魔王の欠片

うみ

上 旅する二人

「七十六式 物装 炎舞」


 抑揚なく呟かれた需言じゅごんに導かれ細く長い指に挟まれた呪符が灰と化す。

 需言を操るは白と薄紫の袴を纏った長身の麗人。淡雪のような滑らかで透明感のある抜けたように白い肌が服の袖から見えている。

 鼻から上は狐の面を装着しているため素顔が半分しか見えぬものの、輪郭と薄い唇から整った顔立ちであることは明らかだった。

 もう一方、彼と好対象な男が刀を構えて前方を睨んでいる。

 額からは二本の角が伸び、荒々しい鋭い瞳にニッと右の口角だけを上げたその顔は、強大な魔を前にしてどこか楽し気でさえあった。

 赤を基調とした派手な着流しに身の丈ほどもある刀を油断なく構える彼の立ち振る舞いは、歴戦のサムライを彷彿とさせる。

 

 ボウ。

 着流しの持つ刀の刀身が炎に包まれた。

 

「行くぜ! ぶった切ってやる!」


 彼らと対するは氷の人型の像。像は手下のこれまた氷でできた狼を引き連れていた。その数四。

 人型の像の顔が真ん中で割れ、氷の嵐が吐き出される。

 氷は鋭く尖り、嵐に巻き込まれれば木の葉のように吹き飛ばされ全身がズタズタにされることだろう。

 

 着流しは嵐などまるで見えないとばかりに疾駆する。

 一方の狐の面は袖を振り呪符を挟む。

 

十郎じゅうろう! 狼は任せろ。八十一式 封装 呑龍どんりゅう


 呪符が千切れバラバラになり宙を舞う。

 ヒラリヒラリと舞い、嵐に呪符の欠片が吸い込まれていく。

 すると、先ほどまで勢いよく渦巻いていた嵐がピタリとやむ。

 そこを着流しが駆ける。無風となった野を。

 跳躍し氷の狼を飛び越えた彼は、炎を纏った刀を背筋を逸らし振り上げる。

 

 ズバッ!

 着流しは大上段から真っ二つに氷の人型を切り伏せた。

 ズシンと音を立て地面に転がる氷の塊は一瞬にして昇華しこの場から無くなる。

 残された狼たちは主人の恨みとばかりに着流しに襲い掛かるが、半ばでバラバラに砕け散った。


「ありがとよ。晴斗はると

「お互い様だよ。十郎」


 僅かだけ口元をあげる狐の面こと榊晴斗さかき はるとと大きく口を開け声をあげて笑う市ヶ谷十郎いちがやじゅうろう

 正反対の二人であったが、息はピッタリだった。


「ご婦人。窮屈な思いをさせ、大事ないですか?」

 

 晴斗がくるりと体の向きを変え、窪みへ顔を向ける。

 我が子を抱きしめ小さく丸まっていた若い女が立ち上がり、彼を見上げるとぽおと頬が桜色に染まる。


「陰陽師様。お侍様。村を救って頂きありがとうございます! このような妖怪が村の前で出るとは……」

「群雄の世が終わり、至るところに魔が潜んでいます。どうかお気を付けて」

「是非とも村へおいでになってくださいませんか? お二人にささやかながらもお礼をさせてください。この子の為にも」


 懇願する女に向け十郎と晴斗は首を横に振った。

 これ以上彼女に語り掛けることなく、二人は歩きだす。

 荒野を行く彼らの周囲に動く人影はない。

 十分に村から離れたところで、十郎は頭の後ろで腕を組みひゅうと口笛を鳴らしうそぶく。

 

