桜華獣恋記~俺を巡って毎日キャットファイトが絶えない職場だけど今日も元気にやってます(白目)~
龍威ユウ
第1話:目覚めたらそこは知らない世か……なんて古典的な
気が付いたらいつの間にか、見知らぬベッドの上にいた。
ここはどこだろうか。
抱いて至極当然すぎるこの疑問と共に、少年はのそりと起き上がった。
未だ意識がぼんやりとする中で、改めて周囲を見回してみるもやはり、まったく身に憶えがない。
内観は一言で言うと、とても清潔感にあふれている。
ゲームや漫画、フィギュアなどが乱雑した自室とは違って、目にも心にも大変清々しい。
とりあえず、ここは自室ではない。
家具は質素ながらも至って普通で、全部木製と言うのもなかなかに物珍しさがある。
この家の持ち主の趣味嗜好だろうか。
どちらにしても何故、自分がここにいるのかが皆目見当もつかない少年は、ベッドから降りた。
何気なく、開放されっぱなしの窓へと向かう。
吹き込む微風はとても心地良くて、露出した肌をそっと優しく撫でていく。
レースのカーテンがぱたぱたとなびく、その向こう側の景色に少年は大きくその目を丸くする。
「……どこ、ここ」
家の中もそうであるように、窓の向こうに広がる景色も少年はまったく知らなかった。
明らかに生まれ育った日本でないことは、雲一つない快晴を悠々と優雅にして気持ち良さそうに泳ぐ巨大な鳥類が物語っていた。
――なんだ、あのバカでかい鳥は!?
――ざっと見ただけでも五メートル以上はあるぞ!?
もしやあれが世にいう伝説の怪鳥サンダーバードか!? 驚愕のあまりいささか思考がおかしかったことを
窓の向こうに広がる街並みは、大小新旧様々な建物が群集する現代日本のそれとはあまりにもかけ離れすぎていた。
言葉選ばずして言えば、あまりにも文明が遅れている。
日本には数多くの城があれど、天に向かってそびえ立つほどの巨大な城はまず存在しない。
アミューズメントパークだったらばいざ知らず。
人々が普通に生活する町中にでかでかとその存在を主張するような場所は、記憶の中では存在しなかったはずだ。
――本当に、俺はどうしてこんなところにいるんだ?
――いったい何があった?
ようやく記憶を思い返そうとした少年だったが、ハッとした顔を浮かべる。
何も、思い出せない。
俗に言う記憶喪失と呼ばれるものだが、幸いなのは自身の出自やこれまでの出来事についてははっきりと昨日のことのように思い出せる。
俺は――フツミ・タツヒコだ。
自分を証明するための名前をもそりと口にした途端、途方もない安心感が胸の内を満たしていく。
いつも日常的に口にして当然だと思っていたことが、こんなにも安心できるなんて……アルツハイマー型認知症を患った高齢者の気持ちを、身をもって理化したタツヒコは、それはともかくとして何故か昨日の出来事がまるで思い出せないでいる。
「俺は……何してたっけ?」
いくら思い返そうとしても、該当する記憶がどうしても検索に出てこない。
まるで誰かの手によって
「ま、まぁ大変!」
と、突然開放された扉の向こう。白衣を纏った女性が酷く慌てた様子でどこかへパタパタと駆けていった。
さっきの人は、姿格好から察するに恐らく看護婦だろう。
だとすればここは病院なのか。タツヒコは改めて周囲を
病院にしては随分のその設備は質素極まりない。
清潔感は及第点なのに、それ以外についてはあまりにもお粗末すぎる。
今時こうもレトロな病院とは、それはそれでなかなか趣きはあれど、いざ有事の際には患者を殺しかねない。
そうこうと思考を巡らせている内に、遠くの方から――ドドドドッ、という地鳴りと共にその音が聞こえてきた。
付け加えるならば音は次第に大きくなっていき、ここにもしかして来ているのか!? タツヒコが理解した、次の瞬間。
さっきパタパタと走り去っていった看護婦をはじめ、大勢が一斉にこの狭い部屋へと雪崩れ込んできた。
「ちょ、は、えぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ!?」
いくらなんでも多すぎる。タツヒコが現在いるこの病室は――およそ八畳の洋室。
ベッドや簡易的な家具を設ければ、一人で利用する分には申し分なし。
そこに軽く十を超える数で圧しよればどうなるかは火を見るよりも明らかで、結果狭い空間は瞬く間にぎゅうぎゅうになった。
暑苦しいことこの上なく、おまけに全員が一斉にさながらマシンガンよろしく話すものだから大変やかましい。
耳を塞いでも容赦なく鼓膜に反響する声はもはや雑音であり、タツヒコは困惑と驚愕と、不機嫌……とにもかくにもあらゆる負の
「まさか、意識を取り戻すなんてこれは奇跡だ……!」「これは世紀の大発見ですよ!」
「今すぐにでも帝様に連絡してきます!」「私も同行します!」
「いいですか? 落ち着いて聞いてください。焦る必要はありません。あなたに話があります、よろしいですか? どうか、落ち着いて……」
やたら落ち着けと連呼する眼鏡をした人物が、恐らくこの病院の医者なのだろう。
それについては差して興味もないが――それはいったいなんのつもりだ? 病院と言う場所ではあまりに不釣り合いな恰好に、どうしてもタツヒコは疑念を抱かずにはいられない。
ふさふさとした毛並みは触れればさそ心地良さそうで、獣の耳と尻尾を恥ずかしげもなく堂々と着用すると言う、あまりにも型破りすぎる。
よくよく観察すれば医者だけでなく、看護婦も、騒ぎを聞きつけてどうしたと集まってきた野次馬達も全員等しく、似たような恰好をしているではないか。
