あれではまるで当てつけではないですか」ハイヒールをカツカツ云わせながら近づいてくる。

「うるせぇな。依頼は守った。優勝できるチームを編成し、決勝の舞台では手を抜け。ド素人の俺が入ったんだ、これ以上の手抜きはねえ。違うか」

「会場での人気投票、およびネット配信での人気投票、共にダントツで一位でした。おめでとうございます」

「うれしかねぇな。仮に依頼するなら決勝で負けろとはっきりと言ってくれりゃよかったんだ」

「依頼主の意向を酌むのもあなた方の仕事でしょう」

「あなた方? ほかに誰かと組んでたのかよ」

 閉口したところを鑑みれば、図星なのだろう。まあ俺以外の人間を雇っていてもふしぎではない。それこそ外国人チーム、サイレントキルのスポンサーはこいつらなのだろうから。

「老婆心ながら一つ忠告しておいてやる。あのチームを利用するのは今回だけにしとけ。とんでもねぇ爆弾抱えてんぞ」

「ご親切にどうも。ですが彼らにはもうすこし活躍してもらわねばなりません。それだけの投資をすでにしてしまっているのですから、その分の回収をするまでは手放すわけには」

「かってにしろよ」

 忠告はした。あとは彼女たちの問題だ。

「そうそう」

 背を向けた途端、猫二湖が言った。「結果発表の場にいらっしゃらなかったようなので、私、お教えさしあげに来たのでした」

「聞きたかねぇが、いちおう聞いとく。優勝は?」

「C-WALK ALONE。審査員票が集まり、総合で二位と僅差のようでした」

「おめでとさん」

 こんどこそ俺は背を向け、夜の街へと繰りだした。

 はずなのだが、どういうわけであろう。

 俺はクソダサいミニバンに揺られながら、靖国神社を尻目に皇居の敷地をぐるっと回っている。運転手は身体を前のめりにし、ハンドルにしがみついている。

 死にたくはないので声をかけずにいたのだが、いったいいつまで付き合わせる気だ。信号機に差しかかり、三十メートルも前から車の速度が段階的にガクガク落ちだしたところで、

「いい加減にしろ」

 俺は痺れを切らした。「このままだと一周して元の地点に戻っちまうぞ。なんなんだいったい。つうか管轄外だろ、なんでおめぇがいんだ鳥島ァ」

「あ、サイドブレーキ下ろしたまんまだった」

「おま!」

「あーうそうそ。で、なに」

「なに、じゃねえよ。なんで俺はてめぇと夜のドライブをロマンチックにしてなきゃなんねぇんだって話だよ」

「ロマンチックではないでしょ」

 相変わらず皮肉の通じない女だ。

「じつは匿名の情報っていうか、届け物があって」鳥島がグラサンをかけだしたのでぎょっとし、俺は横から腕を伸ばし、かっさらう。非難を寄越すでもなく鳥島は肩まで伸びた長髪をひっつめに結わいだし、車がふたたび走りだす。「匿名ってのは、誰が寄越したのか調べてみても発信者についての側面像がまったく亡羊とも判らなかったって意味。で、内容は新型危険ドラッグの流布に、うちの関係者、あんただから言うけど、屋久さんが関わってるらしいって密告」

「屋久さんが?」

 屋久みつゆ。鳥島の上司だ。そういえば、と思いだす。初めて顔を出したダンスイベントの会場で屋久さんを見かけた。鳥島の付き添いで来ていただけなのかと思っていたが、そうではないのかもしれない。

「もともと怪しいとは思ってた。なかなか尻尾をださなくて辟易していたところに、匿名の情報提供でしょ。ひょっとしたらあんたの仕業かとも思ったんだけど、とんだ期待外れね」

「うるせえよ。にしても匿名の情報なんざよく信じたな」

「信じる必要なんかないでしょ。イタズラかどうか確かめてみたら、提供された情報どおりの事実が明らかになったってだけの話。売人らしき集団がこの近辺のホテルにいるって情報もその一つ。これについては大量のドラッグがご丁寧にもいっしょに送られてきたから、信じる信じない以前の問題だったけど」

「大量ってのはどれくらいの量だ」

「そこひっかかる? ざっと二百グラムはあったかな。末端価格でこの車十台は買える量」

「大したことねぇな」

「降りてもいいのよ」

「さんざん付きあわせといて歩いて帰れってか。始発だってまだだろ」

 鳥島は意に介さない。

「日付変わってのきょう、午前中に件の売人たちをいっせいに検挙する予定。ガサ入れすれば物的証拠くらい出てくるはず」

「出てこなかったらどうする気だ」

「血液検査でもなんでもして証拠をでっちあげる」

「ずいぶん強気だな」

「じつを言うと件のテキストが届いたのって一昨日のことでね。テキストの最後には情報提供の見返りに、とある男を一時間ほど車で連れまわしてほしいと書いてあった」

 どこまで本気なのかを推し量っていると、

「冗談だと思って気にしてなかった。最初はね」鳥島は片手で運転しだす。ハンドルから離れた片手を俺は即座に掴み、もういちどハンドルを握らせる。「いちおうあんたに話聞いておこうと思ってマンションに行ってみたらもぬけの殻でしょ。あんたが贔屓にしてた解析屋を脅してみたらさいきんまでドラッグの通販サイト探ってたって言うし。情報提供者のテキストに記されてた日時はきょうのまさにこの時刻。同時刻に問題の売人たちは同じ区画のホテルに宿泊してる。無視するにはいささか符号が重なりすぎててね」

「それでホテルを張っていたら俺が出てきたと?」

「偶然っておっかない」

 ドライブをはじめてからそろそろ一時間が経つ。

「連れまわしてそれでどうする気だ」

「さあ。一時間経ったらここに行けってさ」

 鳥島はブレーキを踏んだ。

 身体がつんのめり、シートベルのありがたみを全身で味わう。

「降りて」

「どこだよここ」

「いいから」

 半ば叩きだすようにして俺を地面に転がすと、鳥島は流れるようにミニバンを発進させる。車体をガクガク云わせながら霞むように暗がりの奥に消えていった。

 周囲を見渡す。高台だ。東京の街並を一望できる。

 絶景だ。宝石を散りばめたみたいとは月並みだが言い得て妙な譬えだと感心する。

 柵の部分に寄りかかっている人物がいる。夜景に目を落としている。俺はそいつに歩み寄る。

「あれ。武藤さん?」

 白々しくもそいつは風でなびく髪を片手で押さえるようにし、振り向いた。「なんだ、部屋にいないと思ったらこんなところにいた」

「そっちこそいつの間に」

「起きたら武藤さんいないし、ちょっと散歩でもしよっかなって」

「手の込んだ真似しやがって」

「でもそのおかげでお客さんみんな楽しんでくれてたじゃん」

 微妙に話が噛みあわない。柵に手を付き、真下を覗きこむようにする。俺たちが宿泊していたホテルが見えた。ホテルの裏手だ。展望台らしい。

「これからどうすんだ」

 何気なく口を衝いた言葉だった。

「どうするって、地元に帰ってまた同じ毎日の繰りかえし。武藤さんだってそうでしょ」

「俺は」

 言わなくてもよかったが、なぜか口にしていた。「あの街には戻れない」

「そんなことないと思うけど」

 言われて気づく。鳥島が動き、新型危険ドラッグ「サイレントキル」の売人どもが捕まるならば、とりもなおさず京極会が俺を使う理由はなくなる。報酬を得ていない現状、ある程度のペナルティは覚悟するにしても、消されるような真似だけされないのかもしれなかった。

「どうせなら悪者ぜんぶお縄にちょうだいしてくれりゃいいものを」

「そんなことしたら武藤さんまで捕まっちゃうじゃん」

 言われて顔をあげると、シズクは髪を押さえながら、「さ、戻ろ」と踵を返した。「なんか寒くなってきちゃった」

「あんまし悔しそうじゃないのな」

 歩きだした彼女の背に投げかける。

「なんで? 悔しがったほうがいいことなんてあったっけ」

「世界一になり損ねた」

「ああ」

 気の抜けた相槌を打ちシズクは、でもそれはだって、と肩を竦めた。「武藤さんの夢じゃん。あたしには関係ないし」

「そうだったな」

 俺は認めた。彼女はこれからさきも同じように踊りつづけていくのだろう。目のまえに壁があればぶち破りに走り、ぶち破れなくともそれはそれでよしとする。

 だいじなのは走り、ぶつかったという行動そのものにあるのかもしれず、そうじゃないのかもしれなかった。

「不毛だな」俺はポケットに手を突っこみ、シズクのあとを追う。

「戻らないんじゃなかったの」

「商売敵が誰なのかが気になってな。突きとめてからでも遅くはない」

「まるで武藤さんが探偵かなにかに聞こえる」

「探偵ではないんだがな」

「ダンスはどうするの。つづける?」

「腹が出てきたら格好つかねぇしな」

 ふと閃き、ダンスのインストラクターとかどうだ、と暗にまともに働く気はないのか、と投じた。

「ダンスで食べてけたらいいけど、お金のために踊りたくはないかなぁ」

「金を稼ぐことはわるいことじゃねぇぞ。稼がないよりかはよっぽどいい。タイムイズマネーって言うだろ。時は金にしてこそ意味があるんだ」

 人生も同じだ、と言ってやる。

「でたぁ。せっかく武藤さんのおやじ臭い説教、聞かずに済むと思ったのに」

 悪態を突きながらシズクは、意味もなく俺の足を蹴ってくる。肘で小突きかえし、俺たちはゆるやかな坂をくだっていく。

 涼しげな虫の音がそこかしこから聞こえ、微かな音色を奏でている。どちらからともなく、天然の音楽に歩調を重ねていく。

 律動よい足音が、

 静かな夜にはよく響く。

 

       【暗黒舞踏団~~踊り屋たちの囮か愛~~】END





  

      第二話【囮と知りつつ愛をとり】



 穴にイチモツをぶちこみたい。

 ダンスをはじめた理由なんてそんなものだ。セックスがしたい。ただそれだけ。

 夜更けの駅前は閑散とし、始発までのあいだ、人通りは皆無となる。ときおり酔っ払いが、渡り歩くアリのようにビルからビルへとヨタヨタ姿を現すが、こちらを気に留める素振りはない。

 半年前に苦情をだされ、曲をかけることを禁じられた。かといって曲がなければ踊れない。

 耳に栓をし、

 栓そのものから曲が流れる。

 栓から流れるその音は内と外を明確に隔て、養分を得た種子のように精神は肉体に根を生やし、同調する。

 同調し、解放された意識は、曲の合間を縫うように潜る、潜る、果てしなく、譫妄(せんもう)はつづくよどこまでも。途端に、ビート、メロディ、効果音といくつかの階層に分離する。ビートを捕まえるのは造作もない。メロディもいちど波に乗ってしまえばあとはかってに身体が動く。しかし効果音だけは一筋縄ではいかない。不規則に挿入されたそれらは、曲の底に潜むようにこっそり、何気なく、自己を主張することなく点在する。さながら海底に眠る沈没船だ。

 そういった沈没船を見つけては、拾いあげる。

 ふだん聞き逃され、意識されることのない音。

 孤独な引き立て役たちに、それとなく、さりげなく、はっきりとスポットを当てる。

 聞き逃しまいと身構える必要はない。思考を挟んではならない。

 すべては自然に、流れるように、滞りなく行わなければならない。

 解放された意識が輪郭を伴い、ふたたび一つの曲として、確固とした自我としてまとまるまで、浮上するまで、戻ってくるまでそれをつづける。

 踊り終えるといつも思う。

 宝探しみたいだ。


      *


 つぎの大会で優勝できなかったら解散しよう。リダの言葉にメンバーはみな各々顔を見合わせる。おれは横にいたショータの顔を見て、口元に目を留めた。ハンバーグソースが付着している。

「優勝しちゃったらどうするの」ショータが言った。おれは彼の口元を拭いてやりたい衝動を堪える。

「フランスの本戦に出場して、そこでも優勝する」リダが応じる。彼女はいつだって突き離した物言いをする。「簡単な話だ」

「だったらべつに解散しなくてもよくね」とこれはジャックだ。タンクトップからはみ出た筋肉にはシマウマも顔負けのタトゥーが縦横無尽に刻まれている。「負けても来年また挑戦すればいいじゃん」

「今年でダメならあといくらやったって無駄だ。時間の無駄」リダは似合いもしないショートケーキを上品にもフォークを使ってチマチマ口に運ぶ。

「シュガーは?」

 ショータが目をぱちくりさせこちらを向くが、それは砂糖はいかが?という問いかけではなく、何か意見してよ、という催促だ。

「いいんじゃないか」おれは言った。「潮時だとおれも思ってた。あと一年本気でやってダメなら解散しよう。つづけたいやつはほかのチームに入るなりソロでやるなりすりゃいい」

 タイミングよく店内がシンと静まりかえる。流れていたBGMが浮き上がる。

「お、この曲」

 ジャックがにんまりした。肩を揺らし、拍子をとる。ついさきほど敗退したばかりの大会でかかっていた曲だ。

「ベスト8かぁ」ショータが万歳の格好でテーブルに突っ伏す。短い腕は対面に座るジャックまで届かない。「去年はベスト4。その前はえっとぉ」

「準優勝」リダが応じる。

「あのときがぼくらの全盛期だったのかなぁ」

「んだよオレらが衰えたとでも言いてぇのか」

「そうじゃない」ショータの代わりに応じておく。「年々レベルが上がってきているだけのことで、おれたちがすこし時代遅れってだけの話だ」

「たしかに」リダがもっともらしく頷く。「さいきんじゃ一撃必殺、一芸に秀でているだけじゃ勝てなくなってきた」

「何のためのチームだよ。みんなよくてみんないい。足りない部分を補うための仲間だろ。みんなで七色に輝けばいいじゃねえか」

 ジャックは力こぶをつくり、そこに刻まれた「虹」のタトゥーを見せつけるようにする。鼻のピアスが余計に、彼の言動の臭さを浮き彫りにする。

「七色にねぇ」

 呆れた調子で声を掛けてきたのは、席を外していたシズクだ。今年ウチのチームに入ったばかりの新人で、実力は折り紙つきだ。しょうじき今回の大会も彼女がいなければ予選をあがれていたのかさえ疑わしい。

「どうだった?」

「ダメだった。もうすこし時間ちょうだい。なんとか説得してみせるから」

 席を詰めたショータのとなりにシズクは腰掛け、そんな彼女に今しがた議論していた内容を伝える。

「いいんじゃない」

 どうでもよさげにシズクは言った。「優勝すればいいだけの話でしょ」


      *


 性的な行為への憧憬は思えば幼少期からすでにあったように思う。母親の映画好きの影響で、一般的な少年少女たちよりも性描写のある映像を幼いころから多く視聴していた。

 何かイケナイものを観ているようで気を揉んだ。たいていその場には母親がおり、たいへん息苦しい時間を過ごしたものだ。

 ようやく自慰なるものを覚えたのは中学校にあがってからの時分で、同級生が性に疎いこちらに強制的に知恵を授けた。相手からすればなにかしら優位に立っている感じがしておもしろかったのだろう。情報の披歴には快楽が付きまとう。

 自慰なるものを覚え、そのとき同時にセックスなるものの存在を知った。女体の神秘にはじまり、口淫やら射精やら、ともかく性的行為に関する知識について同級生たちはことのほか深く知悉していた。

 中二にもなるとじっさいにそれを体験したと嘯く者たちがでてきた。うらやましく思い、反面うらめしくも思った。なぜじぶんではないのか。なぜじぶんはそれを体験できずにいるのか。

 初めての体験をもたらしてくれる相手を求めたが、どうやら求めている方向性が他者とは違っているらしいのだと遅まきながら、そのとき知った。

 多くの者たちとは相いれない側に属している。端的に、性的少数派だった。

 思えばたしかに映画で流れる濡れ場では、じぶんの想像しているような構図で登場人物たちが絡みあうといった場面を目にした憶えはなかった。

 いったいどこでねじれてしまったのか。悩みはじめたのは高校を卒業してからのことであり、それまではただどこか他人とは違うのだという認識を持つに留まり、さして頭を抱えたりはしなかった。

 大学には進まずにアルバイトをして小金を稼ぎ、ときには知人の仕事を手伝って糊口を凌いだ。

 初めての恋人はそのときにできた。カノジョは――身体的性別は男であったがこちらにとってカノジョはカノジョでしかなく、だからカノジョと称するが――カノジョはそのときまだ高校生だった。同窓生であり、二歳下の後輩だった。表向きしっかり者の優等生で、身長が低いながらもバスケ部の長として部員たちを地区予選優勝に導いた立役者だ。校内外に問わず女子に人気のある生徒だった。

 受験期に差しかかり、部活も引退し、燃え尽き症候群にでもかかったように陰気な生活を送っていたカノジョがなぜこちらに声を掛けてきたのかは分からない。バイト帰り、街中をフラフラ歩いていたらカノジョが駆け寄ってきて、いまなにしてるんですか、といった近況など、他愛もない言葉を交わし、そこから加速度的に関係が深まった。

 しょうじきなところ年下の、それもこちらを慕っていると丸分かりなカノジョをまえにし、性衝動を抑える必要性はいっさい感じられなかった。こと閉鎖的な空間で二人きりになってしまうとまるでそうしてくれとカノジョが訴えてきているような錯覚に陥る。ひとりの人間ではなく、ひとつの料理のように、差しだされたので残すのは失礼だ、完食するのが礼儀だろうという都合のよい考えが思考を支配していく。

 初めはカノジョの唇と、舌の動きと、腫れぼったい突起物を甘噛みするに留めた。穴のほうに触れようとするとさすがに抵抗があるのか、むずかられた。

 徐々に調教していこう。方針を定めた。

 射精させずに、いつもギリギリのところで焦らした。腰をくねらせ、もっともっととねだるカノジョへの愛撫を続行すると共に、穴のほうもいじくるようにした。パブロフの犬という心理学用語がある。習慣付けとも呼べるそれは、報酬を与える際に特定の信号を発しておくと、報酬が満たされずとも信号を得るだけで脳がかってに報酬を得たと勘違いをする。そういった現象を示す言葉だ。餌をやるときにベルを鳴らすように習慣付けると、餌をやらずともベルを鳴らされただけで犬は唾液を分泌するようになる。

 射精という快楽を与える前に尻をいじることで、尻をいじられただけで射精できるような肉体に調教してやった。

 驚くほど上手くいった。

 相手がこちらに依存しはじめていたことも関係しているだろう。主導権は完全に握っており、支配したも同然の関係性が二年ほどつづいた。

 そのころにはすでに初体験は済ませてあり、カノジョは文字通り、こちらの欲望を受け入れる肉壺となった。

 いざ済ませてしまえば、なんだこんなものかといった若干の失望は否めない。

 が、しだいに自らこちらの愛撫を、欲望の発散をねだるようになっていくカノジョの姿を見るのは、嫌ではなく、何かしらが満たされるような心地がし、やはり嫌いではなかった。

 ぼくも挿れてみたいです。

 やがてカノジョがそんなわがままを言いだした。思案する間もなく考えはまとまった。カノジョの痴態を収めた映像データをカノジョのかつてのチームメイトや、旧友に送りつけ、縁を切った。

 主人に噛みつきたいとのたまく愛玩動物にかける慈悲など、あいにくと持ち併せてはいない。


      *


 むかしのことを思いだしていると、ぼくはやだなぁとショータが言った。ファミレスで解散したあと、おれはショータと連れ立って歩いていた。

「シズクの言うとおりだ」酔っ払いとぶつかりそうになり、ショータの肩を寄せる。「優勝すればいいだけの話さ」

「そんなかんたんにいくかなぁ」

「無理だと思っているのか」

「やる気だけでどうなるとも思えないだけだよ」

「合同練習は週二から週四に変更。行けるやつは毎日。あとは練習そのものの質を高めればそれほど無茶な話とは思えないけどな」

「うーん」

「シズクも入ったし。あいつのイチ推しのダンサーも絶賛勧誘中なわけだろ。人数は申し分ない。あとはショーケースの構成をこれまでにないくらいぶっ飛んだものにすればいい」

「バトルはどうするの」

 ショータが素朴な瞳を向けてくる。

 そう。それこそが問題だ。今年からショーケースだけではなく、上位入賞チームでバトルをし、その成績も点数に加味されるシステムに変更された。いくらショーでいい点をとれてもバトルで惨敗すれば優勝できない。かといってバトルに特化したチーム編成をしても、ショーがよくなければそもそもバトルの壇上にさえあがれない。

「バトルなんてそれこそ気の持ちようだ。スキルが高いに越したことはないが、それよりも大事なのはどれだけダンスが好きか、音楽が好きかって、そっちのメンタルのほうが重要だ。そうじゃないか?」

「うーん」ショータは考え込むようにし、そうかも、とこちらを見上げたときにはヒマワリのような笑みを咲かせている。単純で素直な性格は、子犬を眺めているようで気分がいい。

「きょう、親御さんは?」

「帰ってこないよ。来月までまた海外だって」

「どうする? うちに泊めてやってもいいぞ」

「うーん」

「無理にってわけじゃないけどな。さいきんこの辺りも物騒だから」

「ぶっそう?」

「知らないのか。強姦事件が多発してる」

「待って。ぼく、おとこだよ?」

「だから心配なんだ」

 言うとショータは眉を結び、あごの下にシワシワのハンコを刻んだ。おれは生じた齟齬を正そうと、「被害者はみな男だ」と告げる。

「へ?」

「その強姦事件な。被害に遭ったのはみんな男だったそうだ。つまりは、尻を掘られたんだな」

「うわぁ」

「な? 気を付けたほうがいいだろ」

 ショータが下唇を噛みしめるようにし、口元をむずむずさせている。愉快なのだろう。

「そういやシズクが勧誘してたヤツ。そいつの動画、データでもらってあるんだ」

「ホント?」

「ネットでも検索すれば観れるらしいけど、ショータ、まだ持ってないんだろ」

「うん」

 なぜかショータはメディア端末を持ちたがらない。親が金に不自由しているわけでもなさそうで、他人と繋がるのが嫌なだけ、とは彼の言であるのだが、それにしては意固地になっている気がする。

「なら今から観にくるか」本当はこの場でおれのメディア端末を駆使し動画を観せてやることもできるのだが、その案は胸に秘めておく。

「観たいけど」

「煮え切らないな」

「だってシュガーってばぼくのこと……」

 なぜか潤んだ瞳で見上げられる。おれは挙動不審になりそうなじぶんを自覚し、努めて平静を装った。「襲ったりはしねぇよ」と冗談めかし口にする。

「そりゃそうだよぉ」ショータはからからと笑い、そうじゃなくてと続けた。「シュガーはぼくのことあんまり好きじゃないでしょ。迷惑じゃないのかなって」

「はぁ?」

「だってよく睨んでくるし。ほかのみんなにするみたいに馴れ馴れしく遊んでくれないし」

「おまえなぁ」遠慮していたのが裏目に出ていたようだ。

「かんちがいだった?」

「誤解も誤解だ。仮におまえとデートの約束をしてたらジャックが死にかけてたってそっちを優先する」

「あはは。ひどい。しかもデートだって。おかしい」

 真実おかしそうにショータはお腹を抱えた。


      *


 穴に棒を突っこむ。ただそれしきのことがなぜこうも神聖化され、一方では蛇蝎視されているのか。答えは単純に、そこに生殖が介入するからだ。子を産むための行為であり、ゆえにそれ以外の、快楽を貪るためだけの行為であってはならない。ならば生殖を伴わないもう一つの穴でそれをするのはさほど間違った行いとは思えない。

 初めてのカノジョを袖にしてからひと月後、縁があってふたたびの恋人を手に入れた。カノジョは肉体的にも女だった。かといって生殖を伴うほうの穴でそれをするのはなんだか忍びなく、しぶる相手をムリヤリに組伏せ、うしろの穴の処女をもらった。

 泣き叫ぶカノジョは愛おしく、愛の言葉を囁きかけると、しだいにカノジョは甘美の声をくるしそうにではあるが、あげはじめた。

 何度かヘンタイと涙ながらに糾弾されたが、カノジョが別れを切りだしてくることはなかった。

 半年ほど交際をつづけているあいだに、もう一人、恋人と呼ぶべき相手ができた。そいつは肉体的特徴が男でありながら、見た目は女としか思えないいわゆるニューハーフ、もしくは男の娘と呼ぶべき人種だった。

 うしろの穴を掘られることに悦びを見出す根っからのウケだったが、わざと円滑油を垂らさずに尻を責めたてると、苦悶の表情を浮かべながら、それでもこちらを受け入れようと唇を食いしばる姿に、込みあげるものを感じた。

 浮気をしているのではないか、と肉体的特徴が女のほうのカノジョに疑われたが、この国の法律にペットは一人一匹まで、という項目はない。気を揉むのも面倒だったので、浮気と呼べるかは疑わしいが、もう一人おまえみたいなやつがいる、尻を掘られて悦ぶやつが、と告げると、起爆スイッチを押してしまったがごとくの変貌具合でカノジョは、そんなやつとは縁を切って、あなたにはわたしがいるでしょ、と相手との離縁を迫った。

