影武者として生きるなら
のーが
プロローグ
胡散臭い男の隣に立っていれば、自分だってきっと同種の人間だと思われる。変哲のない壺を高値で売りつけられそうだとか、簡単にお金を稼ぐ方法を教えるセミナーに誘われそうだとか……隣で歩く人は自分の評価にも影響を及ぼす。妙な男が隣にいれば、自分もまたすれ違う人々から心外な評価を受けるだろう。逆の立場なら、自分だってそう思うように。
柊落葉は意気揚々と一歩先をゆく眼鏡の男を眺め、続けて周りに目を走らす。
幸いなことに、通行人から誤解される状況ではなかった。幹線道路から巨大なテーマパークの駐車場に入る時のような長い一直線の道路に、落葉たち以外の人影はない。遮蔽物のない開けた視界を、胡散臭い男と肩を並べて進む。
「それにしても柊くん、君の名前はどうにかならなかったのか? 名前とは深い意図を込めて付けられるものだ。落葉だなんて、ポジティブな解釈は難しい」
「名付けられたボクに訊かれても返答のしようがないですよ。地に落ちて踏みつけられるだけの人生を歩んでほしいとか性悪な想いが込められていたとしても、名付けられた当人にとっては御伽噺のようなものです」
「どうでもいいと言いながら随分根に持ってるな。武林さんも酷いことをする。孤児だった君を引き取り育てた善行は尊敬するが、一生背負う名前に誤解の余地があってはいかんだろ」
「武林さんに拾われなかったらボクは名乗るべき名前すら持たなかったんです。他人に尋ねられて『名乗る名はない』と言わざるを得ないよりは何倍もマシです。落葉という名前は、ボクを表すにあたっては相応しいわけですし」
「大した器だよ、君は。君が納得してるなら俺から抗議するのも野暮だな」
お手上げと言わんばかりに天音は両手をあげた。天音は今日もグレーのスーツを着こなし胡散臭さに拍車をかけている。土日であっても仕事着を脱がないから、落葉は天音の私服姿を見たことがなかった。夏に片足を突っ込んでいる季節にも関わらず、天音のネクタイの結び目は固い。
落葉の格好は更に派手だった。天音と同じくスーツには違いないが、色がド派手な紫ときている。紫なんて色を好んで着る人種がいるとすれば、見た目のインパクトで印象操作を画策する芸人かホストくらいだろう。もちろん、紫のスーツなんてものを落葉自身が気に入っているわけではない。天音が落葉のために用意した特注品の仕事着がこの色だったのだ。好みでないにしても、仕事着であれば断るわけにもいかない。
直線の車道の脇を天音、落葉の並びで進む。自動車の侵入は道路の突き当たりにある警戒色のバーが防ぎ、歩行者が通過する箇所には駅の改札に似た機械が設置されている。敷地から出て行く側の歩道にガラス張りの守衛室があり、警備員風の男が敷地から出ようとする男と話している。
「まるで遊園地だなって、そう思うか?」
「だとしたら奇妙ですね。敷地から出ようとする人に遊園地の職員が話しかけますか? 服装だって不釣合いですよ。遊園地に喩えるなら、守衛だってもっとファンシーな存在でないと」
「ファンシーとはな。俺からしたらその単語のほうが奇妙だ。最近は英語と日本語を混ぜたがる奴が多くていかん。外人が同じことをしたら『結果にコミット』が『リザルトに責任を持つ』になるんだろ? もはや知らん国の言葉だ」
「世界公用語と比べるものではないと思いますが」
「つまらん奴だな。俺はどうも中途半端というのが苦手でな。日本語か英語のどちらかに統一してくれと気になってしょうがない。うちの部下にも大勢いるがな」
「まさか、禁句に?」
「そんな暴君ではないよ。我慢すればいいだけの話ではあるが、人を従える役回りは難儀なもんだなと思う」
言葉とは裏腹にまんざらでもなさそうに天音はボヤくが、この男こそが視界一杯に広がるテーマパークのような施設の最大権力者である。落葉は天音にある目的を託され彼の部下に加わり、異常な敷地面積を誇るこの施設に案内された。
