4-5

 階段を下り、1階へと到達する。


 ドミニクさんを残してきたことに若干の不安はあるものの、ここで足を止めるわけにはいかない。


「これから、どうするんだ?」


「出口はきっと封鎖されてるから、ここの窓を壊して脱出するわ」



 アンジェリカがそう言って階段下から廊下に出る。

 そのまま目の前の窓に近付こうとした瞬間、横からそれを遮るように何かが飛来した。


 ―――――っ!


 急停止して、飛来したものを避けるアンジェリカ。

 彼女はゆっくりと横を振り向く。それと同時に、俺たちも階段の陰からその先を覗いた。


 それは紺色のショートボブの少女だった。

 黒を基調としたエプロンドレスに、頭には白いレースのカチューシャを付けている少女だった。


 …………つまり、メイドさんだった。



「め、メイドさんだー!!」


 テンションがマックスになり、思わず声が出てしまう。


 夢にまで見たメイドさん。

 男の夢であり、オタクの文化を代表する存在のひとつ!

 萌えだ! 萌えがそこにある!


 首下から胸元までは布がなく、更にスカートの丈が短く生足が出ているのだ。

 そそられる。俺の中で謎の熱がどんどん膨らんでいく。



 そのメイドを見て、アンジェリカが「げっ」と息をこぼした。

 見るからに嫌そうな表情をしている。


「アンジーナ様、もしかしてまた私に縛られたいのですか?」


「嫌よ!」


 メイドさんは両手に縄を持ち、それはそれは色っぽい笑みを浮かべた。

 その笑みにはS気が含まれている。


 …………つまり、Sのメイドさんという事だ!



「うひょ! Sなのにメイドさんとか…………需要しかなさすぎりゅ」


「…………さっきから、そこの貴方、少しキモいので黙っててくれませんか」


「そうよ、タクミはもう少し緊張感を持ってほしいわ!」


 メイドさんとアンジェリカからのダブルパンチをくらう。

 クリティカルヒットである。



「また美しく縛りますから、大人しくしてくださいね!」


 メイドさんの眼がギラギラと輝いて見える。

 メイドさんが両手を動かすと、それに連動して縄がこちらに迫ってくる。


 ステップを刻んでそれを避けるアンジェリカ。

 だが、逃げた先にも縄が待ち構えている。


 身をよじり、右腕で待ち受ける縄を弾く。

 素手で、というより物体操作の能力だろうか…………?


