42話 漢。
木星方面艦隊から月面基地司令への栄転が決まった時、ケヴィン・カウフマンは独り泣いて喜んだ。
金や名誉が欲しかった訳では無い。
海賊相手の危険な任務に、ほとほと嫌気が差していたのだ。
ようやく、敵など来るはずのない邦都近傍で、基地司令という艦隊戦とは無縁の職位を得たのである。
だが、今――、
ケヴィンは叛乱軍が蜂起した他領邦の宇宙港で、向こう見ずな若き
おまけに、駆逐艦の運用で定評のあるカドガン領邦の大軍が、刻一刻とこちらに迫っているのである。
量子観測機による測定によれば、ランドポータルを抜けた艦数は凡そ三万を超えていた。
他方、フェリクス宇宙港に在るベルニク軍といえば、重弩級艦とホワイトローズ――つまり強襲揚陸艦だけである。
この二隻のみを残し、トール艦隊及びパトリック艦隊は、ベネディクトゥス星系を去り木星ポータルに展開していた。
寡兵にて正面からカドガンの大軍と当たれば必敗する。
ゆえに、フェリクスにて守勢に立つべからず――。
トール・ベルニクの決断であった。
ランドポータルからフェリクスまでは、周回軌道にもよるが、概ね四時間を要する。太陽系で言えば天王星辺りとなろう。
ケヴィンは、トールからさらなる指示を授かっていた。
――三時間で、ボク達が戻らなければ、陛下を連れて帰って下さいね。
――え――それでは――。
――ジャンヌ少佐、マリ、その他の方々にも申し訳ないのですが……。
部下共々、己を死地に残せと領主に言われたのである。
ケヴィンは二の句が継げなかった。
――ロスチスラフ侯の元へ、必ず陛下を届けて下さい。
自らとウルリヒが死した場合の策とて、トールは、かの奸雄と共有しているのだろう、とケヴィンは理解している。
女帝ウルドの身柄は、ベルニクとオソロセア双方にとって生命線であった。
いかにこの乱を鎮めようとも、女帝の後ろ盾が無ければ、帝国というシステムに誅されるのは間違いない。
だからこそ、ウルドの命を優先したのである。
――とはいえ、閣下の人柄からすると、陛下がおらずとも逃げよと言われたかもしれんが……。
なぜなら、その刻限が来てしまったからである。
トール本人からも、EPR通信で改めて指示を出されていた。
ケヴィン・カウフマンは、非情な命令を告げなければならない。
逃げ延びたとして、多くの人から疎まれ蔑まれる損な役回りとなろう。
喉をひとつ鳴らし、閉域EPR通信にて告げた。
「本艦及び、ホワイトローズは――い、痛っ――え?」
猫に頸を噛まれ、尻を鞭で打たれたのである。
――む、鞭?
振り向くと、乗馬服姿で鞭を構える女帝ウルドの姿があった。
その後ろでは、怯えた様子のシモンが控えている。
鞭が無いと安心していたシモンであるが、ひっそりと隠し持っていたのだろう。
やはり、乗馬には鞭が必要なのだ。
オリヴァーであれば、歓喜のあまり涙した至高の光景かもしれない。
「
「へ、陛下――いや、あの――これは閣下より指示をされ――」
ウルドが大きく息を吸う。
「痴れ者がああああああッ」
怒号を上げ、鞭で床を打った。
「下郎、田舎領主を待たぬか」
「で、ですから、陛下の御身をお守りするようにと、閣下のご命令でして――」
ケヴィンにとっては、真に不運な局面である。
女帝も怖いが、刻一刻とカドガンの大艦隊が迫っているのだ。
「
苛々と言葉を探す様子を見せた後、再び鞭を振るう。
鞭を気に入ったのかもしれない――と感じ取ったシモンは、そろそろ逃げる算段を立てようと決意した。
が、ともあれ、女帝は宣言する。
「――トール・ベルニクのみであるッ」
そう言われても、ケヴィンには現実が見えていた。
「敵の大艦隊が迫っておりますが――」
もしや、女帝が座すると表明すれば見逃してくれるのだろうか――ケヴィンの脳裏に淡い期待がよぎる。
「ド腐れ婆のカドガンであるな。ククク――アレは余に仇なす好機を逃すまい」
淡い期待が消える。
「我々は、旗艦と他一隻のみでして――殲滅されるは確実かと――」
「構わぬ」
彼女は勝手に生きると決めたが、死とて同じであった。
巻き添えを喰らう配下の命運など知った事では無い。
「ここで死ねば良かろ」
女帝ウルド――オリヴィア・ウォルデンは心底そう思っている。
◇
総督府を発った輸送機は、トール、ジャンヌ、マリ達を乗せ、一路フェリクス宇宙港へ向かっていた。
「刻限を過ぎました」
隣に座るジャンヌが、短く告げた。
「そうですか」
総督府を発った時から分かっていた事である。
抗エントロピー場の影響を受ける場所――の影響か否かは不明だが、当初予定していたよりも時間が経過していたのだ。
――ほぼ、止まる……って言ってたよなぁ。
ウルリヒの言葉を思い出す。
――浦島太郎みたいになるかと思ったんだけど。
当初予定より遅れたが、トールが懸念したほどでは無かった。
とはいえ、刻限に間に合わないのは自明であり、既にケヴィンへ指示を出してある。
フェリクス宇宙港へ行っても、既にベルニクの
ゆえに盗む。強奪する。
「また、犯罪行為が増えちゃいますねぇ」
「仕方がありませんわ」
管制センターを焼き尽くした女が、優雅な笑みで応える。
「生き残る為ですもの」
無論、艦艇を強奪し宇宙港を発ったとしても命の保証など無い。
宙域に入ったカドガン艦隊に補足されれば終わりである。
「み、見ろッ!!」
