第3話 伝説の鍛冶師の孫3
良い匂いだなぁ。
すべすべしてて、柔らかくて、気持ちいいなぁ……。
王都のベッドっていうのはこんなにも心地良いものなのかと至福の時を堪能していると不意に布団が動いた。
「ぅん……」
「うぇ……?」
甘く、耳を蕩けさせる声が布団から洩れる。
僕の
慌てて目を開くと目の前には視界いっぱいに広がる弾けんばかりの豊かな丘陵がそこにはあった。
「な……な!?」
窓から差し込む朝日に照らされ、淡く
目を瞑っていても分かる長い睫毛と、泣き黒子のある端正な顔立ち。
ボタンを留めずに羽織っただけの白いシャツから伸びるしなやかな四肢と、隠し切れない豊満な胸。
美しいという言葉が彼女のためにあるのではないかと錯覚してしまう程の美を持ち、それでいて無防備な寝顔を晒している彼女のことを僕は知っている。
というよりも、つい昨日出会ったばかりだった。
「く、クロエさんがどうして僕の部屋のベッドで寝ているんですか!?」
「うぅん……朝からそんな大声を出してどうしたの……」
気怠そうに伸びをしながら身体を起こすとクロエさんは眠気眼を擦り、僕の方に視線を向けた。伸びをすることによってただでさえ主張の激しいその二つの山が今にも爆発しそうになっている。
「……あら? どうしてシンが私のベッドで寝ているの?」
「それは僕の台詞ですよ!! と、とにかくこれで前を隠してください!」
僕は咄嗟に掛け布団を掴むと、クロエさんの方に出来るだけ視線を送らないようにしてそれを突き出した。
「ん? ああ、昨日は疲れてたからシャワーを浴びてそのまま寝てしまったのよね。なに? もしかしてシンには刺激が強すぎたのかしら?」
自分の身体に視線を落とし、クロエさんは
「~~!! 僕はあっち向いてるのでいいから早く着替えてください!!」
「ふふ、は~い」
僕が背を向けるとパサリと布が床に落ちる音が聞こえてきた。
い、いけない! このまま音を聞いてると想像しちゃう……!
そう、僕は今村の側にある森の中、河の
だから心を落ち着けて……。そうリラックスするんだ。
「あ、シン、ちょっとそこの、シンの足元に落ちてるそれ取ってくれる?」
「え? は、はい」
クロエさんに言われるまま足元に落ちていた黒色の布切れを手に取るとハラりと縮まっていたそれが広がり、本来の姿を現した。
漆黒のレース生地に少しリボンで装飾されたそれは女性ものの下着、ブラジャーだった。
「ぎゃああああ!?」
「わっ、ちょっと投げないでよ」
「す、すいません!」
咄嗟のことに後ろ向きに放り投げてしまったことを謝罪する。
「それに年頃の淑女の下着を見てぎゃあああとは失礼じゃないかしら?」
「それは……その、ごめんなさい……」
それから少ししてクロエさんの着替えが終わると昨日見たのと同じ、あの白と青を基調とした騎士服姿になっていた。
「それでどうしてシンが私のベッドで寝てたの? 昨日は遅くまで鍛錬して帰ったからシャワーを浴びてすぐにベッドに向かったけど、流石に疲れていても自分の部屋を間違えたりはしないわ」
「僕は昨日クロエさんと別れた後ラナさんに連れられてここの部屋を案内されたんです」
「ふーん……。私はてっきりシンが私に夜這いをしにきてたんだと思ってたんだけど」
「違いますよ!!」
するとクロエさんは机の横に掛けてあった鞄を持ちあげ、颯爽と立ち上がった。
