第32話、想いが通い合う二人

 サラの胸から顔を上げたロミルダは、思わず声の主の名を呼んだ。


「ミケーレ殿下――」


 絹糸のようなブロンドを、壁の燭台でゆらめくロウソクの炎がきらめかせる。大理石の彫像かと見まごうばかりに整った顔立ちに、希少石楔石スフェーンを思わせる薄い緑の瞳。長い脚でゆっくりと歩いてくると、確信に満ちた声で宣言した。


「ミケは生きている。ただ、今は会えないだけだ」


 侍女二人に驚きのまなざしで見つめられながら、ミケーレはロミルダだけをまっすぐ見下ろしていた。


「ミケーレ様、どこか具合が悪いのでしょうか……?」


 彼の血の気の無い唇を見上げて、ロミルダは心配になった。


「ふ……」


 ミケーレはかすかに苦笑すると、秘密めかして答えた。


「ちと毒にあてられてな」


 彼の微笑が弱々しく見えたロミルダは、自室に招き入れた。


「おかけになったほうが良いのでは? どうぞこちらへ」


 いつもミケと二人で過ごしたソファに座らせる。


「余が戻ってくるより、ミケが助かった方が嬉しかっただろう?」


 悪戯いたずら好きの少年のような、それでいてどこか悲しげな笑みを浮かべて、ミケーレが尋ねた。


「いえ、まさかそんな!!」


 いつも正直なロミルダも、さすがに両手を振って否定した。


「無理しなくてよい。そなたが悲しんでいるのはよく分かっているのだ」


 穏やかな彼の声に、ふいに涙があふれそうになるのをぐっとこらえた。目を合わせないように前を向いて、


「どちらにいらっしゃったのですか? お二人の身に何があったのでしょう?」


「それは―― 今はまだ言えぬが、いずれそなたに真実を話す時が来るだろう」


 ミケーレは静かにもう一度、繰り返した。


「すべての真実を――」


 毒に侵され体力を奪われているのか、ソファの背もたれに頬を寄せると、そっとまぶたを閉じた。


(なぜかミケーレ様がとなりにいらっしゃっても私、緊張しないわ――)


 悲しみの霧はまだ心に影を落とすけれど、不思議と落ち着くのだ。


(私が不安なとき、こうやってミケくんも静かにそばに寄り添っていてくれたわね)


 かすかに寝息を立て始めたミケーレの顔をそっと見つめる。さらりと額をすべるブロンドを指先で分けると、長いまつ毛がわずかに震えた。


 サラがブランケットを腕にかけて、足音を立てないように近付いてくる。ロミルダは受け取ったブランケットをミケーレの肩にかけて、その上に優しく手のひらを乗せた。


(ミケは生きているって、ミケーレ様はおっしゃった。私はこの方の言葉を信じよう)


 無防備な寝顔をさらすミケーレを静かに撫でながら、ロミルダは心に誓った。私は王妃となって、この方を支えるのだと――。


 すっかり日が暮れ、夜風が湖面を揺らす頃、


「殿下! ミケーレ殿下はいらっしゃいますか?」


 廊下から侍従の大きな声が聞こえた。ミケーレが目を覚ましたのを確認してから、サラが扉を開けると、


「ああ殿下、こちらにいらっしゃったのですか! 魔術の間から姿を消されて、心配しましたよ!」


 また行方不明にでもなったら大変だと慌てたのか、侍従が胸をなで下ろした。


「ああ――」


 まだちょっと寝ぼけているのか、ミケーレは何度かまばたきしてから、


「ディライラは息災か?」


「ええ、お夕食もしっかりと召し上がっていました。キャリーをお持ちしましょうか?」


「うむ、頼む」


 廊下へ下がった侍従のうしろから王妃が姿を現したので、ミケーレは反射的に姿勢を正した。


「このたびはご心配をおかけしたこと、お詫び申し上げます、母上」


「お前が無事なら良いのです」


 ロミルダは立ち上がり、部屋の入り口に立つ王妃を、


「どうぞおかけください」


 と、ソファへと案内する。


 しかし廊下の方から元気な足音と共に、


「母上! ようやく見つけましたよ!」


 カルロ殿下の声がした。じゅうたんの敷かれた廊下を早足に歩いてくる。左腕を骨折したようで、肩から布で吊っていた。


(まさか、懐中時計のダイヤがはずれた場所が、人間に戻ったら左腕だったのかしら?)


