1話 女帝 with 道化。

 女帝ウルド。

 

 幼名はオリビアで、ウォルデン公爵家の娘であった。

 美醜に厳しいピュアオビタルであるが、彼らとて欠点を見出せぬほどの美しい少女に育つ。 


 類まれなる美貌――というより美少女と表現すべきであろうか。

 その容姿、清楚にして可憐。彼女を前にしては、いかなる名花も色褪せる、などと謳う売れない詩人までいた。


 癇気かんき癖を懸念する声も一部にはあるが、たおやかな本人を前にすればすぐに氷塊してしまう。

 

 女帝にさえ選ばれなければ、あるいは幸福な一生を過ごせたのかもしれない――。

 

 帝国には、二つの選挙が存在した。

 

 一つは教皇選である。


 大司教、及び各諸侯が選挙権を持ち、教皇逝去に伴い執り行われ、枢機卿すうきけいの中から選ばれる。

 

 女帝についても、選挙によって選ばれていた。

 

 ただし、選挙権を持つのは、有力諸侯とされる五人の選帝侯のみである。

 選帝侯が合議し決を採った後に、教皇を通して女神ラムダの信任を得るのだ。

 

 ともあれ、オリビア・ウォルデンが女帝となったのは、この選帝侯同士による政治的事情によるところが大きい。

 人格や能力など、実はどうでも良かったのである。

 

 由緒正しき名家でありながら、人畜無害な男が当代となっているウォルデン公爵家から選ばれたのであろう。

 有力諸侯と廷臣達にとって、御し易く美しい人形となる事を期待されての事だ。

 

 ところがである――、

 

「痴れ者がああああああッ」

 

 豪奢ごうしゃな居室に、美しい少女の――いや女帝ウルドの怒号が響く。

 一糸まとわぬ姿であるが、それを恥じらう様子も無かった。

 

「お、お許しを――陛下」

 

 臥して頭を床に押し付けているのは初老の男であった。

 衣服から察するに、部屋付き使用人の長であろう。

 

「うひゃひゃひゃ」

 

 その後ろでは、小男が耳障りな笑声を上げていた。

 

 ロバの耳を付けたフードから覗く顏には深い皺が刻まれている。

 常に笑っているが、常に泣いているようにも見える表情であった。

 

 つまりは、宮廷道化師である。

 

「痴れ者がッ!余の朝餉あさげにッ――」

 

 罵倒しながら、臥した男の頭を白磁はくじと称賛される美脚で踏みしだく。

 

「――苺は出すなと百万遍は言っておろうがあッ!!」

「て、手違いで――んぐ――」

 

 ウルドは相手の弁解など聞くつもりは無い。

 彼女にとって権力とは、好きなだけ他者を痛めつける為に存在する。

 

「痴れ者がッ!痴れ者がッ!痴れ者がッ!」

「ひ――へぐ――ふご――」

 

 何度も床に鼻先を叩きつけられ、辺りが朱色に染まっていった。

 

「道化――うぬもやらんか」

「ふひゃぁ、宜しいので?姫君ぃぃぃ愛してますぞぉ尻ッ尻ッ尻を頂きまするううう」

 

 道化の足元はつま先が奇妙なほどに尖ったブーツである。

 

「行きます。行きますよぉ。行ってしまいますうう」

 

 と言い、道化が短い脚を曲げた時の事であった。

 

「――散れ。道化」

 

 落ち着いた声と共に、メイドに案内され一人の男が入って来た。

 室内を怜悧な瞳で見回し、床に臥したままとなっている血だらけの使用人を運び出すよう手短な指示を出す。

 

「あひゃ――まず――ぃ」

 

 男の顔を見てとった道化は、逃げるようにして部屋の隅へと駆けていく。

 

「――フン。相変わらず興をそぐ男よの。エヴァン」

「申し訳御座いませんな」

 

 エヴァン・グリフィス公爵――。

 

 帝国宰相にして、グリフィス領邦領主でもあった。

 廷臣となった際に、領邦経営は代官に任せ、自身は帝都にて女帝に仕えている。

 

 八十歳――トールの感覚で言えば三十路を過ぎたあたりとなろう。

 領地経営で巧みな手腕を見せ、グリフィス家中興の祖とも言われている。

 

 とはいえ、いかに優秀と言えども、帝国宰相という立場には若すぎるであろう。


 異例の人事となった原因は、宰相が三人続けて怪死した為である。前宰相などは、二人の商売女とまぐわいながら、些か不名誉な死を遂げていた。

 

 さすがに諸侯や貴族も、謀略の臭気を嗅ぎ取ったのだ。

 たおやかなれど、癇気かんき癖のある女帝ウルドを疑ったのである。

 

 結果として、いずれの有力者も宰相就任の打診を辞退する状況となった。


 そこに自ら名乗りを上げたのが、若獅子エヴァン・グリフィス公爵である。


 あえて火中の栗を拾おうとした動機は分からぬが、教会有力者からの強い推薦もあり帝国宰相就任の運びとなった。

 

 なお、大変な美丈夫のため、宮廷の女官達の心を鷲掴みにもしていた――。

 

「昼には、くだんの客人が参る予定です。ご準備を」

「ほう」

 

 薄手のローブをまといつつウルドが返事をした。

 

「――良いな――良い――興が乗る」

 

