27  帰ってきたホシボクロ

 リーシャが話の核心に触れる。

「それで、その声って誰の声だったの? 判らないまま?」

ライナムルとロンバスが二人揃って嫌そうな顔をする。


「やっぱりそれ、気になるよね」

そう言いながら、ほぼ解き終わった紐にライナムルが手を伸ばす。紐を解いているうちは答えを保留できるとでも感じたのだろうか?


 そんなライナムルをチラリと見て、ロンバスが口を開いた。

「この王宮には昔からの言い伝えがあるのです」

「言い伝え?」

訊き返すリーシャにロンバスが頷いた。


「はい、王宮の――オッキュイネの部屋がある塔の一階には、オッキュイネの部屋に昇る階段への入り口とは別に、地下へと続く入り口があるのです。その入り口からは地下に続く階段があって、崖の下まで続いていると言われています。そこには崖側からも入れる部屋があって、森から追い込んだ魔物を閉じ込めているのです」


「王宮ネズミたちが怖がって行かないって言う地下室?」

「はい。ライナムルさまは、声の主はその魔物ではないかとお考えです」

蒼褪めたリーシャがライナムルを見詰めた。

「魔物?」


 静かな眼差しをライナムルがリーシャに向ける。

「ジュジャイ伯爵夫人にザルダナ建国の話を聞いたかい?」

「昨日、教わったわ」

眠くなっちゃって途中までだった気もするけれど……


「ジュジャイ伯爵夫人の話は取りつくろわれたものなんだ」

「取り繕われた、って?」

「崖とその下に続く森に守られて好立地、そう考えた建国の王がここに国を創ると決めた――」

そう言えばそんな話を聞いたかも。


「あれは、ちょっと嘘。勇者だった建国の王はこの地に蔓延はびこる魔物を退治するためここに来たんだ。そして多くの魔物と戦った。でもその数が多すぎて、このままではらちがあかないと思った。魔物たちは森に棲んでいる。この王宮の崖の下に続く森のことだよ――いっそ森を焼き払ってしまおうか? でもそうなると一斉に魔物たちが反撃に出るかもしれない」


 すべての紐を解き終わったライナムルが揃えた紐をロンバスに渡す。ロンバスは立ち上がりキャビネットに向かった。


「そこで建国の王は森の入り口に立ち、魔物の王に挑みたいと声を張り上げた。森を牛耳る魔物がいるはずだと考えたんだね。もしも自分が魔物の王に勝ったなら、魔物たちは人を襲わないと約束しろ――哄笑が響き渡り、黒いモアモアしたものが姿を現した」


『生意気な人間め、我に敵うと思っているのか?』


「建国の王は怯まなかった。彼はまだ、奥の手を使っていなかったんだ。全てを追い払い近寄らせない力、それは裏を返せばすべてを封じ込める力となる――その力を使って彼は崖の洞窟に魔物の王を追い詰めた」


 ロンバスが戻ってきて元の席に座る。

「その時、建国の王は一つ失敗してしまった。力を増幅させる剣を魔物の王に弾き飛ばされてしまったんだ。その剣は魔物の王の向こうに飛ばされ、剣もろとも魔物の王は封印された……地下室には扉が二つ、一つは崖下に出られ森に繋がっている。もう一つはオッキュイネの塔の一階に出る階段に繋がる――オッキュイネの部屋がある塔は魔物の王を封じ込めている地下室を増強するために建てられたんだ。塔の下に魔物の王が潜んでいるなんて民たちに知られるわけにはいかない。だからこの話は伝説とされ、真実は王家のみに伝えられた」


「なぜ魔物の王を殺してしまわないの?」

 リーシャの問いにライナムルが悲しそうに笑んだ。

「今も魔物の王とともに封印されているあの剣、あれじゃなければ魔物の王は倒せない。特別な魔法が掛けられた剣なんだ。でも取りには行けない。剣は崖側の扉に刺さっている。その扉を開けたら魔物の王は開放されてしまう」


「塔の階段の扉からでは取りに行けないの?」

「魔物の王は階段の扉と崖の扉の間に立ちはだかっている」

「魔物の王を倒してからでないと、魔物の王を消滅させる剣は手に入らないのね」


 ロンバスが遠慮がちに問うた。

「ライナムルさまの呪いを解くには、魔物の王を倒すしかないのでしょうか?」

「そうなの? 凄く危険そう」

ライナムルが答えるより先にリーシャがそう言った。ライナムルはリーシャを見詰めて考え込んでいる。


「わたしがいるわ。わたしがいればどんなにライナムルが呪いで老け込んでも、回復できるのでしょう? だったらわざわざ危険を冒して呪いを解かなくてもいいんじゃないの?」

これにはライナムルとロンバスが顔を見合わせた。そして答えたのはロンバスだ。


「リーシャさま、昨夜の嵐、ライナムルさまはリーシャさまとご一緒に過ごされました。それでも一気に二十歳以上老け込まれたのです――昨夜の嵐は激しいものでした。でもたった一晩。嵐は一晩で治まるとは限りません」

