本音
久川は一瞬驚いた様子で目を開き、ゆっくりと伏せる。
「よくわかってんじゃん。危険な香りをぷんぷん撒き散らしてる連中だから、影武者が用済みになったら内部の情報を知ってるダチの口を封じるかもしれない。影武者として生きるってのはさ、そういうことなわけ」
そういう――誰かの身代わりとして死ぬか、誰かの秘密を守るために死ぬか、そのどちらかしか選べない。生まれた時に名前を与えられながら、裏では誰かの所有物のように番号で管理され、自分のために生きることも死ぬことも許されない存在。
過酷な運命を彼女たちは強いられているのだと、落葉は里に来る前から承知していた。
それが、久川を救うために管理者となった動機だから。
「あーし学校行ってないから、ダチっていえるのソイツだけなんだけどさ、昔はもう一人いてさ」
「久田碧さんですね?」
唇を固く結び、溢れそうな感情を押し殺して久川は首を縦に振った。その瞬間だけ、非常な運命を強いられながらも大人びた彼女の横顔が何も知らない少女のように幼く見えた。
「うん、それは知ってるんだ?」
「影武者についてはざっくりでしたが、久川さんに関するアレコレは事前にたくさん聞いておきました。影武者の管理者というより、ボクの務めは久川さんの家庭教師に近いようですから」
「そっか」
相槌を返して、久川は足を止めた。落葉もそれに倣う。
すぐ横にある一軒家の表札に彼女の苗字が記されていた。特別な豪邸でも、古臭いボロアパートでもない。普通ではない彼女には、普通ではないのかもしれない家。
久川は家に入ろうとしない。入ろうとせず、隣で待機する落葉に顔を向ける。
「碧ちゃんが偉い人の身代わりになったこと、キフユ的にどう思った?」
どうして友達が犠牲にならなくてはいけなかったのか。友達が犠牲になるだけの価値が相手にはあったのか。友達ではなくて自分では駄目だったのか。この質問に、今日会ったばかりの男が納得する答えをくれるだろうか。
様々な思いが入り乱れていた。全部ではないかもしれないが、落葉は久川の感情をある程度は理解しているつもりだった。
「そのご友人は、迷っていたんじゃないかと思います。迷い続けて、答えを出さないといけないから数多の選択肢からひとつを選んだ。後悔があったかは、わかりませんが」
「立派だとは思わないんだ?」
「立派だと思いますよ。話によれば、クーデターで滅茶苦茶になった国の王女を救ったらしいですし。彼女が身代わりとなって救った王女が反乱を鎮圧して、現在も復興の指揮を執っていると聞きました」
久川の友人であった久田碧という少女は、たまたま他人に化けられる能力を生まれながらに持っていただけ。望んだわけではない。それでも、彼女は与えられた命の役割を果たし、語られることのない歴史の陰でひとつの国を救った。世間には知られずとも、関係者の胸に彼女の存在は残り続けている。
「その国の人々にとっては、たとえ認知されていなくとも救世主ですよ。ですが、ボク個人の感想を求められると、その一言で表せるほど単純ではないのです」
「なんかキフユってさ、めんどくさいね」
緊張していた久川の表情が綻ぶ。
「最近よく言われます。そう言われないようになることが、ボクの当面の課題でしょうか」
「大変だろーね、ソレ。あーしも応援くらいはしてあげるよ」
「では、ボクも久川さんの願いが叶うよう応援しましょう」
「願い? あーしなんか言ったっけ?」
「ここから逃げ出したいのですよね?」
自宅に入ろうとした久川の足が止まる。眉間に皺を寄せた凛々しい瞳に、紫のスーツを着た男の姿が映る。色濃い敵意の視線が注がれる。
「冗談でも、キフユみたいな立場の人には言われたくない」
見つめ返す落葉の瞳を認め、久川は口をもごもごとさせる。敵意が揺らいだ。相対する立場にいる男から汲み取った真意を疑い、言葉にして良いものかと迷っている。
もしも、落葉の放った一言が冗談ではないとしたら。
「諦めているだけで、今でも気持ちは消えていないのでしょう? 影武者なんて使命は放り出したい。普通の人と同じように生きたい。誰かの身代わりとして死ぬのではなく、大勢の誰かと同じように生きていきたい。違いますか?」
「違わない」
素直な返答。動揺していた久川だったが、落葉が話している間に落ち着きを取り戻した。再び瞳に鋭い光が宿る。先の敵意とは違う、決然した煌めきが。
「違わないとして、キフユに何ができるの?」
『何が』が指す意味は明白だった。里から脱走するために、里を管理する側の落葉が手を貸してくれるのか。そうであれば望外で、普通に生きることを叶えられない願望として諦めなくてもよくなる。
生きていきたいと、素直に願えるようになれる。
「いいえ、ボクは久川さんと同じようにするだけです」
明るい期待が込められた彼女の眼差しを、首を横に振って遮った。
「ボクにできるのは応援だけです。ボクは久川さんたちを管理する側の立場ですからね。ですが、逃げたいと願う思いを否定はしませんし、本当に逃げてしまってもボク個人としては構いません。久川さんを監視することがボクの役割ではありませんから」
「そうやってその気にさせて、あーしがホントに逃げちゃったらどうすんの? きっとひどい目に遭うよ?」
「しかたないでしょう。久川さんの気持ちも、国が久川さん達を管理しなければならない事情も理解しています。正しいことは共存できない。なら、どちらに転んでも良かったと思うほうが楽です。結果的にボク自身が怒られたとしても安い代償でしょう。それが優柔不断という罪に対する罰です」
言ってから、落葉は自分の頬をカリカリと指先で掻いた。
「まぁ、ボクは家庭教師です。それ以外の立場は、そこらの部外者と同じってわけですよ」
少し冷たげな締めくくりに、気に食わない様子で久川は口を尖らせる。
「ふぅん。これからどうなるかわかんないけどさ、どうかなってもキフユは中立でいてくれるんだ?」
「どうでしょう。場合によるかもしれませんね」
「そうだよねぇ? ハッキリと肯定はできないよね~?」
相手をからかうように、久川は芝居じみた笑い声を出す。ぎこちない愛想笑いを作った落葉に、久川は背後にそびえる自宅へ入るよう手招いた。
落葉が歩き出す。久川は玄関と庭を仕切る段差をあがり、レザージャケットのポケットから取り出した鍵を差し込んだ。その仕草を後ろから眺めながら、落葉は彼女の口からこぼれた本音を反芻していた。
いまでも、久川は里から逃げたいと願っている。
落葉が里に来た理由――与えられた計画の完遂に必要な一つ目の条件が、満たされた。
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