11  お化けごっこは白いシーツで

 なんだかいい匂いがする……そう思った途端、リーシャはハッと目を覚まし、ベッドの上に慌てて上体を起こした。どうやらここはリーシャの寝室、いい匂いの源は隣に潜り込んでいるライナムルだ。くーくーと寝息を立てて気持ちよさそうに眠っている。


(なんでまた――)

 あんたがここで寝てるのよっ! 怒鳴り付けたい気分だが、起こせば起こしたで面倒臭い。抗議したって、きっとライナムルには通じない。


 服はネグリジェに替えられている。きっとライナムルが命じて替えさせたんだわ。小間使いはわたしをなんと思ったかしら? なんでこんなに気を失ってばかりいるんだろうと、思ったでしょうね。


(そうだ、わたし、また眩暈を起こしたんだった……)

 庭での出来事を思い出そうとして途中でやめた。猫と、人間の言葉で話したことを思い出したらまた眩暈を起こしそうだ。そう思った時点で思い出している気がするのは、きっと気のせいだ。


 ライナムルがわたしを抱いて、庭からここまで運んだのかしら? きっとロンバスに任せたりしない。何となく嬉しくなって、それがシャクに障ったリーシャ、腹いせにライナムルの鼻を摘まんでみた。息苦しさに、きっと起きるわ。


 すると、少し笑みを浮かべていたライナムルの口がカパッと開く。口呼吸に切り替えたらしい。見事にリーシャの作戦負けだ。


(どんだけ、ぐっすり眠ってるのよっ!)

 イラッとして、摘まんだ鼻をひねろうかと思ったけれど、同時に笑いが込み上げてきて、笑う方をリーシャは選んだ。ついでだからライナムルの鼻も開放した。すると今度は何かムニャムニャ言ってから唇が閉じられる。


 どんな夢を見ているのかしら? ライナムルはうっすら笑んだままだ。きっと楽しい夢なのね。


 それにしても咽喉が渇いた。テーブルに水差しくらい置いてないかな?……ライナムルを乗り越えて、リーシャがベッドから降りようと立ち上がる。それがいけなかった。


 あっ、と思った時にはもう遅い。リーシャの重みで沈んだベッド、王城のベッドは修道院のとは質が違う、違い過ぎる! 沈むベッドに足を取られ、前のめりによろけたリーシャ、後ろに重心を戻そうとした拍子にライナムルを蹴飛ばした!


 蹴飛ばされたライナムル、寝ぼけまなこと言えどベッドから落ちたくない。反射的にわらにも縋る。藁だったらよかったが、実際に縋ったのはリーシャのネグリジェのすそだ。王城のベッドは藁で出来てはいなかった。


 掴んだ裾を必死に引っ張り、何とか落ちないよう必死な形相のライナムルを一瞬だけ見たリーシャ、でも本当に一瞬、重力に勝てなかったライナムル、さらに掛布団も巻き込んで、リーシャもろともドスンと落ちた。


「キャア!」

 落ちる拍子に悲鳴を上げるリーシャ、

「何事!?」

と部屋に飛び込んできたのはロンバスだ。

「いったたたた……」

ライナムルはうめき声が聞こえるけれど、姿が見えない。


「リーシャさま、なにしてるんですか? なんでそんなところに? ちゃんとベッドでお休みください」

「ベッドから落ちたのよ!」


 ロンバスが、立ち上がろうとしてなかなか立てないリーシャに手を貸す。下から出てきたのはモゴモゴ動く掛布団。


「リーシャさま、このうごめいているものは?」

「たぶんライナムル……なんじゃないかな?」

「えええっ!?」

驚いたロンバスが布団をバサッと払い除ける。もちろん出てきたのは涙目のライナムル。


「ライナムルさま、なにしてるんですか?」

そうよ、ライナムル、あなた、ここで何してるのよ? 心の中で同調するリーシャだ。

「お化けごっこならシーツだけのほうがいいかと――色は白がお勧めです」

問題はそこかよっ? ロンバスにリーシャが失望する。


「誰がお化けだって? ロンバス! そんなこと言っちゃっていいと思ってる?」

「いえ、いえ、いえ!」

「それにいきなり布団を剝いだら寒いじゃないか! ほら、リーシャも震えてる」

あぁ、そうか、わたし、震えているのは寒いからなのね? 言われてみると確かに寒い。


「いあ、その……」

「言い訳禁止!」

「あわわわわ……」

ロンバスが口籠くちごもり、ニヤリと笑うライナムルが、リーシャをチラリと見て愚痴ぐちる。


「リーシャ、思ったよりもお尻が重い。圧死するかと思ったよ」

そーですか、圧死しなくてよかったね。それにしても重いのはお尻限定なのね? 泣いていいのか悪いのか、とりあえず涙ぐんだリーシャだ。


 それを見てライナムルが、アワアワしているロンバスに

「泣きたくなるほどリーシャはお腹がいてるって。ロンバス、食事の支度、大至急」

と言った途端にリーシャのお腹がグウゥと鳴る。

「は、はい、ただいま!」

すっ飛んでロンバスが出て行った。そりゃそうだ、これでライナムルの怒りから、とりあえずは逃げられる。


 落ちたまんまの掛布団をライナムルがベッドに戻し、ついでに紛れ込んでいたナイトガウンを引っ張り出して、リーシャに渡してきた。やった! これで少しは寒さが和らぐ。喜んでガウンを着こむリーシャだ。ライナムルはいつも通りニコニコと、そんなリーシャを眺めている。


