解放の瞬間
「そろそろ教えてほしいんだけど、どうやって生き残ったの? あたし今でも覚えてる。碧ちゃんが身代わりになった偉いおばさんの潜伏してたホテルが轟々と燃える映像をさ。ニュースで見てたの。数日後に、奇跡的に脱出してたおばさんがクーデターを鎮圧したと報道されてたのも覚えてる。碧ちゃんが本当に死んじゃったからバレなかったんじゃないの?」
「火をつけてくれたから助かったんですよ。誰もが亡くなったと思ってくれたおかげで、死ぬ必要がなくなりました。亡骸をどうしても確認しなければ気がすまないのなら、火を放ったりしませんからね」
「火事から逃げられたの?」
「燃えている最中もテロリストが警戒していましたから、逃げられる状況ではありませんでした。実際……襲撃当時にあのホテルにいた人は全員が命を落としました」
「え? じゃあ、なんで?」
「ボクはホテルを出ていたんです。少しだけ日本語を喋られる人がいて、ホテルに入ったところを目撃されているはずだから別人に姿を変えれば外に出ても問題ない。安全のために外にいてほしいとお願いされました。ボクが生き残れたのはその人のおかげです」
「そうなんだ……でも、お母さんとの計画は里にいた頃に練ったんじゃなかった?」
「もしもボクが生き延びたら、を前提にした曖昧な計画だったんです。もっと確実な計画が理想ではあったのですが、そう容易くはありませんでしたから、賭けることにしたんです。結果として文字通り命を賭けた勝負に勝ったボクは日本に戻り、武林さん――長年そう呼んでいましたから、武林さんと呼んでしまいますね」
「それはいいけど、どうやって戻ってこれたの?」
「全影のボクたちがその気になれば手持ちゼロで世界を一周だって難しくはありませんよ。外に出たことのない楓ちゃんにはピンとこないかもしれませんが」
「無賃乗車に無銭飲食を繰り返したってこと? やるなぁ」
「褒められる行いではありませんが、生きるために手段は選べませんでした」
「ずっと気になってたこと、言っていい?」
「どう生き延びたか、ではなくてですか?」
「うん。というか、ソレ」
「ソレ? どういう意味でしょう?」
「その話し方、戻せないの? 昔の碧ちゃんみたいにさ」
「ボクの昔って、どんな話し方でしたかね?」
「元気いっぱいの少女って感じ? 一人称もボクじゃなくて〝あたし〟だったし」
「……まぁ、やってみましょうか。あ、あたし、いっぱいお買い物したいなぁ――みたいな喋り方でしょうか、あ、いえ、みたいな?」
「なぁにその台詞。お買い物をたくさんしたい少女っている?」
「いないことはないでしょう、いえ――いないはずない、いえ――いるはず、よ……?」
「なんか敬語が板について剥がれなくなっちゃってるんだね。じゃあ、いいよ。大人になった碧ちゃんは今の感じが合ってるのかも。固すぎると思うけど」
「理解してもらえて助かります」
「なんだか距離を感じて嫌だけどね」
「それは錯覚です。ボクたちは親友でしょう?」
「そうだね――うん、そう。細かいことを気にしすぎた。それでさ、話の続きだけど日本に戻ってからどうしたの? すぐにお母さんのとこに?」
「当時はまだ武林さんも里に残っていましたし、里を出てもすぐに合流すべきではないと打ち合わせてありましたから、一人で生きる必要がありました。武林さんから頂いたお金があったので、それを受け取ってからは金銭的な問題はなかったですが、身分証のない状態で寝床を探すのは大変でしたよ」
「まさか、ずっと野宿してたの?」
「野宿というか、テントですね。一箇所で何ヶ月も暮らしてると怪しいですから、二日か三日おきにキャンプ地を変えながら全国を転々としました。スリルのある逃亡生活でしたね」
「キャンプかぁ。でもさ、女子が夜に一人でいたら危なくない?」
「日本に戻ってからは、人目につく場所では男性の姿で過ごしていましたから。異性に化けるのは難しくて、最初は美人なオカマといった具合の性別不明な生き物になるのが精一杯でした。柊落葉の外見を得るには相当練習を重ねましたよ」
