14話 Goddesses in G.O.D.
女神を愚弄するかのような名称であるが、G.O.Dは、帝都では有名なクラブである。
移ろいやすい業界においては、それなりの歴史もあった。
数年前、新しいオーナーに代わってからは、その人気に拍車が掛かり、帝都観光名所のひとつともなっている。
著名人や、良家の子息も、度々その姿をパパラッチされていた。
彼らにとって、比較的安全な冒険という意味で、人気を博しているのかもしれない。
治安が悪いとされるエリアに立地しながら、組織犯罪と違法薬物の温床であった過去よりは幾分かまともな店になっている。
酔客同士の乱闘騒ぎはあるが、殺人にまでは至らない。
秘かに店舗を買収し、新オーナーとなったトジバトル・ドルゴルの方針である。
なお、自身がオーナーである事は秘しており、一部関係者のみが知っていた。
剣闘士トジバトルとG.O.D、双方のイメージを守る為の戦略なのだろう。
ただし、この手の店に馴れぬ者にとっては、今でも十分に背徳的な場所と映るかもしれない。
聴覚を圧する音響効果と、刺激的な照射映像が空間を埋め尽くしていた。
多様な光が舞う中で、人々が互いの身体を寄せ合って踊っている。
笑声、嬌声、怒声が入り混じり、一夜の享楽を求める者もいるのだ。
――本当に、下品な場所ですわ……。
人ごみをかき分けて歩くテルミナの後を追いながら、ジャンヌは何度目かとなる不埒な男の手をはねのけた。
マリのケアもしなければならないので二度手間である。
二人の美貌と、豊かな胸元は、必然的に男達を刺激したのだ。
酒と音楽に酔った
――女神ラムダの好まれそうな場所ではありませんわね。
オビタル帝国が、古代文明から復古させた文化は
これらもまた、その一つだろう。
古来より、踊りという行為は、祭事と深く関わりがあった。
宗教や信仰を、社会システムの礎と位置付けた帝国からすれば、あるいは必然の回帰であったのかもしれない。
「ちょ、ちょっと、離れなさいッ!」
――ん?
喧騒のなか、鋭い声がジャンヌの耳に届く。
――あれは……。
面識は無いが、見知った顔ではあった。
酔いが回っているであろう男に絡まれているように見えたが――、
「おい、アレだろ」
テルミナが嬉しそうな声を上げ振り返ったので、放っておく事にした。
前方には円形になったステージがあり、数人のスタッフが準備作業中である。
「最前列で確かめようぜ」
優先すべきは、目下のところトジバトルから聞き出した相手だろう。
――妙な帽子に視線が行くせいか目立たんが、確かにニューロデバイスは無かったな。
――けどな、フレタニティなんぞとは間違いなく無関係だぞ。
と、トジバトルは断言していたが、トールの命を狙った犯人二人は、
ならば、ここにいる相手も、何らかの相関関係を持つ可能性はあると考えている。
隣に立つマリも、心なしか緊張した様子を見せていた。
ジャンヌが声を掛けようしたところで、ホール内に鳴り響いていた音響が停止する。
突然の静寂に、取り残された歓声と嬌声も徐々に消えていく。
何事かと思う間もなく、周囲で煌めいていたレーザー光と照射映像も消えた。
静寂と暗闇――。
常連からすれば単なる演出なのだが、初見の客からすると何らかのトラブルと感じるかもしれない。
そんな不安が臨界点に達する直前、上空に照射映像が現れる。
ブロックノイズの後に、数字の「10」が宙に浮かんだ。
スタッフか常連かは不明ながら、何者かの音頭でカウントダウンが始まる。
ようやく演出だと理解した初見の客も、安堵感と酔いが手伝い常より大きな声で唱和した。
「ゼロおおおッ!!!」
その瞬間、アップテンポの音響が再び鼓膜を圧し、溢れる輝度の照明が円形ステージを浮かび上がらせた。
ひとりの女が、何の感情も浮かべぬまま光の中に立っている。
黒いボディコンシャスなワンピースと、先の尖った帽子を被った
「――色はお揃いだな」
テルミナが、マリを見上げて言った。
帽子から腰まで伸びる髪のせいで、彼女のうなじは確認できない。
だが、髪色がバイオレットである事は瞭然である。
「おまけに、デカいとこまで同じだぜ」
トジバトルによれば、女の名前はエリだという。
――さる御方から紹介されて歌わせてみた。俺のような素人でも本物だと分かったな。
素性は不明ながら、トジバトルに紹介した「さる御方」は信用できる大物である。
そこで、彼は契約を結び、G.O.Dのステージで歌わせる事にしたのだ。
ビジネスというより、自身の店で彼女の歌声を聞きたかったのかもしれない。
エリは、トジバトルの直感通り瞬く間に人気を得たが、メジャーシーンへの誘いは全て断っている。
EPRネットワークにも流さぬ契約のため、その神秘性は否が応にも高まっていた。
「バイオレットの魔女だとよ。天罰必至だな」
「――うん」