 ロミルダはちらりと疑問に思ったが、訊かないでおいた。前回ミケーレ殿下が行方不明になったときも、冤罪をかけられ大いに巻き込まれたにも関わらず、ロミルダに真相が伝えられることはなかった。王家には機密事項が多いのだ。


(いずれ秘密を共有することは避けられないでしょうけれど、今は気楽な立場でいさせてもらいましょ)


 離宮での王妃殿下の堂々とした振る舞いを見るにつけ、将来自分が求められる働きを想像して気が重くなった。だがそこはロミルダ、まだ起こってもいない未来について考えてもしょうがないので、気にしないことにした。


「兄上のところに行ってしまわれるなんてひどいですよ、母上! 屋敷中探し回ってしまいました!」


「はいはい」


 王妃はソファに腰を下ろすのをあきらめて、カルロの方を振り返った。


「月が綺麗だからテラスで話しましょうよ! 兄上とロミルダ様もいかがです?」


「余は疲れているから結構だ」


「私はミケーレ様のお側におります」


 二人の返事を聞いたカルロは、まるでエスコートするかのように右腕を母親の腕にからませて、


「では母上と僕で行きましょう」


 と笑顔を見せた。扉が閉まる寸前、


「やっぱり猫のときに、威嚇されても引っかかれても、抱きしめてスリスリしておけばよかった」


 王妃がポツンとつぶやいた。


「え、なんです? 母上、僕を抱きしめてスリスリしたいっておっしゃいました?」


 カルロの能天気な声が遠ざかっていく。


 王妃とカルロが去って静かになった室内で、ミケーレは安堵のため息をついた。


「ああやって素直に甘えられる弟を愛しているのさ、母上は」


 自嘲ぎみに笑うミケーレに、ロミルダは首を振った。


「わたくしには……そうは思えませんが――。王妃様はミケーレ殿下を深く愛していらっしゃるように見えます」


「フン、余はそなたに愛してもらいたいのだがな?」


 照れ隠しなのか、目を合わせずにそんなことを言うミケーレに、ロミルダは頬を紅潮させてうなずいた。


「あ……、はい」


 うつむくロミルダに気が付いて、ミケーレは慌てて訂正した。


「今、傷心のそなたに言うべき言葉ではなかったな」


 大きな手のひらが力づけるようにロミルダの肩を優しくつかんだ。それは恋人の肩を抱くというよりも、師団長が部下を激励するようだった。だがミケと会えない悲しみに心がふさいだロミルダは、まだロマンスを楽しむ気分ではなかったから、ミケーレの振る舞いに救われた。


「そなたの心は今、ミケくんにあるだろうからな」


(いけないわ、殿下にこんな気を遣わせては――)


 ふと我に返って、首を振ろうとしたロミルダに、 


「余はそなたの優しさに触れるまで十年近く、猫のディライラだけを愛してきた偏屈な男だぞ?」


 ミケーレは笑いを含んだ声で言った。


「猫ちゃんが大切な家族や恋人のような存在だというのは、よーっく分かっておるから、何も気にする必要はない」


(やっぱりミケーレ様は本当に心の優しい方なんだわ。猫ちゃん好きに悪い人はいないのよ!)


 うつむいていたロミルダが顔を上げると、ミケーレが美しい緑の瞳を細めてふわっとほほ笑んだ。


(なんだかミケーレ様の瞳、ミケくんみたい――)


 ロミルダも包み込むようにほほ笑み返して、膝の上で握られた彼のこぶしの上に自分の手のひらを重ねた。


「あったかい……」


 子供のようにつぶやいて、ミケーレはロミルダの肩にこてんと額を乗せる。彼の絹糸のようなブロンドを手櫛でとかしながら、傷心のロミルダは心の中でこっそりつぶやいた。


(殿下ったらかわいい……けど、ゴロゴロ喉鳴らしてくれたら最高なのに!)


・~・~・~・~・~・~


王子の想いは通じた・・・のか!?


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