 面倒は苦手だ。こちらの足を引っ張る人間を身近に置いておくほど寛容ではない。肉体的特徴が女のほうを切り捨てることにした。むろんそいつのあられもない姿が収まったデータをネット上に放流して。

 もう一方の、手元に残したはずの、三人目と称すべき肉体的特徴が男だが見た目は完全な女であるカノジョとはすぐに別れるハメになる。カノジョにはこちら以外にも肉欲を満たし合う相手がいたようだ。端的にビッチだったが、ビッチでありながらカノジョは、淫らな映像を断固として撮らせようとはせず、消化不良、不完全燃焼といった具合で、無駄に苛々した日々を送った。

 ある日、街角でこちらを袖にした件のビッチを見かけた。あとを付け、自宅であるだろうアパートを突き止めてからはもう、胸に湧いた衝動を誤魔化しきれなかった。

 部屋を訪れ、押し入ってから、悲鳴をあげさせる暇を与えず口に下着をねじこんだ。用意しておいたガムテープで口を塞ぎ、なるべく苦しむように、痛がるように、ねっとりと時間をかけ甚振った。

 ちょっとした発明をした気分だった。

 これだ、これなんだ、と思った。

 欠けていた溝が埋まったような、足りなかったパーツが揃ったような、脚が痛いのは骨折していたからなんだと気づいたような妙な安心感があった。

 満足し終えてから、なるべく相手の自尊心を傷つけるような映像を撮った。それはたとえば尻の穴を自らのゆびで押し広げさせ、中で蠢く直腸をあけっぴろげにしている姿だったり、両手を縛り、床に置いたペットボトルに跨らせ、それを尻の穴にねじ込みながら男性器を勃起させている様だったり、或いはこちらの腰からそそり立つ欲望とは名ばかりのスティックを物欲しげに口に含んでいる姿だったり、とかくソイツがそういった行為を抵抗なくこなせる人間であるのだといった事実を周知にさせるだけの映像を、画像を、一晩かけて撮り溜めた。

「被害届を出すといい。刑事たちが証拠物品として今撮ったやつをじっくり鑑賞してくれる」

 言い残し、部屋をあとにした半年後、なぜか件のビッチは、美しすぎる男の娘としてAVデビューしていた。よくわからないが、金に困っていたわけではないだろう。カノジョの何かを目覚めさせてしまったのかもしれず、せっかくのよい気持ちが沈むようだった。


      *


 けっきょくショータをうちに泊まらせた。雑談を交わし、勧誘中のダンサーが所属していたチームの動画を観た。間もなくウトウトしだしたショータをベッドに運び、おれはシャワーを浴びた。

 ショータの無垢な寝顔を覗きこんでいると、ちゃぶ台のうえでメディア端末が震えた。オニヤンマを捕まえるような手つきで素早く取り、画面を確認するとシズクからだった。耳にあてがい、

「あいよ」と応じる。

「送ったやつ読んでよ」

 藪から棒に吠えられる。どうやらテキストメッセージを送っていたようだ。ショータとの至福の時間に気をとられすぎて気づかなかった。

「急用か?」わざわざ電話してきたのだからそうなのだろう。

「モブがやられた」

「は?」

「例のドリル。また出て、こんどの被害者、モブだって」

 ドリル。ショータにも話した連続男子強姦魔の別称だ。誰が呼びはじめるともなくそう呼ばれるようになった。

 おれは頭のなかで、泣きじゃくるモブの顔を思いだす。予選をあがれても落ちてもあいつはいつも泣きそうな面を浮かべていた。センスがないくせにやる気だけは人一倍で、見ていて憐れであり、そこが愛おしくもあった。

「あいつはでもフランスに行ったんじゃなかったか」

「もう二週間になる。やられて、それでずっと引きこもってるんだって」

「ふうん。で?」

「で、ってなに」

「被害者がモブだってのは分かった。かわいそうだとも思う。だけどおれたちが騒いで、それでどうなる。モブが引きこもってたのは知られたくなかったからだろ。フランスに行ったなんて嘘を吐いたのだってケツ掘られたなんてこと口が裂けても言いたくなかったからじゃないのか」

「そうだろうけど」

「だったらそっとしといてやるのが筋ってもんだろ。無駄に騒いで、あいつにとっての傷口を広げてやるこたぁない」

「でもシュガー。仲間に手ぇだされたんだよ。黙ってられんの」

 おれは鼻で笑った。「おまえの口から仲間なんて言葉聞くとは思ってなかった」

「そんなこと言ってない」

「いや言った」

「言ってない。でもダンサーに手ぇだされて黙っていたくないのはホント。泣き寝入りなんてイヤ。ほかのバカが被害に遭うのはもっとイヤ」

「おれたちで犯人を捕まえようとでも?」

「べつにシュガーは誘ってない。ただ、手伝いたいってんなら止めないけど?」

「おまえなぁ」

「べつに頼んでるわけじゃないし」

「素直じゃない女は嫌いじゃないが、もうすこしそそる言い方を覚えたほうがいい」

「シュガー」

「なんだ」

「おねがい」

 聞いたことのないシズクの猫撫で声に、おれは堪らず噴きだした。「わかった。わかったよ。ああちくしょー、シズク、おまえもなかなかわるい女だな」

「賢いって言って」

 通話は切れた。バイバイを言わない女は嫌いじゃない。

「どうしたの」

 見遣るとショータが目元をコショコショこすり、ベッドから起き上がろうとしているところだった。

「わるい。起こしちまったか」

「ううん。でもなんか話してたのは聞こえた。今のシズク?」

「ああ」

「何だって?」

「勧誘の件。難航してるらしくてな。ひょっとしたらおれたちだけでやるしかないかもって」

 優勝を狙うのに五人はすくない。せめてあと一人欲しいところだ。

「ぼくはそっちのほうがいいのに」

 シズクを勧誘すると決めたとき、ショータだけが最後まで不満そうだった。仲間に受け入れてからはショータがいちばんシズクを慕っている。そうと解っていたから拒否していたのかもしれない。大事なものは両手で抱えられるだけでいい。それ以上は余計な荷物にしかならないとショータはどこかで割り切っているようにおれの目には映った。

「うわなにすんの。ちょっとやめてよシュガー」

 さほど嫌というほどでもない言い方でとくに抵抗を示さないショータの頭をおれは好き放題に撫でつける。「子どもはもう寝ろ」

「子どもってぼく、もう十三だよ」

「小学生は寝る時間だぞー」

「卒業したのにー」

 男の成長期は遅れてやってくるのか、ショータは未だ小学生と言ったほうがよい体格だ。その骨格のどこからあんな超絶スキルが繰りだされるのかとおれは毎度のようにショータの肉体を隅々まで調べ尽くしたい衝動に駆られる。

「眠れないのか。よーし。ならおいちゃんが絵本でも読んでやるかー」

「どうしたのシュガー。なんかヘンだよ」

 ドン引きのショータにおれは即興でまとめあげた新訳桃太郎を聞かせてやった。


      *


 弟がいた。母と父は仲がわるく、何かにつけ口論をしていた。弟はそんな両親を冷めた目で眺め、しかし指しゃぶりの癖が小学校にあがってからも抜けなかった。

 いじめられていたわけではないのだろうが弟は学校で級友たちに馴染めず、しだいに登校拒否気味になっていった。たまにいっしょに出かけ、公園の野原でフリスビーを投げ合った。ペットを飼いたいのに反対されたので代わりに散歩してやっていたつもりだった。弟はそれまで以上にこちらに懐いた。

 糞の世話も食事の世話もしないで済むペット。愛玩動物において人間ほど手ごろなものはないと気づいたのは思えばそのころだったのかもしれない。

 高校を卒業し、弟以外の愛玩動物を手に入れられるようになってからは、実家にはめっきり近づかず、弟とも疎遠になっていた。

 再会したのはちょうど三人目のカノジョを手籠めにし、ぞんざいに損なわせてから放逐した直後のことだった。


      *


 駅前商店街からほど近く、高架線の下におれたちの練習場はある。フェンスを隔てたとなりには、ストリートバスケのコートがある。日中はそこでボールのダムダムする音が反響し、夜はスケーターたちの鳴らすガラガラに対抗するべく、おれたちダンサーの流す音楽が大音量で鳴り響く。

 大会の翌日くらいゆっくり休めばいい。おれのそうした常識的見解はチーム内でひんしゅくを買った。

「優勝しよう、がんばろうって話し合ったの、昨日の今日だよ」

 ショータにまで非難されてはぐうの音も出ない。うちに泊まったその足で練習場までいっしょに来た。腹ごしらえは済ませてある。ショータは地面に尻を付けたままの恰好で靴ひもを結んでいる。立ち上がるとつま先で地面を小突くようにした。となりでシズクがストレッチをしている。「ショータくんの言うとおり。勝って兜の緒を締めろ。負けたらもっと緒を締めろ」

「首を吊る気かよ。そもそも続きがあったのかその諺」

 初耳だぞ、と揚げ足をとるが、無視される。

「昨日帰ってからリダと話したんだけどよ」ジャックがBOX型スピーカーを持って戻ってくる。スピーカーはいつも近くの貸しロッカーに仕舞ってある。「時間的に厳しいかもしんねぇけどショーの構成、ゼロから考え直さねぇか」

「今までのやつは捨てるってこと?」ショータが戸惑いがちに言った。

「ああ。いいとこどりして再構成ってのが一番手っ取り早いけど、それだとなんだか出し惜しみしてるみてぇじゃね」

「おれもその意見には賛成だ」と同意する。

「あたしもそっちのほうがいいかな」とこれはシズクだ。「曲だって変えるんでしょ? だったらそれに合ったフリ創ろうよ」

「それもそっか」ショータはなぜかシズクの意見には素直に従う。

「というかリダはどこだ」

「あ、わりい。あいつ今日ちょっと予定があってな」

 はぁ? と一同声が重なる。

「おまえなぁ」おれは言ってやった。「姉貴の躾くらいちゃんとしろって」

「そうしてぇのは山々なんだけどな」ジャックはこめかみを掻き、「オレもあいつは苦手なんだ」と言った。

 おれも、とはどういう意味か。まるでおれまでリダに頭があがらないような言い草だ。「いっしょにすんな。リーダーなんぞしょせんは雑用がかりだろ」

「うわぁシュガーいいの? そんなこと言って」

「ホント」ショータの言葉を受けて、シズクまで同調する。「あとでリダさんに何されてもしらないよ」

「おまえらみんな敵だ」おれはいじけた。「おまえはちがうよな」とジャックを見遣るが、さあて練習練習、とこちらに背を向け逆立ちをはじめる。

「ちくしょー」

 いちおうこれでも年長者なんだぞ。おれは地団太を踏んだ。すこしこいつらを甘やかしていたかもしれない。

「だいじょうぶ。ぼくはシュガーの味方だよ」ショータが軽快なステップを踏みながら、さりげなくフォローしてくれる。

「リダのつぎに、だろ」

「そうかも」

「否定しろよ」

「あはは」

 各自アップを済ませ、リダの決めたという曲に合わせ、大まかな段取りを決めていく。その後一時間をソロの練習に費やし、この日は解散となった。


      *


 ダンスのジャンルにもいろいろある。モテたいならニュースクールがいいだろうと思い、駅ビルの下でたむろっているダンサーたちに声をかけたのが最初になる。

 誰に教えてもらうわけでもなく、おすすめのダンサーの名前を聞き、ネットで検索して動画を漁った。毎日その場所に顔をだしているとしだいに顔見知りが増えていき、イベントなどにも誘われるようになった。しばらくイベントには観客として参加していた。初めてエントリー者として参加したのは、見よう見真似でダンスをはじめてからひと月後のことだった。

 しょうじき出るだけ恥じであり、モテるような踊りなどできるわけもなかったが、引っ込み思案ほど上達しない分野だと感覚的に分かっていた。なるべく早めに挑戦しておくべきだと考えた。

 その判断は功を奏したと呼べる。場数を増やしていくにつれ、スキルはめきめきと上達した。名前が独り歩きし、やがて顔も知らないやつから声をかけられるようになった。

 一方的に存在を知られるようになってからは、いっしょにやらないか、とチームに誘ってくれる者たちがではじめた。どれもダンスをはじめたばかりのころには雲のうえの存在だと思っていたやつらばかりだったが、いざ同じ土俵にあがってみれば、彼らもまた高みを目指しあがいている挑戦者なのだと知った。

 いくつかのチームを渡り歩いたが、どれもしっくりこなかった。みな世界一になると口では言っているが、どうにも行動が伴っていないように感じられてならなかった。

 大言壮語。

 真に実力のあるやつらはそんな夢を語る以前に、夢中になって、いま目の前にある壁を乗り越えようとあがいている。イベントにいけば、どれほどちいさな箱であっても、そうしたがむしゃらなやろうが最低一人は目についた。

 うまい人間はたいがい実力のあるチームに入っている。しかし実力があるくせになかなか大会で勝ち進めない奴らもいるところにはいる。

 色が違いすぎるのだ。

 個性がありすぎて、既存のジャンルの枠では測りきれない。ゆえにどうしてもジャッジからの評価がからくなる。

 基本的にコンテストでもバトルでも、数人の審査員によって勝敗は決する。単純に多数決の原理で、より多くのジャッジの感心をひいた者が勝ちとなる。より多くの、などとは言うが、ジャッジなどせいぜい多くて五人くらいだ。平均的には三人いればいいほうで、ジャッジが一人、というのも珍しくはない。

 たかだか三人、そのうち二人に気に入られれば勝ち進めてしまう。

 新しすぎる才能は、そうした過去の栄光を引きずっている先人たちの目には留まりにくい。

 イベントに行くたびに、そうした埋もれた才能の輝きを目にしつづけた。

 そんな埋もれた才能の中に、弟がいた。


      *


「シュガーさ。ショータくんのこと好きでしょ」

 練習場で解散したあと、駅前のファーストフード店に入ると、よこの席にシズクが座った。偶然なのか追いかけてきたのか。だしぬけにそんなことを言いだした。

「仲間だからな」

「ならあたしのことも好きってこと? 笑える」

「嫌いではない」

「ならショータくんのことは?」

「何が言いたい」おれは気を紛らわすため窓のそとを見遣る。眼下には駅前の立体歩道橋がビルの合間を縫うように広がり、そこを流れる人間たちのゴミゴミとした様を観察する。

「シュガーさ、恋人とかいたことないでしょ」

「あるだろふつう」

「でも今はいないわけだ」

「愛の告白なら間に合ってるぞ」

「うわ。なんかかってにフラれた。ムカつく」

「ドリルの話をしたかったんじゃないのか」

「ドリルの話をしたくなさそうに見えたから、ついね」

 意味深長な間が空く。シズクは音を立てストローを吸い、カラにした飲み物の蓋を開け、残った氷をかじりだした。

「鉄分不足か?」

「ん?」

「まあいい。で、なんか掴めたのか」

「いんや。ただDJから住所聞いた」

「住所?」

「モブのアパートの」

 DJというのはシズクが親しくしているクラブのDJだ。ジャックとも仲がよく、シズクを勧誘したのもだからそのDJ繋がりと言える。

「あす、練習終わったらいっしょに行ってくれない」

「お見舞いにか?」

「それもある」

「なるほど」言いたい旨は理解した。

 直接モブから話を聞きだす腹積もりなのだろう。酷なことを考える。「なんでおれなんだ」

「ショータくん連れて行くわけにもいかないでしょ」

「ジャックは?」

「誘ったら断られた」

「嘘だな」

「うん。誘ってない。でも断られると思う」

「だろうな」

 何を仕事にしているのかは謎だが、ジャックはあれで中々に忙しい身だ。大麻でも売り捌いているのではないかと心配しているが、自滅するのはヤツのかってだ。仲間とはいえ、他人の人生までどうこう口だす義理はない。

「付き添ってやってもいいが一つ条件がある」

「なに」

「尋問役はおれにやらせろ」

「尋問なんてする気なの? ひどい人」

「おまえなぁ」

「いいよ。ならあす、練習後またこの店で。くれぐれもほかのメンバーには気取られないように」

「逆に怪しくないか。どうすんだよ、おれとおまえがデキてんじゃねえかって勘繰られたら」

「それで誰が困るの」

 ガキじみたこちらの心象を見透かしたようにシズクは目を細めた。おれが押し黙ったからかシズクは勝ち誇ったツラで、頼りにしてるよシュガーくん。わざとらしくシナをつくり、店の階段を下りていく。

 窓のそと、眼下の立体歩道橋にシズクの姿がちいさく現れるのを待ち、おれも店をあとにした。


      *


 やたらと独自性に染まった踊りを披露しているのがじつの弟だと気づくのには時間がかかった。金魚の糞のようにこちらのあとを付いて回った甘ったれ小僧の面影はなく、爬虫類のような怪しさを振りまき、妙な色気を漂わせ、そいつはクラブのなかで独り異彩を放っていた。

 声を掛けたのは偶然だった。いや、必然だったのかもしれない。つぎの2ON2のバトルに出場するため相方を探していた。通常2ON2では、なるべく相反する色を持つ相手と組んだほうが客を飽きさせないため、単純に勝つ確率が上がる。オーディエンスを味方につければ勝ちやすくなるのはどの業界でも、それがたとえ政治であったとしても常識としてまかり通る。

「あんたの実力は?」

 いっしょにバトルに出ないかと誘った相手に当然のようにそう訊きかえすそいつに、なぜか込みあげるものを感じた。ジャンルが違うとはいえ、それなりに名を売っているつもりだった。

 即興で踊ってみせてもよかったが、ほかのダンサーの目もある。本日の主役は彼らだ。無駄にメンツを潰す必要もない。日を改めていっしょに練習する約束を取りつけた。仲間と呼べる者がいないからか、そいつは行けたらいくと言いながらも、きちんと約束の日にやってきた。

 互いに王道から外れたような踊りをしている。にも拘わらず、好むところが似通っていた。意気投合するのは道理だったと呼べる。

 練習のあとに呑みに誘い、そこでダンス以外の話題に移ろい、ようやくというべきかそこでそいつがじつの弟だという事実に気づいた。

「おまえ、彼女は?」

「恋人って意味? 束縛されんの好きじゃないんだよね」

 生意気な年ごろなのだろう。おとなぶってはいるが、じっさいにはまだ義務教育を終えていないはずだ。

「同性愛者ってわけじゃないだろうな」冗談めかし探りを入れた。

「もし好きな相手がいたとして、そんでそいつにチンコが付いていたとして」弟はこちらが肉親だとも知らずに、「あんたはそれっぽっちの理由で嫌いになるのかよ」と甘ったるい台詞を極々しぜんに口にした。自分の言葉に酔っている響きはなく、本心から疑問に思っていると判らせるだけの熱を感じた。

 だからでもないが、こちらが肉親である旨は告げず、その日、そいつを四人目のカノジョにしてやることにした。


      *


「出会い系だったんだ」

 モブは四畳半の薄暗い部屋にいた。最初こそ居留守を使われていたが、シズクが大声で、バラされたくなけりゃここを開けろ、と吠えると、戸が開いた。部屋の明かりは点いておらず、スタンドライトの薄ぼんやりした光が室内に影を刻んでいる。男くさい饐えた臭いに、思わず呼吸を浅くする。

「出会い系ってどういうこと」

 単刀直入、シズクがつよい語調で問いただした。尋問の主導権はこちらにあるはずでは。抗議の念を視線に乗せ飛ばすと、彼女は不満そうに唇をすぼめた。

「おまえを襲ったのは男だろ」おれはモブの対面にあぐらを掻き、「モブ、おまえホモなのか」とやさしく問うた。

「ちがう」モブは過剰に反応した。こちらの戸惑いを察したのか、はっとした調子で口をつぐみ、それから勢い余って浮かした尻をもういちど布団につけなおした。「出会い系でちょくちょく遊んでたんだ。家出のコとか、小遣い欲しがってるコとか、持ちつ持たれつっていうか、だってべつに誰も損してないだろ」

「売春を責めちゃいないさ」おれはなるべくやさしい声をだした。「この国の法律でも売春そのものを罰する法令はない」

 安心したのかモブは、

「したらなんか3Pならタダでもいいってやつがいて」と続きを口にする。「ほかの男が一緒だけどそれでもいいならタダでヤらしてくれるって」

「なにそれ」シズクが軽蔑の眼差しをそそぐ。

 とっくに自尊心が崩れているのかモブはそれに怯むことなく、「待ち合わせ場所に行ったら男がいて。女は遅れて来るからさきにホテルに行ってようって。女の画像とか見せてくれて、それがけっこうかわいくて。でもたぶんウソだったんだ。ネットで拾った画像だったんだそれも」

「その男、どういうやつだった」

「見た目はかんぜんにカタギの人間じゃなかった。でもあんがいにいいやつに見えて。部屋に入ったら、興奮するからって薬みたいなのくれて」

「飲んだのか」

「だって流れ的に断るのも失礼な気がして」

 シズクが舌打ちをした。ここまでバカだとは思っていなかったようだ。同感だが、話を聞き終えるまでは我慢してほしい。

「目が覚めたら部屋に一人で。したらなんか全裸で、尻に違和感があって」

 当時の状況を思いだしたのか、モブは顔を青白くさせた。薄暗い室内であっても血の気が引いた様子が伝わった。

 これ以上はさすがに酷に思え、見舞いの品の牛タンセットを置いて部屋をあとにした。

「なんで牛タン?」そとにでるとシズクがわざとらしく目を見開くようにした。

「職場でもらったやつ」

 怪訝な表情をされたので、

「苦手なんだよ牛タン」

 補足したら、なぜかさらに眉をひそめられた。

 腹ごしらえをしがてらラーメン屋に入り、モブから得た情報を二人で振り返る。

「待ち合わせ場所に現れたって男がだからドリルで、モブを犯したってことだよね」

「モブをっつうかモブの尻をだな」

 シズクが無断でおれの餃子をついばんだ。睨み据えるが、

「三人でどう?なんて持ちかけてくるやつなんてそう多くはないよね」

 もういちど伸びてくるその手を叩き落としてからおれは言った。「その条件を呑んで誘いに乗るやつもそう多くはないだろうな」

「だったらこっちから呼びかけてみたらどうだろ。引っかかるかも」負けじとシズクは皿ごと引き寄せ、餃子を占領する。

「可能性はある。だがどうやってただのヘンタイと犯人を見分けるつもりだ」おれは言いながらシズクが頼んだデザートの杏仁豆腐から彼女が残しておいただろうチェリーをふんだくる。「本当に3Pがしたいだけのやつかもしれない」

「あーホントだ」シズクは涼しい顔で餃子をついばんでいく。ひょっとしたらチェリーは、嫌いで残していただけだったのかもしれない。

「そもそも犯人が単独犯なのかも分かんねえだろ。もう一人、仲間がいてもおかしくはない」

「ヤダ、ならモブってば二本も?」

「同時に突っこまれてたりしてな」

「そりゃ違和感も残るわけだわぁ」シズクはしみじみ言った。

「オトリ作戦。やるだけやってみてもいいが、保険は敷いとこう。相手が複数犯だったことを考えてこっちも使える人数増やしといたほうがよくないか」

「ジャックたちを頼るってこと?」

「不満そうだな」

「んー。ていうかあたし、ジャックがちょっと苦手で」

「なんかあったのか」

 見てクレこそ刺激的なジャックだが、無闇に人を傷つけたりはしない。それはシズクだって解っているはずだ。

「なんだろ。むず痒いんだよね一緒にいると」

「たまにキザなこと言うのは否定しないが、それくらい勘弁してやれよ」

「そうじゃなくて。すんごい分厚い皮をかぶられてるみたいで、イズいわけ」

「イズい?」

「サランラップ巻いたままでおにぎり食べてるみたいな」

「分かりやすそうで分かりにくい」

「その点、シュガーは気に入られてるよね」

 おまえにか、と冗談めかすと、シズクは下唇を突きだすようにし、

「ジャックに」

 カップを手に取り、水をすする。氷もいっしょに口に含んだのか、ガリガリ音が鳴る。

「短くない付き合いだからな」

「本当にそれだけなのかなぁ」

 探るようにこちらの顔を覗きこんでくるシズクに、丸めたペーパーナプキンをゆびで弾いて飛ばす。「気色わるい想像はやめろ」

「シュガーにその気はなくてもジャックは分からないよ。どこでもらってきたのかシュガー、いつだったかヌイグルミ持ってきたことあったでしょ。ウサギの。あれ、いらないからってジャックに押しつけてたけど、ジャックのほうもまんざらでもなさそうだったよ」

「気に入って部屋に飾ってるらしいな」

「ほらほら」

「でもありゃあいつの趣味だろ。このあいだなんか足元にカエルがいたってだけで驚いて悲鳴あげてたくらいだ、根が乙女なんだよあいつは」

「なら余計シュガーに惚れててもおかしくないよね」 

「おまえなあ」

「分かった、ごめん。今のは聞かなかったことにして。ジャックに頼むときもあたしからちゃんと言うから」シズクはさらに氷を口に含み、噛み砕く。

「そこは任せるが、なら当分おれたちでつづけるのか」

「二人だけってのはやっぱり不安だから助っ人を呼びます」

「リダやショータは巻きこんでやるなよ。か弱い女子どもなんだから」

「解ってるって。てか、あたしは?」

「か弱いつもりでいるのか」

「んだこのやろー」

 口元をほころばせながら睨みつけるという高度な感情表現をやってみせ、シズクは言った。「当てはあるからだいじょうぶ。勧誘ついでにこっちのほうにも巻きこんでやるんだ」


      *


 最初こそアナルに異物を挿られるのを嫌がった弟だが、歴代カノジョたちと同様にしだいにアナルを責められ射精するようになっていった。ときおりいきり立ったものをこちらの身体に押し付け、発情したオスに特有の嗜虐に満ちた顔を、言い換えると自分の世界に入り込んで抜けだせない真面目ぶった顔を浮かべるのだが、それを受け入れる気はさらさらなく、ゆえに行き場を失くした津波のように、肥大化した性欲を発散させるべく、やがて弟はこちらに内緒で女を抱くようになっていった。

