4話 領民の不安。

 トールとしては、このまま逃げるなど有り得なかった。

 

 憧れの艦隊戦を見る事が出来るのだ。

 こんな都合の良いシチュエーションの夢を、そう何度も見れるとは考えにくい。

 

 ――出来れば、もっと大規模な艦隊戦が良かったけど――贅沢は言えないか。

 

 戦う、などという意外な領主の宣言に、議論が紛糾し長休憩を取る事となった。

 

 家臣達が予想もしなかった展開だったのだろう。

 少しばかり時間を置いて、領主に頭を冷やして欲しいと考えたのかもしれない。

 

 ともあれ、会議室を後にした彼は、メイドに案内され通路を歩いている。

 

 ――このメイドさん――巨乳だ!

 

 さすがはボクの夢だ、などとウキウキした気持ちのトールを、ロベニカが追って来た。

 

「と、トール様。どちらへ?」

 

 領主が暮らす屋敷だ。

 領主とは女帝に臣従する身だが、領邦内においては専制君主である。

 

 会議室、執務室、応接室もあれば、居住エリアまである。

 出勤時間ゼロという点は専制君主の利点だな、とトールは思った。

 

 とはいえ、どこに行くのかをトールは知らない。

 メイドに言われるがまま、素直に着いて来ただけなのだ。

 

「そういえば――どこに行くんですか?」


 問われたメイドが、バイオレットのショートボブを揺らし振り返る。

 

「執務室」

 

 必要最小限の短い答えを、無表情に返した。

 

「いい加減、言葉遣いをどうにかしなさい、マリ」

 

 ロベニカとて領主など軽蔑しているのだが、自身が叱責する事で彼女を守ろうという意図もあるのだろう。

 

 マリと呼ばれたメイドは誰に対しても敬語を使わない。

 笑顔を見せたり、媚態びたいを示す事も無かった。

 

 それでもクビにならないのは、見事な巨乳と美少女ぶりが原因だろうと家中では噂になっている。

 

 領主トール・ベルニクは、好色家として知られていたのだ。

 

「そっか、分かりました」

 

 ロベニカの心中など知らず、トールがのほほんと答える。

 彼としては、夢の中でメイドに何をどう言われようが構わないのだろう

 

「で、ロベニカさんは何の用ですか?」

「ロベニカ――さん?」

 

 マリが不思議そうな表情を浮かべ、トールを見た。

 

「ロベニカで結構ですが、ええと――どうも調子が狂いますね」

「そうですか?」

 

 呼び捨てにするべきなのだ、とトールはようやく理解した。

 

「ロベニカ、ロベニカ、ううん、やっぱりロベニカさんにしましょうか」

 

 馴れない事はしない方が良いと判断したのかもしれない。

 

「はぁ、では、それで。――しかし、本当に驚きました」

「何がです?」

「まさか、戦いを決断されるとは」

 

 無能で怠惰な領主と心底から軽蔑していたが、土壇場になって改心したのかもしれない。

 

 ――そういえば、妙に姿勢もいいわ。昨日まではもっとだらしかったような……。

 

 ロベニカは、しゃんと背を伸ばして立つ領主を見た。

 その質問をトールに向ければ、「剣道のおかげだと思います」と答えただろう。

 

「言うのは簡単なんです」

 

 トールとしては、艦隊戦を見たい一心で言っただけなのだ。

 どうせ夢だし、という思いもある。

 

「簡単ではありません。そのお言葉を領民にも頂きたく」

「え?」

 

 ベルニク領邦は太陽系を治めている。

 今となっては辺境だが、軌道人類、地表人類を合わせ40億人程度の領民を抱えていた。

 

「皆、不安に思っているのです」

 

 そう言うと、周囲に各種映像が照射される。

 

 多くの人々が列を無し宇宙港へ向かう様子を報じるニュース映像だった。

 ハイウェイは渋滞で動かないため、徒歩で向かっているのだ。

 

 小さな赤ん坊を抱え、幼児の手を引き、老人に肩を貸し歩く。

 どの顔も、恐怖と焦燥に駆られていた。

 

「彼らの多くは逃げられません。旅客船には限りがありますし、船賃も急騰していますから」

 

 群衆の中、ひとりの少年が転ぶ。

 覆いかぶさるようにして母親がそれを守った。

 

 その二人の姿が、さらなる群衆に呑み込まれていく――。

 人々はパニックになっているのだ。

 

「なるほど」

 

 トールは何度かニュースで観た光景だと感じている。

 

 ――遠い国の事かと思っていたけど……。

 ――夢で見ても辛いな……。

 

「そうですね。やりましょうか」

 

 寝覚めの悪い夢にはしたくなかった。

 

「早速、手配致します」

「はい――あ、そうそう」


 トールは、急ぎ足で去ろうとするロベニカを呼び止めた。

 

「女帝陛下のお誕生日っていつ――いや、何日後ですか?」

 

 脈絡のない質問に、何かのジョークかとロベニカは考えたが、ウィットに富んだ上司では無かった事を思い出す。

 とはいえ、「戦う」と言い切った点については、素直に見直すべきだろう。

 

「一か月後です」

 

 昨日までの彼女は、帝都で行われる生誕祭使節団の準備に追われていたのだ。

 

「うーん、長いような短いような――」

 

 ――ベルニク軍の敗報を女帝が受けるのは生誕祭の日だったはず……。

 ――となると、夢で見るには長い……いや短いのかなぁ?

 

「失礼します」

 

 意味の分からない事を、ぶつくさと呟く領主に付き合っている時間など無かった。

 ロベニカは一礼して、ヒールの音を鳴らし去って行く。

 

 その後ろ姿を目で追いながらトールは思った。

 

 ――やっぱり巨乳とハイヒールの組み合わせって最高だなぁ。

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