第三章:吸血事件

第10話 吸血事件とは


「シオンちゃん、新聞読んだ?」


 朝、いつものようにシオンが教会前の掃き掃除をしているとサンゴとカルビィンがやってきた。彼女は挨拶をするや否や、そう問うのでシオンはなんかあったっけと新聞の記事を思い出す。確か、吸血事件というのが見出しのトップだったはずだ。



「吸血事件のこと?」

「そう、吸血事件!」



 事件の概要はこうだ。中心街から外れた路地で若い女性が襲われた。争った形跡があり、同意のあった行為でないことは明白で、被害女性の精神的ショックは強かったらしく療養を余儀なくされている。被害者以外の目撃者はなく、犯行は後ろから襲われたこと以外は判明していない。


 記事の内容を思い出しながらシオンは「怖いね」と返すと、サンゴは「今回で三回目ですって!」と不安げだ。



「ガルディアが捜索してるらしいけど、まだ見つかってないのよねぇ……」

「女性の一人歩きは危険だよ」

「カルビィンの言う通りだなー。サンゴ、気を付けなよー」

「それを言うならシオンちゃんもでしょ!」



 他人事みたいに言わないのとサンゴに注意されて、それはそうだとシオンは「そうだね」と返すしかない。自分は人間界の人間なので特に警戒しなければいけないのだ。


 とはいえ、中心街へ一人で行くことは殆どない。買い物はリベルトやサンゴたちと行くようにしていて、強いていうならば孤児院から帰る時に少しの間だけ一人になるぐらいだ。大丈夫だと思う自分もいた。それが過信であるのに気づいてシオンは自分の危機感の無さに苦笑してしまう。



「それで今、忙しいのかなぁ」

「何、どうしたの?」

「いや、アデルさんから時間が取れないって伝達魔法が来た」



 シオンがアデルバートに血を提供するようになって暫く経つが、ここ七日ほどは彼に血を渡せていたなかった。アデルバートの仕事であるガルディアで抱えている事件のせいで時間が取れないようだ。


 血液のストックはもう底を尽きている頃だろうからシオンは心配だった。またシオンの血無しの人工血液や吸血種用の輸血を無理して飲んでいるかもしれない。



「それ、大丈夫なの?」

「大丈夫じゃない気がする」

「どうにか血を渡さないとね」



 ガルディアで働く以上は魔法を使うのだから、それができなければ意味がない。倒れる可能性もあるのでシオンはどうにか採血して血を渡したかった。



「でも、アデルさんの時間ができないとなぁ」

「そうよねぇ……。仕事場に行くわけにもいかないし」

「何とか時間ができるといいね」



 こればっかりはしょうがないのでシオンは不安に思いながらも、アデルバートが来るのを待つことにした。


   ***


「お前たちが集められた理由はわかるな?」


 金色の長い髪の男は厳しい眼差しをアデルバートに向けていた。きちんと整頓された書類棚に囲まれた室内には男しかおらず、デスクの前で彼はじっとアデルバートを見つめている。シオンの心配通り、アデルバートはこの吸血事件に手を焼いていた。


 アデルバートは上司であるエルフのフェリクスに呼び出された。理由はもちろん今、話題になっている吸血事件のことだ。ヴァンパイアが犯人であることをガルディアは掴んでおり、現在はこの地域に住むヴァンパイアを洗っているところである。


 ヴァンパイアである以上、ガルディア勤務であろうと容赦は無い。ヴァンパイアであるアデルバートとその同僚は事情聴取とまではいかないが尋問を受けていた。フェリクスはどんな階級であろうと全てのヴァンパイアに対して聞き取り調査を行っていると前置きをする。



「フェリクスさんよ、私らを疑ってるわけ?」



 フェリクスの「お前たちは何も知らないな」という問いに、アデルバートの隣にいた白金の短髪の男が不機嫌そうに整った顔を顰める。



「お前たち以外のヴァンパイアにも聞き取り調査を行っていると言っただろう、バッカス」



 バッカスと呼ばれた男はどうだかと口にしてじとりとフェリクスを見遣る。フェリクスはそれを気にも留めずアデルバートにも同じように問う。



「アデルがやるかよ、人間嫌いが……」

「俺には既に契約者が存在する」

「ほら……って、はぁ⁈」



 その言葉にバッカスは目を見開いて、フェリクスはほうと呟きながら興味深げにアデルバートを見詰めている。


 ヴァンパイアは契約者以外からの直接的な吸血はルールによって禁止されている。それを知らない者はこのガルディアには存在しない。



「なるほど。襲わずとも既に存在するからというわけか」

「そうなります」

「ちょっと、待て! お前いつ? 人間か、契約したの! お前が? うっそだろ!」



 信じられないとアデルバートを見るバッカスにフェリクスも確かになと気になるようではあった。何を考えているのかよく分からないそんなふうに言われているアデルバートは人間に対して冷たいとも言われている。本人は別に冷たくしているつもりはないのだが、そう見えているようでいつからか人間嫌いと影で囁かれていた。



「別に人間が嫌いというわけではない。興味がなかっただけだ」

「仕事中の人間への態度とかお前、淡々としすぎじゃない?」

「仕事は仕事だ」



 そう人間が嫌いというわけではなく、好きでも嫌いでもないと言った方が正しい。愛想笑いができないだけでこうも冷たいという印象を受けるらしい。「そんなんだからお前は怖いって言われるんだぞ」とバッカスに注意されるが気にもしていなかった。


(シオンはどう思っていたのだろうか……)


 そこでふと思う、シオンの前で自身はどう接していたのだろうかと。ただ、彼女は恐れもせず、悪い奴には見えないと言っていた。何をもってそう感じたのか、アデルバートは不思議に思っていた。



「本人と同意の上で契約を結んだのだな?」

「はい。親御さんにも説明済みです」

「まっじかーい」



 アデルバートは隠すことなくフェリクスにシオンのことを説明する。シオンが人間界の人間であることを言うかは迷ったものの、上司に隠すことはできないと判断して内密にしてもらう上で全てを話した。彼は経緯を聞くと「面白い人間もいたものだな」と笑う。



「それは……運がよかったのか、悪かったのか。しかし、その人間は注意しなければならないな」

「保護対象だからですか?」

「そうだ。ただ、教会側が保護しているのならば問題はないだろう」



 教会はガルディアほどではないにしろ力がある組織なので、そこで保護されているのならば問題ないとフェリクスは答える。



「さて、話を戻すが二人にもこの事件の調査に入ってもらう」

「さらに人員を割くということですね」



 あぁとフェリクスは腕を組む。吸血事件に割かれていた他の人員が普段行っていた業務を今までアデルバートとバッカスは代わりに担当していた。自分の分も合わさり仕事量はかなり増えてその結果、七日ほどシオンに会えていない。


 吸血事件に進展がないことでさらに人員を割くことが決定した。ヴァンパイアにはヴァンパイアをといったところか。



「本来なら、戦闘面で優秀なアデルとサポーターのバッカスは魔物対策に専念してほしいんだが、そうも言ってられない。新たな被害者が出てしまった以上はお前たちにもこっちの事件に回ってもらう」


「了解した」

「へーい」



 二人は魔物対策課のほうに所属しているが、要請があれば捜査にも参加し、その他の業務も行う。アデルバートはヴァンパイアの中でも戦闘面に優秀な逸材であった。今回の事件は容疑者の魔族がヴァンパイアであり、戦闘に発展することも考えられている。そこで魔物対策課のほうからも人員を引っ張ってきたのだ。



「捜査資料に目を通したらすぐにでも調査に入ってくれ」



 フェリクスは二人に資料を渡した。それを受け取るとアデルバートは部屋を出て自身の所属している部署へと戻る。デスクに座れば、隣の席のバッカスが資料をデスクに投げて頬杖をついた。資料に目を通しているアデルバートをじぃっと見ている。


 何が言いたいのか、その視線だけで理解してしまうぐらいには長い付き合いではあるのだが、構っている場合ではないのでアデルバートは無視する。さっさと資料を頭に叩き込み、調査に参加しなくてはいけないのだから。それはバッカスも分かっていることではあるけれど気にならなくないわけがなくて。



「なー、さっきの話マジ?」

「嘘を言ってどうする」



 あの場で嘘をつくということがどういうことか、バッカスが知らないということはない。ガルディアに隠し事をすれば罰則がつく。それに下手な嘘など簡単に見抜かれてしまうので嘘をつくメリットがない。


 バッカスは信じられないといった態度で、「今度、会わせてくれない?」と頼んできてアデルバートは露骨に嫌な顔をする。



「その顔、失礼じゃね?」

「お前の女にだらしない姿を見てきた身としては当然だと思うが?」



 そう、バッカスは女たらしである。女にだらしなく、目がない。恋人がいる女性であろうと口説き落としたこともあれば、捜査中に気に入った女性を見つければ声をかけたりなどしていた。


 そのせいもあり、魔物対策課のほうに移動となったという経緯がある。それにバッカスとは家柄同士の付き合いもあり、昔から知っている。女同士の修羅場なども見てきた上に、巻き込まれたこともあったので警戒しないわけがない。