 ことさら隠す気はなかったようで、問い詰めるでもなく水を向けると弟は白状した。

「セフレくらいいるよ。ダメだった?」

 おまえは誰の所有物だ。自覚がないなら解らせてやると冷めた眼差しをそそいでやると、解ってるって、と弟は、むろん自身が誰の弟なのかは知らないままなのだが、こちらに向け服従のポーズをとった。

「でもオレだって気持ちよくしてあげたいんだ」

 受けばかりではなく攻め側にもなりたい。弟はそう言って迂遠にこちらに詰め寄るが、攻守はどちらか一方を選べ、と決断を迫ると決まって弟は、受け手であることを選んだ。

 なんとなしに分かっていたのだろう。攻め手を選んだ途端に袖にされるのだと。

 それでも弟は肉便器どもとの逢瀬をやめなかった。はっきりと止めなかったこちらにも落ち度があるように思え、同時に過去の独裁者たちの失敗に倣うことにし、彼の信仰とも呼ぶべき性のはけ口を取り上げる真似はしなかった。

 かといって飼い主を裏切ってもだいじょうぶなのだとつけあがるのは考えものだ。

 そうと結論付け、弟が肉便器どもとたわむれている現場に押し入り、半ば強制的に参加した。肉便器の白豚じみた背中に背後から覆いかぶさるようにし、下から突きあげる弟の顔を眺めながら、二人のアナルを交互に犯してやった。どの肉便器もそのほとんどがアナル処女ではなく、すでに弟の肉棒によってトロトロの性器と化していた。

 一般にアナルは挿入された棒の形状をよりながく記憶する傾向にある。女性器は産道としての役割があるためか伸縮性に富み、穴の形状は一晩やそこらでは変形しない。が、アナルはたった一度の性行で内部の形状を変質させ、まるで模ったようにその形状を維持する。

 ゆえに浮気したかどうかはすぐに判る。内部の形状がしっくりとこず、否応なく、まるで別人としているかのような違和感を覚えてしまうからだ。

 また、アナルにイチモツなみに太い異物を挿入するとアナルのふちがめくれあがり、激しい出し入れに順応するためか唇然と厚みが増す。ゆえに処女か否かの判別は容易い。じっさいに処女に挿入するとなると穴のふちが切れ、血がでることもままある。むろんていねいに愛撫し、時間をかけてほぐしてやれば血を流させることなく挿入でき、その点は女性器と変わらない。変わるとすれば避妊の心配がないという点であり、エイズや性病などの危険性を考慮すると、なるべく処女から調教したほうが安全性が高く、また遣り甲斐も生まれる。

 前立腺の有無はさほど重要ではなく、女であっても腸壁ごしに子宮を圧迫し、性的快感を刷り込めば絶頂まで導いてやることが可能だ。アナル性行とはまたべつに子宮口を刺激し絶頂させるボルチオ性行と呼ばれる業もあるが、前立腺開発なみに時間がかかるためおすすめはしない。反してアナル性行は、排泄行為に付き纏うある種の快楽が元来的に付きまとうためか、ただそれだけで心地よく悶えさせることを可能とする。アナルへの抵抗が大きい人間ほど、背徳感が生じるため、むしろ端からアナルに興味がある者よりも適性があると呼べる。

「さいきんようやくドライを覚えたんだ」

 まるで新技を会得した格闘家のように弟は言った。

「試してやる。そこへ寝ろ」

 Tシャツ一枚になって寝そべる弟のアナルに中指を突っこみ、前立腺を探り当てながら、外側から親指で陰嚢の付け根を挟むようにした。これで弟は射精ができなくなった。終わりのない快楽へ誘うべく、弟のそそり立つ肉棒を頬張り、放さぬままでねぶりつづける。


      *


 ルーティンの割り当てをした。

 曲のどの部分で、誰が誰と同じフリを踊り、どこでソロを入れ、どういったフォーメーションで立ち位置を入れ替えるかなど、じっさいに曲を流しつつ、フリを考えながら話し合っていく。

「ラチが明かねぇな」ジャックが仰向けに倒れた。スピーカーを真ん中に置き、円陣を組むようにしておれたちは座っている。

「誰かさんがすぐに横槍入れるからだ」

 言うと、

「なにそれ。あたしのせいだっての」シズクが噛みつくが、あいにくと事実彼女に因がある。

「せっかくまとまりかけてんのに」と言い返す。「不満があんなら最初から言えって話だ」

「完成形が見えなきゃ言っても意味ないじゃん」

「文句言うならならせめて代案だせよ代案」

「だしてるじゃん代案」

「ならシズク、おまえが最初から振付ければいいだろ。なんで最後になってケチつけんだ、イチイチ変更してたらキリがねえ」

「ケチなんかつけてない。こうしたほうがもっとよくなるよねって言ってるだけじゃん。シュガーこそ何ムキになってんの」

「ムキにもなるだろ。何度目だよ創りなおし。いい加減ショー練はじめなきゃ間に合わねえって時期なんだぞ」

「シュガー、シズク」

 リダが言った。「やめろ」

 しずかながらも場を制するような威圧がある。

「そうだよ。みんながんばってるよ。いい方向になってるよ」ショータにまでそんなフォローをされてはこちらの立つ瀬がない。「ああそうだな。いい方向にいってる」と投げやりに同意する。

「あらシュガー。皮肉がお上手ね」

「おまえは相手をイラつかせるのが上手だな」

「シュガー……」ショータが瞳を潤ませ、こちらを見上げる。そんな子犬がだっこをせがむような顔をされたのではこちらの稚気も削がれる。

「いったん休憩にしよう」リダが上着を引き寄せ、煙草をとりだす。「十分後に集合。シュガーはここに残れ」

「なんだよ愛の告白か」

「シズクはメンバー全員分の飲み物を買ってきてくれ」

「なんであたしが」

「ぼくも行く」ショータがシズクの手をとり、そんな彼女たちにリダが財布を放り投げる。「予算は千円な」

「アイスも買っちゃお」シズクがこしょこしょ声で、しかしこちらにも聞こえる声で言った。

 二人の遠ざかる背を見届けてからリダがこちらに向き直る。彼女はダストボックスに腰掛けている。しぜん、見下ろされるかたちになる。

「デキてんのかおまえら」

 開口一番にリダは言った。嫉妬か、とからかってやってもよかったが、冗談で返すにはリダの目は冷たすぎた。

「いいや。ただわざとじゃない」

「だが不自然だ。わざわざ仲のわるいフリをしなくとも誰もおまえらの交流をとやかくは言わんよ」

「まあそうだろうが、って、だからわざとじゃないって」

 リダを横目で窺うと、口元に笑みを浮かべていた。キツネがネズミを甚振るような嗜虐の笑みだ。まったく嫌な女だ。

「わかった白状する。付き合ってはないがセックスはした」

「あとでシズクにも確認するぞ」

「すまん嘘だ。今のは黙っといてくれ」

「一つ貸しな」

「ぐっ」

 墓穴を掘った。いつもリダはこうやって相手からヒットポイントを奪っていく。

「シズクはいい目を持っている」出し抜けにこんどはシズクの肩を持ちだす始末だ。なんなんだいったい。

「ああ。否定はしない」

「シズクがダメだしするのは決まってどっかで観たことのあるフリのときだ。イイモノにしようと構えすぎて、きっと無意識のうちから過去に観た動画、それこそほかのクルーのショーからピックアップしてるんだろうな私たちは」

「そうかもな」

「その点、シズクの代案は奇抜だ。しょうじき鵜呑みにして即決できるほど完成度は高くない」

「が、物にできれば前衛的な、流行の先駆けになり得る素材でもある。リダ、お前はそう言いたいんだろ」

「違うな。時代の流れを変え、時代をつくるだけの代物になり得る。そう言いたいんだ」

「ずいぶん買いかぶってんなあいつのこと」

「正当な評価だ」

「ひょっとしておまえ、レズか?」

 ふ、と息を漏らすようにして口元をほころばすとリダは冷めた目のまま、

「シュガー」と呼んだ。「おまえとシズク、どちらか選べってんならあいつを選ぶ」

「たしかにな」負けじとおれも言ってやった。「リダ、おまえとシズク、どっちか抱くってんなら断然シズクだな」

「うわシュガー、何言っちゃってんの」

 背後からショータの声が聞こえ、振り向くと同時に顔に隕石がぶつかった。けっこうな重量だ。態勢を崩し、その場にへたりこむ。とっさに受け止めたそれは冷たく、しかしそれが隕石であれば熱いのが道理であり、ならばこれは隕石ではなく、レジ袋に入った大小さまざまなペットボトル飲料だと断ずるに事欠かない。

 何か言ってくれりゃあいいものを、シズクは顔を真っ赤にしてこちらを見下ろしている。そこにはある種の軽蔑の眼差しが含まれているのだが、それ以前に戸惑う自分を取り繕うとして余計に不自然になっている女の姿があった。

「なんだ。思いのほか早かったな」リダだけが平然としている。

「ジャックは?」

 ショータは場の空気を読んでいるのか、それとも天然なのか、こちらの腕から袋をとりあげ、それぞれに飲み物を分配していく。

「わりぃわりぃ。遅くなっちまった」

 五分遅れでジャックがやってくる。察するに仕事の電話をしていたようだ。

「ジャックの仕事ってなに?」

 無邪気な子どもに特有の遠慮のない切りこみに対してもジャックは、

「ないしょ」

 お茶目な仕草でぴしゃりと返す。ショータはその仕草を真似し、ないしょ、とおどけた。

 メンバー全員揃ったところでふたたびショーの構成について話し合いを再開させる。初めにシズクにフォーメーションやらルーティンやらのアイディアを提案させ、それを骨子にフリを肉付けしていく。するとこれまでの話し合いが嘘のようにとんとん拍子に話が進んだ。まるで今までが川の流れに逆らっていたかのような滑らかさだ。あまりに上手くまとまるもので、なんだか手抜きをしている気分になってくる。

「時間がない。まずはカタチにしてからだ」

 リダの判断に迷いはなかった。

 修正するにしてもまずはカタチにしながら。そうでなければいつまで経っても完成しない。

 妥協するところはし、尽力するところは全力で。

 図案などはしょせん下書きにすぎない。引いた枠からハミでたって一向に構わない。

 おれたちは踊り屋だ。

 自由でなければ意味がない。


      *


 肉便器を交えての性行為(3P)が半ば習慣になってきたころ、ついに弟にこちらの素性がばれた。すなわち、血の繋がりのあるきょうだいである旨を知られてしまった。

「なんで黙ってたの」

「知りたくなかっただろ」

 弟は肩を竦め、

「ほとんど記憶にないんだよね」と言った。「あんたが家にいたころのこと」

「家にほとんど寄りつかなかったからな」

「カッターナイフ投げつけられたのは憶えてるけど」

「そんなことしたか?」憶えがない。

「したよ。映画観てたら音がうるさいって」

「そんなことで怒ったのか」

「そんなことで怒ったのだ」

 弟はこちらの正体を知ってもことさら態度を変えることはなく、むしろ以前にも増して懐きだした。思えばちいさいころ、愛玩動物として扱っていた時分もこうして何かに怯えるように、或いは縋るように懐いたものだ。

 その日、弟は初めて自分から縛ってくれと言いだした。両手両足を縛り、完全に自由を奪ってから、アナルを犯し、そして片手間に首を絞めながら、余った手で勃起した肉棒をしごいてやった。白目を剥き、泡を吹きながら、それでも弟はもっともっとと懇願した。

 首を絞めながらの性行為にはラッシュと呼ばれる絶頂が生じる。死に際の動物は死の恐怖を和らげるために脳内で快楽物質を分泌し、それは生きているあいだに感受可能なあらゆる快楽を凌駕するという。首絞めセックスにおいても同様の現象が引き起こる。ゆえにいちどラッシュを体験した者は、麻薬中毒患者同様に、その行為を逸脱していく。

 弟は、ほかの女を交えた性行為(3P)においても首絞めを要求し、そうした弟の姿に恐れをなしたのか、やがて一人二人と、囲っていた女どもが離れていった。愛玩動物が主人を袖にしていいわけがない。女どもの痴態を収めた動画を、彼女たちの実家に、会社に、送りつけた。実家を頼れなくなった彼女たちは会社を辞めるわけにはいかず、同僚たちの脅しに屈し、肉便器として第二の人生を歩んでいく。

 考えただけで勃起した。そこにじぶんが加われないことを口惜しく思った。

「女はもう飽きた。オレも男を犯してみたい」

 無邪気な顔で弟が言った。とても魅力的な考えに聞こえた。

      *

「初めまして。水迄優奈と申します」

「お噂はかねがね」

「むかしの話です。もう引退してけっこう経ちますし」

「謙遜ですか」

 どうせいま踊ってもそこそこ動けるのだろう。そこらの口先だけのやつらなんざ目ではないはずだ。

「いえいえ本当のことですよ。シュガーさんたちのチームの動画観ました。すごいですね。圧倒されることしきりです」

「ベスト8止まりだけどな」

「優勝してもおかしくなかったですよ?」

 いっしゅん素でうれしく思ってしまったじぶんを腹立たしく思う。

 シズクの連れてきたそいつは、第一印象からして最悪だった。格闘家と見紛うくらいにガタイがよく、しかしなぜか格好がダサかった。駅前のファミレスに入り、初顔合わせを兼ねて打ち合わせをすることになったわけだが、水迄は終始、緊張した面持ちで、或いはシズクから話の主旨を聞かされていないだけかもしれなかった。

「まだそのアニメにハマってんだ」シズクが嘆息交じりに言った。水迄のTシャツには身に覚えのある図柄が描かれており、それはショータがおもしろいと言って薦めてくれたアニメのキャラクターだった。

「シュガーさん、アニメは?」おもねるように訊かれ、

「観ない」と即答する。

「ヲタク差別主義者だから気をつけて」シズクが余計な忠告をする。おれの注文したマルゲリータを当然のようについばんでいる。

「観ないだけで嫌いじゃない」ショータの耳に入ったときのことを考え、釈明しておく。マルゲリータをシズクから遠のけがてら、「引退してからもう踊ってないのか」と水を向ける。

「筋トレ代わりにすこし身体を動かす程度ですかね。ですから助っ人としては役に立たないのではと。シズクちゃんにもそう言っているのですが」

「ちゃん付けするな」

 シズクは俯きながら、もじもじした。らしくない。妙にしおらしい彼女にもしやと下賤な想像を逞しくする。

「今回あんたに頼みたいのはチームの助っ人とはまた別件でな」おれは口火を切った。

「シズクちゃんからもそのように聞いています。どういう要件なんでしょう」

 観た目こそヲタク気質な水迄だが、根が真面目なのか敬語を崩さず、姿勢もいい。シズクから前以って聞かされている側面像によれば公務員であるらしく、金には余裕があるのだろう。おれとは真逆の人間だと言っていい。シズクがなかなか仲介役をこなしてくれないので、代わりにおれが説明した。

「連続強姦魔を捕まえようと思ってな」

「捕まえる? 犯人をですか。というか連続強姦魔って、穏やかじゃないですね」

 一般人にしてみれば聞き覚えのない話だろう。じっさい表立った事件としては扱われておらず、ニュースにもなっていないはずだ。被害者は総じて男である。プライドがあるためか警察に被害を届け出たりせず、また出したところですんなり受理されるわけではない。たいがいは話半分に受け流され、或いは受理されたところで、犯人に適応される罪状は傷害罪だ。殴る蹴るの喧嘩をふっかけられたような軽犯罪として扱われる。

「傷害罪? 強姦罪ではないんですか」

「ではないんだな」

 彼の疑問に応じる。「強姦罪ってのは女が男にやられて初めて成立する。もうすこし正確に言や、女の性器に男の性器をねじこんだときだけだ。だからたとい女だろうとアナルのみを犯されれば強姦罪ではなく、傷害罪だ。や、いまはもう法が改正されて、強制性行等罪か? 性別や行為の度合いに関係なく、親告罪でもなくなった。第三者が被害を訴えることもできる」

「勉強になりますといったらおかしいですが」

 水迄はうなじを掻いた。「勉強になります」柔和な口調はそのままで、「ずいぶんお詳しいんですね」と手つかずのコーヒーに口をつける。

「調べたからな」

「警察沙汰になっていないのなら、なぜシュガーさんたちは事件のことを?」

 知っているのか、といった疑問だろう。

「噂になっていたからな」

「最初はネットの書き込みらしくてね」

 喙を挟んだシズクに目を向ける。憑き物が落ちたような小ざっぱりな顔をしている。

 さてはこいつ、とおれは見抜く。下品な話だけおれにさせたな。

「ネットの書き込みとは?」水迄が食いつく。

「ネタみたいなものだったんだけどね、妙に情報が詳しくて。話の舞台が地元だったから、ときどき仲間内で話題になってたの」

 事情が変わったのは、その話を検証しようとした誰かが見つけてきた動画だった。

「男のひとが乱暴されててね。ひどいもんだよ。ただ、どうにもやられてるほうは意識がないみたいで、本当に乱暴しているのか、そういうプレイなのかって見分けが付かなくて」

「単なるAVかもしれないしな」おれは言った。

「その動画、証拠にはならないんですか」

「証拠にはなるだろうさ。事件として扱われればな」

「と言いますと」

「さっきも話したように、総じて被害者はタヌキ寝入りをするしかないんだ」

「なるほど。泣き寝入りですか」水迄にやんわりと訂正され、ばぁ~か、とシズクが口パクでおれをコケにする。言い間違えただけでこの仕打ちだ。

「いったん話題になるとそれらしい動画がつぎつぎに見つかってな」おれは話を進める。「暇人どもが探偵ゴッコをはじめて、こぞってネットのエロ動画を漁りだした」

「すると出るわ出るわ」シズクが身を竦めてみせる。まるでゴキブリの大群を目の当たりにしたような仕草だ。

「動画に犯人は?」

「映ってると思うのか」

「なわけないですよね。だったらすでに捕まってるわけですし」頭の回転が速いのか遅いのか、水迄はテンポよく相槌を打つ。「ですが、ならどうしてそれらの動画が同一犯のものであると?」

 もっともな疑問だが理由は当然ある。

「カメラワークが同じだからだ」

「カメラワークが?」

「そう」とこれはシズクだ。「素人目でもはっきりと解るくらい同じなの」

「シズクちゃんも観たの?」

 言われて墓穴を掘ったと気づいたのか、シズクの顔が見る間に赤く染まっていく。ばーか、と口パクしてやってもよかったが、仲間のよしみだ、助太刀してやる。「解説しているチャンネルがあるんだ。探偵さながらに推理合戦を繰り広げていてな。動画についても様々な観点から同一犯である可能性が高いって結論づけられている」

「なるほど」

 むろんシズクは動画を観ているわけだが、頭から被った猫をぶんどってやるほどおれはシズクが嫌いではない。

 窺うようにこちらを見たシズクに、貸しだぞ、と口パクしてやる。感謝の念を目線に乗せてくれてもいいものを、おもしろくなさそうに膨れやがる。かわいげのない女だ。

「ほかに犯人について分かっていることは?」

 興味が湧いてきたのか、水迄に促されるかたちで、連続強姦魔についての情報を披歴する。

 犯人は単独ではなく、複数人で徒党を組んで事に及んでいる可能性が高いこと。出会い系などを利用し、カモをおびき寄せていること。その際に3P希望といった条件を付けてくること。薬で意識を奪われてから事に及ばれ、その後、動画をバラまかれるといった二次被害を受けること。また、被害者はおおむね男だが、ひょっとしたら女も被害を受けているかもしれないこと。

「どういう意味ですか」

「女がやられてる動画もあってな。ただネット上じゃ、意見が割れていて、それはまた別の人間の犯行で、まったく関係ないって見解が支持されている」

「否定する根拠はなんなんでしょう。カメラワークなどが違うんですか」

「いや。そこは共通点があるらしい。だから俎上に載せられたわけだが、カモに女を選ぶならそもそも女だけを狙ったほうが楽だろ。なんでわざわざリスクを冒してまで男を襲うんだ」

「なるほど、解せないですね」

「そう?」シズクが異議を呈する。「可能性を挙げ連ねるだけないくらでも解釈できるじゃん。本当は犯人一味は復讐代行屋だったとか、女は簡単すぎるからより難易度の高い男を狙ってるとか、女のほうの動画は会員制のサイトとかで秘密裏に売られてるとか。あ、それとも男のほうの動画も元はどっかのサイトで売られていたものが流出しているだけなのかも」

「なるほど」

 合点する水迄に、おまえはなんでも鵜呑みにしすぎだ、と忠告してやりたくなる。おれは言った。「シズクの仮説はもっともだが、ざんねんなことにそれらの可能性はすでに否定されている」

「ネット上の、なんちゃって探偵どもの話では、でしょ。犯人が自分で自己弁護を書きこんでる可能性だってあるじゃない」

「犯罪予告だけで逮捕されるご時世だぞ、ネット上に証拠となり得る記述を列挙するか? そもそもおれたちだって充分になんちゃってだろうが。なんならその否定する根拠を羅列してやろうか」

「まあまあ」

 いがみあうおれたちのあいだに水迄が手を差しこむ。「話はおおむね解りました。協力するのはやぶさかではないのですが、ぼくなんかが役に立てますか」

「さっき言ったろ」おれは座り直し、腕を組む。「犯人たちはカモを調達するのに出会い系を利用する。それを逆手にとって、ちょっとしたオトリ調査をやろうって話になってな。ただ今んところおれとそいつしか動いてない」

 あごをしゃくってシズクを示す。「仮に本物を引いちまったときにおれたちだけだと危ないだろ」

「それでぼくの出番というわけですか」

「そいつが男だったならあんたに頼むまでもないんだが、いちおうそいつも見てくれだけは女だろ?」

「中身も立派に乙女だよ」シズクがおもしろくなさそうに背を丸めた。


      *


 初めはゲイどもの集まるいわゆるハッテン場にそれとなく顔をだした。肉便器になってくれそうな男をそれとなく探した。いわゆるネコだ。

 尻を掘られる側をネコと呼び、尻に挿すほうをタチと呼ぶ。一般的に男の同性愛者の場合、ネコのほうがタチよりもその数が多い。八対二の割合でネコだとすらいわれている。自らケツを掘られたがる男の多いこと。万年タチ不足とも呼べ、だからでもないが、肉便器に困ることはないはずだった。

 が、相手は腐っても男だ。

 しょうじきその道に慣れた野郎どもは、たといネコであろうとも主導権を手放そうとしない。言葉で指示されるわけではないにしろ、ああしろ、こうしろ、とわがままな野郎ばかりで、辟易した。さきに弟に味見をさせ、様子見をし、ちょうどよい塩梅の肉便器を掘りだしたところでこちらに回してもらう手筈だったが、どいつもこいつも性欲オバケのくせして、躾がなっていない。

 ネコのくせに弟をまえにしたら途端にタチに鞍替えする。或いは弟がタチに従事しても、束縛さながらに弟の素性を根掘り葉掘り探ろうとしてくる。ゆえにたいがいは弟が一口齧ってそれっきり。こちらに回ってくることは数えるほどしかない。

 弟にはそいつらの痴態を動画に収めてもらっていた。腐っても弟はこちらの愛玩動物だ。どこの馬の骨とも解らぬ腐れ外道にイイ思いをさせてやる義理はなく、それらの動画は総じてネット上にばら撒いた。

 それがよくなかったのかもしれない。間もなく弟の特徴が野郎どものネットワーク上で行き来し、どのハッテン場でも上手くカモを仕入れられなくなった。

 が、時期的にそろそろほかの狩り方を模索すべき頃合いではなかろうか、と思ってはいた。

 狩場にくるのは同じく狩りをしにやってきた野獣ばかりだ。

 弄ぶならば子羊のほうがよい。

 素人を手に入れる術はないだろうか、と思索を巡らせた。

 ニューハーフや女装子など、調教しやすそうな相手なども試してみたが、いずれも上手くいなかった。

 事には及べるのだが、こちらを満足させるような反応を得られない。遊ぶ代わりに遊ばれてもおり、愛玩動物を欲しているこちらにしてみれば不満どころか屈辱すら覚える。

 さて、ではどうしてやろうかと悩んでいたところで、弟の親しくなった女装子から耳寄りな情報を聞いた。

 なんでも同性愛者ではない、いわゆるノンケ男子を手籠めにする方法があるのだという。件の女装子は見た目こそ完全な乙女であったが、声帯だけはどうにも誤魔化しきれない様子で、長時間言葉を交わせばたちどころに男だと見抜けてしまう。だからこそカノジョはしゃべらずに済むネット上で家出少女を装い、スケベ心丸出しのノンケ男子を釣りあげるのだという。数枚、肌の露出した格好の画像を送りつけるだけで相手は完全にカノジョを女だと思いこむ。画像を撮るときは、相手の名前を書いたメモ用紙を手に持ち、いっしょに映るようにするという。そうすれば画像が偽造ではないと分かってもらえる。