「とんだ無駄足だったな」

「断じてそのようなことはないさ。救えた」

「全く。晴斗は変わんねえな」

「たとえ『魔』に半身を侵されようとも、志は変わらないさ」


 口端を僅かに動かし今は遠くなった村へと思いをはせる晴斗。

 もう一方の十郎はふんと鼻を鳴らすも「そうだな……」と誰にも聞こえぬくらい小さな声で呟く。彼の手は自然と「生えてきた」額の角に触れていた。

 呪符を挟み力ある言霊「需言」でもって術を発する陰陽師である晴斗と絶技と言われるまでに技を研ぎ澄ました皆伝とよばれる域に達した侍の十郎は共に魔を滅する力を持つ。

 二人はとある禁忌を犯し、魔に飲まれてしまった。しかし、彼らの強靭な精神力と晴斗の陰陽術で自らを保っている。

 故に村へは近寄ることは控えたい。有難い申し出も無下に断る以外になかったのだ。

 魔とは何なのだろうか。

 魔は時に実体化し、化け物を生む。民草から妖怪や魔物と呼ばれるそれは見境なく人に襲い掛かる厄介極まりないモノだ。

 ここ日ノ本では長く群雄割拠と呼ばれる戦乱の時代が続いた。武士たちが自らの才覚を頼りに成り上がり、綺羅星のごとく現れては消える。

 長く続いた戦乱の時代はある武士によって統一直前にまで進んだ。しかし、その武士は最後に謀反によって討たれ露となる。

 その後、戦う力を無くした群雄たちは日ノ本の帝を中心に据え忠誠を誓い、長く続いた戦乱の時代は終わりを告げた。

 多くの武士の悔恨を残して。

 戦乱の時代が終わると、日ノ本各地に巨大な魔「妖魔」や「魔将」と呼ばれる存在がいくつも出現し人々を苦しめる。

 太平の世に希望を見出した日ノ本だったが、あっけなくその想いは裏切られた。

 多くの魔物たちによって。

 魔とは何なのだろうか。

 戦乱の時代にも魔はあった。魔物が出現したとしてもせいぜい先ほど二人が倒した氷の人型程度のものであったが。

 巨大な魔となった原因は一つ。

 散っていった武士たちの――。

 

 唐突に前を行く十郎の足が止まる。

 続いて察した晴斗もまた袖を振り、呪符を指先で挟んだ。

 

「霞んできた。頼む」

「言われずとも。やはり斬り結ぶと早くなるのだな」


 晴斗が狐の面の下の目を凝らすと、十郎の額から生える角より僅かなモヤが見て取れた。

 あれは「魔」だ。彼らは最も巨大な魔と言われた魔王を打ち滅ぼした。その際に二人は実力以上の力を振り絞らねばならなくなってしまう。

 そのため、二人は禁忌と呼ばれる術を行使した。その代償として彼らは魔に体を蝕まれている。代償は大きい。十郎は陰陽術の力無くしては自らの正気を保てなくなっていた。

 彼は元々人間で魔に浸食された結果、角が生えた異形の体となってしまう。

 本来であれば他の魔物と同じように人々を襲うだけの獣になる存在だ。

 晴斗は開いた方の手を自分の首に添える。

 私も同じ、十郎とは出方が異なるが……。

 彼は心の中でそう呟き、需言を唱える。

 

「九十式 封装 十束とつか

 

 呪符が横一線に切れ、光の網が十郎を包み込む。

 すると、彼から魔の気配であるモヤが消えた。

 

「ありがとうよ。少し休むか」

「そうさせてもらう」


 その場で腰を下ろした晴斗は「ふう」と息をつく。

 十束は現在彼が使うことができる最も強力な封装――封印術である。十郎と同じく魔に犯された彼の体にとって大きな負担となっていた。

 以前の彼ならば、もう一回十束を使おうが平然と立っていたに違いない。

 十郎と異なり、晴斗は陰陽術の源となる妖力の半分以上を魔を抑え込むために使っている。

 彼の肌が淡雪のごとくとなっているのも、その影響だった。

 首を振り彼の隣に腰かけた十郎はひゅうと口笛を鳴らす。

 

「晴斗と離れるとやべえな。やっぱ」

「代償は確かに大きい。十郎は心。私は妖力に支障をきたしているのだから」

「まあ。制限がある方が燃えるってもんだろ?」

「貴君の前向きさには呆れると共に安心するよ」


 浮き上がるように体を浮かせて立ち上がった十郎が首を左右に動かし、ゴキゴキと音を鳴らした。

 次に両手を上にあげぐぐぐと背筋を伸ばす。

 

「しっかし晴斗。魔王はノブだけにしても魔将はいるんだろ?」

「そうだな。しかし、魔将と魔王ではまるで強さが異なる」

「ん。どっちも巨大な魔ってやつだろ」

「間違えてはいないが……日ノ本に魔が溢れた原因は兵たちの夢の後。兵は個を持たず集となりて魔物となるが、生前に群雄とまで呼ばれた優れた武士は個として魔将か、稀に妖魔になる」