 息が詰まる攻防戦が目の前で繰り広げられる。

 縄による束縛攻撃をしのぎ切ったアンジェリカは、後ろへと後退して息をついた。


「……私、この子苦手なのよね」


「人間の攻撃が効くのか?」


「この子も弱めにヴィーネの能力がかかっているわ。ヴィーネの能力で操られた人間の攻撃はヴィーネによる攻撃と捉えれるのよ」


 …………つまり、美のヴァーテクスによって操られた人間の攻撃は、俺の攻撃と同様にヴァーテクスにも通じるという事か。

 …………いや、俺の攻撃が他のヴァーテクスにも効くのかはわからない。

 現に俺の攻撃はフローガに対しては通ったが、ユースティアに対しては通らなかった。


「…………アンジェリカの能力で縄を奪い取れないんですか?」


 迫ってくるメイドから距離を取りながら聞く。


「私は意思のあるものを操ることが苦手なの。能力を掛けることはことは出来るけど、反抗されたら直ぐに能力が解けてしまうから」


「つまり、人間とか怪物を操ることができず、その人間とかが扱う武具なんかも操れないってこと?」


「…………本当に一瞬程度なら操れなくもないけど、足止めにもならないわ」



 このまま逃げ続けても埒が明かない。

 脳裏によぎるのは2階で足止め役を買って出たドミニクさんの姿。


「―――――ち、アルドニス。アンジェリカを頼む!」


 そう言って、一歩を踏み込む。


「―――――タクミ!?」

「俺が相手をする!」


 美のヴァーテクスの能力は恐ろしいものだ。

 人間を操る能力。それだけでも恐ろしいが、彼女の能力の本当に恐ろしいところは別にある。


 それは人間を、ヴァーテクスに攻撃が通じる兵隊と化すところだ。

 この世でヴァーテクスを攻撃できるのは同じヴァーテクスだけ。


 その根底を崩す危険な能力。

 だが、いくら人間が束になってもヴァーテクスを倒せるとは限らない。

 美のヴァーテクスの能力はフローガの前では何の効力も持たないだろう。


 奴の炎は敵が善であれ悪であれ全てを焼き尽くす業火。

 だが、アンジェリカは違う。


 たとえ、向かってくる敵が敵意を持っていたとしても。

 彼女は人間を殺さない。


 つまり、アンジェリカにとって美のヴァーテクスは天敵ともいえる存在だ。



 全身を駆動させる。

 身体に熱が走り、脚力を強化する。

 迫る縄を視認する。


 遅すぎる。そんな縄の速度では俺を捕らえることは出来ない。

 俺の速度は相手の想像を凌駕する。


 右脚で地面を蹴り、メイドの懐へと侵入する。

 このまま押し倒して、縄を奪い取り、こちらが拘束する。


「あまいですよ」


 ―――――え?



 メイドの声が耳元で響いた次の瞬間、背中に伸びてきた縄が身体をからめとり、ぐるぐるに固定された。


 急に体が縛られ、身動きが取れなくなる。


「あれぇ? ―――――いたっ!」


 上手くバランスが取れずにその場に倒れる。強い衝撃が身体に響いて痛い。

 腕ごと身体を縄でぐるぐるに巻かれている。


 恐ろしい縄捌きだ。尊敬に値する。

 …………というより、なにが起きたのか理解できなかった。



「タクミの縛り方、雑じゃん!」


 アンジェリカが縛られた俺を見て叫ぶ。

 …………ん? 俺を心配する声じゃなかったような。気のせいか?



「男を縛るのに興味はありません。さて、次はアンジーナ様ですよ。いや、そちらの素晴らしい身体を持ったお姉さんでもいいですよ」


 どこからか取り出した縄を両手で弄びながら下劣に満ちた視線を飛ばすメイド。


 その視線に当てられて、ローズさんはびくりと身体を震わせた。


「今、変な悪寒を感じたわ」


 ローズさんは両手を擦りながら後ろへと後退する。


「気を付けてローズ。この子は女を縛ることに興奮する変態だわ。おまけに技量は恐ろしく高い。高速で厭らしい縛り方をしてくるの」


「お褒めいただき、光栄です」


「褒めてないわ!」

 茶番のようなものが繰り広げられている。

 その中で、俺を心配してくれるものは誰もいなかった。悲しいものである。


 …………まあ、調子に乗った俺が一番悪いことは理解しているが。


「タクミ! 直ぐに助けるぜ!」


 そんな中で、アルドニスが張り切ってメイドに突っ込んだ。

 嬉しい。身を挺して俺を助けに来てくれるその姿に感動する。


 今まで、アルドニスとはいろいろとあった。

 尊敬されたり、衝突したり。


 一度逃げ出した俺を再び仲間と認めてくれた優しい奴だ。



 アルドニスに対して、メイドが縄を放つ。

 素早い蛇のように、縄の先端がアルドニスに噛みつく…………!


 だが、アルドニスに触れる寸前で縄は勢いが急に弱まり、完全に死んだ。


「―――――なっ!」

 メイドが息をこぼす。


「残念だったな。俺には効かないぜ」


 口の端を釣り上げてアルドニスが不敵に笑う。

 風による防壁がつくられているのだ。

 その壁を越えるのは容易ではない。縄はアルドニスに触れる事すらできずに弾かれるのだから。


「くっ!」とメイドが片手でミニスカートの裾を押さえながら苦悶に満ちた声をもらす。

 アルドニスこそが、メイドの縄使いの天敵なのだ。


 いいぞ! アルドニス!