 女装子はその後、釣った相手を駅前におびき寄せ、そのままホテルへと連れこみ、飲み物に睡眠薬を混ぜ、手渡す。あとはもう相手がまな板のうえの鯉になるのを待つだけだ。途中で目を覚ましても、手足を拘束しておけば済む話である。

 弟からその話を又聞きし、ひどく胸がうずいた。

 ノンケに手を出す。すばらしい考えに思えた。

 自分はパイロットなのだと思いこんでいる無垢なガキどもに、おまえは馬乗りになられてパカパカ揺れるだけのブタを模した遊具でしかないのだと知らしめる。これだ、これこそ求めていた高揚だと思った。

 さいわい弟は第二次成長期を迎えたばかりだ。ウィッグや化粧を施せば、家出少女と言って訝しがられないだけの器量がある。背は平均的な女よりも低いくらいで、画像を撮って送るだけならばいくらでも誤魔化しがきいた。

 一度目は女装子の協力を得て、要領を掴み、二度目、三度目、と回を重ねるごとに作戦を修正した。やがて女装子なしでも決行できるように作戦を練りあげた。

 用なしになったと判断した時点で、女装子には舞台上から消えてもらった。カモの男ども同様にこっそり睡眠薬を飲ませ、女装を解いた状態で収めた痴態データを、カノジョの実家、仕事先に送りつけた。SNSのアカウントを乗っ取り、そこにも動画を載せてやる腹積もりだったが上手くいかず、しようがないのでSNS上で繋がりのありそうなユーザーたちに虱潰しにデータを送りつけた。

 こんなことを繰りかえしていれば恨みを買うに決まっているが、ふしぎと意趣返しをしに訪れる者はいない。積み重ねてきた罪も、けっきょくのところカノジョたちからすれば、たった一度の過ちであり、災難でしかなく、未だ奈落のどん底から這いあがってこられた者がいないというだけの話なのかもしれなかった。

 セックスがしたくてはじめたダンスはつづけている。

 単純に、それはそれでテイのいいヒマ潰しになった。

 新鮮な肉便器の作り方を覚えたところで、性的欲求が満たされればまたべつの欲求が生じる。ダンスによって満たされ、或いは満たされなかった欲求が性的衝動となってつぎの肉便器を作らせる。


      *


 助っ人要員こと水迄が帰ったあと、ファミレスに残ってシズクと話し合った。オトリ作戦を練るためだ。話はしだいに脱線していき、チームの遍歴について話が及んだ。そこでシズクが、ショータくんだけ浮いているよね、と言いだした。

「ショータくんって基本ブレイキンでしょ? なのに服装とかぜんぜんB-BOYっぽくないし。見た目もどっか女の子っぽくてかわいいのに、踊りだしたらまったくの別人で」

 戦力になるだろ、だから引き抜いたんだと言うと、どっかほかのチームに入ってたの、と意外そうな顔をされた。

「いや。リダのやろうが前に雇われてたスクールでな、毎日そとから練習風景を眺めているガキがいたんだと」

「それがショータくん?」

「無料体験学習を謳ってたってんで、誘ってみたらこれがまた驚くほど身体能力が高くてな。ジャンルに関係なく、ひと目見ただけでも、どんな技もコピーしてみせたって」

「天才だよね」

「ああ。あいつは天才だよ。シズク、おまえまだショータをただの子どもだと思ってるのか。あいつ、ダンスはじめてまだ二年経ってないんだぞ」

 言うとそこでシズクはいっしゅん目を丸くした。それから目を細め、唇を尖がらせる。「あのさあ。いくらなんでもウソだって解るって」

「まあ信じられないのも無理はない」

 じっさい、口にしているおれ自身、未だに信じられないくらいだ。

「そもそも知ってんの、親御さんとか」

 シズクは話を三歩ほど戻した。「付き添ってるのとか観たことないんだけど、だいじょうぶなの」

「さあな」

 じつのところおれもショータの親に会ったことはなかった。そういう家なのだということしか知らない。だからこそ、ただそれだけでショータを仲間だと呼んでやりたいと思える。

「保護者がいなからこそおれたちが保護者代わりなんだよ」

 面倒なのでいろいろとはしょり、そのように伝えた。

「誘拐犯で捕まんないでよね」

「心底心配そうに言うなって」

「で、なんでショータくんってシュガーたちのチームに入ったの」シズクが話を掘り下げた。「リダさんがショータくんを発掘したってのは分かった。けど、そこからどうしてチームに?」

「リダが練習場所にショータのやつを連れてきてな」考えても見れば、なぜそいつと仲良くなったのかなんてきっかけ、意識してみたところでそうそう思いだせるものではない。しょうじき初めてショータと会った日のことすら憶えていないのが現状だ。それでもおれはでき得るかぎり、記憶に検索をかけ、語った。「きっかけなんてなくてな。なんの説明もなしに、気づいたらそこにいるのが自然なメンバーになっていた。ひと月やそこらじゃなかったかな。バトルがあって、ショータのやつもメンバーに入れてやって、したら優勝しちまってな」

 あのときの客の沸きようといったらなかった。ただでさえガキなのに、ショータは会場にいた誰よりも人間離れしたスキルを魅せつけていた。歓声は悲鳴じみていて、サルがしゃべってそらを飛んだかのような具合だった。

「規模のちいさなイベントだったけどな。同じ舞台に立って、同じ視点で同じ勝利を掴みとった。もうそこでおまえは仲間じゃないと言えるような人間は、はなからダンスなんてやってないだろ。ショータの才能は、おれたちからしても眩しいと思えるほどのものだと知った」

「でもあたし、ショータくんのこと最近になるまで知らなかった。あんなに上手なのにどうしてだろう」

「あいつ、なんでも踊れるとはいっても、得意なジャンルはB-BOYINGだろ。なのに出るのは必ずオールジャンルのフリースタイルだけ。たぶんあいつがB-BOYINGに限定してバトルに出たなら世界一も目じゃない。だのにわざわざ勝ちづらいフリースタイルにしかでない。なんでだと思う?」

「シュガーたちがいるから?」

「そうだ。正しくは、おれたちがB-BOYじゃないからだ。付き添いでバトルについていってやることはできるが、いっしょに出てやることはできない。B-BOYINGなんざバトルのために編みだされたようなダンスだぞ。遊びでいいならおれもすこしばかり踊れるが、いくらなんでも場違いすぎる」

「シュガーたちといっしょじゃなきゃヤダってこと? 子どもみたい」

「子どもなのさ。いくら才能があったところで、まだまだあいつは尻の青いガキだ。誰かがそばにいてやらなきゃならないヒヨコだよ」

「なんだかシュガーってさ」

 口調が砕けたのを感じ、目を遣ると、何か愉快なものを発見したようにシズクは目元をほころばせている。「ショータくんに甘いよね。甘いっていうか、親みたい」

 なぜか胸が詰まった。話さずともよかった話題をおれは口にしていた。「弟がいたんだ」

「ん? シュガーの?」

「家庭の事情で、離れ離れになってな。再会した矢先に、死んじまった」

「ふうん。冗談なら怒るけど」こちらの機微を窺うように、半ば本気で機嫌を損ねる準備をしながらシズクは言った。

「これをおもしろいと思えるほどおれに笑いのセンスはない」

「そっか。やなこと聞いてごめん」

「いや。おれ自身、誰かにしゃべりたかったのかもな」

「リダさんたちは知らないの」

「話したことはない」

「どうして亡くなったの」

 伏していた顔をあげると目があった。シズクは目を逸らし、それから逡巡したようにふたたびこちらをまっすぐと見て、言いたくないなら話さなくてもいいけど、と言った。

「いつか話すよ」まだその時期ではないように思えた。「そのときは黙って聞いてくれるか」

「シュガーが嫌じゃなければ」

 シズクは店員を呼び止め、デザートを注文した。


      *


 おもしろいように男が釣れた。

 通常、世の男の大部分はノンケである。同性愛者が少数派と呼ばれている以上、ノンケ男子を釣るほうが楽であるのは考えてもみれば道理であった。小石のなかから砂金を拾おうとするから苦労する。小石で済むならただ拾えば済む話だ。

 さいわいなことに、性的欲求のはけ口として彼らは常に女を求めている。むろん求めているからといってそれを態度に顕す者は限られるが、かといってすくなくもなく、そうした輩を女装させた弟を餌にしておびき寄せるのは思っていた以上に手間のかからない作業だった。

 ホテルの一室で強姦した。素人のノンケ男子をだ。

 乱交防止のためか複数人でのラブホテルの利用はむつかしく、またあとで第三者が合流するといった方法もとりづらかったため、もっぱらビジネスホテルを多用した。

 弟の女装はすばらしく、言葉数少な目に話せば、喧騒ひしめく駅前であればまず男であると喝破されずに済んだ。ときおり男ではないのかと疑いの目をそそがれもしたが、それはそれで構わない。かえっていきり立つ者が多かった。

 噂になられると困るので淫猥な動画は秘蔵扱いにし、むやみやたらに放流しなかった。つぎのカモを釣るまでのあいだ、そうした動画を肴に弟を責め、じぶんを慰めた。

 ふしぎとどこか物足りなかった。

 まったくもって満たされない。

 七人目のノンケを食い物にしたところで踏ん切りをつけた。

 ようやく認めたのだ。

 相手の人生を奈落の底に突き落とすまでがセットで「犯す」という行為なのだと。

 考え直してからは撮り溜めていた動画をまとめて海外のエロサイトに放流した。思いのほか反響はなかった。無修正動画の無法地帯となっているそのサイトであっても、男が犯されている動画は需要がないようだ。すぐに効果がなくても構わなかった。ネットに蒔いた種はいずれ確実にカモどもの息の根を、人生を、根底から脅かす。

 旅は目的地に着くまでがもっとも胸を躍らせる。いずれきたる崩壊のときを待ちわびながら、カモどもの堕ちゆく人生に思いを馳せた。

 てっとりばやくカモどもの知り合いなどに動画を送りつけてやってもよかったが、さすがにこのころになると慎重さを身につけた。明確に犯罪に手を染めているという自覚が芽生えはじめたのもちょうどそのころだった。こちらの存在が明るみにでないようにと用意周到に事に及んだ。

 身分の判る物は持ち歩かなかったし、カモどもとの待ち合わせ場所も、じぶんたちのホームタウンから離れた駅を指定した。

 弟の女装した画像も、念入りに化粧をさせたうえ、画像を反転させ、さらに特徴的な部位を加工した。画像を加工したところで、現物を見れば男どもは欲情した。そもそもが本物の女どもも、画像の加工は常習化している。画像と現物の差異よりも、男どもにとって重要なのは、現物がいかほどに優れているかだ。カモを逃したことはなく、怖くなるほど順調にノンケ男子を使い捨ての性的愛玩具にしつづけた。

 生きがいと言うと語弊がある。だがそれをやめるという考えを抱いた憶えはなく、また、しだいに物足りなさを感じはじめたじぶんに、アル中だった父親の面影を重ね見、自己嫌悪に陥った。

 倦怠期というよりもそれは明確に依存症の症状だった。刺激に慣れたじぶんがもっとつよい刺激を求めているにすぎず、よくない兆候だった。

 が、思えば何に対してよくないのかがすでに亡羊としており、今さら後戻りできないと嘆くほどまっとうな人生を歩んできてはいない。

「赤の他人だからじゃないの」

 飽きてきたかもしれないと告げると、弟は無邪気な顔でそう言った。

 なるほどコイツもたまにはいいことを言う。

 つぎのカモは身内にしよう。

 顔馴染みになったダンサーたちの姿を思い起こし、できるだけ惨めな思いをさせてあげたいと愛おしく思った。


      *


 出会い系と称されるいくつかのネットコミュニティにメッセージを掲示した。後腐れなく遊べる相手がほしいといった文章をねつ造し、3Pも可という事項をそれとなく紛れこませておく。

 最近ではこうしたネット掲示板を利用する者はすくない。出会い系専用のアプリが出回っており、みな手ごろなそちらを多用する。GPS機能などで位置情報を地図上に載せることができ、近場にいる相手をすぐさま探しだせるので便利だ。だがそうした手合いは、それこそ位置情報などを公開してもリスクがないと開き直っているその道の住人であり、今回、そうした輩は端から度外視している。

 いくらなんでも犯人が位置情報を発信するとは思えない。刑事事件に発展すれば、信号を逆探知されるかもしれないと想像できないほど愚かではないはずだ。同時に、こちらの身も危ぶまれる。シズクにはそのように説得し、むかしながらのネットコミュニティへの書き込みを勧めた。被害者たるモブもそちらを利用していたというのだから反論の余地はないはずだ。

「まあいいけど」

 なぜか偉そうにシズクは言った。

 性別を男にしているためか、なかなか返信がない。家出少女や小遣い稼ぎをしたい学生、暇を持て余した主婦たちからこぞって返信があるかと危惧したが杞憂だった。やはりというべきかアプローチの仕方は基本的に男から女へであり、男のメッセージに女が返信を送るというのは、なかなかないようだ。

 思えば、強姦魔たるドリルも、女を装ってメッセージを発信し、そこに押し寄せる男どものなかから具合のよさそうな男を見繕っていた様子だ。

 だからこのオトリ作戦は根本的に手順が逆なのではないか。

 計画に難があるかもしれないと進言してみせても、うちの司令官は、

「まあでもほかにいい案ないし」

 とくに気を揉むでもなく、太平楽に構えている。

 一週間ほど文体やらIDやらを変えて、メッセージを送りつづけていると、3Pを希望すると申しでてくる者が現れた。

 流行りの文章装飾の施された文面からは知性の深さが感じられず、十代やそこらの家出少女を連想する。

「どうする?」合同練習中に返信が来たものだから、シズクにそう尋ねると、

「わあなに、ふたりして」

 ショータがテトテト寄ってきた。

「つぎのデートの話だ。あっち行ってろ」

「そうなの?」窺うように首をひねるショータに、「ちがう」とシズクが吠えた。「バイト紹介してもらうの。口利きしてもらえば面接に有利だから」

「ふうん。そう言えばシュガーってお仕事何してるの」

「ショータ、いいこと教えてやる」おれはちいさな頭を鷲掴みにし、「仲間割れせずにいられる秘訣はな」とワシワシ揺する。「余計な穿鑿をしないことだ」

「せんさくってなにー」

 キャー、と黄色い声をあげながらショータははしゃいだ。ボールにじゃれつく子犬のようで微笑ましく、同時に胸を湧きあがる衝動が手の甲に血管を浮き上がらせる。握りつぶしてしまわないうちにショータの頭から手を放し、そういうことだからあっち行ってな、とこんどはやさしく言い聞かせる。

 聞き分けのよいショータは、はーい、と小走りでリダのもとへ踵を返す。するとなぜかリダと目があった。距離があるはずだが、リダはこちらに鋭い眼光を向けている。目を逸らすと彼女は、なんでもないような調子でショータに缶ジュースを手渡した。

「リダさんってこわいよね。いっつも殺気ムンムンって感じで」

「そうだな」シズクのぼやきに同調しつつ、「だから滅多にキレることはない」と肩を持つとも持たぬとも言い方でリーダーさまの面目を立てる。

 ようやく完成した振付けをこの日は通しで練習し、細かい修正点を挙げ連ねていく。個人練習ができず、みなどこか不満げで、かといって今から個人練習をするには疲れが溜まっている。

「休むのも修行のうちだ。ムリはするな」

 命じておきながらリダはこれから、きょうこられなかったジャックへ、振付けの変更点を伝えにいくという。

「リダさんがいちばんムリしてんじゃん。どの口が言うかなあ」

 ぼやくシズクに、

「塞いでみるか」

 リダは色っぽく唇を舐めてみせた。

「だってよ?」シズクの肩をひじで小突くと、シズクは去っていくリーダーの妖艶なうしろ姿を見届けながら、「リダさんとならアリかも」

 目をとろんとさせた。

 ショータを駅前まで送り届け、そこから例のごとくファーストフード店に入った。おれはシズクと共に作戦会議を再開させる。議題はもっぱら、垂らした餌に食いついた獲物にどう対応するかだ。

「今日中に返信しないと逃げられるぞ」

「本当に家出少女だったらどうしよう」

「そのときはリリースするだけだろ。待ち合わせ場所に男が現れれば当たり、女が現れたら失敗。また獲物がかかるまで待つしかない」

「思ったんだけど」シズクは手持ち無沙汰にメディア端末をいじっている。「あたしが犯人だったらできるだけ人前には姿を晒したくないと思うんだよね」

「そうだな」同意してから、「なにが言いたいんだ」とシズクの注文したポテトをつまむ。シズクは嫌な顔せずにポテトを二つの山に分けた。

「たぶん待ち合わせ場所にやってくるのって下っ端っていうか、真犯人ではないと思うわけ」

「ドリルが真実に複数犯だったらその可能性が高いな。で、だから何が問題だ」

「べつに問題ってほどじゃないんだけど、もし犯人一味が現れたとして、それでどうする? 待ち合わせ場所に来た人だけを捕まえたってどうしようもなくない?」

 なるほど。シズクはこう言いたいのだ。下っ端を捕まえたところで、トカゲの尻尾きり。いたずらに犯人たちを刺激し、警戒心を煽るだけではないのかと。

「ひょっとしたら協力者に女の子がいるかもしれないし。ほら、振り込め詐欺みたいにさ」

「たしかにな」バイト感覚で美人局の一端を担う小娘がいてもふしぎではない。「問題はなら、おれらがどこまでカモのフリつづけるかってことだな」

「うん。でもそうするとホテルにまで付いてくしかないわけじゃん?」

 じっさいに襲われるまで相手を犯人とは断定できない。すくなくとも妙な薬を渡されるまで待つしかない。

「どうする?」シズクはつまらなそうに頬杖をつく。虎穴に入る危険をわざわざ冒す必要があるのか、或いは覚悟があるのかと彼女は問うている。

「乗りかかった船だ。付き合うよ」

「いいの?」

「悪党退治だろ。人生にいちどはそういう無茶をしてみたいと思っていたところだ」

「正義の味方だ」シズクは目じりを下げた。

「男を襲う強姦魔なんぞ放置していたらいつショータが狙われるか解ったもんじゃないしな」

 減らず口を叩いてみせると、

「逆なんじゃないの」

 シズクは知ったふうな口を叩いた。「シュガーが襲いたいだけでしょ」


      *


 弟が難色を示した。身内に手を出すのはリスクがでかすぎるという。もっともな意見だが、却下した。愛玩動物ふぜいが飼い主さまに意見するとはおそれ多い。すこしばかり甘やかしすぎていたかもしれない。主従関係をはっきりさせるべく、尿道に管を通し、じかに前立腺を刺激してやった。痛がっていた弟は、それでも最後には尿を垂れ流し、未知の快楽に身をくねらせるようにした。

 身内を相手にする以上、ある種の対策を講じておくべきではないか。

 弟を責めたてておきながら弟と同じ懸念を抱いた。身内ともなれば顔を知られていて当然だ。殺すわけではないのだから、犯行後にカモが無駄に喚き散らすかもしれない。水面に首を突っこんでいたらツルにケツを啄まれました、と。

 ではどうするべきかと頭を悩ませたところで、講じるだけ無駄な事項だと気がついた。

 どうせ彼らは誰にも助けを求められない。これまでのカモどもと同じだ。生殺与奪の権を握られ、呆気なく手放されるだけのタンポポの綿毛のような存在に成り果てる。たとい顔を見られたところで、なんの問題があるものか。奴隷が主君の顔を憶えるのはむしろ自然な理ではなかろうか。

 弱みさえ握ってしまえばカモはテイのよい駒となる。その弱みをいくらでも作れてしまえる手前、まるで魔法使いにでもなったような万能感を覚える。

 懸念は消え、だんだんとわくわくしてくる。

 なるべく無様な泣きっ面を見せてくれそうな手合がいい。心の芯をいちど折られただけで二度と立ち上がれなくなるような、繊細なくせして鼻っ柱だけが仰々しい男が好ましく望ましい。

 品定めするまでもなく、頭の中には一人の男の顔が浮かんでいる。漫画や映画に登場する、どうあっても主人公たちと関われない脇役のような人物だ。

 女装した弟を餌にしておびき寄せれば充分に懐柔可能に思えた。新たな駒を手にしたその後を想像し、さらなる興奮を手中に収めるべく、明るい未来に胸を高ぶらせていく。


      *


「来月のあたまのイベントでショーを頼まれた」

 合同練習のあと、みんなを集めリダが言った。街なかのクラブでは毎週のようにイベントが開かれている。ラッパーやらダンサーがこぞってショーを披露し、観客を楽しませる。

「引き受けたのか」

「振りもできたし、いちど観客のまえで踊ってみるのもアリだと思ってな」

「完成度あげないと笑いものになっちゃうわよ」ジャックが自虐的に笑うが、事実そのとおりなので一同、苦笑するよりない。

「まだまだ錬度が足りなくない?」

「シズクの言うとおりだ」便乗し、おれは言った。「まだショーに出られるだけの完成度じゃない」

「だから今から必死こいて練習するんだ。そうじゃないか」

 リダは抑揚なくただあすの天気を話すように言った。「なにもあすショーに出るってわけじゃない。時間はある。完成度が足りないというのならあげれば済む話だ」

「まあ、かんたん」

 シズクがおどけ、ショータが笑った。「ほんとだね」

「つっても来月のあたまって、二週間ないぞ」おれは頭の中でカレンダーを展開し、「間に合わせるならもうすこし、みんなで集まれる日を増やすべきじゃないか」と提案した。

 じっさい、メンバー全員が集まれているのは週に三日だけだ。週四で集まろうと決めておきながら、なんだかんだで誰かが欠ける。細かな調整やら、振りの変更など、全員揃ってやらなければ効率のわるい作業がまだまだ残っている。

「いや、無理はしないでくれていい」リダはそこで口元を緩めた。「いちど通しで完成させてから細かい調整をやっていこう。その目安としてイベントを用意しただけだ。そこに照準を合わせる必要はない。いまできることをできるようにしておこうってだけの話だ。そう気負わないでいい」

「練習は今まで通りってことか」

「個人練もしたいだろ? それに新メンバーだって入るかもしれない。まずはショーのほうを完成させて、余裕を持って大会に挑めるようにしておこう」

「下地を固めておこうって魂胆だな」ジャックが帰り支度をはじめた。脱いだ靴を嗅ぎ、鼻を曲げている。上半身はすでに裸だ。

「やだジャック、着替えるなら向こうでやって」シズクが柱の陰をゆび差す。ジャックがデニムを脱ぎ捨てボクサーブリーフ一丁になったからだが、靴下だけは穿いているので、たしかにどことなく不潔な感じがしないではない。

「いやん、えっち」ジャックは筋肉ムキムキの身体つきで、艶っぽく身をくねらせた。

「ジャック」

 リダが呼びかける。「服を着ろ」

「見ちゃいやん」

 半裸の状態のままM字開脚をしだしたジャックを尻目になぜかリダがこちらに向け視線を送ってくる。おれはそれを合図だと解釈し、仕方なくジャックの背中を蹴とばしてやった。ついでに股間を踏みつける。

 悶絶するジャックはなぜかすこしうれしそうだ。妙に艶めかしい脚は、すね毛がないせいかもしれなかった。

 駅前までショータを送り届け、その足でシズクと共にラーメン屋に入った。

「返信あったぞ。あすの夜がいいそうだ」

「ユウナくんには話してある。かれに待ち合わせ場所まで行ってもらって、そこからさきはアドリブだね」

「アドリブったって、ある程度の段取りは必要だろ」

「でも本当にどうなるかなんて予想つかないじゃん。ユウナくんには端末をずっと通話中にしてもらってさ、そしたら会話とか、向こうの状況も判るでしょ」

「状況だけ分かってもな。ある程度近くにいなきゃいざというとき助けに入れねえぞ」

「ならあたしらもいっしょにホテル入っちゃえばよくない?」

「バカか」

 咄嗟に否定するが、よくよく考えてもみればそれはそれで妥当な案ではある。無闇に拒むのはなんだか幼稚な照れ隠しのようであり、妙な誤解をされても癪なので、「まあでも、アリかもな」と前言を撤回する。

「だいじょうぶ。襲ったりしないから」

「そりゃこっちのセリフだ」

「うふふ。それはどうかな」

 シズクはらしくもなくご機嫌だった。不安の裏返しにも思えた。

「考えたんだけどな」おれは考えながら言った。「おまえだけどっか安全な場所にいてもいいんだぞ。司令塔さまは、さいあく指示だけだしてくれりゃいい」

「あらやさしい」

 しょうじきなところシズクには外れてほしいくらいなのが、もっと言えばこんな危ないお遊びになんぞに首を突っこんでほしくはないのだが、当の本人が乗り気であり、船から降ろそうものならば船ごと大破させんとする意気込みをみせている。へんに刺激して暴走されるよりかは監視下に置いていたほうが安心だ。

「にしても水迄のことだけどな」ちょうどよいのでダンスについての話題にも言及しておく。「アイツ、いい加減チームのほうにも引っ張ってこいよ。そろそろ本気でどっちかハッキリさせなきゃなんない時期だぞ」

 チームに入ってくれんのかくれないのかハッキリさせろ、と迫る。

「そうなんだけどさ」煮え切らない返事だ。

「助っ人になりそうなやつ、アイツのほかにいないのか。アイツんとこのチームの動画、おまえから教えてもらってひととおり観てみた。みんな同じような仮面被ってやがって解らんが、体格からして似たようなやつがもう一人いたろ。そいつはダメなのか」

「ああ、アイツはダメだね」

 妙にぴしゃりと跳ねのけられ、二人のあいだに何かあったのだな、と察する。「そもそもユウナくんのチームってすでに解散しちゃってるわけだし、みんなダンスから離れちゃってる。なんだかんださいきんまでつづけてたのがユウナくんだってだけの話で」

「んなやつらに助っ人頼んでんのかよ」おれは脱力する。「その時点で高が知れてるよな」

「むしろおたくらは色が濃すぎる」

 シズクは言った。「リダさんは音をこれでもかって拾いすぎて、あんたどんな耳してんのって感じだし、ジャックはあんなナリして機械みたいに的確に身体動かすし、ショータくんなんかできない動きとかないわけじゃない? シュガーなんかオリジナリティの塊で、唯一無二の世界観を開拓しちゃってるし」

 だからこそ中々ほかのダンサーどもに認められないわけなのだが、言われてみればたしかにメンバーはみな一筋縄ではいかない、癖のつよい連中だ。ゆえにシズクは言いたいのだろう。大多数に馴染みのあるダンサーをチームに引き入れる必要があるのではないか、と。

「ほら、少佐だって言ってるでしょ。特殊化の果てにあるのはゆるやかな死なんだよ」

「なんだそりゃ」

「攻殻機動隊。知らない?」

「アニメか」

「あ、バカにしてる」

「いいや、感心してるんだ」現におれは感心していた。「相変わらず鋭いな」とお褒めの言葉を投げてやる。

「目つきがかな?」しれっとかわしたシズクがかわい気なく映り、だからでもないがおれは、

「それもある」と認めてやった。

「んだこのやろー」

 こちらの肩をどつくようにし、シズクは口元をゆるめた。


      *


 身内を手籠めにする。思ったよりもその行為は興奮した。近親相姦とはまたべつの高揚が付きまとう。

 社会的に禁忌として扱われているためか、血の繋がりのある家族との性行為は背徳感を抱きやすく、いけないことをしているという罪悪感が快感を高める。また、ほかの大部分の人間たちが経験し得ないという優越感が、より行為を逸脱させていく。

 が、けっきょくのところ手籠めにしている相手は血の繋がりのある家族だ。蔑にしたところで、ある程度の修復を可能とする余地が初めから生じている。或いはそれを破壊してしまう行為が近親相姦に当たるのかもしれず、そうじゃないのかもしれなかった。いずれにせよ、弟を手籠めにしているあいだはずっとどこか物足りなさを覚えていた。たんじゅんに慣れかもしれない。安全圏に身を置いているような、命綱をして崖を登っているような、そうした物足りなさを感じた。

 その点、血の繋がりのない、しかし赤の他人というほどでもない身内は、手籠めにするには塩梅のよい信頼関係が築かれている。いちどでも物として、玩具として扱えば、それまでの関係性は蜘蛛の巣をゆびで巻き取るがごとくカタチを失い、積み上げてきたピラミッドを最後の最後で崩してしまう取り返しのなさがピタリとついて離れない。

 行為のあとに残るのは、一方的な関係性だ。破滅させられた愛玩動物と、それを使役する主君だけ。傍目からその関係性の変化を感じとるのはむつかしく、気の置けない友人同士にしか映らない。

 とはいえ、愛玩動物となった男どもの負う傷心とやらは、こちらが思っている以上に深刻であるらしい。身内犠牲者第一号となった男は、社会生活を営むことが困難なほどに精神を病んでしまった。

 男のくせして脆弱なやつだと指弾してやってもよかったが、カノジョらを使役する主君としては、ある程度の慈悲をかけてやるにやぶさかではなく、駒としての役割を熟してもらいたいと欲しているこちらにしてみれば、道具の手入れをしておくに越したことはない。

 メンテナンスをすれば道具は長持ちするものだ。肉便器とて同じだろう。

 案の定、鞭だけでなく飴を与えてやると、それはたとえば「女の子みたいでかわいいよ」とか「男なのに女の子の穴で感じちゃうなんてヘンタイだね」とか、そういった甘い言葉をかけながらの愛撫なのだが、間もなくカノジョらは肉便器としての使命を覚えはじめた。刀を収める鞘のように、自分はただ主の機嫌を損ねぬようにと、あらゆる欲動のはけ口として、受け皿として、愛玩動物に徹するしかないという現実を、人生を、肯定的に受け入れはじめた。或いは、悪夢を直視せずに済むようにと一時的に思考を放棄していただけかもしれず、いずれにせよ、一時停止した動画を再生させるためのボタンを押す許可をこちらが与えてやらないかぎりは、肉便器として扱いつづけるかぎりは、カノジョらがいちど擲った理性を、知性を、ふたたび手にする日々は金輪際もう二度と訪れないだろうと思われた。


      *


 オトリ作戦決行日。まずはショー練を済ませるべく練習場へ足を運ぶ。なぜかショータがやってこなかった。合同練習日のはずだのに妙だ。ショータはメディア端末を持っていない。連絡のとりようがなく困った。

「何か聞いてないのか」心配なのだろう、練習はじめ、リダが言った。

「いや。リダのほうこそ聞いてないのかよ」

「私はあいつに懐かれてないからな」

「いつもこわい顔してるからだ」

 自業自得だ、とからかってやるとリダは眉をひそめ、「そういうつもりはないんだがな」と零した。あまりにせつなそうに映り、それはもはや雨に濡れた子猫を思わせる表情で、おれは柄にもなくリダをかわいらしく思ってしまった。

「笑う練習でもしてみろよ」

 おれは言い、お手本を兼ねて微笑んでみせた。するとリダは首を傾げ、目だけでこちらを見下ろすようにした。「シュガー。おまえ、トムとジェリーって知ってるか」

 藪から棒にそんな水を向けてくる。

「ネコとネズミのアニメだろ。知ってるよ」

 どっちがトムかは分からんが、と応じる。「それがなんだ」

「ネコのほうがトムだ。ネズミのジェリーにいじわるをしようとしていつも返り討ちに遭うんだが、トムはネコだからネズミを見ると途端に目つきを変えて舌なめずりをする。そのときに浮かべるワルそうな顔がある。今見せたおまえの面な、それの物真似かと思ったぞ。違ったか」

 皮肉を言いたかっただけらしい。おれは脱力し、ひょっとしたらと思う。ことのほかリダは女としての自分に自信がなく、或いはそれを気に病んでいるのかもしれない。ぞんがいに繊細な性分のリーダーさまにやはりというべきか、愛しみを覚えた。

「ショータがどう思っていようが、おれはいまのリダが好きだけどな」

「まだからかう気か」

 リダは背を向け、シズクとジャックの待つフロアへと歩いていく。そういうつもりはなかったのだが。彼女のくびれた腰を眺め、おれはうなじを掻く。素直な気持ちほどうまく伝わらないのはなぜなのか。

 練習後、早目に駅前に着いた。ショータを送る手間が捌けた分だ。

 シズクとは別ルートで合流する手筈になっている。が、さきに現れたのは水迄だった。いつぞやに目にした美少女キャラの描かれたTシャツを着て、大きな身体を揺すってくる。

「シズクさんは?」

「まだだ。つうかおまえ、あんましこっちに寄るな」

「なぜですか」

「暑くるしい」

「シズクさんも辛辣ですけど、シュガーさんもなかなかですね」

 いっしょにされるとは心外だ。おれはわざとらしくポケットからガムを取りだし、食うか、と分けてやる。

 受け取って水迄は言った。「前言撤回です。シュガーさんのほうがすこしだけやさしいです」

「だろ。もう一枚いるか?」

「もらってもいいですけど、評価はこれ以上覆りませんよ」

 他愛もない会話でハルクじみた男とじゃれていると、ようやくシズクが姿を現した。練習場にいたときとは違った装いで、スカートなんぞを穿いている。わざわざオシャレをしてきたようだ。着替えが入っているのか、リュックが嵩んでいる。

 なにゆえ着替えたのだろう。

 考え、はっとした。

 美女と野獣。

 なぜか頭の中で単語が駆けめぐる。

「お待たせ」

「おせぇよ」いちおう、文句を鳴らしておく。

「予定の時間までまだあるでしょ。どうする? あたし、ご飯まだなんだけど」

「んな時間あるか。このデカブツには今から待ち合わせ場所まで行ってもらう」

「もう?」

「デートでもしたかったのか」

 投げやりに揶揄するとシズクは水迄の顔色をいっしゅん窺うようにし、それから無言でこちらの足を蹴った。「真面目にやって」

 こちらのセリフだ。

 抗議の念を視線に乗せ、しばらく見つめ合ってからシズクから目を逸らし、水迄に向き直る。「おまえの特徴を相手に知らせる。ガタイよくてシャツの柄がいけてないやつってだけで伝わるよな。で、声を掛けてきた女、または男がいたら、調子を合わせてホテルまで誘導しろ」

 イケてないですかね、とTシャツをつまむ水迄のぼやきを流しつつ、おれはメディア端末に地図を起動させる。画面に、もとよりのビジネスホテルを表示する。

「もし相手がすでにホテルを予約していたら?」水迄が言った。

「いちどだけ拒んでみて、それでダメならそっちについて行け」

 水迄のメディア端末の位置情報は、シズクの端末に表示できる。予定が変更されても、さいあく水迄たちを見失うことはない。

「端末は常に通話状態にしておいてくれ。部屋に入るなり襲われたりはしないと思うが、異常事態が発生しだい、助けに入る。もし薬を渡されてもそれは飲むな。飲むふりをするなりして誤魔化せ」

「薬を渡してきたら十中八九犯人の一味だから」シズクが補足する。

「3Pを謳って誘ったんですよね。もう一人は相手側が用意することになっているんですか」

「ああ。NTL(ネトラレ)属性の女らしい。彼氏を連れて来るから目のまえで犯してほしいんだと」

 仮に相手が犯人一味ならば、むろんそういうテイを装って、カモたるこちらを騙しているにすぎない。言うべきことは言い終わり、あとは待ち合わせ場所に立つ水迄を遠目から監視していれば済む話なのだが、なぜか水迄はなかなかその場を動こうとしない。

「どうした」

「あの」

 言いにくそうに水迄は言った。「危なくなったら助けてくださいね」

「ヤバくなったら自力でどうにかしろ」呆れてしまう。「なんのためのその巨躯だ」

「じつはこれ、コスプレなんです」

「は?」

「中身はてんで弱虫で」

「ああ」言葉の綾というやつだろう。深い意味はなさそうだ。

「子どもや女の子に尻に敷かれるだけの軟弱者で」と自虐が続く。

「わかった、わかった。もしものときは助けてやるよ。いいからさっさと行ってこい」

 尻を蹴るようにし、送りだす。水迄の無駄に広い背中が雑踏に消えたところで、

「ああいう自虐的なところがなければ完璧なんだけどなぁ」シズクがぼやいた。

「ヲタク趣味も欠点だろ」

「ダンスヲタクのあたしらがそれをとやかく言えるわけ?」

 ぐうの音もでない。おれは閉口した。

 駅ビルのカフェに陣取り、窓際の席からそとを眺めた。待ち合わせ場所の駅前広場を見下ろせる。テーブルのうえにはおれのメディア端末が置かれている。通話状態で起動されており、水迄の端末の拾う雑音を常時垂れ流しつづけている。

 時刻は二十二時を回っている。色とりどりの照明が、広場にある噴水を彩っている。水迄はその噴水のまえで、いちゃつくカップルどもに紛れ、立っている。

「緊張感、なさすぎじゃないか」シズクはチーズケーキを注文し、舌づつみを打っている。「いいでしょ、まだ約束の時間まであるんだし」

 物足りないのか、もうひと品を選ぼうとメニュー表を開いたところで、テーブル上のメディア端末が声らしき音を拾った。

 窓のそとに視線を戻すと、今まさに、水迄に声を掛けている男がいた。

 目を瞠る。

 慌ててメディア端末の音量をあげる。約束の相手らしいと判る。女をホテルで待たせてあるので案内するという。水迄はわざとらしくホテルの名を聞きかえす。こちらに知らせるためだ。女を待たせてあると言われた以上、それに従うほかはない。

 いっしゅん、水迄がこちらの方向を見た。ちゃんとついてきてくださいよという意思表示だろう。表情は見えないが、丸まった背中が彼の怯え具合を物語っている。現れた男がどう見てもカタキの人間ではなかったからだろう。

 が、水迄は知らない。

 全身タトゥーだらけのそいつが、じつはカエルを見ただけで叫び声をあげてしまうような、ウサギのヌイグルミをもらって喜ぶような少女趣味じみた嗜好を持ち併せている根はやさしい男なのだということを。

 が、それはこちらとて同じかもしれない。

 全身タトゥーだらけのそいつが、じつは男の尻を掘るのが大好きな連続強姦魔だったとして、さほどふしぎとは思えず、或いはそういうこともあるのかも分からんな、と呑みこめてしまえるだけの不明瞭さをその男は端から兼ね備えていた。

「ジャック!? ねえあれジャックでしょ」

 勢いよく椅子を転がし、シズクが窓に張りつく。目を凝らすまでもない。あれはジャックだ。おれは言った。

「ジャックだけならいいんだがな」

 子熊がいたのならば、そばに母熊もいると疑ってしかるべきだ。

 頭脳明晰、沈着冷静な我がリーダーさまの顔を思い浮かべおれは、そのあまりに冷めた眼差しに文字通り背筋が凍りつく思いがした。


      *


 手籠めにした身内の一人は、ダンサーだった。友人というほどの仲でもないが、バトルのたびに飲みに歩いた仲だ。ダンス以外に繋がりはない。踊ることでしか自分の人生を肯定できない、言い換えれば生きる意味を見いだせない輩の集まりうちの一人だった。彼らにとってダンサーであること以外に重要視すべきものはない。ダンサーではないその他大勢を一般人と呼び、差別化しているほどやつらはダンスという繋がりをたいせつにしている。

 モブと呼ばれるそいつは、宇宙規模の小心者であり、調教するまでもなく自身の痴態を収めたデータを餌に脅迫すると、文字通りこちらの言いなりとなった。

 他人、家族、身内、ときたのだから、つぎに狙うは友人か、仲間だ。頭のなかでもっとも縁の深い友人を思い浮かべていく。


      *


 ジャックと共に水迄がラブホテルに入っていった。城のような派手な外装ではなく、裏路地にひっそりと佇む、ネットカフェじみた建物だ。AVの撮影などで貸しだされるような、わけあり物件かもしれない。

 男が二人で連れ立ってチェックインできるのだから、フロントのいないタイプだろう。自動販売機で鍵を購入し、指定の部屋をかってに使うタイプのホテルだ。彼らを追うおれたちとしても都合がよい。

「あいつらどの部屋だ」

「こことここが使用中ってなってる」

 鍵の購買機をゆびさし、黒くなっているところをシズクは示した。エレベータの止まっている階を見て、上層階の部屋だと当たりをつける。両隣のうちの一方はすでに使用中となっている。

「となりの部屋でいいよね」

 シズクが空いているほうの部屋のカギを購入し、おれたちはエレベータに乗った。箱が上昇する中、メディア端末が漏らす水迄たちの会話に耳を欹てる。エレベータの中は案外にうるさい。ノイズが邪魔でうまく聞き取れない。水迄たちはすでに部屋にいるようだ。なぜだかジャックのほうが声を喚かせている。

 どういうことだ、話が違う。

 ……はどこだ、おまえらあいつに何かしやがったら。

 もごもご。

 雑音に阻まれたのか、ジャックの身に何かが起こったのか。巨躯を駆使し水迄がジャックを拘束した可能性もないわけではない。或いは単なる演技だとも考えられる。

 こちらの盗聴がバレたのか。いや、だとしてその演技にどんな意味がある。

 頭のなかが疑問で溢れ、思考が濁る。シズクに意見を仰ごうとしたところでエレベータは上層階に到した。扉が開く。

「こっちだね」

 シズクのあとに従って部屋のまえまでくる。シズクはドアノブをガチャガチャ鳴らし、開いた扉を手で支え、さあどうぞ、とこちらをさきに招き入れた。

 歩を進める。

 背後で扉の閉じる音がする。鍵は自動でロックする機構らしい。にもかかわらずシズクはさらにチェーンロックをかけている。

 おかしいと感じた。

 部屋には最初から明かりが点いている。

「どうしたのシュガー。入って」

 背後のシズクはなぜか愉快そうだ。部屋の奥で物音がする。誰かがいる。暴れている。鈍い音がし、それが、人間が人間を殴る音だと判った。

 シズクに背を押されるようにし、しかし、しぜんと足は部屋の奥へと動いていく。

「あ、シュガー。やっと来た」

 ゆかにはジャックがうつぶせで転がっており、後ろ手に手錠をはめられている。口には猿ぐつわがはめられており、呻き声をあげている。ジタバタもがくイモムシのような彼を真上から抑えつけるように、水迄がジャックを踏みつけている。

「なんでここに……」

 問題はジャックが拘束されていることではない。なぜここに、そいつがいるのかだ。

 ふいに膝の裏に衝撃が走り、それはおそらくシズクに蹴られたからだろうが、おれはゆかに両手をついている。

「ごめんねシュガー。でもこうでもしないとジャックが来てくれないから」

 気づくと後ろ手に手錠をはめられている。手際がよい。だがおれは身体の自由を奪われつつあるじぶんを案じるよりもさきに、ベッドのうえに腰掛け、垂れた両の脚をぶらぶらと楽しげに揺らしているそいつに目を遣った。

「よいこはとっくに寝る時間だぞ。ショータ」


      *


 モブを手駒にすれば出会い系を利用せずとも、いくらでも身内をカモにできる。宅飲みを装い、カモたる男どもをモブのアパートに誘いこんだ。

 が、さすがに仲間を売る真似はしたくないのか、モブがミスを連発し、おそらくそれはわざとなのだが、カモどもを損なわせることなく、何事もなく、ただ飲み明かして、籠のそとへと送りだす日がつづいた。薬を飲まず、意識を保ったままの男どもを無理くり犯すのは骨が折れる。さすがにそこまでのリスクは冒せない。

「つぎミスったら分かってるな」

「待ってください。いくらなんでも顔見知りはムリですって」

 脅されているとはいえ、犯行に加担すれば恨みを買うのは必須だ。モブの小心翼々具合がここにきて裏目に出た。

「分かった。ならおまえの知らないやつなら構わないな」

 しぶしぶ同意させ、身内ではなく個人的な繋がり、いわゆる友人をカモにすることに決めた。

 友人を眠らせるのに、モブの手は不要だったが、共犯意識を植え付けるために、わざとその場に同行させた。

 鳴巣(なりす)正志(まさし)なるその男とは、長い付き合いで、小学校からの縁がある。高校を卒業してから疎遠になっていたが、同じくダンサーとして活躍しており、とある大会で再会した。そこからふたたび交友関係を築いたが、どうやら鳴巣はこちらに欲情しているらしく、犯すならばともかく犯される筋合いのないこちらとしては辟易した。

 今回の件に使えると思い、いちどそう閃いてしまうと、そうせざるを得ない衝動が渦巻いて抑えがきかなくなった。

 久しぶりに飲もうと誘い、部屋に招き入れ、睡眠薬入りのアルコールを飲ませ、意識を失ったところをまずはモブに犯させた。一部始終を動画に収め、モブにいまいちど首輪をし、逃げ場のないことをつよく意識させた。

 眠っているあいだに身体を拘束し、鳴巣の目が覚めたところで、明確に犯されているのだという意識を刻みこんだ。穴という穴を犯し尽くした。

 TV画面に動画を繋ぎ、リアルタイムで自身がどういった状況に置かれているのかを客観的に認めさせた。

 三日ほど監禁し、犯しつづけた。調教の甲斐があったためか、鳴巣はアナルだけで射精できるようになった。これまでの最短記録だ。褒めてやると鳴巣は涙ながらによろこんだ。

「もう許してください」

 それはどう聞いても、もっとしてほしいという懇願であり、なかなか解ってきたじゃないか、と褒美も兼ねてもう二日ほど監禁し、調教をつづけた。


      *


「どういうことか説明してくれ」

 愉快げにこちらを見下ろすショータにおれは言い、それから背後にいるシズクにも投げかけた。「なんなんだこれ。冗談にしちゃ笑えない」

 何がなんだか分からない。

 分からないが、あってはならない現実が今まさに目のまえで幕をあげようとしていることだけはなんとなしにではあるが、察せられた。

「説明も何も、見たとおりじゃない」

 こちらの首に腕をまわし、背後から頬を押しつけるようにしながらシズクは、

「あんたはカモをおびき寄せるための餌。餌だからもちろんこのあと美味しく食べられちゃんだけどね」

「ふざけんな。強姦魔の話、あれ全部ウソだったってのか」

「ウソじゃないよ」

 答えたのはシズクではなくショータだった。ちいさな体格にふさわしい鈴の音じみた声で、くすくすと笑う。続きを待ったが、説明はない。

 どういうことだ。

 おまえもなんか言え。ジャックを踏みつける水迄に語気を飛ばすと、

「許してください」

 うなだれやがる。

 どいつもこいつも要領を得ない。

 いいから放せ。

 身をよじると、シズクがこちらの身体を抱きすくめ、服の隙間から手を差しこんできては、腰や胸を撫ではじめる。気づくとブラを外されており、シズクはさらにデニムの内側にまで手を伸ばしてきた。

 やめろと叫ぶが、効果はない。

 意識までは奪われていないらしくジャックが激しく身を揺さぶらせるが、こんどは水迄がどっしりと腰を下ろし、体重すべてで抑えつけた。

 ジャックと二人しておれは、まな板の上の鯉の真似事をしている。状況だけ見れば滑稽なのに、笑えないのはなぜなのか。

「シュガー。見てて」シズクがこちらの髪を鷲掴みにし、うしろに引っぱった。無理やりまえを向かされる。「今から女のコにされちゃうジャックの姿を」

 その言葉を皮切りに、水迄がジャックの身体を持ち上げ、丸太を投げ捨てるようにベッドのうえに放った。なすすべもなくジャックはベッドのうえに転がり、そのうえから水迄が跨り、身動きのとれないジャックを尻目に、ベルトを外していく。

「あいつが……」

 おれは口走っていた。

 あいつが、水迄が、犯人だったのか。

「バカね。んなわけないでしょ」シズクが力任せにこちらを突き離すものだから、おれはゆかを転がった。立ち上がったシズクは、いちど視界から消え、それから何かを持って戻ってくると、ジャックに跨ったまますっかり尻をさらけ出している水迄のうしろに移動し、

「こいつらはあたしのオモチャだよ」

 言って、いつの間にやら腰から生やしていた棒状のブツを、水迄のシリに押し付けるようにした。

 水迄が呻く。シズクが動くたびに、グポグポと湿っぽい音が部屋に響く。

 目のまえの異様な光景から目を離せない。

 シズクが水迄を、

 女が男を、

 犯している。

 彼女たちはジャックの顔を跨ぎ、それを見せつけるかのごとく戯れる。


      *


 友人のうちで、もっとも気高く、容易には懐柔できそうにない人物を調教したい。高嶺の花ほど手に入れたときの満足度は高くなる。ダンスといっしょだ。よりリズムのとりにくい、複雑に入り組んだ、予想もできない音を拾えたときに快感は増す。

 一年ほど前に引き入れてくれたチームがある。弟のショータがそのチームのメンバーだった。

 ショータと姉弟である旨は告げぬままにチームに馴染んだ。メンバーはみな一癖ある人物たちだった。姉弟でありながら似ても似つかないリダとジャック。それから女のくせして自身を「おれ」呼ばわりする風変わりなシュガー。観察していて気付いたが、どうやらジャックはシュガーに気があるらしく、しかしシュガーにその気はないのか、まったく気づいている素振りはない。

 友人として、仲間として、かれらと接した。

 やがて第二の家族のような繋がりを得た。

 そんなかれらを手籠めにできたらどれほどの高揚感を抱けるだろう。絶頂するじぶんを想像しては、手に入れた愛玩動物たちを凌辱し、みずからの猛りを諌める日々を送った。


      *


「ジャックさえ犯せればそれでよかったんだけど」

 腰を動かしながら、水迄の尻を叩きながら、シズクは言った。「なかなか誘いに乗ってこなくってさ。こいつがだよ」

 膝で頭を挟まれたようで、ジャックが暴れた。その悲鳴じみた抵抗を楽しむようにシズクは舌舐めずりをする。「シュガー。あんたは気づいてなかったようだけど、こいつ、あんたに気があるよ」