「まあそれも全部学院長に聞けば分かるわ。始業には少し早いけど、ほら、シンも身支度して」
「え!? そんないきなり……」
「あら、それなら私が着替えるの、手伝ってあげましょうか?」
「一人で大丈夫です!! クロエさんはあっち向いててください!」
「お待たせしました」
「いいえ。それじゃあ行きましょうか」
すっ、と自然な流れで僕の手を握ろうと伸びてきたクロエさんの手を反射で僕は避ける。それを驚いたような目で見るクロエさんに咄嗟に謝った。
「あ、その嫌というわけではないんですけどやっぱり恥ずかしいから……」
「これが成長というものなのかしら……。なんだか寂しいわ」
おいおいと泣き真似をしているクロエさんをジト目で睨むとべっ、と舌を出して可愛く笑って華麗にスルーされた。
まだ朝も早い時間ということもあってか寮棟に人気はなく、静かな空気と雲雀の
「あの、こんな早い時間から学院長って学院長室にいるんですか?」
「そうね、学院長は働き者だから多分いると思うわ。私もそれなりに付き合って来たつもりだけど彼女が仕事以外のことをしているところなんて見たことないもの」
かつかつとクロエさんがヒールの音を廊下に響かせながら歩いていき、そしてヒールの音が止んだ。
扉を二回ノックすると昨日と同じ声が返ってきた。
「おや? こんな朝早くに二人して私に何か用か? 私はてっきり昨日はお楽しみで今日は寝坊してくるものかと思っていたよ」
冗談めかしてそう笑っていたのは昨日と同じく書類の山に視線を落とす学院長だった。
「まったく、学院の長である貴方が私達生徒の不純異性交遊を助長してどうするんですか。それに私はシンのような年下の男の子に手を出す程落ちぶれているつもりはありませんから」
「ははは、冗談じゃないか? それでシン君はいい思いが出来たかな?」
「え!? そ、それは……」
学院長に言われて思い出すあの甘い香りと耳に残る蕩ける声。視界に焼き付いた刺激的なクロエさんの身体を思い出してしまいみるみる顔が熱くなるのを感じる。
「ほら、学院長あんまりうちのシンを揶揄わないでください。茹蛸みたいに顔を赤くしちゃってます」
いや! それを貴方がいうのはおかしいですクロエさん!!
という心の叫びが二人に届くはずもなく。
「そうだな、冗談はこれくらいにしておこう。実はシン君に宿泊先を提供すると言った矢先に気が付いたのだがこの前の事件のせいで今寮がいっぱいいっぱいでね。それで近隣の一級宿屋にも確認をとったのだが、今は年に一度のアルテミス祭の準備の時期。国中の貴族や豪商が軒並み王都に集まっていて既に予約は埋まっていた」
「それでどうしたんです?」
「ならルームメイトのいない我が校の生徒の部屋を一時的に使ってもらおうということになってね。探してみたらいるじゃないか適任が」
クロエさんの方に視線を向け学院長は続ける。
「シン君の事情を知っていて且つ面識もあり、加えて君なら万が一の間違いも起こさない。これほどの適任がいるかな?」
「……なるほど、それで私ですか」
「ああ。もちろんクロエ君が嫌ならこの方針はやめよう。代わりにシン君には……そうだな、申し訳ないが少しの間私の部屋で――」
「いえ、問題ありません。このまま彼とルームシェアしますので」
ちょっクロエさん!?