「なよなよしてて女子っぽい見た目だったけどね。キフユの顔は実在する誰かじゃなくて、オリジナルだよね? ふーん、碧ちゃんはそういう顔が理想だったんだ」
「柊落葉という仮名も外見も武林さんから提案されたものです」
「……じゃあ、お母さんの趣味? 訊かなきゃよかったかも……」
「その武林さんが里を出てから暫くしてボクと合流したのです。キャンプ生活を始めてから半年は過ぎていました。その期間に、自分が身代わりを務めた人物がクーデターを鎮めたニュースも見れて、安心しましたね。救われた気分でした。影武者として命を落としていても、無駄ではなかった」
「よくお母さんの居場所がわかったね」
「それも遂行前に聞いていましたので。開店前のアルバイト募集で応募したことにして、自然に武林さんの経営する雑貨屋にいられるようになりました。それからは、特に語って面白い話はありません」
「男性になりきる訓練はずっとしてたんでしょ? キフユの姿で」
「その成果がこれです。少々やりすぎたようですね」
「声も低くなってるよね? 演技?」
「声優はそんな簡単ではないようです。声帯手術を受けたんですよ。そうでもしないと、バレますから」
「身体はそのままなんでしょ? ――ほら」
「ちょぁっ!? なにするのっ!?」
「あれ、敬語じゃなかった?」
「楓ちゃんが急に変なことするから……男装してるから付けてないんですよ?」
「それは、うん、感触でわかったから」
「……妙な空気なので言っちゃいますけど、楓ちゃん、柊落葉を好きになってませんでした?」
「なっ!? そんなわけないじゃん? なよなよしてて女子っぽいって言ったじゃんっ!?」
「でも嫌いとも聞いてないですよ? 少なくとも惹かれてはいましたよね? もちろん異性として」
「意味ない話はこれで終わりっ! 結局キフユなんて人はいなくて、楓ちゃんだったんだから。なんだか昔より意地悪になったね?」
「変なことをされた仕返しです」
「それはホントごめんて。それより、碧ちゃんがいなくなってからさ――」
◆
里の出口にあたるゲートには誰の人影もなかった。監視カメラは機能しているのだろうが、歩みを止められる者はいない。
近づいてみて察知したが、人がいないわけではなかった。視線を感じる。発信源を探すと、すぐに見つかった。離れた位置にある役所に明かりが灯っている。窓に、室内にいる人物のシルエットがいくつもの浮かんでいた。
久田は先導してゲートの横に立ち、訝しげになって足取りの重い久川を待った。
「本当に出ていいの?」
「そのためにボクが来たんです。これで楓ちゃんは自由になれます。外で武林さん――お母さんが待っていますよ」
ゲートから伸びた車幅の広い道路の脇に一台の車が停まっていた。息を潜めて待つ車の近くにも人影はない。暗くて明瞭ではないが、運転席に誰か乗っているように見える。目を凝らして、それが勘違いではないと確信した。母親とまでは判別できないが。
「どうして」
「檻の二階で天音さんと話した際に連絡を入れておいたんです。ボクも携帯電話を持っていますから。武林さんに買っていただいたものですけどね」
久田はポケットから黒く細長い機械を取り出した。天音が使っていた物と似ている。小型のテンキーが並んでいるから、馴染みのない久川にも電話だとわかった。
しかし、そんなことは後回しでいい。
「そのケータイとかって物のことじゃない」
「武林さんが堂々とこれた理由のほうですか。それは天音さんから」
「違う。私はここから外に出たら自由になれるんでしょ?」
「そうです。天音さん公認ですから、追われることもないでしょう」
「どうしてそんなのが許されたわけ? ありえなくない? 絶対おかしいじゃん。どんな魔法を使ったかタネを教えてよ」
「もったいぶってすみません。教えますから、とりあえずゲートを出ましょう」
左手でゲートの通過を促される。何も知らないまま武林の車に乗って逃げるのでは納得できない。久田に事情を説明してもらわなければ。
通過した久川が振り返ると同時、里側の天井から格子状のシャッターが降りた。
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