「えー、十九歳の人間でしょ? どうかなぁ」

「お前は十六歳の人間女性を口説いた過去を忘れたか?」

「……あー、はい。そ、そんなこともあったねー……」



 バッカスに年齢など関係ない。自身の年齢がとうに二百を越えているのだから今更、考える必要などないのだ。老婦人であろうと幼女であろうと女性であることに変わりは無い。


 老けているのが気になるのであれば魔法でどうにかなる。幼さなんて待てばいい、十年なんて魔族にはほんの少しの時間なのだから。彼の考えを否定はしないが、少しは落ち着けとアデルバートは思わなくもない。



「えー、アデルが気に入った子が気になるよ~」

「お前には関係ないだろう」

「くっそう、絶対に会ってやるからな」



 意地でも会うと宣言するバッカスに、こいつなら隠していても何れシオンと会うことになるだろうなとアデルバートは思いつつ、捜査資料を捲る。


 犯行時刻は全て夕刻、十八時~十九時だ。一人で歩いている女性の背後から抱き着くように拘束し、首筋から吸血行為を行う。被害者が気絶したのを確認するとそのまま逃走。


 周囲から採取した魔力反応が二つ存在し、犯人は二人組みの可能性が高い。恐らく、一人が人避けの魔法を使用し、もう一人が吸血行為を行う。犯行現場は何処も人気がない場所であり、範囲は広くなかった。



「狩場にしている地域に住んでいることはないだろうな」

「そりゃ、そうでしょうよ。ただ、検問敷かれてこの街からは出られないから、どっかに隠れてるんだろうな」



 転移魔法すらも許さない結界が敷かれている。魔法による効果で街から出ようとすればすぐにガルディアが飛んでくる仕組みだ。検問が敷かれる前に逃げるということはよくあることなのだがそうしないのは考えなしなのか、手段をもっているのか。これだけでは判断することができない。



「気配を辿るにしてもなんか消されてるっぽいよなぁ」



 資料をぺらぺらと捲りながらバッカスはぼやく。


 魔族犯罪においてまず調査することは魔力反応だ。魔力反応は魔族によって異なりそれにより種族を特定することもできる。その次に魔力反応とともに表れる魔族独自の気配、人間でいうところの臭いである。それを辿ることで犯人を絞り込むのだが、魔法で誤魔化されているようだった。


 完全に消し切れていないところからして、そのタイプの魔法が得意でない魔族だと予想ができる。上手い魔族は自身の気配を消すだけでなく、別の気配を張ることも可能だ。



「誤魔化されるとなぁ。面倒だよな、逆にさぁ~」

「考えられた犯行か、突発的な犯行か分かりづらいからな」

「それなぁ。考え無しのアホが一番面倒なんだよ」



 追い詰められてから何を仕出かすか分からない。考えられた犯行ならばそうはならないことのほうが多いのだが、突発的なまたは考えたようでそうでないものに関しては追い詰められると厄介な動きをすることがある。



「一先ず、現場付近を回ろう」

「他に参加してるやつにも話聞くかぁ」



 ふぁあっとバッカスは欠伸をすると立ち上がり、椅子にかけていた白いロングコートを羽織った。綺麗に仕立てられているそれを着こなすバッカスに、よくそんな汚れる服装ができるなとアデルバートは思っていた。


 本人にそう言えば「今時、ヴァンパイアだからって黒いマントは流行らないでしょ」と返される。黒いマントは自身もあまり好きではないので同意できなくはないが、白を選ぶ気にはなれなかった。


 アデルバートは立ち上がるとふらりと眩暈が一瞬だけする。それに耐えるようにデスクに手を置いて小さく呼吸をした。



「……そろそろきついな」

「何が?」

「いや、なんでもない」



 シオンの血を混ぜずに無理して人工血液や献血を飲んでいたがそろそろ限界がきていた。それでも仕事はしなくてはならない。今日も無理矢理、飲みこんでいたがもうそれもできないだだろう。どうにかして隙間を見つけて採血しなくてはなとアデルバートは考える。



「なんなのさー、あれ、もしかしてえーっと、シオンちゃんのこと考えてた?」

「……お前に関係ない」

「はーい、今の間は肯定として捉えマース!」



 にやにやするバッカスにアデルバートは何も言わない。これにいつまでも時間をかけれいる場合ではないのだ。「置いていくぞ」とアデルバートは部屋を出ようとすると、バッカスは「怒るなよー」とからかうような笑みを浮かべていた。



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