第2話 賢者の召喚1

「あぁ、待ってたのよ。これ持ってついて来て」

 

 ハリエットは神経質そうに一本乱れた後れ毛を直しながら自らも身につけている上級メイドが着るお仕着せを私に渡すと隣の部屋へ続くドアを開けた。

 

「誰か、リゼット・カーター!あなたこの娘を頼むわ。名前は……」

 

 私の名前を確認してなかったのか忘れたのか、ハリエットが口を開けたまま動きを止めた。

 

「エレオノーラ・スタリオンです」

 

 私がすぐに自己紹介するとハリエットが動き始めた。

 

「ですって、エレオノーラ、この娘はリゼット。やることはこの娘に聞いて」

 

 それだけ言ってハリエットはまたさっきの部屋に戻って行った。

 

「ふふっ、ハリエットはせっかちなの。リゼットでいいわ、こっちで着替えて」

 

 人懐っこそうなリゼットが笑顔で私が使っていい棚の位置を教えてくれた。この部屋はメイド達の更衣室で狭い部屋の中に三段ある棚がずらりと並びそれぞれ与えられた小さな空間に荷物や着替えを置いていた。

 扉は無くカゴが一つ置いてあるだけで帰るときにはそれをひっくり返して伏せておくと帰宅したことをあらわしている。この使い方は下級の更衣室と同じだ。

 私の棚だと指定された所の隣のカゴが伏せたままだった。他のカゴは全て荷物が入っていたので恐らく倒れて休んでるメイドの棚だろう。今日は一斉動員のはずだから。

 

「着替えたら早速だけど行くわよ」

 

 今着ている下級メイド用のお仕着せを素早く脱ぐと与えられた上級メイドの服に着替える。黒のワンピースは似たような物だが生地が違う。手触りがよく着心地もいい。上級メイド用のフリルがついた白いエプロンをつけると下級メイド服にはついていない白い襟を整え出口で待っているリゼットのところへ行った。

 

「これで大丈夫ですか?」

 

 くるりと一回転して確認を取った。

 

「えぇ、完璧よ。行きましょう」

 

 階段からここまで来た廊下を引き返し、更に進んで一つ目の部屋へ入っていった。

 

「準備を怠らないでよ!叱られるのは私なんだから」

 

 ハリエットがイライラとしながら部屋の中に待機しているメイド達に小言を並べている。

 ここはお茶や菓子を用意するための準備室でメイドの待機室でもある。部屋の中には既に沢山のワゴンに準備されティーカップセットや菓子が並べられていた。

 

「ハリエット、まだ行かなくて良いんでしょう?」

 

 一人のメイドがうるさいなぁって感じで近くにあったイスに座りながらだらけていた。

 

「呼ばれたらすぐに行かなきゃいけないのよ」

 

「わかってますよ」

 

 他のメイド達もヒソヒソと小声で話し、仕事前の緊張感は全く無い。

 

 リゼットが私を部屋の隅に連れて行く。

 

「今日何があるか知ってるわよね?」

 

 上級メイドのリゼットが下級から緊急で来た私に大丈夫かなって感じで聞いてきた。

 

「はい、知ってます。召喚の日ですよね」

 

「そうなの、わかってるなら良いんだけど。今は召喚に入る前の確認の会議をしているから邪魔しないようにここで待機。終わったら会場へ移動してそこで召喚の儀式を始めるらしいの。儀式が終わったらお茶をお出しするのよ」

 

 今日のあらましを説明してくれるリゼットに、ここ五階の部屋の配置を尋ねた。

 コの字に建てられた本邸の東に位置するこの場所は、廊下が建物の外側に面していて片側に窓があり城の外縁を見渡せる。

 私が使ったさっきの階段を二番階段といってここで働くメイドや使用人専用だ。二番階段からオーガスト様が向かった方へ行くと五階で働く高官やその関係者達が使う一番階段があり、階段を挟んで向こう側に彼らの執務室や応接室、会議室が並んでいる。

 そこの廊下をどんどん進んだ突き当りに今回召喚魔術が行われる大会議室がある。

 

 この五階は魔術部門が入っている階で、今日はそこの長でキンデルシャーナ国最強の大魔術師グウェイン・ウィンザー公爵が伝説の召喚魔術を決行する日だ。

 

 キンデルシャーナ国は大陸最大の国土を誇る王国で、周辺の小国や多種多様な民族が統治する連合国からも一目置かれる大国だ。

 国が大きいだけに周辺国からの期待も大きい。小競り合いの仲裁や貿易の依頼、災害による復興支援など要請は色々あるがこの召喚魔術もその一つと言えるだろう。

 