「さあ、タクミを解放させてもらうぜ!」


「そうはさせません」


 スカートの防御を諦め、捨てたメイドが攻撃へと転じる。

 風によって巻き上げられるスカートに、今まで守られていたものが無防備にその姿を晒した。


「―――――なっ!」

 驚いた声を上げたのはアルドニスだった。

 急に風の勢いが弱まり、その隙を突くように縄がアルドニスに迫る。


「しまっ、―――――ふぎゃあ!」


 捕まった。俺と同様に腕ごと身体をガチガチに固定されてその場に倒れる。


「下着ぐらいで力を弱めるとは、哀れですね」


「ふざけんな! 解きやがれぇ!」


 ジタバタと子供のように駄々をこねる。

 が、メイドはそっぽを向いて俺たちをそのまま放置した。


「さあ、残るはアンジーナ様と素晴らしい胸のお姉さん」

 じゅるりと唾をすする音が聞こえた。


 俺はここにきて、このメイドの本質…………人間性を理解できた気がした。


「ひいっ」

 とアンジェリカたちが怯えた表情を見せる。


「デザートのお時間ですね」


 再び縄が取り出され、その毒牙がローズさんに迫る。

 その時だった。



「何をしてるんですか!?」


 廊下の奥からこちらに迫る人影があった。

 長い若草色の髪を揺らし、2階で足止め役を買って出た頼れる存在。


 ドミニクさんがこちらに走って来ていた。


「え? もう追い付いてきたの? 早すぎない?」


 当たり前の疑問をこぼす。


「当然だ。ただの一般人が20人束になったところで、ドミニクさんには敵わねぇ」


 横に転がるアルドニスがそう口を開いた。

 迫ってくる新手を、縄使いのメイドが視認する。


「また男ですか。そこに転がってる2人のように縛りましょう」


 真っ直ぐとこちらに突っ込んでくるドミニクさん。

 俺は彼を静止させるべく、口を開こうとして…………。

 アルドニスに邪魔をされた。


「いいから、黙って見てろ」


 縄使いのメイドが縄を放つ。縄の先端は綺麗な弧を描きながら真っ直ぐにドミニクさんに迫った。直後、ドミニクさんの姿が消えた。

 ―――――否。それは目にもとまらぬ速さに加速したが故に消えて見えただけだ。

 人の身で出せる速さの限界を超越した動き。

 30メートルはあったその距離を、僅か1秒でゼロにしたその動きは、まさに瞬きが許されない神業の領域。


 気付いた時には既に接近し終えていて、縄使いのメイドの手首を掴み上げていた。


「―――――え」

 メイドが息をこぼす。

 それと同時に背後へと回り込み、彼女の手首を捻りながら床へと押し倒した。

 メイドが落とした縄を拾い上げ、それをメイドの身体に通し始める。

 俺たちと同じように、ぐるぐる巻きにして、雑に結んだ。


 手際のいいその動きに、思わず息を呑んだ。


 アンジェリカに縄を解いてもらい、体を起こした。

 メイドはポカーンと呆けている。

 どうやらまだ状況を呑み込めていないようだ。


「直ぐに出ましょう」


 ドミニクさんの言葉に、俺は気を引き締める。

 俺の強化した拳で窓を割ってそこから脱出をー――――。


「ローズ!」


 ドミニクさんの呼びかけに、ローズさんが拳を窓に叩き付ける。

 直後、遅れて窓が崩壊し、ガラスが外側に飛び散った。


「これでいいかしら」

 ニコニコしながらこちらを振り狩るローズさん。


 …………今回、俺役立たずじゃん! なんにも活躍できてない。


「急ぐわよ!」

 アンジェリカに促されて、窓から外へと脱出する。

 緑に彩られた土の上を移動して、更に外を目指す。目の前には大きな城壁が。


「これ、どうやって上るんだ?」


「タクミは能力で上ってください。他は縄で上ります」


 ドミニクさんは、俺とアルドニスを縛っていた縄の先端を、城壁の向こう側へと投げる。

 俺は言われたとおりに、両足を強化して城壁を飛び越えた。

 強化した脚力なら、余裕で飛び越えられる高さの城壁。

 それを越えた先に広がっていたのは、暗い夜の闇の中、美しい街が明かりに彩られた美しい眺めだった。

 闇の中できらきらと輝くそれは、まるでひとつひとつが宝石みたいだった。


 一瞬の美しい光景が脳に焼き付く。