ステージから目を離さず、マリはただ頷いた。
耳に残る歌声が、客の歓声を圧していく。
「けどよ――」
だが――、
「――歌詞の意味が分かんねぇぞ」
バイオレットの魔女は、聞き馴れぬ音節を放っていた。
◇
ドミトリは、オソロセア領邦の諜報機関から、領事にまで出世した男である。
とはいえ、自身の本領は他人の秘部を探る事にあると自覚していた。
彼が仕える男に指示され、帝都にまで出張っている。
ただ、現在のトールは、教理局召喚に備えているだけのようであった。
そのため、トールの監視は部下に任せ、気になる動きを見せた女達を尾行している。
――ここらで遊ぶタイプにも思えんが……。
G.O.Dに入って行く三人を見て、意図を図りかねていた。
付近の路肩に停めた車内から見張り、すでに一時間程が経過している。
中まで追うか迷ったが、自身では悪目立つするフィールドであると判断したのだ。
――あのガキに面が割れているのが痛いな。
今となっては皮肉な催しであったが、大司教を招いた前夜祭でテルミナ少尉とは会っている。
やれやれとドミトリが息を吐いた頃の事であった。
階段下を指差しているので、何か事件でも起きたのだろう。
――参った。
不埒なクラブで殺人が起きたとしても何ら
――フェオドラ様に何かあったのか……。
ロスチスラフ侯の三人娘は、常に行動を共にする。
二人が入口に居るならば、残る長女フェオドラは店内に残っている可能性が高い。
護衛も連れずに何をしているのかと顔を
――これだから、女は嫌なのだ。
店の人間に任せておくのが筋であり、己の職務都合にとっても望ましい。
だが、彼の忠誠心は、領邦そのものよりもロスチスラフ侯自身に依存していた。
世間では血も涙も無いなどと言われているが、ドミトリにとっては自身を拾ってくれた恩人である。
また、彼が娘達を溺愛している事も知っていた。
ドミトリは暫し逡巡した後、何かを呪う言葉を吐いて車を降りる。
◇
バイオレットの魔女がステージから消えた直後の事だった。
「だから、止めなさいと何度も言ったでしょうッ!!」
女の怒声が、ライブ後の余韻を切り裂いた。
「
平民風情が集う遊び場に冒険気分で来ておきながら、勝手な言い草ではあるが彼女の咆哮は止まらない。
酔客にしつこく絡まれ、ついに堪忍袋の緒が切れたのだろう。
「ん――アイツは――」
「祝賀会で会いましたわね」
「トール様に紹介されてた……」
ロスチスラフ侯の三人娘長女フェオドラであった。
「ま、放っとけよ。それより、さっきの女とどうにか会わねぇと」
「そうですわね――」
テルミナの意見にジャンヌが同意しかけたところで、悲鳴と怒号――そして打突音が響く。
啖呵を切っていたフェオドラが、床に押し倒されたのだ。
「お、お姉さま」「助けて、誰か」
怯えた妹たちは助けを求めながら、店の外に出る階段に向かった。
入口に立つ屈強そうなスタッフを呼ぶつもりなのだ。
騒ぎに気付いた店内スタッフが動き始めるが、既に酔客は空になったガラス瓶を振り上げている。
「平民ではないッ!!」
銀の髪色ではないが、一代貴族の末席に連なる者だったのかもしれない。
そんな相手へのフェオドラの口上は、酷く自尊心を傷付けたのだろう。
彼女の髪色とて、酔客と同じく銀では無いのだ。
「貴様こそ成り上がりの娘――いや単なる
素性を知った上で近付いていたらしい。
男に、いかなる目的があったにせよ、ここに至ってはもはや実現不可能となっている。
ゆえに、逆上に任せた。
「糞女が――喰らえ」
ガラス瓶を、フェオドラの顔面目掛けて振り下ろす。
「だああッ!!」
男の怒号と共に、誰もが少女の
素早く接近したジャンヌの右脚が、顔面に落ちる直前のガラス瓶を弾いた。
跳ねるように人ごみを駆け抜けたドミトリは、男の背後から首に手を回し頸動脈を抑える。
数秒後、怒れる酔客は、眠るように平和な世界へと落ちた。
用は達したと判断し、ドミトリは速やかに消えるべく背後を振り返る。
「よお」
嫌な笑みを浮かべた幼女が立っていた。
「久しぶりじゃねぇか」
やはり来るべきではなかったのだ、とドミトリは気落ちするが、それを表情に出すほど愚かではない。
「お偉い領事様が、淫乱娘のお守り――なわけないよな?」
「――彼女の善行に免じ、その非礼は忘れてやろう」
ドミトリは思考を巡らせる。
ベルニク一派に、トールを探っていた事が露見するのは宜しくない。
仕える主人が企図する現在の戦略上からも望ましいとは言えないだろう。
ならば、別の大きな事実を告げるほか無いと考えた。
「情報が入っていてな」
ドミトリは、念のためテルミナの耳元に口を寄せた。
「馬鹿共が帝都で叛乱を起こすらしい」
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