「だったらなんなんだ」

 ジャックがおれに惚れていたとして、なぜおれがこんな目に遭わなくちゃならない。やけっぱちに怒鳴りつけている。「シズクてめぇジャックに惚れていて、それでこんなバカな真似してんのか」

 嫉妬で恋敵を陥れようとした。よくある話と一笑に付せるだけあってバカバカしさに拍車をかける。

「まったくどうしておばかちゃんなのねシュガー」

「んだと」

「シュガーとヤラせてあげるって誘ったらコイツ、乗ってきてさ。あれだけあたしの誘い断っておきながら」

 ジャックがことさら大きく呻き声を発するが、それすらも快感なようで、シズクは恍惚とした調子で、「シュガーをみんなで犯すって話したら、ぜひオレも混ぜてくれって」

 虚仮にするようにジャックの悪意をひけらかす。

「ジャックてめぇ、んなろー」

 シズクもシズクなら、騙されるジャックもジャックだ。てめぇなんざ、尻の穴どころか眼球までほじくられて、全身から体液撒き散らして死んじまえ。

「もういいだろ」おれは言った。「狙いはジャックなんだろ。だったら煮るなり、焼くなり好きにしろ」

「あら、いいの? 意外」

「仲間だと思ってたのに!」

 咆哮するが、これはジャックへの失望なのか、シズクとショータへの怒号なのか、じぶんでもよく分からない。

 感傷的になっているあいだもシズクは律動よく腰を振った。水迄は大きな背中をのけぞらせ、馬のように嘶いている。


      *


 弟の手引きで入ったチームは、実力があるくせして近年ぱっとした成果をあげていない若手のクルーだった。少数精鋭部隊であり、しかしそれも苦しいと感じてきたのか、助っ人要員が必要だという話が俎上にのぼった。好機とばかりに、鳴巣を紹介した。犯罪の片棒を担がせるための手駒であるので、端から偽名を名乗らせた。かつて鳴巣の所属していたチームがある。彼らはみな舞台上では常に仮面を被っていたので、よほど親しい者でなければ素顔は知らない。鳴巣と同じような巨躯の男がおり、だからそいつの名を鳴巣には騙らせた。

 むろん、こちらも身内には偽名を使っている。駅前にて、初めて見たダンサーの一人がシズクという名だった。実力はあったように思う。こちらが上達し、活躍しはじめるのと同時に、気づくと街から姿を消していた。

 鳴巣とあまり親しくされても困るので、それはもちろん鳴巣が彼らに泣きつくかもしれないからで、だから紹介だけして鳴巣には機が熟すまで舞台袖での待機を命じた。

 チーム内に男はショータのほかに一人しかいない。

 ゆえに必然、カモはそいつに決まった。

 ジャック。

 が、なかなかどうして純粋ボーイであり、全身をタトゥーで着飾っているくせして、妙に心の清らかな、偏見を承知で形容すれば、生娘のような男だった。

 なんどか二人きりでの飲みを誘ったが、つど断られ、ショータを使ってカラオケに誘うが、これも失敗した。仕事が忙しいと言いわけをしていたが、それだけが理由ではないだろう。

 ジャックはいつもシュガーを見ていた。

 ドレスにリボンが似合いそうなその女は、妙に達観した性格をしており、これもまた浮ついたこちらの誘いには乗ってこなかった。愛想がないのは見た目どおりだが、我が愛玩動物にしてじつの弟であるショータには、妙な色目を使っており、それはある種の庇護欲のようなものであったが、思いのほか他人に対しての情は篤いのだと察せられた。

 或いはジャックはシュガーのそうしたところに惹かれているのかもしれず、似ても似つかない二人を結びつけ得るゆいいつの共通点が、ダンスと、そしてそうした他人に甘い性質であるのかもしれなかった。

 姉のリダが付き添えばジャックもこちらの誘いに乗ってきたが、どうにもリダには隙がなく、また、何を考えているのか不明瞭でもあり、これまでのカモどものように弱みを握って懐柔するのはむずかしいと結論付けた。

 ジャックを手籠めにするには単独で誘いだす必要があった。

 餌が、必要だった。

 奸計を巡らし、思い到ったのが、シュガーを利用するという案だった。

 彼女もろともジャックを調教してしまう。すばらしい案に思えた。

「オレも挿れる側がいい」

 練った案を聞かせると、弟はそう言って、自らシュガーを犯す役目を買ってでた。身体つきは幼いが、これでどうして弟のイチモツには目を瞠るものがある。こわすなよ、と許可をくだした。


      *


「さてはモブもグルだな」

 おれは閃き、吐き捨てた。「てめぇらみんなクズしかいねぇのか」

「シュガー、泣かないで」

 ショータがそばにしゃがみ、こちらの顔に触れた。そのか細いゆびを噛みちぎろうとすればできたが、それをするだけの怒りをショータに向けることが未だにおれはできずにいた。

「シュガーだってべつに初めてってわけじゃないんでしょ。痛くないよ。これでもぼく、慣れてるから。痛くしてあげることもできるけど、シュガーがおとなしくしてくれてたらすごく気持ちよくしてあげることだってできるよ」

 褒めてくれと言わんばかりに口にしながらショータは、小学生が体育着に着替えるときのような活発な脱ぎ方で上着を脱いでいく。間もなく顕わになったのはとても子どもとは思えない、斟酌せずに言えばキモチのわるいくらいに筋肉の発達した肉体なのだが、むろん練習場では幾度も見慣れた裸体ではある。ショータはさらにズボンを脱ぎ、パンツも脱ぎ捨てた。

 股間からそそり立つそれは、明らかに子どものそれではなかった。シズクがそうしているようにショータもまた、そうした玩具を腰に巻きつけているのかと思った。そうではなかった。

 ゾウだとかマンモスだとか、男性器の隠喩としてそうした形容があるのは知っている。だがショータのそれははっきりとそれと判る不自然な膨張率をみせていた。

「すごいでしょ。ガキのころからつよく吸引しすぎたせいかな。背が伸びない分、そっちのほうが成長しちゃって」

 困ったもんだと言いたげにシズクは言って、そうして勢いよく腰を突きだすと、水迄がいちだんと大きくのけ反った。充電の切れたブリキのオモチャのように、水迄はそのままベッドのうえに突っ伏した。ベッドのうえにはジャックが転がっており、寿司ネタのように彼らは上下逆さまで、対面するように折り重なった。ジャックが呻いているが、それは水迄の発射した体液を顔面に浴びたからだろう。不幸中の幸いというべきか、猿ぐつわで口を塞がれているので、無理くり体液を呑まされるといった屈辱を覚えずに済んだようだ。

 が、一難去ってまた一難。

 ぐったりした水迄をベッドから蹴り落としシズクは、こんどはジャックを腹這いにさせた。尻を鷲掴みにし、高く突きださせるようにする。

 身をよじり抵抗するジャックの尻をゲンコで殴り、シズクは黙らせる。

「新鮮な魚をオロスときのコツ、知ってる? 生きたまま捌くことなんだけど、それだと暴れて困るでしょ。だから頭を包丁の柄で殴って失神させるわけ。あたしとしてはできればそんな手荒な真似はしたくないの。おとなしい子にはそれなりにやさしく、きもちよく、ペットとしての扱いを心がけてやってもいいと思ってる」

 尻に肉棒モドキを押しつけられているのか、抵抗をやめながらも、ジャックは悲鳴を漏らす。猿ぐつわのせいでそうした悲鳴もくぐもって聞こえる。

「ローションだって塗ってあげたいのに。ホントだよ。これなしだと、地獄だよ」

 言いながらシズクは口をもごもご云わせ、それからだらしなく口を開くと、よだれを垂らすようにした。腰から生やした肉棒モドキではなく、ジャックの尻にじかにかけていく。手でなじませるように、撫でまわす。

 ジャックは観念したのか、或いはなにか打開策はないかと勢い勇んで考えを巡らせているのか、すっかりおとなしくしている。ケツを高く突きあげながら、みずからを貫かんとする悪魔にびくびくしている。

「イイコね」

 シズクは自身のゆびを口に含み、ねっとりと舐めまわした。唾液で濡らしたそれをジャックの尻にあてがった。ジャックは悲鳴を漏らしたが、なす術はない。

「イイコにしてたらきちんと愛撫だってしてもらえるんだよ」

 尻の穴をほぐしていくシズクはいよいよを以って犯すつもりなのだろう。ジャックに同情するつもりはないが、しかし彼へのその行為を看過するのは、とりもなおさず、これからこちらがされようとしていることへの暗黙の了承となり得そうで、だからおれは致し方なくジャックに同情してやることにした。

 がんばれジャック。

 負けるなジャック。

「ショーツは脱がさないでおくね。ぼく、ずらしてハメるのが好きなんだぁ」

 舌っ足らずのかわいらしい声音でショータが、品のない言動を発している。頭がクラクラしてくる。これがあのショータなのか。おれのかわいいショータなのか。

「くそったれ。シズクてめぇ、ショータをこんなにしちまいやがって」

「喚くなブタ」なぜかショータに顔を蹴られた。「あのひとわるく言ったらさいあく死ぬよ。オレだけを見てろよ。オレを蔑めよ。ほら、もっと罵倒してくれていいんだぜ」

 ショータは下卑た言動を繰りかえす。「悔しいか。食いちぎりたかったら食いちぎってもいいんだぜ。おまえはこれから何かを口にするたびにオレの肉塊を思いだすんだ。食いちぎったときの触感を、味を、血のぬめりけを」

 表情が見えないのは、視界が濁っているからだ。泣くまい、泣くまいと思うたびにじぶんがひどく惨めに思えてくる。

 自らの股から伸びる邪悪な化身を手で握り、まるでそういった鞭であるかのように振って、ショータはこちらの顔を、いくどともなくビタビタと打って遊ぶ。

 そう、遊んでいる。

 おれはいま、じぶんよりも一回りも幼いガキにいいように遊ばれている。

 ただの玩具ではなく、オトナのオモチャとして執拗に甚振られ、損なわれ、いじめられるのだろう。いじくられるのだろう。

 なにが、初めてってわけじゃないんでしょ、だ。

 わるいかよ。まだなんだよ。

 初めては一生愛しあえる相手と、ふたりっきりの部屋で、アロマを焚きながら、やわらかに灯る蝋燭の火の揺らぎを感じながら、一生の思い出になるようにって、全身全霊で愛しあうんだって、そう決めていたのに。

 存外にメルヘンチックなじぶんの性根を再認識し、途端に心のなかがからっぽになった。心細かった。こわかった。

「あらら。急に乙女になりやがって」

 すぼめて抗う唇にショータはシロナガスクジラの先端を押しつけ、ねじこませようとする。「こりゃメスの顔も拝まなきゃ気が済まないですねー」などと抑揚のない口調で、冷めた語調で、淡々と行為だけを逸脱させていく。

 助けて。

 おれは、わたしは、つよく祈った。

 誰か。

 おねがい。


      *


 ジャックの、ことのほか漆器じみた尻を撫でまわす。腰から生やしたスティックを鍵穴に押し当て、いよいよ臓腑をじかに突きあげんと体重をかけたところで、目のまえの壁が、部屋と部屋とを区切るための境が、弾け飛んだ。

 見遣ると、壁に穴が開いている。車でも突っ込んできたのかような有様だ。

 穴というか空間だ。

 壁がない。見る影もない。

 やがてその奥から、漫画でしか見たことのないような巨大なハンマーを、それはたとえばハンマーのハンマーたる部位に「一〇トン」とでも描かれていそうな、見るからに規格外の鈍器を携えた女が現れた。

「わるいなシズク」

 ハンマーを軽々と肩に担ぎ直し、女は言った。「おまえはクビだ」

 かんぜんに気を抜いていた。動転していたと言っていい。気づいたときには、目のまえで四つん這いになっていたジャックが、壁一枚隔てた向こう側へと消えていた。釣り上げられた魚然として飛んでいく。壁とベッドは隣接しており、手を伸ばせば、枕元にうつぶせになっているジャックの襟首を掴むことは可能だ。が、果たしてああも軽々と大のオトナを引き寄せられるものだろうか。慣れ親しんだはずの目のまえの女が、サイボークか何かのように感じられる。むろんそんなのはただの世迷言、いっときの動揺にすぎないのだが、未だ身動きのとれないじぶんを認識し、認識しておきながらなお、どう動くべきか、対処を講じられずにいるじぶんをはがゆく思う。

 彼女は、リダは、鈍器を担いだまま壁に開いた穴をまたぎ、こちらの部屋に乗りこんでくる。端からこちらを一顧だにせず、シュガーに覆いかぶさったままで硬直している我が弟のまえに立ち、

「頼むからどいてくれ」

 鈍器を両手に持ち替えた。


      *


 わたしの叫びに呼応したように壁が大破し、そこから女が乗りこんでくる。漆黒のライダースーツに身を包ませ、しかし室内の淡い赤色灯に照らされ、どこか炎を思わせるイデタチの彼女は、いつもはひっつめに結っている長髪を振りかざし、といっても乱れているわけではなく、飽くまで淡々と飄々と、こちらにやってくると、わたしにくっついて離れない身体のちいさな悪魔くんをつららのような一言でどかしてみせ、まるでそういった段取りであったかのように、むろんそんなはずはないのだが、彼女はものの数秒でこちらの身体を自由にした。

「歩けるか」

「なんでここに?」

 リダは迷惑そうに眉間にシワを寄せた。今はあとにしろ、と短く応じ、こちらの手を取り立たせ、わたしから剥がされ投げ捨てられていた衣服を拾いに歩く。渡してくれればいいものを手放さず、無駄にでかいハンマーを担ぎ直してこんどは壁に開いた穴を越えることなく、ふつうに扉から出ていった。わたしもあとにつづく。というか持っていかれた衣服を追う。通路に出ると、すでに服を着たジャックが隣の部屋から出てくるところだった。目のまえを素通りしていくリダに、

「いいのかよ」

 彼は言った。「あいつらほっとく気かよ」

「仲間は売らない」

「だったら金輪際こんな真似させねぇようにって更生させなきゃ意味ねぇだろうがよ」

「そんな義理はない」

 なんで、とジャックと声が重なった。リダはそんなこちらに肩を竦めてみせ、

「もう仲間じゃない」

 通路の奥へと歩を進めていく。わたしはジャックと顔を見合わせた。それからこちらの身体を眺め、頬を紅潮させた彼の脇腹をどつくようにした。肌蹴たシャツを正し、衣服を返してくれるようリダのあとを追う。エレベータのまえで追いつき、着替えながら乗りこむ。こちらに駆けてくるジャックの姿を視認し、「閉まる」のボタンを押した。扉が閉じきる前にジャックが手を挟みこみ、こじ開けるが、モグラたたきの要領で、現れたので殴りましたとばかりにゲンコで頬を殴ってやった。ゴミがゆかを転がった。素早く態勢を整え、上半身を起こしたゴミクズの、なんで、といった間抜け面が扉の向こうに消えたのを見届けてから、ようやく、ほんとうにようやくわたしは、ほぉ、とちいさく息を吐く。

「送ってく」

 ホテルのまえには大型バイクが停まっている。リダはハンマーの取っ手部分を折りたたんだ。さらにハンマーのハンマーたる部位をそういった折り紙であったかのように圧縮してみせ、バイクの収納スペースに押しこんだ。手渡されたヘルメットをあたまに被る。リダの腰にうでを回し、しがみつきながらわたしは、今さらのように胸の奥にキリキりと浮かぶ空虚な痛痒を感じるのだった。


      *


 見逃してくれたのだろうか。身内に甘そうなあの女のことだ、さもありなんだ。

 が、このままではこちらの気が済まない。

 ベッドのよこではデカブツこと鳴巣が気を失っている。ベッドから飛び降りたリダに踏みつけられたのだろう。弟のほうに目を転じると、かれはこちらからの叱責を恐れているのか、おろおろと顔を伏せたまま立ち尽くしている。こちらの命令に背き、せっかく得たカモを逃がしてしまったのだから罰せられて当然だ。が、今はもっと優先すべきことがある。

「追うぞ」

 今ならあの女どもも気を抜いているはずだ。見逃した相手がわざわざ追いかけてくるとは考えないはずだ。

 思い、鳴巣をそのままに部屋から飛びだそうとすると、見知らぬ男たちが押し入ってくる。まさにぞろぞろといった具合で隣の部屋からも雪崩れこんでくる。ひぃふぅみぃ、と八名ほどだ。スーツを身に纏っているが、どう見てもカタギではない。

「なんだおまえら」

「ほぅ。威勢がよいのぅ」

 重役出勤のように、まさに重役といった老人が最後に入ってきた。スーツ姿の男たちは、道を開け、或いは庇護するように老人の脇に並ぶ。

「リっちゃんからは話は聞いておるかね」

「は?」

「ほうか、ほうか。よぅなにも知らんか」

 老いた男はあごに蓄えた白髭を撫でつける。ここじゃなんだなぁ、と部屋を見渡すようにし、

「運べ」

 周囲の男たちへ命じた。

 打って変わった声音に、知れず汗が噴きだした。抵抗の余地はなく、スーツ姿の男たちに拘束される。男たちはいずれも屈強で、こちらの動きを封じている手の指はいくつか欠けていた。悲鳴をあげさせんと口にハンカチをつっこまれ、そのうえからガムテープで塞がれる。目覚めぬ鳴巣はもとより我が弟共々、見る間に簀巻きにしてみせる手際のよさは、彼らが漏れなく裏社会を土足で歩き回れる者たちなのだと示唆していた。

「たまにはイキのよい鯉もよかろう」

 スポーツバックに押しこまれ、暗がりに包まれる間際、まるで食材を見るような、なんでもないような眼差しをそそぐ老いた男を見た。彼は、いや、と首をかしげる。

「鯉ではなくサメだねえ」

 完全な暗がりのなかで、現実味のない浮遊感を覚える。ここではないどこかへと運ばれていくじぶんを思い、なぜか鼓動は高鳴ることなく、一定の律動で血を巡らせている。


      *


 何でも屋なのだとジャックは言った。

 昨晩、リダに送られて自宅アパートに戻ったあと、話を聞くつもりがあるならあすここに来い、と言って紙切れを寄越された。カフェのフライヤーだった。翌日、すなわちきょうになってからそのカフェへ足を運ぶと、その場にリダの姿はなく、なぜかジャックが店員らしき正装で、カウンターの奥に立っていた。

「いらっしゃいませ」

 無言で踵を返すと、慌ただしくジャックが駆け寄ってきては、こちらの腕をとった。「待てって。話だけでも聞いておくんなまし」

「さわんな」

 睨みつけるとジャックは手を離した。

「なんでも奢るから話だけでも」

 おねがい、と頭を下げられる。こちとら、なんでも、と言われてそれを無下にできほど余裕のある生活は送っていない。

「おすすめのデザートとコーヒー。ブラック、ホットで」まずは話を聞いてからだ。事と次第によっては店をつぶす覚悟でメニューにある品を片っ端から注文してやる。

 カウンターの奥に引っこんだジャックを見届けてから、店内を見渡す。ほかに客はおらず、店員もジャックだけのようだ。

 間もなく、彩りあざやかなパフェと、二杯分のコーヒーを持ってジャックが戻ってくる。こちらに配分すると自らも席に収まり、コーヒーをすする。

 水を向けるのも癪なので、ジャックが口を開くのを待つ。パフェをついばむ。味はわるくない。

「オレたち」とようやくジャックが口火を切った。「何でも屋なんだ」

「くだもの屋?」

「何でも屋。いわゆる万屋ってやつ」

「話はそれで終わりか」握っていたスプーンを置き、ナプキンで口元を拭う。「ごちそうさま。もういいだろ。帰るわ」

 席を立つと、みたびジャックに腕を掴まれる。「誤解なんだ」と叫ばれる。

「五階? どう見ても二階だけど?」カフェは雑貨ビルの二階に位置する。

「ふざけてるわけじゃないんだって、ホンキで、ちゃんと話してる」

 わかってくれよと泣き言じみた叱声を放たれ、むっとする。「リダは? なんでおまえしかいないんだ」

「あいつは仕事だ。昨日の事後処理みてぇなもんで。それも含めて話すから、まずは座ってくれ」

 ジャックの剣幕にひるんだわけではないのだが、しぶしぶ席に腰をおろす。今さらながらジャックの顔を観察する。昨夜殴りつけた部位が青く腫れあがっているのを見つけ、居心地がわるくなる。

 ジャックは語った。パフェの残りを片づけながら聞いた話をまとめれば、ジャックとリダの二人は、いわゆる便利屋を生業としており、依頼をこなして糊口をしのいでいるという。中には物騒な依頼もあり、違法スレスレの蛮行も、金しだいで請け負っているそうだ。

「まるでヤクザだな」

「まるでじゃないさ」

 嘆き口調なのが気になった。こちらの怪訝な心象が伝わったのか、「オレはできれば足を洗いたいと思ってんだ」と眉根を寄せる。「けどこんなナリだし、まとまな職に就けるわけがねえ」

 自身の身体を見下ろすようにする。給仕人に特有の袖の長いシャツを着ているため、肌は露出せず、タトゥーも見えない。が、耳だけでなく舌や鼻にまで空いたピアスは、さすがに雇う側にも抵抗がある。

「この店は?」まともな職に就けないと言いながら給仕として働いている。辻褄が合わない。

「カモフラージュだよ。客なんて滅多にこない。事務所みたいなもんで」

 税処理など、カフェを装っていたほうが都合のよい局面が多々あるそうだ。ジャックの言ったように店内では閑古鳥が鳴いており、軽快なジャズが静寂を引き立てている。

「昨日のこと、訊いていいか」わたしは返事を俟たずに切りだした。「リダはなんであのとき、隣の部屋にいた?」

 こちらがひどい目に遭ったとき、両隣のうち、いっぽうは使用中で、もういっぽうは空き部屋だった。シズクが空き部屋の鍵を購入した場面をこちらは目にしている。ならばリダはもういっぽうの、使用中だった部屋にいたことになる。すなわち、こちらが到着するよりもさきにあのホテルにいた。そういうことになる。

「いったい何をしてたんだ、あんなところで」

「仕事だよ」ジャックは相も変わらずシケた面を浮かべている。

「便利屋のってことか?」

「依頼人については話せねぇんだ」

 わかってほしい、みたいな顔をされてもこちらは苛立ちを募らせるだけだ。

「話は終わったな。今まで世話んなった」

「待ってくれ、誤解なんだ」

「だからここは二階だろ」

「こういう言い方はしたくないんだ、でもあれはシュガー、おまえのためにしたことで」

「あれってどれだ。つうかおれを言いわけにすんな」

「シズクたちが話してて。シュガーを襲うとか物騒なこと言ってる連中がいるって、それでオレ、どうにかそいつらをシュガーから遠ざけたくて」

「ならなんで待ち合わせ場所に現れた」

「シュガーを襲う連中の居場所を突き止めたからいっしょに行こうって誘われて」

「それで」

「リダに言っても、金にならないことはやらないって突き離されて」

 リダがこちらを助けようとしてくれなかったと知り、しょうじきヘコむ。が、結果として彼女はこちらを救ってくれた。言いわけばかりで役立たずのジャックよりもよほど印象がよい。「ジャック、おまえはノコノコやってきて、ケツ掘られそうになって、それでなんできょうここで、今こうして、おれのまえでベラベラしゃべってんだ」

「だからシュガーが」

「おれがわるいのか」

「ちがう」

「ジャック。おまえがおれをどうにかしようとは思っていなかった、悪意を向けようとはしていなかったってのは判った。けどな、もっとほかにやりようがあったんじゃないのか。リダに相談したんだろ。だったら警察にだって相談してもよかったんじゃないのか」

 言ってからはっとしたが、じぶんのことは棚にあげておく。「どうせおまえのことだからあわよくばおれの痴態でも拝もうとか、そういった魂胆があったんだろ」

「あるわけねぇ」

「どうだかな。いずれにせよジャック、おまえはミスを犯した。そのせいでおれは犯されそうになった。これで話はおしまいだ」

 手つかずのコーヒーを一息に飲みほし、カップを置いた。「よかったな誤解が解けて」

「そうじゃねえ、そうじゃねぇんだって」ジャックは座ったままで地団太を踏む。大きな音が鳴り、おれは思わず腰が引ける。構わずジャックは身を乗りだすようにし、オレはおまえが、と怒鳴ってから、こちらの顔を見詰め、何事かに臆したように浮かした尻を元に戻した。

「オレはおまえに」と言い直し、「これ以上、嫌われたくない」と零す。「それだけ」

 呆気にとられていると、全身タトゥーだらけのその男は、

 これ以上はヤなの、とかわいこぶった。金棒の代わりに風船を持った鬼さながらのチグハグサだ。

 思わず噴きだすようにすると、ジャックは顔を真っ赤に染め、何かモノを言うのかと身構えていると、ひとしきりモジモジしてから店の奥へと引っこみ、あとはもう、どれだけ待っても店内には戻ってこなかった。

 なぞだ。

 つぶやきおれは、ひっそりと店をあとにした。


 

       【暗黒舞踏団~~囮と知りつつ愛をとり~~】END





  

第三話【踊りとうつつに舞い戻り】


 