歩道に備えられた改札を素通りした。敷地に侵入する側には守衛の詰所がなく、代わりに反対車線で取り込み中の警備服を着た男が天音に敬礼した。返礼した天音にならい、落葉もそれを真似てみた。敬礼をしたのは初めてだ。自分が特殊な仕事を任されるのだと、緊張と実感が沸いてくる。
「おじさんおっそいよ~。あーし時間通りに来てんだけどぉ?」
緊張感を高めた心境を妨害する気の抜けた声が、がらんとした空気に混じった。声の主は天音に話しかけているらしいが、落葉の位置からでは天音の背中に隠れて見えない。声色からして、若い女性であることは間違いないが。
「一分くらいの誤差は見逃してもらえると助かるんだけどな。許容範囲だろ?」
「まぁーね。なんとなく言ってみただけだし。それと、その後ろの人が、もしかして?」
「ああ、君が所望していた若い男だ」
「よしよーし。じゃ、チェックするね~」
期待を込めた様子で少女は天音の脇を抜けて前に出た。
明るめの茶髪と濃い茶色のレザージャケットを羽織り、オシャレに積極的なのだと確信するには申し分ない。凛々しく開かれた大きな瞳と緩められた口元が、優しい性格だと示唆をする。
落葉がそうしたように、少女もまた値踏みするような興味の詰まった視線を落葉に向けた。
「柊くん、その子が例の彼女だ。では、あとは任せた。満足してもらえたら役所まで来てくれ。初日の説明があるのでな」
一方的に告げ、落葉が引き止める間もなく天音はその場を離れていった。
依然としてマジメに人を観察する少女を見据える。
彼女の存在が、落葉がこの場所にやってきた理由そのものだった。邂逅は感慨深く、落葉の胸は熱くなる。
「え、ちょっ、なんで急に泣きそうになってんの!? そんなに見られるのが嫌だった!?」
「ああ、いや、そうではありません。君のことは昔から聞いていたから、こうして実際に会って感動してしまったというか」
「なに、それ? 調子狂っちゃうから勘弁してよね。あーしはとにかく楽しい気持ちでいたいからさ、バイブスあげて――てか名前聞いてなかったし。柊くんっておじさんが呼んでた気がするけど、合ってる?」
「合っていますよ。名乗る前から覚えていただいて嬉しいです」
「そういう態度、堅苦しくない? 嫌いなんだよね、裏の顔を隠してるみたいでさ」
「そう、ですか……しかし難しいですね。ボクは昔からこういう性格なので」
「んじゃ、あーしのほうで調整するわ。とりあえず、呼ぶときは〝キフユ〟でいくから」
柊の漢字を分解して〝キフユ〟という呼び方を思いついたらしい。頭の回転が早い、と評価して良いものか。
〝キフユ〟なんて呼ばれ方は初めてだ。初対面の彼女に調子を狂わされた落葉は、気持ちを落ち着けようと咳払いをする。敵意はないと明示するように、頬から力を抜く。
「キフユ、ですね。なるべく早くその呼ばれ方に慣れるよう頑張ります。こちらからは、面白みが薄いかもしれないけど、単に久川さんでいいですか?」
「ふーん、あーしの名前知ってんだね」
「ここに来るにあたって色々と学んできましたので。久川さんの素性についても、ここの人が知っている程度には」
本人の前で臆せず答えられるほどに、目の前にいる久川楓という少女が辿る運命を落葉は熟知している。
明るい性格の少女は使命を強要され、生きる価値を押し付けられた。生まれてきた意味すらも勝手に与えられた彼女には、自由に死ぬことも許されない。
世界を支える要人の身代わりとなるべく、世間から身を潜めて育てられる人々がいる。
久川楓もまた、誰かの身代わりとなるために生きる影武者の一人だった。
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