五話 日常から……
「どうして私って地人から見えないんですか?」
朝日が斜め四十五度くらいの位置……午前九時くらいだろうか。この家には時計がないため詳しい時間はわからない。そんな朝と昼の境にナナは香花に問う。
香花はせっせと遅めの朝食を準備しながらも回答した。
「ナナに渡したコート、あれには地人達と同じにおいが付着してるの」
「におい……ですか」
確かに少し独特なにおいは感じたが、強烈というほどではない。
「地人にもね、目立った特徴がないやつだっているのよ。背中に小さい翼が生えてたりね。だから地人の習性なのかしら、大体はにおいで判別するの。あのコートはそれにちょっと細工をして、注目を逸らすように施されているの」
「へー」と納得するナナ。細工の詳細などは知り得なかったが、ほんわかと分かっているような素振りをした。
香花の調理はまだ続いていた。フライパンには色鮮やかな野菜、その上から醤油、塩、最後に……七味唐辛子? っぽいものを次々と入れた。
あくまでこれらはナナが見て多分、これだろうという憶測だ。本当にあれが醤油で塩だったのかは分からない。
ただ、それらを炒めて出た匂い。香ばしく食欲を唆る匂いでおいしさは保証されていた。
ナナはというとさっきまで部屋の掃除を香花に頼まれて、あちこちをタオルで拭いたりはしたが、さほど時間がかかるものではなく、すぐに片付いてしまった。
他に手伝うことはないか、聞いたが「大丈夫よ、あんたはお茶でも飲んでて」と、窓の外を眺めながらお茶を飲むしかなかった。
それにしても、この部屋は昭和を感じさせる。人が便利と思えるような現代的なものは何一つないが、その雰囲気に落ち着いてしまう。
自分の過去を思い出そうとする事も忘れ、完全にその懐かしさに溶け込んでいた。
「料理は得意なんですか?」
「まあ、自分でやらなきゃいけないからね。得意、不得意で言ったら、得意な方なんじゃないかしら」
「それは楽しみです」
「ふふ、ありがと」
褒めたつもりではいたが、きっと香花の表情は変わりなく固いままだろう。でも、理由はないが、嬉しそうにしているのが、直感で伝わった。
まだ知らない事だらけだけど、ここの暮らしも……悪くないかもな。
そう思った矢先だった。
コンコン。
誰かが玄関のドアをノックした。
その音にナナの背筋は凍りついた。
誰……? もしかすると地人? まさか……でも、ここら辺の人だろうし……私、ここに居て大丈夫なの? 香花さんが呼んだ……とか。
考えれば考えるほど、思考は悪い方へと向かっていた。
「大丈夫よ、ただの客でしょう」
香花はナナの肩に手を置き、耳元で優しく囁いた。気付かぬ間に、ガスを止め、ナナの近くにいたのだ。
その行動に意識がいっていなかった程、ナナは硬直していたのだ。
コンコン。
追い討ちをかけるように二度目のノック。心なしか、先ほどよりも早い。
「今出るわ」
膝を着いた体勢から立ち上がろうとする香花。その袖を不意にもナナは掴んでしまった。行ってはダメ。言葉よりも先に手が出た。
「安心しなさい。悪い客はここには来ないわ」
小声でそう言い、ナナの頭を軽く撫でた。
不思議と力が抜け、ナナは香花の袖を離した。
……嫌だ……行ったらダメ。
否定的な言葉が頭に浮かんでくるもののそれを口にしない。いや、できない。座った状態から立つ事も今はままならない気がする。
微力な抗いとして、座り込んだ体勢からズルズルと尻を引きずりながら、窓際に来るのがやっとだった。
いざとなったら、窓から逃げるしかない。そんな決意もしていた。
そうしているうちに、香花は玄関のドアを開けていた。
香花の家を訪ねてきたのは、これまた背が同じ程の女だった。
「喰らえぇぇ!」
その掛け声とともに、女は急に香花を目掛けて一直線に拳を撃った。
その拳を香花はいとも簡単にかわし、「なんだ、四八目(しやめ)だったのね」と右手で頬を殴った。
「べぶじっ!」
女の子が出してはいけないような声を出し、四八目と呼ばれた少女はそのまま、壁に顔面を強打した。「う、ぅぅ……」と声を漏らしながら、顔をくしゃくしゃにしてその場に倒れた。
「いい加減、あんたのその遊び、飽きちゃったわ」
四八目へ近づき、膝を曲げ、表情が見えるようにため息をついた。
「な、なんの……これしき……」
四八目は顔を上げ、掠れた声で得意げに言った。
「こちらはフェイント……本命はこの後だぜ……ガクッ」
そう言い残すと、四八目はバタッ……とまた顔を地に伏せた。
「……どういう意味かしら?」
その捨て台詞に対して、香花は思考を巡らせようとした時、後方からまた甲高い声がした。
「突撃ぃぃ!」
その声に香花は「そういうことね」と素早く反応した。
「”分身”を作っておいてたのね、四八目」
すぐさま振り向き、対応しようとしたが、もう遅かった。鍵がかかっていなかった窓から何者かが乱入。そいつとナナは顔を見合わせた。
「ぎゃあああああ!」
「あああああ! 誰だオメェェ!」
お互い、想定外の展開にナナは口から泡を吹いて気絶。そいつは窓の上から体勢を崩し、頭から地面に落ちた。
「べぶじっ!」
敢えなく気を失った。その直後に、玄関に倒れていた四八目が「いっっってぇぇぇ!」と後頭部分を抑えながら、のたうち回った。
「いってぇぇぇ! あのヤロォ、しくじりやがったなぁぁ! ちっくしょぉぉぉ!」
その光景に香花は「はぁ……」とまたため息を溢して「バカばっかりね……」と残した。
数分後、四八目は頬にあざを残し、頭にたんこぶが出来ながらも、立ち直った。そして、外で気絶しているそいつを救出した。そいつの姿は四八目そっくり……というよりも四八目そのものだった。
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