「違いが全く分かんねえ。魔物より魔将が強いでいいんだよな。妖魔ってなんだ」

「貴君のようなものだ。生前の正気を保っている個。魔物はそもそも弱い魔が集まるもの故、意思は持たぬ。魔将は個であるが、正気を失い人を滅ぼす破壊衝動にかられる、と分析している」

「魔王も魔将と同じだろ?」

「十郎から見れば同じだな。隔絶した力を持つ魔将と思えばいい。しかし、十郎。一ついいか?」

「あん?」

「聞いてもすぐに忘れる。また同じことを聞くのだろう」

「まあいいじゃねえか。会話でも気が紛れるだろ」


 頭の後ろで腕を組み「カカカ」と笑う十郎。

 「全く」とふっと息を吐き出した晴斗も地面に手をつきゆっくりと立ち上がる。

 十郎は笑いながら、空を仰ぐ。薄い白い雲が右から左へと動き、太陽が変わらず彼らを照らしている。


「やっぱ狙うはノブ魔王の欠片かあ」

「当面はな。元の姿に戻っては私たちに滅ぼすことはできない。魔王ノブが復活する前に欠片を全て滅ぼさねば」

「旅の途中で魔将や妖魔に出会ったらぶった斬るんだろ」

「民草に害なす者は陰陽師として放っておけないな」

「もっと素直に言えばいいのによ。回りくどい。そうだ。晴斗の陰陽術でノブの欠片を探せばいいんじゃねえのか?」

「残念ながら分からぬ。私たちが魔王を滅ぼした際に禁忌によって奴の魔の一部が体に取り込まれてしまった。最も至近距離にある魔王の魔が私なのだ。示せぬよ」


 「よくわかんねえ」とうそぶき、十郎が白い歯を見せる。

 八重歯が鋭く尖り、牙となっていた。これも魔の影響である。

 「変わらぬな。十郎は」と晴斗も僅かに口を緩めた時、背筋に悪寒が走った。

 時を同じくして十郎も顔が引き締まり、刀の鞘に右手を当てる。

 背後だ。

 私たちの立つ木の後ろに「突然」出現した。近寄ってきたわけではない。空気の揺らぎさえなかった。

 陰陽術なのか? それとも別の術理?

 晴斗は頭の中で考えを巡らせながらも、緊張から汗が滲む。

 木の裏。距離にして3メートルも無い。

 晴斗だけでなく、十郎の異形化してから益々冴えわたる気配を察知する力もこの相手にはまるで役に立たなかった。

 二人が目くばせし合い、同時に後ろへと体の向きを変える。

 

 ゾワリ。

 いない。木の裏から気配が消え、今度は背後から気配がする。

 

「そう殺気立たずとも、敵意はありませんよ。魔王を滅ぼし歴戦の勇士よ」


 今度こそ気配と向き合う二人。

 彼らは反応こそ違えど、男の様子に息を飲む。

 緑を基調とした官吏の服に身を包み、扇を口元にやった姿は荒野のこの場と余りに懸け離れていたからだ。

 貴族や帝の宮殿や群雄の場内ならともかく、官吏の姿で近くに都もない場に来るなぞ常識外れもいいところ。

 白銀の髪に軽薄そうな鋭い目、つんと尖った口元に痩身。

 

 どこかの絵巻物にでも出てきそうな男だった。歳の頃は30代半ばといったところか。

 

「あなた方は魔王の欠片を追っているのですか? 禁忌の陰陽術を使い、満身創痍のその体で?」

「そうでもないぜ。俺は以前より膂力もある。速く走ることができる」


 男の挑発とも言える問いかけに十郎が鼻を鳴らす。余計なお世話だと言わんばかりに。


「あなた個人としてはそうでも、あなたはそこの陰陽師なくしては成り立たない。陰陽師は妖力を魔の制御に使い昔日ほどに力を発揮できないでしょう」

「分かったような口を。晴斗だって以前と変わらねえさ」


 晴斗は「ふっ」と笑い頷きを返す。

 妖力の総量が制限されようとも、使うことのできる陰陽術は変わらない。ならば、変わらないと言って差し支えない。

 彼に迷いはない。ただ自分の力を信じている。

 陰陽術の強さとは妖力だけではないことを。

 

