ふたつのくに、ふたつのことば



 結果として、母は妻となって再来日した。夜の店に勤めていた為、偽装結婚を疑われ許可が下りるまで複雑な手続きと時間を要したが、父の粘り勝ちでめでたく婚姻でき、そのうち母も情が移ったのだろう、ぽんぽんと四人の子どもを授かった。


 入籍して一年後にアユ、二歳下で健、それから三年後にミナ、年子で尚。


 マイカの母国は戦争に翻弄された国で占領した兵士たちとかなり複雑な形でまじりあっていた。


 そのため、長女のアユは飛びぬけて日本人離れした容姿に生まれた。

 長男の健もアユほどではなくともいわゆるアイドル顔。

 それに比べ後の二人は柚木家の遺伝子が覚醒したのか至って日本人らしく地味な顔立ちだった。


 しかし全員仲良く逞しく、言葉が話せるくらいになると家業の即戦力となって田畑や山を走り回った。



 ただ最初からずっと順風満帆というわけではない。


 まず問題は何と言っても嫁姑の齟齬と言葉の壁だ。


 夜の店で使う程度の日本語しか知らないマイカと、彼女の母国語がさっぱりわからない姑。日常会話すら困難を極めた。


 早くに夫を亡くし一人息子を育て上げ義両親を看取った祖母は勝ち気で、気性も言葉も荒い。そして眼光鋭く強面。常に怒っているように見える彼女に意見するなど、とてもできるはずがなかった。



 そしてとうとう事が起きた。


 マイカが嫁いで十年過ぎた年末に末っ子の尚が珍しく熱を出した。

 様子がおかしいとマイカが訴えたが祖母は幼児にはよくあることと取り合わなかった。

 何度も何度も『病院』と言ったのに、寝かせておけの一点張り。

 父もこれに同調してしまい、マイカは孤立した。


 そうして大晦日の夜。


 尚は高熱でひきつけを起こし、意識を失った。


 柚木家は棚田の上に残る一軒家。

 助けを求められる近隣住民などおらず、最寄りの親戚と父は下の集落の行事に駆り出されて不在。消防団も年越しの酒盛り中だろう。


 祖母はアユたちを留守番させ、マイカと尚だけを軽トラに乗せて山道を駆け抜けた。

 そしてたどり着いた街の病院で尚は一命をとりとめた。


 この時初めて、引っ込み思案のマイカが烈火のごとく怒った。

 病院で祖母と駆け付けた父を自国語で罵倒し、家に帰ってからも続いた。

 普段はおとなしくて控えめな母が堰を切ったようにわけのわからない言葉で泣きながら叫ぶのを、家族全員、どうしたらよいかわからなかった。

 気持ちの持っていきようのないマイカがとうとう荷物をまとめだしパスポートを突っ込んだ時に、慌てて父が止めに入る。

 二人とも違う言葉で訴え合うが肝心なことは伝わらない。もどかしさと悔しさと苛立たしたが家の中を吹き荒れる。


 そんなさなか、たどたどしい声が割って入った。


「どんと、くらい、どんと、ごう、まま。ぷりーず」


 大人たちが次男の健だった。


「あい、うぃる…すたでぃ、いんぐりっしゅ、ふぉー、まま」


 宙を見つめ、考え考え健は英語を紡ぎ、ふううーと息をついた。


「ばあちゃんと父ちゃんは母ちゃんの言葉わかんない。母ちゃんは日本語ちょっとにがて。なら、おれが英語で母ちゃんと話す」


 健は、前から考えていたらしい。


 マイカの国の言葉を習うのはこの田舎では無理だが、英語が第二母国語のようなものだと聞いたことがあった。


 そして小学校の近くの教会に時々現れる若い外国人たちが英語を話していることに気付き、少し教えてもらっていたのだという。


「いっぱい話そう、母ちゃん」


 マイカは健を抱きしめ、声を上げて泣いた。


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