第40話 ハナコの目に焼き付いたもの
出勤最終日。
9年間お疲れ様でした!!
朝から私の顔を見るなり、他部署のスタッフが思い思いの言葉で別れの挨拶をしてくる。
昼休みになると、私はセッカチさんに呼び止められ診察室に案内された。
そこには受付と看護の皆さんが勢ぞろいして、最後の挨拶をするために私を待っていた。
皆がこんなことをしてくれるなんて想像もしていなかったので熱いものがこみ上げてくる。
「もう今日で本当に最後なんですね。ハナコさんが辞めたら私を守ってくれる人はいなくなってしまいます」
不安そうに肩を震わせるノンビリさん。彼女を受付に誘った日を思い出し切ない気持ちになる。
「ハナコさんが辞めたら私はやっていけない……」
涙で顔が歪むヤンキーさん。
「ハナコさんからもっと色々教わりたかった」
キニシヤさんは、私がまだ受付とリハ助手を兼任していた時から一緒に働いて来た。
受付では一緒に働く事は少なかったが、甘える様に言う彼女が今は愛おしい。
「……」
皆がそれぞれに話しかけてくる中、ポツンと一人でいるシズカさんの姿が目に入った。
私は壁際で下を向いている彼女の傍にそっと近づいた。
「ハナコさんの頑張りをずっと見てきたので尊重します。これからは楽しくハナコさんらしく過ごしてください。」
数秒の間があったかと思うとかすれたような小さな声で彼女は呟く。
「ほんとは辞めて欲しくないけれど……」
これまでの彼女とのやり取りが思い出されて胸が痛くなる。
9年間もの間、私は何人もアコガレクリニックから去る人を見送って来たが、今日は自分が見送られる立場だ。
これまでのいろんな場面が総まとめのように思い出され目頭が熱くなる。
「ハナコさん、9年間本当にお疲れ様でした」
皆からのメッセージが入った色紙とプレゼントを手渡たされる。
その瞬間私は、もう涙があふれるのを抑えることはできなかった。
業務が終了して、最後の片付けをしていると、セッカチさんが鞄の中から何かを取り出した。
「私からの気持ちです」
誰もいないところで、こっそり手紙とお揃いのコーヒーカップを差し出すセッカチさん。
そこには、”ハナコさんと一緒に仕事が出来た5年間、私はとても楽しかったです。有難うございました”と書き記されていた。
セッカチさんにはだいぶ酷い目にあったと思うが、彼女なりに私と上手くやっていこうとしていたのかもしれない。
どことなく寂しそうに背中を丸くしているセッカチさんを私は黙って見つめていた。
私は皆とこんなにも良い関係が築けていたことに感謝し、この関係を断ち切ることへの罪悪感を必死に打消していた。
そんな中、私の前を何も言わず素通りして帰ろうとする人がいた。
院長だ!!
いやいやそれはいくら何でも酷いでしょう?
最後まで何も言わせず去らせる気ですか?
この一か月ずっと避けられていたのは気づいていたけれど。
私は仕事をする手を止め急いで院長を追いかけた。
「今日まで大変お世話になりありがとうございました」
用意していたお菓子を渡し深々と頭を下げる。
「あっ、忘れていた今日で終わりだっけ?」
鼻で笑いながら足早に帰ろうとする院長。
さもしい人だな。
最後くらい……。
私は院長の後姿をずっと眺めていた。
冷たく背を向ける院長の姿は、私の脳裏に焼き付き、鮮明な記憶として残り続けるだろう。
でももういいわ!
今日でアコガレクリニックとはお別れだから。
これから先は私の道を行く!
私はやっと自由になれた解放感と、9年間の勤めを無事終えた安堵で、家族の待つ帰路へ向かうのであった。
ご精読ありがとうございました。 完
あとがき
この体験談を書こうと決めた時は、私の9年間の記録として残したいという気持ちから書き始めました。
しかし話を進めて行くうちに、病院で働く人は勿論・畑は違えども、他の職場でも似たような経験をしている人がいるのでは?「あるある」と共感していただけるのでは?と思うようになり、この体験がすこしでも誰かのお役に立てたらという思いで書き記して来ました。
なほこの物語は私の記憶をたどったものであり、必ずしも正確なものではありません。
”こんな職場もあるんだ~”と笑っていただけたら幸いです。
最後になりましたが、アコガレクリニックのスタッフは、どこの部署も穏やかな人が多く、総じて人間関係は良かったのです。
私が9年間ものあいだアコガレクリニックで働けたのは、彼ら・彼女らのおかげであることに疑いの余地もありません。
そんなスタッフに胡坐をかいている院長、今に痛い思いをするんでしょうかね?
私は知る由もないですが。
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