「でも、八十歳以上までは元気だって――」


「リーシャさま、ライナムルさまは十四歳です。でも、これから先、どんどん実年齢も上がっていきます。十四歳で八十歳まで老け込んでも大丈夫だった。でも三十歳で同じだけ老け込めば九十五を過ぎます。その時、お命をとどめていられる保証は? ないのです」

「そうか、そういう事なのね」


 ロンバスの説明に蒼褪めるリーシャ、魔物の王を倒すしかいないの? ロンバスと同じ質問をライナムルに向ける。


 ライナムルは空になったカップをしばらく弄んでいたけれど、答えないわけにもいかないと思ったのだろう、面倒そうに口を開く。


「ごめん、リーシャ。呪いの解き方なんか判らないんだ。ただ、魔物の王を倒せばひょっとしたら、くらいなんだよ――ロンバス、そろそろ時間かな?」

ロンバスはすぐには答えなかった。ライナムルを悲しげな瞳で見ていたが、やがて少しだけ溜息を吐いた。


「お行きになりますか?」

「うん、真っ黒頭をとりあえず捕らえてみよう。地下室へ行った理由を問い詰める必要がある。立ち入り禁止のあの場所に何の用事があったのだ、とね」


 あっ、とリーシャも思い出す。

「黒髪の侍女が王太子さまに眠り薬を盛っていたのでしょう? その侍女を捕らえて尋問するのね?」


「そうだよ、リーシャ。兄上はもう少しでお目覚めになる。その前に済ませておきたい――目覚めて最初に見る景色が妻の侍女が捕らえられる場面だなんてお気の毒だ」

「ライナムルが尋問するの?」

「いいや、父上。僕は衛兵を連れて行って捕らえるだけ――リーシャはこの部屋で待っていて。いい子にしているんだよ」


 ロンバスが廊下に続く扉を開ける。リーシャに頷いて『行ってくるね』とライナムルが部屋を出る。続いてロンバスが会釈して部屋を出た。見送るリーシャの目の前で扉がパタリと閉められる。


 残されたリーシャ、他にやることもない。あれこれ考えるだけだ。とりあえず自分には、もう修道院に帰るつもりなどないというのはよく判った。


 ライナムルの傍にいて呪いを弾き返す、それが自分の使命だ。だけど不安は残る。ライナムルはああ言っているけれど、自分がライナムルの回復に役立っているという実感などない。


 今よりもっとライナムルを好きになれば、回復も早まるのかしら? 好きになり過ぎたら大きく回復して、ライナムルが赤ちゃんになっちゃうなんてないわよね? 赤ちゃんライナムルを想像して笑ってしまい、わたしったらなんて不謹慎な、とリーシャが反省しているとき、不意に廊下に繋がる扉が少し開いた。

(あれ?)


 誰が来たの? そう思って見ていたが、少し開いただけで人が通れるほどもない。


 ロンバスったらキチンと扉を閉めなかったのかしら? 誰もいないのだから自分で閉めるしかないと扉の前に出てみると

「あんた、誰?」

足元から声がした。


「えっ? 猫?」

 そこにいたのは白い猫、耳と鼻先が灰味がかった色の白い猫。前足を伸ばし後ろ脚を曲げてお尻を床につけ、座ってリーシャを見上げている――


「あ、ひょっとしてホシボクロ?」

「うん?」

 白猫の目つきがリーシャを品定めするようなものに変わった。


「ボクはあんたを知らない。なのにあんたはボクを知ってる――なんか、めっちゃムカつくんですけど!」

「あ、ごめんなさい、ライナムルに教わったの――ライナムル、あなたを心配していたわ。ロンバスも」


「ふぅん。それであんたは誰なのさ?」

「わたし? わたしはリーシャ。リーシャ・ジュディモ。ライナムルの仮の婚約者よ」

「仮? ってなにさ? 中途半端だねぇ!」


 ケラケラ笑いながら立ち上がると薄灰色の尻尾をピンと立て、今までリーシャが座っていたソファーにピョンと飛び乗った。

「チッ! お菓子がない。お茶なんか飲みたくない――リーシャ、なんか食べ物持ってない?」


「ごめんなさい。何も持ってないの」

「小間使いに命じて何か持って来させてよ」

「えぇ? どう命じればいいか、判んないわ」


「使えねぇなぁ――あんた、貴族じゃないのかい?」

「うん……こないだまで修道院にいたわ」


「その年齢としで修道院にいたってことは、孤児で将来はシスターになる予定だった?」

「えぇ、よく知っているのね――母と二人で修道院に身を寄せていたんだけれど、母が亡くなったから」


「へぇ……ところでさ、小間使いを呼べないなら、扉、閉めなよ。ボクね、開けることはできるけど、閉められないんだ。あんたが閉めなよ」

「あ、はいはい。今、閉めるわ」

慌てて扉を閉めるリーシャ、そんなリーシャを眺めながらホシボクロがソファーに横たわった。


 戻ってきたリーシャが座るとホシボクロがのんびりと言う。

「で、ライナムルのの婚約者のリーシャ、あんた、悪霊あくりょうきだね。しかも動物使いだ――だってボクは人間の言葉を話しているのに全く不思議がってない」

「あっ!」


そうよ、ホシボクロは最初から、人間の言葉を話してる――眩暈の発作に襲われそうなリーシャだった。

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