こんなの見せられて逆に落ち着けるか! 医者はタツヒコが事態を把握できずに興奮状態にある、とその診断はあながち間違いではないが、懐から一本の注射器をさっと取り出した。
中を満たす液体は、およそ薬品とは思えないぐらい毒々しい紫色をしている。
「いけない! 患者が興奮している! 鎮静剤を打つから誰か抑えてくれ!」
「いやいやいやいや! 確かに混乱してるけど鎮静剤打つ必要はないから! 冷静に話はできるし、俺としても色々と聞かせてほしいですから!」
「そ、そうか……よ、よし。それじゃあ改めて落ち着いて。いいですね、絶対に慌てず行動してください」
「わかりましたってば……」
「そう、ですね。まずはどこから話せばいいか……。あなたは、数日前に発見されて当病院の患者として入院していました。えぇ、正確には三日間です」
「三日も……」と、タツヒコ。
三日間も昏睡状態にあった、という事実にタツヒコは軽い眩暈に苛まれた。
健康状態に至っては、毎年健康と診断されている。体脂肪率も一桁台だ。
病院に世話になったことと言えば、全治数か月の大怪我を負った時ぐらいだった。
それも人生において一度きりで、後は定期健診しか思い当たる節がない。
やっぱり、記憶がきれいさっぱりに抜け落ちている。
「……俺は、どうして三日間も?」
「……厳密にあなたが昏睡されていたのは三日間ではありません」
「え?」
「……これからお話することは、恐らくあなたの常識を遥かに逸脱しているでしょう。ですがすべて真実です――あなたは、とある遺跡より発見されました。数百年もずっと昔、絶滅した
頭をがつんと鈍器で思いっきり殴られたかのような衝撃、とはよく表現の一つで耳にする。
これが、多分そう。
タツヒコは思わず卒倒しそうになった。
ここで気を失ってしまえばどれほど気が楽だったろう。
皮肉にも物事に動じない精神力の強さが、ここにきて仇となった。
言っている意味が、まるで理解できなかった。
「ちょ、ちょっと待ってくださいよ。これ、何かの冗談か何かですよね? だってそんなこと、実際にあるわけがないですよね?」
「……お気持ちはわかります。もし私達があなたの立場であったならば、きっと同じ反応を示したことでしょう。ですが、すべて真実です」
「そ、そんな……そ、そうだ! テレビは? それかスマホでもなんでもいい! 俺に貸してくれませんか!?」
「ス、スマホ……? テレビ……?」
と、明らかに困惑した態度を示す医者は助ける様に周囲を見やるが、誰もが首を静かに横に振るばかり。
「申し訳ありませんが、ここには……いえ、この世界には恐らくそのスマホもテレビというのも存在しないでしょう。それは、あなたが生きていた時代にあったものですか?」
「う、嘘だ……そんなことが、だって俺、今まで――」
混乱は未だ冷めやらず、だがいつまでもこうしていては何も得られない。
何も始まらない。
多分彼の言葉は、真実なのだろう。
嘘を言っている感じがしないのは、雰囲気から十分に伝わってくる。
これでも人を見る目はある方だ、とタツヒコは自覚している。
よって経験談から真実だと判断を下したからこそ、猶更確かめねばならない。
百聞は一見に如かず――とにもかくにもまずは、自分の目で見ないことには納得できそうにもなかった。
タツヒコはゆっくりと、しかしフラフラと覚束ない足取りで病室を出る。
当然ながら患者が許可もなく脱走したと言うことで医師達が制止に入るが、今のタツヒコにとっては有象無象でしかない。
「すいませんけど、邪魔しないでもらえますか?」
医者の一人を軽く放り投げる。
思った以上に軽くて、きちんとした食事が摂れているか尋ねそうになった。
「い、いけない! 患者は完全に混乱状態に陥っている! 今すぐに鎮静剤を打つんだ!」
「……邪魔、しないでほしんですけどね」
別に暴れたりするわけじゃないのに……あくまでも情報が欲しいだけで、そのためには先の発言にあった古代遺跡に行く必要がある。
そこにいけばきっと、抜け落ちた記憶とも何かしらの関係があるかもしれない。
道については、言葉が通じるのだから誰か適当に聞けばいいだけ。
現在、他の何よりももっとも優先して対処すべき問題は――あくまでもこの場に留めようとする医者達をどうにかすること。
目の前で待ち構える
一人一人の戦闘力は、本職が医者なのだから低くて当然か。
ただ厄介なのは薬で、一度でも針の侵入を許せば一溜りもない。
――この人達が完全に敵だったらなぁ……。
討つべき敵であったのならば、こうも難しい話ではなかったのに。
命を狙う不逞な輩に対して加減も慈悲も無調の長物で、気兼ねなく全力をぶつけて淘汰すれば済む。
相手は、医者だ。
特別何か武術を嗜んでいる感じもない、至って普通――かどうかは、獣耳と尻尾があるのでいささか難しいところではあるが。
それはさておき。
全力で蹴る殴る以上、どうすればいいか。
沈思するタツヒコだったが、不意に意識は内界から外界へと無理矢理連れ戻された。
「そこを動かないで! 病院で暴れている患者がいると聞いた。全員危ないから安全な場所へ避難してください!」
「……誰だ?」
銀色の煌めきはまるで月のように冷たくてどこか神々しい。さらりとポニーテールをなびかせてやってきた少女を、タツヒコは静かに身構えた。
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