第30話 おまけ話2(第3話、第4話の別サイド)
1
高橋は、機嫌が悪かった。
この日、彼女は姉川からの突然の連絡を受け、休日出勤をさせられたのだ。
しかも、その理由が『霧ヶ峰が部屋の鍵をなくした』から。
結局、アパートのエントランスに鍵は落ちており、それを霧ヶ峰に渡した事態は収拾した。これだけのために休日出勤をさせられたのかと思うと、バカバカしくて仕方がない。自宅に直帰しようかとも思ったが、根がまじめな彼女は、一応報告のために研究所まで来ていた。
研究所まで足を運んだ高橋は、まず姉川を訪ねた。
一応、姉川は高橋にとって上司に当たる。
尊敬などは一切していないが、仕事上の報連相は確実に行うようにしているのだ。
「姉川さん。鍵の件は解決しました。というか、エントランス部分に落ちていました」
「ああ、高橋女史。悪かったね」
「……仕事ですから。有給取っていましたけど。久しぶりに有給取ってゆっくりしていたところでしたけど」
「うん、本当にごめん。でも、ちょうど来てくれたから、君と話しておきたいことがあるんだ。ちょうど今は、この部屋に私たち二人しかいないし」
「……極秘の話ですか?」
「そうだ」
姉川は真剣な表情で答えた。
超能力については、未知の部分が多い。
というよりも、分かっている部分が極めて少ない。
それゆえ、外部には公表できないような事態が発生することがある。
そういったものは、極秘裏に処理されることになる。
高橋は、他に人がいないことを目視で確認し、頷く。
すると姉川は、低く慎重な声音で告げた。
「高橋女史。これは超能力研究に関連して発生した新たな疑問点についての話だ。だから、真剣に聞いて欲しい」
「……はい」
「まず、君に聞きたいんだが――」
「はい」
「『腹』ってエロいと思うかい?」
「……同性間でもセクハラは成立すると思います」
高橋は、姉川をゴミでも見るかのような目で見た。
休日出勤をさせられた上に、語る内容は『腹』のエロさについて。
人を馬鹿にするにもほどがある。
だが、姉川は真剣だった。無駄に真剣だった。
彼女は、霧ヶ峰から聞いた話――白雪が行った『腹』という部位が持つエロスについての論証内容をかいつまんで説明した。
「成程、経緯はともかくとして、白雪少年は、なかなかいい着眼点を持っていますね。文化人類学的観点とでもいうのでしょうか」
「私が育てた!」
「いえ、普通にご両親が育てているでしょうに」
「それで、高橋女史の見解は?」
「主観が多いにかかわってくる問題ですから、一概には言えないと思います。ただ、腹に性的魅力を感じるというのは不自然ではないと思います」
「理由は?」
「そもそも、性的魅力とは何かということです。男性が女性を性的な目で見るというのは、対象の女性が自分との間に子供をもうけた場合、その子が健康に生まれ育つ見込みを判断するための要素となる部分を見る事であると考えます。人間といえども生物であり、生物としての目的は自らの遺伝子を後の世代に伝えていくことですからね」
「ふむ、生物学的に考えるというわけだね」
「はい。自らの遺伝子を後の世代に伝えるためには、子を産んでくれる相手が妊娠、出産、授乳に耐えられる身体を持っている必要があります。ゆえに、性的魅力というのは、ひとえに『その肉体がいかに健康であるか』ということにほかならないのではないでしょうか? やせすぎてはいけませんし、太り過ぎていてもいけません。そして、健康と言えるためには、身体に適度な脂肪がついていることも必要です。その脂肪を蓄えるべき個所としては、移動に支障の出る腕や足は不適格。そのため、胸や尻に脂肪がつくのであり、男性はそこに性的魅力を感じるのだと思います。それで、腹ですが、脂肪をつけるべき個所として不適切ではないと思います。体の中心に近い部分ですし。ですから、腹についても性的魅力の対象となると考えます」
「なるほどねぇ。でも、現在は様々な子育てのために粉ミルクとかあるでしょ? 体格的に恵まれていなくても子供を育てることは可能になったはずだけど、それでも変わらないかな?」
「そういうのが出来たのは、ここ百年程度の話でしょう? 人間の身体はそう簡単に進化したりはしません。生物学的に考えて、時代の変化なんて何の意味もないんですよ」
「ふむ……」
姉川は、おもむろに自らの身体に触れた。
腹をつんつんとつつく。そこには、確かな弾力があった。
「つまり、私の体は性的魅力があるということだね」
「それが『適度』であればの話ですけど」
「適度の定義について――」
「主観によるでしょうね」
2
その日の夜、研究所の一室で二人は鉢合わせた。
ここは資料室。
かつては無数の資料が雑におかれていた。
だが、高橋が入所してからちまちまデータ化を進めたことで、古い書類は段ボール詰めされ、離れた場所にある倉庫に移動させることになった。そして出来た空きスペース。ここに運動が趣味だという職員が持ち込んだ各種運動機器が置かれた。
そのことに研究所職員が気付いたのは、持ち込んだ職員が寿退職してから二年後のことであった。資料の置いていない資料室など、見向きもされなかったのだ。
「奇遇だね」
「奇遇ですね、姉川さん。ところで、この資料室にどのような御用ですか?」
「ちょっと最近運動不足気味だからね。軽く汗を流そうと思っただけだよ」
「そうですか。私もそんなところです」
二人とも、きっかけは『腹』についての会話だった。
だが、あえてそれに触れはしない。触れたところで、互いに傷つくだけなのだから。
「そうかい。それじゃあ、ともに汗を流そうではないか」
「はい」
二人は、とりあえずフィットネスバイクに乗った。
ひたすらこぎ続けるというものだ。二人は同時にこぎ始める。
正直、高橋は部屋に戻りたくて仕方がなかった。姉川のことは尊敬するが、苦手な人でもあった。今度来るときは時間をずらそう。そう考えていたら、姉川がこぐのを止めた。見てみると、顔が真っ赤になっており、息も荒い。
「姉川さん、大丈夫ですか!?」
「無理……」
姉川はバイクから降りると、近くのソファーに倒れこんだ。
高橋もそれを追いかける。
「これ無理。一分もこいでられない」
「姉川さんのやつ、一番楽な設定になってますよ?」
「それでも無理なんだよぉ。体力をつけるための体力がない~」
「そうですか……。それじゃあ、私は運動を続けますけど、救急車が必要になったら言ってくださいね」
「部下が冷たい!」
「勤務時間外ですし。むしろ救急車を呼んで差し上げるだけ親切なのでは?」
「人としての優しさ! これ大事だよ!」
「そうですね。ほしいですね、人としての優しさを持った上司。あと、常識を持った上司」
「辛らつ過ぎない!?」
「勤務時間外ですから」
そういって、高橋はフィットネスバイクに戻った。
結局その日、姉川はそれ以上の運動をすることはなかった。運動を終えた高橋が帰り際に一言かけてくれたが、姉川は「大丈夫だよ~、お疲れ~」と言っただけで、ソファーから動こうともしなかった。それどころか、そのまま資料室で眠ってしまい、翌朝には風邪をひいていた。
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