      ***シズク***

 この音を耳にすると象の群れを思いだす。パオパオ鳴きながら象の大群が押し寄せる。プラットホームに響く電車のレールの軋む音。空気ごと押しながし近づいてくる。その音をかたどるように壁に手を這わせていたら、よこから声をかけられた。

「ダンサーか?」

 周囲を見渡し、それがこちらへ向けられた言葉であると認識するのに数秒を要した。否定しないこちらの様子を見て、かってにダンサーであると断じたようだ。

「時間あるか。コーヒーでも奢る」

 彼女は有無を言わさずこちらの腕をとり、引きずるようにして駅構内にある喫茶店へと連れだした。

 これがリダとの出会いだった。

 少女マンガでだってもうすこし脈絡のある出会いが用意されていそうなものだのに、リダときたらまったくのデタラメに、強引に、こちらを連れ回し、掻き乱し、退屈だった日常に大きなうねりを与えた。

 ありがた迷惑ではあった。

「ほおん。この街の人間じゃなかったんだな」

「むかし住んでて、また戻ってきたってだけ」

 シズクはふしぎだった。なぜじぶんは謎の女とお茶をし、打ち解けているのかと。「でも駅前とかずいぶん変わったねぇ。リダさんはいつからダンスを?」

「ちいさいころからずっとだ。リズム感や体幹を鍛えるのにいいと言われてやらされた。今じゃ日課だ」

「暗殺者みたいな理由」シズクは愉快になり、チームのメンバーが足りないからいっしょに出てくれないか、と言ったリダの誘いに乗り、とあるイベントに参加した。

 懐かしい空気を吸いたかった。気まぐれだったと言えばそうなのだろう。長らく離れていたダンスをもういちどはじめてみようと思い、そうすればあいつにだって再会できるのではないかという淡い期待じみた魂胆がなかったと言えばウソになる。

 いくつかのイベントにチームで参加し、思っていた以上にダンス界のレベルが上がっている事実に愕然とした。

「時代遅れなのかな」

「そんなことないさ」

 リダが慰めてくれたが、慰められた時点で肯定されたも同然だった。

 チームを抜けると言いだしたのは、そんな幼稚じみたいじけた気持ちがあったからかもしれない。

「止めはしない」リダは言った。

 彼女の言葉に胸がかっと熱くなるのを感じた。感じたことで、「あ、あたし、リダに止めてほしかったんだ」と気がついた。

 聞けば、つぎの大会で優勝できなければ元からチームは解散する予定であったという。

「どうせ長くはないんだ。つぎの大会、ダメもとでいっしょに出てみないか」

 リダは幼稚な人間の幼稚な精神を高ぶらせるのがとても上手だった。

 シズクはやり直そうと思った。過去、半身も同然だった親友を傷つけ、逃げるようにこの街を去った。親友を傷つけたことで傷ついたじぶんを癒したかっただけだった。けっきょく癒しきれるものではないと思い知り、すごすごとまたこの街に舞い戻ってきた。

 親友との諍いの種に、とある男が関係していた。シズクはその男が好きだった。親友の恋人だった。二人を引き裂くような真似をしておいて、どの面下げて会えるものだろう。会えるわけがないのだった。

 思いながらもシズクは親友の働く中学校を覗きにいった。親友はそこで司書をしているらしく、シズクのよく知る穏やかな顔をしていた。

 会わずにシズクはその場をあとにした。

 

 水迄優那と再会したのは、シズクが鈍った感性を取り戻すべく参加したイベントで、これまた勃然と声をかけてきた男と出会ったのがきっかけだった。

 年齢職業不詳の不審者は、名を武藤といった。

 いつもどこか陰をまとわせており、プライベートの話をいっさいしないくせして、他人を信頼させる術に長けていた。妙に懐の深さを感じさせる男だった。

 とあるダンスコンテストに出場しないかと誘われた。一目惚ればりにこちらの踊りがすばらしいと誉めそやし、そこはかとなくいい気持ちにさせておいてから、生活全般の援助まですると言いだした。

 怪しさ満点だったが、そこはかとなくいい気持ちになっていたシズクには、きっぱりと断る理性は残ってはいなかった。

 話を聞いているうちに、なぜかは分からないがおもしろそうに思え、いくつかの条件を突きつけ、けっきょくのところ彼の申し出を引き受けた。

 出会い方や、掴みどころのない性格など、リダとの共通点が多かったが、彼女たちに接点はないようだった。

 リダたちと参加する大会は世界大会の日本予選で、レベルは過去に出場してきたイベントの遥か上をいっていた。並大抵の努力では優勝に届くはずはないのに、リダたちにこれといった焦りは見受けられなかった。或いは本気で優勝しようという気がないだけかもしれず、シズクはすこしムツけることにした。

 武藤の誘いに乗った背景にはそういった幼稚な不満があったのかもしれず、とりもなおさずシズクの目には武藤の真剣さが見てとれた。

 コンテストに出場するためのメンバー集めを任され、シズクは即席のチームをつくりあげた。

 水迄優那を選抜した理由は、彼がシズクの知るなかでもっとも客観的な視点を手放さずに踊りを追及しているダンサーだったからだが、むろんそれは後付けの理由であり、本音の深いところでは、ただ彼に再会したいだけだった。

 シズクは武藤を利用した。

 じぶんの、未だに踏ん切りのつかない、引きずりすぎて、すっかりビンテージジーンズばりに風格を宿した、しみったれた恋心のために。

 邂逅を果たしたシズクはけれど、水迄にふたたびの恋心を再燃させることはなかった。或いはそれは彼女にとってかれがけっきょくのところ、ぽっかり空いた穴を塞ぐための代用品でしかなかったからかもしれない。

 ダンスにしたところでおなじだ。シズクはいつまで経っても、むかし失くしたモノを後生大事に忘れられず、代用品を探し求めては、失ったモノへの愛着を、そのつよさをじぶんに向けて誇示していただけなのかもしれなかった。

 あたしはこれほど好きだったのだと。

 失くしたくはなかったのだと。

 とりもなおさずそれというのは、シズクがむかしの傷心を癒したくない、癒してはいけないものだと思っていた裏返しで。

 けっきょくのところシズクはいつだって忘れたくて、許されたくて、逃げているだけだったのと思い知った彼女は、せめて今だけは、じぶんだけのために踊ろうと思った。

 何かのせいにするのではなく、何かを理由にするのでもなく。

 踊りたいから踊り、楽しいから楽しいと屈託なく言えるように、身体でいっぱい示せるように、シズクはじぶんで選んだ、じぶんだけのチーム、暗黒舞踏団なるクソダサい名前の仲間たちと一丸となってみることにした。

 映画や漫画や小説の題材にでもしたらさぞかし笑われるだろう。

 食傷気味だと詰られるだろう。

 でも、そうしたくて、そうしたくてたまらなかった。

 じぶんになかった青春というものをやってみたかったのかもしれなかった。

「いいんじゃないか」

 リダにそのことを話すと、全面的に応援してくれると言ってくれた。「シズクが経験値を積めば積むほど私らのほうでも優勝できる確率があがる。せいいっぱいがんばってこい」

 ふたつのチームを掛け持ちしておきながら、ふたつのチームに接点がないことを知っておきながら、それでもシズクはいずれのチームのメンバーにも、おなじ気持ちを抱いていた。どちらもあたしの仲間だと胸を張りたかった。

 誰に向けてというわけでもないにしろ。

「困ったことがあれば私に言え。助けてやることはできないかもしれない。だが助けにはなれると約束しよう」

 リダは気恥ずかしいセリフを何の臆面もなく口にできるオトナの女だった。

 だからシズクは、いよいよとなったときに相談した。

 どうにも武藤さんがキナ臭いと。

 お金とクスリと女の臭いがふんぷんするぞと。

「女に関してはシズク、おまえの勘違いだ」

 否定してからリダは、武藤が下町に店を構える調査代理業者なのだと教えてくれた。

「マズい相手からも仕事を請け負ってる、半ばヤクザみたいな男だ。どうする。言ってくれれば金輪際二度とシズクに近づかないようにしてやることもできるが」

 言ってリダはジャックを呼びつけた。

 ジャックはリダの弟で、年中閑古鳥の鳴いている喫茶店のマスターをしている。客が入らないのは、全身にトライバル柄を刻みこんでいるジャックの他人を否応なく威圧する見た目に原因があるのではないかとシズクとしては思うところだが、言ったところで傷を消せるわけでもなく、こうして相談事と称して、たまに足を運んでやっている。

「シズクさんが懐きたくなるのも分かりますよ。あいつ、かなり名の知れたその道のプロでした。文字通り、名だけが知れてるみたいで、ほかにもいくつかの顔を使い分けてるっぽいですね」

 ジャック。

 シズクは呼びかけ、はい、と気をつけをした【歩く壁の落書き】に向け、ココア、と命じる。

「はいはい、ただいま」

 なぜかジャックはこちらに顔があがらないようで、それはおそらくリダのチームにいるシュガーとの仲がとびきりいいことに起因しているらしいのだが、あいにくとシズクがふたりの仲をとりもってやるつもりはいまのところ皆無だ。

「そんなこと言わずに、ささ」

 ココアにケーキをつけられても、問題のシュガーのほうがジャックを避けているので、いかんともしがたい。シズクはケーキに舌鼓を打ちながら、ケーキをホールごとがっついているリダへ向け、

「もうすこし詳しい調査を依頼してもいいですか」

 ダンス仲間ではなく、依頼主として切りだした。

 


      ***ジャック***

 五歳以下の子どもに入れ墨を施すと成長するに従い、絵柄が歪む。新陳代謝の激しさから虫食いさながらに欠落したり、色素が抜け落ちたりする。

 だからジャックの身体には、そうした心配をせずに済むようにと、生皮を剥がして刻まれた紋様が縦横無尽に走っている。

 ひどい火傷の跡は一生消えない。それと同じだ。

 絵柄の線に合わせて皮膚を切り取り、プルタブよろしく引っぺがす。誰がそんなことをしたのかなんて些末な事情は些細である以上に、思いだしたくのない記憶であり、ジャックは未だにその記憶を覆い隠している。だからジャックは気づくと新たな紋様を身体に刻む。

「また増やしたの。ってかハゲてんじゃん」

「やってから気づいた。髪の毛って頭蓋骨から生えてるわけじゃねぇのね」

 デフォルメされた炎の柄を頭皮に刻んだ。頭のなかを燃やしたくなることがあり、いっそのことそういう柄を掘ってみた。作業のときは髪の毛が邪魔だ。スキンヘッドにしていたが、いざ生えそろうと、柄のところだけがぽっかり窪んで見える。短髪で過ごすことを余儀なくされた。

「ジャック、知ってたか。ダンスイベントで博打をやってる輩がいるらしい」

 リダがこちらに話を振ってくるときは大概、よくない仕事の兆候だ。

「放っとけばいいって」

「そこであがった利益が、新型ドラッグを媒介するための資金に流用されてるらしい。放っておけるか」

「いい加減、足洗おうぜ。オレたちがいくらクズども潰したってこの世から悪はなくならねぇんだって」

「だからって放っておいていいという道理はとおらない」

「そういうのは警察のお仕事なの。オレたちの出る幕はないの」

「その件で京極会が動きを見せている。様子を見て接触する」

「なんでだよ。そいつらだって悪党だろうが」

「蛇の道は蛇。虎穴に入らずんばとも言うだろ」

「蛇の道も虎児も、オレはいっさい興味ねぇ」

 いくら反対したって聞く耳なんか持ちやしない。何を言ったところでリダはひとりで突っ走り、傷だらけになって戻ってくる。本人に傷ついているって自覚がないのが性質がわるい。だったらジャックはリダのそばで――歯止めのきかなくなった暴走車のブレーキになってやるしかないだろう。分からず屋の傲慢チキなこの姉を失わずに済むようにするための術がいったいほかにあるだろうか。ジャックには思いつかない。

「またパンツ一丁になりやがって」

 汚いもん見せんな、とシュガーが目を三角にして追っかけてくる。無視されるよりかはよっぽどいいのでたびたびこうして半裸になっているが、それを目にしたシズクが、子どもか、と苦言を呈していた。なぜそれをして子どもと揶揄されなければならないのか。

 子どもはそんなにパンツ一丁になりたがるものなのか。

 なぞである。

「ジャックって仕事なにしてんの」

 シズクは気になること、思ったことはすぐに口にする。たびたび答えづらい質問を投げつけてきては、返答に窮するこちらを眺め、悦に浸る。

「いろいろ」

「いろいろってなに。ヤバそう」

「シズクさんこそなにやってんすか」

「あたし? ふふふ。さいきんいい金づるができてね」

「男だ」

「ふふふ」

「やっぱりか。くっそー、オレもヒモになりてぇ」

 なんの気なしに口にしたセリフに、シュガーが過剰に反応を示した。

「最低だな」

 なぜそんな冷たい目をするのかが解らなかった。こちらが喫茶店を営んでいるのは知っているはずだ。

 万年閑古鳥が鳴いている暇な店ではあるけれど。

 リダの営む、なんでも屋の隠れ蓑であるにせよ。

 思えばだから、すでにリダのヒモであると呼べるかも分からず、客のこない喫茶店の経営を維持できているのは十割リダからの援助があってのことだった。

「なりてぇ、ではなくおいらはすでにヒモでした」

 練習後、それとなく帰り道を共にしてつぶやいてみせるが、シュガーの反応は芳しくない。

 ついてくんな、の一点張りだ。

 いじけたくもなる。

 失恋中のうえ、連敗中だ。

 勝てる見込みはなく、もはや勝とうとさえ思わなくなりつつある。

 シャワーを浴び、ふとんに包まりながら、さりとて直接好きだと伝えた憶えはなかった事実にはたと思い到る。ひょっとしてシュガーはそれでへそを曲げているのではないの。思いつき、猛烈にじっとしていられなくなった。足をバタつかせるが、冷静に考えるまでもなく、そんな可能性はないに等しい。ジタバタした分だけ惨めであり、泣きたくなったので、ジャックは泣いた。

 せつない! とても! せちゅない!

 半端に賢いとこういうときに不便する。

 もっとバカでいたかった。恋に盲目でいたかった。

 シズクが組んでいたダンスユニットが規模の大きなコンテストで準優勝を果たした。仲間の活躍はじぶんのことのようにうれしく思うが、当の本人がそうというほどでもなく、いっしょに参加していたはずのチビに何かあったのかと訊ねてみても、首をかしげられ、終始判然としなかった。チビは無口でいけない。

 どこで見つけてきたのか、リダはシズクのほかにガキんちょを一人、チームに引き入れていた。ショータを思いだすのか、初めこそ腫れ物に触れるような扱いだったシュガーがさいきんでは、シズクの影響もあってか、練習場にチビがくると、付きっきりで相手をした。ほとんど猫かわいがりで、いったいそんなガキんちょのどこがいいのかとジャックは全世界に向けて訴えたかった。だからジャックは訴えた。

「あんなガキんちょのどこがいいんだー!」

 叫ぶと、ちょうど店内に入ってきたらしい数か月ぶりの客が、いけないものでも見たかのように回れ右をして去っていった。

 神さま。

 おー神さま。

 バカでいたいとは申しましたが、バカと間抜けは微妙にちがうと思うのであります。

 ダンス賭博の背後に海外マフィアが関与していた。リダがそんな物騒極まりないセリフを口にしたのは、休日のすがすがしい朝のことだった。

「今回の相手は強大かもしれない」

 平然と納豆ご飯を掻きこみながら話すリダだが、かつて標的にしてきた相手が強大でなかったためしがあったのかと、そちらのほうに驚く。

「狙った都市に構成員を送りこみ、ドラッグを流行らせる。基本的にドラッグに手をだす顧客は固定している。獲物の絶対数が決まっているなら、あとは単純な陣取りゲームだ。誰かが私腹を肥やせば、それまで肥えていた誰かが痩せ細る。アンダーグランドの客層を根こそぎ掌握し、得た利益で、賭博場を開設する。つぎの展開ではその都市の主役は入れ替わっているという寸法だ」

「賭博の種がダンスバトルってことかよ」

「今回はな。それ以外に、利用できるものはすべて利用している。専用のアプリが全世界に点在する賭博場の情報を一括し、一見ただのゲームにしか見えないカラクリで偽装工作してある」

「ならそのアプリをどうにかすれば」

 そうすればじっさいにマフィアどもと対峙せずとも問題を払しょくできるのではないか。

 こちらの安易な考えなどお見通しのようでリダは、イタチごっこだな、の一言で一蹴した。

「菌は根こそぎ断つのが鉄則だ。根絶やしにするぞ」

「オレたちだけで?」

「いや」

 リダは湯呑を上品に両手で持つ。一口すすってからこう言った。「むろん、利用できるものはすべて利用する」

 どちらが悪者か判らないというのはリダを見ていれば誰もが思い抱くだろう感想だ。弟のジャックでさえ思う。正義の反対は悪ではなくまたべつの正義である、なんて言葉があるが、ジャックにはむしろ、悪を退治するのはヒーローなどではなくまたべつの悪である、とするほうがよほどこの世の真理を衝いて映る。

 真に善良な者は、あらゆる悪の肥やしになるのが常である。肥やしになるような弱虫は、誰かが守ってやらねばならないが、それは従属と変わりない。無償で赤子をかわいがれはすれど、おなじ無償を中年オヤジにはそそげない。

「解ってないね、ジャック。リダは女神だよ」

 なんて言うのはシズクのほかにいないのだが、意外にも思いのほかリダに敵はすくない。或いは敵になるようなやからはあまねく闇に葬っているだけかもしれず、ジャックはじぶんの姉がときおりトビキリおそろしくなる。

「ときおり、なんて言っているようじゃ、とっくに毒されてるよジャック」

 シズクはときどきものすごくまともなことを言う。

 だからでもないが、リダはとくにシズクに目をかけており、日々ホコリの溜まるいっぽうの店の床を磨く仕事を与えては、安くはない金銭をバイト代として与えている。

 餌付けか。

 言うと、リダはしれっとこう言った。

「いざというとき口止めが楽だろ」

 餌付けだった。

 金でひとの人望は買えないが、集めるくらいはできるらしい。みんな人を見る目がたりねぇなぁ。ジャックはひもじぃ財布を握りしめる。

 復讐をしたいわけではないはずだった。

 すべき相手がすでにこの世にいない時点で可能な復讐はかぎられる。犬に噛まれたので種ごと滅ぼすことにした。或いはリダはそうした危険極まりない動機で悪を憎み、灰汁を煮込んでいるのかもしれなかった。人生の灰汁を。拭えぬ過去を。

 とどのつまりは八つ当たりなのだろう。

 当たるべき相手がおらず、だから代わりを探している。当たりに行きあたるまでは終われないが、そもそも当たりがそこらに見当たらない。この世にいないのだから当然だ。

 それを確かめる勇気がジャックにはなく、とりもなおさず死を覚悟して核心をつき、真実を突きつけてみせたところでリダがそれを認めるわけもないのだった。


 

      ***リダ***

 ある人物について調査してほしい。舞いこむ依頼としてこれほどまでに典型的な、言い換えれば退屈で平凡な仕事はない。

 企業に限らず、雇うべき相手、これから深く接する相手の素性を知っておきたいと希求するのはさほど特殊な考えではない。ことこれほどまでに人間関係が複雑化し、多様化した社会にあって、そうした依頼はむしろ率先して講じておくべき保険、基本的なリスク回避となっている。

 が、複数の依頼主から一様に同じ人物について調べてほしいと求められたのは今回が初めてのことだった。

 克刹寺ザイ。

 ときに武藤と名乗り、ときに字幽寺(じゆうじ)と名乗るこの男は、しかしいずれも本名とは言い難い。

 依頼主たちに接点はなく、同時期に調査を依頼されたことから、件の男がなにやら複数の厄介事を抱え込んでいるのだと推察できた。

 調べてみると、案外に容易く情報を仕入れることができた。

 便利屋としてその道で名を馳せている男だった。嘘か真か、この男に依頼するためだけに複数の探偵を雇う必要があるとまでささやかれている。

 この男を調査してほしいと持ちかけてきた依頼人の一人は、身内だった。仲間と言い換えてもいい。

 シズクはひとりで問題を抱えこみやすい性格に映っていた。悩みを打ち明けてくれたことが素直にうれしく、無償で協力してやることにした。かつてない優遇である。ジャックが奇異なまなざしをそそいできたが、黒豆を鼻の穴に詰めこんでやり、ごまかした。

 猫二湖を名乗る女に、京極会、それから鳥島という名の公安らしき女から同時に依頼されるだけあり、ひとすじ縄ではいかない謎の多い男だった。

 が、ピースは初めから揃っており、各依頼人について調べることで、逆説的に「克刹寺ザイ」なる男の側面像に迫ることができた。

 奇しくもヤツもまた巷に跳梁する新型ドラッグを追っているらしかった。同時に、ダンスコンテストで優勝するためのチームづくりを任されてもいる。奇しくも、仲間が、シズクがこれに参加する。

 ここまで偶然が重なりすぎるとさすがに何か得体の知れない作為を感じるが、考えようによっては自然ななりゆきであったのかもしれないと思い直す。情報屋として人口に膾炙しはじめたいま、なかなか尻尾を掴ませない相手の調査を任せてみようと依頼が舞いこんできてもおかしくはない。あまつさえこちらは同じ街に店舗を構えている。表向き目立った動きをしてこなかったこちらの存在を、調査対象が知っているとは思えず、ますます調査を依頼するにはうってつけの条件を、図らずも有していたのだと考える。

 ならばこのまま相手に気取られぬように調査を続行するのが得策だ。

 考え、引きつづき各依頼主を利用し、調査対象こと克刹寺ザイなる男の素性を暴くことにした。

 京極会からの情報により、調査対象が新型ドラッグを大量に所持していると判った。

 公安の女に知られると厄介だ。

 調査対象の住まうマンションに忍びこみ、ドラッグをまとめてかっさらった。

 猫二湖なる女からコンテストで優勝するに足るチームを探してほしいと追加の依頼を受けた。現状、最有力候補がシズクたちのチームである旨を伝えると、それ以外のチームで探してほしいと指示された。

「ネット動画というコンテンツ市場を理解してショーを構成できるチームがいるならすでにプロとして活躍しているでしょう。それ以外でとなると海外のダンサーも視野に入れないと難しいですが、いかがなさいますか」

 意向を窺うと、それでもいいという。条件としては外見がよく、決勝の舞台にやってこられる暇人であること。

 なかなか手厳しい注文を付けてくるが、シズクからの話を聞き、ちょうどよく来日している海外のチームを見つけた。

 図らずも、こちらの追っている新型ドラッグと同じ愛称のチームだった。偶然にしてはできすぎている。警戒したが、ここは引くべき展開ではないと考え直し、猫二湖にそのチームの情報を与えた。それから問題の海外勢について情報を集めるようシズクに命じた。

 新型ドラッグを媒介しているのが件の外国人チームだと確信したのは、シズクから送られてきた動画を観たからだった。動画には外国人チームのショーが収められている。

 仕事柄、薬物を摂取した人間の挙動を垣間見る機会がままあった。動画のなかのダンサーたちも一様に、そうした五感の覚醒している人間に特有の反応を示している。見る者が見なければまず気づけないが、見る者が見ればひと目で判る。

 通常まず聴こえるはずのない音、曲に紛れたノイズ音にまで敏感に反応を示している。

 聴こえない者からすれば、ただ細かく手足を震わせているだけのように見えて、現にそこには寸分たがわず当てはまるノイズ音が流れている。

 リダでなければ、或いは同じようにドラッグをキメている人間でなければまず見抜けないだろう、病的な耳のよさだ。

 繰りだされる体術も、身体の重量からしてあり得ない動きを連発している。痛覚が麻痺しているとしか思えない。筋肉疲労の様子も窺わせず、つねに百メートルを全力疾走するような躍動感に満ちている。

 決め手は、シズクが巻き込まれたコールアウトの映像だ。観客席から撮られたそれには、舞台上にできたサークルの影で、まさしくそれとしか思えない仕草で袋を開け中身を吸いこんでいる者の姿が映しだされていた。さいきんのネット動画は画質がよく、拡大してもほとんど画像がつぶれない。

 いっしゅんのできごとだ。意図して探さなければそこに人がいることさえ意識の壇上にのぼらない。

 決定的なのは、件のドラッグらしきものを吸いこんだダンサーは、それ以後と以前とではまったくの別人に見えるほど踊り方が変わっていた点だ。踊りの幅の広いダンサーと見做すよりも、魂そのものを付け替えたような変貌具合がある。

 見る者によっては、違和感を覚えるほうがむずかしい。その道に精通していてはじめて見えてくるものが、どんな分野にでもあるものだ。ダンス然り。ドラッグ然り。身を以って体験した者でないと分からない。