「どうやら本気なようですね。しかし、晴斗でしたか」

「私は榊晴斗。相棒は市ヶ谷十郎と言う。貴君は人ではないな」

「そうですね。晴斗。あなたと似たようなものです。もう一度問います。晴斗。そして十郎。あなた方は本気で魔王の欠片を滅ぼそうとしているのですか?」

「貴君も? そうなのか? 魔王の欠片のことをどうやって知ったのか、など疑問は残る。しかし、一瞬にして場所を変える力を持つ貴君なら知っていても不思議ではないか」

「私が御屋形様を? とんでもない。私では不可能ですよ。魔王の欠片は欠片といえども魔王。その力は魔将を上回るほどです。それでも挑むつもりですか?」


 男は暗に「死ぬつもりなのか」と言っているかのようだった。

 もとよりそのつもりはない。少なくとも全ての魔王の欠片を滅ぼすまでは。

 晴斗は決意を新たにし、狐の面越しにキッと男を睨む。

 

「意思は変わらない。この身、果てようとも全ての欠片を滅ぼしてみせる。禁忌を犯してまでして滅ぼした魔王が再び世に出ては私たちの戦いは何だったのか、となる」

「意思は固いようですね。では、こちらをお持ちなさい。あなた方に『道』を示してくれるでしょう」


 宙に鈴が突然出現し、晴斗の手に落ちる。

 

「貴君。そこまで準備をしておきながら、いや、いい。貴君が私たちの邪魔をしないのならそれで」

「晴斗。あなたのその毒をもという心意義、天晴です。あなた方のような人に滅ぼされるのなら御屋形様も本望でしょう」

「魔王を御屋形様と……貴君一体何者なのだ?」

「私ですか? 私はミツヒデ。家名はとうに捨てました」

「ミ、ミツヒデ。き、貴君……」


 晴斗の言葉が言い終わらないうちに男――ミツヒデは姿を消した。まるでそこには元々何も無かったかのように。

 残された晴斗は手の平に乗った鈴へ目を落とし、ゆっくりとそれを握る。

 もう一方の十郎はミツヒデが立っていたところをじっと見つめていた。

 

「あいつ。えらく協力的だな。気味が悪い」

「もし、私たちの知るミツヒデならば、手を貸しても納得はできる」

「ん。ミツヒデ……どっかで聞いたことがあるような」

「桔梗だ。桔梗の家紋のミツヒデならば」

「あ。確かに」


 ポンと手を打つ十郎。

 確かにあのミツヒデならば、かの魔王を滅ぼすことに対しなりふり構わず動くと彼も納得できた。

 明るくなった彼の顔がすぐに曇る。

 

「魔王が人だった頃、謀反を起こし彼の天下統一を最後の最後で阻んだのが桔梗の家紋を持つミツヒデ」

「理由は分からんが、ミツヒデがノブを倒し、死したノブは魔の力で魔王となったんだったよな。謀反してまで殺りたかったなら、まあ、そら滅ぼしたいわな」

「十郎が納得していないのと、私の思いは同じだよ」

「だよなあ。ミツヒデの奴。相当強い。魔王の状態ならともかく、欠片なら奴自ら仕留めることができんじゃねえかってことだよな」

「然りだよ。彼の者の絵図は分からない。だが、私たちにとっては僥倖だ。それでいい」

「なんだよ。俺みたいなこと言って。そうだな。どうでもいいさ。俺たちが魔王の欠片に辿り着くことができるならな」


 カカカと十郎が笑う。つられて、晴斗も口元に薄い笑みを浮かべた。

 そう。構わないさ。

 私たちは魔王を倒すべく全てをかけた。禁忌を犯し魔に浸食されようとも果たしたのだ。

 何もかもを捨てて隠棲しても良かった。しかし……ある種の妄執だな。これは。

 晴斗はそう自嘲する。表情は変えずに。

 帝の命だから、民草を救うために、自らの名誉のために、魔王を打ち滅ぼす前は大きな志に突き動かされていた。

 だが、今は――。

 詮無き事。

 晴斗は十郎には見えぬよう小さく首を振った。

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