 それを感じながら、地面に着地する。


 縄で城壁を越えてきたみんなが、俺に追い付く。


「いたぞ!」

「早く追いかけろ!」

 そこに、雑音が響いた。


 ドミニクさんを先頭にして街の中を駆けてゆく。


 追って来る住人に追い付かれないように、門へと急ぐ。


 走ること数分。前に門が見えてくる。

 そして、その前には俺たちの馬車が用意してあった。

 荷台と馬が準備された状態で、タイヤの固定金具を外せば直ぐに出発できるようになっている。


「すげー、ここまで準備していたのか!」


 アルドニスが声を荒げる。だが、ドミニクさんは首を横に振った。


「いや、私は荷物を荷台に載せただけです」


 信じられないものを見るかのように、目を見開くドミニクさん。

 馬車に到着して、中や周りを点検する。


「おかしなところはないですね」

「罠の可能性はないってこと?」

「はい。でも、一体だれが…………」


「とりあえず、早く乗り込みましょう」


 すぐ後ろには住人たちの軍団が迫ってきている。


 アルドニスが運転席へと移動し、ドミニクさんとローズさんが荷台に乗り込む。

 俺も荷台へ飛び込み、最後にアンジェリカへと手を伸ばした。


 そこへー――――。


「待って!」


 美のヴァーテクス、ヴィーネの声が響いた。


 顔を上げると、直ぐ近くに美しき乙女の姿がある。

 純白のドレスに金の装飾。イヤリングにチョーカーと。

 その全てが彼女を引き立たせる脇役に過ぎない。



 綺麗という言葉がよく似合う、美しいその顔は歪んでいた。

 真っ白の肌はきらきらと輝いている。それは汗が街の明かりに反射してそう見えるだけだ。

 走ってきたのだ。


 アンジェリカや俺たちを逃がさないために。

 その美しさが滲んでしまうほど。必死に走ってきたのだろう。


 アンジェリカは脚を止めて、彼女に向き合った。



 ヴィーネは肩で呼吸を繰り返して、何度か口を開いては閉じた後、何かを決心したかのように、表情を硬くした。


「バジレウスを裏切ることが、どういうことか理解しているの?」


 それが、どんな意味をもって呟かれたものなのか、俺には理解ができなかった。


 ただ、「うん」と頷いたアンジェリカに、彼女は一層顔を歪めてその場に俯いてしまう。


 アンジェリカはヴィーネに背中を向けて馬車に乗り込んだ。

 そして、告げられた号令によって馬車は進みだす。



 最初はゆっくりと。次第に速度を上げて。

 街の門を越えて、夜の草原へと飛び出した。


 進路は、怪物のヴァーテクスの神殿だ。













 ♦♦♦



 独り、美しき街に取り残されたヴィーネは空を仰いだ。

 そこへ、独りの男が歩いてくる。


「逃がしてしまったね」


 ただの人間の分際で、美の象徴たるヴァーテクスに語りかけるなどあってはならないことだ。


「黙りなさい」


 だから、無礼にも近付いてきた男を黙らせようと能力を使った。


「生憎と、僕は君の事を美しいと思っている。でも、君の能力は僕たちには効かないんだよね」


 そう答えた男に、ヴィーネは反射的に顔を上げた。

 襟足が伸びた派手なピンク色の髪。口元を覆うピンク色の髭に、目を覆う黒い物体。

 薄い生地の半袖に、短パンとサンダルを穿いた男が立っている。


 ヴィーネが知ることはないが、その男はタクミやアンジェリカをこの街に案内したダウトと名乗る胡散臭い商人だった。



「…………なぜ、あなたがここに?」


 ヴィーネがそう問えば、男は意味深に口角を上げ、答えた。


「バジレウスから招集がかかった。だから迎えにきたのさ」


 バジレウスから招集がかかったとなれば、応じるほかないだろう。

 ヴィーネは「わかったわ」と腕を組んで調子を取り戻した。


 ダウトという名の商人は、最後に街の門の奥に視線を向ける。


 既に見えなくなった馬車の後ろ姿を眺めるように。

 サングラスの奥で目を細めて笑みをこぼす。


「覚悟を決めたんだね。なら次は僕が覚悟を決める番だ」


 誰にも聞き取られない小さな声で、男はそう呟いた。

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