前方に在る兵が席を立ち、窓の外を指差し同僚に向け叫んだ。
「あら」
ジャンヌも外を見て、驚いた声を上げる。
「――命令違反ですわ、ケヴィン准将」
そう言いながらも、遠くにあるホワイトローズの艦影を見る眼差しが緩んだ。
◇
「本艦及びホワイトローズは緊急発艦する」
ウルドと猫に、あれこれ説明させられているトールに代わり、ケヴィンが閉域EPR通信で指示を出す。
「総員、耐衝撃シートに着座せよ」
カドガン艦隊は既に宙域にあり、トール達がゲートを出ると同時に、二十光秒付近に迫るだろう。
荷電粒子砲の射程圏内となり、壁面砲でも狙われる。
「閣下ッ!」
「はーい。じゃ、発艦」
気の抜ける指示をトールが出すと同時、旗艦とホワイトローズは急上昇をした。
「――五秒で、出ます」
「はーい」
来る時も、帰る時も、慌ただしかったな、とトールは思っている。
――生き残ったら、また来るけど――その時はのんびりしたいなぁ。
抗エントロピー場と城塞も気になるが、何よりこの地はトールの計画からすれば重要な場所となる。
「ゲート、抜けました」
オペレーターが告げると同時の事であった。
ブリッジに照射される三百六十度の視界全てが眩く光る。
映像処理が追い付かなかったのか、ブロックノイズも散見された。
「敵――十五光秒付近にて横陣――先行した駆逐艦です。凡そ一万隻」
射程は短いが、足の速い駆逐艦を急行させ、横一列に並べて斉射しているのだ。
軌道都市への被害も構わず、全力で砲撃しているのである。
完全に領邦間条約に違反しているが、フェリクス支配権の揺らぎを理由とするつもりなのかもしれない。
被害状況が刻々と告げられる。
重力場シールドと装甲を
「やぁん」
猫が――みゆうが悩ましい声を上げる。
慣性制御が乱れる事態に備え、トールの胸元にいた。
「やっぱり、当たると痛いんですか?」
――ボクが好きだったゲームも、戦艦女子は痛がっていた気がする。
「トオルが――強く抱きしめるから――」
痛くは無いようだ。
軌道都市近傍の為、高速ドライブではなく通常ドライブで航行しなければならない。
近距離とはいえ、フェリクスポータルまでは三十分を要する。
「敵艦隊、全速接近中」
ホワイトローズならいざ知らず、旗艦は追いつかれるだろう。
敵は斉射を繰り返しながら、接近中であった。
「左舷後方、重力場シールド喪失――」
囲まれれば、万事休すとなる。
「――格納庫付近の乗員は、至急避難を――繰り返します――」
「右舷後方――」
「居住エリアの慣性制御システム損傷――全エリアに拡大――」
否、現時点で、万事終わっているのだ。
「閣下ッ!!退艦の準備をッ!!!」
必死の形相で、ケヴィンが叫ぶ。
慣性制御の乱れも構わず、彼は耐衝撃シートから立ちあがった。
「後は、私が――」
トールの元へ駆けより、八点式シートベルトを外そうと腕を伸ばす。
その腕を、何も語らずトールが掴んだ。
「救命艇で逃れられる可能性は有ります。陛下を連れてどうか――」
保証は無いが、旗艦に在るより生存確率は上がるはずである。
旗艦とホワイトローズが集中砲火を受ければ良いのだ。
「早く、お逃げ下さい、閣下」
本人が言っていた事ではないか――とケヴィンは苛立つ。
トール・ベルニクは、陛下を連れて逃げよと自分に命じたのだ。
だが、彼は立ち上がらない。
「必要です」
跡継ぎも居ない領邦領主が、負け戦で艦と運命を共にするなど許されない。
見上げるトールと、見下ろすケヴィンの視線が絡んだ。
「閣下は――あなたは――必要なんです」
軍人として鍛え上げた腕を振るい、トールの手を払った。
ケヴィンは、引きちぎるかの如く八点式シートベルトを外すと、トールの胸倉を掴んで立たせる。
「あなたが――あなたが――」
トールは、味方を置いて逃げよと、不名誉な決断をケヴィンに命じた。
女帝ウルドが居なければ、彼はその
その男が――。
その男が、土壇場に在って――。
「アンタが言ったんだろうがッ!!!」
ケヴィンは叫び、何も応えぬトールを引き摺って、女帝共々救命艇へ押し込む決意をした。
――さらばだ。妻と娘たち。
己が死しても、ベルニクが存続すれば、恩給で不自由はしないはずである。
「――クッ」
揺れる艦艇に、ケヴィンがバランスを崩す。
そして――福音が響く。
「フェリクスポータル、存在確率の上昇を確認しました」
オペレータが喜色の混じる声音で告げた。
「来たか!」
「――質量多数――恐らく――」
援軍、来たる。
とはいえ、この規模の斉射を受けたまま、旗艦装甲が耐え抜く保証はない。
「――あれ――いえ――失礼しました。敵艦隊の陣形に乱れが――」
その報告を機に、敵の砲撃が減じ始めた。
「――マクギガンだ」
ケヴィンが呟く。
野人伯爵の息子率いる艦隊が、ソテルの叛乱軍を屠り、フェリクスに到達したのである。
打電の通り、腐肉を炭にしたのであろう。
「ケヴィン准将――」
トールの声で、胸倉を掴んだままであった事に気付き、慌てて手を離す。
「あ、し、失礼を――」
最後まで言わせず、トールが口を開く。
「すみませんでした」
トール・ベルニクは、自らの誤りを認めた。
結果はどうあれ、彼は逃げるべきだったのである。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます