1-10 アレク、ろくでもない魔族と出会う

「この状況でそれをいうとはほんと面白いな」


 楽しげな声に男の子――アレクは目を覚ました。いつの間に眠っていたのかも分からず、ぼんやりした頭で周囲を見渡す。隣には妹のアネットが穏やかな寝息を立てていて、二人には毛布がかけられていた。布地が厚く温かい。手触りの良さからしても上質なものだ。

 こんなの両親が生きていた頃も触ったことがないとアレクは意味も無く布をなでた。それからハッとする。

 ここはどこだ。


 慌てて体を起こし、周囲を見渡す。どうやら自分とアネットはソファに寝かされていたらしい。あまり広い家ではないがアレクが生まれた家よりも裕福であることはうかがえる。

 寝かされていたソファも年代物だが造りがしっかりしていて、調度品も使い込まれた様子が見て取れる。


 初めて見る部屋の様子にアレクはアネットを守るように抱きしめた。眠りが深いらしいアネットはむずがるような声を上げる。両親が死んでから初めて見る穏やかな寝顔にアレクは悩んだが、アネットを起こすことにした。


「おぉ、起きたか。思ったよりも熟睡していたな。意外と図太いのか? 結構、結構」


 アネットを揺り起こそうとしたところで、先ほど聞こえた声がもう一度響いた。アレクは恐る恐る声のした方を見て、悲鳴を上げる。


「ま、魔族!!」


 一人用の椅子に悠々と腰掛け、こちらを楽しげに見つめているのは頭に大きな角を二本生やした青年だった。その耳は長く、伝承に聞く魔族の特徴と一致している。唯一肌の色だけは伝承と違った。伝承では魔族は青い肌をしていると言っていたが、青年は健康的な人間の肌の色をしている。

 それでも魔族であることは間違いない。頭に角が生えた人間などアレクは見たことがなかった。

 

 アレクは慌てて魔族から隠すようにアネットの体を抱きしめた。

 魔族は十代の少女を魔女にするのだ。


「アネットは魔女になんかさせない!!」

「ふむ。このチェルカドル様に楯突くとは度胸がある。俺を見るなり親子供を見捨てて逃げる奴は多いんだが。面白い! 貴様は俺の面白人間図鑑に載せてやろう」


 そういってチェルカドルと名乗った魔族は声を上げて笑った。大きく開いた口から見えたのは人間よりも鋭利な歯。あれに噛みつかれたらひとたまりもなさそうだが、言っていることがなんだかおかしい。


「面白人間……?」

「チェルカドル様は面白い人間が大好き。気に入った人間には気まぐれにまーまー良くしてくれる。良かったわね」

 

 背後から聞こえた知らない声にアレクは飛び上がった。気づけばソファのすぐ後ろに少女が立っている。ローブを着込んだ黒髪の少女。人形のように整った顔立ちと少女にしては老成した雰囲気を見てアレクはつぶやいた。


「魔女?」

「えぇ。私は魔女。チェルカドル様に心臓を捧げて契約し、人間には運命の魔女と呼ばれている」


 そういうと運命の魔女はローブの片側を持ち上げ、優雅に腰を折った。貴族のパーティーにでも招待されていそうな洗練された立ち振る舞いにアレクは釘付けになる。

 アネットが身じろぎしたことで正気に戻り、慌ててアネットの体を抱え直す。


「な、なんで魔族と魔女がここに」

「お前らの方が後から来たんだぞ。ここは■■■、いや、お前らの言うところの白銀の魔女の隠れ家だ」


 白銀の魔女という名を聞いて、アレクは自分たちを助けてくれた銀髪の魔女のことを思い出した。たしかに自分の隠れ家に転移させるから家の物は好きに使っていいと言っていた。


「お姉さんは!?」


 見知らぬ場所にいる理由を思い出し、アレクは慌てた。むしろなんで忘れていたのか分からない。

 白銀の魔女は自分たちを助けるために怪我をし、今も魔女狩りから逃げているはずだ。魔女は恐ろしいものだと言われてきたが、白銀の魔女が悪い魔女だとは思えなかった。そんな魔女が自分たちのせいで殺されるなんて考えただけでも体が震える。


「今、川辺に流れ着いたな」


 慌てるアレクに対してチェルカドルはのんきなものだった。アレクから視線を外して、正面に置かれた大きな鏡に視線を向ける。鏡には川辺に倒れた銀髪の少女の姿が映り込んでいた。

 それはどう見てもこの部屋ではなく、知らない何処かの景色だ。


「これは?」

「白銀の魔女の状況を映した鏡。今回のために用意したとっておきの魔導具」

「みたいと思ったものを離れた場所からも見ることが出来るという優れものだ! こんな面白い物があるならもっと早く出せ。なぜ黙っていた」

「それなりに魔力を使うので、気軽に使われては困るのです。チェルカドル様の魔力は私たちが蓄えた魔力ですよ」


 運命の魔女の言葉にチェルカドルは少し考えるそぶりを見せてから笑顔を見せた。


「それに何の問題が? お前らは魔力をチェルカドル様に献上するために生きている。献上された魔力を俺が楽しむために使って何が悪い」


 運命の魔女が「ダメだコイツ」という顔でチェルカドルを見返した。アレクも「クズ男の発想だ」と震えながらアネットを抱きしめた。


「魔族って、皆こんなクズなの……」

 チェルカドルが「クズとは失敬な」といいながら笑う。全く堪えた様子はない。


「あれでもまだマシ」

「マシ……」


 アレクはアネットを抱きしめる腕に力を入れた。これでマシというのなら他の魔族はどれほど酷いのか。こんなものとアネットは契約させられてしまうのかと不安がどんどん大きくなる。


「安心しろ。お前の妹は魔女にはならない。魔女になるには絶望が足りない」

「絶望……?」


 アレクの胸の中ですやすやと眠るアネットを見下ろした。両親が死んで、家を追い出されて、食べ物を盗みながらどうにか食いつないできた。幸せとは言えない。それでもアネットがいたからアレクは自暴自棄にならずにすんだが、アネットも同じなのだろうか。


「魔族との契約は一方的。魔族に命を捧げ、命令には逆らえない。魔族が死ねといったら死ぬし、契約した魔族が死んだ場合も一緒に死ぬ。それだけの契約を結ぶには自我が邪魔をする」

「他人に自分の全てを投げ出しても構わないという投げやりな精神状態じゃないと契約が成立しないということだ」


 運命の魔女の言葉をチェルカドルが受け継ぐ。そう説明しながらテーブルの上に置かれたりんごを無造作にとって食べる姿は自由であり、この場にいる誰にも対した興味も敬意もないのが分かった。


「お前の妹はチェルカドル様と契約出来るほど投げやりになっていない。おそらくはお前が一緒にいるからだろう。強い魔女になりそうだが、契約できないものは仕方ない」

「アネットは魔女にはならない?」

「今のところはな」


 チェルカドルはアレクよりもりんごに夢中な様子だったがそれでも良かった。妹が魔女にならない。それだけでアレクにとっては救いだ。


「といっても、それは俺の場合だ。俺は手間暇かけるのが面倒だからわざわざ絶望させたりはしないが、他の魔族は違う。魔女の素質がある少女を見つけるとわざと追い込んで絶望させ、魔女に仕立て上げる奴もいる」


 食べ終わったりんごの芯をプラプラと揺らしながらチェルカドルは楽しげにアレクを見た。


「お前の妹ならば、自分を助けてくれる兄が死んだらさぞ絶望するだろう。魔女にするならそれで十分だ」

「まってくれ! アネットに手を出さないでくれ!」


 アネットを抱きしめてアレクは必死に頼む。自分はどうなってもいいが、アネットが魔女にならないためには自分が生き残らなければいけない。しかし、自分も妹も助けてくれと都合の良い事を言って目の前の魔族が許してくれるとは思えなかった。

 アレクの必死の懇願を聞いたチェルカドルはつまらなそうな顔をする。それから無意味に揺らしていたりんごの芯をぽいっと投げ捨てた。

 行儀の悪い子供みたいな態度を叱るものはいない。当然だ。目の前にいるのは魔族で、契約した魔女も、ただの人間であるアレクも太刀打ちできるはずがない。


「いっただろ。俺はそういうのは興味ないと。人間はただ見てるだけで面白いんだ。わざわざ手を加える必要はない。そもそも俺が手をくださなくても、世の中絶望するようなことはいっぱいある。俺はそうだな……」


 チェルカドルはそこで言葉を区切ると口角を上げ、アレクをじっと見つめた。


「そこの妹が絶望するかどうかよりも、お前がいつまで魔力持ちの妹をかばいきれるかの方が興味がある。家族だからって綺麗事言ってた奴らも最後は見捨てる。絶望した魔力持ちの女は魔女になって、手始めに家族を殺すがお決まりのパターンだ」


 椅子から立ち上がったチェルカドルはアレクの前まで悠々と歩いてきた。距離が近づくにつれて体の震えが大きくなる。なにかされたわけじゃないのに、すぐ近くにいるだけで恐怖が体を支配する。逃げ出したい。ここに居たくない。だが、逃げるには抱えているものが……。

 そう思ったところでアレクは自分の考えにゾッとして、慌てて頭を左右に振った。


「俺がアネットを見捨てるなんてありえない!!」

 アネットを力いっぱい抱きしめてチェルカドルを睨みつける。アレクの反応を見たチェルカドルは心底楽しそうに笑った。


「そうか、そうか。本当にお前は面白いな。お前を送り込んでくれた白銀には感謝しないとなあ。よしなにか面白いものを送ろう! と思ったが、そもそも白銀、生きてるか?」


 両腕を組み、一人で楽しげに笑ったあとチェルカドルは急に振り返って鏡を見た。

 自由にもほどがある。行動の予測がまったくつかないし、何を考えているのかも分からない。先程までの緊張感は何だったのかとアレクは脱力した。


「少年が白銀を見つけました。連れて帰るみたいですね」


 いつのまにか鏡の前に移動していた運命の魔女が鏡を覗きこみながら淡々と告げる。じっと鏡を見つめる姿はどこかホッとしたように見えた。


「おー! 第一関門突破か! 確率一割を引き当てるとはさすが白銀! ここまで生き残ってきた魔女だけあるな! あっぱれ、あっぱれ!」


 チェルカドルはウキウキした様子で椅子に戻ると食い入るように鏡を見つめた。アレクも自分を助けてくれた魔女の行く末が気になって鏡を見つめる。

 鏡に映る銀髪の少女はアレクが出会った女性に比べるとずいぶん幼いが、魔女であれば姿形を変えるなど造作もないのだろう。それよりも鏡越しでも分かる青ざめた顔とシャツに滲んだ血が気になって仕方ない。


「白銀の魔女は助かるんですか」

「目覚めるまでは大丈夫。目覚めてからは白銀次第だけど」


 運命の魔女の淡々とした言葉にアレクは青ざめた。それほどまでに怪我が酷いということだろうか。


「体に関しては大丈夫だ。なにしろ行き先はシルフォード家の屋敷。治癒魔法くらい造作もないだろう」

「よかった。シルフォード様のお屋敷なら大丈夫……」


 ほっとしたところでアレクは固まった。鏡の中では白銀の魔女と外見年齢は同じくらいの少年が魔女を担いで歩いている。よろよろとした足取りは少々不安だが、川辺で放置されるよりは生き残る可能性はあがる。

 あがるはずなのだが……。


「シルフォード様のお屋敷に向かってるんですか?」

「あの少年はシルフォード家に仕えている使用人らしいからな」


 チェルカドルは楽しげに笑った。これから楽しいことが待っていると信じて疑わない顔である。


「……あの銀髪の子って俺を救ってくれた魔女ですよね?」

「白銀の魔女で間違いない。魔力切れで人間の頃の姿に戻ってるけど」

「シルフォード家って魔女狩り一族ですよ!?」


 アレクの叫びに運命はかすかに顔をしかめ、チェルカドルは心底愉快そうに口角をあげた。


「だから楽しくなるんだろう」


 自分と契約した魔女が窮地に陥る様を浮かれた様子で見守る魔族を見てアレクはアネットの体を抱きしめた。力を入れすぎたせいかアネットが不満げにうなる。それでもアレクはアネットから手を離すことができなかった。


 恐ろしいと言われている魔女には良い魔女もいると知った。しかし魔族は噂通り、いや噂以上のろくでなしだ。

 




「第一話 白銀の魔女、いきなり絶体絶命」 終

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