2話 厄介な男。

 事の発端は、執政官ルキウス・クィンクティの死から、半年前に遡る必要がある。


 新生派オビタル帝国は、女帝ウルドの名において以下の宣下をした。


「グノーシス船団国との国交交渉を進める」


 多くの臣民が悪感情を抱いている相手であり、当然ながらこの宣下にはデメリットもある。

 ただ、新たな通商相手が出来ることと、新生派の勢力圏内では彼らがしないことを意味する為、好意的な論調のメディアが多かった。


 他方で相手方、つまりエヴァン率いる復活派にとれば、敵が増えるだけの話である。ゆえに、ラムダ聖教会を利用してこれを糾弾しようとしたのだが――、


「女神ラムダの御許にて、全ては些事である」


 それのみを告げ、アレクサンデル教皇は、ウルドの宣下を異端論争の俎上に載せることを避けた。

 対して、レオ・セントロマ枢機卿は大いに批判をしており、教会内部から不穏な噂も聞こえて来る。


 ともあれ、新生派オビタル帝国は、仇敵との国交締結に向けて動き出したのであった。


 ◇


「走るって楽しいよ、トオル!」


 μフロントのパネルの向こう側で、溶液の中をみゆうが走っている。

 抵抗が大きい為、緩慢な動作ではあるが――。


「いやぁ、いきなり動けるものなんですね」


 新帝都フェリクスからの帰路、月面基地に立ち寄ったトールは、様変わりした女神を目にしていた。


 μフロント下部に制御室が有り、調査チームによって解析が進められた成果のひとつである。

 壁面を破砕する必要などなく、拘束を解く正規の手順があった。


 二本の腕を先行して拘束を解き、問題が無い事を確認した上で、全身の解放に至っている。


「うん!」


 そう言って、彼女は微笑みながら四肢を動かす。


 動きに合わせ豊かな乳房が躍動するが、あまりに巨大過ぎるゆえか、性的情動が刺激されることは無い。


 無いのだが――、


「けど、この変な服は邪魔かも」


 みゆうが、胸と腰回りを覆う布地を触った。


 拘束を解くのに合わせ、特別にあつらえた巨大な白い水着である。

 幾つかのデザイン案を見せ、本人の意向も取り入れていた。


「さすがに裸は――と思いまして。替えも用意してありますからね」

「ふうん?」


 みゆうは、良く理解できないという表情を浮かべた。


 日本語による会話が可能とはいえ、大きな感覚のずれがある。

 社会生活と教育が欠落しているのであるから、当然の帰結ではあろう。


 そんな彼女の為にも、トールとしては外に出して世界を見せてやりたいのだが、μフロントの中でしか生命維持できないことが分かっている。

 羊水の中に在る赤子のような状態なのだ。


 家令のセバスは、既に敷地にプールを建造する準備を進めていたが、無駄になりそうな気配ではある。


「――閣下」


 相変わらず恐々とした様子で、月面基地司令ケヴィン・カウフマンがμフロントを訪れた。


「あ、ケヴィン准将――いや、少将」


 ケヴィンは、旧帝都への揚陸、さらには叛乱軍討伐における功に基づき昇進を果たしている。

 中央艦隊司令を引き継ぐ為に打った、トール・ベルニクの布石でもあるのだろう。


 オリヴァー排除のため中央艦隊司令をトールが兼任しているが、諸般の事情でさらに多忙となっており、同艦隊を信用できる者に任せたいと考えていた。


 ケヴィン本人の思惑とは裏腹に、トールの彼に対する信任は日増しに高まっているのである。


「め、女神様もご機嫌麗しく」


 パネルの向こうに在るみゆうを拝むように頭を垂れた。


 みゆうが手元にある特製パッドを操作すると、ケヴィンの肩にいた猫がトールの肩に飛び移る。


 幼児の情操教育のため、かなり複雑な動きをできる猫型オートマタだが、みゆうは直ぐに操作方法を覚えた。


「閣下、準備が出来たようですのでブリッジへ」

「わぁ、いよいよ、このふねの秘密兵器が見られるんですね!」


 トールは、文字通りわくわくしていた。


 ――やっぱり、謎のふねには、こういうのがなくちゃね。


 みゆうの拘束具解放に伴い、鹵獲ろかくした重弩級艦は新たな能力を示したのである。

 グノーシス船団国が、これを封印していた理由は分からないが――。


「ええ、まさに艦名通り――」


 μフロントを出て、通路を歩きながらケヴィンが独り言のように告げる。


「閣下の旗艦、トールハンマーに相応しい鉾と盾でしょう」


 ◇


 首席秘書官ロベニカ・カールセンは、厄介な男に呼び出されていた。


「来たか」


 国務相リストフ・ビッテラウフは、執務机に腰かけたまま厳しい表情で告げる。