 ナイトガウンは二着あったようで、もう一着に袖を通すライナムル、それを見てリーシャが気付く。

「ライナムル、あんた、女物のネグリジェ着てるよ」

「うん、リーシャとお揃い。ガウンもね。丈が足りないのはご愛敬あいきょう

へっ? と、自分と見比べる。た、確かに……


「な、な、な……」

「そんなに恥ずかしがらなくっても大丈夫。どうせロンバスにしか見られやしない。人前にこんな格好じゃ出ないんだから――それより食事にしようよ。僕も腹ペコ」


そう言って応接室に向かうライナムル。許しもなくリーシャの部屋に入るなんてロンバスのヤツめ、と口の中でグチグチ言っている。どう罰してやろうかな? ニヤリと笑うその顔は何とも楽しそうだ。


 ロンバスは、どんな罰を受けるのかしら? ぞっとしたリーシャだが、ちょっとワクワクしてしまった。いけない! ライナムルに毒されている!?


 応接室に行ってみると、長椅子に毛布が一枚、無造作に置いてあった。可哀そうにロンバスはここに寝かされていたらしい。でも、ここ、なんとなく暖かい。


 部屋を見渡すと、ゆらゆらと暖炉で炎が揺らめいて、寝室と違って程よく暖められている。そうよね、毛布一枚じゃ、ロンバスが風邪をひく。


「そう言えば、ロンバスはどこに住んでいるの?」

「王城に部屋を貰っているよ。ここより狭くて寝室は一つしかないけどね」

「家族はいないの?」

「両親と兄二人、姉が一人に妹二人。さぁて何人兄弟だ?」

「え、っと……五人?」


 うん? とリーシャを見るライナムル、そこにロンバスが帰ってきた。

「ねぇ、ロンバスって何人兄弟だったっけ?」

「ライナムルさま、また忘れてしまったのですか? 兄二人、姉一人、妹二人の六人兄弟ですよ」

「そうだよねぇ……リーシャが五人兄弟だって言うんだけれど?」

ライナムルとロンバスがリーシャを見る。


 ややあって、

「では、そう言うことにしておきましょう」

ふいッとリーシャから目を逸らしそう言うと、ロンバスは運んできたワゴンの鍋の蓋を開けた。深く考えるのが嫌いなのは、ライナムルと同じらしい。


 納得いかないのはリーシャだ。兄が二人、姉が一人、妹二人、二たす一たす二は五――合ってるじゃない!


「牛の乳で煮込んだシチューだ。かぼちゃも入ってる!」

 ライナムルはロンバスの兄姉妹きょうだいのことなどすっかり忘れて、運ばれた料理に気を取られている。かぼちゃと言って嬉しそうな顔をしているところを見ると、ひょっとしたらカボチャが好きなのはオッキュイネじゃなくってライナムルかもしれない。


「サラダは今日も青っぽいんだね。葉っぱばっかりだ」

「でも、今夜はイチゴじゃなくってオレンジの果汁がかかっていますよ」

「そっか……じゃ、仕方ない。食べるよ。この時間じゃ小鳥も食べに来ないしね」


 そう言えば、とリーシャが問う。

「今、何時?」

「ロンバス、今の時刻」

「日付が変わるころでございます」

「だってさ、リーシャ――早く食べて早く寝よう。ロンバスも遠慮しないで一緒に食べよう」


そのつもりだったのだろう、ロンバスが用意したシチューの皿は三人分あった。


 ふわふわのパンとデザートはプディング、飲み物はお湯で割った甘酸っぱい、これは梅のシロップかしら……


「美味しい?」

ニッコリとライナムルがリーシャに問う。

「うん、とっても!」

ライナムルがそんなリーシャに満足げな笑みを向ける。


 頬が染まりそうな感覚に焦って、リーシャが話題を変えた。

「そう言えば、ホシボクロに頼むはずだったお使いはどうしたの?」

「あぁ、あれね。どうしたんだっけ、ロンバス?」

「庭の猫のいずれかが、きっと聞き届けてくれますよ」

「だってさ、リーシャ」


 ライナムルは、判っていてロンバスに訊いているのかしら? 自信がないからロンバスに言わせている? これって国王陛下もそうだったような? 陛下はいろいろ王妃さまに訊いていらした。親子って、変なところで似るものなのね。


 なんだかんだで食事が終わり、ロンバスがワゴンを押して部屋を出ようとする。

「ロンバス、暖炉を忘れているよ」

ライナムルの声に振り返ったロンバスが、暖炉を見、シャンデリアを見る。すると一瞬で暖炉の火が消え、シャンデリアが灯りをしぼった。

「おやすみなさいませ」

ロンバスはこのまま自分の部屋に帰るのだろう。


 今の出来事に呆気に取られて何も言えないリーシャの両腕に、ライナムルが後ろから触れてくる。

「リーシャ、早く行こう――僕、もう待ちきれないよ」


 はぃいっ!? 寝室に行かせようとするライナムル、後ろからリーシャを押して歩かせようとする。動いてしまわないよう足の、特に爪先にリーシャが力を込めた。

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