6話

 夢の中で、私は見覚えのある交差点に立っていた。

 ここで何が起こるのか、幾度となく見届けた。


 私は、母が死んだあの日の悪夢をまた見ていた。


 看板が落ちる場所に、お母さんは立っている。

 

 白いブラウスに、ベージュのスカート。サラサラの黒い髪には、可愛いお花の髪飾り。

 

 私に向かって、手招きをしている。

 

 顔はぼやけて見えないけれど、きっと私に微笑みかけているんだ。

 

 ……お母さん。

 

 私は、安堵のため息を付いて、あの場所へと歩き出す。

 

 あれは風の強い日だった。

 

 なびく髪をそのままに、私は顔の見えないお母さんとその場所に立った。

 

 頭の上の方で、ミシミシ、メキメキと音がする。見上げれば。お母さんの命を奪った看板が、私の上に降って来た。

 

 口元に仄かな笑みができる。

 

 ……これで、やっとお母さんの所にいける。

 

 目を閉じたのは、押しつぶされる恐怖から逃げるためだったのか。それとも、ようやく楽になれるという安堵のためだったのか。

 

 お母さんがいなくなったあと、お父さんは私を心配してくれたけど、忙しいお父さんを気遣わせてはいけないと、子供ながらに明るく振舞おうとした。お母さんがいなくなったことを認めたくなくて、それでも、もう会うことはできなくて。私がお母さんの命を奪ったのだと、自分自身を責める日々だった。


 それなのに、お母さんが私を助けたから、自分自身で死ぬ事はしたくなくて。それでも、やっぱり寂しくて、私はお母さんの影を探し続けた。そうして作り出したお母さんの幻が、私を死へと導くと知っていたから。

 

 ……これでようやく終わりにできる。

 

 そう思っていたのに。私の人生は、やっぱり思うようにいかないらしい。

 

「愛希ちゃん!」

 

 体が、強い力で後ろ向きに引っ張られた。

 

 気が付けば私は道の上に座り込んで、目の前に落ちてきた看板を見ていた。

 

 あの日と同じように、やっぱり看板は落ちてきた。でも、あの日と違って、看板の下敷きにされたお母さんの手は見えない。

 

「ほら、そういう危ない事すると、お母さんみたいに、こうなっちゃうよ」

 

 後ろから、私を助けた人の声がした。

 

 私は、この声を知っていた。懐かしくて、嬉しくて、でもそれ以上に悲しくてしょうがなくて、胸が苦しいくらい張り裂けそうになって、隠していた寂しさが溢れ出した。

 

「お母さん」

 

「うん。またお話できて、嬉しいな」

 

「ねえ、どうして? どうして一緒に連れてってくれなかったの? ずっと寂しかったよ。苦しかったんだよ」

 

「ごめんね。でも、お母さん、ああするしかなかったの。愛希ちゃんに死んで欲しくなかったんだよ」

 

「お母さんが死んじゃったから、私、自分の事が許せなくて。どんなに楽しいことがあっても、心の底で、いつも死にたいって。そう思って」


「……うん。知ってたよ。愛希ちゃんが危ないことしてるから、いつも傍で見てたんだよ。交通事故に合いそうなときも、手すりが壊れてベランダから落ちそうになった時も。危なっかしくて、目が離せなかったんだよ」

 

 そう言って、お母さんは苦笑した。


「だから、お母さんちょっと怖い感じで化けて出ました。危険な事に首を突っ込んだら、こんなふうになっちゃうよって」


「お母さんの馬鹿。だからって、そんな恰好で出てこないでよ。私、何度もあの事故の事を夢に見たんだよ。潰れたお母さんの顔が頭から離れなくて」


 自然と手に力が入る。握りしめた拳から、ギリギリと鈍い痛みが走る。


「私がいなければお母さんは生きてたのにって、そう思ったから。私なんて事故か何かで死んじゃえばいいって思ったんだもん。お母さんは私を恨んでると思ったんだもん。お母さんは私のせいで死んじゃったのに、私が幸せになっちゃいけないって思ったんだもん」


「そうじゃないよ」


 お母さんの手が、私の頭を撫でた。


「大きくなったね、愛希ちゃん。私だって、生きて愛希ちゃんの隣にいたかった。愛希ちゃんの事ずっと護ってあげたかった。でも、それが叶わなかったからって、愛希ちゃんを恨んだりしない。私の本当の願い、愛希ちゃんはもう分かってるでしょ?」


 私が振り返ろうとすると、お母さんはそれを止めた。代わりに、ギュッと私を抱きしめてくれた。お母さんの懐かしい香りが私を優しく包み込んでいる。


「振り向いちゃだめよ。もう、潰れた怖い顔は見せたくないから」


「だから、首から上がなかったの?」


「それもあるけど……。お母さんね、愛希ちゃんにはいつか、お母さんの笑顔を思い出して欲しいな。そしたらきっと、もう怖い夢は見ないから」


「……うん」


「約束ね」

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