何だか心なしか声に圧力があるような……。いつもと違う迫力のある雰囲気に一瞬びくりとしてしまう。
「――おや? そうかい。それなら引き続きシン君のことはクロエ君に任せよう。それとシン君が着てくれて丁度良かった、伝えておきたいことがあったんだ。君の編入の件だが思ったよりも早く手続きが済みそうで三日後には完了しそうだ。教科書や制服などは今日中に君達の部屋に運ばせておくから安心したまえ」
「ありがとうございます、学院長」
「いや、気にすることはないよ。ふむ……もうこんな時間か。二人共朝食はまだだろう? 一緒にどうだい? ラナの料理は絶品なんだ。特に食後の珈琲は王都一だと思うよ」
確かに言われてみれば部屋の奥の方から美味しそうな香ばしい香りが漂ってきている。昨日の夜は疲れてすぐに寝てしまったため食べておらず、気が付くと僕の胃が食べ物をくれと音を鳴らしていた。
「ふふ、シンは育ちざかりだものね。ではお言葉に甘えてご一緒させていただきます」
「ああ。ラナ、すまないが四人分の朝食を用意してくれる?」
「かしこまりました。しかし、三人分ではなく四人分なのですか?」
「ああ、勿論もう一人分の食事は君の分だ。ラナもまだ朝食をとっていないだろう?」
「はい。それでは簡素なもので申し訳ございませんが、追加で作って参ります」
そう返事をするといそいそとラナさんが奥へと引っ込み、数分と経たずにテーブルの上へ湯気の昇る暖かな朝食が運ばれてきた。
「もう少し食材や器具があれば凝ったものをお出しできるのですが、このようなもので申し訳ございません」
そういって出てきたのは旬野菜のサラダにエッグ鳥の目玉焼き、焼き立てのトーストに食欲をそそる匂いのオニオンスープと十分すぎる品々だった。視覚も嗅覚もそれらを美味しそうだと絶賛しているようで、早く食べたくて仕方ない。
「そんなにへりくだる必要はないといつも言ってるんだがね。それじゃあ皆、頂こうか。豊かな食をいただける喜びに、日々見守って下さる神に、感謝を」
「「「感謝を」」」
食前の祈りをあげ、僕は焼き立てのトーストにかぶりついた。
これは……!
間違いない、村にいた頃に近所の養蜂家のおばさんから食べさせてもらった味だ。
「このトーストに塗ってあるのってもしかしてハニービーの蜂蜜ですか?」
「ええ、よく気がづかれましたね。ハニービーの蜂蜜は他の蜂から採れる蜂蜜よりも糖度が高く、体温を上げる効果が期待できます。なので寝起きで血圧の下がった状態に食べると健康にも良いんです」
「へぇ~そうだったんですね! 村で暮らしていた頃に近所のおばさんから食べさせてもらった味にそっくりで、とても好きだったので王都でも食べれて嬉しいです!」
「そんなに喜んでいただけて私も嬉しいです」
ラナさんはニコリと表情を緩めると自分も綺麗な所作で朝食に手を付け始めた。
僕はお腹が空いていたこともあって夢中で食事にありついていると、左から「食べかすがついているわよ」と、僕の口元をクロエさんがナプキンで拭いてくれた。
「ありがとうございます!」
「どういたしまして。こうして見ているとやっぱりシンも年相応で可愛いわね。出会ったときからずーっと敬語で、人の表情を窺って、少し大人びてるなって思ってたけど」
「んぅっ……」
食べかすを拭った後、食べ物を詰め込み過ぎてぱんぱんに膨れた僕の頬を面白そうに肩肘をついたクロエさんがつんつんと押した。
「何だかそうしていると二人は姉弟みたいだな」
「はい。シン様、ミルクです。喉が詰まってしまいますよ」
「んぐ……んぐ……あ、ありがとうございます……」
三人からの暖かい眼差しを向けられ我に返ると夢中で朝ご飯を食べていたことが少し恥ずかしくなってきた。よくよく考えると、クロエさんにナプキンで食べかすを拭いてもらったり、喉が詰まりそうだからとラナさんがミルクを渡してくれたり、これじゃあまるで小さい子じゃないか……。
「どうしたの? 急に赤くなったりして」
「い、いえ少し恥ずかしくなって」
ニヤニヤと揶揄うクロエさんと揶揄われる僕を見て、学院長とラナさんは微笑んでいた。暖かな?朝食を終え、部屋を出ようとすると思い出したかのように学院長が僕達に声をかけた。
「ああ、そうだ忘れていたよ。二人共、おはよう」
「「おはようございます」」
優しく笑みを浮かべる学院長に呼応して、僕達も自然と笑みを浮かべて挨拶をする。
「良い天気に美味しい朝食、良い一日のスタートだね。それじゃあ二人共行ってらっしゃい」
「行ってきます」
「はい! 行ってきます!」
行ってらっしゃい、なんてじいちゃんがいなくなって以来だ。
何だか胸が温かくなるのを感じながら、僕は今日の一歩を踏み出した。
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