 そう言いながら、片方の口角を上げ、緋色ひいろの舌先でひとさし舐める。


「英雄などと世迷言――ねじ伏せてくれるわ。が、まずは――道化、ちこう寄れ」


 部屋の隅に逃げていた道化は、いそいそとウルドの傍に駆け寄って来た。


「褒美をやる」

「へへぇ」


 道化が短い両手足を投げ出し、倒れるよう床に臥した。女帝ウルドの美しい脚が天を衝く――。


「では、後ほど」


 野兎がひり殺されるような道化の悲鳴を背に、エヴァンは女帝の居室を去った。


 限られた者しか立ち入れぬ宮中内裏だいりには、かような秘事がある。

 

 ◇

 

「うわぁ、凄いですね。ドキドキしてきましたよ」

 

 通常ドライブに入った船窓から、軌道上の帝都を見ながら言った。

 初見であればトールでなくとも抱く感想であろう。

 

 惑星エゼキエル静止軌道全周を覆うが如く、リング状の巨大な都市が存在する。

 地表面とも多数の軌道エレベータで繋がっており、さながら惑星を串刺しにするかに見えた。

 

「え、ああ――そうですか。良かったですね」

 

 向かい側に座る首席秘書官ロベニカ・カールセンは、空間照射で調べ物に忙しいのか気の無い返事を返した。

 プライベートモードにしているため、トールからは何を表示しているのか分からない。

 

「美味しいモノでも探してるんですか?帝都名物って何かあったかなあ」

 

 ――巨乳戦記って、あんまり食事シーンが無かったんだよね。

 ――ま、ボクも興味無いからいいんだけど。

 

「美味しいものを――」

 

 ロベニカの額に一瞬だけ筋が入った。

 

 ――どうして、この人はいつも呑気なのかしら……。

 

 遥々帝都を訪れるのは、当然ながら観光旅行などでは無かった。

 

「――私たちが味わうなどありませんッ。分かってるんですか?」

「そ、そうでした。そうでした。アハハ」

 

 ラムダ聖教会教理局からの召喚状――。

 

 ようは教理への理解度と、女神への信仰を試されるわけである。

 ここで疑義が出ると、異端審問予審を経て、異端審問官による審査が始まってしまう。

 

 異端審問官による審査までいけば、ほぼ異端の烙印を押される事が確定する。

 貴族、領主、ピュアオビタル――そんな世俗の立場は、異端という烙印一つで全て失うのだ。

 

 本来であれば、トールなど震えあがって然るべきなのである。


「あ、でも、先に陛下からのご招待がありますよ。祝賀会もありますから――美味しいものは食べられそうですね」

「――ふぅ」

 

 思わず息を吐いたロベニカであるが、それも不安の種なのであった。


 ――ベルニク領邦の慶事を祝し帝都にてうたげを設ける。

 ――陛下の尊きご恩寵を臥して拝すべし。


 教理局の召喚状と前後し、宮中からの知らせが届いたのだ。

 戦勝祝賀会は帝都で執り行うから来い――という意味である。

 

 領邦の手柄は帝国の手柄というわけでも無かろうが、その裏に何らかの思惑があるのは間違いないだろう。

 先んじて女帝との謁見まであるのだ。


 さらには――、


 オリヴァーという裏切り者を排除したとはいえ、未だ不穏分子が領邦内には存在する。トールの立場は、完全に安定しているとは言い難いのだ。


 そのような状況下で帝都に赴く点も不安であった。


 ただ、軍を老将パトリックが抑え、憲兵隊はガウス少将指揮下にある点は心強い。

 ゆえにこそ、トールの腹心とも言える人物たちを同行させる事が出来たのだ。


「士官学校卒業以来ですわ」


 ロベニカの隣席には、ジャンヌ・バルバストルが座っている。

 

「――つうか、何だってあーしまで呼ばれてんだよ?」


 トールの座るシートの背後から、テルミナ・ニクシーが顔を出した。


「活躍した人は、全員パーティに来いって言われてるんですよ。テルミナ少尉にはお世話になりましから」

「――う、うるせぇな。仕事だし」

「危ない。座って」


 冷静な声がした後、テルミナの顏が消えた。


「こら、糞メイド」


 テルミナの隣に座るメイドのマリは、トールお付きの使用人として随行する事になったのだ。


 使用人でありながら、旅客船のプライベートルームで同室なのは、セキュリティ上の都合からである――という事でトールが話しを通していた。


 ――本当はケヴィン准将にも来て欲しかったんだけどなぁ。


 彼には重要な務めを頼んでおり、月面基地を離れる事が出来ない。

 丁度、ケヴィンの事を考えていると、彼からEPR通信が入る。


「どうしました?」


 ――か、閣下。めが――い、いえ、猫様に噛まれまして。


 照射モニタに映るケヴィンの肩には、猫型オートマタがいる。


「アハハ。猫様じゃなく、みゆうさんって言うんです。お話ししたくなったんですね。着陸するまでは大丈夫ですよ」


 ――嬉しい。


 怯えるケヴィンの肩で、猫が声を上げる。

 ロベニカには理解できぬ言葉で、三百光年先にいる猫と語り合うトールを見ながら思った。

 

 ――猫語かしら?


 空間照射を止めて、軽く伸びをしながら船窓を見る。

 ふと、その瞬間、大学時代に戻ったかのような気分になった。


 未来が無限に思え、自分はきっと何かを為せると無邪気に信じていた時代――。


 ――トール様と同じ気持ちだったな……。

 

 彼女とて、帝都を目にし「ドキドキ」したのだ。


 だが、さらに「ドキドキ」する事になろうとは、この時点で予想していなかったかもしれない。

 

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