第6話 賢者の召喚5

「勿論です!」

 

 エドガールの顔がパッと頭に浮かび思わず笑顔になってしまう。それを聞いてハリエットが動き始めた。

 

「あら、小さい弟さんの世話をしなきゃいけないのね。それなら大丈夫よ、ベビーシッターを派遣するから。家はどこかしら、北区?」

 

 王都アレクシアは北の小高い場所に城を構えていて城下は上級貴族が屋敷を構える特別区になっており、そこから南に行くほど富裕層から一般的な収入の者達が居住している。北区は特別区に住めないながらも貴族や平民の富裕層の多くが住む地区だ。

 王都は環状囲壁に護られ周辺は常に騎士団が見回り凶暴な魔物が近寄らないように警備されているため、周辺にも幾つか街や農村もあり平和な生活が護られている。

 

「住まいは城内の官舎です」

 

 城で働く貴族用に城内と城外には戸数は少ないが官舎が設けられている。貴族用と言っても無爵で屋敷を構えられない裕福でない者が家族で住める最低限の部屋があるだけだ。

 

「じゃあそこに派遣しておけばいいわね、今は保育室にいるの?」

 

 城内には保育室も完備されている。

 

「いえ、今は一人でお留守番していると思います。ですけどベビーシッターもちょっと、弟は人見知りだし私も知らない人は不安で」

 

「あら、困ったわね」

 

 ハリエットと私はどうしたものかと悩んでいた。

 

「弟さんていくつだったっけ?」

 

 リゼットが感情のない声で聞いてくる。

 

「十五才よ、さっき言ったじゃない」

 

 リゼットは忘れっぽいのかな。

 

「えぇ!!十五才、だったら一人でも大丈夫じゃない!子供じゃあるまいし」

 

 ハリエットがとんでもないことを言った。

 

「何言ってるんですか!まだ子供ですよ。一人で夜を過ごさせるなんて心配で心配で」

 

 最近生意気になってきているがまだまだ手がかかる。

 

「荒野のど真ん中じゃあるまいし、官舎なんて絶対に安全じゃない」

 

「それは確かに城内だから危険はありませんけど」

 

 私が不満気に口を尖らせるとリゼットがまた口を挟む。

 

「弟さんはなんて言ってるの?あなたがこんなに過保護なこと」

 

「別に過保護じゃないわよ。日頃からきちんと勉強して学院へ入りなさいって厳しく言ってるんだから」

 

「で?」

 

 質問の答えをリゼットが促す。

 

「それは……エドガールは自分は大丈夫だから気にせず私の好きにしていいんだよって言ってくれてる」

 

「でしょうね、いい弟さんじゃない。決まりね、官舎へ今夜は帰らないことを伝えておくからしっかりウィンザー公爵をお世話して」

 

 ハリエットはそう言うとさっさと行ってしまった。

 

「あぁ、そんな」

 

 急に残業を言い渡され、知らせる事も自分で出来ないことに困ってしまう。

 

「いい機会だから弟離れすれば?」

 

 リゼットがため息をつき用意したワゴンを押しながら廊下を進む。今日会ったばかりなのにどうしてそんなことを言うんだ。

 

「酷い、私は弟が大好きで大切なのに。母が亡くなってからずっと面倒見てきたんだよ」

 

 父は忙しくて滅多に家にいない。私が八才の時に亡くなった母は最期まで弟の事を心配してた。私がちゃんと育てあげないと!

 

「いくら大好きでも構いすぎると嫌われるよ。私がそうだもん」

 

「リゼットが?あなたも弟がいるの?」

 

 ワゴンを大会議室の隣の文官達が机を並べている部屋の中へ入れた。中には机が幾つも並び数人が黙々と何か書類に書き込んでいる。

 こんな大業がなされる日だって日常はいつもと同じ様に進み、通常の業務だって無くなったりせず、それをこなすのが下っ端文官の役目だ。

 部屋の中はドアの近くに既にパーテーションで一角仕切ってあり、そこへワゴンを入れると置かれていた椅子に腰掛けて待機し、さっきの続きを小声で話す。

 

「弟はいないけど、兄がいるの。わかりやすく溺愛されててウザくて仕方ない」

 

「えぇ!?溺愛されるのがウザイの?」

 

 そんな……私もよく周りから弟に対しての溺愛が酷いと言われる。弟を可愛がって何がいけないの?

