第2話 ヴァンパイアと出逢う


「じゃあね、シオンちゃん。帰りには気を付けてね?」

「大丈夫だよ。カルビィンはサンゴをよろしくな」

「うん。シオンも気を付けて」



 シオンは手を振ってサンゴとカルビィンと別れた。孤児院での手伝いを終えたシオンは街を歩く。空を見上げれば太陽は沈みかけていて、周囲を歩く魔族や人間たちは少ない。


 レンガ調の家々が並ぶ路地を通りながら、薄暗くなる景色に早く帰らなければと気持ち早めに歩く。夕陽に照らされる外観はファンタジーの世界に入り込んだようで、実際に入ってしまっているのだがシオンはその光景が好きだった。


 それでも夜道は人間にとって危険だと教えられているので早く帰ろうと帰路を急いていると、わき道が視界に入る。


(そういえば、近道なんじゃなかったっけ?)


 この道を突っ切った先に公園があって、そこを抜ければ教会へと続く道に出るはずだ。シオンは道順を思い返すと周囲を見渡してからわき道へと入った。


 わき道は建物に囲まれているからだろうか、さらに暗く薄気味が悪いのだが気にするでもなくシオンは歩を進める。


 この角を曲がるんだっけと曲がり角を覗くと道に蹲るものが一つ。目を凝らしそれをよく見ると片膝をついている黒いロングコートを羽織った人らしき存在だった。何か落し物でもしたのだろうかとその人に近づくと汚れた地面が目に留まる。それは赤黒く、ぽたぽたとその人物から滴り落ちていた。


 怪我をしている、シオンは思うよりも身体が動いていた。走って駆け寄ると黒いロングコートの人物に声をかける。



「あの、大丈夫!」



 様子を窺うようにその人物の顔を覗くとシオンは息を呑む、端整な顔立ちの男は空色の瞳で睨んだのだ。顔につく血のせいか、襟足の長い浅葱色の髪が頬に張り付いていた。


 男はシオンの気配に気づけなかったことにいついてか、「余程、鈍っているらしい」と小さく呟くと、立ち上がろうと腰を上げる。ふらつく様子にシオンは慌てて男の手を引いた。



「怪我してるんだから、いきなり立ったら余計に悪くなる!」

「俺に構うな、問題ない」

「問題ないわけないだろ!」



 声を荒げるシオンに男は目を丸くした、怒ったように見詰めるその瞳から目が離せない。そんな男の様子などお構いなしにシオンは傷の具合を見ようと腹部へと目を向ける。白いワイシャツは血で赤黒く滲んでいた。魔物に斬り裂かれたのか、破れた隙間から見える傷口は深そうだ。


 シオンは「この近くに病院は」と街にある病院の位置を思い出していると、男は「構うな」と言う。



「これぐらいならば問題ない」

「何処をどう見ればそう言えるのか、教えてほしいけど!」

「魔族の回復速度を舐めないでもらいたい。少し休めば治まる」

「それでもきついのは変わらないでしょ!」



 魔族だからといって怪我をしているのだ、このまま放っておくことはできない。せめて、医療機関には連れていきたいとシオンは思った。男の言う通り、少し休めば問題がないのかもしれないがそんなことは関係ない。魔族にだって治癒能力の早さに個体差があることをリベルトに教えてもらっていたからだ。


 とにかく病院に連れて行こうとするシオンの手を男は振り払う、俺に構うなと。少し休めばいいのだからと話す男にシオンは納得ができない様子で彼を見つめる。



「ちょっと休めばっていうけど、顔色悪いじゃん! そんな人を放っておくことなんてできない!」


「何故、そこまでする。魔族だぞ、俺は」

「魔族がなんだっていうのさ! そんなもの関係ないだろ! あんたは身体をもっと大事にしろ!」



 シオンに「あんたは馬鹿かなの!」と叱られて男は固まってしまった。そんなことを言われるとは思っていなかったのか、目を瞬かせている。黙る男をシオンはじっと見つめる、強い眼差しだった。


 一切、引く気のみせないシオンの様子に男は考える素振りをみせた。何を考えているのかとシオンは思ったけれど、怪我が気になって傷口を観察する。汚れてはいないけれど手当ては早くするべきだろう。そう思っていると、男は「行かなくてもいい方法はある」と言った。


