セフィロート拾遺集
炯斗
片角の守護獣と海の話
イェソドの守護獣の給与は、お小遣い制である。
「ありがとう先生」
司教から旅費を徴収してきたエイラは、マルクトの端から北東の方角へ祈りを送った。
再契約に際して「お金も貰えるようにしといた方が良い」と口添えしてくれたのは先生だった。お陰で金銭的に難の無い旅が出来ている。あまりねだりすぎると司教のお小言が長引くが、要求頻度と一度に貰う限度額も最初に凡そ決めてあるのでその範囲内であれば文句も言われない。
「海は広いなぁ」
最初ノープランで越えようとし、挫折した海を眺める。
竜の翼をもってしても大海は越えられそうになかった。ひたすらに広大な海は飛行では越えられない。一度戻って、文献を漁った。驚くほど「航海」に関する資料が少ない。あるにはあるが、南北の移動ばかりで東西へのアプローチの記録がないのだ。海の向こうに誰も興味が湧かなかったのだろうか。それはかなり不自然に感じた。
「
遠い目で海を眺めるエイラに赤竜がそう声を掛ける。
「どうすれば会えるでしょうか」
「うーん……造船と言えばネツァクだから、そっちの方へ行ってみようか」
幸い、エイラは女の子だ。
肩に小型の竜を乗せ、眼帯の少女はランパスの街を歩く。今迄人との関わりは全てセルビアに任せていたエイラに、道行く人に声を掛ける等という行為は難しい。観光案内所のような場所はないかと期待して大きな街にやってきた。
アィーアツブスの知識も結局マルクトとイェソドに片寄っている。しかも大分古い情報だ。他国で得る驚きは以前のエイラと大差ない。
極々小さな声で肩の竜に話し掛ける。
「ネツァク域では男性が奴隷のようだ、と聞いてましたけど…意外と普通…いえ、寧ろ大切にされているような?」
「人権がないんだよ。ペットと一緒さ。可愛がるだろ?」
労働用の牛や馬だって、鞭打たれるばかりではない。家族として大切にされる。しかし、働けなくなって捨てられることもあるし、持ち主がどう扱っても罪には問われない。
「ウォートバランサーの女性より扱い悪いじゃないですか」
「え。比較されるレベルなの?」
「ギリギリ人権はあるとされてます」
ふ、とエイラは視線を上げた。
「ぅ…ゎ眩し」
「キミなぁに?んー?いや、キミたち、何?」
突然現れたまるで煌月のような眩しさの浮遊体。眩し過ぎてエイラには直視出来ない。
「ええと、そちらこそ何ですか!眩しいんですけど」
「眩しい??」
「エイラ。たぶん、これ神さまだ」
「神!?スサボですか?」
セルビアから見れば、そこに浮いているのはこどもの姿をした鬼神。スサボかと問われ少しむっとしている様子だ。
「スサボに会いたいの?珍しいね。まだいたかなぁ」
「あのっ私エイラ…あるいはアィーアツブスと申しまして。スサボに会いたいのですが取り次ぎ願えたりしますでしょうか」
鬼神は面食らった様子ながら、自己紹介に応じた。
「アィーアツブス…って、なんでこんなところに。でも納得。まあいいか。ボクはスクラグス。スサボに会いたいなら…うーん。分神殿はあるけれど…」
暫し考え、鬼神はくるっと一回宙返りをした。
「一応、明日の夕方分神殿にお客様が来るよと伝えてはおくけど、確実に会えるかはわからないよ」
「あ、ありがとうございます!」
目は覆ったままだが、神に向けて頭を下げる。
鬼神が眩しいだろうことは予測していた。神の加護を受けた人間は皆眩しい。外の人間が眩しく見えたのはその所為だ。きっとあの魔術師も某かの神の加護を受けていたんだろう。その大元。鬼神が眩しくない筈がないとは思っていたが、まさかこれ程とは。
「で、キミはアィーアツブス。ならそっちの彼は?」
「ボクはセルビア。しがない竜だよ」
「キミたちはふたりとも軸は人間だろ!変なの。面白いね」
「神様にはお見通しなのかな」
「だって、玄獣は普通簡単には名乗らないんだよ」
そういえばオルデモイデもアィーアツブスも自分で名乗ってはいなかった。そういうものかも知れない。
ウィンルーパスの海沿いの町にある、白い柱が数本屋根を支えているだけの
「あの…」
側まで寄っても起きる気配がない。色素の薄い長髪がベンチと彼を覆っている。
彼がスサボだろうか。確かに眩しいが、加護を受けた人間くらいの眩しさだ。なんなら側に居る猫の方が眩しい。
「えっ、
眠る彼の傍で丸くなっていた猫は、延びをしながら立ち上がった。眩しさで詳細は判らないが、確かに猫の形と動きをしている。セルビアから見れば、大きめの三毛猫である。
「あんたらが客か?航海中じゃなくて良かったな。何の用?」
尻尾をテシテシとベンチに叩きつけながら、まんまるの眼をエイラに向ける。
「あ、はい。海の向こうの事を聞きたくて」
「海の向こう!?わはは、わっはっはっは」
猫は転げ回って大笑いした。
「おい、おい起きろメイ!やべーやつらが来たぞ!」
寝ている青年をベチベチと前足で叩きまくると、小さく身動ぎして彼は呻き声を上げた。
「う~~ん…なぁにスサボ。遊覧?輸送?」
「ちげーちげー!聞いた事も無いバカが来た!ぎゃあっ」
上半身を起こして眼を擦るメイと呼ばれた青年は、目覚まし時計を止めるが如く猫を鷲掴むとぎゅうと抱きしめた。
「ごめんね~うるさくて。なんだっけ。お客さんだよね?」
海の向こうに行ってみたい事。途中まで飛んでみたが難しそうだった事。航海に関する資料が少ない事。そもそも、海の向こうの情報がこの世に残されていない事。
そんな話をひとしきりして、最後には笑い過ぎの
「はー笑った笑った。あー、大爆笑させてくれた礼に誠実に答えるが」
猫は出てもいない涙を拭う仕種の後、真面目な声色で言った。
「無理だ」
「え…」
「実際、むかーしむかしに海の向こう、世界の裏まで行った奴はいる。方法は船だ。でもな、奴は力ある王だった。金も人も時間も運も知識も技術も膨大に要る。現実的に、おまえには無理だ」
それに、と猫はじっとエイラの眼を見つめた。
「そこまでしても、巧くいっても大陸の反対端に着くだけさ。おまえさんが行きたい場所にはよっぽどの幸運が無きゃ行き着かない。
「クリフォト…」
その言葉は、すとんと落ちた。
「そっか~。ごめんね~お役に立てないみたいで」
「人と金が集まったら、単なる東西横断航海くらいなら付き合ってやるぜ?」
「アィーアツブス、とんでもないところから来たんだねぇ」
赤い翼を羽ばたかせて、セルビアは背に乗るエイラに声を掛ける。
「…でも、またひとつ収穫です」
「そうだね。前向きに行こう」
この旅に終わりはないのだから。
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