 大陸全土には太古から多様な魔物が棲息し人々を脅かしている。

 魔物は通常時、数体から数十体で行動し人々に襲いかかる。そのためそれぞれの国では襲撃に備え折々の討伐や囲壁で都市や人々を守っている。

 

「まさかあの昔話が本当の事だったなんてね……」

 

 リゼットが困ったなぁって感じでため息をつく。

 

「そうですね、まぁ昔過ぎて伝説化してるお話は結構ありますからね」

 

 子供達が寝物語に聞く、昔から有名なお話で本当の事だとは誰も思っていなかった事実。

 大陸には古くから伝説が多数存在するがその最たるものが黒霧こくむによりもたらされる『魔物大襲撃』だ。

 

 物語の始まりはこうだ。

 

 ある日、なんの変哲もない洞窟から黒い霧が生まれた。それは黒霧こくむと呼ばれ次第に森の中へ広がっていった。

 黒霧が広がった森には魔物が多く発生し、その勢力を増していく。

 黒霧が広がった地域の空は暗雲立ち込め日が差さず作物が枯れやまい蔓延まんえんし魔物の襲撃もあり国が滅亡する。

 人々が恐れ逃げ惑っていたその時、一人の大魔術師が神の住まう国から一人の賢者を呼び寄せた。賢者には聖なる力が備わっておりその力を使って人々に希望を与え、黒霧から国を救い聖人として祀られました、おしまい。

 

 

「だけど、魔物が大量に発生すること自体これまで十数年に一度はあったことじゃない?」

 

「そうですよね、今までの事と何が違うんでしょうか?」

 

 大陸にはどこの国でも多かれ少なかれ魔物がいる。毎年恒例のように襲われる国もあるから、それに対する備えも当然整えられているはずだ。

 

「聞いた話じゃ、山むこうの小国からの要請だって。

 ねぇ、敬語はやめてよ。同じ位の年でしょ?」

 

 リゼットが懐っこい笑顔でそういった。

 

「いいの?じゃあ遠慮なく。リゼットはここに何年いるの?私は来たばかりで」

 

「上級試験に受かってまだ一年よ。それまで下級で二年やってた。エレオノーラは所作がキレイだものね、ホントは上級なんでしょ?」

 

「ここでの試験はまだなの。前のとこでは上級だったけど、ここの上級は泊まり勤務が多いでしょう?弟が一人になっちゃうからしばらくは下級で頑張るつもり」

 

 そう、私には最愛の弟がいる。

 

 エドガール・スタリオン!!なんて愛おしい響きなんでしょう……

 

 亡き母に似て美しい金の柔らかい髪、愛らしい翠の瞳に輝く笑顔、「姉さん」と優しく呼ぶ声は一日の疲れを洗い流し明日への活力へと変換される。

 

「小さい弟さんがいるの?それじゃあ、泊まりは無理ね。いくつなの?」

 

 リゼットが可愛い弟の年を聞いてくる。

 

「十五才よ」

 

「え、五才?」

 

「いいえ、十五才よ。もうすぐ十六才、三才違いなの」

 

 今朝は一斉動員のためにいつもより早起きして顔を見れなかった。エドガールには昨日の夜から一人で朝食を取るようにと言い聞かせたけど、ちゃんと食べたかしら?

 

「そうなんだ……」

 

 何故かリゼットがなんとも言えない顔で私を見ていた。

 

 

 

「動きがあったわ、行くわよ」

 

 ハリエットがドアを開けて私達に仕事に向かうように言った。

 廊下に出ると遠くに貴族服をきた男達がゾロゾロと突き当りの大会議室へ向かう後ろ姿が見えた。

 今までは小会議室で簡単な打ち合わせをして、これからが本番のようだ。どれも似たような姿に誰が誰やらわからないが、一つ飛び抜けて背が高い白髪まじりの後ろ頭が見えた。

 

「あれ、オーガスト様かしら?」

 

 ここに知り合いは他にいない。唯一さっき話した彼を思わず見つけてしまった。そばにいたリゼットがちょっと驚いている。

 

「まぁ、クルス伯爵の知り合い?あの方大魔術師グウェイン・ウィンザー公爵の秘書官だから今日は大変でしょうね」

 

 ゲッ!そうだったの!?そりゃストレス過多だわ。

 

 大魔術師グウェイン・ウィンザー公爵は今日、召喚魔術を行う重責を担うその人だ。その人の秘書官だって勿論大変だ。さっき話した感じではそれほどの緊張感は感じ無かったが、もう開き直っていたのか、かなり出来る人なのか、両方か。

 

 集団が大会議室へ移動したのを確認し、今まで使っていた小会議室の片付けをするために静かに移動する。

 小会議室の中は机やイスがぐちゃぐちゃと乱雑に広がり、狭いスペースに詰め込まれ居心地が悪かった事をあらわしているようだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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