 閑話休題。

「好きなひとができたかもしんない」

 シズクがそんなことをこの世の終わりみたいな顔をしながら言いだしたのが、猛暑の影が跡形もなく消え去った八月半ばのことだった。

 相手は誰だと聞くほど野暮ではなかったが、案に相違しシズクは聞いてほしそうにこちらをチラリと窺った。

「相手は誰だ」

「武藤さん」

 だとは思ったが、小学生が好きなひとはお父さんですと言うのとはわけが違う。

「で、どうしてほしいんだ」

 こちらに打ち明けたからには、それなりの理由があるはずだ。よもや恋バナをしたかったわけでもあるまい。

「じつはこのあいだ武藤さんにこの店のことバレちゃって」

「……初耳だ」

「たぶん探ってたんだと思う。あたしのことをなのか、それともリダさんのことなのか。ジャックのこと見て目つき変わってたし、たぶんそう。お茶飲みに入ったって感じじゃなかった」

「ジャックはそのときいたのか」

「聞いてない?」

 聞いていなかった。

「あの野郎」

 込み入った話になりそうなので追いだしていたが、すんなり出ていったのも納得だ。

「リダもそんな顔するんだ。安心した」

 黙って見つめ返すとシズクは笑顔を張りつけたまま目玉を泳がし、さらに口角のみを鋭角に釣りあげた。ココアの入ったカップに手を伸ばし、口をつけてすぐに戻す。

「怒っちゃないから安心しろ」

 言うと、あからさまにふぅと息を吐く。

 短気に思われているのだろうか。すこし傷つく。

 調査対象についての情報をシズクに包み隠さずすべて伝えた。しょうじきな旨を告白するならば、シズクにあの男は似合わない。幻滅まではいかないにしろ、優良物件とは言い難い人物である旨は理解できたはずだ。

 助言の体をとって、ヤツといっしょになると具体的にどういった不便を強いられるのか、斟酌せずに言い直せば、どれほど危険なのかを事細かく説明した。

「すごい親切だね」

 どういう意図がこめられているにせよ、その言葉が皮肉だってことは伝わった。迂遠に大きなお世話だと突き離された。

「あとはシズクの好きにしろ。ただし危ない橋は渡るなよ」

「わかった。でもだいじょうぶだよ。危ないのには慣れてるから」

 まったく解っていなかったが、それも含めて彼女の人生だ。仲間とはいえど、踏み込んでいい領分は限られる。色恋沙汰にまで口を挟むのは野暮だろう。

「安心して。武藤さんはリダが思ってるより、よっぽど人間らしいひとだから」

「余計に心配だ」

「どうして」

「この世に人間ほど危ない生き物はいない」

 告げると、

「リダってば知らないんだ」

 シズクはここぞとばかりに胸を張る。「この世に人間ほどやさしい生き物もいないんだよ」


 

      ***チビ***

 お父さんとお母さんがまた声を荒らげている。ぼくが学校に行かない理由を押しつけあっているのだとずいぶん前から気づいていたのにぼくは未だに学校に行けずにいる。

 だってそうしているかぎり、お父さんとお母さんはぼくのことを気にかけてくれるし、すくなくともいまはふたりで言葉を交わすようになっている。

 朝、行ってきますと家を出るとき、ぼくはランドセルを背負っていて、となり町に住むおばぁちゃんの家に向かって歩きだす。

 おばぁちゃんの家でお昼ご飯を食べてからぼくは近所の文化センターに出掛ける。家のなかにいるばかりではいけないとおばぁちゃんはいつもこころよく見送ってくれる。いつのころからからか追いだされているだけではないのかと考えるようになってから、ぼくはおばぁちゃんの作った料理が食べられなくなった。

 お腹が空いていて、いつもみたく動けなくなると、そんなぼくを見兼ねてか、声をかけてくる女のひとがいた。

「きょうは踊らないのか」

 ぽかーんと見上げていると女のひとは、自動販売機まで歩いて、ジュースを買うと、一本しかないそれをぼくにくれた。

「いいの?」

「飲み終わるまででいい。すこし話さないか」

 ぼくはできるだけ長く話せるように渡されたそれをチビチビ飲んだ。ぼくはその日、飲み干さないままで持ち帰ったそれを、つぎの日にも持って文化センターに向かった。お姉さんは同じ時刻に、同じようなかっこうで現れた。ぼくを見つけるとまるで約束していたみたいにぼくのとなりに座った。

「お腹こわすぞ」

 ひとめで見抜かれ、ぼくは缶ジュースをその場で飲み干した。なんとなくそうすればお姉さんは目のまえから消えてくれるのではないかと思った。だのにお姉さんは、へんなやつ、とおもしろくもなさそうに言って、なぜかは分からないけれどぼくのあたまを揺さぶるのだった。

 お腹が空いてちからが出ないのだという話をするとお姉さんは、ならお腹を満たせばいいのか、と言っていつから持っていたのか、ハンバーガーやポテトをくれるのだった。ぼくはそれをチビチビかじった。

「美味しい」

「食べたことないのか」

「身体にわるいから食べちゃダメってお母さんが」

「チビ。一ついいことを教えてやる。身体にいいものなんて一つもない」

 よく分からない理屈だったけれど、いい人間なんて一人もいないのだと言われたようで、なんだか胸のうちが軽くなった。

「食べたらすこし休んで、それから動け」

 言われたからではなく、ぼくはほんとうに久々に身体を動かしたくって仕方なくなった。ぴょんぴょん飛び跳ねていると、

「そういう技はどこで覚えてくるんだ」

 お姉さんが頬杖をつきながら窮屈そうに口を開いた。

「お父さんがむかし体操選手でした」

「教えられたのか」

「身体を鍛えるのはいいことだってお父さんが」

「チビ。二つ目のいいことだ。身体を鍛えたっていい人間にはなれない」

 ぼくはまた胸がぷくーと軽くなるのを感じた。疲れたわけではなかったけれど、ちゃんとお姉さんの顔が見たくって、ぼくは逆立ちをするのをやめて、きちんと足で地面に立った。

「疲れたのか」

 ぼくが首を振ると、お姉さんはすこし困ったことを言った。「いまは両手だろ。つぎは片手でおんなじことをしてみせろ」

 その日からぼくは毎日、すこしずつ新しい動きを覚えた。できなかったことができるようになるのは、できなきゃいけないことをできるようになるよりもずっとずっと楽しいのだと知った。

「ボクが師匠になってあげる」

 ショータくんと出会ったのは、ぼくが午前中だけでも小学校に行くようになってからしばらく経ってからのことだった。行きたくなければ行かなくていいが、そうというほどでもないのなら学校には行ったほうがいいというお姉さんの言葉にぼくは従った。ぼくとしてみれば学校に行くか行かないかなんて最初からどっちだってよかった。お父さんとお母さんの仲も、今となってはもうそれほど関心のあることではなかった。

「こうやるといいよ。あとチビくんはもうすこし腹筋を鍛えたほうがいいと思う」

 言うとおりにしていると、やりたいのにできなかったことができるようになった。ショータくんはぼくの身体を持っているわけでもないのに、ぼくの身体を知り尽くしたようなことばかり言うので、すこしこわくなった。

 気づくと、お姉さんが姿を現わす日がだんだんと減っていき、代わりに、ショータくんが毎日くるようになって、毎日すこしずつちがった技を教えてくれた。

 お姉さんがショータくんを連れてきたのか、それともショータくんがお姉さんについてきたのかは分からなかった。ぼくはそれをどうしても知りたいと思うようになった。そうでないと苦手に感じはじめていたショータくんの、あしたはあれやってみようね、の言葉に逆らえず、すごすごと毎日文化センターに通うしかなかったからだ。

 ぼくはお姉さんといたほうが楽しいと思った。

 お姉さんの唇がやわらかそうになる瞬間が好きだった。

 ほげーと体育座りをして休んでいることが多くなったぼくに、ショータくんはだんだん冷たくなっていった。キライになったのならこなければいいのに。思うけれども口にはだせずに、ショータくんは相も変わらず頼んでもないうちからぼくを弟子のように扱った。

「チビはオナニーとかする?」

「おなにーってなんですか」

「ちんぽ触ったりすんだろ」

「触るといたくないですか」

「やり方があんだって。教えてやろうか」

 さいきんのショータくんはお姉さんがいたときには見せなかった一面を見せるようになった。言葉づかいが乱暴だったり、やたらめったらとエッチなことを言ったりするようになった。ぼくはオナニーのほかにセックスやフェラチオという言葉を、知りたくもないのに憶えてしまった。

「フェラもセックスも男同士でだってできるんだ。やってみたいだろ?」

「ちっとも」

「つれねぇなぁ」

 ショータくんは女のひとの身体がどれくらいいやらしくてイイモノかを、ぼくがじっとしているあいだずっとしゃべりつづけた。ぼくはだからじっとしていないように無理やりにでも身体を動かすようにした。

 ショータくんはぼくがすぐ疲れて動けなくなるような技ばかりをさせるようになった。ぼくにいじわるをしたいがためにショータくんはわざとそうしているのだと思った。イヤなコだなぁと思い、身体を鍛えてもいい人間にはなれない、といったお姉さんの言葉を思いだし、ぼくは胸の奥がぎゅぅと縮まった。

「もうおまえに教えることはない。免許皆伝、卒業だ」

 やっとショータくんが満足してくれた。思った矢先に、ショータくんはぼくの手を引き、文化センターの三階にある介護用の個室トレイに連れていった。

「卒業の祝いの儀式をしよう」

「どうして服を脱ぐんですか」

「脱がなきゃできないことをするからに決まってんだろ」

 ほらおまえも脱げ。

 無理やりにぼくのパンツを下げたショータくんは、ぼくのおしりに手を回すと、ぐっと引き寄せて、ぼくの股間に顔をくっつけた。

 おちんちんがカァーと熱くなった。それはじっさいにそとから加わった熱で、おちんちんの先っぽだけが温泉に浸かっているみたいだった。

 内股になって抵抗し、それでも離さないショータくんの力強さに、ぼくは女の子になったのだと思った。

 こわいと思い、ぼくは男の子だとつよく念じたぼくは、身体をよじって、合間を縫うようにして、ショータくんの股間を踏みつけた。

 ショータくんがひるみ、ぼくはその隙をついてトイレから脱した。おしりを丸出しにしたままで、ズボンとパンツを片手に一目散に逃げかえった。

 その日からショータくんは文化センターにこなくなった。お姉さんの姿も見当たらない。

 家にひきこもろうかとも思ったけれど、それではダメだ、と頭のなかのお姉さんが唇を固く閉じたままで言うものだから、ぼくは心に鞭を打って、ぺしぺしとそれからも文化センターに通った。

 身体を鍛えても、いい人間にはなれないのかもしれないけれど、身体を鍛えなければ、お姉さんに会えないのだと思った。

 文化センターにはいろんな特技を持ったひとたちがたくさんいて、ぼくはそのひとたちのしていることを身体一つで表現できないかな、とシコウサクゴした。ヨーヨーになってみたり、ポンポン宙を舞うジャグリングの玉になったりした。

 ふたたびぼくの許にお姉さんが現れたのはそれからずっとあとになってからのことだった。ショータくんがいなくなったから代わりに入らないかと言って、ぼくをバイクに乗せ、チームのメンバーだというシュガーとシズクとジャックを紹介してくれた。

 お姉さんはダンスのチームのまとめ役だった。

 チームに入ったばかりだというシズクはなにかとぼくにちょっかいを出しては、どんな反応で怒ってみせてもおもしろそうにしていた。女のひとなのに自分のことをおれ呼ばわりするシュガーは、言動とはあべこべにシズクよりもずっと女のひとらしい格好をしていた。黙っていれば本からでてきた異国のお姫さまみたいで、とにかくおしゃれなのが、ガキンチョのぼくでもよく分かった。

 ジャックはぼくのなかではピエロということにしている。それ以上は考えないようにしている。ジャックを見るときはいつも目を細めて、あれはピエロ、あれはピエロと思うことにしている。ところどころ剥がれた皮膚を見てもこわがらないようにするためのぼくなりの努力で、ジャックへの友情だった。

 ジャックはケロっとしているけれど、ぼくがジャックだったらあれはぜったいに痛い。

 痛そうなジャックを見るのはつらいので、やっぱり目を細めておくのが正解だと思う。

「つぎの大会で優勝できなかったら解散するんだって。チビ、聞いてた?」

 シズクがぐったりして言った。ぼくは首を振って、となりでぼくの服に空いた穴を縫いつけているシュガーを見た。

「そうなの?」

「動くなって。死ぬぞ」

 シュガーは手元から目を離さない。

 つぎの大会というのは世界大会の日本予選だった。世界大会はでも、ほかにもいくつもあって、そのなかでは規模のちいさな大会だ。

 どれで優勝したらほんとうの世界一なんだろう。ぼくが言うと、

「あたしに勝てたらだね」

 シズクが腕を組み、むふーと鼻息を荒くした。

 なら余裕っしょ。ジャックが言って、ぜんぜん関係ないシュガーが舌を打った。シュガーはこのごろますますジャックに冷たい。

 喧嘩するほど仲がいい。ためしに心のなかで唱えてみるけれど、むかしのひとは人を見る目がないなぁと思った。

「大会が近い」

 みんなを集めてお姉さんが言った。「バトルに持ち込めればなんとかなる。まずは予選をあがれるようなショーをつくろう」

 ショーの構成はそのほとんどをお姉さんとシュガーのふたりで組み立てていった。ジャックがなにか言ってもそくざに無言の圧力が襲いかかり、ぼくとシズクはそもそもチームとしての個性をまだふかく理解していなかった。

「観客はみな目の肥えたダンサーどもだ。ダンスとしてのスキルをぞんぶんに見せつけよう」

「シンクロ率の高いフリにするのがいいと思う」お姉さんの提案にシズクが意見する。「言ったらこれってスポーツの一面がつよいでしょ。ゆびさきの一本一本にまで気を配って、おんなじ人間の異次元同位体がそこに揃ってるみたいな感じで」

「シズクはときどき言動がぶっとぶよな」

「オレは物理的にぶっ飛ばされるけどな」

 ジャックのつまらないジョークをシュガーが実演してみせた。「ぶほっ!」

 奇抜さや曲芸じみた動きはきょくりょく取りいれずに、シンプルな振付けを極限まで曲に合わせてつくった。

 シズクの独創的なフリつけは、基礎がしっかりしているからか、元からそういうジャンルがあるかのように、どこまでも自然体に映る。

「基本、日常生活の動きの延長線上だからね」

 シズクは日常の動きからインスピレーションを受けているらしかった。ほかのダンサーの見よう見真似で踊っているぼくとは大ちがいだと思った。

 シズクの案はうまくいった。

 大会当日、予選を三位通過であがったぼくたちは、決勝の舞台でつぎつぎと連勝を飾った。ほかの三チームすべてを負かし、優勝を手にしたとき、ぼくが思ったのは、まだみんなといっしょにいられるという安心感だった。

 日本代表となったぼくらはひと月後、世界大会のためにフランスに飛んだ。お父さんやお母さんを説得するのに苦労したけれど、そんなのはみんなで飛行機に乗りこんだときにいっぺんに吹き飛んでしまった。

 世界大会という実感はなく、海外にいるのだという実感もなかった。日本予選とおんなじシステムで、ショーとバトルの総合点がもっとも高かったチームが優勝と賞金を手にする。賞金とはいっても、ぼくにとっては大金だけれどおとなにしてみれば半年で稼げてしまえる金額だ。車一台買えたらいいほうだとジャックが言っていた。日本予選と異なっているのは、どの参加チームも各国を代表する強豪チームだという点だ。どこを向いても誰の背中にも「ワタシはつよいです」の太鼓判が押されているみたいだった。

 いざ世界大会の舞台に立ってみると、思いのほか狭い舞台に驚いた。動画で観ていたときはとんでもなく広い舞台に見えていたのに、いざ立ってみると、小学校の体育館のステージと同じくらいに感じられた。目のまえに押し寄せる観客たちの熱気が、人間プールみたいな光景が、見た目よりも狭く感じさせているのかもしれなかった。

 ショーの順位はまたもや三位だったけれど、特別賞をもらえたのでジャックは得意げだ。

 三位なのに特別ってなに? シズクはハンバーガーをガツガツ食べては口の周りをケチャップで汚し、衣装汚すなよ、とお姉さんに注意された先から勢いよくコーラを溢して、衣装をダメにした。

 バトルはさすが地元というだけあってフランス勢が出るたびに会場が沸きあがった。それを贔屓と言うつもりはないけれど、あからさまに対戦相手の出番のときにシーンとなるのは何かが違うように感じた。

 ほんらい応援というのは特定のチームへ、ではなく、いいバトルになるようにと、両者に向かうもののはずだ。戦争が起こるときも、どちらが勝てではなく、平和を祈るように。

 お姉さんの影響なのか、ぼくはさいきんどうでもいいことを小難しく考えるようになった。お姉さんはそれでいいと言った。言っておきながら、唇をやわらかそうにはしてくれないのだった。

「緊張しない?」舞台袖に立ったぼくの手をシズクが握った。

「ちっとも」

「チビはチビスケのくせに肝っ玉がおおきいね」

「ぼくの【チビ】はチビチビ食べるのチビですよ」

 お姉さんが名付け親で、ぼくはずっとそう思ってきたけれど、じつはチビスケのチビだったのかもしれないと気づいて、がっくりきた。

「あーそうかも」シズクはいそいで付け足すようにした。「チビは口がちっちゃいからね」

 口の先っちょをゆびさきでプルンと弾かれて驚く。見上げるとシズクは、かぁわいい、と笑った。背後ではシュガーがこわい顔で、どこか身体をムズムズとさせながらこちらを見ているのだった。

 いざバトルがはじまってしまうと何かを考える余裕がなくなってしまう。チームに入るまでは、動く前に何をどう動くのか、一連の流れを頭のなかで振り返っては、前以って動きの型を決めていた。お姉さんがことあるごとくにフィール、感じろと言うので、段々とただ音を感じて、脊髄反射みたいに躍れるようになっていった。ジャックからは、むかしのチビのほうが好きだな、といつか言われてしまったけれど、ぼくはいまのほうがずっと楽しく動けている。たぶんそれが踊るということなのだ。

 すごいすごい、と誰かに褒めてもらえる動きができるようになるのはそれはそれでうれしかったけれど、ただ無我夢中に音を探って、貪って、おなかを、こころをいっぱいにするのは、ぼんやりと透けていた〈ぼく〉というカタチが鉛筆でなぞられていくみたいで、濃くなっていくみたいで、気持ちがよかった。

 ぼくはここにいる。

 ここ以外のどこにもいないんだと感じることができた。

 曲のリズムが変わった。ぼく好みの曲だ。出たそうにしているシズクを押しのけ、ぼくはフロアに踊りでる。

 たぶん、ここが優勝できるか否かの、勝てるどうかの、瀬戸際、ブンスイレイだった。

 ぼくではなくシズクが出ていれば。

 帰国したあと、ぼくはいつまでもくよくよとおんなじ場面を繰りかえし思いだしては、ああしていればよかった、こうしていればよかった、とやっぱりいつまでもくよくよした。

 チームのみんなに謝ったら、うぬぼれんな、とおでこにデコピンを、みんなからいっせいにもらった。

「おまえひとりのチカラでどうにかなるほど甘い舞台じゃなかったろ」

 シュガーがことさらつよく言い聞かせてくれた。

 みんなの言うとおりだと思った。ぼくはうぬぼれていた。みんなからスゴイスゴイと言われて、調子に乗って、ウチョウテンになって、天狗になっていた。

「おまえがか? せいぜいピノキオだったと思うがな」

 チームの練習に参加しなくなったぼくを心配してお姉さんが会いにきた。会いにきた、とは言ってもぼくはじぶんの家にもおばぁちゃん家にもいなくて、線路がどこまでつづいているのか、高架橋のしたを延々と辿る遊びを繰りかえしていた。時間は有限なので、いつも同じ場所で引きかえすハメになるのだと気づいたとき、お姉さんがぼくのまえに現れたのだった。

「懐かしいな」

 とお姉さんは言った。「チビは知らないだろうが、むかし、まだショータがいたころ、うちのチームはここで練習していたんだ」

 見遣ればバスケットコートがある。電車の騒音があるから大音量で音も流せるし、雨風の心配もない。

 お姉さんは地面に腰を下ろした。「おまえが来ないとシュガーがやる気をださなくてな。冒険に飽きたらまた来てくれないか」

「冒険ではなく探検をしていたのです」

「なにか見つかったか」

「なにも探してないんだなぁって分かりました。ぼくはもう、欲しいものはぜんぶ手に入れていたんだなぁって」

「いいことだ」

「でも、あとはもう失くしていくばっかりなんだなぁって分かったら、かなしくなっちゃいました」

「オトナだな」

 お姉さんは唇をやわらかそうにゆがめた。「悩まないで済む方法を教えてやる」

「なんですか」

「失くさないようにがんばれ」

 がんばれと言われてもこまってしまう。ぼくが納得のいかない顔を浮かべていたからかお姉さんは、もしくは、と声を研ぎ澄ませた。「失くしてもいいように、やっぱりこれも、がんばれ」

「どうしたらがんばれますか」

「かんたんだ。楽しめばいい。逆境を、問題を、壁を、人生を。てっぺんであぐらを掻いている人間よりも、どん底から這い上がろうとしている人間のほうがかっこいいだろ」

 ぼくはお姉さんをまっすぐに見られなかった。お姉さんは言った。

「チビ、おまえは今、最高にかっこわるい」

 ぼくはざっくりと傷を負う。

「がんばってないからですか」

「それもある。ただチビ、おまえは本気で悩んでないし、本気でいじけてもない。何にも本気じゃないってのが、最高にかっこわるい」

 ぼくは、ぼくの本質を、胸のなかを覗きこまれ、素手を突っこまれてぐるぐるかき回された心地がした。かつてこれほどまでにたくさんしゃべるお姉さんを見たことがなくって、今なにか人生のうちでとんでもなくだいじな場面に立っているのではないかという感覚、めまいのようなものを覚えた。

「おまえは自分がすごくくだらない生き物なんじゃないかって、そうやってずっと、くだらなくなくなる理由を探しているだけだ。くだらない生き物なんかじゃないんだって言い張れる言いわけを、ずっと探してる」

 私も同じだ。

 続いたお姉さんの言葉に、ぼくは目頭が熱くなるのを感じた。

「むかしの話をしていいか」

 ぼくは頷く。

「つまらない話だから、すぐに忘れていい。私は親の顔を知らない。ジャックのやつもだ。身勝手で薄汚いオトナに育てられた。そいつは毎晩私に言った」

 消えない傷をつけてほしいか。

「私はむろん断った。傷なんて欲しくはなかった。翌日、弟の――ジャックの足に見たことのない傷を見つけた。ミミズがくっついているみたいに、そこだけ皮膚が剥がされていた。その日の晩も私はまったく同じ問いを投げかけられた」

 消えない傷をつけてほしいか。

「私は断った。何をされるのかを理解していながら、理解していたからこそ受け入れることができなかった。翌日も、その翌日も、同じように問いを繰りかえされては、同じようにジャックの身体には傷が、溝が、増えていった」

 ぼくは心臓が不規則に高鳴っているのに気づく。この世のどこでもない場所をぼくは見つめている。

「私が私の手で私の自由を手にしたとき、ジャックはもう、ふつうの人間とは見做されない、チビの言い方で言えば【こわい人間】になっていた」

 ぼくは胸が痛いくらい、かたく、かたく、縮こまるのを感じた。

「私はな。自分かわいさのために弟を売ったひどいやつなんだ」

 だから、とお姉さんはぼくの頭に手を置いた。「憧れていいような人間ではないよ」

 あたかも、じぶんを立派に見せるための言いわけに私を、私たちを使うな、と遠まわしに釘を刺された心地がした。ぼくは目から溢れる熱いなにかを堪えることができなかった。

 ぼくはその日のうちから、お姉さんに付き添われるカタチで、チームのみんなのもとに顔をだし、心配させてしまったことを謝った。

 ちゃんとしようと思った。

 お姉さんがかわいそうで、ぼくよりもずっと不幸に見えたから、ではなく、つよくなりたいと思ったからだ。

 ぼくはお姉さんみたいにつよく、やさしい人間になりたい。

 なるんだ、とそのときぼくは決めたのだった。

 憧れていい人間ではないよ。

 お姉さんはそう言ったけれど、目標に、お手本にするくらいはいいのではないかと、小ズルイ考えをぼくは抱いている。

 ある日、お姉さんはぼくらを集め、世界を倒そう、と言いだした。ジャックとシュガーが、またかよ、と呆れた調子でソファにふんぞりかえったけれど、お姉さんはさも当然のように、倒すまでは諦めない、と付け足した。

 もういちど同じ大会に出場し、今年こそは世界で、いや、あらゆる時代の才能たちへ宣戦布告をしようと、たぶん、お姉さんはこれもまた本気でそう思っているにちがいない。

 ぼくには足りないものがいっぱいある。

 足りないからこそ、いろんなひとの動きを真似て、個性を溜めて、ペタペタと〈ぼく〉というハリボテをかたどり、からっぽの器を満たしていくしかないのだと思っていた。けれど、せめてどういうカタチを、どうやって模るのか。それくらいの考えは、じぶんで考えて、じぶんの手で決めていこうと思った。

 ぼくはまだぜんぜん、スタート地点にも立てていない。

「チビさあ、いっしょにバトルでてみない? 修行だと思って」

 シズクから誘われたこの二週間後。

 ぼくは武藤さんと、もうひとつの仲間たちと出会う。




      【踊りとうつつに舞い戻り】END

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