 どんなに言っても聞かないシオンに男は諦めたようだ。そんな方法があるなら早くするべきだろうとシオンに言い返されて男はまた黙る。


 なんで黙るのだろうかとシオンが「どうした?」と声をかける、できるなら早くその行動をとればいいだろうと。どうしてそれを今までしなかったのか疑問に思っていると、男は躊躇うように口を開いた。



「……それにはお前の協力が必要だ」

「何? あたしにできることなら協力するけど……」



 そう返せば、なんだこの人間はと言いたげな表情を男に向けられるがシオンはは気にしない。何をすればいいのかと話を促せば、男は遠慮げに答える。



「俺はヴァンパイアだ。お前の血を分けてもらえれば傷は癒える」



 ヴァンパイア、男の口から出た言葉にシオンは目を見開く。そう言われて男を観察すれば、口からわずかに鋭い牙が見えた。


 ヴァンパイアは血を吸うことで魔力を回復することができる。ヴァンパイアが生きるには血が不可欠で、人間であろうと魔族であろうと血液には関係ない。昔と違って魔術が発展した今では人工血液や吸血種の魔族専用の献血なども存在するので、ヴァンパイアによる血液を巡る問題というは少なくなっているとリベルトからシオンは教えられていた。



「……怖いか」



 シオンの反応に男は眉を下げる。魔族、それもヴァンパイアという人間に害を与えることもある存在だと知れば少なからず、人は恐怖を感じる。それは男も理解しているようで逃げてくれて構わないといった様子だ。



「いや、怖くはないんだけど。もっと早く言ってくれればよかったじゃん」



 シオンは顔を明るくすると自身の首筋を露にする。ほらと差し出される身体に今度は男が驚いた、この人間は何をやっているのかと。そんな男にシオンは首を傾げて、「どうした?」と問う。



「早く吸えば?」

「……信じるのか?」



 シオンが「何が?」と問えば男は言う、お前の血を全て食らい尽くかもしれないだろうと。


 魔族が人間に被害を与えてはならないとこの世界では一応、決まりがある。けれど、それを破る、犯罪に手を染める魔族は少なくない。今だって演技で人間を騙そうとしているかもしれないのだ。


 知らない魔族に「血を分けてくれ」などと言われて、それ以上の危害を加えられないと信じられるだろうか。男の言葉になるほどとシオンは納得したように手を打った。


 そういう反応をするのが普通なのだ。そうじゃないから男は戸惑っているのだとシオンは理解して「それはそうかもしれない」と前置きして答える。



「でも、お兄さんはそんなことしないだろ」

「何故、そう思う?」

「えっと、お兄さんさ、話す時に悩んでたじゃん。騙すつもりならもっと早く行動してそうだしさ」



 シオンに「今だって聞いてくるし」と言われて男は信じられない様子だ、それはあまりにも愚かだと愚か過ぎると。男は露になった首筋に目を落とす。



「お前はお人好しすぎないか」

「それ、よく言われる」



 にへっとやんわりと笑うシオンに男は呆れていた。どうやら、自覚があるというのに辞める気がないのだろうと理解して。



「ここでそんなお人好しだと長生きできないぞ」

「うーん、そうかもしれないけどさー。放っておけないじゃん?」



 困っている人がいるというのに無視して放っておくなど、その優しさに付け込まれて騙されるかもしれないと分かっていてもシオンにはできなかった。だから、お人好しだと言われても仕方ないとシオンは笑った。



「ほら、死んだら死んだってことで」

「……なんでそうも受け入れられるんだ」



 男の問いに人間界で一回、死んでるからなんだけどとは言えなかった。人間界の人間は魔族からしたら極上存在だから隠しておきなさいと厳しく言われている。なのでそうとは言わずに、「いつかは死ぬもんだし」とシオンは返す。


 男はまだ納得はしていない様子だったが、一応は理解したらしい。そんな彼にシオンは「ほら、早く吸えって」と誤魔化すように首筋を見せる。男は暫く見つめてから目を細めると諦めたふうにシオンの首筋に噛み付いた。


 牙がゆっくりと刺さっていく。不思議と痛みはなかったが生温かい感触と吸われる感覚にぞくりと身体が震えて、思わずシオンは男の肩を掴む。


(なんだろ、この感覚)


 言い知れぬ感覚に痺れる身体にシオンは耐えようと目を瞑る。男の咽喉が鳴るのを耳にして、それだけで血が抜かれているのだと実感する。だんだんとぼんやりする思考にシオンが落ちそうになると刺さっていた牙が抜かれた。