 外交政策の責任者として他領邦を回ることが多く、屋敷の執務室で座っている姿は珍しい。


「はい」


 短く応え、執務机の前に立つ。


「引き揚げは、どうにか終わりそうだ」


 旧帝都との往来は、既に禁じられている。


 また、エヴァン率いる復活派に与すると旗印を明らかにした領邦との国交は断絶された。グリフィス、ウォルデン、カドガンを含む七つの領邦が対象である。


 国務省が担う現在の最重要事は、これらの地域に駐在した領事や領事館員及び民間人を、太陽系まで無事に引き揚げさせることであった。


 企業活動にもネガティブな影響を与えているが、大幅に増えた移民と、ベルニク領邦の地位向上に対する期待感で軽減されてはいる。

 舵取りを誤れない状況下にあって、リンファ・リュウは、古巣である内務省経済局に戻り辣腕を振るい始めていた。


「有難うございます」


 国務相リストフが負うべき職責であるとはいえ、ロベニカにも強く出れない事情がある。


「何度もキミに伝えているはずだが――」


 ロベニカの背筋が伸びた。


「――御前会議の復活は具申しているのか?」


 御前会議とは領主を交えた会議を指し、先代エルヴィン・ベルニクの治世では、週に一度は必ず開催されていた。

 その場にて重用事を共有し、領主は裁断を下してきたのだ。


 領主としての務めなど顧みなかった過去のトールも、御前会議にだけは顔を出し、退屈そうに話を聞いていた。


 ところが、文字通り生まれ変わり、英雄とまで称される新生トールは――、


「申し訳ありません。私の力不足で――」


 御前会議を開かないどころか、重臣達の存在を一切顧みていない。


 独りで考え、決定し、そして行動してきた。

 トールの相談相手といえば、一部の軍高官、ロベニカ、ジャンヌなど、身近な存在に限られる。


 蛮族の襲来から、天変地異にも等しい帝国二分割に至るまで、重臣達が与り知らぬところで物事が進んで来た。


「閣下は我らを軽んじているだけでなく、恐らく信じていないのだろう」

「そ、そんな事は決して――」


 ロベニカとしては語尾を濁すほか無かった。


 トールの真意は分からないが、ロベニカ自身にはその気持ちがある。

 オリヴァーに加担していた疑惑だけでなく、ベルニク領邦の凋落の責があろうと考えているのだ。


 とはいえ、領邦という巨大な組織が、重臣達と彼らが束ねる官僚機構の存在なくして回らないことも理解している。


 信じないまでも、軽視するには危険過ぎる存在だろう。


「良からぬ噂がある」


 心なしか、リストフが声を落とした。


「――内務相の動きに気を配るように」

「え?」


 思わず、ロベニカの鼓動が早まった。

 

 内務相とは、経済から国内治安まで、内政関連の全てを掌握する内務省を所轄する重臣である。本来なら、領主が最も気を使うべき相手となろう。


「何か情報を?」

「――いや、噂だ。杞憂に終わるかもしれん。ただ、念のため注意をしておいた」


 確定情報ではない段階で、リストフの職責では仔細を語れないということである。

 彼の仕事は、同僚の頸に鈴をつけることではないのだ。


 そう理解したロベニカは、詮索は止めて、内々に調査を進めようと決めた。

 発足したばかりであるが、トール直属の情報機関を使う手もあるだろう。


 責任者の気性が、相当に荒々しい点は気がかりだったが――。


「それもこれも、まずは御前会議で風通しを良くすることが大切だ」

「承知しました」

「うむ――で、だ――」


 言いながらリストフは席を立ち、窓に向かった。


「――仕事の話ではなく、プライベートな話となる」

「え、はあ」


 新たな課題に思いを巡らせていたロベニカは、些か気の抜けたいらえを返す。


「幾つになった、ロベニカ」


 いつの間にかリストフが浮かべる表情は、彼女が幼き日から慣れ親しんだ父の友人に戻っていた。


「五十二ですけど――?」


 繰り言となるが、古典人類と比すれば二十代である。


「頃合いだな」

「――」


 何度か聞いたことのある枕詞に、嫌な予感のしたロベニカは、眉間を少しばかり寄せた。


「紹介したい人物が居てね。いや、別にヴォルフから頼まれたわけでは――」

「叔父様」


 一瞬にして、首席秘書官と、ガバナンスを憂える国務相という関係性から、少女時代のそれに戻る。


「お断りします!」

「な、なあ、話だけでも――」


 首席秘書官にとって、リストフ・ビッテラウフは、なかなかにな男なのである。 

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