16話 獣性に酔う。

「とても驚いたのですけれど――」

 

 パワードスーツの頭部装甲を取り、ジャンヌが微笑んだ。

 頭を振って、頬に掛かった金色の髪を払う。

 

「――大変スジがお宜しいですわ」

「そ、そうですか?」

 

 剣の扱いを褒められ、トールとしては素直に嬉しかった。

 

 自身もパワードスーツの頭部装甲を取る。

 剣道場で、面を外した時のような解放感を感じた。

 

「なかなか慣れなくて――」

 

 ――ですが、乗船までに幾つかの訓練が必要ですわ。

 

 という言葉通り、ジャンヌはパワードスーツを携え月面基地から訪れてくれた。

 

 パワードスーツを装着して動く事は難しくはない。

 むしろ、対数フィードバックと、モーションアシスト機能により本来以上の力が出せる。

 

 体温調整も万全で、激しい動きをしたところで汗一つかかなかった。

 夏の剣道着の地獄を思えば、雲泥の差である。

 

 ――確か設定では、なんとか鉱石で作られてるから硬いんだよね。

 

 素材の名前など、トールは憶えていないのだろう。

 事実としては鉱石というより、ナノ合金であり天然鉱物では無かった。

 

 こうして、彼の動きが安定した頃合いで、ジャンヌが取り出したのが――、

 

「ツヴァイヘンダーって、ホントに大きいですね」

 

 1.7メートルほどの両手剣だった。

 普段、帯剣している剣よりも長い。

 

 ――あっちの剣の方が振り易かったな。

 ――長さも、重さも竹刀と同じくらいだったし……。

 

 さらに、稽古は西洋剣術であり、竹刀とは異なる構造の大剣――。

 うまく扱える気は全くしなかったが、ド素人よりマシだったということかもしれない。

 

「揚陸部隊が好んで使う得物ですわ」

 

 艦艇の中で、古典銃器、荷電粒子、レールガン等、質量を伴う遠隔兵器は使用されない。

 

 乗り込んだ艦艇に予期せぬ損傷を与え、結果として揚陸部隊が壊滅する事態を避けるためだ。

 同様の懸念から、相手もそういった兵器は使用しないため、古戦場さながらの接近戦が繰り広げられる。

 

 軌道都市内においても、同様の理由からそれらの武器使用は禁じられていた。

 戦争の帰趨は、艦隊戦や軌道都市外壁にある迎撃兵器で決着するのだ。

 

 よって、この時代、剣術は立派な軍事的教養の一つなのである。

 

「護身用に構えだけでもと考えていたのですが――」

 

 ジャンヌが下あごに手をやって考える様子を見せた。

 

 ――士官学校は勿論、軍事教練の受講記録すら無かったはずですわ。

 

 トールに稽古をつけるにあたって、公開情報で分かる範囲の事は調べてきたのだ。

 誇れる事など、何ひとつとして無い、見事なダメっぷりであった。

 

 ――秘かにご自身で鍛錬されていたのかしら。

 ――でも、なぜ周囲をたばかる必要が……。

 

 ロベニカから聞いていた話、メディアの情報、公開されている記録――。

 その全てが、目の前に立つ男と一致しない。

 

「閣下は、いずこかで剣術を学ばれておりましたの?」

 

 ジャンヌの知る型では無かったが、彼の振りは明らかに素人ではなかった。

 

 ――尚武館って言っても通じないよね。

 

 余計な事を言うと混乱させると考えた。

 

「自分の部屋で素振りをしてましたね」

 

 それも事実だ。

 素振りは私有地でやるのがマナーである。

 

 マンション暮らしの彼は、短くした竹刀を室内で振っていた。

 

「ご自身の寝所で素振り――ですか」

「やっぱり、人が多い所だと怖がられますからね。危ないし」

 

 ――ようやく合点がいきました……。

 

 月面基地で見せた涙、そして救うという独白。

 本職に及ばぬとはいえ、ズブの素人とは思えぬ剣術。

 

 ジャンヌは身震いするほどの激情に包まれている。

 

 ――先代エルヴィン様が召されて以来、家臣と軍部の不穏な動きに気付いてらしたのね。

 ――ゆえにこそ謀殺を警戒し、暗君を装われたのですわ……。

 

「あの、なんか――」

 

 とてつもなく強い瞳で見詰められ、トールは怖くなり始めていた。

 何か彼女の気に障る事を言ったのかもしれないと考えている。

 

 彼の知る物語では、残虐な宇宙海賊だったのだ。

 優雅な令嬢にしか見えないとはいえ、怒らせたらどうなるか分かったものではない。

 

「ボク変な――」

 

 ――けれど、秘かにその鋭利な爪は研がれていた。

 ――蛮族侵攻という緊急事態に、その爪と怜悧な知性を隠せなくなっていますわッ!


 こうして――、幾つかの真実、そして多数の思い違いにより、彼女の中では全てが符合してしまった。

 

「閣下ッ!!」

「ひぃ、は、はい」

 

 あまりの声圧に、トールは思わず直立不動の姿勢となる。

 

「このジャンヌ・バルバストル――」

 

 跪いて臣下の礼を取り、トールを見上げた。

 

 教育で身に着けた優雅さと、生来の美しさで隠されてはいるが、彼女は筋金入りの激情家である。

 おまけに思い込みが激しいという欠点もあった。

 

 獣性猛る彼女の裂帛れっぱくの想念はさらに続く。


 ――この方を支え、そしてお守りせねばなりませんわ。

 

 まずは、異端の蛮族どもを蹴散らす。

 その後は、領邦内に巣食う姑息な魍魎もうりょう達を血祭りに上げる。


 清らかに生まれ変わる領邦で、トールの盾、そして何より矛となろう。


 ――いかほどの血が流れようとも……。


 だが、太陽系の輝ける新星の手を、血で汚してはならない。

 

 ――この私が――私が全ての――血を――。

 

 ジャンヌは自らの想念に、恍惚とした感覚を味わっている。

 それは性的快楽に近しかったのかもしれない。


「わ、私が皆殺しに――い、いえ――その前に、トール・ベルニク子爵閣下に終生の――」

「トール様ッ!!」

 

 幸いにも不吉な誓いの言葉は、稽古場に駆け込んできたロベニカによって中断される。

 

「た、大変です」

「え?」

 

 助かった、という表情でトールはロベニカを見やった。

 慌てた様子のロベニカが、全力で身体を揺らし駆けてくる。

 

 ――ふわぁ――。


 彼女を見て安心でもしたのだろうか。


 ――走る時のおっぱいって素敵だなぁ――。

 

 先ほどまでの恐怖を忘れ、いつものトールに戻っていた。

 

「バスカヴィ宇宙港に、反体制派が集結しています!!」

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