 男は噛み付いた痕を舐めるとシオンの首筋から顔を上げた。その瞳はわずかに赤みがかっていたが、すうっと元の空色へと変わる。


 飲み終ええた男は怪我をした脇腹に触れた。破けていた服から見えていた傷跡が途端に消えて、服も元の綺麗なワイシャツへと戻っている。


 治る瞬間というのを初めて見たシオンは「おぉ……」と思わず声を漏らす。男は腰を上げるとシオンの身体を支えるように立ち上がらせた。



「助かった」



 男に礼を言われてシオンはまだぼうっとする頭を起こしながら「いいって」と返す。治ってよかったなと笑う彼女に男はじっと目を向けていた。



「対価を払わなければならない」

「え、別に気にしていないんだけど」



 これはシオンが放っておけないからと自分で決めたことで、半ば押し付けだったと思わなくもない。そのため、お礼をされる義理はないので「気にしなくていい」とシオンは言うが男は違うのだと首を振る。



「これはルールだ。対価無しに血を分けてもらってはならない。人工血液や吸血種専用の献血などは金銭という対価を支払っている」


「でもさ、普通に血を吸ったりしてたんだろ?」

「それは百年前の話で、今は法が制定されている」



 魔界にも法律というのが存在する。百年前は対価無しに吸血することは許されていたが、今はそうではない。対価無しに血を買う行為は許されず、許可なく行ったものは裁かれる。



「今回のはお前の同意があったからいい。だか、その対価を支払わなければならない」

「その、なんか大変なんだな……知らなかった」



 同意があったとして、対価を要らないと言ったとしても支払わなければ罰が与えられる。黙っていればいいのではないかとも考えるが、何処でそれを知られるか分からない。隠していたことで罰が重くなるのはシオンでも理解できた。



「名前は何という」

「えっと、シオン。シオン・ルデーニだけど……」

「……フルネームを明かすのか」



 シオンの素直さに男が眉を寄せる。名前を聞かれたのだから答えるのは普通だろうとシオンが「名前を聞いたのはあんたじゃん」と返せば、「シオンだけでいい」と男は返す。


 知らない魔族に全ての名を明かすのは危険な行為だ。その名を悪事に使う可能性だってあるのだと危険性を男に指摘されてシオンはうっと声を詰まらせる。



「なら、あんたも教えてくれればよくない?」

「アデルバート・アインハイム・シュバルツ」

「あ、アデルバート?」



 相手もフルネームで明かすものだから、シオンは思わず聞き返す。そんな様子に「アデルで構わない」とアデルバートは返す。



「フルネームは教えてくれるんだ」

「公平ではないだろう。それに偽名かもしれないぞ?」



 アデルバートはそう言うと口角を上げる。そんなことを疑いだしたらきりがないとシオンは口を尖らせた。それが彼には可笑しかったのだろうか、小さく笑う。あんなに表情が冷たかったのに綺麗に笑うものだからそれは反則だなとシオンは思う、よく整った顔立ちにそれは映えていたから。


 出かけていた文句も口にできなくなってシオンはむーっとアデルバートを見つめる。



「今すぐにでも対価を支払いたいが、もう日が暮れてしまった。お前はその見た目だとまだ若いだろう? 親が心配する」


「あっ、そうだ! もうこんな時間じゃん!」



 腕に付けた時計を確認したシオンが月が昇り始めた空を見て慌てる様子にアデルバートはふむと考える素振りをみせた。



「シオン。二日後は空いているか?」

「二日後? えーっと……空いてるけど」

「ならその日に対価を支払いたい」



 本当に気にしないのにとシオンは思うが、そういう決まりなのだと言われてしまうと断ることはできない。知らずに飲ませてしまったのは自分なので、大人しくその対価を貰うしかないのだ。


 アデルバートが断っていたのはこの決まりがあったからなのかもしれない。余計なお節介だったのかなぁとシオンは思いつつ、それを了承した。



「二日後、十時にこの街の広場に来てくれ」

「広場っていうと……噴水前が一番分かりやすいからそこにいるよ」



 じゃあと手を振ってシオンは走った、急いで帰らなければリベルトが心配してしまう。此処から教会はそう遠くはないので急げば大丈夫だとシオンは駆けていく。その後姿を見送りながらアデルバートは唇を拭う。


(久しく人間から直接、吸血したな……)


 直接、吸血するなどいつぶりだったか。久片ぶりのそれはとても甘美なもので、癖になる味わいだった。



「……シオン、か」



 アデルバートはシオンの血の味を思い出しながら呟いた。



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