同情 04
「・・・・・・・・疲れたぁぁぁぁぁ」
大きなため息とともに集中力の低下をお知らせするだらしない声が漏れる。
ずっと同じ姿勢をとっていたせいで体の節々が凝り固まっていた。
そんな凝りを僕は体を伸ばしてほぐす。
体が一気に軽くなって気持ちがいい。
長時間の勉強は僕に達成感を与え、すればするほど成長を感じる。
高校受験まであまり時間がない今、こんなことに一喜一憂している場合じゃないことは分かっているんだけれどこの高揚感に嘘をつくことは出来そうにない。
何かに熱中することはこれほどまでに素晴らしいとは。
目的に向かって一直線に進むのはなんて気楽なんだろう。
暗闇の中を立ち止まっていた数日前の僕とは段違いだ。
これは成長と呼んでいいのではないだろうか。
はやく彼女に会いたい。
成長した姿を見せたい。
願わくば今度は褒めてもらいたい。
それは求めすぎだろうか。
「ふぅー」
少し疲れたな。
僕はベットに横たわる。
20分程度の仮眠は脳の疲労を解消しリフレッシュできるらしい。
僕はタイマーを20分にセットし、目をつぶった。
ピンポーン。
玄関のチャイムの音が鳴る。
両親の死、親戚間のいざこざ。
悲しい出来事に対して真摯に向き合えないほどに不愉快なごたごたの末ようやく僕は自宅へ戻った。
静かになったこの家は僕を現実へ引き戻す。
親戚に振り回された激動の数日間のおかげで余裕がなかった。
忘れてはいなかったけれどそれどころではなかった。
だからこそ耐え難いものがあった。
感傷に浸り、両親の死の場面にすら立ち会えなかった自分の不甲斐なさを嘆き、将来への不安に打ちのめされたかった。
つまり気持ちの整理をしたかった。
それなのに、そんな状況に水を差すようなタイミングでチャイムを鳴らした空気の読めないやつがいる。
僕は心底腹が立った。
捨て鉢の気分で僕は玄関へ向かう。
八つ当たりって言葉は今この瞬間消えた。
恰好の的って言葉もついでに消す。
そしてこれから目の前にいるであろう奴も問答無用で消す。
そんな覚悟で玄関の扉を開けた。
「はぁ?」
その瞬間、先ほどの決意が吹き飛んだ。
突拍子もないと言えば嘘になるのかもしれない。
昔を思い出せばたしかにこれが普通で、インターホンの音に誘われて玄関の扉を開けば彼女がいるのが日常だった。
笑顔の彼女が外開きの扉に当たらないすれすれのところに立っている姿は今でも時々思い出される。
時の流れとともにその機会は減っていき、今ではもうないのだけれど。
そんな風に思っていたのだが、今まさにその時の光景が僕の目の前で繰り広げられていた。
昔と少し違うところはインターホンに背伸びをしなければ届かなかった小さい背丈が手を伸ばさずともインターホンに届くところと、大きな胸のふくらみと、そして笑顔がないことだろう。
僕の驚いた表情すらも想定内だと言わんばかりに無表情で、あまり見ないうちに少し大人っぽくなっていた。
まるで僕を置いていくかのように。
「な、何しに来たんだ。今忙しいんだよ」
動揺を悟らせぬよう少し強気な口調で話す。
そんな矮小な自分にやっぱり辟易する。
そして思い改める。
だめだだめだ。彼女は何も悪くないじゃないか。八つ当たりなんて余計空しくなるだけだ。
僕はもう1度彼女と向き直り、無理矢理口角を上げ話す。
「どうしたんだ?」
先ほどとのギャップが功を奏したのか彼女の口が開いた。
「そ、その・・・・・・・・これ」
彼女の少しムチっとした肉感のある腕が伸び、真っ白で毛穴一つない柔らかそうな指から紙袋が差し出された。
彼女が差し出した勢いにつられ、紙袋はがさっと紙がこすれる音を奏でる。
僕がその紙袋を受け取ると彼女は少しほっとしたような表情をした。
「これは?」
「あっ、あのね・・・・これはそのぉ・・・・・・・・」
何かを遠慮するかのように視線をキョロキョロとし口ごもる彼女を見て察せない訳もなく、僕は「ありがとう」と告げた。
彼女は繰り返していた「あのぉ」や「そのぉ」を辞め、またしても安堵の表情を浮かべる。
そして何かを思い出したかのように「あっ」と言い、そして僕に向き直り「お悔やみ申し上げます」と頭を下げた。
何度も聞いた言葉。呪文のように頭から離れない言葉。
だから僕はこういう時どうすればいいかを知っていた。
「恐れ入ります」
僕も頭を下げ彼女に向き直る。
そして一連の動作が終わった彼女は、まるで肩の荷が下りたと言わんばかりに大きく息を吐き、「よかったぁ」なんて言葉を漏らした。
その瞬間僕はようやくと言わんばかりに悟ってしまう。
他人に期待することは傲慢だ。
それは紛れもない弱さで、どの点からも否定できないくらい悪だ。
自分に対する甘えで、どうしようもない怠慢だ。
期待にそぐわないからと言って失望してはならない。
あくまで、失望していいのは自分に対してだけ。
傷つけていいのは自分だけ。
期待してしまった自分を嫌えばいいだけ。
そうやって世界は愛想よく回っているんだから。
僕は小学5年生ながら処世術を身に着けた。
大人になったのは僕もだったらしい。
むしろ僕に悟られた彼女はまだまだ子供なのかもしれない。
そう思い始めると当初抱いた彼女への大人っぽさは単なる勘違いなのではとすら思えてきた。
肩の辺りでそろえられた黒髪は少し汗ばんでいて前髪が割れている。
赤い縁のあるメガネが顔の半分を覆うかのように分厚く、ある意味彼女を象徴
しているかのようだ。
ぷっくりとした頬、ふっくらとした胸、全体的に肉感のある彼女の体はどこかいやらしい。
太っているわけではない。
健康的だと言える範囲でぽっちゃりしていた。
背丈は僕と同じくらい。
うん。やっぱりあの時感じた大人っぽさは改めてこう見ると何もかも嘘な気がしてきた。
こんなにももっさりとした、どこに行っても埋もれそうなルックスの彼女からは考えられない。
それに容姿云々は置いておいたとしても、やはり僕に悟らせてしまったことが1番の原因なんだろう。
彼女が『同情』しているのは僕ではなく彼女自身で、親に言われて仕方なく僕の家へ来させられた私はなんてかわいそうなんだろうと自分自身に「同情」していた。
この時、不思議と僕の体に走ったのは怒りではなく怖気だった。
この悲痛そうな顔も、苦しそうな表情も何もかもが目の前にいる僕にではなく、彼女自身に向いていると思うと身震いがするほどだった。
「どうしたの?」
「い、いやなんでもねぇ」
「そ、そう。それじゃあ私はこれで」
「あぁ、ありがとな」
「うん。バイバイ」
そうして彼女は帰った。
僕の隣の家へと。
「ジリジリジリジリ」
タイミングを見計らったかのように目覚まし時計が鳴り響き、僕は目を覚ました。
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