第5話★魔女の正体

 ボンッ! と音を立てて落ちたところは走っている馬車の上。


「何かしら?」


 窓から侍女が顔を出すが、馬車の屋根の上で軽く打った腰をなめる余には気付かず引っ込んでしまった。


 ――あの侍女、見覚えがあるぞ…… あ。婚約者と一緒にいた――名前は思い出せないが、クッキーの入ったバスケットを持っていた女だ。


 ということは、この馬車に乗っているのは余の婚約者か。


 予想通り、馬車はモンターニャ侯爵邸に着いた。余は素早く馬車から飛び降りると、使用人たちの足元をすり抜け、城壁わきの草むらを走り中庭へ入った。


 一体なぜ余は猫にされたのだ? その謎を解くため、手がかりを求めてロミルダの部屋に侵入してやろう。


 中庭に立つひときわ高い木によじ登り、開いている窓から屋敷の中にすべり込む。書斎机と壁に並ぶ本棚から察するに、この部屋は侯爵の執務室だろうか? 扉のあいだをひょろりとすり抜け、うす暗い廊下を歩く。


「大成功ですわ、お母様」


 若い女の声が聞こえて、余は足を止めた。


「あの粉を使ってロミルダはクッキーを焼きましたのよ。わたくし厨房をのぞいて確認しましたわ」


「ふっふっふっ。私が入れ替えたこの魔法薬を使ったのかい」


 ドアの下からのぞくと、濃い紫の髪をした女がガラスの栓をはめた怪しげな瓶を傾けている。中には白い粉が入っているようだ。 


 ――あの女は確か、モンターニャ侯爵の後妻だったな。アルチーナ夫人と言ったはずだ。


「第一王子は彼自身の宝物に姿を変えているだろう。いまごろ使用人が見つけて、宝物庫に閉じ込めているころさ」


 女はくっくっと笑い声を上げた。


 彼自身の宝物、と余は胸の内で繰り返した。なるほど――、あの白い粉は食べた者の姿が、その者の一番大切なものに変わってしまう魔法薬なのか! それで自分が一番かわいい毒見役に効かなかったわけだ。


「これで私の婚約者であるカルロ様が王太子になるわね!」


 藤色の髪の少女がほくそ笑む。あれは弟のカルロと婚約したドラベッラだな。


「そうだとも! お前は未来の王妃。私たち母娘でこの国を乗っ取るのだ。私の魔法薬なら国王さえ操れる!」


 母親が両手を広げた。その手には、妖しくねじ曲がった古い杖が握られている。


 こいつが占星術師の告げた魔女だったのか――! 何年も前から侯爵家に入り込んで、計画を練っていたのだ。


「お前は高貴な血を引いているのだよ、我が娘ドラベッラ」


 魔女は声をひそめてそう言うと、娘の頬に指をすべらせた。アルチーナ夫人は遠い異国の王女だったから、その話か?


「お母様だって。国王陛下の腹違いの妹ですわ」


 何を言っているんだ? 荒唐無稽な妄想に取りつかれているのか? 万一本当なら、濃くなりすぎた王家の血を薄めるため臣下から妃を娶るのに、全く意味をなさないじゃないか。


 これは一刻も早く父上に報告して、アルチーナ夫人の出自を調べてもらわねば――


 だがどうやって? 今の余は何をしゃべっても「にゃ」になってしまうではないか!


「にゃーにゃにゃぁ――」

(万事休す、か――)


 なんてことだ! こんなかっこいいセリフまで「にゃ」に変換されるとは! しかも腕を組んだつもりが前脚を合わせてエサちょうだい! のポーズをしているようではないか! 美貌の貴公子と呼ばれてきた余が――くぅぅっ、ショックすぎる……!


「今何か声が――」


 ドラベッラが立ち上がったので、余はあわてて廊下を走って逃げた。魔女親子につかまってはかなわん。


 せめても王宮へ帰る方法はないかと、猫の小さな足で侯爵邸を歩きまわっていると日が暮れてきた。突如騒がしくなったと思ったら、騎士団の連中がやって来たようだ。人の集まっている大回廊へ急ぐ。


「魔女め、ミケーレ王太子殿下を消してこの国を乗っ取る魂胆だな。お前を王宮へ連行する!」


 つかまったのか、と安堵して廊下からのぞくと、あろうことか騎士団長はロミルダを拘束している。


 そっちじゃない! 教えたいが伝えるすべがない。やきもきしていると侯爵令息オズヴァルドが出てきて騎士団長を追い返した。


 宰相を務める優秀なモンターニャ侯爵に似て、彼もできる男だと聞いているが、噂は本当のようだ。


 ロミルダを魔女と勘違いしている騎士団長は去り際に、


「魔女め、命拾いしおって」


 にくにくしげに吐き捨てた。


 ちっがーう! 魔女はすぐそこにおろうが!! たまらず余は飛び出した。


 目を覚ませ、騎士団長! 額にしがみつき、目をのぞきこむが―― 


「いてぇっ! いてててて!」


 大騒ぎしやがる。余の考えはまったく伝わらないのか! 余はいつもディライラの考えていることが分かったぞ!?


「いまいましい猫め!」


 騎士団長は余の首根っこをつかむと、ぽーんと放り投げた。居並ぶ騎士たちの頭がすごい勢いで眼下を流れてゆく。


(落ちる――)


 余は再び目をつむった。

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