 

「しつこいのよ、心配だとか危ないから止めろだとか」

 

 うんざりしたようにリゼットが言う。

 

「そんなことない、エドガールはいつもニコニコして私を受け入れてくれているもの」

 

 その言いように段々と腹が立ってきた時、パーテーションを覗く顔が見えた。

 

「いいか?そろそろ頼む」

 

 それはさっき大会議室でお茶を配っていた時に優しく受け取ってくれた魔術部のナンパ男……じゃなくて文官だった。

 

「はい、すぐに参ります」

 

 私とリゼットはワゴンを押し廊下へ出ると隣の大会議室へ入っていった。部屋の中はさっきよりも熱気がこもっていモワっと蒸し暑い感じだ。

 これは駄目だな。

 

「リゼット、準備をお願い。私は氷を取ってくる」

 

 そう言って直ぐに一階にある本邸の厨房へ向かった。ストローは本邸の厨房には無いだろうけど氷はある。

 二番階段を駆け下り廊下を進んで厨房内へ入る。

 

「すみません、氷を頂きたいのですが」

 

 本邸の厨房内の事はよく知らない。知り合いもいないし誰かに尋ねるしかない。

 

「誰だ?見かけないな」

 

 一人の見習いらしい若い男が皿を洗いながら面倒くさげに言う。

 

「魔術部から来ました。ウィンザー公爵閣下に氷を差し上げようと思いましいて」

 

 公爵の名を出したほうが早いだろうと思いそうすると早速バタバタと氷を用意してくれた。

 

「ありがとうございます」

 

 受け取って直ぐにまた廊下を進み階段を上がる。息が上がっていたが大会議室へ行くと準備をしてくれていたリゼットのもとへ行く。

 

「早かったわね」

 

 グラスの中へ氷を入れるとすぐにまたウィンザー公爵の正面にいるオーガスト様の所へ向かった。

 

「お待たせ致しました。今は大丈夫でしょうか?」

 

「あぁ、エレオノーラ、頼む」

 

 もうゴーサンス公爵の姿は無かった。前回同様一旦正面の魔法陣の所へ行き、グラスを少し持ち上げて知らせ、ゆっくりと気をつけながらウィンザー公爵の傍へ行った。

 

「閣下、エレオノーラです。冷たい水をお持ち致しました。先程と同じく清潔なストローです」

 

 そう言ってストローを指で支えつつグラスを持ち上げストローをくちびるの前に持っていくと今度はすぐに咥えてぐんぐん水を飲み干した。

 やっぱり相当暑かったんだ。

 最後にカランと氷が鳴りずずっと音を立て水が無くなった事がわかるとストローをそっと外しハンカチで口の雫を拭い顔の汗をふく。

 

「一度に沢山飲むのも良くないと思いますから今はこれで。今度はもう少し早目に伺います」

 

 そう言って傍を離れた。

 

「お疲れ様、今度は私が氷を取りに行くから」

 

 ワゴンの所に戻り部屋から出るとリゼットが労ってくれる。

 

「ありがとう、ねぇ、魔法陣見た?あんまり進んでないように見えたんだけど」

 

 前回は外側の細い線の上を光がなぞるように進んでいたが、一時間経った今もまだ線は四分の一も進んでいなかった。

 

「そうね、私もちょっとビックリした」

 

 二人でまた隣にある文官の部屋に入るとパーテーションの影に入った。そこには私達用に軽い昼食が置いてありそれを食べながらまた時間が来るまで待っていた。

 

 

 

 結局そこから夜迄に七回、水分補給や果物ジュースをウィンザー公爵へ飲ませた。

 途中でエドガールのことが気になったが官舎からの伝言を呆れたようなハリエットが届けてくれた。

 

「僕は大丈夫だからお仕事頑張ってって言ってたわよ」

 

「そんなあっさり……エドガールぅ〜!」

 

 ちょっと突き放されたような言葉に私は膝から崩れ落ちると寂しさに涙した。

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