「1986年 岡崎恭介 45歳」act-6 <告白>
二人は少し汗ばみながら、あっという間に蛤をたいらげた。
岡崎が、先ほどの女性にお茶を頼む。そして、二本目の煙草に火をつけた。ユウは、テーブルの上に置かれた紙ナプキンを細かく折りたたんでいる。
やがてそれは小さな鶴の形になった。
「器用だな」
岡崎がそう言うと、ユウは鶴を自分の掌に乗せ差し出した。
「今日のお礼」
岡崎はそれを受け取ると窓枠の上にそっと置いた。斜めに差し込む陽の光を浴び、鶴は外に広がる水平線に浮かんでいるようにも見える。
岡崎は煙草の煙を静かに吐き出すと、冗談めかした口調でユウに言った。
「もう死のうなんて思うなよ」
彼女は一瞬キョトンとした顔をしたが、視線を岡崎から窓の外に向け答えた。
「おじさん、私ね‥」
岡崎はユウの言葉の不自然な間に、何となく身構えた。
「私ね、妊娠してるんだ」
予期せぬユウの言葉が、岡崎の胸を突き刺す。
そこへ店の女性がお茶を運んで来た。岡崎は彼女に向かって慌てて礼を言うと、必要以上に並々と注がれた二つの茶碗を受け取った。
ユウは窓外を見つめたままだ。
しんとした座敷に、波の音だけが小さく聞こえている。
「びっくりした?」
岡崎はユウの問いには答えず、煙草を揉み消しながら別のことを尋ねた。
「相手は誰なんだい?」
「男子校に通う一コ年上の人」
「その人に妊娠のことは伝えたの?」
「うん。言ったら逃げてった」
短い言葉のやり取りが終わると、また沈黙がおとずれた。岡崎は思い出したかのように茶碗に手を伸ばし、冷めきったお茶を一気に飲み干して言った。
「お母さんには?」
「言ってない」
「どうするんだ?」
「産めるわけないじゃん」
ユウの声は小さく、そしてかすれていた。
岡崎の胸の中で、大きな問題を抱え一人怯えていたユウの健気さと、相手の男に対する泥のような憤りが交差していた。
それから二人は長い沈黙の後、閉店を告げに来た女性に急かされ外に出た。
薄暗くなった店の窓枠に、ユウの作った鶴だけがぽつんと残された。
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